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日本を占領統治したアメリカのやり方(傀儡政府を使う)を明治の日本がやれていたら 日韓関係は違っていたでしょう。
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(2024/03/24 12:28:38 PM)

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2024/03/23
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カテゴリ: 本のことなど
予約していたエッセイ集がようやく手に入ったら、どの文を読みたかったのかわからなくなった話を書いた。

←ここ


作者 浅田次郎は嫌いではないが余り著書を買ったことはない。
図書館の小説棚の一番手前を占領しているので手に取ることは多い。

わたしの本棚にずっと積まれたままの本






内容が重すぎる予感で数年来放置状態。

そんなことだけど、エッセイ集は別。

あちらを読み、こちらを読みしたが

結局、どうしてこの本を予約したのかイマイチぴんとこない。

ぴんとこないが惹き付けられる一文があった。



どんな内容か要約して投稿しようかと思ったのだが、下手に要約しては伝わらない。

著作権法に触れるのを覚悟で無断で全文掲載することにした。



 浅川次郎著
『勇気凛凛ルリの色』
講談社文庫より



「理不尽について」


殿下は馬がお好きだった。
だから毎朝、広島市の郊外にある仮御殿を騎馬でお出ましになり、市内を南から北に縦断するようにして、山陽本線の駅近くにある軍司令部に通われた。
その朝も同じだった。忠実なお付武官のY中佐が、今日はたいそう日ざしが強いのでお車をお使い下さい、と勤めるのを笑って退けられ、おまえは一足先に車で行け、と
おっしゃられた。
Y中佐はそうした殿下を、深く尊敬していた。うだるような暑さと不利な戦況の中で、日本の軍人たちはみなうんざりしているというのに、朝鮮王族である殿下はいつも馬上に凛と軍服の背を伸ばして、軍司令部との長い道のりを往還なされる。しかもお付のY中佐にはご自分の乗用車を使用させるのである。Y中佐が長靴も履けぬほどのひどい水虫に苦しんでいることを、殿下はご存じだった。
ではお先に、と車で御殿を出るとき、Y中佐は遠ざかる殿下に敬礼しながら、いつも胸がいっぱいになるのだった。殿下はY中佐が車窓から体を引っこめるまで、馬上の答礼の手をおろそうとはなさらなかった。おそらく、それが士官学校の先輩に対する当然の礼儀であると、殿下はお考えになっているのだろう。
口にこそ出さないが、Y中佐は理不尽を感じている。明治四十三年の日韓併合によって、朝鮮の李王家は日本の皇族として礼遇されることになった。それから四十年ちかくの歳月が経つから、お若い殿下は日本の皇族としてお生れになり、学習院と士官学校に学ばれ、帝国軍人としての人生をお過ごしになっている。
歴史の必然と言ってしまえばそれまでだが、はたして当の殿下は、自分の感じているような理不尽をお感じにはなられないのであろうか、と中佐は思う。
理不尽とは、道理を尽くさないで無理無体に押しつけることである。ならばこれ以上の理不尽はなかろう、と中佐はひそかに考えている。
殿下の任務は、来たるべき本土決戦に備えて西日本の防衛を担当する、第二総軍の教育参謀である。
沖縄を陥(お)とした米軍が、遠からず九州に上陸してくるであろうことはほぽまちがいないから、最高指揮所の参謀として、殿下の任務は極めて重大である。それぐらい殿下は、有能な軍人であらせられる。
理不尽だとY中佐は再び思う。大東亜戦争は日本が世界を相手にした戦である。しかし殿下が世界を敵に回す理由は、何ひとつないと思う。自分は何度死んでも良い。だが殿下をこの戦で殺してはならないと、Y中佐は心に誓っていた。
Y中佐が一足先に軍司令部に到着したころ、殿下の馬は二人の護衛憲兵を従えて、ちょうど市の中央部にあたる福屋デパートの前を通過していた。
夏空に爆音が聴こえた。殿下は略帽に手庇(てひさし)をかかげて天を仰がれた。警報は発令されておらず、広島はそれまでにもほとんど空襲を受けてはいなかった。単機のB29は偵察飛行にちがいない。
再び馬を歩ませたとたん、殿下はすさまじい光に捉われた。背中に熱鉄が巻きついたような気がし、馬もろともに車道の中ほどまではじき飛ばされた。
真黒な煙の中で、殿下は気丈にも焼けただれた背を起こした。そのとき殿下は、わずか数百メートル先の爆心から、天に向かって魔王のように立ち上がる巨大な柱を、確かにご覧になった。
軍服は破れくすぶり、参謀懸章は炎を上げて燃えていた。それでも殿下は、軍刀を抜き、長靴を曳いて、目前にそそり立つ理不尽の柱に向かって歩いた。
爆心地から離れた軍司令部でも、四百余名の出勤者のうち百名が即死した。瓦礫の中からはい出したY中佐は、大声で泣きながら殿下の姿を求めて市内を走り回った。
軍司令官や参謀長の消息も、家族のことも、爆死を免れた軍人としてやらねばならぬことも、何も思いうかばなかった。ただ、あの人だけは殺してはならないと、そればかりを考えていた。
殿下は相生橋の橋脚の下に蹲(うずくま)っておられた。煮えたぎる川面をじっと見つめながら、殿下はそのとき何を考えていらしたのだろう。生きてはおられたが、お体は真黒に焼けていた。
宇品の船舶司令部の舟艇が、蹲る殿下と、そのかたわらでなすすべもなく号泣する侍従武官とを発見した。舟はただちに二人を収容し、似島(にのしま)の海軍病院に向かった。
背中一面に火傷を負われていた殿下は、ベッドにうつ伏せて手当てを受けた。痛みも苦しみも訴えようとはなされず、徹夜で看護をするY中佐に、大丈夫だから休めと仰せられた。
自分の傷は浅いから、と中佐が言うと、殿下は声に出されずに、黙って足元を指さされた。
おまえはひどい水虫だから、立っているのは辛かろうと、殿下は仰せられたのだった。
子供のように泣きじゃくりながら、中佐は理不尽だと思った。理不尽とは、道理を尽くさず無理無体に押しつけることだ。殿下はよその国の軍服を押しつけられ、今またよその国に原子爆弾を押しつけられた。道理もくそもあるものか、と中佐は泣いた。
殿下は昭和二十年八月七日払暁、薨去された。最期を看取った中佐はその直後、病室の前の芝生に正座し、働哭しつつピストルで自らのこめかみを撃ち抜いた。
―-これは物語ではない。原爆の犠牲になられた旧朝鮮王族のお名前は李鍝殿下といい、自決したお付武官は吉成弘中佐という。
多少の想像を加えてはいるが、まぎれもない事実である。
想像を加えなければならなかった理由は、それぐらいこの出来事が歴史の中に埋もれてしまっているからである。
私の蔵書のうち、はぼ三分の一は戦史と軍事関係の書物であるにも拘らず、思い立ってこのこと
を書こうと思ったら、記述はわずか一冊しか発見できなかった。だからたいへん不謹慎な話ではあるが「李鍝」というお名前にどういうふりがなを振っていいのかもわからない。
それでも私は、夏の去らぬうちに書いておかねばならないと思った。この事件が歴史もれてしまうこと自体、理不尽だと感じたからである。
戦後五十年を迎えた今年、話題と論議はほぼ二つに集約されたと思う。
ひとつはスミソニあんの原爆展騒動とフランスの核実験に伴う、原爆の回顧である。
もうひとつは、韓国の従軍慰安婦問題を初めとする、戦時賠償についてである。
一見してこの二つは別問題のように思えるのだが、実は不可分の事実であることを、李鍝殿下はわれわれに教えてくれる。
われわれは議論をしなければならない。しかし自己の正当性ばかりを主張する議論は無意味である。
要するに、毎度口をすべらせる日本の政治家は、誰ひとりとして李鍝殿下の理不尽な死を知らない。原爆投下を正当な行為であったと主張し続けるアメリカ人も、その死を知らない。そして、もちろん一方的な被害者である韓国国民には、理不尽に殉じた日本軍人がいたことを、知って欲しいと思う。
戦後五十年という節目の持つ大命題は、不戦の誓いである。謝ることや責めることや、言いわけや開き直りや、そういうレベルの論議よりも、もっと節目にふさわしい国家間のシンポジウムが「理不尽とは、道理を尽くさないで無理無体に押しつけることである。」。
爆心地の橋脚の下でじっと蹲(うずくま)っていたという異国の王子は、そのときいったい何を考えていたのであろうか。よその国の軍服を着、よその国の落とした爆弾の熱にその背中を焼きながら。
李鍝公の遺骸はただちに妃殿下の待つ京城の自邸に空輸されたという。だがおそらく、その魂魄は祖国に帰ってはおるまい。人類が核兵器の愚かしさを知り、真の不戦を誓うその日まで、彼はたぶん相生橋の橋脚の下で理不尽の炎に背を焼きながら、今もじっと蹲っているにちがいない。



