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在原元方(ありわらのもとかた)年のうちに春は来にけり 一年ひととせを去年こぞとや言はむ今年とや言はむ古今和歌集 1年が暮れないうちに立春が来てしまったなあ。はて この一年のことを昨年と言おうか 今年と言おうか。註旧暦(太陰暦)では、元日(現「小正月」)と立春がほぼ重なる(今年の陽暦でいえば、旧元日が2月3日、立春が翌4日だった)が、暦の関係で、時々師走のうちに立春が来ることがあった。その違和感をユーモラスに詠んだ。
2011.02.06
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よみ人知らず わが君は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで古今和歌集 343わが君は千代に八千代に悠久に小石が育って大岩になって緑の苔の絨毯がびっしりと生えるまで。註もともとは、若い女から親しい男に向けた相聞歌(恋歌)風の、当時の一種の民謡のようなものを採録したという説もある。古今和歌集の「よみ人知らず」は、その種のものが多いといわれる。しかし、撰者・紀貫之らによって初の勅撰和歌集である古今和歌集の賀歌(新年の祝いの歌)の部の劈頭に配置され、延喜5年(905)4月、醍醐天皇に奏上した時点で、「わが君」の指し示す内容は「日本国天皇」の意味に確定した。このおよそ100年後、当時の詩歌の詞華集(アンソロジー)というべき藤原公任(きんとう)編の名著「和漢朗詠集」に、起句を「君が代は」として収録された。この形で人口に膾炙し、薩摩琵琶の古謡などの歌詞として長らく伝承されていたのを、明治3年(1870)、元・薩摩藩士だった海軍首脳部高官らが取り上げ、若干の曲折を経たのち宮内省雅楽寮に持ち込まれ、林広守(1831-1896)作曲の古式ゆかしい雅楽調の旋律を付けて、宮中において明治13年(1880)11月3日初演。この歌詞・楽譜は明治21年(1888)、国家的礼式を定めた「大日本礼式」の中で「Japanische Hymne(「日本国歌」、ドイツ語)」として、海軍省が公式に各条約締結国(先進国)に配布、国際的に認知された。この一連の過程に亘り、当時の文部省は全く関与しておらず、独自の国歌制定を模索していたが、明治20年頃から各学校独自の判断により祝祭式典などで広く「君が代」が愛唱されるに至ったので、明治26年8月12日「文部省告示第三号」で、「祝日大祭日歌詞並びに楽譜」として官報で公布、事実上追認して今日に至っている。これらの経緯から、「君が代」が国歌であることは自明であると思われ、むしろそれゆえにであろうが、国内法上の明文規定がないことに長らく疑問の声が燻っていたが、批判の高まりを受けて、平成11年(1999)8月13日に、いわゆる「国旗国歌法」が制定され、この問題は最終的に決着した。
2011.01.05
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小野小町(おののこまち)今はとてわが身時雨しぐれにふりぬれば 言の葉さへにうつろひにけり古今和歌集 782今はもうこれまでと時雨が降って私も古びてしまったので木の葉が萎れるようにあの方の言葉も変わってしまったのだなあ。註「(時雨が)降る」と「(わが身が)古(ふ)る」(古くなる)が掛けてあるとともに、「時雨」が「涙」を示唆している。また、「(葉が)うつろふ」(枯れる)と「(言の葉が)うつろふ」(変化する)が掛けてある。
2010.11.18
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在原業平(ありわらのなりひら)ちはやぶる神代かみよも聞かず龍田川たつたがは からくれなゐに水くくるとは古今和歌集 294 / 小倉百人一首 17いにしえの霊威なる神々の時代でさえも聞いたことがない龍田川が深紅色に水をくくり染めにするとは。註川面を流れてゆく一面の紅葉を川の水を括り染めにしたものと見立てた、濃艶唯美で洒落た趣向が楽しい、人口に膾炙した名歌。ちはやぶる:「神」「氏」などに掛かる枕詞(まくらことば)。一般に「千早振る」と表記するが、語源は「逸早(いちはや)振る」とされる。■ 龍田川水くくる:「水を括(くく)り染めにする」の意が定説だが、古来「水を潜(くぐ)る」(当時は濁点表記はなかった)の説もあり、もともと作者が両義性 ambiguity を意図したとの見方も可能と思う。
2010.10.30
