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5月の連休に歩いた四国のお話。
88のお寺も残すところあと4ヶ寺になりました。
明日(5/5)結願するにはこの日、出来るだけ先に進みたかったのです。
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
~屋島から八栗寺~
急な坂道を下りると壇ノ浦。
その向こうに牟礼の町が広がり、五剣山(H366m)が見えます。
八栗寺はその中腹にあります。
屋島からの急坂で、つま先がひどく傷みます。
~安徳天皇社~
4時。 今から八栗寺を打つのは無理だな~
急いでケーブルで登っていたら
5時に間に合っていたかもしれません。。
でもその坂も屋島の様な登り坂と思い込んでいたので、
翌日に延ばして、ゆっくりと洲崎寺に寄る事にしました。
・・・・・
予定していた八栗寺を打たなかったので、
翌日はハードな最終日になってしまうのでした。
~ 洲崎寺 ~
夕方のお散歩をしているおじぃさん方とすれ違います。
「この辺りは歴史に残る源平合戦のゆかりの地だよ」
天皇社の話をしてくれました。
1183年 平宗盛は安徳天皇を奉じて屋島に来た。
ここは壇ノ浦の入り江にのぞみ、後ろに険しい屋島の峰、東に八栗の山を控えて土地の利を得た所であったので、行宮を建て将士の陣営を作った。
天皇社の辺りが行宮跡と言われている。
~社の説明版より~
~鐘の右に真念の墓~
街中を歩いていると、源平合戦の史跡を見かけます。
洲崎寺は思っていたより綺麗なお寺でした。
塀沿いに歩いて裏手から南側正面へ。
石庭の緑が鮮やかです。
石が屋島や八栗山などの陸地を、苔が壇ノ浦や海を現しています。
真念は江戸時代初期の僧で、
八十八ヶ寺の巡礼20余度に及ぶその間の 巡拝案内記を作り、遍路みちを整備し「遍路の父」と仰がれる。
お墓はS55年2月牟礼町塩屋の南三昧から移したものである。
~高松市教育委員会~
先日、真念さんの書かれた案内記を頂きました。
訳が付いているからアタシにも解り、
旧かな文字の味のある本で、今の路と重なるところ、面白く読んでいます。
UPされているのお墓の写真を見て、
道端に祀られていると思いましたが、立派に大切にされていました。
もうすぐ5時です。
控えめに鐘を突いて、お寺を後にします。
八栗駅からの琴電は貸切状態、
歩いてきた風景をぼんやり眺めながら瓦町へ戻ります。
今夜の宿は駅前の安くて評判のいいホテル、そりゃ~夕飯はありません。
シャワーをして横丁へ向かいます。
知らない街中の繁華街でひとりでお店に入るのは勇気がいるし、
食べた物が落ち着きません。
先輩達の御かげで、美味しく頂けました。
~烏賊は好物~
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宿 <ナンバーワンホテル高松>
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