「李鍝(いう)殿下」
 李鍝(いう)殿下は、朝鮮王家最後の皇太子、李垠(いうん)殿下の甥にあたります。1922年(大正11年)に来日し、軍人としての教育を受けました。被爆当時、第二総軍教育参謀中佐であった李殿下は、馬で出勤途中に被爆しました。西方に逃がれましたが、本川橋西詰で力尽きました。うずくまっているところを発見され、宇品の凱旋館に収容、似島(にのしま)へ転送されますが、翌7日に亡なくなりました。

(広島平和記念資料館資料より)



「理不尽とは、道理を尽くさないで無理無体に押しつけることである。」
という言葉が重い。

実は

昨夕岡崎にやって来た天安のNさんにこの文を読んで感想をくれろとLINEで送った。

今朝、東京への新幹線の中で読んでくれているだろう。


韓国併合は日本側にいかなる正当な理由があっても、

「道理を尽くさないで無理無体に押し付けた」

ことは紛れもない事実なのだ。

その後のすべてのネジレは、そこから始まっている

と私は思う。










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最終更新日  2024/03/23 05:20:58 PM
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Re:勇気凛凛ルリの色 理不尽(03/23)  
時代もの、
畠中恵さんの小説が人気がありますよ。
図書館で見てください。 (2024/03/23 06:28:05 PM)

Re[1]:勇気凛凛ルリの色 理不尽(03/23)  
三河の住人  さん
ちーこ♪3510さんへ

今年はスマホを置いて本を手に取ろうと思っています。

高校のずっと後輩、周防柳さんの小説も飛鳥平安もので面白いですよ
(2024/03/23 07:00:05 PM)

Re:勇気凛凛ルリの色 理不尽(03/23)  
yanpa555  さん


浅田さんはエッセイのほうが好きです。

殿下の最後は住人さんのこの日記でわかりました。
吉成弘中佐ともども、さぞ無念であったろうと推察されます。

朝鮮に国民国家があれば、併合もなかったことでしょう。
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/61199977.html

歴史は繰り返し学ばなければならないものですね。




(2024/03/24 10:28:07 AM)

Re[3]:勇気凛凛ルリの色 理不尽(03/23)  
三河の住人  さん

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