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やはり、私は何かを食べると元気になるらしく、夕飯を食べたらまたおちついてきた。レトルトのカレーは最近味が良くなったのか、子供たちも文句を言わず、「ほか弁屋さんのカレーみたいな味がするね」と言い、思ったより好評だった。うちはヨーグルトを買うとき断然プレーン派だ。家族五人、しかも食べ盛りの子供がいると、「アロエ」「フルーツ」入りのはあっという間になくなる。三個パックを三人仲良く食べればいいのに、「ない」と言う子が必ず出てくる。んじゃ六個パックを、と買ってきても同じ。「二種類あるから各二個ずつ」と言ってあげても、合わなくなる。もう、めんどっちい。そういうことでプレーンになった気がする。プレーンの方が味、自在だし。しばらくはフルーツヨーグルトにしたり、ジャムを入れたりしていた。あるとき、チビタマが「友だちのうちで食べたんだけど、メープルシロップもおいしい」と言うので、そんなにおいしいなら、と、わざわざ買ってきた。・・・うん、うまい。今皆ではまっている。ところで今日の子猫たちは、静かだった。たまに脱走したりしていたが、気がつくと皆で集まって寝ている。そういえば、し~子もそうだけど、「ネコは雨の日、寝て過ごす」って聞いたことがある。静かな雨の日、子猫たちが体を寄せ合うように眠る姿は、とてもかわいかった。チビタマにはどんなに怒っていても、猫たちに猫なで声で話をし、ねこっかわいがりをしてしまうこのギャップは、何なのだろう・・・さっきの、オコジョとチビタマの会話。「兄ちゃん今日、秘密基地作ったんだ」「どこどこ?兄ちゃん見せて!」???と思う私が良く話を聞いていると、今日のあの「バリケード」の向こう側に秘密基地を作っていたらしい。「兄ちゃん、どこから入るの?」「失敗して、出入りできなかったんだ。だから改装中」と言って、タンスを少し動かし始めた。「バリケードなんて」とショックを感じ、怒った私だったが、その向こうに楽しい世界を作っていたなんて。しかも「秘密基地」なんて、まだまだ子供じゃないか。そうか、と少し安心してきた。
2007年05月31日
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まだ、気が晴れない。むかついて、眠くて、文句ばっかりしか出てこない。よし、こんな日の晩ご飯はレトルトカレーだ。いつもは気が引けて晩ご飯にレトルトカレーなんて出せない。でも、すんごーいダメージでご飯なんて作る気にならない。・・・何も知らずに頑張ってきたパパや、チロ、オコジョに悪いから、お惣菜のカツをつけよう。デザートにはせめて、ヨーグルトをつけて・・・今日は一日雨降り。チロから、「雨なんで、帰りは学校まで迎えにきてください」 というメールがきたので、隣市の高校まで迎えに行った。ストレスがたまりまくっていたので、思い切りCDをかけて歌いながら運転。私の愛車には、浜田省吾、ZARD、アンダーグラフ、ドリカム、松田聖子、村下孝蔵・・・などのCDを持っていく。ストレスがたまると次々替えて、がんがん歌う。時々、隣の車の人や、対向車の人に見えることもあるのか、じっと見られることもあり、はずかしいので信号待ちなどでは、口をなるべく開けないで腹話術のように歌ったりする。
2007年05月31日
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私は子供時代、簡単に何でも買ってもらえる家庭ではなかった。洋服も二枚くらいしかなかったらしい。幸運にも、私の通っていた小学校は体育着で通学する決まりだったから、学校で不自由することはなかった。問題は休日で、体育着を洗ってもらい、私服でいるのは不自由だった。そんな状態だから、はやりもののおもちゃなどはもってのほか。文具も大人用の渋いやつを使っていた。皆がかわいい絵柄のついた消しゴムを持っていても、私のは昔ながらの「ゴムです。ゴムで出来ています。歴史はありますよ」とでも勝手に言いそうなゴムくさいやつだった。友達やいとこと遊んでいても、私の持ち物は少なく、忘れる心配もなければなくす心配もなかった。それでもなくさないようにと、結構几帳面にでかでかと記名していた。あるとき、りかちゃん人形で遊んでいた私たちは、「marchinちゃんのお人形、りかちゃんじゃないね」「そうだよ。私のお人形はりかちゃんのお友達の『はるみちゃん』っていうの」「だから、服が一枚しかないんだね」・・・不思議に思った私は、母に「りかちゃんはお洋服いっぱいあるのに、何ではるみちゃんのはこれしかないの?」と聞いた。仕事から帰って、忙しく夕飯などの支度をしていた母は、イライラして言った。「そんなことよりばあちゃんが何でmarchinの服もっと買ってきてくれないかね」大人の事情は良くわからないけれど、聞いてはいけないことを聞いた気分でいた。はるみちゃんの服は自分で何とかしなくちゃ、と思った私は、父に聞いた。「はるみちゃんとか、私の服は何でできているの?」「布だよ」「布って何で出来ているの?」「もめんだな。ママかばあちゃんが持っていると思うから聞いたらいい。」翌日祖母にその話をしたら、とっても地味な生地を少しくれた。うれしくはあったが、「はるみちゃんは有名じゃないからりかちゃんよりかわいくしてあげなくちゃ」と、なんとなく思い、母や叔母など数人に「布ちょうだい」と言い、いろんな布を集めた。そしてみようみまねで服を作り始めた。まるで折り紙でもする感覚で、下手くそに大まかに縫った筒状のものはスカート、工作するように大胆に切って、切りすぎて失敗しては布を足してまた縫い付けて、出来たものは「シンデレラがおうちにいる時着ていたつぎはぎの服」のようだった。それで、なんとなく材料さえわかれば作れるかもしれないと思い込んだ私は、必要なものができると何かと父に「何で出来ているの?」と聞いた。時には、ゴムとか、プラスチック、鉄、なんていうものがあったりして、私にはどうすることも出来なかったが。
2007年05月31日
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今日は、壮絶で多忙だった。あのあと、チビタマの担任の先生から電話があり、「元気はあるんですけど、出かける準備をしないんです」「じゃ、あとでぜひ送って来てください」と言う会話をした後、チビタマに登校することを促しつづけた。返事もせず、無反応なチビタマに頭に来た私は、「学校にも行けないんだったら、部活なんか辞めてしまえ」「顧問の先生には、たまにしか来られないから試合も遠征も出さなくって結構ですって言うから」「どうせまたこいつ休みでしょって皆に言われたいのね?」などど、言わなくてもいいようなことを言ってしまった。怒ったチビタマは「ダン!ダン!!」とわざと音を立てて二階へ行った。いつまでもうるさいから、お隣今日休みでうちにいるから迷惑かける、と思った私が、チビタマの部屋へ行って見た物は、タンスを動かしてできたバリケードだった。「・・・・・・」絶句しても始まらない。やっと入れた隙間から行って、我慢の限界を超えた私は、チビタマに「ママは今日の今日まで我慢をしてきた。だからさっき怒った。甘えるのもいい加減にしろ!」と言い、頭をパシッと一発叩いた。パパの携帯へ電話するがつながらない。我が家の男どもは!!こんなに困っているのに、何にもならない!そして、感情の赴くまま外へ出て行った。車で少し遠い店にでも行って豪遊して、オコジョが帰ってくる時間になってから戻るか、或いはもう戻らず好きなことをするか・・・店に着いて、買い物かごを持った私は、とってもお腹がすいていたことに気がついた。ここのお弁当はおいしいのだ。チビタマの分も買ってやろう。・・・結局あんなに怒ってもあいつを見捨てられないなんて・・・そう思いながら帰ってきて、チビタマの部屋を見たら、バリケードは更に強度を増していた。「チビタマ、腹減ってないの?」「もういい、学校行くくらいなら何も食べない」「・・・私も考えたんだけど、学校、もういいよ。先生にはそう言っておく。お弁当買ってきたから食べよう。私も腹へって疲れた」そして、チビタマは自分でなんとかバリケードを崩してやってきた。「うまいよ、コレ。チビタマも食べて見たら?」「うん」「コレ、みんなに内緒だよ。ママが食べたかったから買ってきたんだ」「ありがとう」食べたからか、お互い落ち着いてきた。食後、チビタマはちゃんと片付けもした。昨日学校へ行けたからって、チビタマにとっては終わった問題ではなかったのかもしれない。学校へ行き、部活して、宿題を済ませてすっきりした表情に見えていたからと、勝手に期待し過ぎたのだろう。先はまだまだ長いのかもしれない。
2007年05月31日
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昨日から雨だ。雨が降ると、のんびり過ごしていいことにしている。洗濯も、掃除も、できるだけしない。・・・しかし、我が家は大家族だから洗濯物はたまる。各何枚かずつある靴下や下着、タオルなんかはまあいい。問題は中学校・高校の制服であるシャツ、運動着など・・・。成長が早いから先輩からの大きなサイズのお下がりを除けば、シャツも運動着も各二枚くらいで、それを洗って乾かすサイクルで着せる。だから、今日どうしても洗っておかなければならない。頑張ろうかと思っていたのに・・・チビタマがまた学校に行けないでいる。私は昨夜、いろいろ考えたりしていたら、眠ったのは一時過ぎた。今朝、「弟改めクマ」に起こされた。何時かと思ったら四時じゃないか。始めは窓越しにかわいく鳴いていたのが、ほっといたら馬鹿声を出して騒いでいる。「うるさい」「クマ、帰れ!」「まだ四時だよー」なんてひとりむかついていたが、とうとう起きてしまった・・・三時間しか寝ていないのだ。チビタマは今日、全くダメって言うふうでもない。昨日は部活にも行けたので、良かったじゃないか。多少の筋肉疲労は体がなまったからだよ。「今日は学校行ってよ」「私は電話しないから」そう言って、キレた。そして寝た。さっき、起きてきた。学校へ無断で、しかも眠ってしまったが、先生から電話が来てチビタマ本人が話をしたという。そして「行けたら行きます」と答えたらしい。うーーん・・・うやむやな答えだったな。果たして今日も「いつ行くの?」「わかんないけど、体育と部活には出たい」「行けるのね?」「わかんねー」「・・・・」と言う問答が繰り返される。イライラする私に、「ストレスたまったらまたブログに書くんでしょ?」・・図星です。「たくさん書いてあげるよ」と言う私とし~子の目があった。「大丈夫、し~ちゃんのことはいつも書くから」「やだ、なに書いたのかしら? かわいく書いてね」なんて、思っているのかな。
