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よみ人知らず散りぬとも香かをだに残せ梅の花 恋しきときの思ひ出にせむ古今和歌集 48散ってしまっても香りだけは残していってくれ梅の花よ恋しくてたまらない時のよすがにするから。
2013.03.19
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よみ人知らず梅が香を袖にうつしてとどめてば 春は過ぐとも形見ならまし古今和歌集 46梅の香りを袖に移して留められたら春は過ぎても思うよすがになるだろうなあ。註てば:・・・(もし)することができたなら。完了の助動詞「つ」の未然形に「ば」がついたもの。形見:現代語の「形見」よりかなり意味は広く、銘記・記憶のよすがとなるもの全般についていう。
2013.03.19
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凡河内躬恒(おおしこうしのみつね)春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね香かやは隠るる古今和歌集 41春の夜の闇のすることは筋道が通っていない。梅の花の色こそ見えないが、香りは隠れているのか(・・・いや、全然隠れていないね)。註あやなし:文無し。(整然とした文様がないという原義から)筋道立っていない。一貫性がない。わけが分からない。伊勢の歌にも共通するが、イノセント(無邪気)なユーモアが漂っていて面白い。
2013.03.19
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凡河内躬恒(おおしこうしのみつね)月夜にはそれとも見えず梅の花 香かをたづねてぞ知るべかりける古今和歌集 40月夜の淡い光ではそれであるともよく見えない梅の花は香りを探して知るべきなんだろうなあ。
2013.03.19
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紀貫之(きのつらゆき)暮ると明くと目離かれぬものを梅の花 いつの人まにうつろひぬらむ古今和歌集 45明けても暮れても目を離さないでいたものを(わが家の)梅の花はちょっと目を離した隙にいつの間に散ってしまったのだろうか。(・・・フジモンの真似で「グヤジイ~っ!!」)註今でいう、一種の自虐的ユーモアのおかしみが漂う一首。離(か)る:離れる、離す。うつろふ:枯れる。萎(しお)れる。散る。
2013.03.19
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紀貫之(きのつらゆき)人はいさ心も知らず ふるさとは花ぞ昔の香かににほひける古今和歌集 42 / 小倉百人一首 35人は、さあ、心も分からないがあなたが住んでいるこの里は梅の花が昔のままの香りで照り映えているのだなあ。註いさ:否定のニュアンスを持つ古語感動詞または副詞。さあ。さてどうだろうか。「いざさらば」「いざ鎌倉」などの「いざ」とは別語だが、混同されて「いざ知らず」という語になって残った。ふるさと:この場合は、現代語でいう「故郷(古里、郷里)」ではなく、昔なじみの(女性が住んでいる)里。「(花)ぞ・・・(にほひ)ける」は強調の係り結び。『古今和歌集』編者による名歌。この「花」が梅であることは、作者自らが古今集の詞(ことば)書きで明示している。 パブリック・ドメイン国宝 尾形光琳 紅白梅図屏風
2013.03.18
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紀貫之(きのつらゆき)梅の花匂ふ春べはくらぶ山 闇に越ゆれどしるくぞありける古今和歌集 39梅の花が匂う春辺はくらぶ山を暗い闇に越えたけれどもきわだっていたなあ。註くらぶ山:未詳とされるが、「比ぶ」で、比叡山のことか(くまんパパ説)。「暗し」と掛けている。 パブリック・ドメイン重要文化財 尾形光琳 竹梅図屏風
2013.03.18
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伊勢(いせ)春ごとに流るる川を花と見て 折られぬ水に袖やぬれなむ古今和歌集 43春が来るたびに流れる川に映る梅を本物の花と見て(手折ろうとしては)折れない水で袖が濡れてしまうでしょうか。註伊勢らしい、一種のコケティッシュさを感じさせる綺想の歌。「水」「袖が濡れる」は「涙」「泣く」の縁語だが、この歌の場合はあまり関係ないかも知れない。
2013.03.18
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伊勢(いせ)年をへて花の鏡となる水は 散りかかるをや曇るといふらむ古今和歌集 44歳月を経て花の鏡にふさわしくなった池の水は(水面みなもに花びらが)散りかかることを(鏡が曇るのと同じくやはり)「曇る」というのだろうか。註この歌の「花」も、古今集の前後の配列から見て梅のこと。
