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節分につき。さらば、楽天ブログよ。長年にわたり、たいへんお世話になりました。ほんとうに、ありがとうございました。これもひとえに読んでくださるあなたがいるからです。おかげさまでここまで、続けてこられました。ここでの歴史が、いまのわたしを、大げさでなくつくってくれたと思っています。いやー、しかし、いろーんなことがありましたよ、ね。2004年の8月15日からはじめたこの日記。愛猫の死や転職、退職、そして結婚。諸般の事情で、現在2007年3月からの記事しかありませんが、この軌跡は、過去ブログとして残しておくつもりです。これからも、占い師めのろをどうぞ、どうぞよろしくお願いいたします。両手いっぱいの共感をもって青木 めのろあたらしいところは、こちら。ウェブ上だってね、体温があるんです。
2011.02.03
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平成22年節も残すところあと10日となりまして、いやー、暮れも押しせまってまいりました。さまざまに感慨ぶかく、しっとりとした大晦日気分にひとり、しっぽりと浸っております。なにしろ引っ越しましたからね、今年は。今年はというか、去年にひきつづきまたしても。お世辞にも地に足ついた生活とは言いがたい近年でした。それが。6月末にここに越してきてからものすごーく、いいんですよねー。たしかに吉方への転居なんですけど、こんなに歴然とちがうのかって正直ちょっと怖くなったり。いろんな意味で経験値があがったわたしの節目、艮宮暗剣殺、がゆっくりと巡っていきます。今年のキーワードは自我。暗剣殺は不足そのもの、または不足による飢餓感。たしかに、自分を、能動を、自由を渇望する今年だったように思う。今年じゃなかったら、こんなに飢えなければ、今のこの生活はおそらく手に入らなかったろうとも思う。なにはともあれ、わたしはいま、しあわせです。もう、それだけ。
2011.01.25
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わたしにとって2011年節が九年周期の最後にあたる年なので、きっと必要以上にまとめようとしていたのだと思います。朝、目をさますと「人生は仕上がらない」という認識がふってきました。そして、「終わらない人生はない」とつづき、「人生は仕上がらずに終わる」というところで、ああー、そうだそうだったと膝を打つ。なにごとも、自由をなくし、とらわれて、眉間をせまくするようなことではいかんのでし、た。本末転倒、なんのために使う運命学なのかということ。運命学におどらされるくらいなら、いっそ知らないほうがいい、わたしはそう思っています。あくまでも自分ありき、この人生、自分ですべて決めていくのです。凶も不幸も自分が決める、自分以外のところに決められる筋合いはないと思っています。だからわたしは、おみくじなんか引きませんよ。どういうことが起こりうるか、まではいいとして、なんでそれを凶とする、吉とする、おおきなお世話だと思うのです。そういう占い、わたしきらいです。
2011.01.09
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わが家では、わが家専用の月別吉方表というものがあります。夫の本命である五黄、わたしの本命二黒、そして体調をみる月命はふたりとも四緑、これらを加味すると「九紫を追え」ということになります。とはいえ、そう簡単にちょいちょい追えるはずもなく、だったらこっち、そっちよりはこっち、というように優先順位をつけていく。そういう表が、あります。それをもとに、旅行担当の夫は年間のスケージュールを組んでいきます。せっかくの旅行ですもん、より楽しくより安全なものにしたいですよね。そのおかげか、今のところいい旅行ができてますよ。旅行だけではなく、たとえばちょっと気分転換しにいったりする公園とか、カフェとか、実家とかね。この日この方位は冴えるからあそこで頭の整理しようとか、この方位は集中できるからあそこで勉強しようとか、こっちは楽しめるから友だちに会いに行こうとか。けっこうこれ、いいんですよ。そこで、このたび「あなたの方位2011」というのを始めてみたいと思います。吉方の活かしかた、凶方の気をつけかた、その強弱など。自分専用、月別吉方表。「あなたの方位2011」本日より受付を開始します。いまちょっと気になったあなた、お気軽に、メッセージをどうぞ。
2011.01.06
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくどうぞお願いいたします。とはいえ、節分まではまだ去年、めのろの新年はもうすこしおあずけであります。さて、昨今わたしの気がかりは「ステーキなぐら」、五黄の名倉潤のお店です。五黄が2010年節でいる坤宮は真冬のつぎのとき、畑に種をまくとき。冬眠していた去年に考えて蒔くことにした種を、実際に蒔くときなんですね。なにかことを始めていいときではあるんです、が、今年はたまたま歳破なのです。こんなはずでは、そんなつもりじゃ、いつもならだいじょうぶなのに。重力の歪みから生じる何がしかとでも申しましょうか、地球からみた木星の位置と関係があるようだといわれています。と、いう矢先、外食文化研究所代表を辞任された水口憲治さん、五黄です。やっちまいましたね。予想をはるかに超えた注文数というところが今回の歪みだったのでしょう、が、問題なのはそのあと。立春以降の発展が予想できただけに、五黄びいきのわたしとしてはひじょうに残念なのであります。
2011.01.02
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人には、おおまかにわけてふたつのタイプがあります。建前と本音が通じている人と通じていない人。ようするに、双方の気がおぎないあえるか(相生)、刺激や摩擦をうむか(尅気)ということなんですけどね。またそれとは別に、成人まえと成人以降の気がおなじ人、そのふたつはちがうけれど傾向と本音が同じ人、すべてまったくちがう人、などという細かい分けかたができる。と、こういう見方もあります。ちなみにわたしは建前と本音が通じていない人、自分のなかでの葛藤を余儀なくされる人です。いわば建前はおっとりしたお母さん、本音は好奇心旺盛な坊や、矛盾しないわけがない。でもたしかに自分でもその自覚がないわけでもなくて、ときに持てあますことも正直ありますね。そして、わたしは土気と木気しか持っていません。二重人格と言われたことがあります、これも納得。
2010.12.27
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わたしの尊敬する糸井重里さん、この方は、本命七赤の人です。九気のうちもっとも華があるといえば七赤、その場に大輪の花が咲きます。その次は九紫、その次は六白。この人たちはどんなことをしててもけっして貧乏くさくなりません、かわいそうな感じにすらならない。どこかいい意味で、えらそうなんですね。別枠で五黄というのもあります、華というよりは主張、独特のものすごい存在感による目立ちかた。この人については何をやっても「あの人だから」という納得のされかたをします。で、節分までの七赤の人はいま、「ととのえる」の佳境をむかえています。糸井さん率いる事務所はまさに引越しの佳境だそうですがどちらの方位だろう、東だったらいいな、じゃなかったら西でもいいな。東だったら業績アップ、西だったら知名度アップ。糸井さんの中宮がいい飛躍をうみますことを、心から祈っています。立春以降の「ほぼ日」、ますます目がはなせません。
2010.12.26