2007年05月31日
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ずっと悩んでいることがある。猫たちと一緒に暮らせる家探しだ。学区内で、できれば今の家近辺の一軒家をさがしているが、なかなかない。焦ってもしょうがないが、何とかしなければならない問題が起こった。子猫がおもらしをするのだ。今は賃貸に住んでいるので、本当は動物を飼ってはいけない。以前、金魚やカブト虫なんかを飼ったことはあるが、今回は人に迷惑をかけてしまうおそれのある猫だ。時々大家さんが来る。幸いし~子は、うちでトイレが出来ないから、今までは臭いの心配もなかったし、えさだけ見えないところへ移動する。大変なのはし~子を必死で隠したり、外へ出したりすること。・・・とっても心臓に悪くて、私の寿命が縮まるってものだ。猫たちが来なかったらそんな心配をする必要はなかった。けれど、そんなことは言っていられない。早急に考え、対策しないと・・・とりあえず思いついたことは、木で小屋を作って外へ置くことだ。間違っても日曜大工の犬小屋のように、赤や青のペンキで塗ってはいけない。「し~子」などと表札なんかもダメだ。外見はあくまでも「物入れ」に見えるようにし、ちゃんと床も作る。大家さんに聞かれる事があったら(ないが)、園芸用の土(が好きな猫)を入れています、って言えばいい?!ずっと付き合ってきてわかったことは、し~子は完全家猫にはなれない。畑やちょっとした庭土があって、猫たちが散歩したり遊びに行く場所がないとダメなのだ。そのために私は、我が家エリアに園芸用の土を敷き、球根を植えたり、花のたねを植えている。耕したばかりのふかふかの土は、気持ちがいいらしい。さすが野良を二年ばかりやってきた猫だ。腰が悪い私は、風呂掃除をパスして家族にしてもらったりするが、し~子の為に球根や花のたねを植えるためには頑張れる。体力の限界は来てしまうので、30分ともたないが・・・し~子達にはその小屋に住んでもらって、外で暮らせる環境を作ればいいのではないか?そうすれば、し~子と離れることもないし、大家さんにも見つかりにくいので、私の寿命も延びそうだ。そうとなったら、明日は設計図作りだ。それをもとに、ホームセンターなどへ買いに行こう!パパに話したら、「ナイスアイデアだ!」と言われた。2人で、「雨降った時のために屋根には波板は欠かせないね」「風が強いときでも屋根が飛ばないようにしたいね」「窓、と言うか出入口は微妙に工夫してこだわってつけたい」などと盛上った。・・・おいおい、私たちが住む家ではないのだよ。とりあえず明日は、子猫のおもらしと戦いながら設計図を書こう。・・と言う、能天気かもしれない(実感ないけど)私の「ネコパレス45(し~子)」計画がスタートする。
2007年05月30日
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・・・馬鹿な話を書き込んでいたら、いつの間にか「アクセス数」が、1,000を越えていました。見にきてくださったみなさん、ありがとうございます。これからも、時間と話題が尽きない限り書きつづけたいと思いますので、ときどき、のぞきに来て下されば幸いです。よろしくおねがいします。
2007年05月30日
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うちの台所に三角コーナーは、ない。人にその話をすると、「なんで?なんで?」といわれるが、理由は、やっかいだから。確かに三角コーナーを置いていた時代はあった。でも、排水口、三角コーナー、水場などの掃除がめんどくさかった。毎日洗っておかないと、水カビなんかがついて、異臭を放つことさえあるじゃないか?!そうなると、くさい、汚い、嫌いのまさに3Kだ。なかったらなかったで、暮らせるのだ。ちまたでも割とポピュラーな、チラシを折った箱やビニール袋に入れたりして捨てる方法にしている。第一、三角コーナーを腐らすことがないから、ちょっとほっといても大丈夫。排水口のごみはどうしても出るが、少ないし、気づいた時一気に捨てればいいのだと気がついた。嫌いな物を片づけるとき、「私って、きれい好き いつかいいことが・・」なんて思うことはない。「なんであたしだけなのよ!!」と思うほうが多い。三度の食事も、さっき食べたのにまた作るのか・・と思う。花粉の時期には、あまりにひどさに、「目や鼻を取り外して分解し、洗ってまたつけることが出来たらいいのに・・・」と言うようなことを家族で話題にして、盛上った。「忘れて行かないように、ブザーとライトでお知らせってあったらいいね」「私は耳もかゆくなるから何回も耳掻きしたくなっちゃうから、耳もねー」「歯も、自分でここはしっかり磨いて、とかチェックできるから虫歯もないの。入れ歯みたいにね」「頭も、ちょっとひねったらカチッて自分で取れて、しっかり隅々洗えたか確認したい」「でも、目が頭に方に行ってたらダメじゃねーの?」(爆笑)「背中もねー」・・・あんたたち、一体何がしたいのですか?と思われるかもしれない。パパには実際そう言われましたが。
2007年05月30日
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午前中少し眠りに行った。しばらくしてし~子が来た。顔のすぐそばで、「に ゃ ー お」(声をひそめている)「???ママは眠いの・・・」でも、起こしに来たからには理由があるのか?仕方なく下へ下りたら、ご飯が無かった。「ご飯・・・しーちゃん、ママを起こさなくても袋に顔つっこんでたべれるでしょう?」「・・・・・」「ママ確かに、行儀悪いって言ったね。ハイハイ、すいません」起きてしまった。でも、朝5時に目が覚めてしまうから、つらいのよ・・・確かに早起きすれば、お弁当や朝食が充実することぐらい知っている。かといって、その分夜眠るのが早いわけじゃないからつらいんです。今日はそのせい?で、ダラ奥モードなのよ・・・今日は子猫たちおとなしいと思ったら、ダンボールハウス内部でぶらさがってみたり、それなりに楽しく暮らしている。まだ脱走する気はないみたいだ。し~子は疲れているらしく、自分だけ箱を出て涼しいところでくつろいでいる。そしてし~子は、あれほどダメだっていっておいたお昼寝用毛布の上で寝ている・・・「しーちゃん、返して」なんて言っても、完全無視。「人間が気持ちのいいものは猫も気持ちいいんです」なんて言葉を何回聞いた(・・ような気になった)か。
2007年05月30日
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実は昨日、子猫たちの社会科見学もした。台所にし~子のご飯と水置き場がある。そこまで連れて行ったのだった。母がご飯を食べ、水を飲む様子を子猫たちに見せたかったのだ。・・・なのに、慣れない場所に来たからか、自力で戻ろうとする奴がいる。一番興味を持ったのは「きゅうり」で、水入れに足を突っ込んで自分から水をぺろぺろ飲み始めた。続いてきた猫も、興味はあるようだが足を突っ込んでみたり、素通りしたり、鼻まで突っ込んでしまったり様々だ。ご飯のところにも行ったようだが、し~子が「ちょっと!なにすんのよ」とでも言うような、拒否する態度をとっただけで、子猫は匂いをひたすらくんくんかいでいた。飽きてきた子猫は教えてもいないのに、自力で箱をめざしている。今日は流れ解散でも、よし・・・現地解散で、帰り道がわからなかった子猫は、し~子のあとについて無事ダンボールハウスへと帰り着いた。昨日は、初めての野外活動と、社会科見学があって(私がしたのだが・・)子猫たち大変疲れたらしく、ぐっすり眠っていた。ごめんよ、子猫たち。婆(ばば)はつい親心でやってしまったが、ハードスケジュールで疲れたね・・・という、ひとりざんげをよそに、し~子さんは夜の、長いお出かけに行った。一時間も帰ってこないなんて、し~子、安心しすぎじゃないの?昨夜も婆の小言が飛んだ。
2007年05月30日