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菅原道真(すがわらのみちざね)このたびは幣ぬさもとりあへず手向山たむけやま 紅葉の錦にしき神のまにまに古今和歌集 420 / 小倉百人一首 24 この度の旅はあわただしくて幣ぬさも取りあえずこの手向けをする山の紅葉の錦を代わりに捧げますのでどうか神意のままに(お納め下さい)。註幣ぬさ:神に捧げる供え物。また、祓(はらえ)の料とするもの。古くは麻木綿(あさゆう)などを用い、のちには織った布や紙を用いた。みてぐら。にぎて。幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)。玉串(たまぐし)。秋季の「初穂」(初めての稲)もこのたぐい。まにまに:随意に。意の儘に。現代語「ままに」の語源。
2010.10.27
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よみ人知らず秋の野に人まつ虫のこゑすなり われかと行きていざとぶらはむ古今和歌集 202秋の野に人を待つ虫の声がするという。私のことかと行ってみてさあ訪ねよう。註「人待つ」と「松虫」が掛けてある。古今集の「よみ人知らず」は、当時の民謡のようなものが多いとされるが、素朴で戯笑的な内容から見て、その典型例であろう。
2010.09.29
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)夏と秋とゆきかふ空のかよひぢは かたへすずしき風や吹くらむ古今和歌集 168行く夏と来る秋が行き交う空の通い路には片側に秋の涼しい風が吹いているだろうか。註かたへ:片辺。片方、片側。前項「行きあい」(季節の変わり目、特に夏から秋にいう)の関連で、この歌が思い出された。当時、「季節が行き交いすれ違う空の通い路(道路)」という観念・イメージがあったようである。なお、この歌は本来は立秋過ぎぐらいの歌なのかも知れないが、この夏があまりにも暑すぎたので、やっと今頃ふさわしい季節になったと感じられる。北関東の当地では、今日もまだ相当暑い。
2010.09.21
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小野小町(おののこまち)わびぬれば身をうき草の根をたえて さそふ水あればいなむとぞ思ふ古今和歌集 938侘び尽くしてしまったので憂き浮草のように根が絶えたこの身を誘う水があれば流れ去ろうと思うのです。註わびぬれば:愛や恋の喜び、哀しみ、苦しみを嘗め尽くしてしまったので。うき:「憂き」(憂いがある)と「浮き」を掛けている。いなむと:去ろうと。流れて行ってしまおうと。
2010.07.28
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凡河内躬恒(おおしこうしのみつね)かれはてむ後のちをば知らで 夏草の深くも人の思ほゆるかな古今和歌集 686枯れ果ててしまうのちのことも知らないで夏草の生い茂るように深くもあの人のことが思われるなあ。註「かれ」は、「枯れ」と「離(か)れ」(離れ)を掛けている。古語動詞「離(か)る」は、「あくがる→憧れる」(「魂が、その場所を離れる」が原義)などの造語成分として残っている。
2010.07.28
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在原業平(ありわらのなりひら)狩り暮らしたなばたつめに宿借からむ 天あまの河原に我は来にけり古今和歌集 418狩りをしているうちに日が暮れてしまったので今宵は織姫さまに宿を借りよう。いつの間にか、天の河原に私は来てしまったよ。註おそらく、「狩り」と「借る」、さらに「河原」の音韻を掛けている。スタジオジブリの最新作アニメーション映画「借りぐらしのアリエッティ」というのが公開され話題になっている。そこで、それにちなんで(?)この歌をご紹介する。近代以前の七夕(たなばた)の歌は、すべて旧暦(新暦の8月中旬~下旬、今年でいえば8月16日)で詠まれており、和歌の部分けでも「秋の部」の劈頭に置かれるので、毎年いつごろ引用しようかと迷うところだ。本来は、夏も盛りを過ぎ、朝晩には秋の気配が漂いはじめる時期の行事である。たなばたつめ:棚機女。織女。織姫。中国の道教系古代神話の主人公。天帝(北極星)の娘ともいう。琴座ベガ。なお、ブロガー仲間のけん家持さんにご教示いただいたところによると、大阪府・交野市の「水辺プラザ」という公園にこの歌の石碑があるという。→ 写真付きの記事
2010.07.23
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紀友則(きのとものり)五月雨さみだれにもの思ひをれば 時鳥ほととぎす夜深く鳴きていづちゆくらむ古今和歌集 153五月雨のそぼ降る夜物思いに耽っているとホトトギスがこんな夜更けに鳴いていったいどこへ行くのだろうか。註五月雨さみだれ:旧暦(陰暦)の五月(ほぼ現在の6月に当たる)に降る雨。梅雨。
