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ギャルリー・ヴィヴィエンヌを歩いていたら、いかにも老舗の古本屋があった。店先では古い絵葉書を売っている。その中に30代半ばぐらいのジャン・コクトーのポートレートが。知的で繊細でお洒落で、そしてやや病弱で孤独そうなコクトーの雰囲気がよく出ている。構図も背景の「小道具」もバッチリだ。いい写真だと思って裏を見たら、写真家はマン・レイだった。なるほど。コクトーのそばに、またもオスカー・ワイルドが。そういえば、ワイルドの墓って、パリにあるのだっけ。ファンも多いだろうから写真も売れるのかもしれない。が、ワイルド氏のポートレートはコクトーの若いころほど視覚的な魅力がないので(婉曲表現? 直接表現?)、買うのは見送る。追記:ワイルドの墓の写真は、実際に行かれたというこちらのブログをどうぞ。こちらはもう少し年を取ったジャン・コクトー(左)。右にはコクトーの永遠のミューズ、ジャン・マレー。ダンディな2人の男性にはさまれたワンちゃんは、マレーの愛犬ムールーク。映画『悲恋』にも出ている。この写真のそばに、なぜかダライ・ラマの絵葉書もあった。シュールな並びだ・・・そして、もう1つマン・レイの作品。Nusch et Sonia Mosse' 1936とあったのだが・・・どなたで?誰だか知らないが、絵的に大変気に入ったのでお買い上げ。老舗古本屋のご主人は、20セントのお釣りも、「結構ですよ」と言ったMizumizuに、「ノン、ノン」と言いながら、ちゃんと返してよこした。南仏の雲助とはえらい違いだ。で、こちらの写真・・・ カクンと首を折った上の女性のポーズは、自然なようでいて、実はかなり計算されている。すぐに思い出したのは、北斎のこの美人画。この首の折り方は、現実には不可能なくらい無理がある。だが一見すると自然に見える。この北斎のたおやかで妖艶な女性美に対する感覚・手法と似たものを、Mizumizuはマン・レイの写真に感じた。甘えるように見上げている下の女性の表情もいい。姉妹のようでもありながら、微妙に恋人のニュアンスもある。信頼とやすらぎに満ちた空間。顔の表情から推察される性格はかなり違う印象だが、髪の毛の色や質感はそっくりで、ほとんど溶け合っている。こうした極めて近似した肉体に異なる精神性が宿っている図に、Mizumizuはエロスを感じる。これがダンスなら、なおいい。こうした雰囲気を男女のカップルで出すのは難しいから、Mizumizuがエロスを感じるのは、男性+男性、もしくは女性+女性の組み合わせに限られてくる。こうした組み合わせに、こうした感覚をもつ人も、ときどき世の中にはいるらしい。上のマン・レイ写真から漂ってくるそこはかとないレズレズしい空気もそうだが、たとえば、ベルトルッチの映画『暗殺の森』では、こんな女性同士のダンスシーンがある。ブロンドのフランス人妻と黒髪のイタリア人妻がそれぞれの夫の前で踊る。誘いかけるのはブロンド妻のほうで、演じるドミニク・サンダのクールな美貌は、整いすぎてどこか男性的ですらある。彼女はきわめてフランス女性らしい奔放かつ退廃的な性格。ここでは妻のほうと踊り、別の場面では彼女の脚を愛撫するなど、レズレズしいムードを醸し出すのだが、彼女の知らないところでは、夫のほうにも誘いをかけている。一方のステファニア・サンドレッリ演じる黒髪妻は、これまた典型的なイタリア女性。夫のダークな面にはあえて触れず、かわいい妻としてそばに寄り添い続ける。夫以外の人間にコナかけたりもしない。平凡な性格だが、平凡さゆえの強さもある。男性同士のダンスといえば、テクニック的に望みうる最高のものを見せてくれるのが、映画『ヴァレンチノ』のこちらのシーン。これはヤバイくらいうまい。見入ってしまうなあ・・・それもそのはず、踊っているのはルドルフ・ヌレエフ(ルドルフ・ヴァレンチノ役)とアンソニー・ダウエル(ニジンスキー役)。最後に1人で踊るのがダウエル。2人とも素晴らしいタンゴを披露しているが、よくよく見るとヌレエフのほうが先生っぽい(つまり、テクニックが確かで、この2人のタンゴダンスをリードしているということ)。同じモーションも多いが、ヌレエフのほうがピシッとポーズが決まり、脚の動きも大きく、速いので、よりたくましく男性的。ダウエルのほうがやや動作中に身体の軸が不安的になるように見え、それが繊細な印象になっている。言っておくが、あくまでヌレエフと一緒に踊った場合にそう見えるという話であって、アンソニー・ダウエルだってイギリス舞踏史に残るバレエダンサーだ。サーの称号ももっている。そもそもヴァレンチノがニジンスキーとタンゴを踊るなんて、ありえない話だし、ヴァレンチノがこんなにバレエの基礎を叩き込んだダンサーだったなんて話もない。ニジンスキーよりヴァレンチノのほうが踊りがうまいという時点で、すでに「どうなってんだ」のファンタジーになっているが、とにかくこのダンスシーンは傑作。2人の体格に差がないのが、またいい。ヌレエフとコクトーつながりで思い出したが、ローラン・プティの創作ダンス『モレルとサン・ルーあるいは天使たちの闘い』(動画はこちら)は、まさしく、惹かれあう極めて近似した肉体に、対照的な精神が宿ったときに起こる衝突と軋轢をエロティックに表現したものだ。詳しい解釈はサン・ルーを演じたマチュー・ガニオのインタビュー(こちら)にあるが、かいつまんで説明すると、舞台の右側から出てくるのがモレル。いったん近づいたあと後ずさるのがサン・ルー。ダンサー2人に体格差はほとんどないが、情緒的でしなやかな動きをするサン・ルーに対して、クールできっぱりとした動きをするモレル。