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チビタマが学校行った私にとっては今日の仕事が終わったも同然。安心したから寝て過ごせると思う。昨日、本人も「明日は○○があるから学校行こうかな」「学校で先生に、あー学校つまんね!って言えたらいいのにな」「クソヤロー。授業無しだったらいいのに。部活だけしてえ」などなど、言っていました。「んじゃ、学校でそう言って良し。先生には・・・何だとー・・って言われるだろうけど、そう言ってすっきりするんならOK! いいんだよ、学校で悪態ついたって」と返事した私に、「いや、やっぱまずいでしょ。先生には言えないよ」体育会系の先生には、体育会系のチビタマ、言えないんでしょう。大人の男の人の前では黙って首をたてか横に振って、返事し、やっと話すこともあるんです。わが息子にしては硬派なんですな・・・チロも真面目です。几帳面、生真面目です。オコジョ?・・・しっかりしてるけど、おとぼけキャラでもあります。オコジョも昨年度に学校へ行きたくないと休んだことがありました。町内でも悪がきで有名なYとその友達のRとのことがきっかけだった。わんぱくでうるさい、山形弁で言えば「きっかない(きかないの最上級?)」YとR。地域のお母さんたちにさえ有名で要注意人物だ。Yは車にひかれそうになったこと数回、ひかれたときなんか軽症で済んだという、丈夫な?男の子だ。Rは仕切り屋タイプで男の癖に口うるさい。Yがいないと女の子と遊んでるくせに、Yと一緒に悪さをする。その2人がいろいろ言ってきたりするので嫌になってしまったと。当時おとなしかったオコジョは何も言い返すことが出来ず、何か言われるたびに泣いていたと。・・それも二学期から悩んでいたのに私は自分とチロの件であまり聞いてやれなかったから、三学期になっても我慢しつづけたオコジョがもう我慢できなくなった、という。チビタマは妹がかわいそうで、YやRに「今度オコジョになんかしたら、覚えてろよ」と言ってやったらしい。元のように学校へいけるようになった頃オコジョは「きっとあいつらをみかえしてやる!」が口癖になった。苦手だった体育と、特に短距離走を頑張った。走っても走っても速くない、と落ち込むオコジョにチビタマが「ママに瞬足(ズックの商品名)を買ってもらったら」と教えたらしい。そしてそのズックをはいて走ったらクラスの女子で二番目に速かったと言う。スポーツが出来て小学校ではいろんな子に「チビタマ先輩」なんて言われていたお兄ちゃんを尊敬してやまないオコジョは、チビタマのアドバイスは聞く。オコジョは体育で走り幅跳びをした。前日まで、はじめての走り幅跳びに不安で嫌だ嫌だと言っていた。チビタマにこうやってするといいよ、とアドバイスされていた。体育の時間、オコジョは頑張ったらしく、「オコジョ、女子で一番の飛距離だった、すごいよ」と、チビタマのスポ少の後輩だったTくんに言われた。こういうことで体育が好きになってきた。いろいろと自信がついてきたオコジョ。悪がきのYが、「おれ、オコジョのお兄ちゃんの『チビタマ』知ってるぞ。友達なんだぞ。いいだろう!」と、自慢していたらしい。大好きなお兄ちゃんを、Yは四つも下なのに、お兄ちゃんはYなんて友達じゃないのに、しかもYのくせに呼び捨てにしやがって!! と、キレたオコジョはこう言ってやったという。「Y、おまえなんか兄ちゃんの友達なんて百年はやいんだよ! 兄ちゃんを呼び捨てするならおまえが5・6年生か中学生になってからにしろよ! 兄ちゃんにYが呼び捨てした話してやるからな」Yは「オコジョちゃんごめん」と、謝ったという。オコジョ恐るべし・・・
2007年05月30日
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生まれて物心ついてから?子猫たちは一度も土を踏んだことが無い。生後四週間、間もなく五週間目に入る猫たち。授業参観から帰ってきて、安心した私は子供を巻き込んで、「お外デビュー」なるものをやろうと思いついた。猫を一気に外へ連れて行く。し~子から「まだ早いわっ!!」と、苦情も予想されたが、なんとし~子ったら呼んでもいないのに、外へ来てくつろいでいる。子猫たちは皆、初めてのお外にわくわくドキドキ。私も、アパートの住民に見られないかどきどきハラハラだったが。「ここが、あんたたちが生まれた物置の下だよ」といい、一応入ってみることをすすめた。子猫一同お喜び!物置の下や地面を楽しみながら、猫たちそれぞれ好奇心の赴くままに行動。「あ、一匹足りない・・・」ダンボールハウスで、お外デビューに乗り遅れた奴がいた。「ぴー」「みんなも楽しいって言ってるから、あんたも行きなさい」と言って、有無を言わさず参加させてあげよう。し~子が、「あんた今までどこにいたの?」なんて言うようなそぶりは無かった・・・・・・し~子はん、点呼、点呼・・・しばし自由行動させたあと、集合!!「ハイハイ、おしまーい」とオコジョが言っても一匹だけいない。「し~子、いないヨ。一匹」し~子が、「にゃーお」声をかけたらやっと(しぶしぶ)戻って来た。四匹をダンボールハウスに戻すと、やっぱり呼んでないのにし~子が帰ってきた。唐突に思いついておこなった「第一回 野外活動」は、午後の晴天の中、成功に終わりました。今回、出遅れたり集合に遅れた子猫もいましたが、ケガも無く、迷子も無く無事に出来たので、次回も計画しようと思います。
2007年05月29日
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今から出かけるので緊張して、リラックスするために、ビデオを見ている。しかも、子供が録画した「はねとび」だ。・・・しまった。見たことがある人にはわかると思うが、これは笑いすぎる。リラックスどころじゃないぞ、コレ。参観途中に、思い出し笑いしそうだ。やばいぞ。・・・笑いがこみ上げてきたら、ひとりニヤニヤしてしまう。そして私は、「オコジョちゃんのお母さんって、にこにこしてやさしい」と思われてしまうのだ。「はねとび」のおかげで今日も、私のニセイメージがつくられるんだ。
2007年05月29日
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チビタマとお医者さんへ行ったら、「胃腸炎」だって・・・・・・その割には飲み食いするんですけどま、胃腸炎はストレスから来るって言うからなー。お医者さんに行ったついでに、虫さされの薬をお願いした。なぜに虫さされの薬?と思うかもしれないが、チビタマには市販の薬が合わない。以前、水ぶくれが出来た時、皮膚科でそういわれたのだ。でも、ここの先生は「どう考えても皮膚科の領域だろっ」なんていわない。チューブの薬を出してくれた。「ほーら、あった」なーんて思っちゃったりする。問題はそのあと。先生と、微妙に会話が合わない。「先生、この子は市販の薬が合わないようで、腫れたりじくじくしてしまうようなんです」「たとえばどんな?」「ウ○コーワとか、○ヒとか」「うーん、虫さされで普通は腫れるよ。かゆいだけの人はいないからねー」「あの、水ぶくれとかなんです」「(ちょっとムッとした顔で)・・刺されたらなるべく早くつけるといいんだけどね。とにかくつけてみて」・・・すみません。あの温厚な先生をムッとさせちゃったそうだよ。私が行ったのって皮膚科じゃなくて「小児科」だもん。専門外の薬をくれたのに、私ったらおばかさん。こんなに余計なことを聞いてはダメです。しかも、今そうなっていないのに、説明だけでわかりますか?小児科行って皮膚科行っての医者のはしごが嫌だったから、ここで言ったんでしょうが。薬さえもらえればよかったんでしょ、私。そんなこんなでまた、私のドジ話は増えていく・・・
2007年05月29日
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・・・私の子供時代には子供にしては壮絶?な出来事が多かった。ブログで晒してみたいけど、身元が割れてしまうではないか?!と思う。山形県の、何市何町どころか、「あー!○○さんの孫っ!!」とか、もしかしていとこが見ることがあったらやばい?ここに書く有名人やイニシャル、猫の名以外はすべて仮名だ。いとこなんかは憎しみ?!を忘れなかったか「うりこ」なんてありえないひどい仮の名をつけてやった。「大丈夫だ」と、パパは言う。・・・あんた、他人事じゃないか。そちらを実名で晒しますか?とはいえ、あまりにもおかしかったのでそのうちまた、とたくらんでいる。
2007年05月29日
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昨夜はとても疲れていた。いつもは十二時を過ぎないと寝ないのに、あれから部屋へ行っていつのまにか眠っていた。今朝は明るい日差しに、「寝過ごした?」と、焦って起きてしまい、そのまま起きてきた。こんなに早く起きたのは久しぶりだ。ちょっとのんびり朝の支度が出来た。今日もお弁当だ。チロは調理実習だから少なめでいいし、パパも少なくていいと言っていたので、ちょっと気が楽で、ちゃちゃっと詰めただけだ。・・・チビタマは今日もうちにいる。今日はお医者さんへ連れて行ってみようと思う。何か考えると気持ち悪くなって、食欲がなくって、耳鳴りなんかもあり、きっと精神的なものなんだろうけれど、つらそうな時が増えてきたからだ。午後はオコジョの授業参観に行かなくては。行事に参加するのはもともと気が進まないけれど、子供のためなので、頑張って出かける。オコジョも張り切って出かけたので。今日も朝から気分が晴れない。
2007年05月29日
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土日、そして今日、私がひとりになる時間は、寝るときだけだった。今日の私の予定は、ダイソーに行って、パン屋さんに行って、図書館か本屋さんで少し本が読めたらよかった。チビタマがいたからでかけなかった。留守番させて出かけることも出来たと思う。今になって、行ってくればよかったと思う。私は子供がいると何かと話を聞いてしまうたちだ。愚痴もある。質問もされる。家事をやっていても、ブログをやっていても、それこそ寝る前まで人の話を聞かなければならない環境にある。しょうがないと言えばしょうがないが、今日はさすがに疲れてしまった。ひとりになりたい時もある。それが出来ない時は、二階へ嫌な洗濯物片づけに行く。・・・なのに、誰かついてくる。黙々と洗濯物をたたむその脇で、話の続きですか?しょうがないからトイレへ行った時、用もないのに少し長く座ってみる。さすがに誰も入ってこないから、「しーん」と言う状態にやや満足。ひとりになりたい病が今日は悪化しそうにある。キレそう。ひとりにしてくれー!!