2013.03.18
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よみ人知らず折りつれば袖こそ匂へ 梅の花ありとやここに鶯の鳴く古今和歌集 32花を折ったので私の袖は移り香がしている。梅の花があると(勘違いして)ここにウグイスが来て鳴かないかな。(・・・鳴かないだろうなあ。)註古今和歌集の「よみ人知らず」の歌の多くは、当時のいわば流行歌・俗謡のようなものを編者・紀貫之らが採録したものという説が有力。この歌も素朴で分かりやすい戯咲(ぎしょう)を含み、その好例と思われる。歌の調べとしては、意外にも(?)なかなか流麗典雅。下2句は「や」があるので、反語的疑問形。
2013.03.18
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紀友則(きのとものり)君ならでたれにか見せむ梅の花 色をも香かをも知る人ぞ知る古今和歌集 38あなたでなくていったい誰に見せようかこの梅の花の彩りも香りも知っている人は知っている。(それはもちろん、あなたです。)註結句「知る人ぞ知る」は、現代でも使われる成句となった。ならで:~ではなくて。
2013.03.18
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紀友則(きのとものり)花の香を風のたよりにたぐへてぞ 鶯さそふしるべには遣やる古今和歌集 13梅の花の香りを風の便りの供としてウグイスを誘う案内役には遣つかわすよ。註現代でも普通に使われる「風の便り」という言葉の典拠の一つといえる。梅に鶯は古来定番だから、花の香りでおびき寄せたいのだろう(?)とは何となく分かるが、仔細に読むと、作者が何を言いたいのか、今ひとつよく分からない(笑)・・・が、伝統的な和歌というものはこういうものなのだ、これでいいんだとも思う。たぐふ:伴わせる。供をさせる。しるべ:案内。道標(みちしるべ)。○ ちなみに、「風のたより」つながりで当地・栃木の超人気名店レストラン「風だより」はこちらです
2013.03.18
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王仁(わに)難波津なにはづに咲くや木この花 ふゆごもり今は春べと咲くや木の花古今和歌集 仮名序難波の港に咲くよ 梅の木の花が。長かった冬籠りが終わって今は春だと咲いているよ 梅の木の花が。註難波津なにはづ:大阪湾に面した古代の港。現・大阪市中央区付近。木こ:上代では名詞も活用(変化)した例。「木(き)、くだもの(木のもの)、木(こ)の葉」など。ふゆごもり:「春」に掛かる枕詞(まくらことば)。普通は枕詞を訳さないことが多いが、ケース・バイ・ケースと思う。○ この歌の歌碑(大阪市生野区) けん家持さんのブログより
2013.03.18
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紀貫之(きのつらゆき)雪降れば冬ごもりせる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける古今和歌集 323雪が降ると冬籠りしている草にも木にも春には見たこともない真っ白の花が咲くのだなあ。
2013.02.23
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よみ人知らず わが君は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで古今和歌集 343わが君は千代に八千代に悠久に細かい石が大岩となって緑の苔が生えるまで。君が代は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで和漢朗詠集 775註もとは、若い女から親しい男に向けた相聞歌(恋歌)風の当時の一種の民謡のようなものを採録したという説もある。古今和歌集の「よみ人知らず」は、その種のものが多いといわれるので、一理はあるといえる。しかし、初の勅撰和歌集である古今和歌集の賀歌(祝賀・祝詞の歌)の部の劈頭に、編者・紀貫之らによって配置され、延喜5年(905)4月、醍醐天皇に奏上された時点で、「わが君」の指し示す内容は「日本国天皇」の意味と確定し、天皇の長寿を祝賀し祈念する歌となった。このおよそ100年後、当時の詩歌の詞華集(アンソロジー)である藤原公任(きんとう)編の名著「和漢朗詠集」の写本で、初句が「君が代は」となり、皇室のいやさかを祈る趣意がさらに画然たるものとなった。この形で人口に膾炙し、薩摩琵琶の古謡などの歌詞として長らく伝承されていたのを、明治3年(1870)、元・薩摩藩士だった海軍首脳部高官らが取り上げ、若干の曲折を経たのち宮内省雅楽寮に持ち込まれ、林広守(1831-1896)作曲の古式ゆかしい雅楽調の旋律を付けて、宮中において明治13年(1880)11月3日初演。