精神性が対照的だということはすぐわかる。モレルは逃げようとするサン・ルーの肩に手をかけて誘いかけるのだが、そのあとは股に足をつっこんだり、倒さんばかりに胸に手を押し当てたり、非常に残酷だ。セックスそのものを連想させるポーズもある。ガニオによれば、苦悩の表情をさかんに浮かべるサン・ルーがモレルに対して抱いている感情はLove(愛)。残酷で即物的な振る舞いをするモレルがサン・ルーに対して抱いている感情はLust(欲望)。愛と欲望が鏡合わせであるように、モレルとサン・ルーも鏡像のような動きをする。だが、相手に求めているものはまったく違う。そのすれ違いに、モレルは苛立ち、サン・ルーは打ちひしがれている。モレルの残酷さはコクトーの不実な天使、「君なんて死んでも平気。僕は自分が生きたいよ」と言いながら、決して詩人を自由にしてくれない天使のイメージと通じるものがある。若いころのプティはコクトーの大ファンだったし、こうしたたくましい肉体をもった天使のイメージにコクトーの影響を見るのもあながち間違いではないかもしれない。また、プティにも離れがたい残酷な天使がいた。それこそがヌレエフ。こちらのエントリーでも紹介したが、最初にプティに近づいてきたのはヌレエフのほうだった。しばらく後に再会すると、2人はすぐに離れがたくなり、ほとんど寝食をともにするようになる。だが、ヌレエフは私生活の乱れっぷりでプティを呆れさせ、仕事を次々入れてプティとの仕事の時間をないがしろにし、ヌレエフにとって一番の振付師でありたいと密かに願っているプティの前で、別の振付師をベタ褒めしてプティをウンザリさせる。「別のダンサーに躍らせろよ。僕なら1週間もあればできるけどね」(←プティとの創作バレエをキャンセルするときのヌレエフの捨て台詞)「言っておくけど、僕は君の『フランス的』バレエになんか、興味はないからね。僕はクラシックバレエのダンサーなんだ」(←やっと発表にこぎつけた創作バレエの公演が終わったあと、ヌレエフの踊りをプティが気に入っていないと人づてに聞いて、プティの気持ちを誤解したヌレエフがヘソを曲げて叩いた憎まれ口。このあとさらに汚い言葉を公衆の面前で吐いて、2人は絶交状態に)。プティによれば、ヌレエフは天性の誘惑者で、「僕のこと好きになってくれる?」と相手の瞳を覗き込み、微笑みかけ、首尾よく相手がその気になったときには、もう彼の関心は次の獲物に移っていたという。ヌレエフは死んだあとでさえ、プティを完全に解放してはくれなかった。ヌレエフの死後何年もたってプティが見た夢は、振付師とバレエダンサーとしての2人ではない。ヌレエフに誘われて踊り出し、人々に囲まれながら、いつまでも踊っている2人の夢だ。コクトーの提示した青年の肉体をもった天使、誘惑者ヌレエフに対して抱いた愛と痛みの感覚・・・そうした体験が、プティの『モレルとサン・ルーあるいは天使たちの闘い』に移植されているようにも思う。
2010.06.26
もともとは20世紀初頭に、フランスの作家ガストン・ルルーが小説として発表した『オペラ座の怪人』。サイレント時代から映画化も何度となくされているが、舞台ではアンドリュー・ロイド=ウェバー作曲のミュージカル版が、何と言っても有名だろう。フィギュア・スケートの楽曲としてもしばしば使われるが、そのほとんどがウェバー版。Mizumizuもウェバー版のミュージカルは、ニューヨークで3回、東京で1回観ている。映画も何作か観たが、2004年のジョエル・シューマッカー監督の映画『オペラ座の怪人』は、ウェバー版ミュージカルの映画化だ。その分、舞台と映画の表現手法の違いが楽しめる作品になった。また同時に、この映画の舞台美術が、かなりジャン・コクトー世界の流れを汲むものであることにも気づかされた。そもそも、クリスティーヌが怪人(ファントム)に導かれていくシーンには、「鏡通過」がある。まさしくコクトーワールドだ。しかも、鏡の向こうには人の手が燭台になっている通路がある(映画のこのシーンについてはYou tubeのこちらの動画をどうぞ)。これは、モロにコクトー監督・クリスチャン・ベラール美術の『美女と野獣』の世界だ。オペラ座の地下世界に潜む怪人と謎めいた古城に棲む野獣というのは、確かに「外面の醜さ」「誇り高さ」「孤独」と言ったキーワードでつながっている。また、クリスティーヌと怪人が舟で進んで行く場面は、ジャック・ドゥミー監督『ロバと王女』に似たものがある(こちらの動画の最後のほう)。『ロバと王女』がコクトー作品を踏まえたものであることは、すでに述べた。緑に囲まれた明るい野外、清らかな流れの川。かわいらしく飾られた舟の上で2人は、寄り添って愛し合うこと、生きることの素晴らしさを歌い上げる。『オペラ座の怪人』で怪人とクリスティーヌが乗っているのは、暗く淫靡な世界に向かう舟。この2つのミュージカルの場面は、人の愛の「明」と「暗」であり、やはり地下水脈でつながっているように思う。そして、舞台と映画の違いという意味で一番おもしろかったのが、『Point of No Return(ここまで来たらもう引き返せない)』の場面。このミュージカルの見せ場の1つだが、誘惑し合う怪人とクリスティーヌを客席から見つめるラウル(クリスティーヌの恋人)の表情をアップで映すことで、映画ならではの感情表現がなされている。どこかで強く怪人に共鳴するクリスティーヌの心、音楽を通じて結びついた2人の見えない絆をラウルが感じ取ってしまい、思わず涙を浮かべるのだ(動画はこちら)。ラウルだけではない。