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冬至。冬至占。ということで、ひさしぶりに易をたててみました。わたしの来年、得卦は「沢雷随」。随行のとき、従うとき、とでました。あくせくせずにゆっくりとついていく、臨機応変に従うという格好で対応していく。そこで問題なのは、従うべきの見定め、なんだけどね。そこで迷わないよう自分のなかで固めておく必要があるな、立春までにいろいろと確認しておこうと思う。その「従うとき」のなかでも来年は初爻、転職のチャンスとのこと。門を出よ、波にのれ、閉じこもってちゃもったいない、そう易神にいわれました。けっきょくは波って人間関係なんだよね。気、波動、それらから影響され、与え、その波にいまだったらのりやすい。随は受身だけどけっして立ち止まってはないんだよね。もしかすると、随で門を出よということは、聞き上手になれってことなのかもしれない。立春以降はこの随を頭の片隅にしっかりおいて、九年周期最終である「離宮」をすごそうと思います。
2010.12.22
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わたしは色をつかって運気どうこうできるとは思っていません。わたし自身、こういうことをやっていながら考えてみたこともない。ラッキーカラーとか真っ赤なうそだと思っています。金運をあげたいからといって、わが家をまっきっきにする人がたまにいますが、ほんとうに信じられない。だってね、どうして金運は黄色なのか知っていますか?黄色は黄金、収穫の稲穂の色だからです。稲穂ってそのまんまバリバリ食べられませんよね、稲穂からお米にしなくちゃいけない。お米とそうでないものを分ける作業、淘汰です。刃物です。わが家に黄色をつかっていったいなにを淘汰するんだろう、すっごくこわくないですか?あきらかになにかを犠牲にする、ということです。金運を過剰にすれば、かならずなにかが不足する。この世はどこまでも陰陽なんですね。あー、じゃなかったら、白米の白が金運のほうがまだましかもしれないな。でも壁の色ってふつうだいたい白ですよね、だったらそれでいいじゃないかっていう。色ってこわい。だからつかわない。というかわたし、実はすごーい信じてるじゃんね。
2010.12.21
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暗剣殺がまわってくるのは九年周期のいつか、各九気それぞれに決まっています。これは固定、一生変わることはありません。これはいったいどういうことなんだろう、その物語をつれづれに描くのが実におもしろい。けっこう常に考えています。たとえば二黒は、風向きが変わる変化のとき「艮宮」でまわってきます。不足による飢餓感がどうして節目でやってくるのか、そしてそのキーワードは自我、過剰、膨張、拡大など。うーん、たのしい・・・。わたしの場合は、前回の艮宮で異業種転職。10年世話になった音楽業界、販売から離れて、会計事務所の事務員になりました。なぜか。潰しがきくと思ったから。何だってできるように、どこでだって働けるよう、もっともっと選べるように。わたしが。そんな思いがやみくもにつよかったように思います。今回の艮宮では、嫁>妻という立場から妻一本になるという家庭内での変化がありました。選べるを拡げる、もっともっとわたしが。はっ、ひょっとすると、飢餓感からくるものすごい吸引力でもなければ、人生に革命を起こすことができないのかもしれない。守りの二黒だからこその、節目の暗剣殺なのかもしれない。
2010.12.20
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というわけで、北は四緑、南は三碧という木気同士でぴったりバランスした平成22年節。ちょっとよくみてみると、結婚した平成20年は北(わたしの実家)が暗剣殺で不足。たしかに、わたしが南に引っ越しています。当然、南(夫の実家)は過剰の五黄殺、微妙に歳破の歪みあり。同居を開始した平成21年になると、今度わたしの実家が過剰になってきます。去年は南北に歪みなし。この揺りかえしについては、過剰を執着、不足を飢餓感、としてとらえたほうがすんなりいくでしょう。来年は、北が三碧、南は二黒。これはあきらかに、北が動き出しますね。南は平坦、このまま継続。と、こういう見方もできます。実は、実際にわたしの実家の建て替えの話が出てるんですよ、ずっとぐずぐずしていたわたしの父が三碧で、今年は決断の離宮に入ってることも影響してると思います。来年ははじまりの坎宮だし、母の来年は完成の乾宮だし。うん、非常にありうる。あ、それから、また別の見方として、われわれが家を出た今年、夫の実家が暗剣殺しょってないということは、不足じゃないんだな、バランスとれたんだな、なんてね。ひとりごちてもいるのです。
2010.12.19
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ある人と自分の関係を知りたいとき、自宅と相手の家がどういう方位をとっているかでみることができます。見合いのような事前情報としてもよし、人との付き合いかたの目安にしてもよし、ざっくりといまの状態を知っておきましょう、というやり方です。わたしが夫と知り合ったのはおととしですけど、当然つかいました。が、そりゃあひどいもんで。よりにもよって五黄-暗剣ライン、もっともバランスが取れてない、真逆、正反対。しかも結婚する予定のその翌年(去年)までひっぱるという、結婚とかいちばんしちゃいけない感じでした。そして、実際ほんとうになにもかも正反対な両家・・・。それがわかってるので、両家をからめる打ち合わせの日程は、月と日と時刻までバランスするように懸命になって決めてましたね。で、今年。平成22年節にそのアンバランスは解消されるのは前々からわかってたんだけど、なんでだろうと思ってたんだよね。そうしたら、このたびの実家からの独立があったのでした。
2010.12.18
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平成22年節、八白の人が愛する猫や犬を亡くされたはなしを聞いたのはこれで2人め、うちの八白の母が古城を亡くしたのを含めると3人めだ。そして一様に老衰でなんだよね、すごく長命。本来中宮にいると突然の別れになりやすいんだけど、この場合は八白自体の持つ「積みかさね」という事象がつよく出てるのかもしれない。八白の人が今いる中宮は、死という意味がある。物事の極、自我そのものという意味もある。その中宮でこうなったということは、いかにその存在が自分の一部だったか、わが身を切られるようなつよい衝撃を受けているかということだろう。まあ、いつだって悲しいけども、リズムのどこで起こったかによってそれぞれ、その意味合いがちがってくる。たとえば、震宮での死別は急激、おどろき、前に進むために。離宮だと宿命的寿命、わかってた感、腑に落とすために。兌宮は解放とかなにかを得るための淘汰という意味があるし、艮宮だと節目や転機、風向きが変わったという合図、切りかえるために。八白の人なら、あふれ出した自我と向き合うために、というところか。
2010.12.17
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いま、市川海老蔵の女性関係を調べてたんだけど、ちょっとおもしろい共通点があった。まずこの人は、本命五黄、月命二黒、傾斜八白、天縁八白(5-2-8-8)という土気一色の人。隠し子のお母さんは8-2-2-5でおなじく土気一色、おたがいの建前の本命と本音の天縁が入れかわっただけという、かなりの似たもの同士といえる。米倉涼子、この人は7-3-9-5。隠し子のお母さんと天縁がおなじ。本音に五黄を持つ人の気さくな姉御肌、スケールの大きさを、おふたり共通にみたと思う。本音八白じゃ太刀打ちできないつよさ。建前が五黄なだけに、きっと嫉妬と憧れがないまぜになった「かなわなさ」もみたろうと思う。サトエリは1-7-8-4、なにもかもが合わない、どうして付き合ってたのか謎。小林麻央、9-7-3-8。きた、本音が自分とおなじ人。米倉涼子が持つ華をさらにもっと崇高に光らせ、かつ、自分にすごく似たところがある。こうみても、麻央ちゃんだったのが非常にうなずけます。