2007年05月28日
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我が家の晩ご飯はチロを駅へ迎えに行ってから作る。パパを待っているとオコジョの寝る時間に近づいてしまうからだ。チビタマが部活へ出ると、女三人の夕食になる。さっき、冷蔵庫の中を見たら何とかなりそうだった。今夜はチキン(冷凍食品)、サラダ、冷奴、残った味噌汁にしよう。思いっきりやる気のない手抜きなメニューだが・・・昨日頑張って作ったれんこんきんぴらと、鳥レバー煮、にも参加してもらおう。味噌汁は三人分くらいか?・・・インスタントの「あさりの味噌汁」を入れて、増量しようとか考えてるそうと決まったら心穏やかだ。あとは乾いた洗濯物の片づけだな・・・私は、洗濯して干すのは好きだが、たたんで片づける作業は好きではない。干す時のこだわり労力を取っておいて、片づけにまわせたら最高だ。・・でも、あいにくそれはできない。そもそも片付けと言うことが苦手だ。徹底的にやると一日かかって全部やってしまいたくなるくらいこだわるのに、少しずつ、が出来ない。それは昔からだから、性分としか言いようがない。やる気のないときに無理しても、誰かに当たりたくなるだけ。「私はこんなに頑張っているのに!」とピリピリするぐらいなら、散らかっていてもいいからにこにこしていてと家族は言う。それに甘えて、私は自分を甘やかす。
2007年05月28日
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なぜか疲れたので、ゆっくり過ごした。少し眠って起きたら、何だかすごいことになっていた。ZARDの坂井泉水さんが亡くなった。実感できない。毎日のように車の中で聴いているのに・・・病気療養中だったこともニュースで初めて知った。私が!私が!と言うような歌手やタレントが多い中、坂井さんのような歌手は貴重だった。声も、歌詞も、ビジュアルも、雰囲気も好きだったな。これからも私は、ZARDを聴き続ける。「ナントカ還元水」の大臣も亡くなった。しかも、坂井さんと同じ病院で・・・人の命の価値は、皆同じでなくてはいけないと思う。だけど、坂井さんを惜しむ人がたくさんいることは確かだと思う。お昼近くに眠って起きたら、学校を休んだチビタマがひとりでインスタントラーメンを作っていた。男の子でも自立は必要だと思い、自分で作って食べられるようになるために教えたのだ。この前の春休みに、目玉焼きトーストとベーコンエッグの作り方を教えた。調理実習で習ったジャーマンポテトはチビタマの大好物だったこともあり、繰り返し作った。家族にも好評で、パパとチロのお弁当の一品にもなった。チビタマは時間のある日やお腹がすいたときにこれらを自分で作っては食べている。洗い物もやってくれ!ベーコンがなくなったら知らせてくれ!と言いたいが。ああ、もう夕方。この頃ずっと食事作りが苦痛。私ひとりだったらほか弁か、カップ焼きそばでいいのに。だいぶ具合悪い時の食卓にはほか弁やお惣菜なんかが出た。・・・子供たちは、ほか弁も飽きてしまったらしい。仕方がない。何か考えるか。
2007年05月28日
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土曜日あんなに元気に出かけ、昨日とても楽しくていい勉強になったと喜んで帰ってきたチビタマが、今日はベッドから起きることが出来なかった。学校に行けなくなるときも、できる限り起きてきて朝ご飯を食べることだけはさせてきた。でも、起きても顔をこっちに向けず、食事も出来ず、気持ち悪い・・と言う。担任の先生にはその旨話した。なんだか今日、私は気楽だった。いつもは、電話するときに勇気がいる。今までは声をひそめて話していたのに、心なしかいつもより元気だった気がする。今日はちょっと、開き直って考えられたのか?電話が終わってから改めて、チビタマの部屋に行った。「今日はゆっくりしていいんだよ。具合悪いならしょうがないけど、チビタマがご飯食べないと心配だな」といったら、布団から顔を出したので、チビタマがいなかった土日の出来事を話した。チビタマも、昨日帰ってから遠征の話はしたけど、更におもしろかった話や帰りの電車の中で学校のことを考えてから気持ち悪くなってしまったことなどを話してくれた。安心したのか、朝ご飯を食べることが出来た。ご飯を食べ、落ち着いてくると決まって「学校が悪いわけじゃないんだよ。休んでばっかりじゃいけないこともわかってるんだ。でも今日は、だめなんだ・・・」と言い、今日もそうだった。休むと決まって、「チビタマ、あまり考えるな。考えすぎて心配しすぎるから気持ち悪くなるんだよ。せっかくだからゆっくりして」と、言い聞かせる。だけど、考えすぎてしまってストレスを感じているのは私も同じかもしれない。今日は、「寒くはないのに手足が異様に冷たいんだ」と言う。自律神経が乱れているのかもしれない。去年のチロがそうだったように・・・し~子たちに、「今日、兄ちゃんは休みだから、あんたたちと遊んでくれるって。よかったね」と言ったら「にゃー。ぴー。みゃー」と言っている。チビタマ、歓迎されているな。大好きな猫たちに思いっきりいやされるがよい。今日、孫たちの子守りは任せた。婆(ばば)は、少し休むで・・・。
2007年05月28日
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実は、ストレスでたくさん食べてしまうと言う、あまりいい傾向に無い生活をしていた。不安になると食べ、ホッとすると食べる。太ることはあっても、やせることは無い。家事をやったり、外出したり、好きなことをしたり、いろんなことをやって気を紛らせてみた。でも、だめだった。集中できないのだ。インターネットをやって、いろんなサイトをみたりしているとだいぶ紛れた。日記を、パソコンでつけていたが、ブログもいいなという漠然とした理由で、突然始めた。他の人のブログを見に行って、すごいな・・・と思う。私は初のブログだから何もわからないけど。昔から何かを書くことや、文字の打ち込みは苦にならない。日常あった、くだらない馬鹿話を文字にして打ち込み、自己満足して過ごす。家事の合間や、今まで小腹がすいていた時間、できるだけ打っていると、食べることを忘れて夢中になる。もともとそんなに外に出るのが得意でないから、こういうほうが向いていて、落ち着くかも・・・本当は働きにも出たいけど、もう少し回復してから、と思う。思いのたけを打ち込むと、すっきりする。これで少しは、やせはしないが太りもしないだろう?!「たまには外に出て、散歩したら?健康に悪いよ」と言うような目で、し~子が箱から覗いている。し~ちゃんは早く寝なさい。・・・はいはい、ママもね。明日からまた早起きしなければ。パパとチロの弁当作りが待っている。
2007年05月27日
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し~子にとって私は「ママ」だ。だって私に用事があるとき、「わ~わ (ママ)」と呼ぶ。私だけでなく、家族にもそう聞こえるのだから、間違いない。と言うことは一応し~子は義理?の娘になる。人間で言えば、うちの長女より年上だが、し~子は末っ子のつもりらしい。うちの人間の末っ子よりはるかにし~子の方が年上であり、大人だ。でも、ここに来てから次女を「おねやん(お姉ちゃん)」と呼んできたので、自分は末っ子として君臨しているのだろう。し~子がわが娘?になるということは、子猫たち、私の孫ではないか?!私はおばあちゃんになるのか?子猫たち四匹に「ばーやん」なんて呼ばれたらいやだな。(猫に「ば」なんて発音は出来ないだろうが・・・)できれば私は、猫たちに「婆さま(ばばさま)」と、呼ばれて見たい。そしてパパを、ぜひ、「爺さま(じじさま)」と呼んであげて欲しい。し~子達のダンボールハウスでは、一部屋で所狭しとわいわいやって過ごすようだ。その廊下では、先頭切ってのろのろ歩く「なっとう」に、「おそいでちゅね!はやくちてちょ!」とでも言うように、最後に来たはずの「きゅうり」がせっかちで待てないようだ。後から前の三匹を追い越そうとするものだから、狭い廊下で猫の将棋倒しになる。そして日当たりのいい(箱の蓋が無いの・・)もう一部屋を探検し、きゅうりはいつも必ずドアの隙間から、うまーく脱走する。子猫は今までも見たことがあるが、こんなにちびっちゃい頃から見たことが無かったので、日々観察・日々発見だ。今日もし~子は、婆さまに子猫を預けて、夜の外出に行った。・・・だから、しーちゃん、ママがもし、し~子の居ないまに子猫たちを売っ払ったらって考えないの?・・・毎日そういいながらも、爺さま、婆さまは子猫たちがかわいくって、食べてしまいたくなる。
2007年05月27日
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パパには、私にとって理解不能な癖がある。飲み会に自転車で迎えに来たのは家族内でちょっとした伝説になった。・・・まだある。車で往復30分かかるスタンドへ、「安いから」と言う理由で、給油に行くのはなぜだ?うちから3分とかからないところへもスタンドはある。金額だってごく一般的で、私はここに通っているのに。でもそれはもう慣れた。今日は、たまたま私の車をパパご愛用のその店に乗り付けて給油してきてくれると言う。・・・そうか、昨日私は、パパの飲み会へ乗せて行ったし、パパが帰りの終電に間に合わず、12時頃隣市への迎えを要請され、一日で同じところを予定外に2往復させた罪滅ぼしか?スタンドから帰宅したパパが、「行ってくる」と言うので、何気なく娘たちが「どこ行くの?」と聞いた。「スタンド」「さっき行ったでしょ??」「さっきはママの車。今度はパパの車だ」「・・・(絶句)・・・」・・・オコジョが、「ママのブログに書かれるかもよ」するどい。次女はやっぱりちゃっかりしている。オコジョはおっとりした顔で、飄々と毒を吐く。