この歌詞・楽譜は明治21年(1888)、国家的礼式を定めた「大日本礼式」の中で「Japanische Hymne(「日本国歌」、ドイツ語)」として、海軍省が公式に各条約締結国(先進国)に配布、国際的に認知された。この一連の過程に亘り、当時の文部省は全く関与しておらず、独自の国歌制定を模索していたが、明治20年頃から学習院など各学校独自の判断により、祝祭式典などで広く「君が代」が愛唱されるに至ったので、明治26年(1893)8月12日「文部省告示第三号」で、「祝日大祭日歌詞並びに楽譜」として官報で公布、事実上追認して今日に至っている。これらの経緯から見て、「君が代」がわが国の国歌であることは自明であり、むしろそれゆえにこそであろうが、国内法上の明文規定がないことに長らく疑問の声が燻っていたが、批判の高まりを受けて、平成11年(1999)8月13日に、いわゆる「国旗国歌法」が制定され、この問題は法制度的には最終的に決着した。しかし、近年でも民主党政権の菅直人かん なおと首相(当時)が、国会答弁やラジオ番組その他において、この歌を「陰気で古臭い感じがする」というような理由で「私は歌わない」と再三に亘って公言したことが記憶に新しいなど、無分別で非論理的な非難をする者が今なお少なくないのが、憂うべき現状である。
2012.12.23
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小野小町(おののこまち)花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせし間に古今和歌集 113 / 小倉百人一首 9麗しかった桜の花の色は衰えてしまったのだなあ。虚しく徒(いたず)らにわが身が世の中に古びてゆく。世に降る長雨を眺めてもの思いに沈んでいた間に。註うつる:うつろう。衰える。ふる:古語動詞「古(ふ)る」(古びる)と(長雨が)「降る」が掛けてある。ながめ:動詞「ながむ(眺める、物思いをする)」の連用形と、名詞「長雨(当時は『ながめ』と読んだ)」の掛詞(かけことば)。詠嘆と諦観、客観視と技巧が渾然一体となった不朽の名歌。
2012.04.15
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在原業平(ありわらのなりひら)桜花さくらばな散り交かひ曇れ 老いらくの来こむといふなる道まがふがに古今和歌集 349桜花よ、空も曇るまで散り乱れよ。老いの神がやって来るという道が紛れて分からなくなるほどに。
2012.04.15
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紀貫之(きのつらゆき)桜花さくらばな散りぬる風のなごりには 水なき空に波ぞ立ちける古今和歌集 89桜の花が散ってしまう風の余波には水のない空に波が立っているなあ。
2012.04.15
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紀友則(きのとものり)ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ古今和歌集 84 / 小倉百人一首 33大空の光のどかな春の日になぜ落ち着きもなく桜の花は散るのだろう。註下二句は、「などてか知らねど(なぜかは知らないが)」などの疑問語が省略された疑問形と見るのが大方の解釈。しづ心:穏やかな心。静謐な、落ち着いた心。
2012.04.15
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在原業平(ありわらのなりひら)世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし古今和歌集 53世の中に絶えて桜がなかったら(今日は咲いたか、散ってしまったかとやきもきすることもなく)春の心はのどかだろうなあ。註のどけからまし:文法的には、形容詞「のどけし」(のどかだ)の未然形の一つ「のどけから」に、反実仮想(事実でないことを想像する意)の助動詞「まし」が接続したものと解される。語源的に見れば、「のどけく・あら・まし」の約まったものである。* 写真(クリックで拡大) : けさ近所で撮影。当地では五分咲きというところ。
2012.04.10
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紀貫之(きのつらゆき)霞たち木この芽もはるの雪降れば 花なきさとも花ぞちりける古今和歌集 9霞が立って木の芽も張る春の雪が降ると花のない里にも雪の花が散っているなあ。註「(木この芽も)張る」と「春(の雪)」が掛けてあり、今の言葉で言わばオーヴァーラップしている。下の句も、降る雪を散る花に見立てている。こういう分かりやすい駄洒落みたいなところが紀貫之のポピュラリティであり、多くの愛好者を獲得した反面、一部の玄人筋からは言語遊戯としてコテンパンに貶されるゆえんである。木この芽:古代には、母音交代の現象も関連して名詞も活用する例があった。「木(き)」「くだもの(木の物、果物)」「木(こ)の実、木(こ)の芽」などはそのなごりである。