2010.12.16
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宝くじは暗剣殺で買え、というのがあるらしい。不足による吸引力をバク運に変える。ははーん、なるほどうまいこと考えるね。何が足りないのか、足すべきものがわかりさえすればつよいはずだと、わたしもつねづね思ってます。パチンコや麻雀で使ってみると、たしかに効果はなくはないらしい。そういう分野もあるにはあるようです。でも、前提として金気持ってないとだめ。木気なんかがいくらやっても基本どぶに捨てるようなもの。わたしみたいな二黒とかもぜったい無理で、その前に、そういうことに惹かれないからまずだいじょうぶなんだけど。ど、ど、よ。リズムが暗剣殺のときだけは、ギャンブルそのものでなくてもどうしても欲が勝つ、呼び込んでしまう。二黒は、九年周期の大きな節目にあたるときに暗剣をこうむる宿命。このときの行動は、よかれあしかれ大きく道を変えていくことに直結していきます。わたしが欲に目がくらみ異業種転職したのはこのとき、あれは完全に向いてなかった。
2010.12.15
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もっともきびしい真冬が六白なら、その次は九紫。その次は土気(二黒、五黄、八白)、次は七赤、で、もっともきびしくないのが一白、三碧、四緑。こういう順番になっております。とは別に、干支が午の年は、真冬の坎宮に歳破というゆがみがくるので、たとえきびしくない人たちでも要注意。また、子の年は、坎宮に太歳というお守りがついてくるので、もっともきびしい人でも少しはいいかもしれない。とまあこんなふうに、いろんな角度からさまざまな意味が重なりあって、ひとつの「とき」のニュアンスが形成されていくわけです。運気全体をみる本命がどこにいるか、健康面のリズムをみる月命はどこに入っているか。手がかりを導きだすことによって、危機管理の精度を高める研究を日々めのろ、しておる次第であります。
2010.12.14
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とはいえ、しっかりとツイてない四緑の加藤浩次もいるけども。脱臼骨折の次はインフルエンザだってね、それだってまだましの範疇だとわたしは言いたい。だったらじゃあ、もっともきびしい運気の冬をこうむるのはだれか。それは六白の人です。六白の人は気の毒なことに真冬の坎宮のときはかならず、暗剣殺もいっしょにやってくるんですね。これはもう一生変わらない切ない宿命、そういうものとして腹をくくるしかない。こつこつ祐気をとってあせることなくじっくり、冬眠をする、夢をみる、無理しようにもできないから。ちなみに、おととしの平成20年がこれに当たってました。次にまわってくるのは平成29年、あなたはいくつでこれをむかえますか?
2010.12.13
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平成22年節における坎宮にいるいわゆる本厄、真冬のときにあたってるのは四緑の人。おそらく今年はいろいろと参ったんじゃないかと思う、おっと、まだ節分までつづきますが。しかし四緑の人はまだましなんです、おなじ落ちるにしてもほかにくらべたらずっとゆるやかというか、なじむというか。たとえば福山雅治とか、こないだまでの「龍馬伝」はけっして飛躍でも完成でも発奮でもなく、けっこう内向きで低めな作業だったろうと思う。それに、初回放送はまだ前年節で、思いっきり暗剣こうむってたわけだし。ああ、そうか。開始時は周期仕上げの離宮だったのか。なるほど注目されるはずだわ。うっかり目立っちゃって、本人としてはいまひとつ乗れないまま世間に担ぎ上げられたというところか。でも、むくわれたよね。
2010.12.12
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姓名学やっといてなんだけど、改名したくらいでそうそう好転するもんじゃない。だいたい名づけを頼まれるんなら、なんで気学も加味しないのか。運命学を知れば知るほど、かつてわたしの名づけをした人に詰めよって問いただしたい。だって「二黒で辛で亥」という意志つよすぎ、融通きかない、ひとりっこという点においてもかなり自己完結しやすい女子に、あの名前はないだろう。たしかによくできた名前だけど、あきらかに雄雄しすぎ。こんな最強にしたらどう考えても晩婚、いい名前つけりゃいいってもんじゃないんだよね。持ってうまれたものがつよすぎたら、名前で抜かなきゃ。そういうものです。
2010.12.11
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平成22年節にはいってから、二黒が浮気というようなはなしを聞いたのはこれで3人めだ。おそるべし暗剣殺。二黒が浮気とか平常であればありえない、九氣のなかでもっともとおい存在と言っていいと思う。それが、よ。そもそも暗剣殺というのは五黄殺の対極、五黄が過剰なら暗剣は不足、執着と飢餓感の関係なんだよね。溢れかえる自我をもてあますのが五黄なら、足りてないのが暗剣。不足を埋めようとなんでもかんでも取りこんじゃう、淋しくて、不安で、こわくて、足りなくて。でもそんな状態で取りこんだものが、しかるべき充足を生むはずもなく、くり返すことによって消耗し不足はさらに深まる。でもね、何が足りないのか、足すべきものがわかりさえすればつよいはずなの。この吸引力をどう使うか。まずは、息を吐くことからはじめるしかないだろう。二黒にかぎってだけはホント浮気しちゃだめよ。
2010.12.10
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古城の命日から月命日までの、時の経つはやさといったら。その間、北海道に行ったし熱も出した。本も10冊以上読んでるし、ふつうにいろいろこなしてたんだけどね。ただでさえ忘れっぽいところへもってきて日記までないとほんとうに私、ものすごい速度で生きていってしまう。いいんだけど、それが私のもともとの速さなのかもしれないけど、あまりにもあっさりしすぎて物足りないような気もする。この葛藤。こういうところがまさに、建前「二黒」で本音は「三碧」、尅しちゃってるのよねー。言うなれば、大地と雷の同居。堅実なお母さんとおっちょこちょいでイケイケな長男が、脳内で同時になにごとか言う。
2010.12.09
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月命日、あっという間のひと月だったなー。ひさしぶりの日記のない日々がやけに心地よくて、ちょっといっそ正式に立ちどまろうかとも思ったんだけ、どー。やっぱりこのまま、続けます。これまで振りかえると、この艮宮同会暗剣殺というタイミングで能動的にそんなようなことするとかならず私、まちがえるから。来年になればおのずと決まってくるはずなんでね、あせらず気長にまた、始めます。短めにはしてこうと思う。あ、それから、海老蔵さんはじめとする五黄土気のみなさん、節分までは歳破の歪みがきてます。うす暗いようなところには近づかないでください。まだあと少し、気を抜かないで。
2010.12.08
