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昨日、ケーブルテレビで「朝まで生テレビ 子供たちの夢、意欲、減退のナゼ?!」の再放送をやっていた。 ゆとり教育による学力低下の問題について議論していたのだが、うちの息子も、もうすぐ小学生になるので、ついつい真剣に長い時間、見てしまった。 この問題、結局、どういう”大人”に育てれば良いか?ということ。何を到達点とするのか、人によって考え方が違うので本当に難しい問題だ。 僕の考えはどうかというと... 教育といっても、徳と学力の教育があると思う。徳の教育は、学校だけに期待するものではないだろう。この問題を取り上げると、あまりにも広がってしまうので、今日は止めておく。 では、学力の方はどうすれば良いか? 学力といっても、文化的な生活を送るための教養と、社会や産業の発展に直接役立つ能力(仕事に役立つ能力)という面があると思う。今問題になっているのは後者であろう。 日本が将来、どのような国家、社会、経済を目指すかによって、どのような能力を高めるべきか方向は変わってくるだろう。 堺屋太一が言う知力国家を目指すのであれば、これまでのように定型的な仕事を正確にこなす人材より、独創性のある人材が必要ということになる。 独創性のある人材と言っても、科学、芸術、スポーツ、ビジネスいろいろな分野があるが、科学、芸術、スポーツは、総合的な学力より、専門分野の能力を早くから見極め、横並びでなく、その才能を活かせる方向に早くもっていく必要があるだろう。 ではビジネスの分野はどうか?ビジネスで創造性を発揮する仕事と言えば、経営者、企業の各種企画部門、製品開発部門、コンサルタントなどの仕事が思いつく。新たな商品・サービス、ビジネスモデルを企画・開発する能力が問われる仕事である。科学、芸術、スポーツ分野よりも、こちらの方に進む人の方が多いだろうから、こちらの話を中心にすべきだろう。 僕の経験から言うと、こういう分野で活躍する人は大卒が多いが、必ずしもトップの国立大や私立大ではない。新たなビジネスを起こす中小企業の経営者は大卒ばかりでなく高卒の人も多いだろう。こういう人たちの共通点は、自ら何をすべきか?考え、実行できる人材だということである。 先進国 日本に問われていることは、国民全員に、「この”何をすべきか?”を考えることができる人になりさい」ということだと思う。 僕は、コンサルティングという仕事をしているのだが、コンサルティングという仕事は、クライアントの下請けをするのではなく、クライアントに対して、”何をすべきか?”助言することが仕事である。 僕の会社も、某トップ国立大出身者が多いのだが、必ずしも成功しているわけではない。むしろ、偏差値で落ちる有名私立大出身者の方が確率的に成功者が多いのではないかと思う。某トップ国立大出身者は、勿論、決まった仕事はよくできるのだが、この「何をすべきか?」を考えるのが苦手な人が結構多いのだ。だから、コンサルティングという仕事が自分に合わないと言って辞めていく人も実際に多い。僕自身、私立大の出身者なので、昔は、部下に某トップ国立大出身者が配員されたら、必要以上に期待したりしたものだが、今となっては、特別な期待も偏見も無く「あっ、そう」といった程度である。 ビジネスはひとりで行うわけではないので創造する仕事といっても、特定の能力を高めるだけでは何も成すことはできない。知能指数というエンジンや知識というタンクだけでなく、感情も含めた全体の制御装置が必要である。価値を生み出そうとする意志や情熱、顧客など関係者の問題意識を理解する力、多面的に物事を見る思考の柔軟性、他人と双方向に正確なコミュニケーションが行えること、感情のコントロールなど、非常に幅広い力が求められる。逆に知能指数や記憶力は、そこそこあれば良いと思うし、大学までに学ぶ知識なんて、特定の分野以外は、そんなに役に立つものではないという気がする。 ちょっと、ホワイトカラー中心の範囲の狭い話になっているように思うかもしれないが、どのような職種であれ、普段の仕事の中での小さな改善が存在する。これも創造であり、誰にでも経験できることだし、そういうことの積み重ねは、時代がかわっても相変わらず必要なことだろう。そういう小さな改善の繰り返しの中からイノベーションが生まれることも多いと思う。こういう”改善”を成すには、内省的で物事を客観的に評価できることや、改善に対する意欲・意志といった資質が必要なのだが、学歴に関係なく、意外に備わっている人は少ないような気がする。 では、こういった能力は、一体どうすれば育つのか?どう考えても従来の偏差値教育だけで育つとは思えない。なので、ゆとり教育が駄目だからと言って、従来の偏差値教育に戻すことについては疑問がある。 近ごろ、学力低下が明らかになり、ゆとり教育が駄目だ、駄目だということばかり言われているが、今日本がおかれている状況を考えると、元に戻したところで、国力が高まるとは思えないし、基本方針をコロコロ変えてしまっては、現場も混乱するだろう。 そもそも、世界トップクラスの先進国である日本が、他の国と同じ基準で学力を測って、一喜一憂するのも、何だか寂しい感じがする。世界一の経済大国である米国は、平均的学力が決して高くなくないのに、あまり気にしていないように思える。 決まったことを正確にこなすことよりも、独創性、創造性のある人材を増やしたいなら、従来の基準で測る学力なんてたいした問題ではないはずなのだが、だからといって、何を鍛えたら良いのかわからないというのが、現状である。これが本当の問題ではないか? 僕は、基本スキルとして論理思考、クリティカル思考といったスキルを子供のうちから鍛える必要があるのではないかと思っている。これまで、日本のいろいろな会社の人と仕事をして感じることは、技術的で細かい事なら論理的に考えることができる人が、人間が関わる大局的な問題に関しては、非論理的に結論を出してしまう場合が多いように思う。(理系の人も)だから、論理思考と言っても、記号で表す論理学という世界よりも、より現実の社会や人間関係を題材にした実践的なトレーニングが必要だと思う。また、こういう思考力をコミュニケーションに活かせるよう、総合学習の中で、何か課題を与えワークショップを実施するのも良いのではないか?これは、国語の能力とも言えるし、数学の能力とも言える。総合学習ではなく新たな教科としても良いように思う。 以前、紹介した本であるが、例えば、この本の内容なんか、授業にしたら面白いと思う。 ■ロジカルシンキングと言えばビジネス系の本が多いのだが、■この本は、童話や漫画を使った例も多く、職業に関係なく面白く読める。京大式ロジカルシンキング 頭スッキリ!実践論理のスキルアップ( 著者: 逢沢明 | 出版社: サ...
2005.01.30
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近頃、また三国志に、はまっている。北方謙三の三国志を読み始めたり、吉川英治の三国志を読み返したり、両者を比べたりして楽しんでいる。僕は、「三国志演義」をベースにした吉川三国志しか知らなかったので、「正史 三国志」をベースにした北方三国志が、とても新鮮だ。北方三国志は、できるだけ史実に基づき、不明なところは、できるだけリアルに、そして心理描写を大切に書いているといった印象。三国志は、「魏(ぎ)」「呉(ご)」「蜀(しょく)」の三国の戦いの話であるが、吉川三国志の場合、漢の復興を目指す蜀の「劉備」や、その家臣が主役。逆に、北方三国志では、魏の支配者「曹操」が主役として描かれている。吉川三国志しか知らない僕は、北方三国志によって劉備、諸葛孔明、関羽、張飛といった蜀のヒーローが悪者扱いされていないか心配だったのだが、そんなことはない様子でホッとした。むしろ、より人間的に描かれており、感情移入できる。諸葛孔明は、吉川三国志のように神がかり的なスーパー軍師ではない。失敗したり、くよくよ悩んだり、泣いたり、とても人間的。史実の諸葛孔明は、どちらかというと軍事より政治的な面で才能を発揮した人のようだ。それはそれで凄い人物のようである。戦乱の中で魏・呉・蜀の三国の、どれが正義かは客観的に判断できないので、結局好き嫌いになる。では、どうして、天下統一の功労者である魏の曹操より、最も早く滅びてしまった蜀の劉備や諸葛孔明を正義とする「三国志演義」の方が大衆から支持されるのだろう?僕は、蜀に存在する「志」と「義」というものが一般大衆に共感しやすかったのだと思う。大国「魏」の曹操が、自分自身の野望を果たすため天才的な頭脳を駆使して戦略的に戦うのに対し、小国「蜀」は「漢王朝の復興」という共通のミッションのために、劉備、関羽、張飛の3人の義兄弟と軍師の諸葛孔明が、それぞれの持ち味を出し、チームプレーによって大国「魏」と善戦する。こういうところに大衆は共感するのではないか?(特に日本人は)義によって結ばれた「蜀」のヒーロー達の役割りは、それぞれ 劉備 ⇒ ミッション、ビジョンの人 諸葛孔明 ⇒ 戦略の人 関羽、張飛 ⇒ オペレーションの人(軍事の実行部隊)こう考えると、僕がこれまでの日記で書いてきた日本企業のあるべき姿(チームプレーによる知識創造)とダブる。どちらが勝るか? 魏 VS 蜀 天才 VS チームプレー(義) 私欲 VS ミッション(志)やはり僕は、「蜀」派なのか?そして多くの日本人も?あなたは、どっち派?三国志の結末は、魏・呉・蜀全て滅び、魏でクーデターを起した司馬懿が新王朝「晋」を作り、中国統一なのだから皮肉なものである。劉備は、志より義を選び、関羽、張飛の敵を討つため、出陣し、大敗する。そして最後に「漢王朝の復興」の志を諦め、孔明に国を譲ろうとする。孔明は、劉備との義と志を貫くため、それを断る。そして国政より魏との戦いを選び、司馬懿との持久戦に耐えることができず戦場で病死する。曹操も覇王の夢叶わず病死。魏は、天才曹操に代わる者はなく、家来の司馬懿とその一族に、その座を奪われてしまう。そして呉も滅ぶ。三国志は、叶わぬ夢を見ながら滅びていく切ない男達の物語なのだ。まあ、結局人間は死ぬんだけど、どうせ死ぬなら、良いミッションのために生きたいものだ。三国志(1の巻) 天狼の星 ( 著者: 北方謙三 | 出版社: 角川春樹事務所 )【楽天ブックス】吉川英治 三国志(1)
