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昨日は小学生の作文のような時系列な書き方をしてしまった。かなり疲れていたので、昨日はお休みで本当に良かった。昨日は10年ぶりの名古屋と書いたが正確には11年ぶりの名古屋。新幹線も11年ぶりだ。そう書くと11年間どこにも行かなかったようだが、特急電車や飛行機には乗っている。新幹線に乗っていなかったのだ。私の母の実家が滋賀県だったので、子ども時代はよく新幹線に乗っていた。こだまかひかり号である。指定席は高いので、自由席。これが、土日の夕方なんて激混みなため、座れず、立っているという非常に疲れる旅だった。幼い私は脚力も弱く、健脚な母や兄のように立ち続けられず、へなへなと通路に座り込んでしまったのを覚えている。母も心得ていて、私は出された新聞紙の上にへたれこんでいた。貧乏ったらしいというか、それも許容されるというところが昭和チックである。小学校3年生のときに、初めて兄と二人で新幹線に乗ったのも覚えている。さすがにこれは指定席だった。なぜかというと、何号車の指定席に乗ったか祖母にあらかじめ知らせておかなければいけなかったからだ。そうすれば大津駅に到着して新幹線を降りたら、そのホームの降りた場所に祖母が待っている…はずだった。時間も母が念を押して祖母に知らせている。祖母は60代くらいではなかったか。まだボケるような年でもなかった。「降りたらおばあちゃんがそこで待っているから」と母に言われていて、私たちは新幹線に乗っていれば大丈夫、という手はずだった。降りたら、誰もいなかった。祖母の家は、そこから多賀線という電車に乗らなければ行けないのだが、私たちにはわからない。あの誰もいない新幹線ホームのことは忘れられない。降りる人も殆どいない。人っ子一人いないホームで、一瞬不安に駆られた。しかし、当時中一だった兄は極度の対人不安があり、知らない人とは口を利けないということをすぐに思い出した。兄には頼れない。「お兄ちゃん、駅員さんに聞こう」と言っても兄はもじもじしている。まあ、こんなことは慣れっこだ。私は駅員を探し、「降りたら待っているはずの祖母がいないんです」と訴えた。駅長室に連れて行かれた。兄は私の後ろに隠れてしまったので、説明はすべて私がした。東京の住所、電話番号、自分達の名前と祖母の名前など聞かれたことに答えただけではあるが。駅員さんは、兄が一言も発しないことに違和感を感じたように私たちを見ていたが、構内アナウンスをかけてくれた。東京から来た兄妹が、祖母を待っているので駅長室に来てください、と。やがて決まり悪そうに祖母が駅長室に現れた。時間を間違えたか、場所を間違えたか、理由は聞いていない。その時、駅長さんが「下の女の子はえらくしっかりしてますなあ」と私を褒めたのが祖母はちょっと気に入らないようだった。祖母は兄の対人恐怖症を知らなかったし、明治生まれだから、女の子が兄を差し置いてペラペラ喋っていたなんてとんでもないでしゃばりだと思ったのだ。だって、兄は知らない人が極度に苦手なんだから仕方ないではないか。それでも祖母が来てホッとした。さすがに自分だけではローカル線の多賀線なんて乗りこなせない。昔は本数も少なかったし、乗り変え方もわからなかった。祖母は私が兄を差し置いて生意気だと母に文句を後日言ったが、母も兄が喋らないのは百も承知。私が説明せざるを得なかったのは当然のことであり、それよりあんなに言ったのにホームにいなかったとはなにごとだと母は言い返していた。あれは9才のときだから、53年も経ったのか。駅長さんからしっかりものと褒められた女の子は、名古屋でも迷いっぱなしのボケばあさんになっていました。無事に帰って来られたのは友達がしっかり者だったからです。私はばあちゃんに似たのだろうか。今でも新幹線に乗るとドキドキする。「名古屋の次は京都です」なんてアナウンスされるとヒヤッとする。降り損ねて京都に行ってしまったらどうしよう!京都の日帰りもできないことはないが、乗り過ごしたら、修学旅行以来行ったことのない京都になってしまうのだ。名古屋で降りられたときはホッとした。帰りの新幹線は安心。乗り過ごすことはない。終点は東京なのだから。そして相変わらず、指定席をケチって自由席だったが、無事に行き帰り座れた。今時、新聞紙の上にへたれこんだら、ただの変人なので、空いていて本当に良かった。私の友達、ご苦労様。高校の友達なので私の方向音痴は熟知してくれているので本当に助かる。9才のとき、しっかり者と言われたのに、駅長さん、人を見る目がありませんでしたね。いつか、京都や滋賀県にもまた行ってみたいんだけど…兄は対人恐怖症だったけど、兄との夏休みは本当に楽しかったから。私の京都行きは付き合ってくれる人がいなさそうです。だって、私が行きたいのは祇園なんだもの。これも理由を書くと長くなるから、私の新幹線物語はこれでおしまいです。
June 15, 2024
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昨日は名古屋日帰り弾丸旅行へ行ってきました。六時半の新幹線のぞみに乗り、8時に名古屋到着!駅構内のきしめんを食べた上に、名古屋風朝ごはんも捨てがたく、ぴよりんプリンとセットになったあんバタートーストも。そして地下鉄周遊券を買って、栄や金町を乗り継ぎながら名古屋港到着。わーい、海だ!でもここの海、磯の香りがしない。ちょっと不思議でした。さっそく水族館へ。おや、イルカのショーが始まってしまう!見事、見事。ジャンプする瞬間を一生懸命、撮影しようとしますが速すぎて無理でした。あんまりカメラにこだわるとショーを楽しめないから途中で諦めました。この目でしっかり楽しんだ方がいい。ベテランのイルカさんたちで、泳ぐのもジャンプ、お辞儀も板についています。何よりも愛くるしい。それにしてもあんなに泳ぐのが速いとは知りませんでした。陸のチーターのよう。その後、シャチのトレーニング、ペンギンのフィーディングなど、催し物は全部見ちゃいました。都内ではなかなかここまでは見られないので。私は俄然プールに入りたくなりました。イルカと泳げたらいいなあ。シャチは…食べられちゃうかもしれないから止めときます…でもシャチも頭がいいし、カッコ良かったです。カメも大きくて、優雅でした。カメって可愛いです。呼ぶとこちらを向くのです。それは小さいカメでしたけど。深海魚のコーナーでは、照明をつけたり消したりすることができ、明るくしてみると実は深海魚も意外にカラフルだとわかりました。暗いので赤い色でも補食されないからだそうです。勉強になりました。なんだかんだと3時くらいまで水族館にいて、熱田神宮へ向かいました。もちろん、お目当ては熱田神宮店のひつまぶし。朝ごはんを二回食べているのでお昼ごはんは食べていません。神宮を見てからお店に、と思いましたが、こんな平日でも開店の4時半前には行列。神宮を後回しにして、並びました。10年ぶりに食べたひつまぶしはやっぱり、ばりっとしていて、心から幸せだと思える味でした。食べ終わって5時半過ぎでも明るかったので、神宮を参拝に。人も多く、カラスがのんびり歩いていて、夕方と思えなかったです。蚊に刺されましたが。お土産を買いながら地下鉄の駅に向かいます。友達は家族に「きよの」の和菓子を買いたいということで、芸術的な和菓子を見させて頂きました。日持ちの関係で私は買いませんでしたが、友達は上品な和菓子を購入。商店街を抜けて来たときと違う駅に出ようとしましたが、ちょっと遠かった。Googleマップに助けてもらいました。地下鉄周遊券で動いていたのでJRでは困るのです。そして慣れたつもりで、金町で乗り換えようとしたら、あら?名古屋行きがありません。駅員さんに聞いて乗り換えるのは栄だと言われ、そうだったと思い出しました。無事名古屋について、また少しお土産を買い、のぞみに乗ったら東京到着は9時少し前。ありゃー結構弾丸だったし、よく歩きましたわ。名古屋お気に入りの友達は次回はジブリに来ようと言っています。今日はさすがに、つかれていて、ホットヨガには参加できず💦フラだけ参加してきました。明日から仕事です。10年ぶりの名古屋、楽しかったです。
June 14, 2024
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今朝は案の定、時差ボケを起こしていて、体調不良の目覚め。お粥を作るものの、2.3口しか食べられない。これは多分、脳も体も起きていないのだろう。ヨーグルトの買い置きをするのを忘れたから、他に食べられそうなものはなく、出勤。蒸し蒸しとして、気持ちが悪くなりそうな天気のなか、これは習慣なので自転車を突っ走らせる。仕事中は水分補給をまめにした。イオン飲料はこんなときによく効く。まさに飲む点滴だ。結果、仕事に行った方が体調がいい。これは若いときからそう。帰りに図書館の児童書コーナーをぐるっと廻る。なんか、元気の出る本はないかな。児童書は楽しいが、文庫本ではないから重い…と、また怠け心がわく。今日もリンドグレーンのコーナーを見て廻り、ティーンエイジャー向きに書いたと思われる本を借りて帰ってきた。ジムはなし。今週は金曜日まで行かない。木曜日に名古屋日帰り遠足を予定しているので、何としても体調を整えなくては。ひつまぶしが食べられなくなっては困る。結局、ぼーっとしているだけなのだが、過去に読んだ本の一節がふと脳裏に甦る。曽野綾子さんの「夫の後始末」というエッセイだ。曽野綾子さんはご主人を献身的に介護なさったが、ご主人は亡くなられた。その後、彼女は決心したという。未亡人になった自分を気遣ってくれる人は多いだろう。仲良し夫婦だったから、夫婦でよくお喋りをしていた。話し相手がいなくなったのだ。だからこそ、寂しくなったという理由で友達や周囲に電話をかけたり、連絡を取るのは止めようと戒められたのだ。相手が気を遣うのがわかっていて、それはできないと。とても頭のいい女性で、自立されていると改めて感心した。私も気を付けなければ、と読んだときは思ったが、何しろ、片っ端から忘れてしまう。こうして書いておかないと。それで電話もラインも今は誘惑にかられながらも止めている。うっかり娘に電話してしまい、どうでもいいことをダラダラ話して嫌がられ、やっと思い出したのだ。これは迷惑行為であると。本を借りに行ったのは、それでもつい、喋りたい誘惑に駆られるから、セーブする意味合いもある。明るい児童文学を読みたくなったのは気分を上げたかったから。こうやって書くと一日中、黙っていたみたいだが、仕事に行っているので、それなりに雑談はしている。職場は様々な年代の人がいるので、年上の人とも若い人とも話せるのがいい。しかし、若い人は気を遣っているだろうから喋りすぎにご用心…と言いつつ、かなり一方的に喋ったかも。内容は最近読んだベストセラーについて、である。幸い、今の職場は本好きの人が多いから、そこは安心して話せる。でもついつい、「面白かったから読んでごらんなさいよー」と説教調になっていなかったか、ちょっと反省している。そうだ。書き忘れた。曽野綾子さんは友達への電話は極力控えて何をしていたかというと、まず断捨離。さすがだなあ。そして断捨離しているうちに夫のへそくりを数万円見つけた。これは夫からのプレゼントと思い、ご自分のために遣おうと出かけた。出先にはペットショップがあり、猫を衝動買いされたそうだ。亡き夫からのプレゼントが猫だなんて、素晴らしいではないか。以前の著書から察するに動物嫌いではないものの、かなり動物に対してもクールに書かれていたと記憶している。だから、猫を飼ったと読んで、少し驚いた。やはり、寂しかったに違いない。その猫のために、仲間を作ろうとまた猫を買ってくる。二頭の猫に囲まれた曽野綾子さんは心から幸せそうだった。初めは寝室を別にしていたが、猫の方から寝室のベッドに侵入してきて、「やはり来たか」というクールな書き方にも喜びを感じた。曽野綾子さんはお嬢様育ちで、お母様は優しいながらも躾はきちんとされていた。猫と同じベッドで寝ているなんて「母が見たら、なんとだらしないと怒るだろう」と面白そうに書いていた。そうか、動物と同じベッドで寝るってだらしないことなんだと私は初めて知った。最初に動物と一緒に寝たのは、中学生のときに飼っていた犬だった。それこそ、ベッドに侵入してきたからだ。あの犬は、絶対に自分も人間だと信じていたと思う。だから当然のように布団に入ってきたのである。そして、飽きると布団から出ていくという、猫みたいな犬だった。猫はちょっと違う。寒いときに人間を湯タンポがわりにくっついてくるのだ。そして、猫も心が寂しくなると、これまた飼い主を心の湯タンポがわりにしてくっついてくる。曽野綾子さんは電話魔にならなかったが、猫に癒されることには積極的だった。ご主人ご存命のときにはなさらなかった行動である。だから、私も猫に癒されていいのだと思い出して安心を覚えた。
June 11, 2024
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今日は定休日の月曜日。昨日も休みだったから連休。私はお休みの日、ろくなことをしていない。たいがいは寝ようとする。人生から逃げるように。今日も廃人のようになりかけたが、これ以上続けると時差ボケを起こしてまた体調不良になる。少しだけジムへ行き、軽く運動…かなりお風呂目当て。そのお風呂もカラスの行水で、人間らしさを取り戻そうとニンニク注射を打つ。少し倦怠感が消えたが、胃腸が本調子じゃないな。気持ちだけ上がったので、誰かと喋りたくなったが、よく考えるとなんの用事もないのだ。迷惑なだけ。先日、娘に電話したらろくでもない話しかしない私に呆れて「もう切る!」と怒られた。しかし、それは当然の話で、私は娘になんの用もなかった。もしかしたら、孤独なのかもしれないが、その割には動きたくない。ふっと林真理子氏が講演会で話したと言うエピソードを思い出す。「一人でいるときは本を読んでください。そのとき、あなたはもう一人ではないのです」前置きが長くなったが、そこでベストセラーになっている「図書館のお夜食」をKindleで購入。ベストセラーは中古で買おうとしても安くならないし、それに私の部屋は本だらけだ。なるべく増やしたくない。この本、図書館で借りようとしても予約だらけでかなり待つことになる。私は子育てするに当たって娘に言ってきた。「うちはお金ないから、洋服はそんなに買ってあげられない。ボーナスのときだけ。でも本だけはいくらでも買ってあげる。漫画以外は」大物の親なら漫画もいくらでも買っていいと言うところだが、そこまで度胸がなかった。漫画はお小遣いの範囲内にしてもらった。そして、意外にそんなに本代はかからなかった…洋服に比べたら。それは娘が私ほど本好きではなかったせいもある。それでも小学生の割には読んでいた方なのかな。あまり負担に感じなかった。今、私は自分に言い聞かせている。「本はいくら読んでもいいんだよ」と。それでも予約待ちをしなくていいなら図書館で借りるし、お安く買えるなら中古本を買う。予約待ちは苦手。読みたいと思ったらすぐに読みたいから。「図書館のお夜食」はなかなか美味しそうな本だった。夜しかやっていない図書館、故人の蔵書ばかりを集めた図書館、いいなあ。まかないは様々な作品の中から出てくるメニュー。読んでいない作品のメニューはわからなかったが、赤毛のアンのメニューはわかった。そうそう、すごくシンプルなのよね、パンとバターとキュウリだけ、とか。田辺聖子さんはお料理上手だったから関西のメニューが美味しそう!そして、ちょっと考えさせられた。私にもやがて読めなくなる日が来るのだろうか。視力の問題ではなく、気力の問題として。あー、ニンニク注射の効果を読書に使ってしまった!でも本があれば孤独じゃない。猫がいれば寂しくない。これ、本当です。
June 10, 2024
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少子化に歯止めがかからない。小さな?要因としてはここ3年間のコロナ禍がありますけどね。若きも老いもひきこもりを強要されましたから。出会うどころじゃなかったでしょう。ところで東京の0.99は異常です。出産費用だとか、児童手当とか、給食費無償化とか対策はしてますけど。私としては、東京の住居費が高過ぎるのも一因と思います。賃貸は何とかなるとしても、東京のマンションなんて軒並み億ションなんです。それでも即売だというから、格差がすごいのでしょう。ごくごく、一部の富裕層がいて、残りの9割は億ションなんて手が出ません。でも、仕事は東京に集中しています。生きて食べていくためには東京で働くのがいいのかもしれませんが、マイホームどころじゃない。中古マンションだって異様に高騰していて、こちらも歯止めがかからない。教育費も高いですが、一番の負担は住宅費じゃないでしょうか。子どもを持つならマイホームで、と思うのは決して贅沢なことではありません。それは私が貧しい子ども時代を過ごしたからよくわかります。子どもにそんな思いをさせたくない気持ちもよくわかります。それなら郊外に住めば、という案もあるでしょうが、今は共働きの時代です。働きながら育児に時間を捻出するためには職住接近でないと難しい。貴重な一時間を通勤に取られ、子どもは預けられっぱなしで、家では食べて風呂はいって寝る、それで精一杯になってしまいます。親子の触れ合い時間が圧倒的に少なくなりますね、遠くては。この住宅費高騰の問題が解決されないと若いカップルは子どもを持つことを躊躇してしまいます。東京はこの住宅費高騰の問題を解決しないと、少子化は進む一方です。生めばいいってもんじゃないんですから。ところでお隣の韓国はもっと少子化が進んでいます。韓国の住宅費までは把握していませんが、あちらは大変、教育熱心でダブルスクールが当たり前。学校が終わると塾へ直行。教育費はハンパないでしょう。その人たちが大人になると、そこまで子どもに教育費をかけられない、でも自分が受けた程度の教育費はかけるのが当たり前と思っているので、生めないのではないでしょうか。日本も中学受験が加熱していますね。公立は教員不足というのが知れわたっていますから、親は不安になるのです。ここは思いきって少人数学級にする、そのためには教員不足では話になりませんので、定額働かせ放題のシステムを改めないと。何もかも教員にやらせ過ぎなのです。例えばスクールカウンセラーを非常勤でなく、常勤にして、保護者のクレームや悩みはいったん、カウンセラーが引き受けるというのはどうでしょうか。格差の問題も、給食費無償化で解決しますか?こども食堂は、増えていますが、あくまでもボランティア運営なので月に一回くらいしか開催できないようです。民間の学童では夕飯も出るようですが、費用はかなりかかります。公立も頑張らないと。朝ごはんも食べられないお子さんが増えています。かたや、フードロスの問題もあり、なんとかここをつなげられないのでしょうか。それとも今はアレルギー食のお子さんが多いので、とても無理なんでしょうか。私は保育園では昔やっていたように、朝のおやつを復活させて欲しいですし、こども食堂と学童は連携できないでしょうか。住宅のことに戻りますが、私は消防車のサイレンを聞くと昔の記憶が甦ります。私の住んでいた長屋の一帯が火事になり、それはたくさんの消防車と野次馬が押し寄せました。近隣が赤々と燃えている。これだけ消防車が来ているのだから我が家に飛び火はないだろうと冷静に見ていましたが、野次馬の多さには驚きました。少なからず同級生もやってきました。長屋の住民である私がぼーっと火事を見ていると隣に同級生が来ている。その人は一戸建てに住み、会社役員の、まあ、いわゆるお金持ちのお子さんでした。同じ小学校で、こんな所に住んでいる人たちもいるのかと彼は驚いたに違いありません。私は開き直って彼を堂々と見返したら、慌てて帰っちゃいましたけどね。その後、大人になってからもその人はクラス会のたびに、「お前のところ、火事になってたなあ」と言うので、強烈なイメージだったのでしょうね。30代のクラス会では「あの住宅に住んでる人たちは問題が多かったって聞いてるけど」と言われました。それはみんな、口に出さずとも思っていたことです。荒れた家庭がたくさんありました。我が家も。病気の人たちもいました。そこに住んでいるだけでレッテルを貼られるのは残念でしたが事実でもありました。でも親切な人たちが多かったことも事実。私は両親に足りない優しさや温かさは、近所のおばちゃんたちから習いました。そういうおばちゃんたちはたとえ、貧しくとも、貧しいなりに教育熱心でした。やりくりして塾や、ピアノの習い事に経費を出していました。自分達は貧しくとも、こどもの教育費だけは出そうと言う愛情深い親に育てられたその家の子達は期待に応えて、国立大学へ奨学金を、もらって進学していました。でも教員になったらなったで、親を扶養するのに今度は大変な思いをしていたようですけど、子ども時代にしっかり、教育を受けた人はその後の人生を自分でしっかり切り開いていきました。でもそんな親ばかりじゃなかったことも事実。荒れた家庭の子どもは不良になり、少年院にいき、その後はヤクザになり、体を壊して早死にしました。そこの家ではいまで言う「虐待」、当時は折檻と言いましたが、木にくくりつけられたりしていて可哀想でした。何が言いたいかって、住宅の貧相なのは教育費と相関性が高いということです。もうすぐ都知事選ですね。教育格差を埋めてくれる人がいいなあ。子ども時代のことは一生のトラウマなのです。田舎だったので、近隣に図書館もない時代でした。でも、本屋さんはありましたね。今は街から本屋さんが消えていきます。本屋さんのない街は、その地域の文化度を示しています。でも売れないものは仕方ない。みんな食べていかなきゃいけないもの。食の充実と共に、身近に図書館があること、保育園や学童が図書館と連携すること。私は貧しく荒れた家庭のなかで、本によって救われていました。親ガチャでも先生ガチャでも、本は裏切らないのですよ。そんな私が最近読んだ本のなかにリンドグレーンの「さすらいの孤児ラスムス」があります。温かい家庭を求めてさすらうラスムス。リンドグレーン初期の本になります。リンドグレーンは波乱万丈な人生で、18才で生んだ子どもをどうしても手放さなくてはならず、七転八倒の苦しみを味わいました。だからリンドグレーンは不幸なこどもたちを見過ごせなくなったのです。悲しみを知っている人にしか書けない物語。こうした児童文学はこれからも読み継がれてほしい。格差があって、習い事や塾へ行けなくても、本が読めれば人生、変わることだってあるんです。私は算数などの勉強が苦手な劣等生でしたが、本好きだったので文系科目は嫌いじゃなかったと思います。何より、読書は評価されないからこそ、楽しめるのです。こんな教育方法もありますよってこと。0.99を克服できるような方に都知事選では勝ってもらいたいです。長くなりました。体調いまいちなので、ジムは休んでお昼寝します。
June 9, 2024
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今日もジムは楽しかった。今日からダンスにマイケル・ジャクソンが取り入れられた。嬉しい!張り切っちゃうけれど、来週の火曜日はお休みじゃないから参加できない。私のお休みはローテンションなのである。土日出勤すると月曜、火曜の休みが多いのだが。月曜は定休日と言っていいくらいお休みである。一年に二回くらい月曜出勤がある程度だ。まあ、働いているのだから思いきり習い事というのは無理がある。仕方がない。今日もニンニク注射をした。別に毎日やるつもりはない。たまたま、最近は疲労感、倦怠感が続いているし、連休だったから行ってみたという感じだ。月曜定休の私は、月曜は注射の日と決めるつもりだったが、なんと来月から月曜定休にするとか。ガビーンである。思うようにいかぬ。でも、マイケル踊れたし、今日はニンニク注射もできたから、占いとは違って良い日だった。さて、明日から三連勤。水曜、木曜は仕事のあとジムに行くから体力勝負だ!あ、読書も続けています。隙間時間に。今は「お探しものは図書館で」と児童書の「不思議駄菓子屋 銭弁天堂」の平行読みです。
June 4, 2024
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メアリー ノートンの「床下の小人たち」を読み終わりました。児童文学の中でも名作なのですが、読んでいなかったので気になっていたのです。私は子ども時代から児童文学が大好きでしたが、図書館が近くになくて(田舎でしたから)名作がいくらでも手に入るという環境ではありませんでした。なので読み逃したと思うものは大人になってからでも読みます!この作品、翻訳者がメアリーポピンズを翻訳してくれた林 容吉さんなんですね。何だか懐かしい。メアリーポピンズは何度も何度も読みましたから。小人たちの話もドキドキして面白かったです。ただの妖精ファンタジーではありませんね。それに、私はこの年になっても小人の存在をまだ信じているのです。夢見る夢子さんではない!人類って、私たちはホモサピエンスですが、もともとはいろいろな種類がいたわけでしょう。小さい人類として進化した人種だっていたはずなんです。もう絶滅はしているでしょうが、ホモサピエンスと交流があったかもしれないし、それが言い伝えになったのかもしれないと思うんですよねえ。ノートンを借りるとき、児童書のコーナーだったので隣にあった「ピッピの生みの親 アストリッド リンドグレーン」という伝記も借りてみました。リンドグレーンは映画でも観ていますし、結構ハードな人生を送られていますが、日本ではやはりピッピが有名です。ところが、ロシアでは「屋根の上のカールソン」が一番有名だとか。お国柄の違い?子ども向けに書かれた伝記も面白いなと思いました。ピッピは私にとって憧れだったのです。世界一強い女の子!馬も持ち上げちゃう、ペットはサルだし、一人暮らしで自立していて、もう、羨ましかった!だって、私はどんくさくて力も体力もない小学生でしたから。女の子が生まれたら、ピッピみたいに元気な子がいい!と願っていました。ピッピとはタイプが違いますが、神様はいくらか願いを叶えてくださり、思いきり元気でお転婆で男の子みたいな子が生まれました…ま、娘ネタはまた今度!今日はジムで軽く運動してから、帰りにニンニク注射をしてきました。倦怠感、ヤバいからです。すごい効き目。打ったあと、みんなはもともとこんなに元気でパワフルなのかなと思いました。見えにくかった目が急に見えるようになったかのような感覚なのです。もし、みんながこんなに元気ならとても羨ましい。倦怠感で動かないと鬱々としてしまいますから。そしてその倦怠感は精神論では解決できないのです。やはり定期的に接種しようかな。いつも落ち込んでばかりでは周りにも迷惑ですからね。ピッピみたいに元気でいたい!