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古城 永眠。午前8時45分 享年18歳と半年。胸騒ぎがして実家に電話、古城の容態を聞いて「今から行くよ」そう言って電話を置いた5分後だったそうだ。こっちゃん、私の声が聞こえたかい?こっちにくるって聞いて安心してくれたのかな。向かうことにした瞬間、私の想いはまっすぐに貴女を抱きしめた。眠る貴女がくっきりと脳裏に浮かんで、通じたと思う、糸電話みたいに。一緒に暮らした16年は伊達じゃない。最期に会ったのは先週の金曜、5日。インフルエンザにかかって連日病院で点滴やタミフル受けてたんだよね。2.5kgも痩せちゃって、でも歩いてたし、高いとこにも飛び乗ってたし、トイレだって大丈夫だった。向こうの部屋にひなたぼっこしに行くんだって言うから、テッテッテッテッ歩く古城の後ろからついてった。廊下の真ん中あたりで立ち止まった古城は、くるっと振り返り、私をまっすぐ見つめ「にゃあーあーあーあー」と言った。「抱っこして」。抱っこしてあげると、よいしょという感じで座り直して、あ、そう、これが古城の抱き心地、と思った瞬間、突然涙がこみあげた。こみあげた自分にムカついて、縁起でもないって押し込めた。でもきっと、身体はわかって、た。こっちゃん、今どこにいますか。しばらくの間、更新お休みします。
2010.11.08
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しずかな1日。夫による明太子サーモンクリームパスタなどに舌づつみを打ちつつ、角田光代「八日目の蝉」読了。この本は50人近い順番をながーいこと待ってやっとこの手に渡り、間髪いれずさらに順番待ちが列をなし、延長はしちゃだめです、になった超人気小説。と、いきなり冒頭からもんのすごい力で引きずり込まれる。なんか匂いがするんだよね、鼻先に体温を感じる、睫に頬に風を感じる、ちょっとある意味こわいような感じがした、生々しすぎて。いやー、なんていうか、うん、自分も女なだけにね、あっちに重ね、こっちに重ね、そして性別越えた人間に戻り、ものすごく分厚い読書時間を過ごしたと思う。ぐー、読みごたえあったなー、がっつり向き合った。で、やっぱりね、われわれは、きれいなものを見るために生まれてきたでいいんじゃないか、と思う。たぶんそうなんだよ、つまるところ。景色もちろん、瞳の奥にあるまっすぐなところとか、全身からみなぎるまっすぐなところや、仕草や行動でなぞるまっすぐなところ、まっすぐな本当のところ、すべての美しさ、見るべきは得るべきはさ、そこんところだとつよく思った。ほかはいいから、そこだけをね、この生からどれだけ持ち帰ることができるか。どれだけ共振して、限られた枠を極限まで拡げてたくさんの深い、感を動できるか。これだよ。
2010.10.31
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結婚記念日、今日で丸2年、明日から3年めの日々を歩き出すー。しかしまあ、生まれてこのかたただの一度も引っ越したことがない私が、この2年で3回引越すという激動っぷり。さっすが五黄の人と、五黄のときに知り合って、五黄の姑がいて、五黄方位に転居しただけのことはあるという感じ。過剰のピンポンというか反転の反転、なんでこうなのかうっすら掴めてはいるからね、運命学的には。だから別にうろたえることもないし、どうということもない。わかってる、いや、わかってると思ってる、ことのその大きさを思い知る。何のせいにもしなくていい、後悔もしなくていいし、教訓をひねり出さなくてもいい、ただ過剰なだけ、そしてそういうご縁、流れだったそのときは、ということ。とはいえ実際にもーのすごく勉強になったし、とーてつもなくこれからの自分に影響を与えた出来事ということには変わりないけどね。いろいろ新鮮で楽しいほうが確実に勝ってる、それが人生のすべてだろう。台風にびびりつつ、高尾にある炉ばた焼きの店「ごん助」へ。個室の炭火で鮎や地鶏、海老やしいたけ牛や豚などを串焼きにして堪能、こういうのはぜーんぶ夫がうまーくやってくれるから私、座ってるだけ。すっごく美味しかった。雰囲気もよかったし、外が雨というのもまたよかったな。しっぽりといい時間を過ごす。
2010.10.30
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手相観のための勉強本がどっさり到着した、ふぉっふぉっふぉ。これだけでじゅうぶん豊かな気分、うっかり気が済んじゃいそうなー。という心配をよそに、さわりだけ読んでみたらやーっぱ面白いわー。自分が知りたいことは面白いよね、当たり前だけど。あとは優先順位の問題で、日常生活を継続持続していくうえでほんっといろいろあるけど、自分の知りたいことを知っていく時間はね、このままけっして失くさないで生きようとつよく思う。どうでもいいことだけど、どうでもよくない。いつか手が空いたときに、じゃない。今は今しかないし、この五感そのまま感動をこの場で、していきたいと思う。いやー、しかし、手の決定的な本命は親指と他の指がむかいあうこと、だそうな。血液の赤血球に上下はないし、宇宙飛行士にも上下はない。動くから、前後がある。前足は地面を引き寄せる役だから曲げる力や握力がつよい、後ろ足は蹴る役だから曲げるより伸ばす力がつよい。そのうえの、手、ということ。手相だって曲げるからあるんだしねー、ぐぎー、楽しすぎる。だから何だというのもなくはないけど、たまんなくこういうのが面白いであります。それがどうしてどうするかわかんないけどね、この身体にこうして入ってるの、単純に楽しくって仕方ないのであります。
2010.10.29
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すーごくいい本でしたー、重松清「青い鳥」。この余韻・・、この本はぜひ手元に置いておきたいかも、ちょっとブレたときとかに読み返したらきっといいと思うなー。うん、こういう風に選んだ本を買っていけばいいんだ、まったく図書館さまさまです。「先生にできるのは、みんなのそばにいることだけです」、「ひとりぼっちが二人いれば、それはもう、ひとりぼっちじゃないんじゃないか」そばにいる、かー。誰かたったひとりでいいから、ずっとそばにいてくれ、れば。それでもう満足、たいがいのことはもうそれで、いいんだろうと思う。ここんとこすっかりあんまり人と連絡取らなくなったのも、夫がそばにいてくれるから、なんだろうな。あらためて夫婦ってすごいと思った、すごい約束だ。独身時代が前世のよう、結婚ていいものすぎて、それまでどうしてたか正直どんどん忘れていってる今日このごろです。子どもがいるいないも大変なちがいだとは思うけど、その前に、結婚してるかしてないかのちがいがまず、とてつもなく大きい。いや、結婚にかぎったことでもないな、男女とか問わず、ひとりでいいから、どうかこの世の人すべてがつがいになりますように。
2010.10.28
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わちゃー、ほぼ日の「脳の気持ちになって考えてみてください。」がすごい。糸井さんと、あの海馬の池谷さんのひさしぶりの対談、いやいやいや、恐れ入りましたー。面白いったらないです、本当に。なんとなく関連があるような気がして、手相を観る方面着手するまで読まないでおいといたんだけどね、バチンと音がするように、何かと何かがしっくりいった感触があった。うん、手相観、むちゃくちゃ面白い予感がある。まさしく、池谷さんの言う「海流に乗ってる感じ」。そして、私は、手相やら気学やら易やらを使って「間違いなく、どっか、いいところに行くんですよ」なんだなー。いやー、この対談読むだけで、未来がこんなに照らされるんだもん、すごいすごい。いちばん勇気もらったのは、「身体が先で、意識があと」「けっきょく、身体しかスイッチないよなぁっていう。」このあたりかな。それと「積極的にその情報を得に行ったときのほうが、脳が敏感に反応する」。自分がひかれるほうへ、ついついやってる、気づいたらやってる、ずうっとできてるほうへ。四の五の考えてる暇ないね、かみ殺していい笑顔なんかない、ひとっつもない。ぞんぶんに笑え!
