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徳島に来て、もう3週間以上が経とうとしています。ある程度の目算を持ってはいたのですが、ものごとというのは予測通りには進まないものですね・・・今ごろは神山の山奥にある家に住み、掃除をしたり家の補修をしながら、県内にある知人宅やWWOOFホストさん宅を訪ねたりしているはずだったのが、いまだ定住できる家もなく右往左往する中、ユウは阿南市の『トエック自由な学校』に通学を始めました。入学金、月謝、交通費などの出費に加えて、宿代も嵩み、おまけにユウが学校に行っている間はミンミの相手もしなければならず、とても仕事をする時間などありません。ユウの入学を決めたときは、それを逆手にとってミンミとの残り少ない時間を楽しもうと考えていたのですが、住む場所も定まらない今、ユウの遠距離通学が金銭的にも精神的にもかなりの負担となってしまっています。「通いたい!」というユウの希望を叶えてやりたい気持ちが第一にあったのですが、せめて家が落ち着いてからにすればよかったなぁ・・・といっても後の祭りなので、まずは前を向き直すことからですね。通学についてはいろいろと考えました。神山から阿南までは車で約50キロ。この遠距離を通学させるのか、それとも阿南に居を求めたほうがいいのか?結論としては、通ってもらうことにしました。なぜなら、臨海工業都市とも言える阿南には適当な田舎の家が見つかりそうにないのです。家があったとしても、周囲とのコミュニケーションの面で相当難しそうな気がします。確かに学校関係では知人が増えるであろうと予想されますが、市内に住んでいるのは2家族だけ。残りはみな徳島市内などから集まって来ているのです。通学が楽になるよう学校の近くに住むと、どうしても町中の暮らしをせざるを得ないし、ユウがいない間、ミンミはいったいどこで遊ぶのか?という話になります。田んぼに入って泥だらけになれるのはトエックの子どもたちだけに許されているのであり、周囲に田畑がある家に住んだところで、そこで遊べるわけではないんですよね。それならやはり神山に暮らし、ミンミと一緒に家を直したり畑を作ったりしながら過ごしたい。そして、夜や休日にはユウにも協力してもらえば、私も少しは仕事や勉強ができるはずです。遠距離通学だからこそ、週に1日ぐらいは自主的に休んでアンスクーリングの日としてもよいと思いますし。神山から阿南への途上となる町中に仕事場を持つことも検討しましたが、それはミンミが学校に通い始めるようになってからでも十分だろうという結論に達しました。借してもらえるはずの山奥の家をなかなか明け渡してもらうことができないので、知人が心配して紹介してくれたもう少し徳島市寄りの集落の家の大家さんと、今日の午後にお会いできることになっています。こちらの家は状態がかなり良く、その分家賃が高い可能性もあるのですが、通学にはだいぶ便利ですし、日当たりもよく、畑地も広く、栗や柑橘類に囲まれたなかなかのロケーションです。高圧送電線が近いところに見えることだけが難点なのですが、これについては近いうちに測定器を取り寄せて測ってみようと思っています。いろいろありますが、ご縁をたどって、きっといちばんよい状況に進んでいくのだろうと考えています。(あくまでも楽観的な私・・・)
2009/11/23
「最近ブログがぜんぜん更新されていないよ~、生きてるの~?」という問い合わせをまたもやいただいてしまいました。みなさん、お気にかけてくださいましてありがとうございます。また、ご心配をおかけして恐縮です・・・私は元気です!ようやく移動が決まりました~!10月半ばには徳島へまいります。神山町というところに小ぢんまりしたいい家が見つかりました。たいへん働き者の70代女性が家主さんなのですが、私の前に話が決まりかけた方がおられるそうで、今の時点ではまだ100%お借りできるかどうかわかりません。でも、仮にそこがダメでもとりあえずもう徳島行っちゃおう!と考えています。だって、ここはもうストーブを焚かなきゃならない寒さが始まっていますし、このまま冬を迎えたら、春(4月)までは動けないですからね!町中でもなんでもいいから、とにかく家を借りてしまって、そこに住みながら田舎の家を探し続けます。ユウは、阿南の「自由な学校」に通う気になっているようです。34分かかる汽車通学、その前に40分も車に揺られなければならない・・・ということに関してはちょっとブツブツ言っていますが・・・確かに私も、今は頭の中の計算だけで済みますが、実際に始めてみたら週に5日の送迎はキツいと思います。