2005.01.28
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このところ僕の日記では、良い会社にするには?という命題に対して、シナジー、知識創造、人事評価、報酬、雇用などの問題を取り上げてきたのだが、そもそも良い会社とは、どんな会社か?について、十分説明していなかったように思う。良い会社、優良企業、一流企業とは?良い会社の認識も時代によって少しづつ変わってきている。日本の場合、バブル期は、資産を多く持っている会社が一流企業だと思われていたが、バブル崩壊後、米国の影響で、資産よりキャッシュフロー(お金の儲け)だろ?、企業は株主のものだろ?といった面が強調され、企業は、株主価値というものを重視するようになった。株主価値とは、いかに多くお金(現金)を儲け、多くの配当を株主に与えることができるか?といった意味。そんなことから、企業は、キャッシュフロー経営といって、お金の儲けを出すことを第一に考える経営に走った。要は、コスト削減、儲けに貢献しない事業、資産、従業員のカットのこと。しかし、21世紀になって、米国でエンロン事件など儲け主義に走り違法行為を行う経営者や、それを手助けする会計事務所の問題が起こり、企業をどうやって統治すれば良いのか?(コーポレート・ガバナンス)といった課題や、法律やルールを守ることの徹底(コンプライアンス経営)といった課題が問われるようになった。そして、地球環境に対する企業の責任も強く問われ出した。こうしたことから企業は、株主だけの顔色を見て経営していては駄目で、企業市民として社会に対する責任があり、社会的責任を果たし、更に社会貢献する企業こそが優良企業であるといった考え方が主流になってきた。この”企業の社会的責任”のことをCSR(Corporate Social Responsibility)という。これは米国から来た言葉だけれど、別に新しい概念ではない。日本企業も、これまで製品やサービスの提供、雇用の創出、税金の納付など社会に対してさまざまな貢献を果たしている。米国企業のように、儲からなくなったからといって簡単に首を切らないことも社会に対する貢献のひとつだ。CSRが従来より新しい点は、環境問題という新たな責任が重視されている点だろうか。企業は株主の持ち物で、株主の顔色だけ見ていれば良いという従来の米国企業の考え方とは異なり、企業は顧客、株主、従業員のほか、取引先、地域住民、求職者、投資家、金融機関、政府といった企業の関係者(ステークホルダー)も大切にし、関係者間の利害を調整する責任があるというのがCSRの考え方だ金融関係の人や、M&Aに関係している人は、”企業価値”という言葉をよく口にするが、これは企業が将来生み出すであろうキャッシュ(現金)の合計を現在価値に割り引いて算出した数値で企業の買収や株価の妥当性を判断する目的で使用されるものだが、もう、そういう数字だけでは企業の本当の価値というものを表せないということだろう。ただし、金融工学は常に発展するもので、企業の社会・環境パフォーマンスと財務パフォーマンスとの相関関係も、ある程度、研究されている。平成13年版通商白書によると、日本の情報関連産業10社の売上高営業利益率と環境格付との相関関係を比較した結果、環境格付けが高い企業ほど利益率も高くなる傾向があるようだ。この結果は、環境への取組みが収益面でもプラスに働いている可能性と、高収益で余裕のある企業ほど社会貢献に積極的で高い環境格付けを得ている可能性の、両面があるだろう。企業のキャッシュフローと環境格付との相関がわかれば、企業価値の考え方も変わるに違いない。消費者が、環境に配慮した商品を好めば、企業は、そのニーズに合った商品を積極的に開発し、その結果、環境が改善され、企業の収益率も高まるという良い循環が生まれる。まだ、研究段階なのでわからないが、いづれにしても、企業の目指すところは、人と同じように、悪いことをせず、ルールを守り、社会に対してちゃんと責任を持ち、お金持ちになったら、社会に貢献することだろう。それができれば一流企業として尊敬されるということだ。CSRマネジメント ステークホルダーとの共生と企業の社会的責任 ( 著者: 水尾順一 / 田中宏司 |...
2005.01.26
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昨夜、書斎で平原綾香の歌を聴きながら和んでいたら、何故か急に 何故、ハリウッドは三国志を映画化しないのだろう? 三国志の映画を見てみたい。と思いついたので、情報がないかGoogleで検索してみた。”三国志 映画化”で検索したところ、なんと本当に映画化されることがわかった! 情報源は、以下の通り 歴史サーチNEWS ( http://rekishi.ameblo.jp/entry-ae005c1f9e763fc6de055a9e3b647242.html ) 三国志といっても、半世紀にわたる長い長い物語なので、これを一本の映画にすることはできない。今回、映画化されるのは、かの有名な「赤壁の戦い」(The Battle of Red Cliff )赤壁の戦い(せきへきのたたかい)は、西暦208年、中国三国時代に、大国である魏の曹操の軍と、蜀の劉備・呉の孫権連合軍の間で、長江の赤壁で起きた戦い。我がヒーロー「諸葛孔明」の活躍により連合軍側の勝利で終わり、曹操の天下統一の野望は頓挫するというお話。 監督が、あのジョン・ウー。配役は上記WEBサイトによると、諸葛孔明がトニー・レオン、周瑜がジェット・リー、大喬・小喬姉妹がコン・リー、チャン・ツィーイーらしい。(超豪華!)しかし、その後、他のサイトを見たら、日本語サイトはブログで繰り広げられる噂話ばかりで、ペ・ヨンジュンが出演するとか、竹之内豊が曹操を演じるとか、アニマル浜口が張飛をやるとか、どれを信じて良いのかわからなくなった。僕が見つけた日本語サイトで最も信憑性があるのは、エイガ・ドット・コムの、この記事。http://www.eiga.com/buzz/040817/10.shtmlしかし、情報は古い。昨年8月の情報。チョウ・ユンファが主役のようだ。劉備を演じるのだろうか?面倒だけど海外のサイトを、いろいろ調べたら、どうも撮影は、これからで、公開は2007年になるらしい。(確かな情報があったら教えてください)ずっと先だなぁ...がっかり。映画はやはり派手で迫力があった方が良い。「男たちの挽歌」、「FACE/OFF」、「ミッション・インポシブル2」などで、今や押しも押されぬハリウッドの巨匠、“バイオレンスの詩人”ジョン・ウーが作る三国志は期待できる。しかし、三国志は、英語で「ROMANCE OF THE THREE KINGDOMS」本質は人間ドラマである。英雄達、それぞれの想いをどのように描くのか?感動作になってくれたら良いが...ところで、三国志は、大別すると「正史 三国志」と「三国志演義」の2種類がある。「正史 三国志」は、晋の時代の陳寿という人物が書いた。「三国志演義」の方は、それよりずっと後の明の時代に羅貫中が書いた。「正史 三国志」の方が史実に基づいており、「三国志演義」は、庶民が楽しめるよう面白く脚色しているようだ。世界的に「三国志演義」の方がメジャーで、日本では吉川英治の小説や横山光輝の漫画は「三国志演義」に基づいて作られている。ジョン・ウーの映画は、まだわからないが、赤壁の戦いを取り上げるところを見ると、やはり「三国志演義」をベースにしているのだろう。しかし、三国志マニアの中では「正史 三国志」が支持されてようだ。「正史 三国志」をベースにした小説としては、北方 謙三が書いた小説「三国志」がある。両者の大きな違いは、「三国志演義」の方は蜀の劉備が正義の味方で主役、魏の曹操が悪者。逆に「正史 三国志」の方は、魏の曹操の方が主役らしい。この世の歴史上の出来事は、見方によって善か悪か180度変わってしまう。僕は、吉川英治、横山光輝の三国志しか知らないので、三国志マニアから見るとミーハーらしい。僕の場合、吉川英治の小説の感動を忘れたくないし、横山光輝の漫画に出てくる登場人物のイメージを壊したくないので「正史 三国志」の方をずっと避けてきたのだが、書評を読むと、「正史 三国志」に基づいた北方 謙三の「三国志」もなかなか良さそうだ。ハードボイルド作家北方謙三が書いた三国志なら、きっと男の美学を追及した、かっこいい三国志なんだろうなぁ。孫子を完成させたと言われる大戦略家 曹操についてもっと知りたいし...読みたくなってきた。今日、買いにいこう!三国志(1の巻) 天狼の星 ( 著者: 北方謙三 | 出版社: 角川春樹事務所 )
2005.01.25