2010.10.27
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さむーい、風つよーい、もうヒートテックの季節だよ、はやい。こないだの週末、ユニクロでヒートテック限定かかってたんで、しっかりがっつり買い足してみた。今までてっきりそうだと思ってたババシャツがなんでもなかったんでねー、ちょっとここでひと揃え調えてみることにした。半袖と八分袖のベージュブラックグレイ、かーんーぺーきー、半袖セーターとかもこれで心置きなく着られるー。レギンスやトレンカもついでに考えたけど、これらもちゃんと限定みてからにしよう。それにヒートテックのレギンスはすでにブラックグレイ持ってるんだよね。でも部屋着のタイパンツがすべってすべって、限定の暁にはすべらないようなのを1本試してみたいと思ってる。下の冷えとりメインは、私はレッグウォーマーがいちばん好み。パンツ式があんまり好きじゃない、腹巻もあったかいけど丸まっちゃうのがちょっとやー、対策はうすくなっちゃうけど、足首とヒートテックでいけるところまでいきたい所存であります。ささやかな、かといって、あなどれないこまごま。こういうのが、ちょっとしたときにもんのすごい力になるの。
2010.10.26
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経過観察中のチョコレート嚢胞、もう短くないつきあいだなー。なにしろあちこちの痛みがつよいものらしいのに、やっぱりどこも痛くない。生理も順調だし、忘れちゃえば簡単に忘れちゃえるほどのものなんだけどー、軽重問わずいわゆる病気の実感てこんなものなのかもしれない、少なくとも初期は。と、そんなような何となーくしんみりとした気分でクリニックへ向かう。何回か診察受けて慣れ始めた先生が、またちがう。「あ、先生がまたちがう」と言ったら「先生、産休に入られててー」とのこと。今回の先生もはきはき感じはいいし、別にいいんだけどさー、どうしても「かかりつけ」って感じにならないよね。先生によって微妙に見解もちがうし、使う表現も言葉もおのずとちがう。ちょっと別のところも考えようかな、ここはどちらかといえば検診専門だし。で、で、肝心のチョコ。なんと、ちいさくなってやんのー。こないだまでは「手術も視野に入れて」まで言われてたのに、今回は「そんな必要ないない」という感じ。画像見た感じもあっきらかにちいさくて、前までのは、もやーんぼよーん、だったのが、今回は、くっきりくりんっ、ぷりんっでもないなアレは。ぼうっとした人が急にきびきびしだしたような、うーん、いったい何があったんだチョコよ。
2010.10.25
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砂川闘争55周年記念「砂川闘争をふりかえる」なる企画に夫婦そろって参加、10時から16時まで途中休憩はさんでどっぷりと、もう砂川闘争のことはなんでも聞いてもらってかまわない、という1日を過ごす。そのまえに、いやーーーーー、酔った。古い映画なうえ行動を記録なもんだから、基本的に手ぶれ映像なんだよねえ。酔い止めでも飲んどきゃよかったか、お昼とかまともに食べらんなかったっす。しかしながら実に、あらゆる角度から濃い企画だった。なんか懐かしくもあったなー、20年くらい前は野戦の月や独火星、とかよく観てて、そういう雰囲気が少しあったような気もした。午前は、かなり酔う映画「砂川の人々」25分、「麦死なず」30分、15分休憩で、酔いのとどめ「流血の記録砂川」56分。もうね、農民がスクラム組んでわっしょいわっしょい警察と衝突してるんだけど、本当にスクラムだけ、武器とか一切なし、警察のほうが武装しまくって素手じゃなくてそれでも、それでも最終的に農民に軍配があがる。意味や意義やいろいろと背景はあるようだけど、私は単純に、このことに感動しました。午後は講演と、少し酔う映画「草の根の人びと」、そしてミニツアー「あの衝突があったのはここ」とか「ここがあれ」とか、立入禁止の場所にも入れたりしてね、変わらぬ広い空のした当時に思いを馳せてみたりとか。今やその守った土地のほとんどは、そういう意味では守り継がれてはないんだけど、でも、そのエネルギーというかな、熱さ、強さ、思いの記憶は刻まれてるはずだし、むしろそれを、知っておくべきだと思った。
2010.10.24
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石井ゆかり、ついに足を踏み入れる。かなり前から筋トレのファンではあったけどね、ついに「天秤座」を買っちゃったであります。鏡リュウジとの共著を読んで、うわー、こりゃあ買うしかないぞ、と。でもって、乗り換え途中のちっこい本屋で、探すともなく目に飛び込んできた。いい出会いだった。まず、共著で印象深かったのは、石井「人は自分の意味を求めているんだなー」鏡「結局、本当は意味なんてないかもしれない、ただそれに耐えられるかっていう」というやりとり。そう、この世に意味なんかない。はっきりいって幻だよね、何もかも。ただ、それでも生きていかなきゃならないし、どうぜおんなじ生きるんなら、気持ちよく生きようぜ、と。占いはそのひとつの道具、ふたりの言葉を借りれば「ゲーム」まさしくその通りと思う。鏡「「それでなにかしたいか」これはゲームだってことがわからないと本当の意味では楽しめないと思うんです。」いいねえー、すっごいよくわかる。そして、「天秤座」でガツーンときたのは、自分の冷酷さは美意識からきてるらしい、ということ。それと、秀でたバランス感覚は、全体をみるものでは全然なくバランスする一点に集中する、だーから完ぺき主義なのか、納得ー。あと、熟考、果断、ずだん!と音がするような決断、て表現ね。いやー、好きだなあ、石井ゆかり。大ファンを公言しよう。
2010.10.23
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角田光代「くまちゃん」を読む。おーん、なんか感動ー、むちゃくちゃおもしろかった。これは、読んでよかったものの5本の指には確実に入る作品、あちこち評判は高くないけど真に受けなくてよかったー、あぶないところだった。これはバトン形式恋愛小説で、たしかに「ふられ小説」ではあるんだけどー。いやいやこれは高度な、自分探しの旅、のようなものだと思った。それに「ふる」人は、それを決断した時点で相手に「ふられ」てるわけで、別れるのにふったもふられたもないやんけ、ずっとそう思ってきたことを思い出した、要のない主張は忘れるねー、使わないと。彼氏彼女はそのときどきの人鏡、ホントそのときの自分を知るのにいちばんいいと思う。そして、離れるときというのは、もうただ単純明快に機が熟しただけ、窮まっただけ、ご縁がなくなった、たったそれだけなんだとも思う。でもねー、結婚はまたちょっとちがうと思うんだよねー。恋はこれでいいけど、結婚はちがう。彼氏彼女の人鏡と、夫と妻の人鏡はね、ちがう、ぜんぜんちがう。ご縁はご縁でももっと粒子のこまかーい、ねっとりクリーミーな感じなんだよね。別次元というか、延長ですらなかったな。私にとっては。
2010.10.22