June 3, 2024
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今日も頑張って働きました!とにかくいろいろなことを覚えなくてはいけないのに、忘れてばかりで残念。しかし、木曜日に友達に会ったとき「そこの職場は忙しいって他の人も言ってたよ」と言われてちょっとホッ。私の頭が壊れてるんじゃなくて、忙しい部署に配属されたのね。え?頭も壊れてる?まだまだなのだが、すこーし点と点が繋がってきたような気もする。親切な職場の方々に感謝、感謝。しかし、この年で忙しいと言われている職場へ新人として行くとは…まあ、優雅な老後なんてどうせ来ないと思ってたしね。脳トレですな。それに腹痛が治ってきたのでほっとしている。原因は、若いつもりで何でもガツガツ食べるからだろう。消化能力が確実に落ちているのだ。腹八分目を心がけよう。夏は冷たいものをとりがちだから、用心を。アイスを食べすぎないようにしなければ。体力が落ちるとメンタルも落ちるので、ネックは胃腸だな。あ、風邪もひきやすいんだっけ。膝も良くなったし、これから暑い夏だけどホットヨガを復活させよう。冬の話だが、ホットヨガで汗をかくと風邪をひきにくくなるのだ。インストラクターが嘆いていた。冬は同じことを思うのか、ホットヨガ大盛況だけど、夏は集客率が落ちるのだとか。そりゃ、危険なほど近年の夏は暑いので、さらに暑いホットヨガに行くのは勇気がいる。でも体調が良くなるなら!娘もホットヨガを続けていると聞いて嬉しい。娘は3月の誕生日に、私と特設でやっていたスパでヨガを初体験した。それは常温のヨガでかなりストレッチに近い初心者向けのものだった。それをきっかけに娘はホットヨガ教室に入会したのである。私との体験がきっかけだと思うと嬉しい。しかし、正直言って娘がヨガを選ぶとは思わなかった。子供のときから学童のクラブでダンスや卓球をやり、スイミングやテニス教室にも少し通っていた。中学、高校ではダンス部に入り、全国大会にも出て頑張っていた。大学ではなんちゃって運動サークルで、これはほぼ飲み会メインなのだが、昼間は卓球、フリスビー、冬はスキーだの殆どお遊び状態。ダンスをきっばり辞めたのが母としては残念だった。中学、高校であんなに頑張っていたのに燃え尽きたか。社会人になって何も運動しなくなり、自分でもまずいと思っていたようだ。そこへきてヨガを体験し、これならそんなに頑張らなくても続けられると誤解したのか、近隣のホットヨガ教室に入会したわけだ。ホットヨガは、はっきり言ってきつい。体力のある人向けだ。私のようにジムでやるのとは違い、ヨガ教室だから本格的だろう。でもまだ20代で、体力の有り余っている時期だ。ホットヨガは体型維持、美容にもいい。ん?私の場合、体型も美容も効果は…いや、20代と比べる必要はない。ゆっくりジムでやれたらいい。風邪をひきにくくなったらそれだけで十分。でも楽しいのはダンス。娘がやめちゃったから私がやる?楽しむには健康と体力。腹八分目にして楽しく踊ろう。明日も仕事だからジムには行けないのが残念。土日はジムも早じまいなので、私の仕事が終わる頃にはすべてプログラム終了。明日は原稿書きにネカフェに行こうかな。今度のお題は「坂」なのでちょっと困っている。坂にあまり、思い出がないのだ。頑張ってネタ探ししましょう。
June 1, 2024
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誕生日を境に、急激に体力が落ちてしまった。もう、気合なんかじゃ乗りきれない。これは老衰か…と落ち込みながらも、短いレッスンにだけ参加しにジムへ行く。行かないと本当に腐ってしまいそうな恐怖に襲われるからだ。でも、年には勝てないよねと諦め気分でいたら今日も92才のマダムにお会いする。彼女は毎日来て、エアロバイクを漕ぎ、マシーンで腹筋、背筋を百回ずつやってからお風呂に入る。「若いときから筋トレをしてるから続けられるのよ」と笑顔。「あなたはまだ若いんだから今からやっていれば大丈夫」わ、若い?私が?「老化は足からよ。筋肉をつけないといけないの」あ、その言葉、88才の我が母からも聞いたような…気を取り直して、ヘアカラーサロンへ行く。予約時間までに余裕があったので、ちょっとお茶をしてフレンチトースト、久しぶり!ハチミツが美味しい…ところが、ヘアカラー中に息苦しくなりました。私、睡眠時無呼吸だけじゃなくて、起きていても無呼吸なんか?これも老化現象?少し時間を置いて、原因判明。私の胃腸はこんなアイスこってりのスイーツを受け付けるほどに快復していないのだった。胃が重苦しくなったので、呼吸が苦しいと思ったのだ。夕飯時間になって呼吸が楽になったのは多分、消化が追い付いたのでしょう。いや、今日も夕飯抜きですけどね。こんなこと言っているわりに体重は減りません。気だけ若いので、すぐに普通に食べようとしてしまうため、快復が遅れる。わかっちゃいるんだけど。明日から仕事なので早く治りたいっ!
May 31, 2024
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誕生日でした…が、仕事でした…そして、またやってしまった!お腹を壊してトイレから出られなくなるという…居てもご迷惑なので、早退させていただきました。忙しい日だったので本当に申し訳ない…そして情けないです。誕生日にお腹を壊してるのは初めてじゃありません。この時期はダメなんだなあ。薄着にするとお腹が冷えるので、基本、厚着な私ですが、蒸し暑いのに厚着なんかしてるとめまいがしてきます。冷房や扇風機の風に当たるのもダメなんです。ヒヤッとしてお腹にきます。季節のせいにしていますが、持参の弁当の量が多すぎる?自分の弁当なので毎日同じものを詰め込んでいますが…前はコンビニ弁当をよく利用したけど、あまりの値上がりに考え直した。だって小さいおにぎり二個にちょっとウィンナーと卵焼きついてるだけで520円。量も足りない。おにぎりとウィンナーと卵でいいなら、自分で作れるじゃん!野菜もちょっと入れられるし。デカ弁になっちゃいましたー。あ、私の弁当の話は不味そうなのでここまで。63才になっちゃいましたー。最近は免疫力が落ちている感じがするのでやはり年なんですねえ。60年前の3歳の誕生日を覚えているんです。昔のことはやたら覚えているのは年寄りの証拠?私は庭で人形を乗せたベビーカーを押していました。当時は乳母車、と言いました。近所のおもちゃ屋さんで買ってもらったんだと思います。母が繰り返し「これは3歳の誕生日プレゼントなんだからね」と言うので、違和感ありありでした。「3歳なんかじゃない!」なんて思っていたのは、イヤイヤ期だったのでしょうか?ピンクの乳母車でした。貰い物だったと思うのですが、大きな人形を持っていました。3歳の子が抱き抱えるのには大きすぎたので、乳母車に乗せられて嬉しかったのは覚えています。その人形は洋風な顔立ちをしていて、目がとても大きかったです。近所の自分より小さい子にその人形を見せると泣かれました。わ、私の人形ってそんなに怖いのか?ちょっとショックでした。それ以外の誕生日プレゼントは記憶にありません。小学生以降は、本だったと思います。私は本が好きで、お小遣いは本で使い果たしてしまい、一ヶ月に一冊では足りず、誕生日にも買ってもらっていたんじゃないかと思います。誕生日以外でも父や叔母は時々、本を買ってきてくれました。なので、どの本がプレゼントだったのか覚えていないのです。中学生になったら誕生日やクリスマスのプレゼントはもう止めようと父に言われて、ちょっとがっかりしました。「欲しいものがあったらいつでも言っていいから」父はそう言っていましたが、そんなことは忘れてしまったようだし、私はあまり何か欲しいとか言えない性格だったので、誕生日やクリスマスを逃すと、もう言えなくなりました。娘は大学に入ってからはアルバイトで稼いだお金で誕生日祝いをしてくれるようになりましたが…今は近くにいませんし、私は土日にも仕事が入りますからね。6月末の土曜日休みのとき、娘に会う予定なのでお祝いは一ヶ月遅れになるかな?「どこに行きたい?」と聞かれたので迷わず「動物園」と答えました。でも6月末だと暑いのかな!60年前のイヤイヤ期に戻れるとしたら「63才なんかじゃない!」と言いたいですね。いやいや、ここまでよく生きてきたな。
May 29, 2024
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倦怠感が続いて困っている。隔週でお腹壊すか風邪をひくかしているような気がする。今日はかかりつけ医院で「何もしたくないんです。やる気がしないんです。仕事のときは起きますが休日は起き上がれません」と訴えた。「ふーん、休日はリズムが狂うんだろうね」そ、それだけかなあ。動き出してしまえば動くのだが、その気になれないのだ。今日は久しぶりにプラセンタ注射をしてみた。ぐわわーん。ポパイのほうれん草みたい…古すぎ?私は元気を取り戻したのだった。やっぱり疲れていたんだ。帰宅後、見てみぬふりをしていた洗濯物をやっつけ、郵便物の整理も。やはり新しい仕事で脳疲労を起こしていたのか?ジムにも行けました!殆どお風呂目当て。脳疲労起こすとお風呂も面倒になるから怖いです。ジムは私のお風呂がわりとしてとても役に立ってくれています。プラセンタ注射はちとお高いんで、ビタミン注射を毎週取り入れてみようかな。更年期のころはそうしていました。まあ、あの頃はフルタイムで働いていたので、それくらいの出費はいいやと思っていましたが、今はフルタイムではないため、かなり厳しいんですけど…でも元気に過ごせなきゃ、ただ生きて呼吸してるだけの人になっちゃいますから。まあ、先週がハードだったのかも。仕事のあと、ジムへ行ったりエッセイサークルへ行ったり…エッセイサークルに作品を提出するためにかなり集中して書いてましたからね…前もってやっときゃ良かったのですが、ギリギリにならないと気合が入らないたちで。それで、金曜日は死んだように寝ていて、土曜日は出勤して、日曜日にはまた死んだように寝ていたのですが、寝ても寝ても疲れが取れない状態で今日を迎えました。お医者さんと話していて、睡眠時無呼吸状態で眠りが浅いといくら寝ても熟睡できず、疲れが取れないそうです。「僕もそうだからわかるよ。機械を装着して寝たら治ったよ。今度検査してみる?」け、検査…大嫌いな検査ですが、別に全身を調べるわけではないようなので、次回申し込んでみようと思います。私、絶対呼吸が止まっているような気がしますし。機械なんか装着したら物見知りなここちゃんが嫌がるかなあ。でも、ここちゃんのためにも元気で長生きしなくてはいけないから、ここはやってみますかね。私は音嫌いなここちゃんのために、スマホでテレビを見るときもイヤホン着用するほどなんです。ここちゃんは静かな環境が好きだし、こうして年寄りと静かに暮らしてるものですからね。何もしたくない割にはスマホでオンデマンド視聴したり、Kindleで読書したり、寝ながらやれることはやってるんですけどね。ジムは行ってしまえば楽しいです。でも行くまでが…カフェイン剤だの栄養ドリンクを飲んでやっと起き上がっていく状態で。でも、これも母譲りか?母は年寄りの割には朝が苦手なのですが、ワンコの散歩に行かなくてはなりません。だから行く前に栄養ドリンクを飲んでから出発。夕方もワンコの散歩の前に栄養ドリンクを飲むそうで…1日二本は多いような気がしますが。母のえらいところは日中寝て過ごすと夜眠れなくなるから、犬の散歩を済ませると必ず日中お出かけをするそうです。お寺だったり美術館だったりしますが、必ず電車にのって出かけるそうです。そこは見習わないといけないのですが、私は一人だとめんどくさくなって寝てしまいます。まあ、週の半分は働いてますけどね。もしかしたらビタミン注射でもう少し動けるようになるかもしれない、と今日のプラセンタ注射効果で期待しております。
May 27, 2024
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今は「60才のトリセツ」を再読中です。黒川伊保子さんの本は面白くて好きです。脳科学者なのですが、わかりやすく、具体的で前向き。「脳の本番は56才から始まる」を読んだときにも当時56才だった私は大いに励まされました。記憶力などのピークは28才で、徐々に下降線を下るけれど、出力のピークが56才だというのです。で、私の56才、なんか、パッとしなかったような気もしますが、私なりのピークだったのでしょう。60才のトリセツは確か、コロナ禍に読んだように思いますが、やはりどんどん低下する記憶力、内容をかなり忘れており、再読することにしました。60代は気付きの世代。世の荒波を乗り越えてきてしまったため、予測がつきやすいので、下手すると口うるさい人になってしまうそうです。確かに自分も含め、周囲はそうなりがちな気がします。成人した我が子に禁句なのは結婚と出産、孫育てへのよけいなアドバイス。どんなに未熟に見えても、心配でも、本人たちに任せなくてはいけないそうで。私は娘が夫婦喧嘩のことで愚痴ってきたとき(八つ当たりしてきたとき)相当心配しました。でも、どんな決断を下そうとも、失敗しようとも、口出しNGです。出産も本人にその気がないなら、決して薦めるまいと心を新たにしました。本音は…こどもは望まれて生まれてきて欲しいのです。孫の不幸など、見たくない。まだ読み途中ですが、14才というのは大人の脳に切り替わる直前、つまり、まだこどもなので、その時にやりたかったことを60代にはやりましょうと。はて。私の読書が中断しました。14才のときの私はどん底にいたからです。やりたいことなどなく、どうすれば現実から逃れられるのかと心の重い時代でした。親の不仲は私が生まれたときには既に始まっていましたが、私が14才の頃には兄の家庭内暴力も加わり、私は間に入ったり、夜中に逃げまどう母に付き添ったり、今でいうヤングケアラー状態でした。小学生のときは読書に逃げていましたが、14才の頃にはもう、読書をする余裕もなく。部活も止めさせられていたし、やりたいことなど当時なかった。友達と犬だけが救いでしたかね。だから私は動物が好きなのだと思います。なので、今やっていることは14才のときにやりたかったこととはちょっと違うかなあ。あの頃は何もしたくなくて、早く家を出たくて…でも今、猫を飼っていますので、これは希望が叶っているのでしょう。14才になる前に願っていた読んだり書いたりは続けていますし、今後も気合いを入れたいところです。今日は久しぶりに常温でのヨガに参加。気持ちいいですね。ホットヨガはやはり体力のある人向きです。でも、細々と続けますけどね。黒川伊保子さんは、運動の大切さにも触れていました。もともと大学生時代に競技ダンスをやっていて、ダンス留学をしようかと思ったほどだそうです。この著書を書いているときに63才とありました。毎日30分歩けと言われたら絶対嫌だけど、ダンスなら楽しくて、社交ダンスをメインにズンバでもなんでも踊るそうです。若い人より振り覚えが悪いのなんか気にする必要なし、とのこと。なんで若い人と比較するの?と。まあ、大学生時代からやっていたなら相当の腕前なので、同じ60代としても比較したら立つ瀬がありませんが、覚えが悪くても続けていれば亀の歩みでも少しずつは上達するのでしょう。楽しいと思うことは大事です。だから私はダンスの時間を楽しみにしています。しかし、社交ダンスは無理だー。従姉がやっていたので、知っていますが、とにかくお金がかかるんですよ。華やかな衣装は素敵ですけどね。それもかなりのお値段…黒川さんみたいに稼げない私には手の出せない世界ですが、私はズンバを楽しむことにします!あ、フラもね。これもお教室でやったらかなりの大金が飛ぶようですが、ジムで軽くやっている分には大丈夫。どれも14才のときの希望ではありませんが、今の私にはこれで十分幸せです。
May 25, 2024
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やっぱり風邪をひいていたみたいだ。倦怠感はそれ故か。熱はないが、胃腸の調子が今一つ。まあ、仕事を変わり、また一年生をしているから緊張もあったのだろうか。寝れば治った若い頃が懐かしい。ところで、昨夜「光る君へ」を観ようとしたら、土曜日だったのでやっていなかった。最近土日出勤が増え、その分平日休みが多くなっているため、曜日感覚が狂っている。つまり、昨日は日曜日だと思い込んだのだ。テレビで気が付くとは…ボケるにはまだ早い。さて、無事に本日、「光る君へ」を見終わった。大河ドラマを毎週観るなんて、人生初である。私は戦国武将ものが苦手なので避けていた。平安時代のことを昨日も書いた。貴族の暮らしは様々な日記で記録があるが、9割以上を占めていた庶民の暮らしがやはり気になる。たまたま今日は図鑑を見る機会が少しだけあった。平安時代、厳かな貴族の宮殿…庶民の家の図もあった。大変な落差だ。それは高床式の家、というより小屋なのだ。わらぶき屋根の小屋。南国ならばあれでも寒くはなかろう。しかし、日本は今よりも寒かっただろう。農民たちはただただ、働いて税として米を納め、粗末な寒い小屋に住んでいた。あれでは疫病が流行ったらひとたまりもなかっただろう。多産多子になるしかなかったわけだ。教育どころか、食うや食わずで働き通し、子供は労働力でしかなかっただろう。生き長らえたなら、親の老後を見るため、そのために存在した。貴族は家制度を守るため、多くの庶民は奴隷のようなものだったのだ。縄文時代はある程度平等だった。狩猟民族だったので、獲物は平等に分かち合わなければ、協力して狩りなどできない。農耕が始まり、米を備蓄できるようになるとだんだんに身分制度ができてくる。これは日本だけに限ったことではない。農耕社会が始まるとどこの国もそうなっていったのだ。ごくごく一部の貴族と殆どの農民。農民の中でも地主と小作では大違い。貴族は貴族で家制度を守るため、女は子供を生むための道具。庶民にとっては子供は労働力。文字としての記録はないとしても、遺跡が発掘されたり、壁面として残っていたりするので今はだいぶ解析が進んでいる。日本史はそれこそ、戦いの記録なので…世界史もそうだけど、私には刀を振り回す戦国時代はむごたらしくてあまり勉強したくない分野だった。人殺しをたくさんした武士が戦国武将として尊敬されているのも、残酷すぎてあまり見たくない一面だった。しかし、私たちは、歴史から学んでいかなくてはいけないのだろう。綺麗事ばかり言っても、今現在も世界は戦争が起きているのだから。さっき、長塚節の「土」を読み始めたが、これは難しい上にかなり暗い気持ちになる。明治時代の話なのだが、小作農民の悲哀が描かれていて、スラスラとは読めない。今度アマゾンプライムかYouTubeで映画の方を見てみるか。農民の苦しい生活を書いた小説というのは少ない。だいたい、小説家というのは裕福な家庭で教育をしっかり受けた人に多いということに今更ながらに気付く。夏目漱石だってもともとは武士の家系なのだ。私の好きな遠藤周作だってそうなのである。プロレタリア文学を書いた人はアカ狩りにあって処刑されている。格差があるとはいっても、昔よりは自由な発言ができる時代だ。先祖が農家だった私に文学を学ぶ資格なんてあるのだろうかという気さえする。でも時代は進化した。格差はあれど、一応義務教育は全員受けられる。こんな年になっても学びたいと思えば学べる。カルチャーセンターに行けなくても、私たちには本がある。図書館が、ある。私は恵まれない環境でこども時代を過ごしたが読書環境には大変恵まれていた。何しろ家中本だらけ。父は本を買ってくれたし、母は近所の年上の子達がもう読まなくなったという本をたくさんまらってきてくれた。もっとも母のねらいは私でなく、兄のためであった。そして、兄が読まないので、私が読んでいたわねだ。親や教師に恵まれなくても本は私の味方だった。これからもジャンルを問わず、たくさん読んでいきたい。本が私を呼んでいる。