2012.03.23
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在原元方(ありわらのもとかた)霞立つ春の山辺はとほけれど 吹きくる風は花の香かぞする古今和歌集 103霞が立ちこめた春の山辺は遠いけれどもそこから吹いてくる風は花の香りがする。
2012.03.20
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壬生忠岑(みぶのただみね)春日野の雪間ゆきまをわけておひいでくる 草のはつかに見えし君はも古今和歌集 478春日野に積もった雪が消えたわずかな隙間を分けて生え出てくる草のようにわずかにちらりと見かけただけの君だなあ。
2012.03.19
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光孝天皇(こうこうてんのう)君がため春の野に出いでて若菜摘む わが衣手ころもでに雪は降りつつ古今和歌集 21 / 小倉百人一首 15君のため早春の野に出て若菜を摘んでいる私の袖に雪は降りかかって。註清冽な早春と青春の名歌。当時としては老齢の55歳で践祚(せんそ、即位)する以前の、若き日の作品であろう。若菜:芹、薺(なずな)、嫁菜、土筆(つくし)、田菜(たんぽぽ)、蕨、薇(ぜんまい)、うこぎなど、「春の七草」に歌われたような、食用になる早春の植物の総称。その中には、早春の花もあったかも知れない。
2012.03.10
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藤原高子(ふじわらのたかいこ、二条の后きさい)雪のうちに春は来にけり 鶯うぐひすの冰こほれる涙いまやとくらむ古今和歌集 4雪の残っているうちに春はやってきたのだなあ。ウグイスの氷った涙を今は春が融かしているのだろうか。註藤原高子:清和天皇女御(にょうご)、のち陽成天皇の母(皇太后)。武家の棟梁・清和源氏の祖となった。入内(じゅだい)する前の、在原業平(ありわらのなりひら)との悲恋で知られ、この歌もその心情を忖度されつつ読まれるのは惻隠の情というものであろう。
2012.03.10
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坂上是則(さかのうえのこれのり)朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪古今和歌集 332 / 小倉百人一首 31ほのかに夜が明けそめる頃有明の月が照っていると見まごうほどに明るく吉野の里に降り積もっている白雪。註有明の月:十六夜(いざよい)以降の、朝の空に残っている月。→「月の満ち欠けと呼び名」参照。
2012.02.17
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紀貫之(きのつらゆき)雪降れば冬ごもりせる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける古今和歌集 323雪が降ると冬籠りしている草にも木にも春には見たこともない真っ白の花が咲くのだなあ。
2012.02.13
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)わが待たぬ年は来ぬれど 冬草のかれにし人はおとづれもせず古今和歌集 338私が待ってもいない新しい年は来てしまったけれど冬草の枯れるように離(か)れてしまった人からは便りとてない。註昨23日は、小正月(旧暦の元日)だった。「(冬草の)枯る」と古語動詞「離(か)る」(離れる)を掛けている。「離(か)る」は、「あくがる」(憧れる、「魂が離れる」が原義)などに痕跡。おとづれ(おとづる):「音・連る」が語源。「音を立てる」ことが原義で、直接の訪問・見舞いをはじめ、手紙(玉梓、和歌の贈答など)の音信で消息を尋ねることもいう。
2012.01.24
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よみ人知らず わが君は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで古今和歌集 343わが君は千代に八千代に悠久に細かい石が育って大岩になって緑の苔の絨毯がびっしりと生えるまで。君が代は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで和漢朗詠集
2011.12.23
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紀友則(きのとものり)笹の葉に置く露よりも ひとり寝ぬるわが衣手ころもでぞ冴えまさりける古今和歌集 563笹の葉に降りる霜よりも独り寝る私の袖は冷えまさっているなあ。