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実家へ、猫毛布。「ただいまー!」と元気いっぱいに玄関を開けると、ボスがほとんど目をつむった状態でよろけながら迎えにきてくれた。耳をすますと「ぶ、ぶぶ」イビキまでかいたまんまだし、具合でもわるいのかと思ってあちこち撫でるとホッカホッカで湯気でそう、そかそか、ぐっすり寝てたんだ。起こしちゃってごめーん。というか、猫なんだからそっけなく寝てていいのにー、ボスは本当に犬っぽい。古城もしずかに元気いっぱい、横目でちらりと私を確認すると目を細めてにっこりと笑ってくれる。老猫ついに酷暑乗り切り、これからは得意な季節がやってくる、よかった、本当によかった。よく眠れるし、体力も温存できる。私の腰くらいの台のようなところに乗って、真剣な顔つきで私と対峙するボス。「なあに、ボスくん」言ったところで、ジャーーーンプ!なんと肉弾が私の胸元に飛びこんできて、思わずひょいと受け止めた。抱っこされて得意満面のボス、なな、なんだこの芸は・・。いずれにしても、その巨体でも少しは猫のように飛び上がれるようになったんだ、というかまずヤル気が出たのがすごい、涼しくなったからかなー、どういう心境の変化だろう、ものすごい進歩だ。ミーコはまた大人っぽくなりみるみる尻がでかくなってくる、チビクロは輪をかけてなまめかしく、ボスをソファー代わりにしてゆったりと横になっている。たまに気が向くと、ボスの顔を小脇にかかえむちゃくちゃに舐めてあげていて、母性か、と思う。
2010.10.21
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学校。五行の相尅について、ようやっとここで納得できる表現を得た。くわー、長かったー。優先順位としては低めの、けっこう穴なところだから、ついつい後回しにしちゃっててね。うん、これでだいぶ脳内もすっきりしたぞ。今日は、手相観を始めるにあたっての記録フォーム作りの相談を、先生のものをコピーして使う許可をいただく。むちゃくちゃに形から入るタイプなんでねー、私。観るべきポイントは資料にあるから、とりあえず用紙のサイズをどうするか熟考中、両面にするか、とか。それにおそらくモニター募集するにしたって、記録するだけ、でたぶん終わると思うんだよね。肝心の「で、どうなの?」は無理だと思う、経験的にも時間的にも、んんー、どうしようかなー、ちょこっと程度は言えるだろうけど。だってね、「いらっしゃいませ」で代金もらったりお釣り返したりして、手のひら、ちょうど見ることになるんだけど、ぜっんぜん違うんだもん人それぞれ。白魚っぽくてマスカケとか、なんか三大線がよくわかんなくてシャシャシャーとか、ちっっっこい手とかでかーーーーい手とか。あ、でもでも、そこらへんうろついて「手相の勉強してまーす、よろしかったら」とかはやりませんよ。ぜったいに。
2010.10.20
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ズーニー、Lesson509 自分のループを抜け出す――2.違和感はどこからくるか?、を読む。正体不明の「違和感」、イライラザラザラ、うーん、わかるなー。こういう妙に激しい反応は自分を知るいいきっかけなんだよね、訳知り顔で生きてるぶん自分の本気がすっかりわかりにくくなってる。突き上げるような不快感、違和感は、自分の素の正体をつかまえるのに有効、と同時に、大いなる手立てとなるはず。自分にも他人にも、ねー。人は本当のことを言われると怒る、図星なら図星なほど大きく反応する。反応すればするほど「心当たりがある人ー」挙手してるようなもんなのに、わかってるのに、どうあっても顔が赤らんでしまう。あるよなー、あるある、余計なことばっか言っちゃってね。なーんか見てるとむしょうに腹が立ってくる人というのは、私の場合は「うらやましい」か「かまってほしい」、このあたりの感情からきてることがほとんど。結局のところ、大なり小なり「嫉妬」なんだよね。自分がそうできないことの言い訳の逆切れ、できてないことに対しての八つ当たり。そう、わかってるのに、わかってても、ひと通り気が済むまで自分のなかでだけ、あげつらいこきおろす。そして、胸のなかがすっかり空っぽになったらすっくと立ち上がり、前を向く。
2010.10.19
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景気づけに、亀の子たわしを購入。手のひらチビサイズのがあって気分は上々、しかも手洗いに最適なシュロのがあってもー、これはきっと何かに応援されてるにちがいないぞ。というか、手相を開始することと亀の子たわしとどういう関係があるのかというと、手とお脳はかなり密接に対応してるらしい、と。だったら、手のひらをゴシゴシこすって刺激すればお脳をマッサージしてるのと同じなんじゃないかっていう先生の仮説からー、私も実行してみてるわけです。もっぱら起床時、石けんつけてガシガシやると、気のせいでも頭がスッキリしてくるから不思議だよねー。そういえば、手じゃなくて足の裏を、亀の子たわしで毎日こすってるヨーガの先生もいらした、何十年か実践してるって、手相の先生も何十年て言ってたし、はあー、すごい。先生は、その刺激と意識的な行動で頭脳線を伸ばしたそうな、伸ばせるんですよ、脳の使い方が変わってくれば手相だって変わるんだから、手相は変えられるんですよ、とのこと。能動、かー。勇気でるなあ。顔つきだって変わるもんね、雰囲気だって。皮膚とかだって実際に変わってるわけだし。ただ変わりうるのは掌線であって、手型は変わんないからね。そのあたりのバランスもたまんない魅力ー、とか言ってないでひとまず、たたき台だ。
2010.10.18
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週末ご飯は夫の担当、私は台所に立たずに済むので、食後なんかも椅子に座ってボーーーーーー、ななめ上あたりを見るともなしに見ていたり、ごろ寝したまま突っ伏して眠ったりとかしてるうち、ピッカーーーン、ひらめいた。私、今こそ「手相」を始めればいいんじゃないのか。授業はとっくに終わってて修了もしててよ、実践入ってないからまったく宝の持ちぐされになってる状態が、何年だろ、んー、え、おい、2年だよ。今のこの生活なら、出向いたっていいし、場合によっては自宅だって使えないことはない。夫も和室を占いのために使ってもいいって言ってくれてるし、気づけばもう遮るものなんてひとっつもありゃしなかったのだった。ひと口に「手相」と言っても、大きく分けて手型と掌線ふたつの角度があってー。最終的にはそれを融合して読んでいくんだけど、そのそれぞれにもたーくさん意味がありまして。たとえば「手型」のなかでは手の出し方から始まって指の長さ、曲がり方、爪、節、指紋などの見どころがあるし、「掌線」であれば、三大線、五大線、丘、方庭、三角庭などなど、うおおー、ちょっとノート見返しても、たしかに2年尻込みするだけのことはある。ま、できることからコツコツと。占断以前にまず見せてもらった人の、手のね、カルテを作っていきたいと思う。よーし、ひとまず、たたき台だ。
2010.10.17
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馬喰町の信号を軸に小旅行、徒歩数分のところ30分近く練り歩き、最終的に夫に迎えに来てもらうという前後不覚っぷり。自覚はあったにせよ、あきらかに方向音痴に磨きがかかっている、39歳秋の夕暮れー。でも、高層マンションの灯りに見とれたり、読めないような地名に向かうバス停とかね、けっこう本気で楽しかったです。いや、ご心配お掛けしました。今宵は友だち企画、落語&南インド料理のコラボレーションという珍しい企画に参加する。題して「古今亭菊太楼 落語ナイト☆」。古今亭菊太楼師匠の落語は初めてだったけど、枕の感じと本題に入ったときの差がかなりある落語家さんだと思った、憑依系というか。どこでも、ひとりで、何にも持たず、やっぱり芸ってすごい、あらためて感動した。寄席でないところで聞くのも初めてだったから、高座から距離といい角度といいとっても新鮮で、またやってほしいな、すごく面白かった。落語慣れしてない率たぶん80%以上の会場で、ひとり「ん待ってましたっ」絶妙な間合いで声をかける夫、わが夫ながら何やらしても器用だよねー、適性ってすごい。