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高業績をあげる強い会社とは、どんな会社だろうか? きっと会社のミッションが会社全体に浸透し、経営トップがしっかりしたビジョンを持ち、社員が、それを信じ、実現に向けて、個々の能力を惜しみ無く仕事に注ぎ込むことができる会社だろう。 どうすれば、こういう会社になるのか?ミッションやビジョンというのは、戦略とは異なり、そう簡単に変更されるものではない。10年後、20年後といった長期的な視点で設定されるものである。 社員が、会社のミッションやビジョンに呼応するには、自分自身の10年後、20年後といった長期的な見通しとダブらなければならないと思う。その会社での自分の処遇が不安定だったら、どうだろうか?評価期間によって自分の評価が不安定で、評価と連動して給料も不安定だったら?評価によってはリストラの危機にさらされるとしたら? 殆どの人は、まず、自分自身の生き残りを考えるはずだ。自分自身や家族が、ちゃんと生活していけるのかどうか? この見通しがたっていなければ、会社のミッションやビジョンを考える余裕はないだろう。業績の上がらない社員が解雇されたり、退職勧告されたりする姿を見れば、よほど優秀な社員でない限り、いずれ我が身も?という危機感が募るだろう。そうなれば、多くの社員は、部下や後輩の育成のことや、その会社独自の技術やノウハウの習得よりも、転職に有利な資格の取得に走り、会社として好ましい行動をとるとは思えない。僕は、社員の処遇を安定させることが、会社のミッションやビジョンに社員が呼応することの前提条件ではないかと思う。それでは次に、会社のミッションやビジョンの実現に向けて、社員の仕事のパフォーマンスを向上させるには、どうすればよいのだろう?人は、どんなときに仕事に熱中し、最高のパフォーマンスを発揮するのだろうか? 僕の場合、コンサルティングという仕事をしているのだが、コンサルティングと言っても、経営戦略、人事、業務改善、システムなど、いろんな分野がある。また、対象とする顧客企業の業種は、金融、製造、流通、公共など様々である。従って、これらすべての分野に精通することは天才でない限り難しい。僕の場合、金融・財務系の業務やシステムの構想・計画策定が得意分野であるが、やはり、自分の得意分野において、クライアントから期待され、その課題の難易度が高いときに、最も仕事に集中し、高いパフォーマンスを発揮しているのではないかと思う。こういう傾向は僕に限ったことではなく、誰でも同じではないかと思う。つまり、自分が価値を置く自分のスキルに、他人が期待し、そして、その期待に自分が応えられると信じ、そして期待に応える。こういう過程において人間は集中し、自分の能力を最大限に発揮するのではないか?こういうシチュエーションをいかに多く社員に提供するかということが会社にとって重要だと思う。では、このために成果主義の評価制度が役にたつであろうか?ちなみに僕の会社は、日本企業としては極めて成果主義の色が強い会社である。特に米国のコンサルティングファームと提携してから評価制度は成果主義に大きく傾いた。いろいろな評価項目を数値化し、その数値によって、かなり報酬に差が出てくる。新入社員と経営トップとの間には年収で20倍以上の差がある。短期間であっても”売り上げ”という”成果”がでない社員は、解雇とまではいかないが、非常に低い評価になり、連動してボーナスも低くなり、会社にいることが苦痛になり、どんどん会社を辞めていく。僕は、長年地道に培ってきたビジネスが成長を続けているので、そういう辛い思いは、まだ、したことがない。その間に成果主義が強化されたわけだが、成果主義が、僕のビジネスの成功に何か刺激になったかと言われても、何もないというのが正直な答えである。成果主義の色が強くなって、自分自身、やる気が沸いてくるようなことは、まったく無かったし、今も無い。評価の数値を信用することができないからだ。僕の場合、長年同じ上司と仕事をしているのであるが、上司がいくら僕を評価しても、成果主義による全体の評価調整の中で、個人の売り上げ高に応じて評価は調整される。ビジネス成功のため種を蒔いていた時期(つまり営業活動を活発に行なっても、売り上げが伴っていない時期)は低く評価され、そのビジネスが開花し、売り上げが上がれば、楽していても評価は高くなる。本来、期間評価とは、結果に繋がった行動をとった期間を対象に評価すべきなのに、そうならない。僕の場合、担当者が変わらないから、自分が納得すれば良い話だが、評価制度そのものに問題があることには変わりない。もし、担当者が変わっていたら、宝くじのように得する人もいれば損する人もいる。期間評価の精度をいくら高めたところで限界がある。僕の仕事はクライアントサービスであるから、クライアントに提供した価値の度合いで評価されるべきだと考えるが、その価値を、いつ、どのように測定すべきか?自分の提案が、いくらクライアントに受けて、高く評価されたとしても、本当にクライアントにとって、その提案が良かったかどうかは数年経たなければわからないことが多い。(業務を改善して、どれだけの効果があったのか?システムを導入して、どれだけ効果があったのか?など)結局、本当の評価は、長い年月を振り返ってみないと、誰も、わからないのである。こういうことを考えていくと、半年や一年毎に行なう評価が、どれだけ意味のあることなのか?それによって大きく報酬に差を付けて良いのか?疑問がでてくる。これは僕個人の経験に基いた感想なので、他の人の境遇とは異なると思うかもしれない。人によっては、非常に単純な仕事で、上司から見て、その優劣は明らかである場合もあるかもしれない。しかし、そういう仕事は、そもそも報酬に大差がつくのか?と思うのである。本当にミッションやビジョンを実現することを真剣に考えている会社であれば、そういう不正確な短期の評価に社員を一喜一憂させるよりも、社員に長期の雇用を約束し、長期間の功労により社員を評価することを考えるのではないか?ということは、従来の日本の終身雇用制、年功序列が米国的な成果主義より優れているのではないか?終身雇用制については、かなり確信に近づいている。年功序列については、まだ、わからないが、長期間の功労を、どのように報いてあげるか?に対するひとつの答えかもしれない。
2005.01.23
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人事評価は、企業がミッションやビジョンを実現するため、従業員が、やる気を起こし、組織全体の生産性や創造性を高めることに、つながっていかなければならないと思う。僕は、個人プレーより、チームプレーの方が組織全体の生産性や創造性を高めるので、共同作業をしやすい組織や環境を作ることが重要だと考えている。従って、評価制度も、これに合わせて考える必要があると思う。では、どんな評価制度が良いのだろうか?評価は報酬に結び付くが、報酬といっても、いろいろな形がある。金銭、昇格、魅力ある新しい仕事、表彰、賞賛...この中でも、すぐ目がいってしまうのは金銭だが、金銭は限りがあるので、どうしても相対評価により配分しなければならない。しかし、個人の期間業績が明確に表れる仕事であれば良いが、企業内の仕事の殆どは、共同作業によるものだから、誰かが、その貢献度を評価しなければならない。先進的な会社の中には、同僚が評価する会社もあるようだが、殆どの企業の場合、上司になると思う。いずれにしても、結局、人が評価するわけだから主観が入ってしまう。誰もが認める優等生や劣等生であれば、はっきりしているのだが、殆どの人は、なかなか優劣をつけにくいというのが実態ではないか?特に、これからの知識社会は、専門が異なる人達が集まってプロジェクトチームを編成することが増えていくだろうが、被評価者の職務が異なれば、相対的な優劣はつけにくくなるし、評価者自身のバックグランドや価値感が異なれば、同じ被評価者であっても、評価が大きく変わるだろう。こういう事情があるにもかかわらず、金銭報酬に大差がつく相対評価を行なったら、どうなるだろうか?やはり、お金には魔力がある。従業員は、評価のことを非常に気にするようになるし、地道に努力しているにもかかわらず、評価者が変わる度に自分の評価が大きく変わると、評価制度そのものに疑問を感じるだろう。終身雇用を廃止した会社であれば、その評価によって自分の処遇が大きく左右されるから、従業員は、将来を不安視し、目先の評価ばかり気にするか、逆に、転職を意識し、会社の仕事には直結しない勉強に励むか、いずれにしても、刹那的な考え方が身についてしまう。本来、評価制度は、企業のミッションやビジョンを実現するためにあるものなのに、これでは、台無しである。評価というものは、いくら仕組を工夫したところで、結局、人がするものであるから必ず不満がでてくる。評価によって給料やボーナスに大差をつけると、その不満は増大する。もし、相対評価が、少数の勝ち組と大多数の負け組になるよう分布させた場合、大多数が不満を持つことになる。そういう状況で果たしてチームプレーによる創造的な活動を行うことができるのだろうか?僕は、評価制度には限界があり、それだけで従業員のモチベーションを上げることはできないと思う。だから、金銭的な報酬に大差が付く評価制度は反対である。誰もが認める優等生や劣等生は、ある程度、差をつけて良いと思うが、その他大半の人に対して大差をつけてはいけないと思う。では、どうすれば良いか?次回の日記で書こうと思う。つづく
2005.01.22
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このところ、日記で、青色発光ダイオード訴訟などの問題を通して、社会や企業の在り方について考えている。良い社会の定義は人によって違うと思うが、少なくとも民主主義の国であれば、大半の人が幸せと感じ、すべての人が最低限の生活を保証される社会であろう。良い企業は、社会に貢献する商品・サービスを提供し、多くの従業員を雇用し、雇用を維持し、従業員がいきいきと仕事をし、ちゃんと利益を出し、株主に配当できる企業だろう。多くの従業員がいきいきと仕事をすることは、企業の競争力を増すだけでなく、企業の社会貢献にもつながる。世の中には、いろいろな社会や企業があるが、いずれにしても人の集まりだから、当然、それぞれ共通のミッションやビジョンがあるだろう。それは上記の社会や企業の在り方を、より具体化したものになるだろう。良い社会、良い企業を実現する上で、人の評価の在り方というのも重要な課題である。組織の力は、個人の力を結集することによって発揮される訳だから、個人も、組織と同様に目標を設定し、目標に対して、どれだけ成果が上がったかを評価し、課題を明らかにし、次なる目標を設定し、改善の努力をすることで進歩していく。人は、自分の仕事を他人から評価してもらいたいという欲求があるし、高く評価され、高い報酬をもらいたいという欲求もある。こういう欲求を仕事への動機づけにしていくためにも評価は必要だ。勿論、組織のミッションやビジョンを実現する上で貢献した人を高く評価し、努力が足りない人を低く評価し反省させることは重要だ。しかし、 評価の差をどこまで広げるか、分布をどうすべきか? 評価に対する報酬の形をどうするか?(金銭?、名誉?...)は議論が必要だと思う。評価制度はあくまで、組織のミッションやビジョンを実現するためにあるもので、ミッションやビジョンと整合性がなければならない。評価制度が組織のミッションやビジョンを実現する上で非効率であれば、それは見直す必要がある。少数の勝ち組と大多数の負け組を作った方が良いのか?それとも平均点に集中させるのか?どのような分布にするとミッションやビジョンを実現する上で最適なのか?これはバランスの問題なので0か1かといった明確な答えは、出てこないと思う。どういうバランスにするかは、各々の組織の文化や構成員の価値感をよく見極める必要がある。ただ、大まかな方向性については議論はできるのではないかと思う。次回の日記で、僕の仮説を書こうと思う。つづく。