2011.12.10
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源宗于(みなもとのむねゆき)山里は冬ぞさびしさまさりける ひとめも草もかれぬと思へば古今和歌集 315 / 小倉百人一首 28山里はとりわけ冬に寂しさがまさるなあ。訪れる人も絶え草も枯れてしまうと思うと。註「(冬)ぞ・・・(まさり)ける」:強調・詠嘆の係り結び。「ける」は連体形。ひとめ:「人目」から転じて、人の行き来、往来。かれ:古語動詞「離(か)る」(離れる)と「枯る」(枯れる)を掛けている。なお、「離(か)る」は「あくがる(憧れる)」に残滓的痕跡。「(魂が対象に向かって抜け出て)ここを離れる」が原義。
2011.12.06
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小野小町(おののこまち)今はとてわが身時雨しぐれにふりぬれば 言の葉さへにうつろひにけり古今和歌集 782今はもう時雨が降ってわが身も古びてしまったので木の葉が萎れるようにあの方の言葉も変わってしまったのだなあ。註なんとも救いがない、やるせない歌であるが、ここまで寂しいと、いっそすがすがしいかも(?)「(時雨が)降る」と「(わが身が)古(ふ)る」が掛けてあるとともに、「時雨」が「涙」の縁語。また、「(葉が)うつろふ」(しおれる)と「(言の葉が)うつろふ」(変化する)が掛けてある。
2011.12.03
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文屋朝康(ふんやのあさやす)秋の野に置く白露は玉なれや 貫きかくる蜘蛛くもの糸すぢ古今和歌集 225秋の野に置いた白露は珠玉だろうか。玉のように貫いて草葉に掛けている蜘蛛の糸すじ。註(玉)なれや:断定の助動詞「なり」の已然形「なれ」に疑問の助詞「や」が付いたもの。 「~なのか?(疑問)/ ~なのか?・・・いや、そうではない(反語)/ ~だなあ(詠嘆)」などの意を表わす。この歌では、その全ての意味をかけていると見てもおかしくない。
2011.11.18
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)初雁はつかりのはつかに声をききしより なかぞらにのみものを思ふかな古今和歌集 481玉梓(たまずさ)の恋文を運んでくるという初雁のように初めてあなたの声を聞いてから心が憧れて中空にものを思うばかりだなあ。
2011.11.14
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)神無月かんなづき時雨しぐれに濡るるもみぢ葉は ただ侘び人の袂たもとなりけり古今和歌集 840神無月の時雨に濡れる紅葉はわびしさに堪えかねてひたすら血の涙にくれる私の袖の袂だったよ。註神無月かんなづき:陰暦の十月。新暦のほぼ11月に当たる。もみぢ(葉):上古語動詞「もみづ」(紅葉・黄葉する)の連用形が名詞となったもの。今日では語源はほとんど意識されないが、古語と現代語を往還する短歌表現では、稀に原型の動詞の形で用いることもある。
2011.11.11
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在原業平(ありわらのなりひら)ちはやぶる神代かみよも聞かず龍田川たつたがは からくれなゐに水くくるとは古今和歌集 294 / 小倉百人一首 17いにしえの霊威なる神々の時代でさえも聞いたことがない竜田川が深紅色に水をくくり染めにするとは。註川面を流れてゆく一面の紅葉を、川の水を括くくり染めにしたものと見立てた。濃艶華麗で洒落た趣向が楽しい、人口に膾炙した名歌。ちはやぶる:「神」「氏」などに掛かる枕詞(まくらことば)。「千早振る」と表記するが、語源は「逸早(いちはや)振る」とされる。* 竜田川* からくれなゐ(唐紅)水くくる:「(川の)水を括り染め(絞り染め)にする」の解釈が定説だが、古来「水を潜(くぐ)る」(当時は濁点表記はなかった)の説もあり、もともと作者が意図的に両義をかけたという見方もできるかも知れない。
2011.11.06
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菅原道真(すがわらのみちざね)このたびは幣ぬさもとりあへず手向山たむけやま 紅葉の錦にしき神のまにまに古今和歌集 420 / 小倉百人一首 24 この度の旅はあわただしくて幣ぬさも手に取れずに参りました。手向けるこの山の紅葉の錦を捧げますのでどうか神意のままに(ご笑納下さい)。註(この)たび:「度」と「旅」を掛けている。幣ぬさ:神に捧げる供え物。また、祓(はらえ)の料とするもの。古くは麻木綿(あさゆう)などを用い、のちには織った布や紙を用いた。みてぐら。にぎて。幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)。玉串(たまぐし)。秋の祭礼の「初穂」(初めての稲の収穫)もこの類い。まにまに:随意に。意の儘に。現代語「ままに」の語源。