2010.10.16
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図書館がいとしくてたまらない。うちから自転車で行けるところが3つもあるなんてさー、いいんだろうか、こんなよくしてもらって。いちばん近いところは自転車で10分、パート先の目と鼻の先にもあるのは15分、まだ行けてないけど近かろうところもおそらく10分。本読みは恵まれてるね、大げさでなく守られてるとまで思う、国よ、どうもありがとう。ここんとこ常時5冊くらい手元にあって、ほんのちょっとした時間でもスコンスコン小説の世界に飛んでいる。これが仮眠とさほど変わらないほどのもんのすごい気分転換、たとえあと15分で出かけようってときでも、うっかりちょっと読んじゃうと「えーと」何してたんだかすぐ思い出せなかったりして。いいわー、こういうのー。心の中をホースでジャーーーッ流したようなね、シャワーじゃなくてストレートで、飛沫があがるくらいに強く、人生の瑣末なことをズババババ、押し流していく。ヨーガもそうだし、いかにぎゅっとならないか、だよなー。だって最悪死ぬだけだし、なーんもこわくないじゃんか。手ぶらでいこうぜー。
2010.10.15
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フェリシモ到着、わー、今回は特別楽しみだったんだよねー。ちょっとステキな料理家、渡辺有子先生と一緒に作ったっていうエプロンワンピやらなんやら3着ばかり頼んでまして。うん、結局すべてお買い上げすることにしました、なかなかいいよー。まずはリラックスロングトップス、今回は黒。膝丈くらいのスットーンとしたAラインで意外にタイパンツと合うー。中は丸首でもタートルでもどっちでもいけるし、あと、生地がしっかりしてた。お次はリラックスブルゾン、今回はいちばん白っぽいのがきた。値段のわりに生地がうすくて実は一瞬返品しようかな思った、けど、首もとのデザインおよび長めのリブ仕様がたいへん好みでね。ありそうでないよー、こういうの、ねー。最後は、ポケット付きエプロンワンピース。今回は腰紐付きのVネックだった。こーれはタイパンじゃなくヨガパンだなー、けっこうたっぷりしてて、素材も麻55%だし。この下だったらカシミアタートルとかも着れそう、すんごいかわいい。4種類ともそれぞれに一目ぼれしちゃった。ああもう、ツボすぎ。この先生とぜったい話し合うと思うわ。
2010.10.14
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うきゃー、やったー、きたきたきたきたほぼ日手帳ほか、たーかーらーもーのー。お、また手帳の箱が復活したんだ、やっぱこれだよね。去年なくしたところだったのに、要望にすぐ応えるなんてもうホーントかゆいところに手が届くよねー、いやー、すばらしい。寄せられた要望を咀嚼してすぐ栄養にする組織なんて絵空事と思うのに、やるんだよねー、ほぼ日はそれを。心の底からすごいと思う、今や「ほぼ日」および「ダーリン」は私にとってかけがえのない存在だときっぱり言い切れる。同梱包の<CLASSIC ロンT>も箱の中にコロンと入ってた、わーん、このパッケージだけでも感動ものの可愛らしさ。しばらくこのまま眺めてよう、可愛すぎてしゃれたインテリアにもなり得るという。今回の箱フタの裏側には、自分と約束はしたほうがいい、という言葉が。知らないうちに筋肉がついてるからというようなことが書いてあって、やんわりと背中を押されるような。ことの始まりにふさわしい、すがすがしい気分になる。
2010.10.13
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玄関にお花を飾ります、んまー、素敵よ、奥さまー。本当にあるのとないのじゃ大違い、お花がこんなにいいものなんて気づいたのは、ほんのここ数年のことだ。女はお花もらうのが好きなんて真っ赤なウソ、何かの冗談だと思ってたもんなー、本気で。10代はだめ連とよく顔を合わせ、20代は突段とつるみ、そんな自分がこんなベタなことするなんて思ってもみなかった。人生、なにが起こるかわからない。とはいえ、お花をこうして飾ってるのは純粋に愛でようというだけじゃなく、「南が欠けてるから」という非常にそのマニアックな理由からなのでね、ふふ。私が私である所以ここにあり、という感じ。近所のスーパーで週に1回くらい安売りするときがあって、97円で3種類くらい出てすーんごい楽しい。最近になって増えた、たのしみごとの大きなひとつなのであります。何から何まですんなりと思い通りになっていく、それだけに、すべるように過ぎていく一生、待っていかないで。
2010.10.12
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夫婦でヨーガのレッスン。汗だくになって爽快、視界くっきり。終わったあとはみんなでランチ、足取りもかるく一駅歩き「Viam」なるステキなお店で、たくさんの種類の美味しいものをちょっとずついただく。今日はレッスン前「健康」をテーマにディスカッションがあった。いいねー、こういうのー。みんなで輪になって、うなずき合って。ヨーガの場って結構こうやって人前で自分のことを話す機会がある。分かち合う、共感、共鳴、共振、ヨーガはyuj、繋がりかー。私は自分で何しゃべるのかなと思ったら、ここんとこ考えてた「自分は調子がよければいいほど人と連絡を取らない」ということをつらつらと。こうやって口から出るってことは気にしてるってことだよね、そう、ちょっとここんとこその安定のバランスがおかしくなりだしてる自覚はあってー。なーんにも考えないで頭すっからかーんでいると、平気でまったく誰とも会わない、意識もしない。そのかわり、少しでもバランス崩すと人恋しくてたまんなくなってね、誰彼かまわずとにかく連絡取りたくなるんだよね。「それがバロメーターなんだね」先生にこう受けてもらってー、そしたらいきなり「あ、このままでいいんだ」とスコンと腑に落ちた。寄せては返す波のように、自然に、ありのまーんまで。心の奥がふわっとゆるんだら、身体全体がカクッと脱力して肩がズンと下がった気がした。知らぬ間にこんなりきんでたんだー、でもいい、りきんでゆるんで、またりきんで、それでいいじゃないか、ね。
2010.10.11
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ちゃりんこ乗って鮨を食べに行く。片道10分ちょいのサイクリング、チャリンチャリーン。顔面に当たる風が涼しくってすっごく気持ちがいい、キンモクセイもほのかに香って、いい季節だなー、やっぱ秋でしょう、秋に限る。ここのお鮨はこれまで出前でしか食べたことがなくって、夫もお店で食べるの初めてだったんだって、近所だとそういうことままあるよねー。で、やっぱり出前のよりうまーい、そこはかとなくうまい。軍艦の海苔がパリッと乾いてて、たったそれだけで全然ちがうんだもんびっくりしちゃった。中トロの口どけも心なしが少しはやくて、お店のご主人も言ってた、やっぱりどうしても差は出ますー、って。同居してたときにお店の奥さんがよく届けにきて「せがれさん結婚してどのくらい」だの「孫はまだなの」だの声高に言っててね、ご近所だけに。で、ここでおのずと同居解消したことを知らしめることになったわけだけど、思ったより自分気にしてなかった。ちゃんとやってるから、妻を。正々堂々と、いち家庭の主婦であるという自信というか、大きく胸張って「これが正解」言い切れるから。まっすぐ顔をあげて、ゆったりと笑えた。