2005.01.20
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前回の日記の中で、・GIVE&TAKEのマッチングによりシナジーが生まれ、共存共栄社会が実現する。・GIVE&TAKEは金銭だけでなく心理的な面も含まれる。というお話をした。抽象的でわかりにくく感じるかもしれないが、別に難しいことではなく、ごく当たり前のことを言っているだけ。例えば、お金持ちがボランティアに寄付し、世間は、その行為を称賛する。お金持ちは名誉欲を満たし、ボランティア活動が活発化し、恵まれない人達が救われる。人々が環境問題に興味を持ち、企業は環境に配慮した商品を開発し、企業は利益を出し、環境は改善され、未来を生きる子供たちが救われる。それぞれGIVE&TAKEのマッチングによりシナジーが生まれ、皆が幸せになる。(WIN-WIN)そういうこと。別に自分が犠牲にならなくても良いことは沢山できる。ではボランティアの人はどうなのか?GIVE&TAKEは、何も金銭が絡んだものだけではない。人には自己実現の欲求や名誉に対する欲求がある。お金は、これらの欲求を満たす手段のひとつに過ぎない。例えば、イラクで人質となった高遠菜穂子さん。ストリート・チルドレンの自立支援を行っている。僕は、とても良いことをしていると思う。彼女がイラクの子供たちの悲惨な状況を見て、いてもたってもいられないという気持ち、何とかしたいという欲求。子供達は生存の欲求を満たしたい。そして、それを見てボランティアに共感し、ボランティア活動を支援する人。彼女や子供達の欲求を満たし、更にその和が広がる。これもGIVE&TAKE → シナジーだ。しかし、彼女に対する世間の評価はニ分しているようだ。彼女を女神のように崇拝する人もいれば、一方、何故少年ばかりを支援するだとか、何かの依存症だとか批判する人もいる。僕はどちらでもないと思う。以前、テレビ東京でザ・ヒューマンDという番組に彼女が出演していたけど、とても正直で優しい女性だと感じた。人質の後遺症で苦しんでいるところを見ると、悟りを開いている訳でもなく、やはり、弱い面も持つ、ひとりの人間だ。人間は所詮、人間。できることに限りがある。イラクの支援をしている間に、アフリカの難民が死んでいく。新潟中越地震やスマトラ沖地震だって支援が必要だけど人間ひとりで解決できることではない。彼女が、イラクの子供たちを救いたいと思った、その主観は大切にすべきことだし、素晴らしいことだと思う。万が一、それが、少年に偏っていたとしても同じ。人間は神様ではない。それによって多くの子供が救われているではないか。課題は、こういったGIVE&TAKEのマッチングを増やし、シナジーを増やしていくこと。そうすれば良い社会になる。インターネットも弊害ばかり言われているが、こういうGIVE&TAKEのマッチングに有効な手段だし、もっと有効活用する方向で考えていけば良いと思う。問題なのは、何でもかんでもネガティブに考え、価値のない批判に時間を費やしている人。少年ばかり何故救うと批判するのであれば、自分が少女を救えば良いではないか?この負の欲求を他人に被害を及ぼさないように解消することも、GIVE&TAKEのマッチングで可能かもしれない。探ってみようか?
2005.01.19
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前回の日記で神戸製鋼の復活劇について書いた。社員全員がどん底から必死にはい上がろうと一心不乱に頑張る姿は感動するし、それをささえる強い意志は心から尊敬する。また、スキルより意志が大切、共通の意志を持った組織がいかに強いかということを学んだ。(この”意志”を”使命”に置き換えれば、これまで僕が書いてきたことに通ずることがわかると思う。)僕は、こういった精神は日本人のDNAであり、もし、日本が落ちぶれていっても、数十年の周期ではきっと復活するのではないか?と希望が沸いてきた。しかし、この成功例を僕のブログのテーマの結論にするつもりはない。神戸製鋼の場合、会社自体が窮地に追い込まれていたので仕方がないが、「背水の陣」は、あくまで最後の手段。できれば試練は味わいたくない。孫子的に言えば、戦いはしないに越したことは無い。つまり、問題は未然に防ぐことを、まず考えるべきだ。ところで、今年も思いつきで日記をだらだら書いてきたため、このブログで何が言いたいのかわかりにくくなってきているように思う。なので、今日は、僕自身の考え方や何を目指しているか、整理したいと思う。まず、僕の価値観について整理したい。(1)自分や家族が幸せになること 自分の志と家族とのコミットメントを大切にする(2)友人やお世話になっている人が幸せになること 何が良いかは人によって違うだろうが、 親しい人が、それぞれ幸せと感じること (3)日本が良い社会になること 何が良いかは人によって違うだろうが、 できる限り多くの日本人が幸せと感じること(4)持続可能で平和で差別のない世界になること 戦争・テロが無くなること 持続できる地球環境 人権の尊重、すべての人が飢えから解放される 何が良いかは人によって違うだろうが、 世界中の人々が、それぞれ幸せと感じることこれを実現するには?(完璧なんてありえないので、できるだけ近づけるという意味)(1)~(4)は、相互依存・相互補完の関係にあり、うまくGIVE&TAKEすることによりシナジー(1+1=2+α)が生まれ、発展する。GIVE&TAKEは金銭だけでなく心理的な面も含まれる。GIVE&TAKEのマッチング機会を増やし、効率を高めること、そして、+αをできる限り大きくすることでシナジーの総量は最大化し、共存共栄社会が実現する。では具体的にどうすれば良いか?これがブログの広義のテーマである。いまのところ、僕の仮説は以下のとおり。まず、生存の欲求など低段階の欲求を満たすことが人の幸せの第一歩。やはり物質的に豊かであることは重要。そのためには社会主義は駄目で、いまのところ資本主義が唯一の答え。経済は社会を良くするためのシステムでなければならない。企業間の競争により文明は発展し、豊かな社会が実現する。どうすれば企業は強くなるのか?個人より組織的知識創造を重視した方が良い。従え!ではなく、主体性重視のマネージメントが有効。(心理学的アプローチが必要)これを実践した企業は強くなり、そういう企業が増えれば文明は発展する。競争のルールはフェアであることとバランスが大切。規制か放任かは、社会の在り方を考慮した上で判断する必要がある。放っておけば最適化されると考える学者もいるが、最適化するまで待っているのか?人間はモルモットではない。少数の勝ち組と大多数の負け組で構成される社会は暗い社会。本人が幸せと感じるレベルをはるかに超える富は必要なのか?取り返しがつかない程、ズタズタになる敗北を味わう人を増やして良いのか?敗者復活戦が約束される仕組みが必要少数の勝ち組と大多数の負け組で構成される社会は、結局誰も幸せになれないのではないか?僕は学生の頃、モノポリーというゲームにはまっていたのだが、毎週、友人とやっていたら、うんざりしてきたので止めてしまった。何時間もかけて資産を獲得したり、売買したり、損したりして、結局、ひとりだけが富みのすべてを手にするゲームだ。勝った瞬間うれしいが、負けた他の参加者が疲れてぐったりしている表情を見ていると何だか暗くなり時間の無駄のような気がしてきたからだ。まあ、ゲームと割り切って楽しめば問題ないのだが...まだ、言い足りないこともあるが、とりあえず、こういった仮説が正しいのか?僕なりに調べたり、この仮説をさらに発展させていき、真実味のあるものにしていきたいと考えている。まぁ答えが、でるかどうかわからないけど、仕事には直結しない趣味のようなものなので、気楽にやっていこうと思う。
2005.01.18
