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2010.04.04
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こうして振り返ってみると、ずいぶん古い蔵書が目立つ。
それもそのはず、ここのところ、まったく本を買っていない。
囲碁に限らず、書籍全般についてそうだ。
したがって、私の紹介する本は、今では入手不能のものが多いと思う。
しかし、いいものはいいのだ。
もし興味を持たれる方がいらっしゃれば、古書などで入手していただければ幸いである。
さて、今日は日本棋院「古典囲碁名局選集」から3冊。古豪の打ち碁のハイライト集である。
いずれも紙面に限りがあり、私ごときの力量では解説の意味すらも完全に理解することは不可能である。しかし、雰囲気(というと些かいい加減な印象が否めないが)だけならば充分味わうことができる。
『すべての囲碁ファンに捧げる本』の中で、橋本宇太郎が「空気感染で強くなる」囲碁上達法を紹介しているが、これと同じである。雰囲気を味わうだけで、充分ためになると思う。たとえば、美しい流れを味わうことによって、次は自らもかくありたいと思うようになり、美しい打ち方を意識した対局ができるわけである。これもひとつの効用であろう。


流水秀栄 (高木祥一)

キング・オブ・キングス(名人の中の名人)と言われる本因坊秀栄である。
この人、大器晩成の代表のように言われるが、享年56。時代が時代だけに、じつは短命なのである。本当の大器晩成とは、名人因碩のような化け物じみた人を言うのであろう。とは言え、若かりし日は、あの秀甫の前にどうしても影が薄くなってしまい、やられ役の印象をぬぐえなかった。ちなみに秀甫は早熟タイプの典型であろう。
この本では、秀栄の「グリーンボーイ」時代もちゃんと収録されていて、この手堅いだけがとりえのような碁が、後年あのように大化けする不思議がじつに興味深い。
ブレイクしてからの秀栄は、他の追随を許さない打ちぶりで、ただ一人、先を保ったという田村保寿(のちの本因坊秀哉名人)でさえ、翻弄されまくりに見える。
本書第3局に登場する「三子捨ての妙手」は有名だが、こういう一手で人を唸らせる鮮やかな妙手・鬼手の類はむしろ少なく、一連の流れで勝つところがじつに見事である。一連の流れがいちいち理にかなっており、そしてじつに美しい。戦わずして勝つ、と言われる秀栄だが、私に言わせれば勝つべくして勝つ、という感じである。田村以外には碁にさせていない印象である。
私がこの本を買ったのは、『週間碁』でとりあげられた一局(本書では「秀栄絶局」)で、65手以下、あの田村のハンマーパンチをこともなげにひょいひょいかわす打ちぶりに度肝を抜かれたからだが、本書で「秀栄生涯の傑作」と題されている一局も涙が出るほど美しく感動的な名局である。高木先生が絶賛するだけのことはある。

堅塁秀和 (福井正明)

日本の囲碁は秀策がお手本、とよく言われるが、趙治勲はこの秀和を推す。たしかに変幻自在というか、プロ好みのしそうな碁である。
しかし―残念ながら、じつはこの本、私にはよくわからないのである。掲載局数が多すぎて、私ごときの力量では、秀和のすごさがいまひとつ伝わってこない。むしろ、解説の中にところどころ挿入されるエピソードが面白く、『物語り 囲碁英傑伝』と対比して共通するところや違うところを見出すのが楽しかった。
また、秀栄と違い、この本では秀和以外の脇役もしっかり立てている。以前紹介した一局こそないが、ハードパンチャー算知との碁も掲載されており、しかも算知が豪力を発揮して勝った碁も載っている。


泰然知得 (依田紀基)

名人たる器量を充分に備えていながら、八段準名人で終わった名手・安井仙知(八世・知得)である。
この人が名人になれなかったわけは、単純明快、本因坊元丈が同時代にいたからである。元丈、知得、ともに時代を異にして生まれていれば間違いなく名人だったろうと言われる。しかし、いにしえの「名人」は天下にただ一人。すべてのライバルを先以下に打ち込んで初めて名人たる資格を得るのである。だから絶対水準においてどんなに強くても、互先の打ち手が存在する限り、名人とはなれないのである。趙治勲いわく、「現代の名人は七番勝負でたったひとつ勝ち越せば、それでこの称号が得られるしくみ」と著書の中で述べ、いにしえの名人就位がいかに想像を絶する芸当だったかを強調している。
さて、知得に話を戻すが、この人、古典名手の代表格のような存在だ。この本を買うまで、私が知っていたのは「ダメの妙手」くらい。どんな碁を打つのかと思い買ってみたら、とにかく表題の通り「泰然」の一語に尽きるのである。前書きで依田紀基名人(当時)が書いているように、「こんなぬるい手で勝てるのか」というような手が随所に出てくる。なんとなく華麗なフットワークをイメージしていたのだが、実際軽妙ではあるけれどもどこかイメージが違うのである。手堅いときはじつに手堅い。しかし、それでいて計算がちゃんとできているのである。「ぬるそうに見えて遅れない」といえば、現代ではまっさきに大竹英雄が思い浮かぶが、それとも違う。独特の世界である。
なお、「ダメの妙手」については、「あまりに優勢なので投げを催促した」という説があるが、これについては依田名人が強く排斥している。たしかに、人格者でもあったと言われる知得にはそぐわない話である。





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Last updated  2010.04.23 23:04:06
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