May 20, 2024
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またまた、体調崩しました。倦怠感が抜けず、寝込んでいたらお腹を壊していました。原因不明。今週はちょっとハードだったのかも。母の日ディナーでちょっと疲れ、翌日は雨の中出かけていき、友達とランチ。…って、疲れる内容じゃないですね。火、水、木と3日続けての出勤。もう、なまっちゃってるせいか、3日続けての勤務って珍しいもんですから…そのくせ、夜はジムで二本ずつレッスンを受け、昨日の金曜日は起き上がれませんでした。仕事のときは起きるのにお休みだと起き上がれないのは怠け者故?昨日はジムをサボって寝ていたのに腹痛が…今日は一つだけプログラムに参加しましたが、ほとんど風呂目当てです💦明日は出勤しますので元気出さないと!エッセイ、書いておりませぬ。明日は必ず書きます!これから「光る君へ」を鑑賞予定。平安時代も面白いですね。貴族の血筋なんて全く流れていないので別世界なんですが、当時の9割を占める庶民は読み書きができません。だから、庶民の書き残したものがないのです。昔話で想像してみますが、昔話っていつ頃からあったのでしょうか。どの昔話もお米への憧れが強いです。正月くらいしか食べられなかったのでしょう。庶民はお米を作っても食べることはできなかったのです。そんなことを思いながら、米びつが空になったので、お米を買いに行きました。どんどん値上がりしますね。昨年1600円で買えた五キロのお米が2200円以上します。安いスーパーまで行けばいいのでしょえが、遠出する元気なし。私は三食ご飯が基本ですので、お米が高いと辛い。そんなにご飯が好きなのかと言われそうですが、パンに比べると安いからなのです。でも今日はうどんでしたよ。お腹を壊してますからね。下らない内容でした。
May 18, 2024
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昨日は母の日でした。遠いところは負担になるというので、近隣のレストランを予約し、一応そんなにお高くはないけれどコース料理を頼みました。しかし、母は喜ばなかった…「私はスーパーでいくらでも好きな食べ物買えるんだから、年寄りをこんな夜に呼ばないで欲しい」あ、またか。母の日は昔からこうだった。小学生のとき、父と一緒に母の日のプレゼントを買いに行った。レースのエプロンが華やかで素敵だったので、どんなに喜ぶだろうと期待しながら買って帰ってきた。「なに、この下品なエプロン!」母は怒ってお店に行き、地味なエプロンと取り替えてきた。唖然とした。それからも「この時期のカーネーションは見るだけで腹が立つ。いつもよりずっと高い値段つけて。絶対買うな!」果物にしていた時期もあったが、「ケチってこんなに少ないさくらんぼなんか!」と怒りまくることも。「何をしても喜ばない」と、父に愚痴ったら「それでも、何もないともっと怒るから仕方ないよ」笑われた。お金を払って怒られてもなあ。昨夜も延々と父の悪口を言い続けるので私はシラケて聞いていた。「あんた、私を可哀想だと思わないの?」の質問に「思わない」正直に答えてしまった。あ、だから相性の悪い親子だと叔母に嘆かれるのね。でも、私の半分は父のDNAで出来ておりますので、父の悪口=私の悪口なんだよ…と何度説明しても、母には届かない。母は一緒になって父の悪口を言う娘が欲しいのである。じゃ、何もしなきゃいいとは思うのだが、相手は高齢者。食事に誘うのは見守りも兼ねているのだ。みんな死んでしまったから、私しかいないので、義務感でやっている。いや、本当は一度くらい喜んでもらいたい、認めてもらいたいと深層心理では思っているのかも。全ての母親がこどもを愛するなんて、絶対あり得ないと理屈ではわかっているのだけれど。こんなこと、娘にも言えやしない。ただ、遠回しに言ったことはある。「いい人が長生きするとは限らないし、嫌な人だってバチも当たらず、長生きしてることもあるよね」クールな娘は言い放つ。「そんなの、当たり前。いい人でも長生きしてたり早死にしたり、悪い人でも長生きしたり早死にしたり、全部四分の一の確率なの!」四分の一なのかなあ。とすると、私はどうなるのかな。 母に「お母さんは私より長生きするかもね」と昨夜言ったらあっさり「そうかもしれん」だと。この人、100才まで生きそうだもの。母にとってはボケるかどうかの方が大事らしい。「賢い人ほど、ボケるで、私はアホやからボケへんのや」そうですかいな。賢いとご自慢の妹(私の叔母)は83才ですが、ボケてませんな?と矛盾をついても意にも介さない。「それなら私はボケるかな」と言ってみたら「あんたは賢くないで、ボケへんやろ」賢くなくてすんませんな。ま、昔から取り柄なしと馬鹿にされているので構いませんが。何だかどっと疲れていっきに年を取った気がする。母の日に無理やり感謝することはない、と若い人達に言いたい。感謝できなくてもいいのだ。罪悪感を持たないで。ただ、親があまりに高齢になってしまったら仕方がない。恨んでも相手は年寄りだし、何も治らないのだ。犬や猫だって年を取ったら、今まで以上に労りたくなるでしょう。よく頑張って生きてきてくれたねと自然に思えるでしょう。人間にそれができないのは不自然なのだと思う。言葉があるから、傷つけ合うのだろうけど、そうでなければ同じ動物ではないか。親孝行なんて思わなくていい。動物として、弱いものは労ろう。ここちゃんが私に寄り添ってゴロゴロ言っている。この子は私を母親だと信じているのだ。私が不器用で賢くなくても愛して信じてくれている。裏切るまい。明日からも頑張って働く。還暦過ぎて、二度めの新人生活は辛いと思うこともあるけれど、守るべきものがあるから、頑張れる。働ける。ここちゃんといるとオキシトシンというホルモンが沸々と湧いてくる。ここちゃんのお母さんで良かった。あ、娘は今年もプリンの箱詰めを送ってくれました。私はそんなにいいお母さんじゃなかったし、娘も私が不器用で要領が悪いのは百も承知。哀れに思っているかも知れぬ、この頼りない母を。だけど、気持ちは十分に受け止めたい。こどもにしてもらったら大げさなほど喜んでみせる。こどもは喜ばせたくてやっているのだから決して裏切ってはいけない。相手が喜んだら贈った方は嬉しいのである。親を反面教師にして学んだことだ。ここちゃんがいてくれてブルーな気持ちも和らいだ。ちょっとダルいのはまた風邪をひいちゃったのかなあ
May 13, 2024
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4月に職場を替わってから、勤務ローテーションが激変した。そのせいか、友達と会うこともなく、お休みの日はジムに通うだけ…あるいはお昼寝?エッセイサークルの人たちとはかろうじて、サークル後に食事会をすることもあったけれど、短時間なので深く話すこともなく。私って友達いないんだなあ、猫だけが友達…なんて諦めていたら、今日、やっと友達とランチする機会があった。やはりお喋りは大事。ネットを見ていたら親しい人は5人いればいいとのこと。これは家族を含めた人数。優先順位は家族、友達なのだそう。一人暮らしの私にはちょっと辛いお言葉。娘とはたまに会うけれど、あんまり実家の母親とべったりなのは、昭和生まれの私としてはいけないことのように思える。子離れしてあげることも親の大事な役割だ。親はこどもが困っているときだけいてあげればいい…なんて綺麗事を言ってみるが、実際は娘が何かトラブルやら病気をするたびに私はテンパってしまう。そして、88才の母親。足腰は達者だが、物忘れはやはり年なので少しずつ多くなっていく。明日は母の日なので、母と外食する予定になっている。小さいときから、怖くて支配的な母親にはさんざん悩まされたが、恨んでばかりいても相手は年寄りなのだからもう仕方がない。母も次々に友達が亡くなり、電話する相手がなくなったからスマホを変えたいという。しかし、機種変しても友達が生き返るわけではないのだから、と説得した。母の妹、私にとっては叔母だが毎日、母の安否確認で電話をしてくれていたのだ。しかし、ガン治療のため、たびたび入院するようになっている。母はその辺がよくわからないのか、叔母は自分より五歳も若いのだから、自分より長生きすると思い込んでいる。順番通りにはいかないんだよな。私も叔母が元気な方が助かるのだけれど。父も兄も亡くなり、母と私だけ生き残っている。父や兄にいて欲しかったなあ。難しい母なので、対応が大変なのだ。でも私は現状として生き残っているわけだから親孝行の真似事くらいはしないといけない。と言うわけで明日は母親と外食。明後日は高校の友達とランチすることになって楽しみ。彼女は旦那さんや娘さんと暮らしているけれど、嘱託で働いて、ボチボチ平日休みがあり、孫がいないという点で共通点がある。孫育てに追われている友達とはなかなか会えないので。多分会ったら喋り倒すだろう。楽しみだ。ジムはお休みすることになるけれどたまにはいいか。今日はランチのあと、ジムで一つだけプログラム消化しました。本当は二つのつもりでしたがランチのためキャンセル。明日も母と会うからプログラムは一つかな。一つでもいいから、軽い運動でいいから、続けることが大事…でも運動量足りないようで体重がまた臨月超えておりまする。木曜日は先週、仕事のあと3つプログラム消化したら一時的に体重は落ちたものの翌日死んでいました。なので今週は2つにとどめました。どうもホットヨガがかなり体力を消耗するようで。昨日はホットヨガに参加する元気が残っていたので、仕事後の3つ参加はやはり無理なのですね。こうして老化が進んでいきます。でもランチする友達がいるんだし、まあ、幸せでしょう。
May 11, 2024
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夕方からどしゃ降りの雨。おかしいなあ、まだ梅雨じゃないはずなのに。今日も仕事のあと、元気にジム…の予定でしたが、濡れたのでサボりました。いや、本当は昨日のプールでやっぱり疲れていたのかも。寝るのも遅くなってしまったので、本日午後の会議は睡魔との戦いになりました。今日は早く寝なくちゃ。「言葉屋」という児童書が気になっています。こども新聞に連載されていたそうで、今やベストセラー。借りてもいいのだが、ジムの待ち時間用にKindleにある程度本を入れておきたい。節約しなきゃと思いながら、結局買うことも多いので意志の弱さに呆れる。どんな本かな。タイトルからして素敵だ。私も言葉屋さんから言葉を買いたい。もっと語彙を増やして、ありきたりでなく、豊富な言葉を使って表現したい。そんなお店があったらいいなあ。悲しい気持ちを「悲しい」ではない言い方をしたい。相手の言葉に傷付いたとき、本当はどういう気持ちで言ったのか、思いやれるようになりたい。そして傷付かない自分になりたい。お気に入りだった「ヒューマニエンス」という番組が終了してしまったので、今は寝る前は「病の起源」を観ています。タイトルは怖そうですが、ヒトの進化を絡めて説明してくれるので面白い。脳科学の説明も…だいたいそこら辺で眠ってしまうのだが、懲りずに翌日、寝落ちした部分から見直している。最初に観たのは「読字障害」だったのだけれど、学びが多かった。想像以上にこの障害を抱えている人が多いそうだ。左脳の一部がうまく機能しないために読むのが難しくなるのだが、有名なところではトムクルーズがこの障害を抱えている。こうした人たちは右脳は活発に活動しているので、空間認識能力に優れていて、芸術面で活躍したり、設計図を書いたりするのも得意らしい。別に言語に障害があるわけでもなく、理解力は高い。ただ、文字を読むのがとても苦手で、文字が絵に見えるそうだ。トムクルーズは人に読んでもらってセリフを覚えるそうだ。読字障害があるのに読書を楽しめというのは酷な話だ。でもお話を楽しめないわけではないのである。読んでもらえば楽しめるし、理解もできる。と言うわけで、私はますます読み聞かせや朗読に関心を持つようになっている。誰もが物語を楽しめるように。65才になって本当に仕事を引退したら私も読み聞かせボランティアグループに参加しようかと思っている。現在は仕事でやらせていただいているが、ボランティアさんたちとの接触が多く、お誘いもいただいているので、これもライフワークに取り入れたいなあ。読字障害が認識されているのなら、ぜひ私のような空間認識能力障害も認識されるといいなあ。右脳の一部が機能していないのだと思う。例えば地図を読めないのだが、言葉で説明してもらったり文字に置き換えてもらえれば私には大変わかりやすいのである。まあ、人間は多かれ少なかれ凹凸があるものなのだろう。得意分野を生かせればいいのだ。右脳も左脳もバッチリな人を見ると羨ましい限りだが、そういう、人とて悩みはあるものなのである。私がダンスの振り付けをなかなか覚えられないのは、右脳の問題もあるのかもしれない。これは言葉に置き換えるのは限界があるので、人より多く繰り返して筋肉や感覚に記憶させるしかない、というのが結論。それなのにサボっちゃった。明日はジムに行こう。
May 8, 2024
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タイトルは諸富祥彦先生の著書名です。「50代からは3年単位で生きなさい」というタイトルを見たとき、もう50代、とっくに終わってるよなあ…と思ったものの、諸富先生は好きなので読むことに。だいたい、この先生、私より年下なので、想定読者層が自分より若くなるのは仕方ないんですよね。3年単位で…という言葉に惹かれたのです。他の著書でも仰っておられたように記憶しておりますので、その言葉に当時、励まされました。仕事が辛くて辛くて、定年退職までの時間が永遠のように思えていたあの頃。3年どころか、「今年だけ頑張ってみよう」「あと半年だけ」と自分を騙しだまし。それで無事に定年退職迎えたんですよね。しかし、年金受給までに5年もあるわけだから「あと少しだけ働くか」とまた、自分で自分をなだめて、未だに働いておりまする。で、今回読んだのは仕事というより、人生の終盤にきて、私は何をどうすればいいんだろうと思ったわけです…働くのは前提ですけど。それで、「いつかやろう」では後悔すると読んでみて理解しました。いつか、なんていつ来るかわからない。未来がどこまで続くか、自分の寿命もわからない。でも、まあ、3年は生きていると仮定して、3年の間になるだけ、やりたいことはやってしまおうと。そして「すぐに始めましょう。2週間以内に」と書かれていて、実はリストアップできておりませんが、例えば「エッセイを毎日書く」などという例が載っていました。エッセイを毎日は無理だなあ、日記になるだけだなと思いましたが、いや、待てよ。完成形でなくてもいいではないか。毎日ネタを探して書き続けてみよう…と思ったので、最近は連日アップしております。エッセイになっておりませんが、お許しを。私にとってのGWは本日、終了。今日もジムだけ。そして懲りもせず、またプールに入ってしまった。前回、体調を崩したので、「水中ウォーキングだけなら」と自分に言い訳。実はまた膝が痛くなってきたので、早めのリハビリをしたいというのもありました。プールに入ると、ツンと鼻をつく塩素の匂い。これこれ、これがプールの匂い。ふっとこども時代の市営温水プールの場面が匂いと共に甦りました。めったに行けなかったけれど、私は温水プールが大好きでした。水に浸かっているとこども時代同様の幸福感にあふれてきます。温泉ともまた違う、塩素プンプンだけど、水の中で、私は身軽に浮き上がるのです。嫌なことも忘れて浮き上がる、解放感。最初は水中ウォーキングを真面目にやっていましたが、やっぱり潜りたくなるんだな。前回調子に乗って100メートル溺れ泳ぎをして疲れはてたので、今回は50メートルなら大丈夫かなあ、と今日も溺れてる人みたいなクロールを50メートル。目的が膝のリハビリなので、ビート板でキックも。え?それってリハビリと違うのかな?行きはよいよい、帰りは怖い。やっぱり疲れました。でも膝の痛みが引きました。しかし、足は重だるくなりました…でもわかったのは、水の中にいる私は幸せだってこと。子宮内にいる胎児のような気分なのかもしれませんね。もう5月で暖かいからさすがに冷えて風邪ってことはないでしょう。さーて、明日から出勤しますぞ!