2011.11.04
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猿丸太夫(さるまるのたいふ、さるまるだゆう)奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の こゑ聞くときぞ秋はかなしき古今和歌集 215 / 小倉百人一首 5奥山に積もった紅葉をさくさくと踏み分けて鳴く牡鹿の嬬恋つまごいの声を聞くときに秋はしみじみかなしいなあ。註古今和歌集では「詠み人知らず」、「小倉百人一首」では猿丸太夫作となっている。花札の「紅葉に鹿」の取り合わせは、この歌によるという。(とき)ぞ・・・かなしき:強調の係り結びで、形容詞「かなし」が連体形になっている。この語法の起源は倒置法ともいう。かなし:現代語「かなしい」の語源だが、古語としてはきわめて多義的で、簡明な現代語訳は不可能。「心にしみる、強く心ひかれる、胸がいっぱいになる」「いとしい、かわいくてたまらない」「悲しい(哀しい)、切ない」などの感情を包含する重要語。現代語「かなしい」においても、こういったニュアンスは完全には失われていないように思う。
2011.11.04
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春道列樹(はるみちのつらき)山河やまがはに風のかけたる柵しがらみは 流れもあへぬ紅葉もみぢなりけり古今和歌集 303 / 小倉百人一首 32山の河に風がかけたしがらみは流れようとしても流れずにとどこおる紅葉だったなあ。註柵(しがらみ):水流をせき止めるために、川の中に杭(くい)を打ち並べて、それに木の枝や竹などを横に結びつけた柵(さく)。人がかけるものである柵しがらみを「風がかけた」と見立てたところに面白みがあるとされる、典型的な古今調の一首。
2011.11.03
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)妻恋ふる鹿ぞ鳴くなる 女郎花おみなへしおのがすむ野の花と知らずや古今和歌集 233妻を恋う鹿の鳴く声が聞こえる。その妻のように可憐な女郎花をあの鹿は自分が住む野の花と知らないのだろうか。
2011.11.01
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文屋康秀(ふんやのやすひで)吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ古今和歌集 249 / 小倉百人一首 22吹くとたちまち秋の草木が萎しおれるのでなるほど山風をあらしというのだろう。註「嵐」と「荒らし」の掛詞(かけことば)、「山風」と「嵐」の文字の洒落になっている。
2011.10.25
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素性(そせい)今来こむといひしばかりに 長月の有明の月を待ち出でつるかな古今和歌集 691 / 小倉百人一首 21今行くよとあなたが言ったばかりに秋の夜長の長月の有明の月が出るまで待ち明かしたのよ。註長月:旧暦の九月(現行新暦のほぼ10月)。有明の月:満月以降の月。夜更けになってやっと出て、朝になってもまだ空にある。寂寥として、ある種の空虚な感じも漂う。待ち出で:「待っていて出会う」の意。素性は僧侶(男性)だが、この歌では、つれない男に待ちぼうけを食らわされた女性の身になって詠んでいる。
2011.10.23
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)心あてに折らばや折らむ 初霜の置きまどはせる白菊の花古今和歌集 277 / 小倉百人一首 29当てずっぽうに折るなら手折(たお)ってみようか。初霜が降りて目を惑わせる真っ白の菊の花。
2011.10.18
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よみ人知らず最上川もがみがは上れば下る稲舟いなぶねの いなにはあらずこの月ばかり古今和歌集 1092最上川を上り下りして行き来する稲を積んだ舟ではないが答えは「否いな」ではないよ。(逢えないのは)今月だけさ。註否:いいえ。いや。だめ。「稲」と掛けている。秋の収穫と、当時の水運(河川舟運)による物流交易に従事しているのであろう。好き合っている若い男女が農繁期の忙しさでしばらく逢えない寂しさを、男の方から、いかにも古今集らしい機知のある言葉遊びで詠っている。どことなく、近世の「都々逸(どどいつ)」めいた洒落た味わいがある一首。「最上川上れば下る稲舟の」までを「いな」を導く序詞(じょことば)とする、あるいは「稲舟の」を「いな」の枕詞(まくらことば)とする解釈も成り立つだろうが、この歌では文字通りの実質的な意味に読んでいいのではないかと思う。もともと「物々交換」を意味した「あきない(商)」の語源が、「秋・なひ(継続的な行為を示す上古語)」であることなども想起される。