息を詰めて2人を見守る周囲の人々の表情も、怪人とクリスティーヌの「ただならぬ」雰囲気を側面から盛り上げる。こうした部分部分の登場人物のカット割りは、舞台ではできない。「ラウルの涙」を挿入することで、映画では演出家の解釈がより明確に伝わってきた。バックダンサーの踊りも、男女の昂まりを暗示する。余談だが、高橋大輔選手の2006/2007シーズンのフリーの楽曲は、この『オペラ座の怪人』メドレーだった。後半の怒涛の連続ジャンプのあたりで使われたのが、この場面のPoint of No Return。いつ観ても、卓越したプログラムで、振付師モロゾフの代表作だと思うが、振付やスケーターのパフォーマンスの素晴らしさほかに、音楽編集の凝り方にも驚かされる。オペラ座の怪人というと、どうしてもThe Phantom of the Opera is there -Inside my/your mindという最も印象的なメロディーの入るThe Phantom of the Opera か、あるいはThe Music of the Night を使いたくなると思うのだが、モロゾフ+高橋大輔の『オペラ座の怪人』には、この代表曲2曲が入っていない(と、思う)。かわりに、Down Once MoreやMasqueradeの旋律を効果的に組み入れている。通な編集だなあ… ドラマ性のある振付はもちろん凄いが、音楽構成も考えるだけで大変だ。しかし、採点基準が変な方向に行き始めた、このシーズンの翌年あたりから、モロゾフの振付はパターン化してきたように思う。そして、フィギュアスケートは今季、振付も全体的に劣化した。閑話休題。映画のMasquerade(仮面舞踏会)の演出も、舞台とはずいぶん趣向を変えていて、非常に面白かった。パントマイム的な動きに、小道具の扇子が不思議な雰囲気を醸し出している。舞台では、大階段で行き交う人々の群舞(つまりは大きな人の動き)を見せる演出だったが、映画では、全体的な動きに加えて、「単独の踊り」「グループの踊り」を独立したショットで切り取って見せている。ダンサー1人1人の力量も高いから、独特な創作ダンスシーンとして楽しめる。イマドキのオペラ演出とのつながりを感じさせたのが、クリスティーヌが父親の墓を訪ねるこのシーン。モノトーンの雪の中をヒロインが進んでいくのだが、DAAE廟のあたりに置かれた彫刻がなぜか、「ものすごくデカい」のだ。人がヤケに小さく見える巨大な彫像を置くという演出は、イタリアの舞台美術家を中心に、オペラの世界でちょっと流行っている。日本の灯篭みたいなのが出てくるのも、「ああ、『蝶々夫人』ね」と出所がわかってニヤニヤしてしまう。このシーンは、モノトーンが長く続くからこそ、廟がオレンジ色に光ると、その色が非常に強く観る者の意識に訴えてくるようになっている。フランコ・ゼフィレッリによれば、モノトーンを続けたあと、1色だけ印象的な色を登場させるという今日よく見られる舞台演出を最初に創案したのは、クリスチャン・ベラールだという。人の手が燭台になっているという『美女と野獣』のアイディアもベラールのものだと、ジャン・マレーは自伝で書いている。ゼフィレッリも、ベラールの美意識を引き継ぐ存在だったが、ウェバー版映画『オペラ座の怪人』で美術を担当したアンソニー・プラットも、同じ系譜に位置づけられる。映画ではこの後、ヒロインの恋人ラウルと怪人の決闘になるのだが、「動けない」役者の立ち回りの典型、つまりカメラばっかりが動く。いくら演出で工夫しても、相当鈍そうな2人… 特にラウルが颯爽としていないが、どうにもイケナイ。最近のミュージカル映画は歌の吹き替えをしないことが多いが、「歌う人」と「演じる人」は切り離してもいいのではないかと思う。『オペラ座の怪人』の主役3人は、それぞれルックスも歌も演技もかなりのレベルであることは間違いないが、逆にどの要件もバ~ンと突き抜けてはいない気がする。クリスティーヌは脚線美は瞠目に値するが、顔の表情がワンパタだし、ラウルはイケメンだが、もうひとつ華がない。怪人役は非常に頑張っていると思うのだが、「魔的な何か」がもう少しだけ足りない。3人とも歌唱も悪くないが――いや、相当うまいと言えると思うのだが――感激するほどでもない。役も歌もまったく別のキャスティングにしたほうが、完成度が上がったのではないか。カトリーヌ・ドヌーブは歌など歌っていないが、『シェルブールの恋人』も『ロバと王女』も名作だし、観てるほうは、別にドヌーブが歌ってなくても気にしない。危険なアクションシーンではスタントマンを使うように、歌は歌が突き抜けてうまい人を選び、役者は顔や雰囲気や演技力で選んで役割分担をさせたほうがいいのではないだろうか。ミュージカル映画で大事なのは、なんといってもやはり歌唱で、独唱だけでなく合唱も楽しみの1つ。この映画で主役3人の最高の三重唱が堪能できる――つまり、歌唱の醍醐味を味わえる――のは、ラスト近くで、怪人に連れ去られたクリスティーヌをラウルが救出に来るシーン。オペラ的な三重唱では、作曲家ウェバーの力量が冴えわたっている。(動画はこちらにあるが、動画をアップした人が編集して、クリスティーヌはファントムを選んだことにしてしまったよう・笑。ただ、3人の掛け合いはかなり入っている)ラウルの命を救いたくば、自分を選べと脅す怪人。怪人の孤独の深さを知って涙するクリスティーヌ。そして、「You are not alone(あなたは1人じゃない)」の感動的な台詞…怪人がクリスティーヌを得られなかったのは、これまでに彼が犯してしまった罪ゆえだったのかもしれない――キリスト教的な「罪と罰」の倫理観を強く感じさせるエピローグだ。従来の映画『オペラ座の怪人』と比べると、最後に怪人の孤独と背負った運命の哀しさが際立って胸に迫ってくるのも、ウェバー版『オペラ座の怪人』の特徴。と、まじめな話はここまでにして…突っ込まさせていただくと、ラウルは多少… いや、だいぶ情けなくないですか?ヒロインを救いに来たハズが、あっという間に怪人に縛り上げられている…弱すぎ…こんな役立たずでも、イケメンで金持ちならい~のか?それはそれで、オンナの真実を突いているけどね。怪人とクリスティーヌのハッピーエンドに作り変えたくなる気持ちもわかる。