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1月16日のサンデープロジェクト(TV朝日)で興味深い特集をやっていた。タイトルは、「ものづくり震災編・神戸製鋼 自力復活への道」スキルより意思が大切、これを象徴する会社の復活劇を特集したもの。バブル崩壊後の構造不況に苦しむ神戸製鋼。ときは1995年1月。ラグビー日本選手権で優勝し7連覇達成。朗報が伝わって、僅か2日後、阪神大震災が神戸製鋼を襲う。高炉は24時間動かし続けなければいけないのだが、その高炉が止まってしまった。これは前代未聞の事態。神戸製鋼が得意としていた線材が作れなくなった。何をして良いかわからない。お客様に材料を届けることが一番大事。成分表などの企業秘密をライバル会社に提供する。苦渋の決断だった。3ヶ月内に復旧ができなければ会社は終わる。経営トップは考えた。1000人を超える従業員の家が全半壊しかし、全員が出社して復旧作業、頑張った。崖っぷちの中、なんとか会社を存続させたいと従業員達は、必死に働いた。そして止まっていた高炉に再び火がともった。しかし、それでも会社の危機は変わらなかった。阪神大震災による神戸製鋼の被害額は1000億円。鉄鋼メーカー最大の被害。どうしていくんだ?トップは悩む。そして、新たな事業の参入を決断。電力事業である。自家発電し、電力を電力会社に売る事業。予算規模は2000億円を超える。失敗は許されない。経営トップは、これに社運をかける。担当者は必死に頑張った。そして関西電力の入札が始まった。ライバルの鉄鋼メーカーを含む29社が名乗りを上げた。結果は神戸製鋼に微笑んだ。最大の決め手は価格。また、70万キロワットの入札枠に対し、他社がリスクを恐れ、少量のワット数しか提示できなかったところ神戸製鋼だけが70万キロワットに近い提案をした。神戸製鋼は、以前から積極的に自家発電に取り組んできた。そのノウハウが生かされたのだ。この事業は、15年連続100億円(利益率17%)の利益を約束するもの。これは神戸製鋼本体が過去7年間に上げた利益にほぼ匹敵。非常に重い数字だ。現在、神戸市の7割の電力は、神戸製鋼が供給している。こうして新たな事業に成功した神戸製鋼だが、間もなく、もうひとつの荒波に襲われる。ゴーンショックだ。日産のゴーン社長が打ち出した部品調達先を絞り、コストを低下させる戦略。すべての製鉄所は値下げ競争に巻き込まれ利益率が落ち込み苦しんだ。特に神戸製鋼の落ち込みが激しかった。神戸製鋼の株価は40円代に下落。また、会社存続の危機が訪れた。しかし、神戸製鋼が長く培ってきたハイテン鋼の技術に光が当たり、何とか切り抜ける。そして中国特需の追い風に乗り、過去最高益を計上。神戸製鋼は完全復活した。阪神大震災、あれから10年、神戸製鋼の社員は一心不乱に走り続けてきた。経営トップふたりがこう語っていたのが印象的だった。「本当に目標・目的をみんなが共有して、ひとつの方向に向かって進みだしたら、凄い、恐ろしいパワーを人間は発揮するなと実感した。いろいろ悩みながら今日の神戸製鋼のいろいろなものにつながっている。」震災がなかったら今の神戸製鋼はあったか?との質問に対して、「変わっていたでしょうね。震災があって、ここまで貶められ、退路はたたれている。間違いはゆるされない。こういう気持ちが神戸製鋼のトップマネージメントと社員全体に漲っていた。このことを忘れてはいけない。」孫子(そんし)の言葉に「兵士たちは危険な目におちいってはじめて、真剣に勝負する気持ちになる」というのがある。一言で言うと「背水の陣」。しかし、神戸製鋼の場合、この格言だけでは言い表せない”意思”というものを感じる。長年、危機状態が続き、長年、頑張り続けたのだから凄い。僕は、前回の日記で日本の将来に対する不安について書いたが、この番組を見て少し希望が沸いてきた。日本は、明治維新、太平洋戦争、数々の困難から復活してきた。この神戸製鋼の例も日本人が土壇場に強いことを物語っている。日本は島国。攻められても逃げ場がない。これは中国と対照的。日本人は、何か問題があると全員が結束して頑張る性質が強いのではないかと思う。神戸製鋼の場合も、欧米大手企業のような事業リスク管理を合理的に行なっている企業にはない精神を感じた。これがいわゆる”サムライ・スピリット”なのだろうか?おそらくこの先、日本は、試練の時代に入ると思うが、この精神があれば大丈夫だろう!だけど、できれば試練の時代になる前に対処したい。誰も敢えて辛い思いはしたくないはずだ。今の日本は一見、危機には見えないところが怖い気がする...
2005.01.17
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近頃、インドのIT企業と付き合っている。彼らに任せれば、日本の5分の一から10分の一のコストで高度な業務システムができてしまう。しかも、最新のテクノロジーを駆使しており、生産性が高い。ビジネスは勝たなければならないから、日本企業より外国企業と組んだ方が勝算があれば、外国企業を選ぶのは当然のこと。それが資本主義。しかし、ひとりの日本人として、この先、日本の情報処理産業はどうなっていくのだろう?と心配してしまう。グローバル経済の中で、もの作りでは中国、情報処理はインドが台頭している。共に10億人以上の人口。賃金レベルは、日本の5~10分の一。同じ人間。個人の知能レベルは日本人と殆ど変わりない。グローバル経済の中で、日本は、どうすれば今の地位を保っていけるのか?もの作りやシステムやビジネスのアイディアを提供する知力国家を目指すと言っても、日本国民の中で、ひとりで国際競争力のあるアイディアを生み出す人は何割いるのだろうか?そういうことを考えると日本は、森永卓郎が言っているような、ほんの一握りの金持ち階級と圧倒的多数の低所得層で成り立つ社会に、近い将来なっていくのではないかという不安がよぎる。僕は、前の日記で書いたとおり、日本人の「組織的知識創造」の能力に希望を持っている。「組織的知識創造」とは、ひとりの天才に頼るのではなく、仲間がチームプレー(共同作業)により、新技術や新製品を生み出すこと。これは高度経済成長期の日本の強さの秘訣だったはずだ。しかし、米国型グローバリゼーションとやらの悪い影響で、どうも日本人自体、個人主義に走り、それを否定する方向に動いているのではないかと心配している。最近気になっていることは、日本人の多くが、少数の勝ち組と大多数の負け組で成り立つ社会を容認しているのではないか?ということ。(ここで言う勝ち負けとは金銭的な富の面)つまり米国型の社会を良しとする考え方。 自分は勝ち組に入れると信じている人が多いのだろうか?前々回の日記では、青色発光ダイオード裁判の和解金8億万円が安過ぎるという意見が殆どだったが、ではいくらが妥当と考えている人が多いのだろうか?200億円が適正だと考えることは、徹底した成果主義、つまり米国型社会を良しと考えることと、いっしょではないか?もし、200億円(ひとりの貢献度が50%)で決着した場合、今後の企業経営に、どういう影響を与えるのだろうか?この裁判は、おそらく今後の特許発明の貢献度評価の基準になっていくと思われるが、発明者の貢献度を50%と評価する場合、企業経営に大きなダメージを与えるので、この前提で企業が研究開発を進めるならば、製品の価格をつり上げるか、コストを削減するか、なんらかの対策が必要になるだろう。それは、得意先、仕入先、株主、経営者、従業員などの企業関係者の中で、利害の調整が必要ということ。例えば、 (1)製品価格を上げる場合 → 得意先が困るし、最終製品の負担者である消費者や納税者も困る (2)原価を抑える場合 → 仕入れ先が困る (3)利益が減る場合 → 株主が困る (4)役員報酬を下げる場合 → 経営者が困る (5)全体の給与水準を下げる場合 → 従業員が困る 必ず誰かが困ることになるのだが、(1)から(3)は、外部との調整が必要で面倒になるし、日本企業の場合、(4)の役員報酬はたかがしれているので、一番手っ取り早いのは(5)だろう。やり方としては、成功報酬の割合を高め、給料のベースを下げることが考えられる。そうなると、企業内で少数の勝ち組と大多数の負け組が生まれる。 果たして、これが、社会や産業発展のために良いことなのか?勿論、日本企業の社員に対す発明の報酬は少なすぎた。だから、発明することのモチベーションを上げるために、もっと報酬を増やすべきだろう。しかし、ひとり勝ちにすることは、意味があることなのだろうか?報酬が多ければ多い程、天才は意欲を出し、優れた発明をするのだろうか?心理学者のマズローは、「人は物質的に豊かになり精神的にも成熟してくると、金銭的報酬の重要性は低下し、より高次の報酬(メタ報酬)の重要性が高まる。金銭的報酬が相変わらず重視されているように見える場合もあるが、それは、愛や賞賛や尊敬を勝ち取ることができる地位、成功、自尊心の象徴として重視されることが多い」と言っている。天才に必要以上の報酬を与えるより、地味だけど真面目に働く大勢の人が、やる気を起こすように報酬を分け与えた方が企業にとっても社会にとっても良いのではないか?僕は、日本には日本に合った社会や企業の姿があると思う。僕は、自分が子供だった高度経済成長期の昭和40年代の日本が、収入の格差は少なく、階級や差別も少なく、全員が未来に希望を持ち、一番幸せな国だったと思う。もう、このような社会は幻想なのだろうか? 夢を捨てないのであれば、かつて日本のお家芸であった組織的知識創造を復活させ連続的な技術革新を生まなければならない。しかし、今は昔と条件が違う。高度経済成長期は、今より生活レベルが低くても、経済は成長し将来の生活は更に良くなるという確信があったのでサラリーマンは仕事に没頭できた。今の多くのサラリーマンは、将来の不安、目先の損得、勝ち負けばかり気にして仲間と協力して何かを成し遂げようとする精神が薄れてしまっているように思う。米国型企業は、報酬が多い人ほど結果を早く求められる。結果がでないと去るしかない。高収入でありながら、マズローが言う生存の欲求すら満たしていない人が多い。生存の欲求が満たされなければ、ひたすら金銭を追い求めていくしかない。そんな企業が日本に増えないでほしいと僕は願う。
2005.01.15