2011.10.15
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阿倍仲麻呂(あべのなかまろ、表記は「安倍」とも)天あまの原ふりさけ見れば 春日かすがなる三笠の山に出いでし月かも古今和歌集 406 / 小倉百人一首 7天穹を遥か仰ぎ見れば故郷の春日の三笠の山に出ていた(のと同じ)月だなあ。註ふりさけ(振り放け)見る:はるかにふり仰ぎ見る。「振り」は「振り向く、振り返る」のそれと同じ。「さく(放く・離く)」は「間を離す、遠くを見やる」などの意味の古語動詞。* 阿倍仲麻呂とこの歌については、こちらに譲ります。簡にして要を得た解説と思います。
2011.10.11
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よみ人知らずひさかたの天の河原のわたしもり 君渡りなば楫かぢかくしてよ古今和歌集 174天の河原の渡し守よ。あの方が渡ってしまったら(もう帰れないように)櫂を隠してしまってね。註ごぞんじ、七夕伝説(牽牛織女、二星説話)に歌材を取った。旧暦七月七日(今年でいえば新暦の8月6日)の「星合ほしあい」の夜に、牽牛(彦星、鷲座アルタイル)が天の川に「妻迎舟つまむかえぶね」を浮かべて、織女(棚機たなばたつ女め、琴座ヴェガ)を迎えにゆく。その織女の科白せりふに託して、恋人を帰したくない女心を詠んだ一首。
2011.07.07
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藤原高子(ふじわらのたかいこ、二条の后きさい)雪のうちに春は来にけり 鶯うぐひすの冰こほれる涙いまやとくらむ古今和歌集 4雪の残っているうちに春はやってきたのだなあ。ウグイスの氷った涙を今は春が融かしているのだろうか。註藤原高子:清和天皇女御(にょうご)、のち陽成天皇の母(皇太后)。武家の棟梁・清和源氏の祖となった。入内(じゅだい)する前の、在原業平(ありわらのなりひら)との悲恋で知られ、この歌も、「鶯の冰れる涙」あたりが、その心情を忖度されつつ読まれるのは、惻隠の情というものであろう。(や)とくらむ:「融かすのだろう(か)」の意味か。ただし、文法的にはやや微妙な問題もある。「らむ」は動詞・助動詞の終止形に接続する(例外として「あり、をり、はべり」などのラ行変格活用動詞は、その連体形に付く)ので、この「とく」が他動詞か自動詞かは判別できない。他動詞とすれば、主語は「春」、目的語が「涙」で前述の意味。自動詞ならば、主語が「涙」で「融けるのだろうか」の意味になるが、全体の文脈から見て、前者の他動詞と見るのが穏当か。
2011.03.01
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清原深養父(きよはらのふかやぶ)冬ながら空より花の散りくるは 雲のあなたは春にやあるらむ古今和歌集 330まだ冬なのに空から花が散って来るとはさては雲の向こうは春なのだろうか。註雪を散る花びらに見立てているのは類型的だが、とぼけた奇想と言い回しが「いとをかし」な佳品。
2011.02.28
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清原深養父(きよはらのふかやぶ)冬ながら春の隣の近ければ 中垣よりぞ花は散りける古今和歌集 1021まだ冬ではあるが春の隣は近いので隣との境の垣根から雪の花が散っているのだなあ。註春の隣:寒さが峠を越し、春がそこまでやってきている今頃の時季をいう。春隣(はるどなり)。(春の)隣の近ければ:「冬の隣の春が近いので」と、「隣(のお宅)が近いので」の二つの文脈が掛けてある。
2011.02.28
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紀貫之(きのつらゆき)袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらむ古今和歌集 2去年の秋袖をひたして掬(すく)った水が冬の間に凍ってしまっていたのを春立つきょうの風がとかしているだろうか。註ひちて:「ひつ」は「浸(ひた)す、濡らす」などの意味の古語動詞。散文での用例はほとんどなく、当時すでに歌語・雅語と見なされていたといわれる。中世以降「ひづ」の形も生じた。むすぶ:現代語の「(手を)結ぶ」と意味が違い、両手で水などを掬(すく)う動作をいう。春立つ:立春になること。「袖」「結ぶ」「とく(解く、融かす)」が縁語で、掛詞(かけことば)になっている。紀貫之らしい理知的な技巧。
2011.02.25
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