2007年05月27日
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金曜日、私は飲み会だった。出かける時、パパは結局仕事で遅くなり私を送ることが出来ず、私は自分の車で行った。呑むことにしていたので、駐車場へ車を置いてくる予定だった。「帰りは迎えに行くから」と、パパが言っていたので、飲み会のあと迎えの要請をしたそして数分後、パパは小学生が乗るような息子の自転車でやってきた。私:「・・・(絶句)・・・パパも呑んだの?」パパ:「呑まないで待っていたから迎えに来たんだ」私:「じゃ何で自転車?」パパ:「自転車、いいよー」私:「パパのじゃなくてなぜにチビタマのなの?」パパ:「ママの車には、パパの自転車が乗らないって子供たちが言ったから」私:「何で車で来てくれなかったの?私の車、明日取りにきてもいいよね?」パパ:「明日めんどくさい」私:「パパのところは雨降ってなかったの」パパ:「(怒り)降ってたよ!」と、昔あったアニメ「一休さん」に出てくる「どちて坊や」のように質問攻めにした。その後、私の車に乗ってきた自転車を載せた。「後、閉まらないな」と言うパパに、あきれてものが言えなかった。そうだ、パパは私を迎えにきたんじゃない、車を迎えに来たんだ!私はそのついでに乗せられる荷物なんだな?と思わずにはいられなかった。
2007年05月27日
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私は2ちゃんねるを見るのが好きだったりする。そこで「だらしない奥様・・・」(通称 だら奥)のスレを見る。掲示板へ書き込むような勇気はないので、ただただ見てるだけ。私は過去、今よりはしゃっきり暮らしていた。幼稚園児がいたときはバスのお迎えまでにはきちんとお出かけモードにしなければいけなかったし、パパが市内通勤だった時、遅れそうになると会社まで送った。不意に人が来ようが、急な集合にも万全だった。専業主婦ながらも何時に何をする、という時間割のようなものが自分の中で決まっていた。食事作りにも手を抜かなかった。頭の中で漠然とした栄養分布表ができていて、栄養にも気を配った。一方でできるだけ時間のやりくりして趣味の手芸やソーイング、編み物なんかをし、こどもたちのパジャマや袋物、セーターなんかをせっせと仕上げては使わせた。役員になったらできる限り職務に励んだ。子供たちの話や人の話はほとんど聞き逃すことは無かった。だれがどうした話や、ポケモンの名前やタイプ、車の車種、予定や持ち物など、家事をしながらでも頭に入った。物が多いうちの中でも、どんなに散らかっていようが何がどこにあるか全て把握していた。今となってはそれがどうした、と思えるのだが、去年体調を崩すと一切出来なくなった。忙しすぎてパンクしたのだ。家族にとっては当然出来ていたものが出来てなくて困る。例えば、学校から渡されたプリントに返事を書いて提出するものがあってもすぐ返事を書くことが出来ない。挙句になくす。自動車税支払い用紙も一度なくしてもらってきたのに、その置き場所を忘れまたもらってくる。もらってきたものの支払いに行くことができず、いつまでも手元にはあるんだけど期限は過ぎて督促状が来た。見かねたパパが支払いに行ってくれたけれど・・・あるときは洗濯できずにあった洗濯物の中から、ズボンを捜して子供が着ていった。洗濯しても毎日は出来ないから、洗濯物は増える一方だった。ご飯も作れないどころか買物さえ行けない。パパがご飯を作ってくれたのはいいけど、しょう油が無い、卵が無い、米も無い・・・なんにも無いこともあった。食べた食器が朝からそのまま・・・仕事から帰っては家事、家事をしては仕事に行った。パパが私が寝ているとき、「ママは具合が悪くて今までみたいには出来ないから、ズボンなんか汚れていなかったらまた着ていきなさい」と言っているのを聞いたときもある。でもどうすることも出来ないのだ。実家の母に甘えることは出来ない。病気のことさえ話せない。母は、私がオコジョを生む時転勤先まで来てくれた事がある。でも、母にとって気分を損ねる出来事があるとすぐ帰ってしまった。私が入院して子供たちが不安定になり、泣いたりぐずったりすると「あんたたちはかわいくない」「言うことを聞かない子は悪い子だから、面倒を見ない」と言って更に泣かせた。そして、私が入院中の平日の朝ひとりでさっさと帰ってしまった。幼稚園も学校もあった。幼稚園に通うチビタマは延長保育が嫌いだったし、母がいてくれればよかった。でも帰ってしまい、人に頼ることが出来ず、パパはお迎えに行くために会社から時間をもらい、チロが学校から帰ってくると2人を留守番させて、また仕事へ戻った。夜、面会に来たパパと子供たちからそんな話を聞き、やっぱりな、と思った。パパと子供たちに不憫な思いをさせたのがつらかった。入院三日目くらいだったか。退院してすぐから家事と三人の育児が始まった。こんなこともあって、ちょっとやそっとではへこたれない私が出来たのだった。何も出来ない時、たまたま見た2ちゃんねるのそのスレに元気付けられた。「なんだ、私と同じだ」「私よりひどいじゃん」もう何日もおふろに入っていないとか、一日2ちゃんして夕方だとか、伝説になっている住民もいた。ネタかもしれない。でもいいんだ。住民をオチしてると、涙が出た。いつしか、「私もダラ奥でいいよ」「今日なんにもないからパジャマだったよ」なんていう、開き直りが出てきた。もちろん何も出来ない自分を責める日もある。パンクしそうな時、「ゆっくりやれよ、これでも暮らせてるぞ」と言う、住民の声が聞こえそうで、落ち込むとそこを見ている。
2007年05月27日
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去年の冬、し~子がうちに来て寝てばかりいた。寒いからしょうがないのかな、と思っていたけれどどうやらご飯もあまり食べない。かろうじて水は飲んでいるが、なんだか元気がない。次の日もうちに来て寝ていた。食欲は全くないようで、熱があるようなあったかさで昨日よりも元気がなかった。子ども達と様子を見たり話し合った結果、病院へ連れて行くことにした。人なつこい反面慣れない所ではパニックになることもある。ましてや野良猫なんだからし~子にとって絶対いやだよね・・・とも思った。でも見るからに具合悪く、肩で息をしている。何もしてあげなくて死んでしまうよりいいよね、と、有り金全部持って病院へ出かけた。チロがし~子を抱っこしたまま車に乗った。5分ほどで着くのだが、し~子にとっては大変で、窓から見える風景に目をまん丸にしていた。夕方だったこともあり、病院は混んでいなかった。受付で問診票に記入するのだが、誕生日、年齢、病歴、体重などなど・・・私たちにはわからなくて書けない事も多かった。診察台の上でし~子は、体重を量り、熱を測ってもらった。その刺激でうんちをしてしまった。パニックになっている私と、申し訳なさそうに力無く鳴くし~子に、お姉さんが「だいじょうぶですよー、し~ちゃんごめんなさいね」と優しくなでてくれた。獣医さんが診察後、治療内容や検査の金額などを説明した。もちろん野良だし、飼い猫でも飼い主としてどうするかの判断はお任せしています、と言うことだった。悩んだ結果、お金はかかるけど必要なことなのでお願いした。お姉さんが、目をまん丸にして私にすがるように離れようとしないし~子を連れて行った。戻ってきたら獣医さんと、「下痢をしているようですが、いつからですか?」「野良の通い猫なのでわかりません」「ご飯や水はどう?」「ご飯はほとんど食べてません。水は少し飲めます」などと話し、病気のことなどの説明があった。今回し~子はお腹に来る風邪である胃腸炎で、脱水症状と黄疸の心配があるから点滴治療になるということ、検査結果では肝臓が悪いのと猫エイズに感染していることを宣告され、私は今回死に関る病気でなくて良かったと思ったのもつかの間、重大な宣告にショックを受けた。点滴は大変だった。幸い?し~子は少しぐったりしていたので、抵抗はしなかった。ただおとなしくされるがままだった。けなげに私を見つめて痛いのをこらえて点滴されているし~子に、声をかけてなでてあげるしかなかった。時々、お姉さんが来るとうなる。「あーしーちゃん、痛いの嫌だったのね。ごめんなさいね、もうすぐ終わるから頑張って!」と言われている。終わってからもし~子は私から離れることは無かった。待合室でじっと待っていたチロは、獣医さんに病気のことを説明されて驚いていた。でもそれよりも、し~子が助かってよかったとほっとして泣きそうになっていた。獣医さんも助手のお姉さんも親切でよかった。帰りに治療代を払う時、うちの苗字にし~子の名前を付けて呼ばれた。診察券も出来た。薬ももらった。ペットは保険が利かない、とは聞いていたけれど、人間より高い治療代だった。翌日も点滴に行った。少し元気になったし~子は鳴いて点滴を拒否した。私の背中に乗って暴れたり、お姉さんが持って来た聴診器などを落として妨害した。昨日のあのけなげなし~子はどこ行ったの?!