2010.06.13
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遍昭(へんじょう)天あまつ風雲のかよひ路ぢ吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ古今和歌集 872 / 小倉百人一首 12天空の風よ雲の中の通り道を吹き閉じよ。美しく舞う天女たちの姿を今しばしここに留めよう。註僧正遍昭(そうじょうへんじょう):俗名・良岑宗貞(よしみねのむねさだ)
2010.06.11
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よみ人知らずほととぎす鳴くや五月さつきのあやめ草 あやめも知らぬ恋もするかな古今和歌集 469ほととぎすが鳴くさつきの菖蒲(あやめ)草。分別のない恋だってしてしまうよ。註草花のアヤメと文目(あやめ、筋道)を掛けている。軽い調子から見て、おそらく当時の俗謡の類いであろう。あやめも知らぬ:五里霧中で見分けがつかない。むちゃくちゃな。「五月闇(さつきやみ)」と縁語。照明が少なかった時代、月のない梅雨どきの夜などは、まさに真っ暗闇だった。五月さつきは陰暦(旧暦)の五月で、ほぼ現在の6月に当たる。
2010.06.04
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よみ人しらず世の中は夢かうつつか うつつとも夢とも知らずありてなければ古今和歌集 942世の中は夢か現(うつつ)か現実とも夢幻とも分からない。在って無いものだから。註平安時代当時のエピステーメー(知的枠組、思考体系)であった仏教教理、特に唯識的な認識を真っ向から詠んだ歌であり、作者は僧侶であると推測される。仏教思想は、本来このように、かなりラディカル(根源的、過激)なものを含んでいると思う。良くも悪くも論理的で理屈っぽい古今集の歌風を反映しているが、それなりに面白い。結句「ありてなければ」は、前エントリーの在原業平の歌の結句「ありやなしやと」を踏まえているという見方もある。
2010.05.30
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在原業平(ありわらのなりひら)名にし負はばいざ言問こととはむ都鳥 わが思もふ人はありやなしやと古今和歌集 411その名に自負があるのならいざものを尋ねよう、都鳥よ私が思っている人は、つつがなく都にいるのかいないのかと。註平安京(京都)から遠く離れて、当時武蔵(むさし)の国(現・東京都、埼玉県)と下総(しもつふさ)の国(現・千葉県北部)の両国の国境(くにざかい)であった隅田川に群れ飛ぶ、都鳥と呼ばれたユリカモメに、その名前が伊達でないのなら、都にいる思い人の無事や否やを答えてみせよという、洗練された趣向のユーモラスな名歌。この歌に因(ちな)んで、東京・隅田川周辺の下町界隈には、業平橋(なりひらばし)、言問(こととい)などの地名がある。また、隅田川河口近くの台場付近を走るモノレールには、「ゆりかもめ」の名がつけられた。
2010.05.29
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よみ人知らずわが君は千代に八千代に さざれ石の巌いはほとなりて苔の生むすまで古今和歌集 343わが君は千代に八千代に悠久に小石が育って大岩になって緑の苔の絨毯がびっしりと生えるまで。註もともとは、若い女から親しい男に向けた相聞歌(恋歌)風の、当時の一種の民謡のようなものを採録したという説もある。古今和歌集の「よみ人知らず」は、その種のものが多いといわれる。しかし、撰者・紀貫之らによって初の勅撰和歌集である古今和歌集の賀歌(新年の祝いの歌)の部の劈頭に配置され、延喜5年(905)4月、醍醐天皇に奏上した時点で、「わが君」の指し示す内容は「日本国天皇」の意味に確定した。このおよそ100年後、当時の詩歌の詞華集(アンソロジー)というべき藤原公任(きんとう)編の名著「和漢朗詠集」に、起句を「君が代は」として収録された。この形で人口に膾炙し、薩摩琵琶の古謡などの歌詞として長らく伝承されていたのを、明治3年(1870)、元・薩摩藩士だった海軍首脳部高官らが取り上げ、若干の曲折を経たのち宮内省雅楽寮に持ち込まれ、林広守(1831-1896)作曲の古式ゆかしい雅楽調の旋律を付けて、宮中において明治13年(1880)11月3日初演。この歌詞・楽譜は明治21年(1888)、国家的礼式を定めた「大日本礼式」の中で「Japanische Hymne(「日本国歌」、ドイツ語)」として、海軍省が公式に各条約締結国(先進国)に配布、国際的に認知された。この一連の過程に亘り、当時の文部省は全く関与しておらず、独自の国歌制定を模索していたが、明治20年頃から各学校独自の判断により祝祭式典などで広く「君が代」が愛唱されるに至ったので、明治26年8月12日「文部省告示第三号」で、「祝日大祭日歌詞並びに楽譜」として官報で公布、事実上追認して今日に至っている。これらの経緯から、「君が代」が国歌であることは自明であると思われ、むしろそれゆえにであろうが、国内法上の明文規定がないことに長らく疑問の声が燻っていたが、批判の高まりを受けて、平成11年(1999)8月13日に、いわゆる「国旗国歌法」が制定され、この問題は最終的に決着した。