ま、何とかいい解決策が見つかるだろう!と楽観してはいます。友達が増えてきたら、友達の家に週に1日泊めてもらうとか、私が仕事場として貸してもらう徳島市内のマンションに1~2泊させてもらうとか、いろいろ手はあると思いますのでね!そんなことよりも、ユウがいない平日の昼間というのが、私とミンミにとってどれだけ寂しいかなぁと思うと・・・本当は、この自由な学校に週に3回ぐらいだけ行かせてほしいところですが、「普通の学校を1日だけ休んで、その日だけ来る」というお子さんの受け入れを中止したそうなので、わが家の希望はおそらく通らないでしょう。ミンミは、同じ敷地にあるフリースクール幼稚園に通えたら楽しいんだろうけど、こちらは定員いっぱいだし、無理を押して入れてもらうほどの気持ちが私にもないんですよね。まだまだ母親と一緒で十分だと思うので、近所に適当な遊び友達が見つかったらいいなと思います。
2009/09/15
あっというまに5月、もうGWに突入しております。しばらく日記を書かずにおりましたら、心やさしきメールを幾つかちょうだいしました。どうもありがとうございます、元気でやっておりますよ!といっても実はかなり慌しい毎日を送っていました。今日はちょっと息を入れていますが、またすぐに怒涛のような忙しさがやってくる予定です。日記を書かなくなっている理由のひとつに、インターネット環境があります。ISDNはやはり遅く・・・PCに向かい、ネットに接続すると時間をだいぶとられてしまうのです。そんなわけで、「引越しして高速通信ができるまでは」なんて思ってしまうと、一時的に離れているつもりでズルズルと・・・このまま住処が見つかるまで更新できなくなってしまうんじゃないかとも思ったりしています。
2009/05/01
つい最近、ネットで見つけた徳島のフリースクール、「トエック自由な学校」に惹かれて、ユウを1年通わせてやることはできないかなぁと思案していました。ずっと探していたんです。心から共感できるようなフリースクールがあったら、そこへ出入りさせてもらうか、または近くに住んでいるだけでもいいんじゃないかって。今まで何をしてもピンと来るところが見つからなくて、つい先日も、「あ~あ、『自由な学校』はないのかしら、この日本には・・・」と思いながら「自由な学校」と入力して検索したら、このフリースクールが引っかかったのでした。この学校が大切にしていることは、私が家庭の中で大切にしたいと思っていることとほとんど重なるんです。「なかなかいいんじゃないか」と思えるようなところはこれまでにもまったくなかったわけではありません。でも、細かいところで、どうしても共感できないところがいろいろとあったのです。でも、この学校のあり方は、本当にシンプルで自然ですばらしい!私がとくに気に入っているところは、・ルールを一般化しない・「これはダメ、しちゃいけない」というのではなく、 「これをされると私はイヤ」という、いわゆるI(アイ)メッセージを伝える・食事は自然農に近い農法で、学校の田畑で作った素材で和食中心・しかも食事の時間帯は決まっているものの、 「みんな揃っていただきます!」ではなく、それぞれのペースで食べる・食べ物の好き嫌いについてうるさく言わない厳しい躾をしないと子どもは野放図にだらしなくなるかというと、実際にはそんなことはありません。私は、一般化したルール(臨機応変でなく、融通がきかない)が嫌いです。子どもたちにも、決まりだから守るのではなく、それぞれの価値判断や思いやりの心で行動できる人であってほしいと思っています。また、食事についてはそれぞれの家庭の信条や主義(と言葉にしてしまうとカタい感じがしますが)を尊んでほしいと思っています。学校があれこれというのは筋が違うように感じるのです。(以前、うちの近所の小学校で、私が台所に砂糖を置いていないことについて非難がましい言い方をされて不愉快でした・・・)私は、今の時代、人間はなぜこうもあらゆるものを自分たちの食糧にしているのだろうと疑問に思っています。あれもこれも食べたい、だからピーマンもナスもトマトも椎茸も栽培しています。また、鶏や牛を畜舎に閉じ込めて、いのちの素となる卵や乳を横取りしています。ここに挙げたすべての食べ物は、たとえなくなったとしても私たちが生きていく上で困るわけではないのに、なぜすべてを好き嫌いなく食べなければいけないのか、どうにも理解に苦しみます。食べ物を大切にする、食べるものがあることをありがたく思うということとはまた別の話だと思います。