2007年05月26日
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今日は土曜日。パパも子供たちも休日だ。チビタマは泊まりの遠征試合に行った。昨日までとは別人のように早起きしてうれしそうに出かけていった。昨夜私がいない間張り切って自分で遠征の準備をしたそうだ。小学校時代から泊まりの遠征はあり慣れているが。朝は早起きをして送り出した。天気が良くて暑くなるという天気予報と違って朝から曇って今にも雨が降りそうだった。今日は洗濯あとでいいや、と思ったのでパス。チビタマが学校に行く行かないで悩まずすごせる、疲れた心を癒せる休日になった。今日はパパが飲み会だから送っていった。隣市での飲み会だから、うちから駅まで自転車で行って電車で行くと言っていた。駅の駐輪場に停めたはいいが、電車に間に合わなかったらしい。次の電車時間では遅れる、と言うので駅まで迎えに行って隣市へ送った。今夜はチロ、オコジョ、私の女三人で食事に行こうと言う事になっていた。行く店も決まり、出かけるときになってのパパからの電話だったから、急遽隣市で食べてくるか、と考えた。・・・が、あまり店を知らない私たちが行った店はだいぶ込んでいて車も停められなかったから、私たちの住む市内へ戻ってから食事した。少し遅い食事になって、オコジョがいろいろ食べたかったらしく「デザートにフレンチトーストが食べたい」と言っていたものの、ご飯を食べてお腹いっぱいだったので、明日の朝ご飯に作ることにした。パンがないよね、と言って買物したら私たちがうちを出てからかれこれ二時間半は経っていた。し~子のご飯と水は山盛りにしてきたけど、心配はしていた。外灯もつけずに出かけた真っ暗い玄関でやっと鍵を開けたら、「にゃー」聞き慣れた声と共に何かが飛び出していった。「しーちゃん、おんもいきたかったのね」とチロ、オコジョは言ったけど、暗くて見えない中飛び出してくるなんて心臓に悪いよ、しー子。
2007年05月26日
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うちのすぐそばにいとこの一家が住んでいた。毎日それこそ365日で520日ぐらい(!!)会っては遊んでいた。いとこ姉妹と年がそんなに違わなかったこともあり、特に妹の方は私をライバル視した。いとこの姉(はなちゃん)の方は面倒見がよく優しかったが、妹(うりこ)の方はしょうもなく生意気できらいだった。毎日うちに来てはおもちゃ、服、ズックなど自分の持っていない物があると「ずるい。marchinばっかり」と言っては叔母や祖母にねだる。いとこのうちは裕福で、食事に洋服におもちゃに・・・とお金をかけられる余裕があった。朝学校へ行く時、迎えに行っていとこの朝食に「ここは東京ですか?」と思った。トースト、紅茶、ハムエッグ、くだもの、ヨーグルト・・・かなり年数が経ったであろうわらぶき屋根の床のきしむ家に住んでいるとは思えない光景だった。・・・それに引きかえうちは、両親共稼ぎにもかかわらず、つましい食事、2枚くらいしかない私服、とにかくなんにもなかった。朝食だって、つけもの、納豆か生卵かけご飯・・以上・・だった。幼稚園に入る前だったと思う。ある日うりこと、おもちゃのおしゃれセットに入っていたネックレスや指輪など私の宝石で遊ぶことになった。はなちゃんと遊ぶときは、ハンカチの上に乗せて飾ったり、祖母のスカートやスカーフなどをたんすから引っ張り出して着て宝石を着けては「奥様、主人に買ってもらったんですの」「わたくし、自分で買いましたのよ」なんて上品な遊びをした。それは楽しくて好きだった。でもうりこだ。うりこと遊ぶときはいつも大人に何かしら怒られる。うりこは二階に行き屋根に登ってそこからおしっこをしてみたり、小さい子や知らない子が来ると手を思いっきりつねったり髪の毛を引っ張って泣かせたりする。うりこが呼ぶので見に行っただけなのに、私のほうが年上だから何もしなくてもうりこの分まで怒られた。だからうりこには本当はこの宝石を使わせたくなかった。「かして」「大事だからダメ」「なんで」「だってうりちゃんにかしたらこわされるもん」「おかあさーん、marchinが・・・」と言うやり取りに、お茶飲みしていた祖母と叔母がそろって「かしてやれ」と怒鳴った。強い叔母に、怖い祖母・・・私は黙ってうりこをにらんだ。すると叔母と祖母の顔色が変わり「marchinはなんで根性悪いんだ」と祖母に叩かれたあと、両親のしつけが悪いだのと、ここにいない両親の悪口を言い始める。仕方なくうりこと宝石で遊び始めた。少ししずかに遊んだと思う。そのうち、慣れない静かな遊びに飽きたうりこは指輪をイヤリングにし始めた。うまく耳にかけられないので力任せに引っ張ってつけようとしたら指輪が壊れた。ここで叔母や祖母に「うりこがこわした」なんて訴えてもなんにもならないことを知っていたから我慢した。こんどは偽真珠のネックレスで遊んでいたうりこが、それをばらばらにした。自分のはなや耳に入れるしぐさをして笑っていたが、今度は私のところへ来ていきなりはなに入れてきた。「いやだ」「もっとする」(うりこ)と格闘になり、蹴ったり叩かれたりしていたが、年下とはいえ凶暴なうりこに勝てるはずもない。さらにはなに偽真珠を入れられ、怒りが爆発した私はうりこのはなにも仕返しを始めた。のんきにげらげら笑いながらお茶のみ話をしていた叔母と祖母が止めに入った時には、私は鼻血を出し体中こぶと傷だらけ、うりこは私が入れた偽真珠が取れなくなってもがいていた。2人とも頭に祖母のげんこつがとんできた。私はここからの記憶がなく、うりこが病院へ連れて行かれたのを後で知った。
2007年05月26日
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し~子さんの4匹の子猫たちは、ダンボール箱の中で活発に動き回るようになった。し~子がゆっくり寝ていたいときや静かにしていたいとき、ダンボール箱の蓋が開いていると「まぶしくて子供たちが眠れませんの」「ちょっとママさんたち静かにしてくれないかしら」とでも言うように、箱から真剣な、または怒りの顔を出して訴える。ダンボールハウスは工作好きなチビタマの考案で、2部屋の廊下つきになった。ちゃんと窓やドアもある。し~子たちがこの部屋に住んでからしばらくはし~子が長く暮らした一部屋で過ごしていたが、最近外に興味を持つ子猫が出てきた。同じように見えた子猫たちは微妙に特徴があって性格も違いそうだ。いちいちこの猫が・・・を家族で言っていてもわかりにくい。そろそろ名前をつけてしまいたい。メンバー(仮の名)1 きゅうり・・・一番活発でリーダー的存在。背中からしっぽにかけて白い毛が白髪のようにあ る。抱っこしても震えたり鳴かず、好奇心旺盛で箱から脱走する。2 かにかま・・・きゅうりが動き出すとついていく。お尻に白い毛がある。抱っこするとすぐ震え たり鳴いたり。3 まぐろ・・・一番目立たない。いつも三番手だが急に脱走していたりする。4 なっとう・・・おとなしく、し~子のそばにいることが多い。ひとりで箱に残っていても平気。子供たちはその日の夕食で食べた手巻き寿司の材料名を猫たちにつけてそう呼ぶ。だけどとりあえずの仮の名としたい。なぜなら、し~子が病気になり動物病院へ行った際、ペットはペットの名前で呼ばれたからだ。うちの苗字に猫の名をつけて診察券、カルテなどが作られる。例えば、鈴木さんちで飼われているウシという名の猫だったら「鈴木ウシちゃん」と呼ばれる。診察中や何か話をする時も「ウシちゃん、お熱測らせてね」「ウシちゃんのおかあさん、ウシちゃんお水が飲めてますか?」なんて具合に。だから変な名前を付けてしまうと飼い主がこの場で初めて、はずかしい名をつけたはずかしい飼い主としての実感をしなければならない。「ほらえもん」と言う名前を付けて何年もかわいがっていたりする。ほかのペットたちが「ももちゃん」「コパンくん」なんて名前だからって、うちの子が急に不憫に思え、自分もはずかしいので即興で名前を変えてもしょうがない。「ほらえもん」がいまここで急に「りき」と呼ばれて「俺を呼んだな」なんて思うはずがなく、「それだれ?」と思うはず。だからうちの子猫たちの名はもう少しじっくり考えたい。今は仮の名で呼んでも・・・名前が決まったら命名式でもしようね、し~子さん。
2007年05月26日
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行ってきたよ、飲み会。あんなに気が重かったのに、楽しかった。おいしい料理が食べられたし、たくさんぶっちゃけ話した。嫌いな自己紹介があって、立たなきゃと思ったら足がしびれていたので、一生懸命治していたら反対周りで気が抜けた。いろんな人のいろんなおもしろい話を思わず正座して聞いてたらまた足がしびれてしまった。左足が自分の足じゃないまま立って自己紹介した。子供がらみの飲み会なので、子供の話をした。話をすると悩んでいるのはうちだけじゃないんだと、一緒に考えたりはげましあったり、情報交換できた。それだけでも大きな収穫になった。久しぶりに家族以外と馬鹿話をし、腹がよじれるほど笑った。今、ほっぺが痛い・・・笑いすぎだぞひじが痛い・・・トイレでぶつけてきた楽しかった。
2007年05月25日
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チロの部活が終わって帰ってきます。とはいっても、うちに着くのは一時間後くらい。いろいろあってチロはことし転部したけれど、それでよかったんだね。新しいことに戸惑いつつも、中学校時代と同じ部活でゆっくり活動中。今年クラス替えもあって、心機一転新しいクラスで友達も出来、明るい顔で暮らせるようになってよかった。 飲み会・・・と重い気分のままその後少し寝てしまった。オコジョが学校から帰ってきた。眠くてふらふらするけど洗い物した。洗い物しながら、買物を思い出し買物に出かけた。うちから徒歩30秒くらいでスーパーがある。どんなに熱があっても行ける近さ。買物しながらメニューが決まり、一安心。今日は丼物と味噌汁だ。飲み会に出る時はこどもたちにデザートを買っておく。あとは着ていく服や準備だ・・・まだ気が重いけれど、パパが飲み会の場所へ送ってくれると言うので、準備していくだけ。今日は無理しないで過ごそう。
2007年05月25日