2010.04.12
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小野小町(おののこまち)花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせし間に古今和歌集 113 / 小倉百人一首 9麗しかった桜の花の色は衰えてしまったのだなあ。虚しく徒(いたず)らにわが身が世の中に古びてゆく。世に降る長雨を眺めてもの思いに沈んでいた間に。註うつる:うつろう。衰える。ふる:古語動詞「古(ふ)る」(古びる)と「降る」が掛けてある。ながめ:動詞「ながむ(眺める、物思いをする)」の連用形と、名詞「長雨(当時は“ながめ”と読んだ)」の掛詞(かけことば)。詠嘆の感情と諦観、自己客観視と技巧が渾然一体となった、和歌史上不朽の名歌。僕も一定の年齢になって、なお沁みるようになったと思う。
2010.04.10
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紀貫之(きのつらゆき)やどりして春の山べに寝たる夜は夢のうちにも花ぞ散りける古今和歌集 117(寺に)宿を取って春の山辺に寝た夜は夢の中にも山桜の花が散っていたなあ。
2010.04.09
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紀貫之(きのつらゆき)一目見し君もや来ると桜花けふは待ちみて散らば散らなむ古今和歌集 78花をひと目見て帰ったあなたがまた来てくれるかなと桜の花は今日は待ってみて(もし来てくれないと)散るなら散ってしまうよ。(・・・だから、散らないうちにまた来てくださいね。)註言葉遊びと、やや屁理屈じみた生真面目なユーモアが綯(な)い交ぜになった、何とも紀貫之らしい一首。
2010.04.09
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紀貫之(きのつらゆき)桜花さくらばな散りぬる風のなごりには 水なき空に波ぞ立ちける古今和歌集 89桜の花が散ってしまう風の余波には水のない空に波が立っているなあ。註紀貫之の、主知的、意識的、造形的な持ち味が発揮された名歌。また、「なごり」の中核的原義である「余波」(「名残」と書くのは、後世の当て字)のニュアンスが生かされている。こういった机上の技巧や言葉の遊戯性を嫌った明治時代の巨人・正岡子規は、「歌詠みに与ふる書」の中で、「紀貫之は下手な歌詠みにて、古今集は下らぬ歌集にて候(そうろう)」と、口を極めて罵倒するとともに、写実・写生と雄渾な“ますらおぶり”の万葉集への「ルネサンス(復古運動)」を起こし、その大きな流れは現代の歌壇主流派にも及んでいる。ただ、これはいわば古今・新古今に呪縛された明治初年までの「月並和歌」の打倒・爆砕を狙った文壇政治的アジテーションであって、それ自体は大成功だったと思うが、現代の視座から虚心坦懐に見直してみれば、古今集の論理的に分かりやすくて楽しい技巧性は、むしろ現代の詩的抒情性にもフィットするものと感じられる。
2010.04.08
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紀貫之(きのつらゆき)春霞なに隠すらむ桜花さくらばな散る間をだにも見るべきものを古今和歌集 79春霞は何を隠しているのだろう。桜の花は散っている間さえも見るべきものなのに。
2010.04.06
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伊勢(いせ)見る人もなき山里のさくら花 ほかの散りなむのちぞ咲かまし古今和歌集 68見る人もいない寂しい山里の桜の花。ほかの花が散ってしまった後に咲いたらいいのに。(・・・そうすれば、落ち着いてゆっくり見られるのにねえ。)
2010.04.03