また、みんながそろって食卓につき、お父さんやリーダーの号令で「いただきます」と手を合わせてからでないと食べてはいけないような雰囲気が私はどうも苦手です。この学校の食事の仕方を知ったときには、本当にうれしくてしかたがありませんでした。何より、代表の方は、かつて私がこのブログでも書いたように、作物があるがままでよいと考える自然農と、子どもたちがあるがままでいることを重ねて考えられる方なのです。これまで、こうした考えを基にした学校に出会ったことはありません。ずっと学校へは行かずに、世の中で「普通」といわれる偏りから離れたところで育ってきたユウですが、私がニュートラルだと思える学校があるのなら、そこへ通わせてやりたいな・・・子どもをどう育てたいか、それは人として自分がどう生きたいかという問題につながるはずで、そうした大きな問題について共感できる人たちが周りにいる暮らしを私自身も求めているし、ユウにもそのような場所にいさせてやりたい・・・そう思って問い合わせてみたのでした。今日、返事をいただき、新一年生が4人入って18人の全校生徒に2人のスタッフさんというスタートで、ユウを体験入学生徒して迎える余裕がないというお話でした。放課後や土日に友達と遊ぶことを何よりの楽しみにしているユウとしては、私の勢いに巻き込まれて引越しをしなくて済むことにホッとしているかもしれません。でも、次にはミンミが控えています。ユウが同じ歳だった頃に比べれば、学校というものの存在もシッカリわかってしまっているので、きっと来春は入学することを望むと思うのです。それまでには何とか考えなければならないなと思っています。1年かけて、徳島との間を行き来して、私たちがしたい暮らしをしながら、自由な学校に通うことができるかどうか。今住んでいるところを中心に、自由な学校をもうひとつ作ることはできないかどうか。いろんなことを考えてみたいと思っています。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2009/04/06
「ピアノを習いたい!」と思うきっかけになった曲、モーツァルトの『トルコ行進曲』を終了して、昔よく店でかけていたウォン・ウィンツァンの『夏の風車』も終了して、レッスンを始めて1年半のあいだに習得した曲すべてをおさらいして、今月から取り組むのはショパンの『子犬のワルツ』です。先生から楽譜を借りて、まずは予習をしているところです。その昔、ピアニストの中村紘子さんがマリームだかクリープだかのCMで弾いていたのを聴いた覚えがある程度だったのですが、譜面をたどって弾いていくうちに、思っていたよりもずっと素敵な曲だなぁとウットリしてきました。どうしたらこんなふうに音符を紡ぐことができるのか本当に不思議。ショパンは「音楽の詩人」と評されているらしいのですが、確かに頷けますね。でも、参考にしようと思って図書館で借りたCDも、You Tube で見た演奏の動画も、なんだか速すぎて味気ない感じがします。これはもうちょっとゆっくり弾いた方が私の好みなんですよね。最初はつっかえつっかえなのですが、だんだんと音楽になって来るのが本当にうれしいんですよね。もちろん毎日ピアノに向かえるわけではなく、しかも一度に弾けるのはせいぜい10~20分がせいぜいです。誰にも邪魔されずに練習できるようになるのはいつの日か。ピアノと楽譜があれば、子どもたちが巣立とうが歳をとろうが退屈なんてあり得ない!という気がします。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2009/04/05
ミンミの遊び友達がひとり、遠くへ引っ越してしまうことになりました。九州からわが家にひょっこりやってきたお母さんと女の子・・・ひと月半ぐらい滞在した後、女の子は地元の小学校に入り、しばらくのあいだ定住するために住まいを借りたのです。10年後に取り壊される建物だと聞いていたので、もしかしたら小学校卒業するまでいるのかなぁ?と思っていました。彼女はミンミより2つお姉さんなのですが、ひとりっ子だし女の子だし、うちに来ると本当によく遊んでくれるんです。お互いとても楽しそうで。でも、学校に入って、近所に引っ越してからは、なかなか遊ぶ機会がなかったのですよね。今回は、「最後にどこに行きたい?」とお母さんがきいたら「ミンミのお家」と言ってくれたんだそうです。それで2~3日、お母さんが手続きや片づけをしている間、遊びに来てもらうことになったのでした。一昨日は、お昼に迎えに来たお母さんも一緒にカレーを食べてもらいました。