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昨日までとっても天気が良かったのに、雨降ってます。昨日のうちに洗って干せばよかったのね。今日は飲み会があるから実は今すごく緊張している。悪がき伝説があるくせに、結構人見知りだ。パパと出会っていなかったら、私が人に会いに行くなんてなかったかも。何度か会って話せるようになればなんてことないのだが、初対面と言うのがにがてだ。何を話せばいいのだ?・・・でも初対面がなければ次回からがないわけで・・・妙な沈黙と言うのが嫌いで、気を使い気を回しすぎる。そして必要以上にしゃべってしまう。結果すごーく疲れる。翌日の疲労感がすごい・・するともう外に出るのは緊張する⇒気を使って疲れるからいやだ⇒気が重い・・・以下同文 となってしまうのだそうだ。晩ご飯も作ってから行かねば。「一日パソコンに張り付く生活になったの~」なんて言えない。しかも、朝は食パン、昼の弁当は休みじゃないか・・・頑張って洗い物し、ご飯ぐらいは炊こう。洗い物するうちに、じゃがいも洗ってなにかと煮てみよう、なんて思えたらラッキー!外でしゃきっと頑張ってくる自分もいるんだけど、この頃気が重い。特に今日は・・・去年どんなに具合悪くても、遠くへ通勤通学するパパとチロのお弁当を5時おきで作った。今は6時にやっと起きて、ぼーっとお弁当を作るのが精一杯。酒豪だったのに、今はあまり飲まないからつまんないのかもね・・・日本酒と言えばmarchin0206、だった二年前までが懐かしい。・・・もう無茶が利かない年なんですわ。私だって大変なんですの・・・と言う、し~子の忠告が聞こえるようだ。
2007年05月25日
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私は子供の頃両親が働いていたから、祖父母と過ごすことが多かった。祖父母は厳格で箸の上げ下ろしから姿勢はもちろん、勉強するときのノートや教科書の位置、スタンドの光の当たる角度までうるさかった。2人姉妹の姉である私は、将来お婿さんをもらって家に残ることになっていたから、いろんな意味で厳しくする必要があったのかもしれない。更に私は、一年中反抗期だったこともあり毎日怒られていた。妹にとって悪いお手本だった。怒られると自分の部屋にこもったり、近所の友達と夜七時ごろ真っ暗くなるまで遊んで発散していた。ひとりでも平気だったから、よく空想していたちょっと変な子だった。近所に牛を飼っているうちがありそのための牧草地もあった。牧草地にいると私たち子供は見えない。そこから道行く人に、「おんちゃ-ん(おじさーん)」 「○○君のばーちゃーん」などと大声で呼んで、「どこから声が??」と探す様子を見てげらげら笑った。 ←ーー馬鹿者!またあるときはこれまた近所のよそのうちのトイレにいたずらをした。 ←ーーきたねー当時、汲み取り式トイレが主流だった。wさんちの汲み取り口が幸か不幸か道沿いにあり、バキュームカーが来ると近所の男の子たち(毎日遊ぶ私の子分)が忙しく遊ぶのをわざわざ中断して見ていた。ひとつ年上でお姉さん的(ガキ大将とも言う)存在だった私は、「よその家のだ、あんたたち見るな。やめろよ」と言い、静かに見ていた。ある日、汲み取り口がベニヤ板で簡単に外せることをいいことに、そこを外して中にいろんなものを投げ込もうということになりみんなで始めた。はじめは小石だったり棒切れだったのが、おもしろくなってきたのでエスカレート。落ちていたおもちゃや終いには壊れたバケツなんかも拾ってきて入れていたと思う。一日だけでなく繰り返しやったと思う。 ←ーー悪がきだなみんなで何を考えてそうなったのか未だにわからないが、wさんにみつかっておこられただけでなくうちのこわーい祖母にまで「Tさんの孫がやった。女の子だからまさかと思ったけど」とすぐ言いつけられて、こってりこってり怒られたのは言うまでもない。以来私はwさんのおばちゃんが許してくれないかな、なんて思いながら行動も控えめにして会うたびにきちんとあいさつをし続けた。おばちゃんは優しかったのですぐに許してくれたんだけど、うちの祖母が来る人来る人に、「うちのおっきな孫がヨ・・・」と妹の方じゃなくてこいつ、みたいに語って聞かせたので、語り草となった。よそのおばちゃんが「こんな話したらmarchin0206ちゃんが嫁にいけなくなるから・・・」と言ってくれたけど、「marchin0206は婿取りだから大丈夫だ」と祖母は妙な安心をしていた。でも私は、無事、長男であるパパと結婚し家を出た。パパには結婚してから私の悪がき伝説?を話した。 ←ーー結婚してからでよかった
2007年05月25日
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し~子が語ります私はお母ちゃんと弟と幼少時代暮らしてた。物心ついたときお父ちゃんはいなくて、たまに訳わかんなくお母ちゃんを怒らせるおじちゃんみたいな猫が一匹来ていた。おじちゃんはお母ちゃんに「子供たち大きくなったな、何匹いんだ?あ?」と言って私や弟をながめてみたり、「俺のねぐらが混んでんだ」と言っては私たちのねぐらに来て泊まった。昼間あくせく働いて私たちを育てるお母ちゃんに、「よく働きますねー」と言って私たちのねぐらにいたことがあった。そんなとき、お母ちゃんは「出て行っておくれよ、みっともない」と追い出しにかかった。そして私に、「塩まいとくれ」っていったけど、あれ、なんだったのかな。そんなおじちゃんだけど、弟と2人(二匹)でご飯を食べていると「これも食え」と言ってすずめやかえるを持ってきてくれた。気持ち悪いからこんなのいらないって言ったけど、弟が食べているのがなんだかおいしそうで少し分けてもらった。おいしかった。お母ちゃんはとっても優しい人(猫)だった。貧しい暮らしで大変だったのにいつも笑ってた。意地悪な人間に水をかけられても、「いいときに雨降ったね~、おかげでわたしゃきれいになった。ほーらぺろぺろ・・・」ときれいになめて毛づくろいした。お母ちゃんは雨が降るとお仕事が休みだったから、いろんな話をしながら毛づくろいをした。私もそこで毛づくろいを習った。弟はやらなかったけど。貧乏だったけど幸せだったな。弟はいつのまにか悪い仲間たちと行動するようになって、悪いこともした。私たち親子はみんな黒猫で見た目そっくりだったから、弟が悪さをしても私やお母ちゃんまで疑われた。ゆっくり日向ぼっこをしていたら、弟だと間違われたお母ちゃんが棒で叩かれてケガをしてしまったの。ただでさえ黒猫は縁起悪いとか気持ち悪がられるけれど、色だけで差別しないで欲しいわ。わたしは、思いっきりぺろぺろ毛づくろいしたら、白猫とは言わないからせめてグレーや茶色の猫にならないかしらって思ったこともある。でも、無理だったわ。ぺろぺろ歴が長いお母ちゃんいつも真っ黒だったもの。でも、美猫だった。弟はねぐらに帰ってこなくなっていたけど、ねぐらに悪い猫が来て嫌がらせをして騒いだり悪さをするから、人間に追い出された。おかげで私たちはねぐらに住めなくなったんだ。その上追い出された時、お母ちゃんと離れ離れになってしまった。弟のせいで一家離散よ!
2007年05月25日
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昨日S君が元気づけてくれたのもあって、チビタマは出かけることが出来た 同じ部活のK君だって心配しているよ。・・・でも、制服に着がえながらも精神的なものと思われる腹痛、気持ち悪さがあって、このまま学校へ出してやっていいんだろうかと悩んだ。本人は今日は頑張ってくると宣言し、自分で全ての準備をした。自分でできるということはやる気があるな昨日は担任の先生から電話があった。今日学校へ行かなかったら学校へ連絡し担任の先生が我が家へ来ることになっていた。チビタマと話がしたいと。チビタマ、それ嫌だったのかもしれない。先生は好きだけど。部活には行きたいと言ってます、と言ったら先生、明るい声で安心したようだった。担任の先生も学校で結構活発な部の顧問だから、チビタマが部活を頑張りたい気持ちをわかってくれる。チビタマが今仮入部しているのは学校で泣く子も黙る?と言われる強豪なスポーツの部だ。チビタマはスポーツが好きでS君とK君と一緒に小学校からやってきたそのスポーツを迷わず続けている。憧れの強くてかっこよくてやさしい先輩たちと一緒に練習したり、行動するのが大好きだ。もちろん強豪で泣く子も黙るほどだから、練習はかなりきつい。でも頑張ってくる。それを担任の先生は知っているから、厳しいことはあまり言わないではげましてくれる。気持ちが悪いと言いながら出かけようとするチビタマを送りながらも、休ませた方が良かったのかなという迷いがずっとあったけどチビタマがやりたい部活にも行けるんだからとりあえずいいとするか。元気に過ごせるといいな。 昨夜はパパが飲み会で泊まりだったので少し気を張った。パパは去年から、うちから車で1時間半のところへ通勤している。そこは新婚時代転勤で住んでいたところだ。去年転勤が決まった時、パパは迷わずここから通うと言ってくれた。子どもたちの学校や住む環境がパパは気に入っているので。・・・とはいえパパ毎日ご苦労様。帰りは必ず眠くなるし、寝に帰ってくるだけのような日もある。夜遅くに帰る電車が無い。だから飲み会で遅くなるときは泊まりになる。パパはいつもは朝早くし~子に起こされ、早く出かけるチロを駅まで送ってくれる。今日はパパがいないから私が駅まで送るんだけど、寝起きの悪いチビタマとオコジョを起こし・・・と考えただけでも大変だったから、今日だけチロのお弁当は休ませてもらった。チロは電車で隣市まで行ってから自転車で学校へ行く。途中のコンビニでお弁当を買って行くよと言っていたが「おにぎりしか売ってなかった」とメールが来た。・・・ごめん、チロ
2007年05月25日
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今夜は少し早めに寝ようと思ったのに、あれこれしていたらこんな時間になった。今度はし~子と子猫たちが騒ぎ出した。今日は私がし~子のお世話係だ。し~子は夜中か明け方子猫たちが寝静まったあと、外に散歩しに行く。し~子はもともと野良で今も半野良生活だからうちでトイレする習慣が無い。外の植えたばかりの花の土や畑の土が好きらしい。トイレの世話をする必要は無いが、具合がいいか悪いかを便で知る必要があるとき困る。しずかに私やパパの顔のそばに来て「にゃー」と声をひそめてお知らせ。ハイハイ外ね、ということになる。朝早くし~子そっくりなオスの体格がいい黒猫がやってくる。し~子を窓越しに探すけれど、し~子は興味が無い。私たちはそのオス猫を「し~子弟」と名づけていた。様子が変わったのは今年の春。猫たちの恋の季節に「し~子弟」とたれ耳君がし~子に会いにきていた。し~子は妊娠して、生まれたのが黒猫だから、「し~子弟」は実は子猫たちのおとっつあんだったのかもしれなくなった。昨日は珍しく夕方来ていたから、「よう!」と声をかけた。尻尾振って喜んでるよ。し~子よりも尻尾がかわいかった。・・・でものっそりと動く姿は熊そのものだった。北海道のおみやげにある鮭をくわえた熊を、鮭とって猫にしたらこいつになる。昨日から「し~子弟」改め「おとっつあん」改め「熊」になった。ちなみにたれ耳君が来なくなった頃、オコジョ(次女)が猫の死体を見つけた。姿かたちがたれ耳君に似ていたから、お亡くなりになったのかもしれない。オコジョは、し~子に「たれ耳さんのお葬式に行ってきなさい。世話になったんでしょ」と言った。その後出かけていったからし~子はたれ耳君のお葬式に行ったかも知れない。そんなこんなでし~子さんは私たちのこんなくだらない話に付き合ってくれている。のりやすいって言うか・・・今日も明るくなってからし~子は私たちの馬鹿話やひとり芝居に付き合い、私たちを和ませてくれるでしょう。