2009.06.05
<先日のエントリーから続く>ローラン・プティは、ヌレエフがプライベートでも天性の誘惑者だったと言っている。ヌレエフの視線は、「あなたを好きになりそうなんだけど、いい?」と言っているかのよう。そうして、狙った獲物を手に入れると、いとも簡単に新しい獲物のほうへ行ってしまう。ヌレエフが最も愛したのは、若い男の子で、やはりというべきか、筋肉質な肉体と尽きせぬ活力をもった年下のダンサーをとりわけ好んだ。ヌレエフはソレント半島の沖にある島に邸宅を構えるが、ロココ調の家具のおかれた部屋の豪華な装飾を施した壁には、そうした全裸の男性たちの絵画が飾られていたという。アメリカ人ダンサーでヌレエフの愛人の1人だったロバート・トレーシーは、『Nureyev and me』の中で、39歳のヌレエフが愛したのは、23歳の自分の「若さ」だったと語っている。2人はバレエ公演のリハーサルで出会い、すぐに関係を持った。ホテルの部屋に誘ったのは、もちろんヌレエフのほう。「ヌレエフは私の脚とそれにジャンプが好きだった。私たちはほとんど一目で肉体的に惹かれあった」(トレーシー)。もっともトレーシーは、ヌレエフを独占しようと思ったことはなかった。できるとも思っていなかった。ヌレエフには「300万人」(←いくらなんでも、そりゃないだろうが)の若い男の子がいた。もちろんトレーシーより若く、もっとナイスなバディ~を持った取り巻きも。トレーシーもヌレエフに束縛されたくなかった。トレーシーは最初のうち、世紀の大スターとたいしたことないダンサーの自分が、「長続きするはずがない」と思っていた。だが、2人の関係はやがて友情に落ち着き、ヌレエフの死の直前まで続いた。プティの言う、「ジュピターのように移り気で、ユノのように貞淑」なヌレエフらしいエピソードだ。女性との関わりで言えば、トレーシーはヌレエフから、「3人の女性と関係をもった」と聞いたという。40歳を超えたヌレエフは息子を欲しがっていた。ヌレエフによれば、彼の子供を妊娠した女性が2人いたが、どちらも中絶してしまったという(←なんか、ジャン・コクトーみたいなことを言ってる)。ヌレエフは、プティにはこんなことを言ったという。「僕はマーゴと結婚すべきだったかもしれない。彼女こそ僕の運命の女性だった」ヌレエフはエイズを発症したあとも、それを一切公表しないまま舞台に立ち続けた。晩年は、胸にコイン大の金属片を埋め、2~3日ごとに金属片についたネジを抜き、そこから注射器で心臓を拡張する液体を注入していた。そうやって彼は舞台に立ち、偉大なダンサーの役を演じ続けた。病状は悪化する一方で、彼を栄光の高みに引き上げた筋肉は破壊されていたが、それでもヌレエフは偽りの健康を装った。何も知らない観客からブーイングを浴びせられると、蔑視のポーズで答えることを忘れなかった。ヌレエフがこの世を去ったのは、1993年1月6日。「彼の死に顔は、彼が愛していた若者の顔立ちのようにほっそりとして美しかった。それは井戸の中に映し出された自分の裸体にうっとりと見とれ、悦楽とともに自らに恋焦がれたナルシスが乗り移ったかのようだった」(『ヌレエフとの密なる時』)ジャン・コクトーの作品は未来を予見するとジャン・マレーは言った。事実『双頭の鷲』では、ジャン・マレーとエドヴィージュ・フィエールの死期を予言するような台詞がある。そして、1967年の『若者と死』で健康なヌレエフが演じた、「カクッ」とうなだれて死んでいく若者の顔は、プティのこの描写の予言のよう。白々とした空間で一瞬アップになるヌレエフの死に顔は、まさにナルシスのように美しい。このときの撮影では、ヌレエフはパウダーをはたきながら、「僕のスクリーン映りはどう?」とプティに、いたずらっ子のように微笑みかけた。「マリリン・モンローよりステキだよ」とプティが答えると、ヌレエフは大ウケして笑い転げた。そして喜々として準備にいそしんだという。14歳も若く、強靭で、無限のエネルギーに満ちていたこの若者の死を、プティが看取ることになろうとは。比類なき若者、ヌレエフとの日々は、彼が永遠にいなくなったあとも、プティの心を去らなかった。ヌレエフは誰のものにもならない人だった。私のヌレエフ、君のヌレエフ、彼のヌレエフ、私たちの、あなたたちの、彼らのヌレエフ。1人1人にとって、それぞれのヌレエフが存在する。『ヌレエフとの密なる時』は、プティの見た夢とも妄想ともつかない、2人の「共演」で終わっている。それはヌレエフの死から4年たった1997年のある日。ヌレエフが歌いながらプティに近づいてきた。2人は数歩の距離で向かい合って立ち、それから一緒に踊り出した。その場でゆっくりと回転を始め、どんどん回転を速めていくと、大勢の群集がやって来て、観客となった。ヌレエフとプティはひたすら踊り続けた。そのときプティは、彼が愛してやまなかった不世出のダンサーが踊った作品の中でも、とりわけ素晴らしかったシーンを見る。『白鳥の湖』で黒のビロードに金と銀の装飾をあしらった衣装を着た王子役のヌレエフが、オデットを探しながら白鳥から白鳥へと走り抜けていくのだ。