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在原業平(ありわらのなりひら)世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし古今和歌集 53世の中に全く桜の花がないとしたら春の心はのんびりのどかだろうなあ。註桜の花の美しさを褒め称えつつ、古今集らしく軽妙な理屈を弄(もてあそ)んで洒脱なユーモアを醸し出している洗練された名歌。伝説の美男子であった作者の面影を重ねて、「世の中に花のような美女というものがいなければ、モテ男の私も、もうちょっと落ち着いていられるんだがなあ」という意味に深読みすることも十分に可能だと思う。なかりせば:「なかり」は「なく・あり」が約(つづ)まったもの。「せ」は過去の助動詞「き」の未然形で、「ば」と接続して「(そんなことは、まずありえないが)もし・・・だったら」の意味になる。「だったら」は現代語でも過去形であり、この語法は踏襲されているといえる。英語の「仮定法過去」の用法にも似ている。
2010.04.03
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紀貫之(きのつらゆき)春日野かすがのの若菜摘みにや 白妙しろたへの袖ふりはへて人の行くらむ古今和歌集 22春日野の若菜摘みにだろうか真っ白な袖を振っていそいそと人々が行くのは。註若菜摘みにや・・・人の行くらむ:「若菜摘みに、人が行くのだろうか?」の意味だが、「白妙の袖ふりはへて」が挟まっているので、やや凝った言い回しになっている。話はちょっとそれるが、凝った言い回しというと僕がなぜか思い出してしまうのは、MISIAの圧倒的な歌唱力で知られるJ-POPの名曲「You're Everything」の歌詞(作詞もMISIA)である。You're everythingYou're everythingあなたと離れてる場所でも 会えばいつも消え去って行く 胸の痛みもYou're everythingYou're everythingあなたが想うより強く やさしい嘘ならいらない 欲しいのはあなたこれ、結構ややこしくない?僕は最初、なかなか意味が取れなくて往生した白妙の:「袖」に掛かる枕詞だが、この場合は文字通り、白い布の袖と解しても良さそう。袖ふりはえて:「袖振り」と「ふりはへて(わざわざ、いそいそと)」の掛詞(かけことば)。「白妙の袖」全体が「ふりはへて」を導く序詞(じょことば)の修辞ともいえる。紀貫之らしい、きわめて技巧的な一首。■ 春日野・奈良観光情報
2010.04.02
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大江千里(おおえのちさと)鶯の谷より出づるこゑなくば 春来ることをたれか知らまし古今和歌集 14ウグイスが谷から出てくる声がなければ春が来ることをいったい誰が知るだろう。
2010.03.24
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よみ人知らず散りぬとも香かをだに残せ梅の花 恋しきときの思ひ出にせむ古今和歌集 48たとえ散ってしまっても香りだけは残していってくれ、梅の花よ。恋しくてたまらない時の思い出にするから。
2010.03.21
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よみ人知らずあな憂う目に常つねなるべくも見えぬかな 恋しかるべき香かは匂ひつつ古今和歌集 426ああ、憂(うれ)いだなあ。この梅の花は、目に常在なものとも見えないなあ。(・・・「色は匂えど散りぬるを」の、色即是空だなあ。)世俗の常人には恋しいのであろう香りは匂っていながら。註言い回しがやや難しいが、梅の花にこと寄せて、仏教的な無常観がストレートに詠まれている、一種の道歌(思想的な内容の歌)といえる。独特の面白さがあると思う。作者は僧侶であろうか。憂う目:「梅」にかけてある。
2010.03.20
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よみ人知らず大空の月の光し清ければ影見し水ぞまづこほりける古今和歌集 316大空の月の光が澄み切っていたのでその月影を見た水が真っ先に凍ったんだなあ。註(光)し:強調・語調の間投助詞。特定の意味はない。
2010.02.01
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坂上是則(さかのうえのこれのり)み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり古今和歌集 325吉野の山の白雪は降り積もってゆくらしい。その麓(ふもと)の奈良の旧都も寒さが加わってゆくという。註ふるさと:遷都する以前の昔の都、旧都の址。現代語の「故郷(ふるさと)」とは意味が異なる。なりまさるなり:左の「なり」は動詞。右の「なり」は伝聞推量の助動詞。「・・・だということだ。」
2010.01.31