2010.10.10
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重松清「きみの友だち」を読む。はあー、しびれたー、ビリビリきた。もう大好きだこの人、重松清。友だち、かー。自分の名前に「友」がつくこともあって、友だちについて考えることが少なくない私。両親はなんでこの名前にしたんだろ、そういえばちゃんと訊いたことがない気がする。易者直筆の鑑定書があって、どういう経緯か候補は三つ「雅子」「友子」「光恵」。向こうの提案だったのかなー、で、このうちの「友子」が採用されたわけなんだけど。画数の持つ事象に惹かれたのか、「友」がよかったのか、よかったんなら何がよかったか、それとも音か。知っとかないとね、こういうことは、つぎ実家行ったら忘れずに訊こう。この小説の主人公は「そばにいなくてもさびしくないのが友だち」というようなことを言う。かと思うと「友だちは定期的に連絡をとるメンテナンスが必要」という人もいる。私はー、主人公のほうに近いかも。わいわいガヤガヤする効能もわかるけど、基本的には一対一の間柄こそが友だち、みんなのうちの一人は知人、と私は思う。だって「友」という漢字は、右手と右手ががっちり握手してるのをあらわしてる。「みんな」とは握手できないもん、一人一人じゃないと、ねー。それと、自分がその人の存在を忘れないかぎり、たとえ一方的でも、むこう死んでても、私にとっては友だち、です。
2010.10.09
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実家へ、猫布団。古城は夏をしのいだ隠れ家に別れを告げ、居間のそれまでの所定の場所に戻ってきた。本当はひとりになれるほうがいいんだろうけどね、それもいい刺激だろう、ボスたちも少しは大人になってきてるし。寝っころがって手を伸ばすと、さわさわの純毛が手に触れる。みんなそれぞれ手触りがちがうからすぐわかる、身体の大きさだってちがうしそれに、撫でたあとの仕草もみんなちがう、猫にいい季節になってきたぞー。猫飼いの醍醐味はこれからが本番だ。ちょっと涼しいと、これまでそっけなかったミーコまでゴルグンゴルグン喉鳴らして腕枕とかにくる。チビクロなんか真夏だってくるんだから余計、ボスが自分が重いのを気にしてか上半身だけで寄りかかってくる。それにしても、もうぜったいに毛皮なんて着られないよねー、こういうのは体温あるもの以外考えられない。呼吸してて、ちょっと口がカリカリの匂いがして、イビキがうるさくて、伸びすると自動的に出ちゃう爪をすぐさま引っ込めてくれる、毛をまとう天使たち。ふと思う、どうしてこんな歓迎してくれるんだろう。みんなの前で、私はいい子である必要もないし、言うことを聞く必要も、誇りである必要もなーーんもない。私は私のまんま、それだけでいい、すごいよね。私が私であるだけで、こーんな笑顔で走ってきて擦り寄ってきてくれるなんて、ねー。食事とかだって何もしてあげられないのに。古城はご飯については母の目をじっと見てなにごとか言っている、おなじ人間だからって私には言わない。わかってるんだよねー。で、私に対しては、お腹に乗ってきたりちょっと頭をこすりつけたり、思い出話に付き合ってくれたり、する。
2010.10.08
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ズーニー!Lesson508 自分のループを抜け出す、を読む。自分のパターンを自覚すること、かー。あるな、私にも。人間関係悪化の過程なんか、ほれぼれすれほど完全なるパターンがある。それはほとんどが上司や立場が上の男子に対して有効、自分と同等かそれ以下の器な場合が特につよく発動する。女子とはね、ぶつかりそうになっても相手がもっぱら自分より器がでかいことが多くて、かえって好きになることもままあるんだわー。同性は参考にしたいしね、たとえ反面教師であれ興味がある、勉強になる。私は、高圧的な男子に対して厳しすぎるところがあって、そういう人って他人を虫けらみたいに扱うじゃんか。ま、そんなのはそんなのでいいんだけど、本当にキライ、許せない、イヤすぎて相手にしちゃう。なんでこんな反応すんのかなー。もしかして、初心者で会計事務所入ったりコンビニバイトしたりしてるのって、そういう高圧的な態度をする人をみて「最低だ」と思いたいのかも。いや、逆だ、そうしないすごい人をみたいのかもしれない。いるんだよね、社長さんでも相手をみず全員に丁寧な人って。そういう人をみて、世の中捨てたもんじゃないと思いたいのかも。うん、そうだ、そうなんだ。そしてさらに、そういうすごい人に追いつくべく、分けだの隔てだのの向こうへ行きたい。でも分け隔てとか言ってるようじゃ、えーと、あれ?私、権力主義?
2010.10.07
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こないだの誕生日、夫からのプレゼントは最新型アイロンと高さ自在のアイロン台。実はしずかに待望してたもんで、非常にうれしい、具体的にうれしい、家電のグレードアップほど現実的に心躍るものはないという感じ。そして、私も主婦になったなー。数ある家事のなかでも、アイロンかけほど好き嫌いがはっきり分かれるものはないけど、私はなにしろアイロン自体かけたことがほとーんどなかった。正直言って結婚する前は、せいぜい学校の制服くらいだったな。まずアイロン以前にシャツがキライなんだよねー、ダメ、襟が、うっかり着ると肩と首がガッチンガッチン。で、今はアイロンかけもだいぶ慣れ、自分なりの手順も確立し、ここで立派なアイロンとアイロン台をいただいて非常に具合がいいわけであります。ちなみに私が選んだ夫へのプレゼントは、ドラえもんのパンツと天才バカボンのパンツ、それと、コシチャイム。これねー、シャンティチャイムが終わっちゃってあまりに残念で半べそだったのの改良型なんですよーう。夫は火の人だからIgnisにしたんだけど、なんとそれがシャンティでいうCrystal Morningとほとんど同じ音だったという。このふたつ同時に鳴らすとね・・、もうね・・、すごいのよ。
2010.10.06
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角田光代「三面記事小説」を読む。ぬおーん、このなんともいえない読後感・・・。しいていえば「やるせない」かな・・、「せつない」もある、「どうして」とか。この短編小説は、なにしろ本当にあった事件を元にして書いてるからぜったいに、ハッピーエンドじゃないんだよね。承知のうえで、ことの始まりからなぞっていく。どんなことでも始まりはかならずあり、往々にしてそこはとても明るい、それだけにほーんとねー、ほんと、なんともいえない気分になる。読み進めるうち徐々におかしくなってくるんだけど、その常識の範疇から逸脱した一歩というのは案外とわかるもんで、本人たちもきっとわかってる、いつの間にかじゃない、あのときから、でも、どうにも止まらない。その感じ、わかる気するんだよねー、他人事じゃないというか。たとえば事件じゃなくても身体の病気とか、心のほうでも、人間関係も、考えてみればすべてにおいて、当てはまりうることだと思う。程度の差こそあれ、どこにだって一歩はある。あのとき、がある。よく、朝っぱらから何か失敗したり、なんかちょっと今日おかしいなってことがあるけど、そういうとき私は1分とか2分とかでも瞑想する。あと可能であれば掃除、がむしゃらにガンガン風を通す。大きく深呼吸。
2010.10.05
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