回り続けたプティとヌレエフのダンスがフィナーレを迎えようとしたとき、ヌレエフはまるで魔法にかかったように、プティの、そして集まった群集の目の前から消えてしまった。プティとヌレエフは現実では、ほとんど常に振付師とダンサーだった。2人の世界は時に交錯したが、仕事の面では軋轢も多かった。プティという惑星の近くを、忘れがたい強烈な輝きを放ちながら、時折通過していく流れ星、それがヌレエフ。だが、コクトーの小説『恐るべき子供たち』のラストシーンを彷彿とさせるようなこのエピローグは、世界的振付師としてではない、1人のダンサーとしてのプティの魂の告白だ。プティはただ踊りたかったのだ。1人のダンサーとして、1人のダンサーであるヌレエフと。ローランとルドルフと観客と、他には何もない世界で。<終わり>
2009.06.02
<先日のエントリーから続く>ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で、『ノートルダム・ド・パリ』の公演を行うべく準備していたプティのもとに、ヌレエフをゲストダンサーに呼んで、2~3回主役を躍らせてほしいと劇場の有力者からの要請が来た。別のダンサーがもう決まっていたので、プティは気が進まなかったが、結局は折れてヌレエフと稽古を始めた。ヌレエフは明らかに、以前のヌレエフではなかった。すでに病魔に侵されていたのだ。何も知らないプティには、ヌレエフがわざと手抜きをしているように見えた。バカにされたと思ったプティは苛立ち、ヌレエフとの関係は悪化していった。実は天才ダンサーはこのとき、失われつつある体力を必死につなぎとめようと闘っていたのだ。ヌレエフは、舞台初日までには何とか帳尻を合わせた。メトロポリタン劇場に詰め掛けた5000人の客は、ヌレエフにスタンディングオベーションを送った。プティにとって満足のいく出来ではなかったが、とにもかくにも、公演自体は成功した。千秋楽の舞台がはねた後のパーティで、「事件」は起こった。さんざめく広間に、突然酒に酔ったヌレエフが現れ、プティに向かって、「練習を妨害された!」あ、違った。「プティさん、あなたの駄作バレエに出た僕を、あなたは気に入らないって言ってるそうですね。1つ言っておきますが、僕はあなたのバレエに興味なんてないし、フランスのつまらない踊りにもあなたの振付にも、一切関わるつもりはないですから」と言い放ったのだ。パーティ会場は、一瞬にして凍りついた。ジジが2人の間に割って入らなければ、殴り合いになるところだった。公衆の面前で侮辱されたプティは、「も~、イヤだ。も~『おふくろさん』は歌ってほしくない!」あ、違った。「もう、ヌレエフに自分の作品は踊って欲しくない」と、パリ・オペラ座あてに、ヌレエフのレパートリーからプティのすべての作品を外すよう指示する手紙を送った。「もし喧嘩になっていたら、この愛してやまない怪物と私は転げ回って殴り合ったかもしれない」「一方では深い愛情を感じてはいたが、その時点では、彼と別れることが唯一の解決方法だった」(『ヌレエフとの密なる時』)当代切っての人気振付師と天才ダンサーの大喧嘩は、周囲を困惑させた。友人が間に立って、なんとか2人を会わせ、関係を修復させようとしたが、プティは頑固に、あらゆる申し出をはねつけた。だが、内心では、ヌレエフ本人からの連絡を待っていた。そして、とうとうその日がやってきた。ヌレエフがプティに電話をかけてきたのだ。直接家に来るというヌレエフに、プティは、「僕は君が好きだ。わかっていると思うけど」すると、ヌレエフの殺し文句。「僕も君を愛している」2人は和解し、オペラ座での共同作業を開始した。ヌレエフはプティに気を遣っていたが、暴言を吐かれたプティのほうは、完全に無傷な状態には戻れなかった。ヌレエフといても、プティの心はときに憂愁でいっぱいになり、2人が出会ったころのロンドンの日々を、1つのベッドで分け合った夜を、懐かしむのだった。ヌレエフから待ち焦がれた言葉を贈られたのは、皮肉にもこのころだった。プティの創造世界に戻ってきたヌレエフは、ある日、プティの両手を取り、いたずらっぽい笑みを浮かべ、愛情をこめて瞳をのぞきこみながら言った。「今の僕には君こそ、最高の人だ」ヌレエフの審美眼に絶対の信頼を置いていたプティは、とにもかくにも彼の心の中で1番の存在になれたことを喜んだ。<続く>
2009.05.31
<先日のエントリーから続く>ローラン・プティがルドルフ・ヌレエフと初めて出会ったのはウィーン。ヌレエフが故国を捨てる数ヶ月前のことだった。プティもヌレエフも同じ芸術祭に招かれ、それぞれのバレエ団の主宰者と専属ダンサーとして参加していた。アプローチをかけてきたのは、ヌレエフのほう。プティは宿泊先のホテルを伏せていたのだが、ある日、終演後にプティの後をつけてきたソ連(当時)人のダンサーがいた。彼は自己紹介すると、満面に笑みを浮かべてプティのバレエを賞賛し、ヘタな英語で、「またお会いしましょう」と言った。ヌレエフはフランスで亡命。プティはニュースで彼の顔を見て、それが数ヶ月前ウィーンで自分に会いに来た若者だということに気づいた。天才ダンサーはロンドンに渡り、マーゴ・フォンテーンの相手役として一世を風靡し、その名声は瞬く間に世界中に広まっていった。彼が出現する前は、バレエはまだまだ一部のブルジョアのための芸術だった。だが、ヌレエフがバレエ人気を真に大衆的なものにした。これまでバレエとはまったく縁がなく、何の関心も示さなかった田舎の主婦までが、フランク・シナトラやエルビス・ブレスリーを語るように、ヌレエフの噂話をし、ヌレエフに夢中になった。