May 7, 2024
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今月のエッセイのお題が「飲む」になっている。飲むでもいいし、息をのむでもいいし、飲まないでもいいのだが。飲む、というとパッと浮かぶのはお酒。先日、新人歓迎会があった。お酒の苦手な私はひたすらウーロン茶を飲む。ところが、今回の異動先には昔の私を知っている人がいた。「あなた、昔はお酒飲んでいたじゃない?どうしたの?」そ、それは30年くらい前の話だ。飲んでいたというより飲まされていたというか、飲まない選択肢がなかった。20代のころは飲み会が頻繁だったのでいつも酔っ払うほど飲んでいた。もともと強くはないので、瓶ビールなら大瓶二本飲んでしまうともういけない。その場で二日酔い状態、頭はガンガンしてくるし、気持ち悪くなってトイレに行っては吐いていた。日本酒なんか飲んだ日にはもうぐでんぐでん。まっすぐ歩くこともできなくなる。30才を過ぎて決めた。どうしてもお酒を美味しいと思えない。断れないから飲んでいるが気持ち悪くなるだけなのだ。お酒のつまみは好きだが、もう、飲むのはやめようと。嫌いなものを飲む必要がない。と言いつつ、40代くらいまでは多少は飲んでいたかな。50代になり、体力が落ちると少しでも飲むのが嫌になってしまった。食べ物に好き嫌いがあるように、飲み物にも好き嫌いがあってもいいだろう。私はソーダ水やウーロン茶が好きなのだ。好きなものを飲んでいればいいではないか。お酒やワイン好きな人の話を聞くと羨ましくなることもある。味がわからないなんてつまらない人生だ。私の好きなソーダ水なんて、砂糖水ではないか。でも、還暦も過ぎてしまい、飲まない生活が続いたので私は本当に飲めなくなった。乾杯の一杯くらい、お付き合いで飲まなきゃと昭和生まれだから思うけれど、その一杯が飲みきれない。周りはどんどんおかわりをしているのに私のコップはなかなか空にならない。もともと水分はよく摂る方なので、これがビールでなければ、もっと飲んでいるのに、時間がもったいない。飲まないせいか、年齢がいったせいか、飲み会の回数は激減。特にコロナ禍で飲み会は制限されたから、機会は減ったまま。なんていうのが私の酒歴史。胃も肝臓も弱い私にお酒は刺激が強すぎる。でもこんなエッセイ、つまらないな。もっと面白いエピソードはなかったかしら。例えば幼いころ、母がミキサーを初めて買ってきてトマトをぶちこんではトマトジュースを作って面白がっていた頃。作るのは面白かったが、酸味の苦手だった私にトマトジュースはドロッとしていて気持ちが悪かった。自分で作っておきながら飲むのに四苦八苦、挙げ句の果てにトマトは大の苦手になってしまった。あ、人前では食べますよ。好き嫌いがあるなんて人に知られたくないですからね。あの頃、オレンジジュースと言えば粉を水で溶かしたもので、殆ど果汁は入っていなかったけれど、子どもはそういう栄養のないものが好きなのだ。カルピスも好きだったなあ。今じゃ、あまり、家庭でカルピスを水で薄めて飲むなんてやらないだろうなあ。学校の牛乳は嫌いだったが、他に飲むものがないので仕方なく飲んでいた。どんなメニューでも牛乳はついてくるのだった。小学校を卒業して、給食はなくなったから、それきりめったに牛乳は飲まない。こどものとき、好きだったのは、炭酸飲料のサイダーだったっけ。これは兄の影響だった。特別の日にしか飲めない貴重な飲み物で、炭酸にむせ返りながらも、兄があんなに喜ぶのだから美味しいに違いないと信じて真似をして喜んでいた。たまに銭湯に行くと飲ませてもらえたフルーツ牛乳も美味しいと感じていた。大人になって、懐かしいから、銭湯でフルーツ牛乳を買って飲んでみた。あれ?こどものときほど感動しないのはなぜだろう?普通の飲み物に思えた。先日、爽健美茶のペットボトルを買って飲んだら美味しかった。なんで?と思ったが、多分、私が玄米茶が好きなので、含まれているせいかと思う。緑茶も紅茶も、嫌いじゃないけど良さがよくわからない。珈琲はサイフォンで煎れたものは美味しい。でも豆の種類まではわからないので、あれは香りを楽しんでいるのだと思う。書いていてなんの飲み物が好きなのかわからなくなってきた。格別に思い入れがあるほど好きな飲み物がないのである。年代別に、想い出とエピソードと共に書いてみたら面白くなるかなあ。あ、GW、終わりましたね。私はみどりの日に出勤したから明日は代わりに休みます。今日もそうでしたが、明日もジムに行くでしょう。なんで行くのかと聞かれたらわからなくなっています。一応健康のためってことにしていますが、私はやはり、下手の横好きでダンスが好きなのだと思います。大きいお風呂もね。
May 6, 2024
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今日はみどりの日だった…と一日の終わりになって思い出した。土日祝日も仕事が入るようになり、GWと言われてもピンと来ない。若い頃は無理やりにでもお泊まり、お出かけ三昧だったなあ→遠い目GWは高いのだが、カレンダー通りにしか休めないから、出かけなきゃ損という感じだった。独身の頃はテニスが多かったな。テニスは苦手だったのだが、友達と遊びたきゃやるしかなくて。テニスは今一というか、全然ダメだったけど、友達と遊ぶのが楽しくてはしゃいでいた。子どもが生まれてからは、保養所ばっかり?安くあげようという魂胆で、疲れているし、たとえ温泉でも出かければ子どもは喜ぶし、子育て中は殆ど温泉のある保養所へ行っていた。子どもが中学生になってからは、あまり親と遊んでくれなくなった。部活もあったし、仕方ない。映画を見たり、ジムのプールで泳いだりとまだまだ元気だった。コロナ禍は最悪だったな。都知事が家の大掃除をしましょうなんて言うからドッチラケ。ステイホーム、ステイホームでうんざり。プランターの花の入れ替えなんかをやって過ごしたっけ。コロナ五類になり、出かけられる雰囲気になってきた昨年。ジムと映画、プランターの整理で終わった。そして今年。GWっていつのこと?状態。観たい映画がやっていない。オッペンハイマーはどうしようかと思うけど、今はあんまり暗くなりたくない。ゴジラはちょっと…私の好きなピクサー映画や新海誠さんの映画は夏になりそう。友達と休みも合わないし、やはりジムくらいしか…暑くなってきたけど、プールは真夏まで待とう。前回体調を崩したから。木曜日は仕事の後だったのに、三本レッスンに出たら想像以上に疲れた。三本やっていいのは休日だけだと身に凍みた。ラストのレッスンが終わったのは10痔を過ぎていて、あわてておふろ、ドライヤーとやって、閉館時間ギリギリにジムを出た。疲れ方、半端なく、翌日は動けなくなってジムや映画どころでなく、寝たきり。お休みだったのにもったいない。今日は何とか持ち直したけど、仕事、忙しかった。今夜は早く寝て明日こそ!観たい映画がないのでやっぱりジムか。本当は昼寝して夕方のレッスンにしたいが、やれそうなものは昼間しかない。昼寝は我慢して明日こそ運動しよう。観たい映画はないが、オンデマンドのテレビ視聴は結構楽しい。朝ドラを夜に観ているが、今回の「虎に翼」想像以上に面白いドラマだ。そうだ、女はずっと虐げられていたんだ!弁護士になる頭脳なんか持ち合わせていないのが大変残念だけど。大河ドラマも「光る君へ」面白いではないか。源氏物語に関心を持てるようになってきた。そこで、過去のドラマだけど「いいね!光源氏くん」もパロディで楽しい。突然、和歌を詠みだすのが面白いのだ。パロディなんだが、和歌に少し親しみを感じられるようになってきた。読書も進めているし…ところで、ジムで文庫本を広げるのはやはり場違い過ぎる気がしてきた。本の世界に入り込んでしまうと誰も話しかけてこなくなる。話しかけにくいようだ。やはり郷に入りては郷に従え、あそこに文庫本は違和感ありすぎ。本を読みたければ、Kindleにしておこう。本を読んでいるようには見えませんからね。本は電車の中だけでいいか。せっかく図書館でいろいろ借りてきているので待ち時間、読みたいんだけど、あんまり浮くのもね。そんなこんな、平日と何ら変わりのないGWです。あ、でも、ジムは祝日特別プログラムを組んでくれて、楽しめるようにしてくれているからありがたいです!
May 4, 2024
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図書館で「家と庭と犬とねこ」という石井桃子さんのエッセイを借り、読み途中です。石井桃子さんの翻訳本、児童書には子供時代、大変お世話になりました。有名どころでは「くまのプーさん」でしょうか。彼女が若かりしころのことを振り返りながら40代のころに書いたエッセイ。エッセイ勉強中の私にはとてもいい勉強になります。まず、言葉遣いの美しさ、柔らかさ。本当は読み終えてから感想を書きたかったのですが、心に止まった言葉を書き記しておきたくて。猫の話から野口英世の伝記の話に展開していきます。博士は外国で鳩を飼っていて、そのまま日本語の「ハト」という名前を付けて可愛がっていたそうです。そして、そのハトが愛情に目覚めたとたん、人間になった、と書かれていました。この言葉、よーくわかるのです。人間になったというより、種族を越えた、人間同士と感じるのと同じ愛情が芽生える。これは飼った人にしかわからない感覚ですよね。私は犬派、猫派という分け方がよくわかりません。それは私がどっちも飼ったことがあるせいだと思います。愛情が芽生えたら、人間と変わらない愛情なのです。表現の仕方が犬と猫では確かに違いますけれど、犬は犬なりに、猫は猫なりに、精一杯人間を仲間とみなして愛してくれます。その瞬間から種族の違いを越えるのです。そういう私は昨日、仕事帰りにジムに寄り、帰りが11時を過ぎてしまいました。あまり鳴かないここちゃんが「にゃーにゃー」と鳴く様子は「遅いじゃないの~!」とも聞こえるし「早くチュールちょうだい」にも聞こえて着替えなければならない私としては申し訳なく思いながら慌ててチュールを出し、落ち着かせました。寝るとき、ゴロゴロいいながら私の腕枕で甘えているここちゃん、寂しかったんだろうな、ごめんねと思いました。ここちゃんは私を母猫と思っているし、他に仲間がいませんからね。犬派、猫派がわからないと書きましたが生育環境にもよると思います。娘は生まれたときから猫がいたものですから完全な猫派。犬も飼えれば良かったけど、共働き家庭に、留守番時間の長い生活は犬には酷だと思ったのです。私は子供時代犬を飼っていますから、犬がどんなに可愛いかよく知っていますが、娘にはわからないようです。それでも猫と共に娘を育てたことは良かったと思っています。猫はいつも娘の味方で寄り添っていました。私に娘が怒られているとパッと娘の側に寄り添い、慰めていましたからね。子供って無機質好きと動物好きに、なんとなく分かれるような気がします。男の子は電車や機械に夢中になることが多い。娘は乗り物には関心を示しませんでしたが、何故か国旗に関心を示し、私の知らないような国の国旗も幼児期に暗記していました。これも無機質?どちらにせよ、乗り物でも恐竜でも国旗でも関心を持って暗記するのはいいことです。大人になったら忘れるのかもしれませんが、記憶の回路を作っているわけですから。思春期になった娘はネオンギラギラの都心にばかり出かけていき、海や山に関心を示しませんでした。娘の脳は無機質好きにできているなと思いました。でも人は環境の影響も大きいのです。無機質好きの娘が、猫だけは好きで、今でも飼っているところを見ると、猫にだけは愛情を、注がれたことを記憶しているのでしょう。石井桃子さんは自然の好きな方ですが、最初の下りでノックダウンされました。楽しみに読み通そうと思います。
May 3, 2024
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気だるい日々が続き、更年期障害に再び襲われているのかと勘違いしそうになった。そんなことはあり得ないので、こうやっていきなり老いるのかと悲観的に…ん?喉が痛い?あ、風邪をひいていたのか。老化じゃなくて良かった。しかし、なぜ風邪…やっぱり先日のプールが引き金かなあ。なんでこんなに弱っちいのだ!母は79才まで泳いでいたのに。というわけで、読書の春?今日は重松清さんの「あの歌がきこえる」でございます。以下、感想文。少しずつ読むつもりが、一気読みしてしまった。作者とは同世代なので、当時流行っていた歌のこともわかるし、ギターが流行ったことも…でも私は女なので、男の友情について書かれると新鮮な思いがします。でも女にも友情、あるんですよ。ちょっと表現が違うだけ。大変読みやすい青春小説だし、オトナへの階段を上がっていく心理も、自分もそうだし、友達を見ていてもわかる。子ども時代の友達、学生時代の友達、社会人になってからの友達…だんだん本音を言わなくなるのはオトナになってしまったんだろうな。でも若いときの友達に会うと気分が若いときに戻れるんですよね。どの世代の友達も大切にしていきたい。強いて言えばオトナになってからの友達には遠慮がありますから、子ども時代や若いときの友達とも、頻繁に会えなくても心が通じる。主人公のお父さん、カッコいいな。昔の友達を裏切らない、その精神がカッコいいのです。対象年齢は思春期の若者だろうけど、還暦過ぎて読むのも懐かしい気持ちになれるからオススメ。以上。私は小学校でやっている10分間読書の真似事をして、隙間時間に読書をしている。電車の中とか、ジムのレッスン待ち時間とかね。ジムは運動をしに行くところなので文庫本を広げているオバチャンはさぞ異様に見えるだろう。しかし、本はどこでもドアーなのだ。本を読むというより、本の中に入ってしまうという感じ。もっとも重松清さんのは読みやすいので、隙間時間では飽きたらず、家で一気読みでしたけど。今は源氏物語の現代語訳に挑戦中。なんでかというと大河ドラマの「光る君へ」が意外に面白いため、避けていた現代語訳に挑戦。色々な人が書いているけど、中学生でも読めるというキャッチフレーズに惹かれて、瀬戸内寂聴さんのを読んでいます。これこそ隙間時間読書になりそうなので読むスピードは、遅いです。その他、乱読中なので、エッセイも平行読み中でーす。
April 27, 2024
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土日勤務が増えた分、平日休みが多くなっています。休み、何かやらなくちゃ!本当は映画券もあるし、動物園や植物園にも行きたい。でも何故か足はジムに向かいます。主体性のない私はトレーナーに指示されて動く方が気楽なのです。つまり、一人じゃ何もできないということか。3月に膝を痛めているので、プログラムには気を付けています。筋トレチックなハードヨガは止めたし、ジャンプの多いダンスも諦めました。それで、膝に負荷のかからない運動と言えばやはりプールでしょう。というわけで4月からプールを再開したのですが…水中ウォーキングはすぐに飽きてしまう。ビート板でバタ足もやってみた。もちろん、ゆっくり泳いでいいコースでやるのですが、後ろからクロールや平泳ぎしてくる人にはやはり邪魔な存在のようで、ぶつかられると気の小さい私は続けられません。平泳ぎは膝や腰に悪いと聞いているので、これはクロールをやるしかないでしょう。元々、泳ぎは苦手なので25メートルがやっと。26メートルあったら溺れると信じていたくらい。でもまあ、それなら25メートル泳ぐたびに休んでりゃいいかと…でも、これも後から来た人に悪いかなあと気が引けて、結局、100メートル無理やり泳ぐ。スタッフが「あの人、溺れてる!」と駆けつけてきたら嫌だなと思いつつ。ほんと、人目を気にしてますわな、私は。プールのあとはお風呂もサウナも入って冷えないように気を付けるんですがやっぱり冷えるのです。帰宅したらゾクゾクしてきて、発熱するんじゃないかと思った。ただ、体温が下がってるだけなんですけど。しかも下手なクロールでクタクタになっており、帰宅後、何時間も動けない…免疫力低下してます。こんなとき、何かのウィルスに接触したら絶対発病してしまうでしょう。元々、冷え性の私に、プールはダメなのかな。夏まで待ちますか。ホットヨガの方がやはり合っているみたい。あれは体温が上がりますからね。クロールの楽な泳ぎ方をマスターしたかったんだけどな。母も兄もスイミングをやっていた人たちなので私も!と思いましたが、冷えてしまうものはどうにもなりません。いや、クロールが下手すぎるので無駄に疲れるのも原因です。色々挑戦してはすぐに挫折している休日です。
April 23, 2024
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日々、あれこれ起きているが…隙間時間になるべく読書を心がけている。休憩時間や、電車の中、ジムのレッスン待ちにも…今日は35年ぶりに再読した有吉佐和子さんの「複合汚染」実はこの本、35年くらい前に読んだのですが、内容を忘れてしまったので再読しました。20代だった自分か当時、持った感想は選挙の話だと思ったら公害の話になっていて不思議な小説だというものでした。ただ、公害について関心は持ったのでしょう。その後の中国でのレポートなども立て続けに読んだため、内容がごちゃまぜになって記憶されていました。これが朝日新聞に掲載されていた頃は昭和49年とありますので、私が13才の頃です。私は猛毒の農薬だらけのもの、汚染された魚、肉を食べて育ったわけです。小学生時代は光化学スモッグでしょっちゅう体育の授業が中止になっていたのを覚えています。 この小説がベストセラーになって、日本でも有機農法が増えていったそうです。子供時代、拒食症かと思うほど少食だったのはラッキーだったのかと思えてしまいます。 これは過去の話ではありません。現在進行形です。次世代に伝えていかなければならない小説だと思います。そして、政府の発表を鵜呑みにしてはならない、それには知識やたくさんの情報を持ち、アンテナを張っていかなくてはいけません。有吉佐和子さんはもう、いません。昨今のコロナワクチンのことを知ったら度肝を抜かれたのではありますまいか。今は新聞小説でそういう知識はなかなか得られませんね。そういう私も6回もワクチンを打ち、副反応に苦しみました。政府を信じたのです。 最初の選挙の話は光化学スモッグ、自動車の排気ガスについての導入だったのだと思いますが、内容は興味深かったです。市川房枝さんの応援演説をする有吉さんは、市川さんを応援する青年グループのハンサムなリーダーに立候補させられそうになり、警戒心を持ちます。そのハンサムな若者、青年が若かりし日の菅直人さんだということに、この作品が50年前のことを書かれているという、時の流れを強く感じました。私の知っている菅直人さんは中年以降のおじさまでしたからね。 環境問題に関心を持たざるを得ない心境にさせられます。幅広い世代の方々に読み継がれていってほしいです。
April 22, 2024
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土日出勤のお陰?で月、火と連休でした。今日は遠征先でエアロとフラの予約をしていましたが…昼寝がズレこんで間に合いそうにないのでキャンセルする羽目になりました。本当にグータラで困ります。慌てて何か参加できるもの、間に合う遠征先はないかと検索し、ラテンダンスにギリギリ間に合いました。せっかく遠征したのでプログラム一つではもったいない…でもやれそうなものがない…というわけで、プールに。何もプログラムは実施していない時間でフリーです。水中ウォーキングを4往復、ビート板でバタ足2往復、下手くそなクロールを100メートル…溺れているように見えたのではないかと危惧しておりますが…レッスンがあれば背泳ぎもやりたいのですが、一人でやると曲がりくねってしまいますので諦めました。水泳、苦手なんですよ。仕上げに水中ウォーキングをさらに2往復してから、ジャグジーの水圧でフットマッサージ。これが、効いて昨日の筋肉痛が、消えました。風邪をひいたらたまらんので、その後はお風呂にも、サウナにも入って温活。ラテンダンスは、久しぶりだったのでイントラさんが、気を遣って「来てくださって嬉しいです。また、きてください」と優しいおことばがけをいただき、嬉しかったです。行きますとも。でも火曜日休みは隔週なんですけどね。土日に通えなくなったフラですが、月曜日にやっているところを、発見。昨日太極拳を、続けると、誓いを立てた舌の根も、乾かぬうちに、月曜日はそこに通うことにしようとかんがえなおしました。やはり私はフラが一番好きなんです。私のホーム店には、プールがないため、遠征先で、クロールを頑張ります。習うより、慣れろの言葉を信じて。さて、あしたから派、仕事。かんばります。
April 9, 2024
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桜満開。葉桜も増えてきました。でもお花見に行く余裕なし、通りすがりに見ている感じです。 3月は色々ありすぎて、メンタル崩壊しかかったときもありましたが、何とか持ちこたえた。我ながら、頑張りました!めでたく異動もできたのでパワハラとはサヨナラできそうです。3月の嬉しかったことは、娘の誕生日に天然温泉ラクーアに出かけ、久しぶりに二人きりの時間を持てたことです。この日、ラクーアはイベントでヨガレッスンを開催していたので、娘と並んで参加しました。ラクーアの利用者は若いのでこのレッスンも若者だらけ、オバサンは私だけでした。娘を含め、ヨガは初めてという若者たちが多く、体が曲がらなかったりポーズを取れないとクスクス笑い声が響き渡り、それも若者らしくて可愛いなと思いました。箸が転がっても可笑しい時期ですものね。高校までダンス部だった娘ですが、社会人になってからまったく運動をせず。自分の体が硬くなっていたことにショックを受けていました。私は膝が完治していないのにサポーターなしで参加することに不安はありましたが、難しいポーズはなかったので一安心。娘と並んでヨガをやれる日が来るとは思っていなかったので、岩盤浴や天然温泉よりもこの時間が嬉しかったです。そんなこんなして4月。希望したとは言え、異動は緊張します。またまた畑違いな世界に飛び込んだので覚えなくてはいけないことがたくさん!でも優しい人たちがいっぱいいて、今のところ快適です。今度の職場は不規則勤務で、土日も隔週で勤務。まあ、一人暮らしですから土日仕事でもいいのですが、ジムのプログラムは大幅に変更しないといけません。やれなくなったプログラムもあります。フラとかジャズダンスはやれない。フラは別日に遠征すればできるので、出張します!ジャズダンスは残念!隔週で覚えるのは無理なんです。毎月振り付けが変わりますから。平日の休みも固定されていません。月曜日休みが多くなりますが、他の曜日は不定期。というわけで月曜日プログラムを考え直し。最初はエアロとズンバと思ったのですが、エアロは朝イチなので、ねぼすけな私は早速挫折。ズンバには間に合いましたので、その次の太極拳に初参加してみました。初めてなので手足の動きや向きがよくわかりませんでしたが、なかなか面白い。呼吸法に力を入れているので、私のようなメンヘラには気持ちが落ち着いていいと思います。太極拳は昼間ということもあり、高齢者の参加が多いです。私も年ですが、私が若いほうに入ってしまうほど。でも、それもいいかなと。と言うのは、後期高齢者くらいになっても続けられるものは今からやっておくとその時に楽なんじゃないかと思うんですよね。フラもそういう動機で50代から始めました。しかし、フラの魅力は、やはり世界で一番美しい踊りだと言われる優雅さにあります。すっかりハマってしまいました。太極拳も武道ですから、それはそれで面白いです。一応、戦いなんですよ。なので、初参加でしたが、続けることに決めました。そして娘から連絡あり。地元のホットヨガ教室に入会したそうです。あの残業だらけの生活でホットヨガをやる余裕あるのかなーと思いましたが、ラクーアのヨガをきっかけに興味を持ってくれたのは嬉しいです。ホットヨガは発汗量が半端ないので、美容にもダイエットにもいいですね。(私の場合、ダイエット効果は今一💦)私はホットヨガをやってから風邪をひきにくくなりました。冷え性に効いたのだと思います。そして、娘には言いませんが、多分、妊活にもいいはず。冷えた体って妊娠しにくいんです。でも娘はあと2年か3年はこどもは欲しくないそうですから、ホットヨガで体作りをしてくれるといいなあ。でも、そんなに続くかな。ジムにしてもホットヨガ教室にしても、継続率、低いんですよ。一年以上続く人は少数派だそうです。私はジムを始めて5年くらいかな。楽しいから続けています。今日のズンバで久しぶりに体重落ちました。やったー!