2007年05月25日
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結局チビタマは学校へ行くことが出来なかった。私は昨日の睡眠不足やいろんな疲れがどっと出て、午後眠った。今月に入ってから続く心配事に平気でいられるほど私はタフじゃない。 去年の春、私は心のバランスを崩し、2006年と言う年のほとんどを病気で過ごした。前々からの予兆のようなものはあったけれど、まだ大丈夫、まだ我慢できる・・・と私の許容量を超えた。普通の生活が出来なくなった。人と会えない、家事が全く出来ない、大好きだった読書も、ドラマにはまることさえ出来なくなった。気がつけば涙が出て仕方がなかった。さらにストレスがたまると耳鳴り、吐き気がした。一日の半分を寝て過ごしたのはまだいいほうで、さらにストレスが重なって不眠症にもなった。眠くてたまらないと言う贅沢な悩みは昔からあったけど、全く眠れないのは予想以上に大変だった。 ひとり泣いて過ごしていた頃し~子が来ると、一方的に話をした。私:ママは病気だからし~ちゃんのことかまってあげられないよ・・・し:(無言)私:し~ちゃんはどこから来たの?どうしてここに来たの?し:にゃーお にゃー私:ないしょ?!で、とにかくなんか食べたい?・・・こんな感じだった。 割と私は家族の前ではくだらないことを言って笑わせるのが好きだ。勝手な想像で物語ってひとり盛上っていく私にパパは「ママのひとり芝居が始まった」と言い、「ひとり芝居」をするのが自分でも楽しかった。だから私が元気な時期はし~子を私のひとり芝居の役者に駆り立てた。 夜、チビタマの大の仲良しのS親子が来てくれた。Sとチビタマは幼稚園の頃からの友達だ。一緒に水泳やスポ少を始めて苦楽を共にしてきた。近く遠征があるから明日は学校に出て来い、と励ましにきてくれたのだ。明日は学校にいくと言うチビタマ。Sの顔を見たとき、はにかみながらも今日一番いい顔をしていた。
2007年05月24日
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し~子さんが人間語を理解し始めたけれど、私たちもし~子の欲する事などわかってきたつもりだ。「ワーワ(ママ)」、「ごはーん」、「おはよー」、「ねーやん(お姉ちゃん)」、「オンモー」などなど。もちろん人間じゃないからはっきり「ごはんください」「そこあけて」なんて言う訳無いが、ネコと暮らしていると本当に必要なことは伝わる気がする。でも今朝はちと理解不能だった。やたらにゃあにゃあ言ってなかったか。私が人間足で10歩引いて考えればし~子の一生懸命さは買うよ。けど、わからん。 子猫たちはかれこれ生後4週目に入った。5月3日の憲法記念日という大そうな日に外の物置の下で生まれた子猫たち。私たちはチビタマたちの試合の応援で忙しかったし疲れて帰ってきた。その夜し~子は大騒ぎをした後ひとりで生んだらしい。子猫たちを連れて我が家に来たのは5日、子供の日だ。子供の日は子猫にもやさしいと読んだかどうかは知らぬがお披露目となった。しかも「雨降りそうだね」という心配をし~子もしたのか,まずは1匹私に預けて、2匹3匹・・と連れて来たのだ。何匹生んでたのか全く予想も出来ない私たちは,1匹また1匹と連れて来るマンガみたいな未知の出来事に驚き笑うしかなかった。何匹生んだのよ、という私たちなど気にせず4匹連れてきて、その後改めて最終確認に行ったし~子。人間でさえ、下手すると点呼し忘れ迷子が出る,なんてこともあるのに責任感のあるネコだと感動さえしたものだ。
2007年05月24日
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昨夜はブログに興奮したり考え事をしすぎて眠るのが大変遅かったでもいつも通り朝は来た。悩んでも悩まなくても,楽しくても悲しくても朝は来る。つらい時私は「朝が来なければいいのに」思っていたけれど、新しい朝が来ることは解決への糸口もあるかもしれないし予想外の楽しい出来事に大笑いするかもしれないと思うようになった。実際一日中つらい日なんてない。楽天的に物事を考えられるようになった今そう思う。 今日もチビタマ(長男)はみんなが登校する時間学校へ行けなかった。部活はしたいから遅れてでも行くよとチビタマが言うのでその旨学校へ連絡した。私まだ,こういう日々に慣れない。学校へ電話するのも,チビタマの表情が暗いのも・・・。入学してから10回目の渋り。不登校という言葉がよぎってくる。学校行けないのに部活どころじゃないぞ 部活だけに参加することは出来ないんだぞといいながら、今のところすぐ解決するような見通しはなさそうだ。一年かかってでもいいから大好きな友達や先輩に会いに学校へ行って欲しいと願う。
2007年05月24日
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ちびすけはし~子から離れて行動できた。子猫はうちに来る前に生んでどこかへ隠しながら育てていたらしい。そうか、どおりでし~子の体がこうだったんだとわかった。黒猫だから日差しを目いっぱい浴びて暑いのか、車の下にもぐったりもした。それで好奇心でつい、パパの車の裏のどこかに乗り込みパパと一緒に出かけてしまい、やっと停まった時にコトンと降りていったのでは。しかもそこはチロ(長女)の通う隣市に程近いではないか。知らない人ばかりでなかなか友達が出来ずに、入学して4キロもやせてしまったチロを「お姉ちゃんを見守ってくる!まかせて。」と旅に出たのかもしれない。たった1匹しかいない子猫(ちびすけ)を母ネコし~子は捜すかもしれない、どうしようか・・・と心配するまでも無く、無駄に終わった。 だって、一度も捜さなかったんだから。 今思い出しても、美猫であるし~子に比べてちびすけは「おまえ、牡蠣フライみたいだな。しかも焦げて食えないやつな。」と言いたくなるほどかわいいとは言えない容姿だった。もしかしたら成長とともにびっくりするくらいの美猫になったかもしれないが。野良猫のたくましさでし~子はよく狩りをしては親子で食べていた。あるときはやっと買った私の車の下ですずめさんを食していた。またあるときは玄関にうなりながらやってきて、玄関マットの上にお亡くなりになったばかりのねずみさんを寝かせた。ねずみさんはし~子にとって食すものではなかったらしく、我が家への貢物ではなかったか?そういえばすずめさんも食されないまま私に見えるところへ持ってきたことがあった。 当時は100%うちでえさを上げていたわけではなかったから、「お宅、食糧足りませんね?」とでも言いたかったの?し~子さん。 のちのちし~子は病院通いするけれど、そのとき知ったことはまだ若いんだって言うこと。2歳くらいだった。
2007年05月23日
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し~子がうちに来てからかれこれ10ヶ月余り。推定年齢3歳くらいのメスの黒猫。私が心身すごく弱っていたころ,ひょっこり来たんだ。その日はみんな出かける用事があって,「じゃ,ねこちゃんバイバイ」ってでかけていった。私は上の娘と用事を済ませてランチして、2人で家族に内緒で食べるお楽しみのケーキを買ってのんびり帰ってきたらまだいた。 その日からうちの外の壊れたプラスチックケースに勝手に住まい,道行く人に「あらー」とかわいがられるようになったころし~子は,どこかの知らないおばちゃんとその子供に勝手に拉致されそうになる事件があった。人なつこいし~子がオバハンに抱っこされたあと,「クロちゃん」などと当たり前の名前を即興で勝手につけられ、自転車かごに乗せられているではないか!!しかもその子供が「こんなところにいて,かわいそう」なんていってるじゃないの。あいにくうちの子供たちは留守だったから,窓をガラッとあけて,私の足元に帰ってきたし~子を無言で抱っこした。それはおばちゃん親子に何よりの「うちの子アピール」となったと、一緒にいてただ傍観していたパパが言った。 アパートだからだめだといいつつ,一番弱ってた私に毎日会いにきてくれたし~子だからなんだか見捨てられなかった。だから、誰か知らない人に連れ去られるのは嫌だった。以来し~子は家族の一員になった。し~子は我が家では,はじめは周りにわからないように「しろ」と呼んだ。でも、それじゃかわいそうだしおばちゃんと変わりがないではないか?オニャニョ子(女の子)だから「し~ちゃん」にならかわいいし,知らない人が聞いても子供の名前かな?なんて思うだろうという私の思い込みと猫好きな家族の満場一致の命名となったのだ。 しばらくは壊れたケースに住んでいたけど,プラスチックが劣化したのかえさを食べて太ったからか,勢いよくケースに上がってきたし~子の重みでケースが壊れてしまった。その後し~子はねぐらを見つけて寝るようになった。し~子はえさを食べに来て抱っこされてくつろぐと必ず夜にはねぐらに帰っていった。 し~子は自分で狩りをした。そしてどこからか子猫を連れてくるようになった。私たちは「ちびすけ」と呼んでかわいがったんだけど、信じられない出来事が起きた。パパが出勤途中,「ちびすけはうちにいるか」という電話をしてきた。私は内心、朝忙しいときにいったい何悠長なことを言っているのだろう、と思った。見てみたがちびすけはいない。パパがいうには、通勤途中の信号待ちに車の下部分から子猫が出てきて歩道に歩いていったのを見たらしい。オカルトチック過ぎて怖い話だけど・・・
2007年05月23日
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こどもたちが生まれてからひとりゆっくり図書館行ったのは久しぶり。いつもは必ず誰かがいるから,自分の読みたい本をじっくり探したりできなかったな。図書館へ行ったのは息抜きのためではなく、必要に迫られたというか,思春期の子供について書かれた本が読みたかったから。 今,息子のプチ不登校に悩んでいる。3月にもあった。もともとは勉強に・学校生活にとても張り切っていただけにこのギャップに私がついていけないだけかもしれないけど。 もともと活字中毒?と思うくらい,活字に触れていた。忙しいと良くて新聞,雑誌、ひどいと学校のお便りくらいしか読めなかった・・・でも、小説を読む時間が出来てうれしい。枕元には本・本・・という状態で,片づけなきゃね・・・ し~子さん(ネコ)たちは今日も元気だった。暑い中、ダンボール箱に母ネコと子猫総勢5匹で暮らす。暑いよね・・・し~子が床の上に休憩に来るもん。ネコの妊娠,子育てをはじめて見たけれどし~子頑張ってる! そして子猫たちが寝てる間に,外へ出て散歩?してくる。し~子も息抜きがしたいのね・・・ し~子居ない間にママが子猫たちをどこかへ売っ払って来るとか考えないのね?!何にも心配しないし~子さん、ママはアパートなのに内緒で飼ってるのに疲れてきましたよ。
2007年05月23日
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