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在原業平(ありわらのなりひら)こきちらす滝の白玉ひろひおきて世の憂うき時の涙にぞかる古今和歌集 922滝が撒き散らす白玉のような水玉を拾っておいてこの世に生きているのがつらくなった時の涙にするために借りよう。
2009.07.29
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よみ人知らず去年こぞの夏鳴きふるしてし郭公ほととぎすそれかあらぬかこゑのかはらぬ古今和歌集 159去年の夏に盛んに鳴いて、その鳴き声を聞き慣れさせたホトトギスよ、そのせいか、そうでないのか知らないがいつ聞いても声が変わらないなあ。註鳴き古るす:(聞く者を)鳴き声に慣れさせる、馴染ませる。
2009.07.14
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紀貫之(きのつらゆき)夏の夜の臥ふすかとすれば時鳥ほととぎす鳴くひと声に明くるしののめ古今和歌集 156夏の夜は、床に臥したかと思えばホトトギスが鳴くひと声でもう明ける暁の東雲の輝き。
2009.07.14
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凡河内躬恒(おうしこうちのみつね)我のみぞ悲しかりける彦星も逢わですぐせる年しなければ古今和歌集 612私だけが、こんなにも悲しい恋をしているのだろう。彦星も、織姫に一度も逢わずに過ごした年はないのだから。
2009.07.07
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在原業平(ありわらのなりひら)狩り暮らしたなばたつめに宿借らむ天あまの河原に我は来にけり古今和歌集 418日がな狩りをして夕暮れになったので、今夜は織姫に宿を借りよう。天の河原に私は来てしまったよ。
2009.07.04
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紀貫之(きのつらゆき)五月雨さみだれの空もとどろに郭公ほととぎすなにを憂うしとか夜ただ鳴くらむ古今和歌集 160五月雨の空にとどろくほどに、ホトトギスは何を思い悩んで夜ひたすら鳴いているのだろうか。註郭公:ホトトギス。今はこの文字で「カッコウ」を指すが、平安期ごろは混同されていたらしく、この表記が多い。
2009.06.20
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紀友則(きのとものり)五月雨さみだれにもの思ひをれば時鳥ほととぎす夜深く鳴きていづち行くらむ古今和歌集 153五月雨に物思いに耽っているとホトトギスが夜更けに鳴いていったいどこへ行くのだろう。註五月雨さみだれ:陰暦五月(ほぼ現在の6月)に降る雨。梅雨。夜深く:形容詞「深し」と動詞「更く(更ける)、耽る」は、明らかに語源的に同源であろう。そういった感覚を呼び起こさせる表現だと思う。
2009.06.19
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よみ人知らずわが君は千代に八千代にさざれ石の巌いはほとなりて苔の生すまで古今和歌集 343わが君は千代に八千代に悠久に、小石が育って大岩になって緑の苔の絨毯がびっしりと生えるまで。註もともとは、女から親しい男に向けた相聞歌(恋歌)風の、当時の一種の民謡のようなものを採録したと解されている。古今和歌集の「よみ人知らず」は、その種のものが多いといわれる。しかし、初の勅撰和歌集である古今和歌集の賀歌(新年の祝いの歌)の部の劈頭に、撰者・紀貫之らによって配置され、延喜5年(905)4月、醍醐天皇に奏上した時点で、「わが君」の指し示す内容は「日本国天皇」の意味に確定した。このおよそ100年後、藤原公任(きんとう)編「和漢朗詠集」に、一句目を「君が代は」として収録された。この形で人口に膾炙し、薩摩琵琶の古謡などの歌詞として長らく伝承されていたのを、明治3年、元・薩摩藩士だった海軍首脳部高官らが取り上げ、多少の曲折を経たのち宮内省雅楽寮に持ち込まれ、林広守(1831-1896)作曲の古式ゆかしい雅楽調の旋律を付けて、宮中において明治13年(1880)11月3日初演。この歌詞・楽譜は明治21年(1888)、国家的礼式を定めた「大日本礼式」の中で「Japanische Hymne(「日本国歌」、ドイツ語)」として、海軍省が公式に各条約締結国(先進国)に配布、国際的に認知された。この一連の過程に亘り、当時の文部省は全く関与しておらず、独自の国歌制定を模索していたが、明治20年ごろから各学校独自の判断で広く「君が代」が愛唱されるに至ったので、明治26年8月12日「文部省告示第三号」で、「祝日大祭日歌詞並びに楽譜」として官報で公布、事実上追認し今日に至っている。
