PR
キーワードサーチ
フリーページ
カレンダー
コメント新着
事にこだわって、また今度はユダヤ教から見たイエスの
本を注文しました。
「オレは神だ」
と聞いても
「わたしは神さまです」
と言われても当惑しますわね。
第一、神って何処がどう人間と違うんかいって思うもの。
人間でありながら、神さまだって思うのはその人の勝手ですが
それを真に受けて信じちゃう人がいるからややこしなになるわね。
人が、神になったり仏になることは根本的に信じない人間なので
イエスも信じられないしゴータマ・シッダルタも信じません。
勿論、人間の創造したユダヤ教の神もイスラムのアラーも信じませんし
今日、聞いてきた阿弥陀経の阿弥陀如来も真言宗の大日如来も信じ
ません、いや信じられません。
こう言うと無宗教論者の様でありますが、自分の信じるものはあるから
不思議ですね。
人間、いくら多くたってそうそう臨終だの危篤だのと言うことを何度も
医師から伝えられる人はあまりいないと思いますが。
絶体絶命の場に立たされるという体験もそうは多くはないことでしょう。
今、現在こうして生きてるから、まあ現実に慣らされてそんなに大した
ことじゃないと思うでしょうが、過去のわたしを知る人ならまだこの世に
存在してると思う人はいないでしょう。
わたし自身も死を疑わなかったから、ラブレターや写真など全て処分
したのでしょう。
別に私が病と闘ったわけでもなくむしろ逃げてばかりいました。
「もう、駄目だあ」
「オレ、死ぬ」
と白旗を揚げて降参していましたから。
わたしは、二度とこの世に生まれたくないと願っていますがそれは
無駄な抵抗だとわかっています。
しかし、10代の終わりから30代の半ば過ぎまでのあの年月を
絶対に歩みたくはありません。
いはば誤診のために、大学入試直前で地獄の日々を体験する
事になって”生死大学大学院”の天才学生を演じたわけですが
担任教師の夢を裏切り、友人との友情も消失させ、ま、人生を
棒に振ったのは確かでしょうね。
そのような時間の中で自然と心に揺るがないものが生まれました。
それが神か仏かは知る由もありませんがわたしなりの悟りを得たと
言うことでありましょう。
そういうことから、馬鹿げた葬儀という人間の風習を忌むのです。