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前回の日記で、青色発光ダイオード裁判の和解金8億万円が高いか、安いか?というテーマを取り上げたところ、いろいろなコメントを頂き、考えさせられる事が多々あったので、もう少し突っ込んで書いてみようと思う。もともと特許という制度は、産業の発展を促進させることが目的である。そして、産業の発展は、より良い社会を作ることが目的である。従って、こういった目的を達成するため、どのように社会、発明家、企業関係者等の間で利益調整を行なうか?といった観点で、この結果の良し悪しを議論すべきだろう。まず、どうすれば産業が発展し、豊かで望ましい社会になるか?を考える必要がある。産業の発展のためには、以下のどちらを重視すべきか? (a)天才ひとりの成果 (b)組織的な共同作業による成果僕は、後者だと思う。産業が安定して発展するには、連続的に技術革新が起こる必要がある。偶然に天才が出現することを待っていては、連続的に技術革新など起こりはしない。だから、企業という商品開発を組織的に行なう基盤が必要であり、技術革新を起こすためのマネージメントが必要なのである。では、企業が天才を雇い、個別に、自由に研究させれば良いのでは?といった考え方もあるだろう。しかし、それでは人口の多いアメリカ、中国、インドが確率的に天才の数も多いだろうから、日本の勝ち目はない。でも、まだ日本の経済の方が中国、インドより上。それは、戦後、日本の製造企業が連続的に技術革新に成功し、経済を発展させたからであり、まだ、その貯金があるからだ。では、何故、日本の自動車や家電メーカーなどの製造企業が国際社会のなかで成功したのか?それは、日本の製造企業の組織的な知識創造の技術・技能が優れていたからに他ない。戦後の不確実な時代、日本の製造企業は、外部から必死に情報を収集し、組織内で広く情報共有し、組織的な共同作業により、新技術・新製品を生み出した。知は共有するものであり、独り占めにするものではないという文化があった。この文化は、日本の製造企業の中で暗黙のうちに成り立っていたのだが、その後、欧米企業が技術革新に行き詰まり、日本を見習い、研究したのである。組織的知識創造は、もともと日本のお家芸であり、世界に誇るべきノウハウだったのだ。それなのに、個人に頼った欧米流の古いやり方を見習う必要があるのだろうか?それでは、ゆとり教育と同じ結果になってしまうのではないか?この考え方については、野中郁次郎氏(一橋大学院教授)の知識創造企業という本に影響を受けているので、詳細は、この本を読でほしい。(残念ながら楽天BOOKSには無い。この内容についても今後、日記で取り上げていきたい)こうしたことから、日本の場合、組織的な共同作業による成果が生まれることを目指すべきであり、その考え方に整合する貢献度評価の仕組みが必要だ。ひとり勝ちの評価は、組織的な共同作業の妨げになるので好ましくない。今、問題なのは、企業内特許発明の貢献度評価の基準が確立されていないということ。その評価の基準が欧米と違っても、それは国策の違いというだけ。何でも欧米流のやり方を常識とすべきではないと思う。誤解しないでほしいのは、僕も、これまでの日本の企業内発明は、発明者の貢献度評価・報酬が余りにも低く、今回の中村教授が起こした裁判の意義は大きいと考えていること。ただ、その貢献度評価の基準は、国策であるから日本には日本のやり方があり、欧米に合わせる必要はないということ。あと、企業と社員の対立のような意見が多いが、それは正確に言うと間違いだと思う。対立しているのは、企業ではなく、企業を自分勝手に支配する一部の経営者、大株主。こいつらが悪いことばかりやっている。本来、企業は皆のものなのだ。■イノベーションの本質 ( 著者: 野中郁次郎 / 勝見明 | 出版社: 日経BP社/日経BP出版センター )野中郁次郎氏は、日本のビジネスマンの知恵と、日本企業に宿る伝統の「型」が融合したところに「知識創造」の源泉があると指摘。米国発のマネジメント手法ばかりに頼るなと訴える。
2005.01.13
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青色発光ダイオードを開発した米カリフォルニア大中村修二教授が、勤務していた日亜化学工業を相手に、譲渡した特許権の対価を求めた訴訟は一審東京地裁で過去最高の200億円の支払いを命じ、日亜側が控訴していたが、11日、東京高裁で、日亜側が中村氏に8億4391万円を支払うことで和解が成立した。この和解金8億円は高いか?安いか?あなたはどう思う?僕は200億は高すぎる。その10分の1の20億程度が妥当だと思っていたので、今回の和解金8億はちょっと少なすぎるのかな?と思った。僕は数年前、ビジネスモデル特許の調査をしたことがあるのだが、そのとき、日本企業の社員に対する特許発明の報酬は一時金で数万円程度が多いという事実を知り、これでは搾取ではないか?と問題意識を持っていた。(同時に人は単に報酬だけで努力するのではないという事実にも気が付いたのだが)だから今回の中村教授が起こした裁判は意義があると思っていた。しかし一審の判決の200億円には驚いたし、余りにも高すぎると感じた。というのは、企業内での特許発明の貢献を一人だけに集中させることは、これまで僕が書いてきた会社のあるべき姿と逆行した考え方だと思ったからである。僕が、一審(200億円)の判決を知った時に思ったことは、この人(中村教授)、会社(日亜化学工業)の同僚との人間関係はどうだったんだろうか?ということ。きっと孤立した暗い人間関係ではないか?と想像した。今回の中村教授の主張は、「自分ひとりの力で発明したのだから、ひとりだけ巨額の報酬をもらう権利がある」というものだけど、いっしょに試作を作ったり実験をしたり夜遅くまで汗水流して頑張った仲間はどう思っているのだろうか?モチベーションはどうなんだろうか?そもそも会社というものは、同じミッションを持った同志の集団であるべきだ。そして成熟した会社は、従業員、顧客、取引先、株主、行政など企業を取り巻く関係者(ステークホルダー)全体の利益を考えるものだ。同じミッションを果たすため、中村教授のように創造する役割だけでなく、プロジェクトを管理する役割もあれば、地道に定型的な作業をする役割もある。経理などのバックオフィスがなければ投資した資金を回収することはできない。役割は違っても同じミッションのために頑張っている。この考え方を崩してしまって良いのか?そして事業失敗のリスクを負って投資した株主がいなければ研究開発はできない。そのことは、どう考えているのだろうか?もし、ひとりだけが貢献したとの結論になれば、人が集まって事業を起こす動機が生まれず、シナジー効果など幻想になってしまっただろう。こんなことをしては高業績組織「ゴッタユニット」なんて成り立たない。発明者は確かにMVPかもしれないけど、それを支援した人達が落ち込む程の評価の格差は会社や社会を暗くするし、中長期的に見て発展も難しくなるのではないか?そのバランスを考えると200億円より8億円の方が、まだ妥当だと思う。だけど、僕は、中村教授を責める気持ちはない。考え方が極端だと言っているだけ。これは、あくまでバランスの考え方の問題だ。僕は、数%の勝ち組と大半の負け組で構成される世の中は暗い社会で、経済全体の発展にも好ましくないと思っているから、こう考えているだけだ。また、中村教授の心のうちはわからないが、お金よりも、日亜化学工業や日本企業の、余りにも不公平な常識に、怒りを持っていたことが大きな動機だったのではないかと思う。そういう意味では、ちょっと金額は不満かもしれないが、中村教授の目的は達成されたと思う。日亜化学工業側は、事実上の勝利と言っていたが、そんなことを言う立場じゃないと思う。裁判がなければ、そのまま搾取を続けていたのだから。
2005.01.12
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組織または組織間でシナジー効果を生む条件とは、 (1)ミッション・ビジョンの共有、社員の呼応 (2)ミッション・ビジョンと整合する評価制度 (3)組織の分権化(特に創造性が求められる分野) (4)リーダーはコミュニケーションのプロになること (5)権威主義の排除 (6)自由に議論できる企業文化 (7)多様性の尊重 (8)社員の欲求レベルに応じた適切な配置・役割分担僕は先日の日記で、こう書いた。当たり前のことを書いているようだけど、実現することは、なかなか難しい。僕の経験では、これらの条件の中でも、特に(8)の条件を成り立たせることが難しいのではないかと思う。というのは、そもそも、こういった視点が会社や管理者に欠けている場合が多いと思うからである。 部下は、我が社の社員としての自覚が足りない。 モチベーションの低い社員は本人に問題がある。 説得すれば意識はきっと変わるはず。こう考えている管理職が多いのではないか? 僕も恥ずかしい話だが、マネージャーに成り立ての頃は、熱くなる方で、正しいことはひとつ。正しくないと思った事は、直ぐに駄目だ!と部下に言っていたような気がする。しかし、問題の社員に説教をしても、上手くいく場合といかない場合がある。これは信頼関係が成り立つ場合でも同じ。人間は求める欲求レベルがそれぞれ異なるからだ。 会社のミッションやビジョンには興味が無く、安定した仕事と収入だけを求める人もいれば、自分自身のスキルアップだけを考えている人もいる。創造的な仕事より、定型的な仕事の方が安心するので好きという人も多いと思う。こういう欲求レベルを自己実現のレベルまで持っていき、更に、会社のミッション・ビジョンに自分の価値観を合わせろ!と言っても無理。また、そういう人材ばかりを採用することも無理だろう。本当にシナジーを成功させるには、こういう現実を直視して対策を考えなければならない。これは、 僕だけでなく、多くの企業や、企業の管理職にとって重要な課題ではないかと思う。つづく。
2005.01.11