April 8, 2024
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お彼岸にお墓参りできず…父のことをエッセイに書いてみた。父からの贈り物小学生時代、父が作文集を毎年買ってきた。小学館の『小学校二年生の作文』から始まり、学年が上がるごとにそれは三年生、四年生と続いた。コンクールで入選した作文を集めたもので、模範作文集といった感じである。なぜ、父が毎年買ってくるのかよくわからなかった。今、推察してみると、読んだり書いたりすることが好きだった私に、もっとうまくなれということだったのかもしれない。 私はどちらかというと非現実的なファンタジーというか、おとぎ話のような夢物語を書いていたので写実的な作文集には少々面食らった。しかも時代背景が違う。読んでいた頃は昭和四十年代の高度経済成長期になっていた。しかし、その作文集はもっと前に書かれたもので、戦後、まだまだ日本が貧しかった昭和三十年前後が舞台。農村部の話が多く、東京に住んでいた私には別世界のように思えた。水道が初めて通った、家の中に初めて電燈が灯ったという話も多い。こうなると写実的ではあっても物語のよう。飼っている豚や馬の話も出てくる。私の周りには犬や猫しかいないから、スケールの大きさからして違う。鈴虫の観察日記なども実に生き生きと細かいところまで観察して書かれていた。自分で体験したことのない世界に惹かれていき、父が買ってきてくれるのが楽しみになっていった。だが、私は相変わらず、非現実的な夢物語を書いていた。実生活にあまり感動を感じていなかったのかもしれない。二十歳で引っ越しをするとき、母が私の蔵書のほとんどを図書館に寄付してしまったため、作文集は手元からなくなった。時は流れ、長かった昭和は終わり、平成、令和となって私も還暦を過ぎた。優しかった父も天国へ旅立ち、私に本を買ってくれる人などいない。だが、父を思い出しているうちにあの作文集をどうしても読み返したくなった。父が何を伝えたかったのか、読み返せばヒントが見つかるかも。絶版になっていることはわかっている。だめもとで、ネットオークションで検索してみた。時々、こういう古い本が出品されているから。勘は当たり、当時の作文集三年生と四年生の古本を見つけ、手に入れた。ああ、これだ。この話、この作文。覚えている。懐かしさでいっぱいになると共に、よく三年生や四年生にこんな生き生きとした作文が書けたものだと大人の目線で感動する。毎日の生活が充実していたのだろう。おばあちゃんの曲がった背中におじいちゃんがお灸をすえて、痛みを軽減しようとする話。、作者は熱がるおばあちゃんが可哀そうでたまらない。おばあちゃんを大好きなのが伝わる。馬車の時代が終わるので可愛がっていた馬を売らなければならなくなった話。馬がなかなか動こうとせず、いななく描写は切ない。でもみんな生活がかかっているのだ。楽しい話もある。山へ木を伐りに出かけている両親のもとへ、授乳の時間になると弟をおぶって山へ連れていく。母ちゃんは必ず「山の神様からのごほうび」を用意して待ってくれている。そのごほうびは珍しいキノコだったり、お弁当の残り物だったりする。その残り物というのが梅干しやタクアンの色のついた部分のご飯で、味がしみている描写がいかにも美味しそうだった。東京で生まれ育ち、水道も電燈もテレビも洗濯機も当たり前にあった私の生活はなんと生ぬるかったことだろう。生活のために可愛がっていた動物を売らなければならない切なさも味わったことがない。でも、東京でなければ、そういった現実は今でもたくさんあるわけだ。都会というのは便利ではあるが、無機質な世界なのかもしれない。そんな私に、たくましい農村部の昭和時代の作文は感動と生きる力を与えてくれた。こどもの時も、還暦を過ぎた今も。欲も出てくる。こういうこどものような視点を大事にしながら作品を書いてみたい。こども時代に父が買い与えてくれなければ、私はこういう世界を知ることもなかっただろう。今回は自分の働いたお金で買ったけれど、やはり父からの贈り物と思って読んでいる。
March 24, 2024
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膝の調子も良くなってきたので、少しずつ運動を再開しています。変形性膝関節症とはこれからもずっと付き合っていかなくてはならないので、まあ、どう誤魔化しながら、痛んだり腫れたりしないようにしようかなというところです。でも、整体の先生、「腫れたらまた治せばいいんだから」ですって。あの氷責めの冷やすセルフケア、寒の戻りの時期だったので、結構きつかったのでもう嫌だなあ。めんどくさいし。そうかといって運動しなければ肥満が待っています。体重計に乗るたびに絶望感を味わいます。あんなに頑張って減らしたのに、増えるのはあっという間。今日はリハビリのために、水中ウォーキングやクロールをやろうかなと水着を準備してジムに出かけましたが…レッスンを2つ受けたら、プールに入る気が失せました。多分、疲れたんですね。ハードなのには出ていないので体重、全く減っていませんでした。マシンで腹筋くらいやってくれば良かったと反省しています。明日もお休みで映画「ダーウィンが来た!」の予定。何しろ、今回は恐竜編ですから、見逃せません!私、恐竜が大好き。好きな恐竜は子育て恐竜と呼ばれたマイアサウラ、オーロロロという鳴き声をあげていたらしいパラサウロロフス、それから…あ、マニアックなのでやめますね。肉食恐竜はやはり怖いので、草食恐竜の方が好きです。なんか、牛やゾウ、カバを連想しちゃいますが、全然違う種族ですけどね。子孫は鳥。しかも肉食恐竜の子孫みたい。先日、一緒に水族館へ行った友達とは映画の趣味が全く合わない…私が変わってる?でもダーウィンは観たいそうで、お休みの日もたまたま同じだったので明日も一緒です。ランチをどうしようかと話していまして「おぼんDEごはん」というチェーン店があります。「おぼんこぼんでいいわよね」と言うので爆笑。実は先日、私も「おぼんこぼん」と言ったので娘に「ママ、あれはおぼんでごはんって読むんだよ」と笑われたばかりだったのです。「やだー、だって昔、おぼんこぼんっていう漫才師がいたのよー、知らない?」婿さんに助けを求めましたが「知りません」だってー。それを高校の友達も「おぼんこぼん」と言ったので、やはり、私たち、年寄りですね。箸が転がっても笑える時期をとっくに通り越して、オババとなった私たちは豪快に笑いました。
March 10, 2024
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最近、友達と出かけることが増えました。先々週は角野栄子さんの魔法の文学館へ行きました。魔女の宅急便の角野栄子さんです。すべてイチゴ色で統一していて、ファンタジックでした。文学館は大好きな児童文学の本がいっぱい!ああ、懐かしい!これも読んだ、これも…と感激しながら見てまわりました。園外では河津桜が綺麗で、梅もやっとゆっくり見上げられました。何より嬉しかったのは数年分ぶりに友達3人で集まれたことでした。20代のころ、児童文学創作講座で知り合ったお友達。60才過ぎても、仲良くしていられて嬉しい。そして、土曜日はカルチャーセンターの人達とランチしてからお勉強。その後はその地元に住む友達が出てきてくれて、お洒落なイタリアンレストランでディナーとなりました。少しずつ頼んで、かなり食べましたよー。面白い友達なので大笑いしながらお喋りしました。今週の平日休みは水族館へ高校の友達友達とでかけ、帰りは久しぶりにジムへ行くことができました。そそれぞれの友達に感謝の日々です。年を取ると、友達って本当にありがたいと再認識しています。やはり一人では寂しい。一人だと出かけるのが億劫になるのです。
March 9, 2024
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膝の件に関して。全面的に鍼と整体に懸けることにした。しかし、一週間経っても腫れは引かない。どうもプールに入ったあと、お風呂で暖まっていたのがいけないらしい。そしていくら負荷が軽いとは言え、膝をひねる動きのあるアクアビクスも今はダメみたいだった。整体に毎日通えるわけじゃない。炎症が起きているのだから、やはりアイシング、徹底的に冷やさないといけないのだった。この寒いのに。氷のうに氷を入れ、膝の前後に挟んで、膝サポーターでくるむようにして家にいる間は冷やしまくった。入浴も禁止となり、運動も本当はいけなかったらしいが、精神面に悪そうだからフラだけにしてと言われた。そのフラでも膝をあまり曲げないように気を付けた。フラは膝を深く曲げた方が綺麗に踊れるのだが、仕方ない。本当はやっちゃいけないんだから。こうして一週間冷やし続け、シャワーだけの日々が続いた。お風呂に浸かれないのは辛いが、なに、外国の人は寒い国でもシャワーだけの人がたくさんいるではないか。もっともその分、北欧は自宅にもサウナがある家が多いらしいし、公共のサウナ施設も多いと聞いている。日本の銭湯みたいなものかな。しかし、私はもちろんサウナも禁止。風邪をひくのではないかと心配したが、こういう時ってひかないものだ。腫れが引いてきて、水も抜けてきたなと感じていたここ2.3日。今日、整体に行ったら、腫れも水も引いたからもう冷やさなくていいし、入浴もOKと言われた…もうシャワー浴びちゃったあとだったが(笑)運動も少しずつ再開して良いとのこと。でも様子を見ておかしいと思ったらすぐアイシングすること。整体にはもう少し通うこと。等を約束した。治ったんだからすごい!でも私の膝は変形性膝関節症なことに変わりはない。潰れているのだ。12年前に言われた通り、膝に負荷のかからない運動を心がけなくては…アクアビクスはまだ許可が出ていないけれど、プールで歩いたり、クロールをするのは構わないそうだ。私のクロール…人に見られたくないクロールだ。溺れていると思われそう。先日、水泳の得意だった母に電話で聞いてみた。「クロールって私は苦しいんだけど、どうやったら楽に泳げるの?」「それは右手と左手を交互に出して泳ぐんや」それくらいわかっとるわい!「楽な泳ぎ方って、たくさん泳いでるうちにコツをつかむもんや」はあ、そうですか。努力あるのみですか。それはそうだろうな。今後、リハビリとしてプールを組み入れて行く予定。やるならアクアビクスの方が楽しくていいんだけど、整体師さんの言うことを聞こう。私の性格をよくわかっている人なので、フラの他、再来週からラテンダンスも試しに参加していいと言ってもらえた。やった!今回、膝を痛めたのは、筋トレみたいなホットヨガに参加していて膝を深く曲げていたこと、ボディジャムにまで参加して膝をひねりまくり、ジャンプしまくっていたことが大きいと思われる。参加しているのは若い人たちばかりだったから、膝の悪い年寄りオバサンが参加すべきではなかったな。ヨガは今後はリラックスヨガのみとする。ダンスはフラとラテンダンスだけにする。友人は「ラテンダンスなんて一番最後に復帰すればいいのに」と助言してくれたが、私はダンスがやりたくて、治療に励んだのだ。クロールをやりたくて頑張ったんじゃない。だから、目標を達成しよう。ついでに母の言っていた「ちっとも疲れないゆっくりクロール」をマスターできたらいいなあ。母は70代後半まで泳いでいた。79才で乳ガンにかかり、驚異的な復活を見せたものの、もう水着になりたくないとプールをやめてしまったのである。しかし、鍛えられていたのだろう。88才の今も健脚で、朝晩犬の散歩をし、昼間は出歩いている。やはり老化は足からなのだ。膝関節症というハンディを持っているが、ダンスができなくなったらゆっくりクロールで泳いでるのもいいかな。今は、今しかできないことをやるんだ!