「やっぱり松浦家の食事がいちばんホッとする」と言ってくれたお母さん。それならもっと食べに来てくれたらよかったのになぁ・・・とても遠慮がちな人なので、この日もミンミと私とで口々に誘って上がってもらったのです。お昼までという話だったけれど、その後も2人は離れがたい感じだったし、お母さんはまだ用があるというので夕方まで預かることにしたのですが、こうしてお別れする段になって、これまでもかなり気を遣って遠慮していたらしいことが感じ取れたのは残念でした。知らない土地で、お母さんと2人きりの暮らしをしていた彼女は、わが家でミンミと遊び、ご飯まで食べて帰ったときには本当にうれしそうにしていたということでした(お母さんの車が故障したということで、一度、学校帰りの彼女を夜まで預かったことがあったのです)。引っ越した先では、もうちょっと図々しくなって家族ぐるみで付き合えるようなお友達ができるといいね・・・と、ひとりっ子でシャイな彼女のためにも願う私でした。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2009/03/29
沖縄に住んでいる友人から、アフェリエイトの案内が届きました。このアフェリエイト(ブログなどに広告を貼って、注文に至れば報酬がもらえるというシステム)というのがなんとなく苦手で、今まではどちらかというと避けていたのですが、「いくらいいということがわかっていても、言っているだけでは普及しません」という一文に啓発され、麻食品の普及に一役買ってみることにしました。「ヘンプキッチン」さんは、麻の実を使った食品の通販専門サイトだそうです。私が沖縄で店をやっていた当時に扱っていた商品もあります。今はバレンタイン前ということで、麻の実入りのチョコレートも販売しているそうで、とりあえず今日の日記にチョコのバナーを貼り付けてみることにしました。どうですか?おいしそうですよね~。麻がどんなふうに体や環境にいいかは「ヘンプキッチン」さんのサイトでご覧ください。私の母が子供だった時代にも、麻はどこの農家でも栽培していたような生活に密着した作物でした。ところが戦後、アメリカの指示で麻は庶民の生活から姿を消し、「大麻=マリファナ」という悪いイメージだけが残りました。最近になって、麻のパワーを見直そうという動きが活発になってきましたが、同時に大麻吸引や大麻所持で逮捕される人が目立っているように思います。これは私個人の意見ですが、麻の普及を阻みたい勢力(たとえば石油業界など)による圧力のひとつではないかと考えています。「大麻=マリファナ=ジャンキー=危険=違法」というイメージを今ここで強化しておかないとならないということなのでしょう。石油のような限りある資源で儲けている人たちは、その限りある期限内ぐらいしか自分は生きないし、その間に稼げるだけ稼いでいい思いをしたいということが優先であり、残された地球とそこに住む人々の暮らしまで思いやる心がないのだろうなぁと残念に思います。私も言うだけじゃなくて、ひとつ、またひとつと小さな行動の積み重ねをしていこうと思っています!・・・という日記をアップしようとしたら、なんと楽天以外のアフェリエイトは表示禁止なのだそう~。ご興味のある方はMOMのリンクページからいらしてくださいませ。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2009/02/08
ゆうべは友人やそのまた友人が母の留守宅に集まってくれ、蕎麦打ちをして楽しく過ごしました。ミンミはそのまま疲れ果てて「泊まる!」と言うので、母のベッドを借りることにしたのですが、一夜明けてみると、水道の蛇口から氷柱が下がり、お鍋に残った蕎麦つゆもミゾレのように凍っていました。富士山から昇る太陽を窓越しに眺め、ミンミを起こしてから自宅に着替えを取りに行くと、驚いたことに、家の水道もすべて凍りついています。かなりの冷え込みだったんですね。母のベッドは毛布が暖かく、湯たんぽも入れていたのでほとんど寒さは感じなかったのですが。午前中のうちに近所に住む伯母の家に新年の挨拶。ミンミは恒例のお年玉をもらってご機嫌です。私が干してミンミが袋詰めをしたヤツガシラの芋茎をお年賀に渡してきました。母の家を戸締りしたりして家に戻ると、ミンミの父親からの贈り物が届いていました。みかんやらお節の売れ残りやらが詰められた箱。薪ストーブに火を入れて、さっそく杵つきの切り餅を焼きました。練りゴマと甘酒でたれを作ってみたらとても美味しくて感激。