2009.01.05
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紀友則(きのとものり)笹の葉に置く霜よりもひとり寝ぬるわが衣手ころもでぞ冴えまさりける古今和歌集 563初冬の朝、笹の葉に降りる霜よりも、あなたに逢えずにひとり寝ているわたしの袖の方が冷えまさっているなあ。註動詞「冴ゆ」は、ヤ行下二段活用なので、連用形の旧かなづかいは「冴え」。「見ゆ」などと同様。
2008.12.20
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)憂うきことを思ひつらねてかりがねの鳴きこそ渡れ秋の夜な夜な古今和歌集 213つらく悲しいことを思い連ねて雁たちは鳴き渡ってゆけ、秋の夜ごとに。註つらねて:「思い連ねて」と「列ねて・・・かりがねの・・・渡れ」が掛かっている、見事な技巧。かりがね:語源的には「雁(がん)の音(ね、鳴き声)」の意だが、雁そのものをも指す。この用例は、その両者を響かせているとも取れる。
2008.12.02
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小野小町(おののこまち)今はとてわが身時雨しぐれにふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり古今和歌集 782今はもう、私の身は、この晩秋の時雨の降るように古びてしまったので、あなたの約束のお言葉さえもお変わりになってしまったのね。註ふる:「降る」と「古る」(古語動詞)が掛けてある。
2008.11.30
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御春有助(みはるのありすけ)君が植ゑしひとむらすすき虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな古今和歌集 853あなたが植えた一叢(ひとむら)の芒(すすき)が、今では虫の音すだく茂った野辺になってしまったなあ。註「虫の音のしげき(虫の音がしきりとする)」と「茂き野辺」が掛かっている。
2008.10.25
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源融(みなもとのとおる)みちのくのしのぶもぢずり誰たれゆゑにみだれむと思ふ我ならなくに古今和歌集 724 / 小倉百人一首 14陸奥の信夫捩摺(しのぶもじずり)の捩(よじ)れた模様のように忍ぶ心が、誰のためにこんなにも乱れているのだと思う?ほかの女性に心を乱すような私ではないのに。註名歌であることは一目瞭然だが、三十一文字(みそひともじ)の中に、これでもかとばかりに凝縮された言い回しになっているので、細かい意味の解釈はなかなかに難しい。信夫(しのぶ):現・福島県福島市付近の旧・信夫郡。信夫もぢずり:当時、信夫名産だったという摺(す)り染めのこととするのがほぼ定説か。ここでは「乱れ」に掛かる序詞(じょことば)として用いている。みだれむと思ふ:小倉百人一首では「みだれそめにし」。編者・藤原定家による改訂か。この場合の「そめ」は、「初め」と「染め」を掛けてある。これも確かに上手いといえる。我ならなくに:「我ならず」(私でない)を詠嘆化した言い回し。この句の解釈は諸説あって、なかなかに難しい。「私自身のせいではなく、ほかならぬ貴女のせいで」の意味とも取れる。こういったやや難解なところを含めて、この歌の味わいといえよう。
2008.10.21
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小野小町(おののこまち)秋の夜も名のみなりけり逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを古今和歌集 635「秋の夜長」というのも、言葉だけのことでしたわ。恋しい人と逢う時には、本当にあっけなく明けてしまうんですもの。註名のみなりけり:名目、名分だけだった。評判倒れだった。逢ふといへば:逢う場合には。逢う時は。ことぞともなく:「ぞ・・・なく」は係り結び。「こともなく」(あっけなく、淡々と)を強調した言い回し。
2008.10.21
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)長しとも思ひぞはてぬ昔より逢ふ人からの秋の夜なれば古今和歌集 636 長いとも言い切れなかったよね、昔から逢う人によっての(長くもなり、短くもなる)秋の夜だから。註はてぬ:「・・・し切らない」の意。
2008.10.21