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今日は休みの日だけど、息子が風邪をひいているので、一日中、家で過ごした。僕も、ちょっと風邪気味。”シナジー効果”(前回の日記参照)のことを考えていると頭が痛くなってきたので、今日は止めた。今日は息子に絵本を読んであげた。実は最近、息子のことで気になっていることがある。それは命の重みを、どの程度理解しているか?ということ。テレビでは、ドンキホーテの放火火災事件や奈良女児誘拐殺人やスマトラ沖大地震のニュースが流れていて、アナウンサーは死という言葉を何度も淡々と語る。それを幼稚園児の息子も見ている。幼稚園では、戦いごっこが盛んなようで、このあいだ息子が「打ち殺す!」なんて言葉を使うので、そんな言葉を使っちゃいけないと怒ってしまった。僕の子供の頃も、戦いごっこやっていたし、そういう言葉使っている友達もいたし、そんな気にすることではないのかもしれない。でも気になる。一体、命とか死ということを、どの程度理解しているのか?そこで、このあいだ買った「葉っぱのフレディ」という絵本を読み聞かせてあげた。この本、アメリカの著名な哲学者レオ・バスカーリア博士が書いた唯一の絵本で、数年前に日本でも話題になった名作。いつか、わかる時期がきたら、息子に読み聞かせようと思っていた。春生まれた葉っぱのフレディ。仲間といっしょに生き生きと夏を過ごし、秋へと季節が変わっていく中、世の中が常に変わっていくことに気づく。物知りの友達のダニエルから、生きることや死ぬことについて教えてもらいながら、その意味を悟っていく。そして冬。フレディも土へとかえっていく。死を怖がるフレディにダニエルは、「まだ経験していないことは こわいと思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化しつづけているんだ。変化しないものは何ひとつないんだよ。春が来て夏になり秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。変化するって自然なことなんだ。きみは春が夏になるとき、こわかったかい?緑から紅葉するとき、こわくなかったろう?ぼくたちも変化しつづけているんだ。死ぬというのも変わることのひとつなんだよ。」フレディは、楽しく充実した自分の人生を振り返り、納得する。そして、とうとうフレディも枝をはなれ、地面におりる。そのとき、はじめてがっしり丈夫な木の全体の姿を見て、自分が死んでも”いのち”は永遠に生きているんだと気づき、静かに眠りに入っていく。フレディは土に溶け込み、木を育てる力になる。読んでいるうちに、僕自身、目がウルウルしてきた。最初は興味がないと嫌がっていた息子の顔も真剣。まだ、ちゃんと感想を言える年ではないが、一体、どのように受け取っただろうか?内容が哲学的で、解釈のしかたもいろいろあるように思うので、それを幼稚園児に理解させることは難しいだろう。まず、人には、それぞれ違った、かけがえの無い人生があり、そして人生には必ず終わりがあるという事実を知ることができたら良いと思うのだが...【送料無料商品】葉っぱのフレディ
2005.01.08
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シナジー効果とは、人と人が協力して1+1が2になるのではなく、3にも4にもなる効果。 例えば、 ・ある製品のために開発した部品が他の用途にも使え、大量生産により原価を大幅に押さえることができた。 ・ITベンダーがコンサルティング会社と提携し、顧客企業のビジネス計画からシステムの構築・運用までサポートすることにより互いに顧客企業との取引関係を強化することができた。 など。 何となくイメージは掴めると思うが、実際には、そんな簡単なことではない。何故なら、シナジー効果を生むには、多くの関係者が目的や価値観や関連する情報を共有しなければならず、短期的に見れば、時間もコストも多く、かかるからである。個別案件の担当者にとって、その案件以外に任務がなければ、シナジー効果など考えず、その案件だけに適応できるやり方を採用するだろう。(個別最適化)シナジーのため人の根回しに神経や労力を使うよりも、今すぐ使えるリソースでさっさと片付けた方がましだからだ。評価制度が短期的な実績だけしか重視していないなら、なおさらだ。しかし、類似した個別案件が複数あるのに、それぞれ1から始めている会社は、どうなるか?共通部品や情報・ノウハウを蓄積・共有している会社と競合すると、製品またはサービスの品質や価格競争力に差をつけられ、受注することが困難になるだろう。この影響で、将来、仕事が減り、個別案件の担当者も、リストラに遭うかもしれない。だから目先だけでなく将来を見据え、シナジー効果を生み、全体を最適化させる対策が必要なのだが...実際のところ、人は本能的に目先の利益を重視する傾向があるから、シナジー効果を生むことは、よほど人が理性的にならなければ難しい。しかし、人間は地球上、唯一、理性を持った動物と言われているわけだから、その可能性に希望を持ちたい。では、どうすればシナジー効果は生まれるのか?僕は、正直言って、まだ結論が出せない。今まで僕が経験し成功したプロジェクトでは、おそらくシナジー効果と言えるものが、いくつもあったと思う。しかし、それは人材に恵まれていたからかもしれない。なので、成功の秘訣とか必勝法は?とか言われても困る。ただ、ぼやけて考えていることなら少しは言える。思いつくものを羅列すると、(1)ミッション・ビジョンの共有、社員の呼応(2)ミッション・ビジョンと整合する評価制度(3)組織の分権化(特に創造性が求められる分野)(4)リーダーはコミュニケーションのプロになること(5)権威主義の排除(6)自由に議論できる企業文化(7)多様性の尊重(8)社員の欲求レベルに応じた適切な配置・役割分担だろうか?これだけだとわからないと思うので、今後、日記で、もう少し詳しく説明したい。■企業のミッションとは?ミッション、ミッションって言うけど具体的に何?と思う人のために例を挙げたい。会社レベルのミッションとなると、すぐ思い浮かぶのが、ジョンソン・エンド・ジョンソンの我が信条日本企業に比べ、とても具体的でわかり易い。このミッションが、どの程度、ジョンソン・エンド・ジョンソンの中で浸透しているかわからないが、もっとも有名な例であり、多くの企業の手本となっていることは確かである。問題は、このミッションに、どれだけ社員が呼応するか?ということ。ミッションに社員が呼応し、社員がそれぞれ、ミッションを果たすためには、具体的に何をすべきか?を考え、社員同士が議論し、リーダーが取り纏め、事業化する。そして、顧客、株主、取引先、行政など自分の会社の関係者(ステークホルダー)から賞賛され、社員はそういう自分の会社を愛し誇りに思う。経営者が代わってもミッションは受け継がれ、環境変化やステークホルダーとの調整により最適なものに更新されていく。社員の採用は、入社試験よりも、このミッションに賛同することを重視する。こういう会社はきっとシナジー効果が沢山生まれるのではないか?つづく
2005.01.07
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昨日から、僕自身の今年の実行計画をまとめている。僕の評価は、この計画の達成度合いで決まる。主な計画は、営業計画、プロジェクト実施計画、R&D計画の3つ。一番やっかいなのはR&Dである。僕の会社にとってのR&Dとは、クライアントが喜ぶ、新たなコンサルティングサービスやITソリューションを開発すること。具体的な物やソフトを作るのではなく、そういうものを組み合わせた全体のソリューションモデルや方法論を開発することである。勿論、クライアント企業はそれぞれ独自の課題を持っており、我々はそれぞれの課題に対して最適なソリューションを提供しなければならないのだが、とは言っても、個々にゼロから対応していては、お金も時間もかかり、クライアントが望むものではなくなってしまう。だから、事前に我々が大切にしているクライアントの共通の課題を調査し、それを解決するソリューションモデルを作り、クライアント企業に適合できるコンサルタントを育成しなければならない。こういうことを怠っていると、いつかクライアントから見放され、会社は衰退していく。我々コンサルタントにとってもR&Dは大変重要なのである。 しかし、R&Dの運営は大変難しい。大手製造業であれば、専門の研究員がいて、試行錯誤の中から、偶然に価値ある発見・発明が生まれ、そこから商品化につなげていくことが多いだろうが、ビジネスのソリューションの場合、クライアントが直面している問題解決が求められ、偶然ではなく必然から導いていくことが殆どなので、現場で問題解決にあたっているコンサルタントが深く関わっていかなければ、R&Dの成果は抽象的なコンセプトどまりの紙芝居に終わってしまう。したがって、忙しい売れっ子コンサルタントをいかに巻き込むかにかかっている。しかし、R&Dのように先が見えないことに対して、進んで協力するような人は少ない。目先に解決しなければならない課題が山積しているし、売上は俺達が稼いでいるという責任と自負心が強いので、お勉強会のようなものに付き合ってられないというのが本音だろう。こういうことから、これまで多くのR&Dプロジェクトは形骸化し失敗している。しかし、既に述べたようにR&Dを怠っていると、将来の仕事が減っていくわけだから他人事ではないはずだ。本来、目先の仕事と将来の仕事との負荷バランスを自分なりに考えれなければならない。 しかし、それは個人の問題だけではない。リーダーシップと評価制度にも問題がある。リーダーシップの問題とは、経営者のカリスマ性とは関係ない。いかに社員が会社としてのミッションやビジョンを共有し、そして社員がそれを誇りに思い、同志となって邁進するか?ということ。ミッションやビジョンが余りにも漠然としていて特徴がないものであれば社員の頭の中には残らない。リーダーシップが弱いと、どうしても目先の成果のことばかり気にしたり、自分のスキルアップのことばかり拘ったりする。評価制度の問題とは、こういうR&Dに対する貢献度を正しく評価する仕組み。目先の売上や稼働率ばかり重視した評価制度であれば、仕事のない暇な人しかR&Dをやらないだろう。評価制度がミッションやビジョンと整合性がないと、社員は評価の度に疑い深くなっていき、誰もミッションやビジョンを信じなくなり、しまいには会社を辞めていく。やはり、経営者は、両面からの真剣な取り組みが必要である。こういうことを何もせずに社員にシナジー効果を出せ!と訴えても、社員はしらけるだけである。いまどきの若い社員は、ひとつの会社で一生働くつもりはなく、会社での自分の長期的なビジョンを描こうとしなくなっている面もある。(せつな的) クライアントに対して、やれシナジーだ、全体最適化だ、チェンジマネージメントだなんて言っているコンサルティング会社が自分の事になると、こういう状況だから誠に恥ずかしい話であるしかし、2ちゃんねるを見れば、殆どが、こういう問題をかかえている会社のように思える。近年、伝統的な大企業が経営不振に陥り、不祥事が起こったり、大リストラが行われたり、企業は、権威的な面での求心力が弱くなっている。だからこそ、リーダーシップと評価制度の在り方が非常に重要なのだが。 こういう状況でR&Dを運営し、参加者のモチベーションを高め、シナジー効果を生み出し、優れた成果を出すということは簡単なことではない。ただし、コンサルティング会社は、極めて分権的な組織で、一定のルールに従って売上・利益さえ上げていれば、何をやっても良い面があるし、ひとりひとりの知的好奇心は非常に高いものがあるから、個人の近い将来にとって有益であり、個人の知的な欲求に応える内容であれば、僕のような中間管理層の権限でも、うまく成功に導いていいけるのではないかと思っている。シナジー効果、これは偶然でも幻想でもない。シナジーが上手くいく方法を見つけ、それを証明したい。これが僕の大きな課題である。つづく