公演先でたびたび起こすスキャンダルも、ヌレエフのアイドル化に拍車をかけた。プティが聞くヌレエフについてのニュースといえば、カナダで警官のズボンに手を突っ込んだとか、コールドバレエのダンサーに暴力を振るったとかいった、よからぬ話ばかりだった。ルックスだけで言えば、ヌレエフには際立ったところはなかった。だが、ひとたび捉われてしまうと、抜け出せなくなる魅力があった。やがてプティは、そのことを身をもって知ることになる。ヌレエフと自分のために新作バレエを作ってほしいとプティに依頼に来たのは、フォンテーンだった。プティはロンドンに向かうが、最初のうち仕事はうまく行かなかった。いや、プティとヌレエフは仕事の面では終生軋轢を繰り返している。要するに振付師プティとダンサー・ヌレエフは、本来あまり相性がよくなかったのだろう。プティのバレエはしばしば見るが、洒脱でいかにもフランス的なプティの作品を、「ヌレエフが踊ったら」と考えても、あまりしっくり来ない気がする。このときプティは心身のバランスを崩し、いったんフランスに帰国する。疲れたプティを癒してくれたのは、妻のジジ・ジャンメールだった。ほどなくモチベーションを取り戻したプティは、再びロンドンに向かい、彼より14歳も若いスーパースター、ヌレエフに合わせ、彼の気に入るような振付をした。つまり、振付師プティはヌレエフに対しては、最初から妥協したのだ。とにかくヌレエフは踊りに関しては、このうえなく頑固で、石頭だった。プティの指示を素直には聞かない。プティ「今のところ、3回繰り返して踊れるかい?」ヌレエフ「できるかよ。せいぜい1回だね」↑いちいちこんな感じ。このときは、プティが怒って立ち去ると、翌日ヌレエフのほうが折れてきた。こうして2人は衝突を繰り返しながら、徐々に互いの距離を縮めていく。そんな折、プティの母親がロンドンにやって来た。慣れない外国で仕事をしている息子の食事の面倒を見るためだ。ところがプティの母親は、1人で夕食をとるハメになった。そのころ、ヌレエフは車を手に入れており、朝プティを迎えに来て、夜は家まで送ってくれていたのだが、プティはいったん帰宅しても、母親の手料理は食べずにまた出かけてしまう。実は、送ってくれたヌレエフと再び外で落ち合い、一緒にロンドンの夜の街を遊び回っていたのだ。母親は数日で帰国してしまった。それからのプティとヌレエフは、ますます離れがたくなり、朝から晩まで一緒に過ごし、プティがヌレエフの家に泊まることもしばしばになる。「私の魂は彼によって稲妻に打たれたような衝撃を受けた」と、プティは『ヌレエフとの密なる時』に書いている。プティを驚かせ、ある意味で呆れさせたのは、ヌレエフの乱れきった夜の私生活だった。彼はプティをさまざまないかがわしい場所に案内する。ヌレエフは精神的な欲求を抑制することのほとんどない性格だったが、肉体的欲望に関しては、輪をかけて素直で、ブレーキをかけることは皆無だった。彼の一夜の愛人になることはまったく簡単で、ヌレエフにとってそれは、手を洗う程度の意味しかもたなかった。ロンドンでプティとヌレエフのコラボレーション第一作となったのは、『失楽園』というバレエだったが、ゲネプロのころには、ダンサーのヌレエフが勝手に振付を変えてしまい、もはやプティの作品とは言いがたいものになっていた。初日の夜、心配するプティに対して、ヌレエフは、「心配ないよ。今日はもう3回もヤったから、僕は絶好調」などと言って、プティを赤面させる。作品はプティのものではなくなっていたが、公演は大成功だった。1960年代の終わり――このころのヌレエフはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。どこで何を踊っても観客は総立ちで大喝采。ヌレエフはどんどん仕事を増やし、70年代に入ると、年間250回に及ぶ公演をこなすようになる。舞台に立つ時間は750時間。それはつまり、その2倍以上の時間を練習とリハに費やしていることになる。ヌレエフはまさに、暴君のように肉体を酷使していた。公演を終えるとお付きのマッサージ師が始めるのは、ヌレエフの身体に巻かれた数十メートルにおよぶ粘着テープを引き剥がすことだった。ヌレエフの情熱は、バレエだけに向けられており、それはほとんど宗教的なものだった。どれほど放埓な夜を送ろうと、朝10時には必ず稽古場に来て、基礎からの練習を怠りなく繰り返す。だがプティは、ヌレエフの公演回数が多すぎると感じていた。事実、ヌレエフの舞台は、次第に質にムラが出るようになる。プティがそれをヌレエフに指摘すると、ヌレエフは激怒して暴れた。2人の間にはっきりと亀裂が入ったのは、新作バレエ『オペラ座の怪人』(マルセル・ランドウスキー作曲)を準備しているときだった。最初の予定では、ダンサー・ヌレエフがこの新作バレエに割く時間は6週間だった。振付師のプティにとって、新作の準備期間としては、それでも短かった。 ところが、多忙をきわめるダンサーの都合で、6週間は5週間に、そして4週間に、しまいには2週間になってしまった。業を煮やしたプティは、ヌレエフとの間に入っているエージェントに、長編バレエをこのような短い期間で創作するのは無理だと伝えた。すると、ヌレエフは忙しい公演のスケジュールをぬって、遥か彼方から飛行機でプティのもとに飛んで来た。だが、もちろんプティの言うことを素直に聞くタマではない。わずか1時間の話し合いで、「それなら、別のダンサーに躍らせろよ。僕なら1週間もあればできるけどね」と捨て台詞を残して、流れ星のように去ってしまった。