February 25, 2024
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先週の土曜日、月に一回の鍼治療&整体へ。ここのところ、足の筋肉痛が酷いので、マッサージしてもらったら気持ちいいだろうな!期待して出かけた。鍼灸師さんが「桃太郎さん、膝に水が溜まってるよ」ギクッ。右膝がちょっと腫れているのは気になっていたが、痛いわけではない。足全体が疲れきっているとは思っていたが、最近はハードなヨガとか、ダンスも過激になっていたから疲れちゃったのかな。でもチキンなので、やはり整形外科に行くことにした。水を抜くのかなあ。痛いかなあ。病院は嫌いだよ。レントゲンを撮ったら医者は、膝の腫れよりもレントゲン写真を気にしていた。私はもともと膝関節症と12年前に診断されている。その時は、膝に負荷のかからない運動をして痩せてくださいという指示だったが、今度の医者は違う。というか、変形性膝関節症は悪化していた。職業を聞かれた。「今は事務職なんですが、3月までは…」職業名を聞いたとたん、医者は「ああ、それだ。長年続けて膝が悪くなっているんだね」と…私の右膝は潰れかかり、しかもズレていた。おまけに右足X脚、左足O脚。「これでは痛いでしょう」水を抜くのでなく、ヒアルロン酸注射になってしまった。これ、痛いですぜ。大の大人が悲鳴を上げてしまった。私は膝は痛くないんだけど、膝をかばって足全体が強ばっているのだった。「運動はダメですよ」「えーっ、それじゃ筋肉なくなっちゃいます!」「痛いよりいいでしょう」良くない!筋肉落ちたら、ちょっとした動きでもすぐ筋肉痛になるに決まっている。それにますます太る!「先生、膝に負荷のかからない運動にしますから、それならいいですよねっ」私がしつこかったので先生は渋々頷いた。インソールも作ることになり、予約を入れた。もともと12年前も膝に負荷のかからない運動をと言われていたのだ。最初はそれを守ってブールにしていたのに、足の痛みが引いた私は調子に乗り、地上へ進出。ハードなのは良くないだろうと思い、フラとヨガだけにしていたのに、調子に乗った私はズンバ、ラテンダンスを始めてしまい、楽しくなってしまった。ヨガも最初はリラックスヨガだったのに、エスカレートして、ハードなボディメイク、体シェイプヨガと変わっていった。これはかなり膝を曲げ、足に負担のかかるヨガだった。筋肉はついてきたが、私の膝は悲鳴を上げていただろう。医者に約束したのだからと雪の降った翌日なのにもうプールに入っていた。久しぶりのアクアビクスは楽しいけど、うーん、これじゃ振り出しに戻ってるやん。それにもともとホーム店にはプールがない。系列店に遠征しなくてはならない。たまにならいいけど、度々だとどうなんだろう。今日は膝パットをしながらストレッチとリラックスヨガをこなした。気持ち良かった。〈後日談〉再び、整体へ。インソールには反対された。それだと自分で足を治せなくなるという。「潰れちゃった骨は治らないかもしれないけど、ズレちゃった関節は治せるよ。治そうよ。またダンスもできるようになるから」確かに…病院だと痛み対策だけなんだよな。運動禁止って…運動しなかったらまた太るし、筋肉落ちるし、せっかく良くなった内臓の数値もまた悪化するよなあ。ここの整体は鍼治療もやっていて、通っていたからこそ、私は首の頸椎捻挫も腰痛も治して、前職を全うしたことを思い出す。西洋医学って、部分的な箇所だけ治して体全体は見てくれない。治すといっても対症療法だし。東洋医学は全身を見てくれる。膝が痛いと言っても腰や背中に原因のあることも多い。(もっとも私は膝は痛くない。腫れているけど)難点は保険が効かないので高い。それでも私は楽しい60代を過ごしたい。墓場までお金は持っていけないし、後期高齢者になるころには、ダンスなんかやりたいと思っていない可能性が高い。今しかできないことは今、やりたい。と言っても炎症を起こしている今、ダンスをやるわけにはいかないが、集中的に治して、早いうちに復帰したい。今はさすがにハードなことをしてはまずいし、今後もハードなヨガはもうやれないだろう。でもリラックスヨガなら参加できるし、負荷のかからないプールならやれるのだ。整体、鍼治療に賭けよう。楽しい60代にするのだ。ずっと子育て、フルタイムの仕事を頑張ってきた。終わった途端に運動禁止なんて、あんまりだ。整形外科に行ったお陰で、自分の体の状況はわかった。どう治すかは自分で決めたい。クオリティライフを大事にしたいから。
February 11, 2024
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成人の日でしたね。今は二十歳の集いというのですかね。昨年までコロナ禍で、開催できなかったり回数を分けたりして残念でしたが、通常通りにできるようになって本当に良かった。若者の嬉しそうな笑顔、晴れ姿を見ると嬉しくなります。娘の時から6年も経ったのですね。月日の流れの早いこと。6年前は朝の5時半から美容室で着付、髪の毛をセットしてもらい、ズラリと並んだ人力車に驚きました。北九州だけじゃないんですね…でも見かけたのは朝だけ。今年もそうだったのかな。私が通りすぎたお昼頃、会場前は花束を持った男の人達が…成人式を迎えた彼女の式典終わりを待って花束を持って迎えるわけです。結婚式みたい!いやはや!私の頃(40年以上昔)も、式典終わると彼氏と待ち合わせという人は多かったです。さすがに花束はなかった。彼氏のいる子にはステータスでした。私は女友達とお喋りしてた…それはそれで楽しかったです。今思うと成人式まで彼氏に束縛されたくないですし。自由に同級生と会いたいですね。でも晴れ姿を彼氏に見せたいという女心もわからないではありません。娘は地元の式典終わると、出身高校でイベントをやってくれるので母は大忙し。なんでついていくかというと、二次会のためにドレスに着替えるんですよ、高校で。母たちは着物を持って帰らねばならないのです。そして、母たちも同窓会?でカラオケへ。娘たちの華やかなパーティーにはもちろん出ません。忙しかったなあ。今の体力ではできないです。6年で体力落ちたなあ。あの頃はフルタイムで働いていましたし、よくやっていたなと思います。と言ってもフルタイムでなくなってからまだ一年も経っていないのですが、遠い昔のように思います。娘の高校では「28才の記念パーティー」も企画してくれます。卒業してから10年後!というわけです。今度は荷物番ないので、母たちの出番はないか。集まれたらいいな、とは思いますが、荷物番の名目失くしては…成人式の母たちのカラオケが最後でママさんたちとは会っていません。卒業して10年経つとどうなっているのかな。娘はまたもや転職…なんてこと、ないといいんだけど。今のところは楽しそうですが、残業ハンパないので、どうなるやら。専業主婦とかパートタイマーという選択肢は経済的に無理なので、ちょっと心配。私は高校卒業後10年目のパーティーなどありませんでしたが28才と言えば大概、女子は結婚していましたね。子供のいる人も多かった。今とは違います。でも小学校同窓会が26才と35才の時にありましたし、中学同窓会も40代からチラホラ。還暦同窓会もコロナ禍だったので、還暦過ぎてしまいましたが一応やれました。これは地元に友達が多数残っているお陰です。昔からの友達も今の友達も大事にしていきたいです。
January 8, 2024
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皆さま、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。元旦に書かなかったのは久しぶり?書こうと思っていたらあの地震が来たのだ。こちらは震度3だったが揺れが長いので、私にしては珍しくテレビをつけた。最初は津波情報ばかり耳に入り、東日本大震災を思い出して、テレビを消せなくなった。また、あんな、家ごと流されたりしたら…最初は死者、怪我人なしと報道していたので安堵していたら、実際は倒壊で60名以上の方々が亡くなられている。これは胸が痛い。余震が続き、テレビを消せず、眠れなくなっていった。そして昨日は救援物資を運ぶための飛行機と日航機が衝突💦今日は北九州で大火事。日本列島が揺れて、連鎖を起こしてパニックになっている?自分に何ができるのだろう。いや、日本は地震列島なのだ。いつどこで起きてもおかしくない。助け合うしかない。自分だって助けてもらう時がくる。といっても輸送がスムーズにいかないだろう。熊本の大震災のときも物資を運びたくてもどこも通行止めだったし私たちに今できることは情報を正確に受け止めながら何が必要か考えること。Xでは自宅を解放するというツイートがたくさん溢れていた。私もいざとなったら人を泊められるようにしておかないといけないな…現状では無理。反省。一般参賀は中止になった。さすがにやったら、その分の警備員を石川県に…という批判は免れなかっただろう。そんなこんなを考えながら、あっという間に三日間が過ぎた。明日から仕事なので通常モード。頭を切り替えないと。今年の豊富健康友達人のために役立てるようなことをする「健康」はねー、もう努力しないと。なんせ寝正月してたらもう足腰弱ってるんですよ。あっという間に筋肉が落ちます。昨年の私は筋肉痛になるようなことばかりしてて、結局ヨレヨレしてたんですが。フラ、ヨガ、ラテンダンスは続けます。他のは休日しだいかな。職場が変わるとすると土日休みとは限らないので。「友達」私は一人暮らしなので友達が大事です。昨年は小学校、中学校と遅れた還暦の同窓会ができて嬉しかった。全員に会えるわけではないけれど、ラインでもつながっている。高校の友達とも昨年は何回かランチすることができた。多いのはバドミントン部の仲間で、価値観が合って仲良くなったとかでなく、一緒に練習頑張った仲間だから会うって感じでこれも楽しい。もっともみんな孫育てや介護などでそんな自由に会えないのだけれど…集まりやすいのは孫のいない人たちかな。前職での友達は退職してみるとなかなか会えないものだ。まあ、割りきったお付き合いだったってことだろうか。それでも何人かランチしたり一緒にジムへ行ったりしている。ママ友に至っては新年の挨拶のみになってしまった。寂しいがこういうものなのだろう。ジム友…今は浅いお付き合いに留まっているが行ったらいつも同じ顔に会えるのはほっとする。サークル友達…エッセイサークルなのだがいつまでも親しくつきあっていきたい。「人のために役立てるようなことをする」お給料激減で以前のような定期的な寄付ができなくなっている。震災時の義援金については正しく使われてくれていれば喜んでするのだが。あとは年取った母に会う回数を増やすとか保護いぬ、猫への援助をしていくこと、かな。娘夫婦には負担にならないように気を付けながら一緒に楽しめることがあったらしていきたい。娘の会社は楽しそうだけど、子どもがいたら…あの残業ぶりでは…あんまり転職繰り返すのは好きじゃないが娘の選択を応援していこう。
January 4, 2024
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明け方に目覚めてしまいました。もうお休みでグダグダなので、もう一眠りしようと思いますが、その前に今年の総括。3月で前職を辞め、嘱託として人生初めてのデスクワークに。どんな仕事だろうと要は人間関係だなと再認識しました。完璧な職場なんてあり得ないけれど、個人攻撃には参りました。行きたくなかった心療内科へ行く羽目に。でも行って良かったかな。うつ病ではなかったので出されたのが抗不安薬でしたがこれが効きました。前向きになってきました。もっとも薬で誤魔化しているわけなので、環境の変化は必須。診断書も出ているので、4月には異動できると信じています。新しいところでもいい人ばかり…とはいかないかもしれませんが、仕事が私に向いたものであるといいなあと期待しています。前職は大変でしたが、自分の意見をちゃんと言えていたので何十年も続けられたのだと思います。還暦過ぎて新人で、しかも有名人に目をつけられてしまったことは大失敗。来年の豊富としては「欲張らない」「自分だけ得をしようとしない」かな。そして「健康」 「友達」 「趣味」 「人のためにも努力をする」こんなところでしょうか。
December 31, 2023
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不安定なまま、ジェットコースターのように上下し、目を回すようにして生きている。大げさか。心療内科に行ってみた。予想通り、うつ病とは言われなかった。これまでの人生でも、何度か受診しているが…周囲の心配もあり…うつ病です、休んでくださいと言われるのが怖かった。休めない。走り続けなきゃ。焦る。定年退職も延長していたのは不安が故。短時間勤務に切り替えるのは勇気が要った。しかし、現実はフルタイムで働く体力がもう尽きているのは実感していた。そして畑違いな仕事にまわり、慣れない、出来ない、もともとない自信がさらになくなり、挙動不審に陥った。そんなに能力がないのだ、元々。出来の悪かった子ども時代に返ったみたい。私は適応障害を起こしていたのだ。しかし、うつ病とは違うと言われ、人生何回目かの安堵。だからって出来るようになるわけではないのだが、薬のお陰か、今朝は久しぶりに悪夢でない夢から覚めたかのよう、自分でも機嫌良く起きられた。ということは、ポジティブな人の脳内ってこんなふうなんだろうか。セロトニンやエンドルフィンに溢れているのだろうか。脳は不思議だ。死ぬ前にはこういう体験が出来るのだろうか。亡くなった兄、父、友達にこうして会えるのかな。今までは夢の中だったから会話が出来なかった。自分の言葉が出てこないあのもどかしさ。会いたかった。あの時、会いに行けなくてごめんね。そんなことをちゃんと言えるのはきっとあの世に行けるその一瞬なのだろう。死ぬ直前、脳内はエンドルフィンに溢れるらしいから。現実に戻り、こんな母親でも気遣ってくれて、イルミネーションが見たいと言っている私のために、お店を予約してくれた娘。新年も、実家より嫁ぎ先を優先せよと言っているのに私が寂しい正月にならないよう、いろいろ予約してくれている。娘を生んでやっぱり幸せだったな。母子一体で臨月寸前、胎動の激しい我が子に、どんなヤンチャが生まれて来るのやらと、でもその一体感が嬉しかった。思春期は悩ませてもらいましたけどね。そして、情けない友人を持った我が友たち、心配かけてごめんね。そして心配してくれてありがとう。もう少し頑張る!
December 12, 2023
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最近、雀よりセキレイの方が多くなってきた。冬鳥到来、暑かった日本に冬鳥が飛んでくると季節を感じる。セキレイは美人さん。近隣のお肉屋さんがこっそりお裾分けするのを私は早朝に目撃してしまった。だって可愛いもんね。雀より積極的で人懐こい鳥。美人は特だのう。あのお肉屋さんはいつか、雀のお宿ならぬセキレイのお宿に招待されるかな。欲張り婆さんの私はこっそり後から得をしようと着いていったりしたら、お化けや蛇のお土産なんてなりかねない。曽野綾子さんが昔のエッセイで「得をしちゃった」という発想が嫌いだと書いていたのを思い出す。若かった私はなぜいけないのか、私は得をするのが大好きだったし、母親にいたっては「もうかりまっか」の精神で、ここは東京なのに常に値切っているのを見て育った。だから私も得をしたかったのに尊敬する曽野綾子さんが、いけないというのなら考え直さなくてはいけないかと感じた。歳末助け合いのシーズンである。得をするのでなく、徳を積むべきかと何十年もかかって変わってきたので、早く集金活動しなくちゃ…と言いつつ寝転がっている。こんな考えの私にNISAだの何だのと言っても無理よ。お金は働いて得るものです。もちろん、知的活動も労働の一つだろうけど、そんなことに向いていない。と言うわけで還暦過ぎても年金のもらえない私はセコセコ働いていますがどうやら心を病んでいるのかな。還暦過ぎてパワハラって…意外にあるらしいということがわかってきました。産業医にかかりましたが定期的に受診しないと判断できないからと言われて、結局心療内科行きになりました。まだ予約の段階です。産業医は薬を出せませんからね。私は仕事にも行っているし運動もしているのに、それでもうつ病なんですか?と聞いたら、片足突っ込んでいるかもしれないし、突発的に飛び込んだりしたくなったら大変なので受診をと薦められました。飛び込む?電車に飛び込みは、遺族に迷惑がかかるので論外。高いところはですね、もともと高所恐怖症なんですよ。飛行機だって実は怖いくらい。死ぬとしたらですね、深い雪山にでも行って埋もれるのが一番気楽かなあ。でもその前に発見されちゃいそう。そうなると家族が困りますからねえ。先輩が自殺しようとしたお姉さんが死ぬに死ねなくて警察に保護され、遠くまで車で迎えに行ったことがあるそうです。姉妹仲が悪かったせいもあり、迷惑そうでした。なので、今のところ私にそういう心配はないと思うんですけどね。パワハラ先輩とご一緒の仕事の前日は体調を崩すようになってきて、静かに体が抵抗しているように思います。仕事から離れたときはまだエネルギーが残っていますが、一年前に比べると…書く意欲が落ちてますね。意外に残っているエネルギーはダンスで使います。ダンスは楽しいです。今、ハッピーブギでラインダンスをやったりクリスマスインサマーという桑田さんの曲でサンバのように踊ったりして、そういうときは幸せです。20才くらい年下かなあと思われる会員さんに「いつもアクティブで素敵です」と褒められて、嬉しかったけど…実はアクティブじゃありません。ヨレヨレで階段は手すりにすがって登るという情けなさ。昨日はついにお腹がピーヒャラ。どこがアクティブじゃ。好きなことだけ楽しめる時期が早く来ないかなあ。
December 9, 2023
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娘夫婦が遊びに誘ってくれました。ありがたいのですが、いつも費用が娘もちなので申し訳なくて。今度は何かお礼を持っていかなくちゃ。ランチはもつ鍋でした。ここはかつて、娘が大学生になって初めてアルバイトをしたお店。お酒も扱うし、鍋なんて運ぶのは熱そうなので反対しましたが、言うことを聞かず…ま、2ヶ月で挫折していましたが、当時の店員さんはもう誰もいません。若いアルバイト学生にかつての娘の様子を重ね合わせて、大変だろうなあ、頑張れとつい、思ってしまう。それにしてもてんこ盛りの野菜に仰天しましたが、そこは鍋。シュワシュワと縮み、お陰様で日頃の野菜不足を解消できました。もつ鍋は暖まりますねえ。今日は朝から氷雨かと思うほどの冷たい雨で、冷えきっている時に活力が出ます。そして、予約していたプラネタリウム。ちょっと遅れてしまいましたが、案内してもらえました。神津島の夜空で、ナレーションは広末涼子さん。広末涼子さんはいろいろ言われていますが、娘にとっては高校も大学も先輩に当たるので親しみを感じます。才能があるのに、私生活は波乱万丈しちゃって、何だかもったいない。まあ、娘には広末さんのような女子力はありませんので、そこは心配していませんが、広末さんも女優として才覚のある方なのでぜひ、頑張っていただきたい。高校生のときからオンとオフを切り替えて、しっかり勉強するときはする、集中力の高い生徒さんだったと聞いています。久しぶりのプラネタリウムで自然の擬似体験ができました。神津島は行ったことがないのですが、伊豆七島には若い頃遊びに行きました。船で行くんですよね。三等の地下みたいな船底で、荷物と一緒に揺られて眠り、若かったから平気でしたが今なら無理でしょうね。海はとても綺麗でした。ただ、当時はナンパ目的の男女で溢れていたので今とは様相が違うと思います。私はまだウブで、話には聞いていたものの、歩いていればみんなナンパしてくるので閉口しました。嫌だったので、アルバイトをしていた学生さんたちと遊ぶことにしましたっけ。仕事ならそこまで危ないことをしてきませんからね。お陰様で、なにごともなく、無事に帰還できましたけど、この島での出会いはその後数年、付き合いが続くことに。根が真面目な学生さんたちだったので、ただの飲み仲間でしたが、テニスなんかを一緒にやっていたかな。私の女子力が低いのが幸いして、女扱いをされず、お友達で終わり。それもお互い結婚したら疎遠になりましたっけ。あの頃は星空を見上げる情緒豊かさがなかったなあ。あれから伊豆七島はナンパの島という汚名は挽回したんじゃないでしょうか。有吉佐和子さんの小説にも島の話はよく出てきます。そんな、娘には内緒の昔話を思い出しながら見上げた擬似夜空でした。婿さんは居眠りしてたかな?でもこのお婿さん、本当におっとりしていて、セカセカ娘にとってはありがたい存在です。いつまでも幸せでいてもらいたいです。
