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読経をあげるのは浄土真宗の僧侶で、以前に何度も
耳にしているつまらない経文。
司会の声調は何処の葬祭場でも似ていて実に平凡。
僧の読経の時間見計らっての焼香タイム。
遺族は何度も頭を上下することとなります。
通夜の晩に喪主が挨拶したので今日は親族が代表して
挨拶となる。
つっかえつっかえ読むのが田舎としては至極当然です。
弔辞を孫の1番年上の者が読む。
「おじいちゃん」、既に涙で咽ぶ声。
出棺を前に最後のお別れ。
わたしも花を二輪持って棺の中へ入れた。
いい顔をしていたので安堵しました。
火葬場まで行こうかなと考えていましたが
その親族の多さに辟易してやめました。
前市長初めとして大物小物、その他雑族多数。
すでにバスは満員です。
孫が言ったように
「茶碗と箸だけでこの身上を残した」
と言う口癖がよみがえる。
孫の3家族、曾孫多数、彼が残したまさに真の財産。
それにしても、葬式は嫌いだと思った。
葬式は葬式であって別に面白くもなんとも無いのだ。
おお泣きする葬儀も嫌いだがさればと言って笑う訳にも。
線香の香りだけが見にしみて残ってるのも嫌いさ。
一九の様に花火を上げたって葬式は葬式なのだから
こんなもんは早く禁止したほうがええと思った。
実に虚しい時間、虚しい儀式でしかなかった。
まあ、葬式反対論者の独断と偏向ですから仕方がない。