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私の叔父が40年前に腰椎椎間板ヘルニアの手術をしました。
小学生だった私は長く入院してひげを伸ばした叔父を覚えています。
患者>叔父30代後半、学者。
原因>痩せてひ弱な体で、ボーリング大会に行った。そこで発症。
保存療法中>歩くのにも痛く、
バスやタクシーでは便が少ない職場だったので
車の免許を取る。タクシーを待つだけで辛かったらしい。
当時お高いオートマチックの乗用車を買い、通勤に使う。
左足に痛みが出ていたのでクラッチが踏めなかった。
手術>危険な手術という世間の認識でしたが、
痛くてイライラして、当たり散らされるのにも
家族は限界だったようです。
叔母は、帰宅後カバンを投げ捨ててソファーに倒れ込み
痛みに苦しむ叔父を見て
「いざり(這う)で、車いすになってもいいから私が養うから、
痛みから解放してあげたい。」と
米国帰りの最新技術をお持ちの大学病院の教授に
執刀してもらったそうです。
脊椎をいじるのだから、そりゃたいへんだと、
遠くの親戚もみんな見舞いに集合しました。
手術は12,3センチ切り、術後3週間寝たきり(動いてはいけない)。
看護婦さんと叔母が二人でタオルの端と端を持って、
「せーの」で何度も何度も寝返りを打たせ。
一か月ほど入院したそうです。
余後>退院後も1か月かそこら休職して、
重いものは全部叔母が持って、庭仕事も全部叔母の仕事。
おどすつもりはないけれど、一年に一回くらい、
「あいたっ!」って 痛みがきたことがあった。
何度も。
腰に爆弾を下げてるつもりで、過ごさないと。
左のかかとにしびれが残って、
やっぱりマニュアル車はダメだった。
と、叔母にいろいろ話を聞きました。