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紀貫之(きのつらゆき)秋の菊にほふかぎりはかざしてむ花より先と知らぬわが身を古今和歌集 276秋の菊が輝くように映えているうちに冠にして遊ぼう。花より先に死ぬかもしれない我が身だし。註菊:たぶん白菊。にほふ:(花や女性などが)美しく映える。艶(つや)めく。現代語「匂う」とはかなりニュアンスが異なる。
2008.10.21
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紀貫之(きのつらゆき)夕月夜ゆふづくよ小倉の山に鳴く鹿のこゑのうちにや秋は暮るらむ古今和歌集 312上弦の月の夜の小倉の山に鳴く鹿のあの寂しげな声のうちに秋は暮れるのだろうか。註夕月夜:一般名詞としては「上弦の月の夜」を指すが、ここでは「小倉山」に掛かる枕詞(まくらことば)なので、必ずしも訳出する必要はない(・・・が、訳してもかまわないと思う)。「小暗(おぐら)し」(ほの暗い)の語呂合わせで掛かる。小倉:こうした歌との連想で、小豆の粒あんを鹿の体の斑点の模様に見立てて「小倉」と呼ぶようになった。
2008.10.17
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凡河内躬恒(おうしこうちのみつね)夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへすずしき風や吹くらむ古今和歌集 168行く夏と来る秋がすれ違う空の通い路には片方に涼しい風が吹いているのだろうか。註明治の大歌人・俳人の正岡子規が、名著「歌よみに与うる書」の中で、当時の文芸思潮であった写生説・写実主義(リアリズム)の観点から、「月並和歌」の源流として、そこまで言わなくてもいいんじゃないかと思うぐらい口を極めて罵倒した、理知的・観念的・技巧的な古今和歌集の典型的な歌風を示している。確かに、頭の中で拵(こしら)え上げられた作品であることは否めないだろう。それゆえ、近代以降は、評者によって評価は著しく分かれるところである(国文学者を含め、貶す人が多い)が、僕は大好きな歌である。子規の主張も、歴史的文脈の中で見ればもっともな点もあるが、さらに時代が下った現代の目で冷静に見れば、ファンタスティックな理屈とでもいうか、爽やかな面白さが感じられる。・・・現代の気象学的に言っても、「寒冷前線」の歌と言って言えなくもない(?)なお、言い回しは至って平明で、現代語訳も要らないぐらい。
2008.08.25
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藤原敏行(ふじわらのとしゆき)秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる古今和歌集 169秋が来たと目にははっきり見えないけれども風の音にはっと気づかされたなあ。註古今調特有の理屈っぽさもやや感じられるが、繊細な感覚と端正な言い回しで秋の訪れを詠った秀歌。さやか:亮(さや)か。分明。はっきり、くっきりしていること。「爽やか」とは語源的に無関係。ね:打ち消し・否定の助動詞「ず」の已然形。おどろく:気づく。目が覚める。はっとする。現代語「驚く」の語源だが、ニュアンスは異なる。れ:自発の助動詞「る」の連用形。自然とそうなる意味。「ぞ・・・ぬる」は強意・整調の係り結び。「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形。「音」と「おどろく」が掛けてあるのかも知れない(当時、濁点表記はなかった)。 秋 リトアニア 鰯雲(煙樹ヶ浜) 月見饂飩ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2008.08.22
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紀貫之(きのつらゆき)五月雨さみだれの空もとどろにほととぎす何を憂うしとか夜ただ鳴くらむ古今和歌集 160梅雨空に轟くほどに、ほととぎすは何を憂(うれ)いて夜ひたすらに鳴くのだろうか。註五月雨さみだれ:陰暦(旧暦)五月(ほぼ現在の六月)ごろの雨。梅雨。
2008.06.23
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紀友則(きのとものり)五月雨さみだれにもの思ひをれば時鳥ほととぎす夜深く鳴きていづちゆくらむ古今和歌集 153五月雨に物思いに耽っていると、ほととぎすが夜更けに鳴いて、どこへ行こうとしているのだろう。註五月雨さみだれ:現在の梅雨のこと。
2008.06.23
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