November 26, 2023
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本日より五連休に入りました。初日だというのに、朝から滅入っていて、というかわけのわからないものに追われているような恐怖感とか、突然の涙とか、怪しい状態に。寝逃げしようかなと思いましたが、今日は美容院を予約しています。よほどキャンセルしようかと思い、友達にラインでぼやいたら「きれいになっておいでよ」の一言で気を持ち直しました。もう、綺麗かどうかなんてどうでも良くなっていたのですが、前向きな気持ちも大事。と言ってもリタッチカラーだけなんですけどね。ここ一年くらい、新しくできたヘアカラー専門店に浮気していました。理由は単純、安かったから。激安な代わりにブローは自分でするというお店です。やはり安いので人気が出て、予約もなかなか取れなくなってきました。ところが!今月から値上げになりました。リタッチカラーがなくなったのです。全体ヘアカラーとなり、しかもロング料金がかかります。これだと、元のお店とお値段変わらないというか、高くなる?私はロングヘアーなので。それなら、ブローもしてくれる元のお店に戻ろう。どっちみち、半年に一回のパーマはここでかけてますし。と言うわけで美容室浮気は終わりました。何しろ全白髪なので、どこへ行こうとも一週間もすると生え際は白くなり始める。毎週美容院へ通うほどセレブではないから自分でリタッチカラーするのですが、月に一回はお店で染めるというわけ。全白髪だと自分でやれるのは限界がありますのでね。来月は僅かながらボーナスが出るのでカット、パーマ、ヘアカラーとスペシャルコースになります。だから半年に一回のパーマなわけ。丁寧に接客してもらって少し気分が上がりました。何しろ仕事のとき、人間扱いされてない?そして、迷ったのですが、これまた予約していたので、ホットヨガに出てきました。ここのところ、具合が悪くて、全く運動できていなかったので、ヨガでも筋肉痛になるほどです。筋肉ってあっという間に落ちますね。でも滝汗かいて、お風呂に入って、やっと人間の気持ちになってきました。ジムでは特に親しくしている人はいませんが、顔見知りくらいは出来ています。挨拶程度の雑談。「今度はどのレッスンにする?」など、他愛ない話題。話題も運動のことのみ。それが心地いいんだなあ。私には別の世界がある、と思うと救われます。そして、ハードなレッスンをいつも一緒にこなしてる連帯感もあります。部活と似ていますね。高校時代の部活友達とは時々会いますが、価値観は全く違うし、性格も似ていません。でも、辛い練習を一緒にやった仲間という連帯意識があるから付き合って来られました。ただし、ジムは部活とは違います。年代も仕事も私生活も共通点はあまりない。なので深入りせず、運動の話のみにしています。それはそれで楽しいのです。エッセイ講座だとやはり読んだり書いたりすることが好きな仲間なので、話題はそちらになりますね。ここは書いている内容に価値観が出てくるので、ジムよりは深入りしちゃってるかもしれませんが幸い、良い方ばかりです。そして文学の話をできる、ここも私にとって心地よい世界です。現実は…生きるって難しいですねえ。でも綺麗になった気分です。白髪は隠せたし、滝汗かいて、肌の状態も改善されてきたと思いますので。明日は大好きなフラとホットヨガの予定。楽しみ。
November 23, 2023
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パワハラが続きすぎて、痛みを感じなくなった。もう、何を言われても怖いとは思わないし、傷付くこともない。私は戦いたくないのだ。年を取ったせいか、腹が立つということはだいぶ前からなくなり、悲しくなって落ち込むだけだった。戦闘意欲ゼロ。そして、ついに悲しいという気持ちも消えた。どっと疲れる、それだけ。インフルエンザワクチンは毎年受けているが、今年は初めて体調を崩した。でも副反応だったのか不明だ。ワクチンの翌日は元気に働いていた。しかし、その後パワハラ絡みで職場の雰囲気が悪くなった。私がいるせいで、他の職員まで苦しむことになっていると気付いたとき、私は自分の存在事態が嫌になった。そして食べられなくなり、顔に蕁麻疹が出て39度の熱を出した。ワクチン接種後の二日後のことなので副反応というよりは免疫力が徹底的に落ちたところへ毒が回ったのだろう。顔はお岩さんのように凸凹に、赤く腫れ上がった。とてもじゃないけど外に出られる顔じゃなかった。一週間休んだ。昨日から復職している。しかし続くパワハラ。しかし、もう、かまわない。私のいないときに私の悪口を言って私のことで他の人に八つ当たりをしていると報告を聞いたとき、あまりにショックだったので、他の人に怒るくらいなら直接私に怒ってくれた方がいい、その方がましだと思った。だから私は何を言われても淡々としていた。その相手と笑顔で雑談すらして笑っていたくらいだ。だが、やはり食べられなくなっている。私はもしかして、認めたくないけれど傷付いているのか、腹が立っているのか、そういった感情に全く蓋をして笑顔で仕事をしている。私さえいなければという思いが強くなった。辞められるものならとっくに辞めているが65才まで年金が出ないし、家のローンを退職金で払っている。悠々自適の老後などあり得ない。それに、猫の手よりはましな程度の実力とは言え、今、休職してしまったら職場に迷惑をさらにかけることだろう。でも限界かもしれない。微笑みうつ病にでも、かかったのか。自分で心療内科受診も考えたが、私の一方的な見解で医者が判断するのかと思うと怖い。私だって悪いのだ。うまくやれない私が。公平性を考えて職場内部の産業医に相談すべきときが来たのだろうか。呆然として冷えきった体で横たわっていたとき、猫のここちゃんが私の冷たい足にぴったりくっついてきた。寒がりの猫が、わざわざ冷たい足にくっついている。ここちゃん、私を暖めようとしている?今や家族は猫のみである。それはここちゃんもわかっていて慰めようとしてくれているのだ。消えたい思いはあるが、ここちゃんを残して死ねない。やはり産業医受診を考えるときのようだ。
November 21, 2023
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三連休だった。しかし、自転車同様、私のバッテリーが不足してきた。いくら寝ても寝た気がしない。金曜日はジムで3つくらいプログラムに参加するつもりだったが、結局は一つ、リラックス系ヨガに参加しただけ。土曜日はカルチャーセンター。もっとお話を膨らませられないかなあ。でも、電車に乗っただけで疲れてしまった。楽しかったんだけど。今日もジムの予定だったが、一歩も外に出られなかった。気だるい。別に風邪もひいていないし、どうしたのかな。食欲はあるし。ただ、食べる以外、気力が湧かない。食べると言っても相変わらず貧相な食事。今日は味噌汁すら作る気がせず、インスタントにしてしまった。相変わらず、炊飯器の内釜に芋を乗せて、ご飯と一緒に炊いている。これじゃ、まずいよな。明日用に、お米に鮭缶を入れて炊くことにした。イワシの蒲焼き缶詰めをよく使うのだが、一人分のお米に対して、あれは味が濃すぎる。と言うわけで鮭缶。主食とおかずを混ぜてしまえというわけだ。芋はさつま芋と里芋が交互。本当は味噌汁に野菜を入れないといけないんだけどね。めんどくさくなってきた。お腹がいっぱいになればそれでいいという感じ。普段は安い時に買っておいて冷凍しているキノコをふんだんに使うのだが。キノコはガン予防にいいらしいが、そのためというよりは単にキノコが好きなだけ。誰かのために作る食事じゃないと徹底的に手を抜きたくなる。もっとも、もともと豚汁、カレーライス、シチューの繰り返しだったっけ、娘がいても。カレーは作らなくなったなあ。娘は「私は給食で栄養摂ってたから」と憎たらしいことを言っているが、まあ、本当のことだろう。小学校では給食おかわりの常連だったようだし。給食費無償化の地域が増えている。払えない家庭ばかりではないと思うので、それよりこども食堂増やして、夕食何とかできないのかな。こども食堂は増えているらしいが、ボランティア経営なので、月に一回くらいしか開催できないところが多いようだ。朝ごはんも何とかならないのか。専業主婦家庭や、働く時間の短いパートタイム主婦家庭ならいいが、フルタイム残業付きの家庭は朝ごはん事情が大変なのだ。親の帰宅時間が遅いと夕飯の時間も遅くなる。お風呂入れたらもう寝る時間、と言ってもこどもだって自由時間は欲しいだろう。保育園や学童保育は集団生活なので、自由にゲームをしたり好きな漫画を読んだりする時間だって欲しいだろう。そんなこんなで就寝時間は遅くなる。朝は眠くて食欲なし。別に貧困家庭でなくても、朝ごはんをゆっくりたくさん食べられる家庭はそんなに多くないのだ。何が早寝早起き朝ごはんだよ!専業主婦ばっかりじゃないぞ。夜の子ども食堂もいいと思うが、学校で添加物のないクッキーと野菜ジュースとか、昔のお十時みたいな時間、取れないのかなあ。それは家庭の仕事だろってお金持ちの議員さんたちは思うんでしょうね。それに今だって給食費に割り当てられている予算はギリギリ。それを無償化したら、貧相な給食にならないだろうか。無償化するより、給食費の予算を増やして、果物だって毎日出してあげればいいのになあ。食品などの物価高もキツイが、若い人たちにとってはマイホームを買うに買えないのが痛いのではないか。都内のマンションなんて軒並み億ションになっている。これは格差が広がりすぎて、夫婦合わせて二千万円以上の年収の人達が一定割合いて、そういう人たちにしか買えない。仕事は都内に集中している。都会をはずれれば通勤時間がかかるので、それだけ子育てにかける時間は減る。これじゃ、子どもを生みたくないよね。生んだら早寝早起き朝ごはんって言われて、生活に追われるわけだし。こども誰でも通園制度も納得がいかない。働かなくても生活できる人と働かなきゃ生活できない人をなぜ同じにする?だからさ、金持ち優遇制度の仕組みばかり考えているから、多くの庶民、若者達はこどもを生まなくなるのだ。庶民目線で政策を考えて。このまま少子化が進めば、日本人は絶滅危惧種になる、マジで。なんてことをブツブツ心の中でぼやきながら夜を迎えた。もう寝よう。娘たち、どうなるんだろう。
November 5, 2023
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車がないのでどこへ行くにも自転車に乗っている。駅やバス停から遠いため、必需品だ。電動自転車に変えたのは12年くらい前か。初めて乗ったときには感動した。力が要らないし、速いし、上り坂だってスイスイだ。今日はジムに行くため乗ろうとして、電源が入らないことに気付いた。ついにバッテリーが寿命尽きたのだ。仕方なくジムではなく、自転車屋さんに向かう。12年の間に、電動自転車は進化している。最新式のものだと12万円くらい。そもそも、高いのはバッテリーのためだ。バッテリー交換だけで五万円くらいする。いっそ、新車に?しかし、まだ自転車は壊れていない。タイヤは何度も取り替えたけれど。次にバッテリーがダメになったら今度こそ買い換えよう。安めのバッテリーにしたので、今度は五年くらいしか持たないかもしれないが、さすがに17年も乗ったら自転車も寿命だろう。本当に電化製品は予期せぬときに壊れる…というか、寿命があるのは当たり前なので、予期しないといけないのだろう。もしかしたら、今回は買い換えどきだったのかなと迷いつつ。行く予定だったリラックスヨガには間に合わず、ハード系ホットヨガしか空いていなかった。もう、こうなったらハード系でも頑張るしかない。予想通り、腰が引けてるとかいろいろご指導いただき、汗だくになりました。もう、Tシャツは絞れるくらい。本当はリラックスヨガに出てからジャズダンスの予定でゆったりめの予定が、汗だくのまま、大急ぎで着替えて10分後にはジャズダンスのスタジオに。汗臭いかなあと気にしつつ。ジャズダンスはまったく上手くならないので、目立たないように後ろの端っこでこそこそやっています。貧乏性なので、休日にジムに行ったらプログラム二本やらないともったいないと思ってしまうのです。ハードヨガの後なのでバテるかと思いましたが、まあ、何とかなりました。帰宅後は楽しみにしていたのだめカンタービレミュージカルの配信を観るつもりでした。しかし、アーカイブ配信は深夜になると言われ、ガックリ。のだめカンタービレ、好きなんです。漫画も持っているし、テレビや映画も観ていたし、YouTubeでもアニメ版を観ています。韓国バージョンもあるんですよ。60才過ぎても千秋先輩にはドキドキしちゃいます。玉木宏さんがハマり役でしたが、漫画の千秋先輩も素敵なんです。今回、ミュージカルでは上野樹里さんが引き続きのだめ役ですが、千秋先輩は13才も年下の舞台俳優さんです。舞台に行きたかったけれど、チケットが取れず…それで配信のために4100円も払いました。千秋先輩が素敵なのはもちろんですが、のだめはクラッシック音楽満載ですよね。私の知らない曲が多いですが。私は子ども時代、ミーハーになってはいけないからとレコードはクラッシックしか買ってもらえなかったのです。当時は歌謡曲のレコードが欲しいのにと親を恨みました。他にレコードがないので仕方なくベートーベン、シューベルト、チャイコフスキー、ドボルザークを聴くしかありませんでした。でも聴いているうちに好きになっていきました。レコードは数枚でしたから、同じ音楽ばかり。運命、田園、未完成などを繰り返し聴きました。ショパンやモーツァルトはありませんでした。でも良い体験だったと思います。音感が少しは身に付いたのは繰り返し聴いていたクラッシック音楽のお陰でしょう。のだめは漫画からも音楽が聴こえそうな描写ですが、実際に映像になると音楽付きですから、もう、これは本当に楽しい。それがミュージカルだなんて、たとえスマホで観る配信でもとても楽しみにしています。
October 29, 2023
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次回のエッセイテーマが「高い」である。高い、と言われたら今どきは真っ先に物価高が上がるがみんなが書くことを書いても面白くないよなあ。だけど物価高は酷すぎる。ずっとデフレに慣れていたのでよけいに高く感じる。私のよく行く小さなスーパー。私は小さいお店の方が好きなのだ。無精ものなので広いスーパーを歩き回るのは疲れる。そこでお米も買っていた。今年から思いきり薄給なのでお米も安いものにしている。5キロの無洗米1500円。無洗米の方が水道代浮くよねと言うのはいいわけで、慣れてしまうと無洗米は本当に楽なのだ。子ども時代から、お米研ぎも私の仕事だったから、やらなくてすむのは本当に嬉しい。ところが、先日そのお米が1750円に値上がりしていてがっかり。この話を友達にした。友達の買う農家からお取り寄せ山形のはえぬきは同じ五キロで無洗米でなくてもその倍はする。すごく美味しいのだそうだ。1750円を連呼していた自分がちょっと情けない。今日は病院の帰りに激安ショップへ寄った。よろず屋のように何でも売っていたと記憶していたからお米はいくらするんだろう。行ってみて驚いた。激安ショップは閉店したらしく、普通の小さなスーパーに変身しているではないか。そして何もかも高くなっていた。お米は無洗米を置いていなかったので検討外。トイレットペーパーも野菜も高い。トイレットペーパー12ロールが298円だった時代はどこへ行ったのか。売りだった激安お菓子もなくなっていた。これじゃ、みんな100円ショップへ走るよね。ところが、最近の100円ショップは100円じゃないんだよな。スーパーとあまり変わらない値段だ。極めつけに高いのは家やマンションだろう。もう億ションの世界だ。誰が買うんだ?外国人が多いみたい?それは田舎に行けばもっと安いのだが仕事はやはり都会に集中している。頑張って共働きすればマンションくらい買えるという時代は過ぎた。中古だってめちゃめちゃ高いのである。うちの娘たち、思いきり都心に勤めているがどうなるのやら。東京に住むということが難しい時代になってしまった。それからペット用品の値上げ、やめてくれー。ここちゃんのフード、昨年グレードを下げたがこれ以上下げたら健康問題に関わる。もうすぐ7才のここちゃん、ペット保険も値上げだな。頭が痛い。
October 10, 2023
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春から仕事がガラリと変わり、とてもその様子を書く気にならないほど精神的にダメージを受けていた。もう限界かな、産業医に言うしかないかと追い詰められていたが、その前に直属の上司に産業医にかかりたいという旨くらいは報告すべきかなと思って告げた。とても心配した上司が何やら采配してくれたのか、パワハラが一時的に収まったので不思議だなと思った翌日、私は発熱し、流行り病だと発覚したのでした。やはりメンタル弱るとダメだな。この3年間かからずに来たのに。最初は声が枯れた程度で、トローチを処方された。午後から熱が上がってきたので、手持ちの抗原キットを試してみたら陰性。でも発熱するなんておかしいのでpcr検査を頼んだところやはり陽性。院内に入れてもらえず、外で検査。あとは電話でやりとり。「午前中薬が出ているでしょうからそれを飲んでください」と受付係。え?トローチしかもらってませんよ?コロナにトローチだけって?困っていたら解熱剤と鼻水、咳の薬を処方してくれた。これ、風邪薬やん?しかし、医者が大したことないと思った通り、私は軽症だった。38度に一回上がっただけであとはずっと微熱程度。喉の痛みも強くない。それでも痛かったので手持ちのハチミツをなめたり、喉の痛みに効くと言う甘草湯を持っていたのでそれを飲む。鼻水が出るので少し咳き込むため、やはり手持ちの麦門冬湯。小青竜湯。4日目には平熱になる。食欲も四日間あったのだが薬を飲んでいたので胃に負担がいったのだろう。この頃から食べられなくなる。7日目から出勤したらよけいに胃が痛くなってきた。別の医者に行き、「後遺症ですかね?」と聞いたら「さあ、疲れたんじゃないかな。これで様子をみて」と胃薬を処方された。いくぶん良くなるが、お粥しか食べられない。お腹は空くのに食べると気持ちが悪い。これ、逆流性胃炎起こしてる?はい、漢方薬オタクの私は半夏瀉心湯も持っていた。これが効きました!やっと気持ち悪い症状から解放されたが油断は禁物。まだまだお粥とうどんにしよう。お粥しか食べられなかったので最初はコンビニのレトルトお粥だった。病人にはとても美味しい。あの緩さ、胃に染み渡るように降りていく。何とかこれを作れないか?暇だったのでレシピを寝ながらいろいろ検索する。たどり着いた手軽に出来る入れ粥。炊いたご飯を鍋に水を多めに入れて煮る。出汁はほんだしでもいいのだが、鶏ガラを入れるとちがう。ここに醤油をほんの少し。味噌をほんの少し。具は最初は溶き卵だけだったが、だんだんに増やして挽き肉だったり、鮭ブレークだったり、油揚げも。本当はキノコを入れたいが流石に今は消化に悪そうなのでやめておく。なので明けても暮れてもこの入れ粥の日々でした。仕事が幸い一日置きだったので無理をしなかったのも幸いした。お粥よ、祝福あれ。漢方薬は少し飲みすぎたかな?どれがどの状態に効くのか、かなり素人判断していた。これでも30代のころ、漢方薬の勉強にハマってかなりの薬品名を覚えたのである。漢方薬だって副反応があるのは百も承知。でもねえ、病院もあんまりあてにならないんだよなあ。何しろトローチで追い返そうとしたし。こういう場合、肺炎になる可能性もあるんだから抗生剤出すとか、胃に負担くるの当たり前なんだから胃薬一緒に出すとかできなかったんかいな。ま、だから自己判断で漢方薬飲んだわけだけど。お陰でかなり快復した。本当は猫にうつしたらいけないと思い、そこにも珍ストーリーがあるんだけど今日はここまで。お粥生活してさぞ痩せたかと思いきや、寝てばかりいてカロリー消化にならなかったらしく、一キロくらいしか体重は落ちなかった。快復したらまた太るのかな。しかし、卵とお粥にはかなり救われたので今後は朝食はお粥にしようかと思う。もともとしっかり朝ごはんを食べると胃もたれしやすかったし、朝ごはんをしっかり食べると太るのである。いい勉強になった。漢方薬万歳!