プティは、ヌレエフについて、「ジュピターのように移り気」だが、同時に「ジュピターの妻ユノのように貞淑」だったと書いている。新作バレエの話が流れたとはいえ、2人はプライベートでは友人であり続けた。プティが病気で倒れたときは、毎週金曜日の夜に電話をかけてきて、「君がそうしてほしいなら、明日飛行機で君のところいって、一緒に週末を過ごすよ」と言ってくれた。一方で、こんな話もしている。「チューリッヒでさ、公演の後、すぐに寝る気になれなかったんだ。ぶらぶらしていたら、好みのタイプに会った。ホテルに連れて行けなかったから、湖の広がる茂みで愛し合った。すばらしく衝撃的だったよ」プティという人は、ヌレエフにこういう話をされると、非常に気になるのだ。数ヵ月後、チューリッヒに行ったプティは、わざわざそのホテルの近くを歩き回り、「湖の見える茂み」を捜したりしている。結局、「できそうな」場所は見つからなかった。なので、プティは、「あれは作り話かな?」などと思いをめぐらしている。そう、プティはヌレエフに夢中だったのだ。プティはたとえば、俳優のヘルムート・バーガーのように、ドン・ファンのリストならぬヌレエフのリストに名を連ねるつもりはなかった。プティの望みは、ヌレエフにとって「唯一の存在」になることだった。つまり、ヌレエフから「最高の振付師」と言われたかったのだ。だが、ヌレエフはずいぶん長い間、別の振付師に心酔していて、プティの前でも彼のことを褒めちぎってプティをウンザリさせていた。仕事では軋轢があったとはいえ、プライベートでは続いていた2人の関係。そこに壊滅的な亀裂が生じる事件が起こる。場所はニューヨーク。メトロポリタン歌劇場でプティが、マルセイユ国立バレエ団の引越し公演を行ったときだった。<続く>
2009.05.29
<きのうから続く>ロシアが生んだ20世紀を代表する男性バレエ・ダンサー、ルドルフ・ヌレエフとミハイル・バリシニコフ。この2人の天才ダンサーが演じた『若者と死』(ジャン・コクトー原案、ローラン・プティ振付)が収録されたDVDは、日本でも出ている。2007/04/01発売ローラン・プティ・ガラ/若者と死ヌレエフ版は1967年のスタジオ撮影。ヌレエフは相手役にプティの妻でもあるジジ・ジャンメールを希望した。準備期間は1週間と非常に短かかった。というより、たまたま空いたヌレエフのスケジュールを埋めるのに、この作品の撮影を選んだと言ったほうが正確かもしれない。ヌレエフ版では、若者が死んだあと部屋の壁が上がり、パリの夜景が現れるシーンは省略されている。ヌレエフ演じる若者が、絞首台となった柱で首を吊ったところで終わっている。ホワイトナイツ 白夜(DVD) ◆20%OFF!バリシニコフ版は映画『ホワイトナイツ』の冒頭にある。これは劇場で上演されている『若者と死』を編集したスタイルになっており、満員の客の入った大劇場での公演の様子をドキュメンタリー風に撮りながら、スタジオ撮影と組み合わせて、さまざまなカメラアングルを工夫した、非常に凝った演出になっている。パリの夜景が現れるシーンもある。私見だが、ヌレエフ版、バリシニコフ版、熊川版の3つの中で、もっともカメラワークが優れているのがバリシニコフ版だ。『ホワイトナイツ』の制作者による解説でも、この冒頭のバレエシーンの演出には細心かつ最大限の注意を払い、工夫を重ねたと言っている。映画の観客は、ときに映画の中の劇場の観客と同じ空間に座って一緒に舞台を眺め、ときに劇場の客席からでは望めない距離あるいは方向からバリシニコフの表情や動作を堪能することになる。ただ、バレエ作品として見ると、途中一部カットされてしまっているのが残念だが、あくまで映画の中のバレエシーンなのだから、仕方がない。バリシニコフの踊りを見ると、ヌレエフを相当に意識しているのが感じられる。バレエ・ダンサーの優劣がテクニックで決まるのであれば、バリシニコフは恐らく、ヌレエフを凌いで最高峰に位置づけられるダンサーだろう。ヌレエフが、回転動作でときどき軸がブレたり(←GOEマイナス1?・苦笑)、完全に回りきる前にフリーレッグを降ろしてしまったり(←ダウングレード?・苦笑)しているのに対し、バリシニコフはまるで精密機械のように動作の最初から最後までまったく軸がブレず、ピルエットでも常に完璧に回りきってから脚を下ろしている。また、跳躍技のあとの着地でも、空中で余裕をもって回りきって降りてくるから、微動だにしない。意識的に動作を一瞬ピタッと止めている。ヌレエフの踊りで、テクニック的に少し「気になる」部分を、あたかも意識的に完璧に修正して演じて見せたようですらある。全身にみなぎる緊張感も、ヌレエフにはないものだ。だが、その完璧さが、逆に物語のドラマ性を弱めているかもしれない。ヌレエフ版『若者と死』は、実のところヌレエフの踊りとしては、跳躍技の高さも回転技の技術も今ひとつだ。ヌレエフといえば、まるで重力がなくなったかのように、ふわりとジャンプする――その高さと滞空時の静止画のような男性的なポーズの力強さと美しさが図抜けている――というイメージがあるが、『若者と死』はそうしたバレエではなし、小道具が並んでいる狭い舞台空間でリハの期間も短かったということもあるかもしれない。一言で言えば、バリシニコフほど「テクニック的にはリキが入っていない」のだ。それでもヌレエフ版『若者と死』は、ヌレエフという男性がもつ自然な魅力が不思議ににじみ出てくる作品になっている。魅力というより、魔力といったほうが適切かもしれない。ダンサーとしてというよりも、あくまで1人の男性、1つの存在として、ヌレエフが醸し出す魔力だ。不思議なことに、見れば見るほど味わいが深くなる。