2005.01.06
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元旦から、僕とかみさんの実家をまわって、飲んで、食べて、親の話を聞いて、兄弟の子供たちと遊んで、ふぅー、まったく日記を書く暇がなかった。昨日は、家族でのんびり過ごそうと思ったのだが、かみさんにはバーゲンに行く計画があった。池袋のデパートをハシゴして、かみさんの洋服を探しまくった。かみさんが服を探している間、息子と僕は、店舗の前でゲームボーイをして待つ。良く見るとゲームボーイをしながら待っている子供とお父さんが、そこら中にいる。なるほどゲームボーイが売れるのは、こういうときに使えるからか。どおりで、かみさんがゲームボーイを買いたがってたわけだ。しかし、この人ごみ、女性の消費欲は凄まじい。去年はオヤジが消費を牽引したらしいが、やっぱり安定して景気を支えているのは女性に違いない。今日から仕事。年末から仕事のことなんか、殆ど考えずに、ボーと過ごしていたので、脳の周波数が随分、低くなっているようだ。今日から、また、たまっている課題をひとつずつ潰して行かなければならない。エンジンをかけなければ。さあ、いつもの生活に戻ろう。腹式呼吸ウォーキングも再開。ちょっと体重が増えているので脂肪を燃やそう。僕は、通勤時、家と会社のオフィスそれぞれの最寄り駅のとなりの駅まで腹式呼吸をしながら歩いている。これを腹式呼吸ウォーキングと呼んでいる。この効果は抜群。何せ、これだけの運動で13Kgも痩せたんだから、これさえやれば、多少太っても、すぐ元に戻るという自信がある。僕の腹式呼吸のやり方は、口笛呼吸と言われるやり方に近い。鼻で吸って口から口笛のように吐く。ヨーガでは鼻で吸って鼻で吐くのが基本なので、ちょっと邪道なのかもしれないけど、こちらの方がメリハリがあってやりやすい。初心者には、僕のやり方の方が良いかもしれない。気をつけなければならないのは口で吸うこと。これをやるとウィルスやばい菌をまともに体内に入てしまうらしい。鼻はフィルターの役割を果たすらしいから、吸う時は鼻が原則。あと、昨年の夏からずっと続いている習慣は、階段の上り下り。エレベーターは使わない。1Fから10階のオフィスまで一日3回は階段で往復している。調子の良い時は1段抜かしで。これは多少の筋力アップに役立つ。最初はきつかったが習慣になると苦でなくなるのが面白い。去年続いた運動といえば、このふたつだけ。しかし、人の体は少しずつ老て行くので、健康法は定期的に見直しが必要だし、さらなる能力開発に役立つことがまだあるかもしれない。今年は、良い習慣をもう少し増やしたい。今認識している課題は、腰・睡眠・筋力腰の課題とは持病の座骨神経痛。これは整体に可能性を求めようと思っている。(良い所あったら教えてください)睡眠の課題とは、熟睡時間を増やすこと。長い時間寝ることではなく、集中して寝て、頭をすっきりさせることが狙い。筋力の課題とは、上半身の筋肉を付けること。ウォーキングだけではなかなか難しい。実は、昨年、パワーヨーガを少しやって、これはいけると思ったのだが、その直後、座骨神経痛が再発して、それっきり。これを早く、やりたい。パワーヨーガは腹式呼吸をしながら、ゆっくり筋肉の運動を行うので脂肪燃焼効果と筋力アップとリラックス効果を同時に得ることができる。だけど無理して体を曲げると後が怖いので徐々にやらないといけない。おじさん、おばさんは注意が必要。とにかく良い習慣を身につけるには無理せず続けることが肝心。あと、食事は、玄米菜食を意識しながら、sermionさんの日記を参考にして、おかずを、かみさんに作ってもらおう。これでバッチリ!酒は止められないので、ほどほど飲もう。近ごろ、本格焼酎にはまっているので、ビールを減らして、こちらを中心ににしよう。正月飲んだ「千年の響き」これは旨かった。沖縄の泡盛の一種らしいが、ちょっとブランディに似た香りがあり、さっぱりしていてお湯割り、ロックどちらもいける。何倍でも飲んでしまいそうなので気を付けたい。■元旦は、美味くて、こればかり飲んでました。今帰仁酒造所千年の響き 10年古酒泡盛原酒43度 720mlあと、心の方は...仕事を始めても、心のゆとりを持たなければ。心のゆとりと言ってもいろいろあるが、もっと物事を全体的に捉えるようにすることかな?目先の問題ばかり、気を取られては、行き詰まることがあるので、全体像を見るように意識して、いろいろな視点から考えるように心掛けたい。頭も年を取ると、どんどん硬くなっていくから柔軟体操しないと。さあ、年末の記憶をたどって仕事開始!
2005.01.05
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皆さんあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。さて、今、おせちをつつきながら、新聞を読みながら、今年はどんな年になるか考えている。日経新聞2005年先読み10大ニュースのランキングは以下のとおり。 1 郵政民営化法案を国会審議 2 京都議定書発効 3 ペイオフ解禁 4 ブッシュ政権2期目 5 在日米軍再編の戦略合意 6 中国、日本の最大の貿易国に 7 減損会計の強制適用 8 プロ野球新体制 9 固定電話値下げ10 合併特例法期限切れ日経なので経済よりだけど、どれも自分たちの生活に係わってくる重要なニュース。昨年は日本の古い体質や制度の問題が噴出した年だったけど、このランキングを見ると、今年は、いよいよ変革の時代に突入といった感じだ。特に企業経営は大きく変わりそう、というか、変らざるを得ない。今まで企業は、一部の資本家や機関投資家が支配していたけど、ペイオフが解禁され、郵政民営化が本格的に行われたら、莫大な個人の資金が直接的または間接的に株に流れるだろう。そうなると一般投資家の考え方が企業に大きく影響を与える。また、企業は、一般投資家に対して一層、情報開示を徹底しなければならなくなる。今は、企業経営の社会的責任が問われる時代で、SRI(社会的責任投資)といって、社会貢献度の高い企業に投資するファンドも増えている。こういうファンドや投資家が増えてくれば、企業は目先の儲けだけでなく社会的責任を果たさなければ評価されなくなる。先進的な企業は、法令を守るだけでなく、より積極的に社会に貢献することで株主の期待に応えようとするだろう。しかし、このように企業が社会貢献しようとするためのインフラが整っても、それが建前で終わるか、中身があるものになるかは結局、我々個人の価値観次第だろう。自分の目先の利益だけを追求するのか?、それとも、未来社会の利益まで考慮するのか?ということ。個人がネットで株を売買できるようになって久しいが、実際にやってみて、素人が目先の儲けを追求することはギャンブルだと悟った人も多いと思う。ペイオフにより銀行預金も絶対安全なものではなくなる。だったら自分や子供達が生きる未来社会の在り方を考え、それを実現するために貢献する企業に対して投資するといった選択肢もあるのではないか?そうなれば、我々個人も社会や経済を動かす当事者としての意識が高まると思う。もともと社会は我々個人が、より良い生活を送るために形成されたものであり、そして経済は社会を、より良いものにするための仕組みであるから、社会と経済がうまく融合することは本来の姿だと思う。そういう意味で、今年は、京都議定書発効という象徴的なイベントがある。これは二酸化炭素排出削減の目標をたて、合意した国が目標を達成する義務を負うというもの。残念ながら先進国では米国だけ合意しなかったが、ロシアが合意したことで発効できるようになった。これにより環境税の導入が検討されるなど環境に対する企業や個人の負担は増えるが、一方、排出削減目標を達成した国は、余った排出許容枠を、達成できない国へ販売できるという排出権取引のビジネスが拡大すると言われている。このように個人の価値観が変わり、社会のニーズが変れば、資本主義経済の方向性も、それに合わせて変って行くということだ。個人ひとりひとりが望みを捨てなければ世の中は改善されるのだ。その他、減損会計の義務化は大企業の経営に大きなインパクトがある。これまで時価会計は金融資産だけだったのが、とうとう土地などの固定資産まで時価で資産価値を評価し、バランスシートに載せなければならなくなる。資産価値の下落を恐れ、企業は、所有していた美術品や土地どんどん売りに出す。ここに大きなビジネスチャンスがあるだろう。あと、プロ野球新体制と固定電話値下げ。変革の時代の象徴として孫正義がマスコミに登場する機会が増えるだろう。期待したい。
2005.01.01
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