September 2, 2023
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今月のお題は「暑い」である。以下、下書き。地球温暖化の影響で日本の夏は、外出自粛を呼びかけられるほどの猛暑となっている。今や日本は亜熱帯と化している。こどもたちにとって夏と言えばプールが楽しみの一つであろう。でも今や外に出ることは危険なため、学校や保育園でのプール活動が大きく制限されている。そのため、学校用の屋外型プール製造は廃止になっていくと聞いた。なんと、気の毒なことだろう。屋外で泳ぐからこその楽しみがあるというのに。私が小学校に入ったのは五十年以上も昔だが、プールはなかった。設備が他校に比べて遅れていたのである。だから三年生になったとき、プールが完成してみんな大喜びだった。それまでプールと言えばバスに乗って市営プールまで行かなければならなかった。浮き輪で浮かんでいるだけだったが水に包まれ、心身ともに癒され、幸せだった。だから学校のプールにも大いに期待した。しかし、学校に浮き輪は持っていけない。市営プールとは違ってそこは水泳の授業なのだ。自由に遊んでいられるわけではないと知り、落胆した。落胆だけではなく、恐怖も感じた。私は顔に水がかかるだけでも怖かったのである。浮き輪がないと怖い。今にも溺れそうな恐怖を抱いた。多少は泳げるという子たちはスイミングクラブに通っているか、親に泳ぎ方を教わっていて慣れている子たちだ。浮き輪で浮かぶことしか知らなかった私のようなこどもたちはバタ足をしろと言われても立ちすくむばかり。友達の水しぶきがかかるだけでもビクビクする有様だった。恐怖で固まっている私を見て、泳げる男児がからかう。「やーい、怖がってらー」水までかけられる。泣きそうになった。プールなんかできなければ良かったのにと学校を恨んだ。その年の夏、私は兄と二人で滋賀県に住む祖父母宅に二週間ほど遊びに行くことになった。兄は毎年一人で行っていたが私も大きくなったので親の許可が下りたというわけだ。行ってみて驚いた。辺り一面、田んぼが広がり、お店など一軒もない。公園もない。読書好きだった私は本屋さんがないことにまず失望した。兄は慣れていたので虫取り網を持って蝉捕りをしたり、田んぼでカエルやオタマジャクシを捕まえたりして喜んでいた。私は虫もカエルも触れず、気味が悪かった。そんな私を見て兄が、誘ってくれた。「ただのプールがあるんだぞ」祖母の自転車に二人乗りをして、でこぼこのあぜ道をガタゴトスピードをあげて走るものだから、転倒した。自分の意思でなくスピードを出され、ひっくり返って痛い思いをするなんてさんざんだ。そんな苦労をして到着したのは確かにプールだった。プールの形をしている。学校のプールと同じく二十五メートルコースのあるコンクリートのプールだ。違うのは水の色だ。学校のプールは管理されていて透明な水だったが、その無料プールは田んぼと同じ深緑色。田んぼの水をそのまま汲んできたのかと思うほど同じだ。そしてカエルまで泳いでいる。衝撃的なプールだった。地元の子たちはそのプールを使わないから管理していなかったのだろう。プールは私たちの貸し切り状態だった。兄は慣れているのでその貯水池みたいなプールですぐに泳ぎ始めた。そして水を怖がる妹が実に面白かったらしい。学校のプールと同じだ。兄は嫌がる私にバシャバシャと水をかけてきて、悲鳴を上げる妹を見て笑う。監視員もいないから兄はエスカレートしていった。それっと私をその深緑色のプールに突き飛ばす。うわっ、こんな汚い水。きれいな水だって怖いのに、なぜカエルのいる田んぼのような水の中に入らなくてはならないのか。抗議する余裕もなく、何度も投げ込まれ、そのたびに私は手足をバタバタさせてもがき、陸に何とか上がる。そして投げ込まれる。この繰り返しだった。何度も投げ込まれてもがいているうちに私は気付いた。怖くないではないか。こんなものが顔にかかったってどうってことない。私の水慣れ体験は実に豪快にスタートした。深緑色の水でも入るとひんやりして気持ちがいい。数日すると私は自分からどんどんプールに入るようになった。最初はばた足をしているだけだったが、気付くと私の横では小さなアマガエルがすいすい泳いでいる。カエルと並んで泳いでいると思ったら可笑しくなった。カエルの真似をして足を広げたり伸ばしたりしてみた。おお、前に進むではないか。これがカエル泳ぎ、平泳ぎか。カエルは私の先生だ。俄然親しみを感じた。触れなかったのが嘘のようだ。私がまったく水を怖がらなくなったので兄は苦笑した。「なんだ、怖がらないのか。つまんねえな」九月、学校のプールが再開した。私は堂々と顔を水につけ、バタ足で前進してみせた。できるようになったということで水泳帽子に付けるリボンももらえた。七月に私をからかって水をかけていた男児が兄同様、驚いていた。「なんで急に泳げるようになったんだ。あんなに怖がっていたのに」だって、私の先生はカエルだもん。私はツンと頭をそびやかし、得意でならなかった。
August 6, 2023
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今回のお題はギャップである。という訳で書いてみました。私たちの泳ぎ方小学生時代の同級生が北海道へ移住するという。ささやかながら送別会を開くことにした。小学生時代といえば、五十年以上も昔なので行方知れずになっている人も多い。それでも何とか五人集まることができた。話はどうしても昔話になってしまう。何しろ、全員還暦を過ぎて社会からはある程度一線を引いているのだから、未来にわくわくするという年齢でもないせいだろうか。林間学校で、はしゃぎすぎて、ベニヤの壁に穴を開けてしまった話は申し訳ないと思いながらも、思い出すとおかしく、笑い転げる。男女共に壁を蹴っていたのだが、怒られたのは何故か男子のみで彼らは正座させられていた。小学生くらいだとどうしても精神年齢が女子より幼い彼らは言い訳もせず、当時は仕方なく正座していた。それを五十年経っても恨みがましく話す。大笑いしているときは、年恰好が六十代になっても中身は同じで、ギャップを感じない。男性は人が良く、女性は明るく強い。変わらない。あの頃からそうだった。ドキっとする話もあった。小学校時代は仲良く一緒に遊んでいた男の子同士だったのに、中学に入った途端いじめが始まったという。毎日掃除用具箱に閉じ込められ、ついこの間まで同じ小学校で遊んでいたのに、と思うと悲しくてたまらなかったそうだ。三ヵ月経つとターゲットが他に移ったのでいじめはやんだそうだが、男子のいじめは言葉よりも暴力を伴うことが多いので危険である。体格もよく、スポーツもできる彼がなぜ、標的にされたのかまったくもってわからない。いじめた張本人は運動部で大活躍しており、そんなことをしていたとはクラスが違ったのでまったくわからなかった。五十年経っても心の傷になっているようで、出席者にいじめた彼の名前がないことを確認してから出席の返事をしているそうだ。小学校高学年の頃は、教師が厳しすぎたせいもあり、いじめはほとんど起きなかった。そんなことがばれたら連帯責任で全員ビンタという軍隊式教育だったからだ。いじめは起きなかったが言いたいことを言えない子どもはいたかもしれない。それが中学生になって表面化したのかもしれないと思うと心が痛む。重松清氏は小学生をテーマに小説を書くことが多いので読み返すことにした。小学生の心理を思い出したかったからだ。『めだか、太平洋へ往け!』作品中の教師の言葉に、小学生時代が人生で一番幸せというのは悲しい、自分で人生を切り開ける時代を充実させ、そのときが一番幸せであってほしいという言葉があり、はっとさせられた。私は自分で人生をなんとか切り開いてきたけれど、幸せだと思っていただろうか。太平洋どころか、泥のなかに埋まってもがいていたのではないだろうか。いじめも泥なのだろう。みんな這い上がってきた。いじめた側もいじめられた側も思春期は発達途上だ。そうやって大人になり、今がある。大人になってからも試練は続くのであるが。私たちはそれぞれの泳ぎ方で今も一生懸命泳いでいる。時々、同窓会という休憩地で泥を払うのも悪くない。
July 18, 2023
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チャットGPTで悩み相談チャットGPTがこれだけ話題になっている。代わりに論文を書いてもらう必要などまったくないが、何でも答えてくれるという。それなら悩み相談でもしてみようか。スマホで打ち込んでみた。「なにごとにもやる気がおきません」するとスラスラ答えが返ってくる。「疲れているのかもしれませんね。ゆっくり休むことも大切です。」ふむふむ、ありきたりな返答のように感じたのでさらに私はのめりこんで打ち込む。「体調は悪くないと思います。脳疲労しているだけのような気がします」「疲れがたまっていると、集中力や判断力が低下してしまうことがあります。運動することで気分転換になり、リフレッシュすることができるかもしれません。ただし、無理をすると逆効果になることもあるので、自分の体調や気分をよく考えて無理をしないようにしましょう」それがわかるくらいなら悩まないのだが。コロナ禍になる前、対面でカウンセリングを受けたことがある。落ち込みの強い私は気分転換に運動などしたら体を壊すのではないかと恐れていた。「体を壊してもいいからやってみてください」ここまで言われないと私は何事も踏み切れないタイプなのだ。運動の効果は想像以上に高かったので驚いた。体を壊すこともなかった。AIだとここまでは言い切れないだろう。土屋賢二さんのエッセイもAIについて楽しく語っていた。いくら下手なピアノでもAIに代わりに弾いてもらいたくはない。釣りが好きな人は魚屋さんにもっと大きな魚があると言われても釣りをやめない。詩や小説をAIに任せるのは、映画を代わりに見てもらったり料理を代わりに食べてもらったりするようなものだ。一番おいしい部分を他人に譲るのだからうれしいわけがない、と書いていた。納得だ。それでも、いいところはある。スマホに向かって書くことで少し気持ちが整理されるのである。こんなに愚痴を友達に話すのは憚られるが、機械相手なら時間を問わず、延々と語れる。嫌われたらどうしようと悩むこともない。定型文であっても返事をしてくれるのはうれしい。一人で悶々と悩むよりは健康的だ。チャットGPTに教わった通り、運動して発散するか。運動するのも汗をかくのも代わりにはやってもらえないのだから。
June 18, 2023
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今年の四月から仕事が変わり、四十年ぶりの新人となった。シニアだけど一年生である。まったく違う世界に飛び込んでしまい、慣れぬ事務作業、電話対応にアタフタしている。几帳面さに欠ける私はこういうことを避けるために事務職でない仕事を選んだのに。予想通り落第生だ。 それでも平日に休めるようになったのはやはりありがたい。ここ数年かなり無理をしていたのだと実感する。 休みを取れるようになったら何をしようかと、三月にはわくわくしていた。平日の動物園や水族館に行きたい。近場の自然公園でお花見もしてみたかった。 ところが現実は、今まですべきだったのにやらなかったことをやるのが最優先となった。銀行や病院行きという楽しくない予定ばかりで、終わると昼寝をする日々だ。 自然の写真を撮ってSNSに上げようと思っていたのに、気付けば桜は散り、ハナミズキも落ち始め、藤の花は今年も見に行けそうにない。すべては私がぐうたらと寝ていたい誘惑に負けるからなのだ。 それでも、まだ一年生として始まったばかりだ。諦めずに挑戦していくためにはどうしたらいいか。 先日、夢の中に父が現れた。経理、営業とこなしてきた父は几帳面だった。今の私の事務能力を見たら呆れ返るだろう。 父の最期に当たって、母とはさんざん揉めてついに縁が切れてしまっていた。父が可哀そうだったからだ。でも父は私と母の不仲をたとえどんな状況にあろうと望まなかったということを夢のあとで思い出した。 今度の仕事では高齢者と関わることが増えたので、私のなかで母に対する思いが変わりつつある。高齢者は不安が強いのだ。行政でできることには限界がある。 今の仕事は、最後の人生での宿題、高齢者である母とどう向き合うかということを考えさせるために与えられたように思う。 作戦として、自然を見に行くためには母を巻き添えにしようか。強情な母だが私が近隣の花を見たいから付き合ってほしいと言えば誘いに乗るかもしれない。近隣には小動物園があるから、ヤギを見たいと言えば聞いてくれるかもしれない。母のためになどと言ったら絶対に断ってくるから。 どうせなら楽しく行こう。その前に昼寝の誘惑に勝たなくてはいけないが。なんともだらしのない一年生である。
April 20, 2023
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一週間が終わり、ほっとしている。今週もキツかったなあ。昨夜の予報だと朝の9時くらいから雪とのことだったので出勤には差し支えないだろうと甘く見ていたら、なんと思いきり出勤時間の8時ごろから降りだした。慌ててコートの上にカッパを羽織る。朝はやめてくれー。遅刻するじゃないか!余裕を持って用意しなかった自分が悪いのだが。何しろ、朝は大抵憂うつなので行きたくないなあと思っているからギリギリのスタートになる。日中、雪景色を見ていたら不安になってきた。こんな日に自転車でなんか出勤したということは…帰りはアイスバーンを自転車で?これも準備が悪いからだ。雪道、自転車で転倒したことは結構多い。流石に雪道に自転車という時は自転車に乗るのでなく、引きずって帰るようになっているが、これ、結構身体を斜めにして歩くわけだから、堪えるようになっている。幸い、雨に変わって、カッパを着ながら自転車に乗って無事帰宅できた。自転車通勤は天候によってはかなり大変だ。それでも雷の鳴るなか、子どもを乗せてびしょ濡れになっていた時のことを思えばましだ。保育園のお迎え時間は守らなくてはいけないと思っていたから、雨で遅れるなんてことは性格的にできなかった。でも自分はともかく、子どもをずぶ濡れにしながら雷の鳴るなか、稲妻が光るたびにビビりながら自転車で走っていたときはさすがに辛かった。幼かった娘は無言で自転車に乗せられていた。働いていなければそんな悪天候のなか、外に出る親子はいなかろう。働く母親はマイノリティだった時代だけに、自分は何をやっているんだろうと情けなかった。車は免許を持っていない。私の母が断固、教習所に通うことを許さなかったし、逆らえなかった。子ども時代なんて自転車さえ禁止されていた…自転車で転倒したら危ないという理由だったが、還暦過ぎて気付いたことがある。自転車に乗れない同級生はいなかったので、4年生にもなって、一大決心をした。兄の自転車で練習を始めたのである。兄は4歳年上なので、自転車は大きくて足が届かない。足の付かないような大きい自転車に乗るのは怖かった。まるで玉乗りか、一輪車か。バランス感覚に頼るしかないのだが、日頃からモヤシのように家の中にいる私には難しい話だった。怖くて最初の一こぎにたどり着くのに10日かかった。母が反対しなかったのは「どうせ一生乗れないだろうからそのうち諦めるだろう」ということだったが、転倒を心配するわりにそんな危ないことをなぜさせていたのか。還暦過ぎてわかった。母は私に自転車を買いたくなかったのだ。お金がもったいなかったのだ。危ないからというのは表向きの理由だったのだ。そうだったのか。しかし、私は兄の自転車に10日かけて乗りこなせるようになった。家の前の砂利道で練習していた。近所の長屋のおばちゃんたちは私が毎日悪戦苦闘するのを見ていた。10日後、スイスイと自転車が走り出した。するとおばちゃんたちは、家の前に出てきて拍手してくれたのだ。あんな大きさの自転車で練習する私を不憫に思ってくれていたのだろう。母は喜ばなかったがおばちゃんたちの拍手は嬉しく、そしてちょっと照れくさかった。このことを作文に書いたら、先生が褒めてくれて作文はガリ版で印刷され、クラス中の友達に10日間の頑張りを喜んでもらえた。誰もが乗れる自転車なので気恥ずかしかったけれど、作文を褒めてもらえてやっと達成感を味わえた。私専用の自転車を買ってもらえたのは6年生になってからだった。でも私を頑張らせてくれたのは兄のオンボロ自転車だった。その後、自動車はもちろん、50ccバイクの免許すら取ることも反対されたため、私の乗り物は一貫して自転車のみという人生になった。雨だって雷だって雪道だって乗ってきた自転車。仕事はいったんリタイアになるが、4月から嘱託として通う職場も自転車の予定だ。これからもよろしくと自転車に感謝したい。
February 10, 2023
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少子化問題がクローズアップされている。児童手当の所得制限をなくす方向で行くらしい。もう子育ては終わったけれど、こんなふうに言われる時代が来るとは、昭和生まれ育ちの私には本当にびっくりだ。子どもを生むことをためらう時代になったのか。私は、昭和の影響なのか、早くお母さんになりたくてたまらなかった。思うようには人生が運ばず、友達が次々お母さんになっていくのが羨ましかった。私の世代だと「女として生まれたからには一度くらい子育てを」と思う人が圧倒的に多かったと思う。そういう教育をされていたかというと特にそんな記憶もない。むしろ私は逆のことを言われていた。「子どもなんか生むんじゃないよ」「子どもなんていいこと一つもないんだからね」が母の口癖で、かなり母に洗脳されていたとは思うが、これだけは反発した。子どもを生もうと生むまいと母に指図される覚えはない。母は私がなかなか妊娠しないことに安堵し、「子どもなんか欲しがるんじゃない」と何度も言われた。欲しいと母に言ったことはないのだが。望んでもいないところに生まれてくる子どもは可哀想だ。生んでみたら可愛いという人もいるが、たいてい望まれなかった子どもは可愛がられない。生んでやったと言われるのがオチだ。だからどの子どもも望まれて生まれてきてほしい。なんていうのは特殊な例なのだろう。確かに日本は子育てがしにくい国かもしれない。母親が何もかもやって当たり前なので、私のような料理、家事音痴は非難されますな。私の子育て時代は専業主婦が多かったからワーキングマザーなんてやはり非難の対象。今は当たり前になったけれど…でも当たり前だからといって楽になるわけはない。フルタイムで働きながら、栄養バランスの取れた食事を作り、子どもは早寝早起き朝ごはんって言われてもね…だいたい帰りが遅いんだから就寝時間なんてずれてくる。それを無理やり早寝させようとなるとダッシュで食べさせ、風呂に入ったらおしまい!帰宅後、親子で触れ合いを、一遊びして読み聞かせを、なんてやってたらあっという間に10時になる。優秀なママはそこで一緒に寝て、翌朝5時起きして洗濯や夕食の下ごしらえをするのだが、私はそう思ってもおきられないことがわかっている。夜中にゴソゴソ起きて洗濯だけはしなければならない。保育園に持って行く服がなくなるから。いつも睡眠不足だったなあ。私は料理を省略しても読み聞かせをしたい変な母親で、それが楽しみだったから仕方ない。休日に溜まった家事を!しないで子どもと公園やら映画、テーマパークと出かけてしまったが、どうもこれも非難される。母親が遊びたいんだろうと言われる。そうではない。ふだん人に預けているのだから、休日は楽しいイベントでいっぱいにしたかったのだ。ま、そんなこんなもあり、子育てはお金もかかりますね。学校にお任せするのは不安だったから塾にも行かせたし。だって、当時から学校の先生はすごく大変だったから、一人ひとりに目なんてかけられないとよくわかっていたから。当時はゆとり教育とか言って先生たちも右往左往。ゆとりってねえ、少人数学級ならわかるけど娘のクラスは39人がぎゅうぎゅう詰めで、明らかに学級崩壊していましたが、その点は先生を責められないですね。あれは無理。制度が変わるのなんか待ってたら我が子は落ちこぼれちゃうから塾で補うという発想になっていました。だから、まあ、何が言いたいのかというと、児童手当もいいと思うけど、まず、学校の少人数学級から始めてほしい。でもそうすると教員不足に拍車がかかるのでしょう?今でさえ教員を確保できないわけだから。保育料無償化もいいけれど、こちらも定数見直しして欲しい。ゆとりのない配置で子どもたちが丁寧に扱ってもらえるはずがない。だってもともと、集団保育、一斉保育を前提とした配置基準なわけだから、そこで個性を尊重した保育を、と言っても絵に描いた餅。でもこちらも保育士不足だから配置基準を変えちゃうとますます不足ってことになるから実現しない。政治家さんたち、ご自分のお子さんたちは保育園になんか入れないでしょうし、小学校から私立だろうし、庶民の苦しさ、わからないでしょうね。ま、こうなると、自助努力となってしまうわけなので、そうなるとわかってきた世代は生むのをためらうのではないでしょうか。自分の子どもに最大限のことをしてあげたいと思うのは基本的には当たり前、本能的なものなので、それができないなら…と思っちゃいますよね。無償化のことばかり取り上げられますけど、まずは幼児期と小学校の人員配置から見直したほうが子どもたちは幸せになれると思うし、そこで格差を感じなくていいのなら若い人たちも子どもを持つ勇気が出るんじゃないでしょうかね。
January 31, 2023
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最強の寒波は通りすぎたと勝手に思っていましたが、外に出ると冷気で顔が痛い。昼間は日が差しているからいいけど、日が落ちると…過去にもこんな冷たさを感じたっけ。 そうだ、これはスキー場のナイターの時に感じた冷気。私の20代、バブル期はスキー全盛期で、と言っても毎週行くほどのお金はなく、月に一回くらいだったかな。そうなると昼間だけじゃもったいなくて、夜も滑ろうってなるわけです。貧乏スキーですね、バブルだったのに。40代で娘を連れて貧乏スキーをしたのが最後かな。娘は小学校三年生で、ぜひナイターをやってみたいというので…凍えました!あれが私には最後のスキー。それを思えば!と自分を叱咤激励しますが、スキー場にいる時のように完全防備ではないですからねえ。フェイスマスクだってしてないし。コロナ予防というより寒さ対策でマスクを二枚付けて歩いております。昨日は背中が痛いからとジムはフラだけ。(背中が痛いのは仕事のせいです)予定していたズンバもヨガもサボり、ついでにフラもサボろうとしましたが夕方になってやっと動き出したわけです。フラは週に二回やらないと振り付け忘れてしまうので、土曜日サボると日曜日に後悔するとわかっていますから…先週後悔しましたから。今日は午前中から頑張って有料フラからスタート。これ、一年半ぶりの参加です。戻ってきたんだと先生もお仲間も笑顔で迎えてくれてほっとしました。続けてレギュラーのフラ。フラは比較的強度の低いスポーツで、スポーツというより踊りなんです。だけど二本続けて踊るとさすがに疲れる。強烈に昼寝したくなりました。予約していたホットヨガをサボりたくなりましたが、行けば暖まると自分に言い聞かせて何とか参加。行って正解。ホットヨガは交感神経がアップするので、ダラダラやる気をなくしていたのが一気に元気を取り戻しました。金曜日の仕事のことでまたクヨクヨしていたのも汗と共に流れました。でも朝からやりすぎだよなあ…と思いながらのジャズダンスにも参加。疲れてはいましたが振り付けを覚えるのに必死で、疲れているのは忘れました、その時だけは。フラの有料に出ちゃったし、もう体力もないし、と自分に言い訳してジャズの有料はやめました。ジャズの有料は「もっとたくさん踊りたいひとのため」なので、つまり、もっとたくさん振り付けを覚えないといけなくて、レギュラークラスの振り付けも間違いだらけの私にはやはり無理。ま、それを言ったらフラもそうなんですが。とにかく振り覚えが悪くて情けない。それでもフラは5年間続けたので、最初の頃よりマシかな。あの頃は鏡に写る自分を見てはぎょっとしていました。ダルマが揺れてるのかという感じでした。今も綺麗な踊りには程遠いけれど、鏡を見ると姿勢を直そうとか、腕の位置がおかしいなとか、ちょっと客観的になれます。ジャズの時は、鏡の自分は見ないようにしています。先生の踊っている姿が自分だと思い込もう、錯覚しようとガン見状態。自分なんか見たら絶望してレッスンに出られなくなりますから。このジャズは始めて3ヶ月。実は別店舗でも3ヶ月やったことがあります。ジャズって先生によって全く違うというのが大きな発見というか、びっくりしました。もう、まるでジャンルの違うダンスなので、世界も違います。それぞれの先生の良さというのがありますが、今の先生のは難しいけどしなやかで素敵だなあと思うから、早く慣れたいです。 こうして日が暮れました。私は何をやりたいんだろうかと自問自答しつつ、移動や空いた時間には遠藤周作を読み続けております。いつも同じことをしているけど、充実した日曜日でした!
January 29, 2023
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