こうした磁石のような魅力は、バリシニコフ版には薄い。このバレエは、男性が上半身裸で演じる。バリシニコフは明らかに「見せる筋肉」を上半身につけている。ヌレエフにはそうした人工的なトレーニングの気配はみじんもない。生来のたくましさに均整のとれた筋肉をまとったダンサー。ヌレエフの筋肉は見せるために作ったものではなく、あくまで踊るために身についたものだ。身体の動きは非常にしなやか。ヌレエフという人は、特段イケメンではないが、顔の表情には、毒気をはらんだ媚態のようなものがある。それも教えられて身につけたものには思えない。ヌレエフという人が元来もっている、得体のしれない魔力のようなものが、身体全体、そして顔の表情から漂ってくる。プティの語る「男性的で、クレイジーなところがあり、踊り手としては超絶技巧だが、自然でなくてはならない」という「若者」のイメージは、まさにヌレエフを指しているように思う。熊川版の舞台『若者と死』が素晴らしかったのは昨日書いたとおりだが、残念ながら熊川版DVDには激しく落胆させられた。ヌレエフ&バリシニコフと比べるのが、そもそもおこがましいという人もいるかもしれないが、ダンサーとしてどうこう以前に、演出がひどすぎる。舞台『若者と死』はダンサーだけでなく、振付、音楽、舞台美術すべてが一体となって感動を誘った。バレエはまさしく総合芸術なのだ。舞台とDVDは違うとはいえ、熊川版DVD『若者と死』は、舞台ではほぼ完璧に表現されていた総合芸術を安手のトレンディドラマに変えてしまった。バレエダンサーは俳優とは違う。単に女性とセクシーに絡んだり、彼女に振られて悲しんでる表情をしたりといったドラマの表現では、ダンサーは(イケメン)俳優にはかなわない。だが、ダンサーには俳優にはない魅力があるはずだ。第一にダンサーは姿勢がいい。立ち姿が何もしなくても美しいし、ポーズもバランスが取れていて、身体全体に緊張感がある。動きも無駄がなく、流れるよう。熊川版DVD『若者と死』は、変にワザとらしい表情を作った顔のアップを多用したり(しかもワンカットが長い)、スローモーションを入れたり、「スタイリッシュ」に撮ろうとして、返って熊川を三文役者にしてしまった。最近、時代劇の立ち回りなどでもスローモーションが多用されるが、あれは要するに、近ごろの役者――特に経験の浅い若い役者――が「動けない」からだ。「動ける」ダンサー、しかも非常に機敏に流麗に動けるダンサーを使ってドラマを作るなら、俳優には真似できない身体を使ったドラマ性の演出を心がけるべきであって、熊川哲也の「顔芸」なんて、熊川ファンなら喜ぶかもしれないが、バレエファンが見て感銘を受けるようなものではない。カットする部分も完全に間違っている。舞台では、部屋の壁が上がり、女性が死神となって再び現れ、若者が木偶人形のように、彼女について歩くシーンがある。そして、階段を上がり、パリの夜景を見下ろす位置に来たところで、死神がどこかをまっすぐに指差す。この部分は生の世界から死の世界への移行を意味している。熊川の舞台は非常に素晴らしかったのに、ただ歩くというモーションが冗長だと判断されたのか、DVDではほぼ全部カットされてしまった。パリの夜景は「死後の世界」の象徴なのに、ラストシーンでは空しか映っていない。「天空への旅立ち」だという新たな解釈なのかもしれないが、それではこの作品でパリの夜景がもっていた力強い象徴性が薄れてしまうし、そもそも「死=空へ」というイメージがチープだ。どうしてこんなバカげた「改悪」をするのか。ヌレエフ版のほうは、若者が首を吊ったポーズで終わる。パリの情景が入っていないのは、準備期間が短く、セットを用意できなかったという現実的な問題があったのかもしれない。ヌレエフ版は、絞首台と若者以外は何もない白い空間でラストとなるのだが、空中にぶら下がったヌレエフの身体のラインが、足先まで非常に美しく、神々しくさえ見える。熊川版のような安い三文ドラマの終わりとは違う。どうしてこういう演出ができないのか。プティが熊川に「若者」を踊る権利を許諾してくれたことは喜ばしいことだ。今後も熊川は舞台で『若者と死』を演じていくつもりだという。舞台は「総合芸術」として素晴らしいのでお奨めだが、DVDを見る限り、熊川というダンサーは、ヌレエフやバリシニコフとはスケールが違いすぎる。DVDの解説では、熊川の「若者」は表現力ではバリシニコフ以上のものがある、などと持ち上げているが、いくらなんでもそれは身びいきが過ぎるというもの。ヌレエフの現役時代の話をすると、プティはヌレエフ+ジャンメールの『若者と死』の収録を終えたあとも、この作品をヌレエフに舞台で演じてほしいと思っていた。『若者と死』は、舞台装置も単純だ。最後のパリの夜景が現れる部分を省けば、テーブル1つ、椅子4脚、ベッド1台、それに絞首台になる柱があればいい。それなのにヌレエフが公演の演目に入れないので、なぜ踊らないのかとプティは何度もヌレエフに直接尋ねている。ところが、プティが『若者と死』を、ヌレエフの後に現れたロシアのもう1つの輝ける才能に許諾すると、ヌレエフはプティにこんなことを言ってきた。「『若者と死』の振りをミーシャ(バリシニコフ)にあげてしまったの? 僕は彼より前に踊ったことがあるのに。どうして僕の巡業用の作品にしてくれなかったの?」(新風舎『ヌレエフとの密なる時』ローラン・プティ著 新倉真由美訳)この微妙に甘えた物言いの裏には、ヌレエフとプティの「特殊」な関係がある。<明日へ続く>
2009.05.26
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