お餅ってやっぱりお正月らしいですよね。夜は弟の結婚式でもらった白い大皿を初めて下ろし、カマボコや黒豆、なます、きんとんなどお節を盛り付け。2人きりだからちょっと淋しいけど、それもまた楽しい元旦の夜でした。 貝割れ大根の隣りは『エリンギのあわび風』 四角いのは『アマランサスのテリーヌ』 どちらも身延自然農園"風"のマコさん作をいただきました それにしてもこの「日付スタンプ」ってなんとかならないのかな~!!! 頼んでもいないのにいつの間にかONになってるんですよ。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2009/01/01
今日で2008年も終わりです。27日の新月ワークショップin身延を最後に、もう年内は何も仕事をしないぞ~!と思っていたのですが、滑り込みで1件ホメオパシー相談をお受けすることになりました。ちょうど子連れシングルの友人が時間を空けてくれるということだったので、それじゃ2時間ばかりミンミを預かってもらってお受けしよう!と決めたのです。相談する方にしてみれば、スッキリして年を越したいところでしょうし、私もまた一年の締めくくりの日に人さまのお役に立てたという充実感で満たされました。ありがたいことです。ホメオパシーの仕事に関していえば、この一年を振り返ると本当にたくさんのクライアントさんの相談を受け、ほとんどすべての方に改善が見られています。ご本人やご家族はもちろん喜んでおられますが、私も同じぐらい嬉しく感じるのです。生後1年にも満たなかったミンミを抱えて卒業して以来、身近な方たちを中心に細々と活動して来たのですが、100%の自信を持ってレメディーを選ぶことが難しい時期もありました。勉強したくても子どもを置いて外へ出ることができず、講義の受講はあきらめて書籍を取り寄せ独学を始めました。今年のはじめからは、少しずつ外に出て実績のあるホメオパスから学んだり、海外書籍の読み合わせなどにも参加できるようになり、理解がどんどん深まっているのを感じています。確信を持ってレメディーを選び、それによって変化していくクライアントさんとともに、自分自身も癒しの旅を歩んでいるような気持ちになります。人生にはいろいろな躓きがつきものです。あちこちに障害物が置かれた道を歩くことこそが人生の醍醐味といえるのかもしれません。人は躓くことによって初めて自らを省みる機会を得、実はそこからが本当の始まりなのだと思います。私はホメオパスなので、躓きからホメオパシーを求めることになった方々のご相談を受け、役立てるよう力を尽くします。たまたま身近にいらして、何かの縁あって私のところに来てくださった方としかお付き合いはできませんが、お話した後には、「この方が私のところに来てくれて本当によかった!」といつも思います。そして数ヶ月の後、その方が「ホメオパシー出会って本当によかった!」と思ってくれれば、それが何よりの幸せだと思っています。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/12/31
3回連続の新月ワークショップ、最終回の昨日は『みんなで作ろう!お節料理』というテーマで、私と主催のマコ(宮川昌代)さんとがレシピを出し合い、11人の参加者さんたちと5種類のお料理を作り、前日に作り置きしておいた6種類と合わせて試食をしてもらいました。ほかに雪鍋フォンデュ、2種類の雑穀グラタン、いちごをトッピングした雑穀クリームのタルトなど実に贅沢なランチになりました!みんなで作った5種類1 ゴボウのスペアリブ風2 板麩と高野豆腐の中華チャーシュー風3 サツマイモのみかん煮4 干し柿と梅酢で味付けた紅白なます5 にんじんのグラッセ サラダ風作り置きの6種類 1 丹波黒豆煮2 しょい豆3 カボチャとリンゴのフルーツきんとん4 しいたけの鉄火煮5 エリンギのあわび風6 ゴボウの丸煮こぶ巻き(しいたけの鉄火煮だけ、あいさつしている間にこげてしまってごめんなさい!)予定が狂ってミンミがついてくることになり、どうなることかと気を揉みましたが、約束を守っておりこうさんにしていてくれました。2歳お兄ちゃんのHくんがお母さんと一緒に来ていたので、一緒に遊んでもらえて本当に助かりました!こういったお料理を、弁当にして詰めて売ったり、お料理の会を開いたりと楽しんでいた時期があったのですが、今やわが家の食卓はまったくもってシンプルになってしまいました。プロパンガスをやめて薪とカセットコンロにしたこともあり、また冬はとくに寒くて台所に立つ時間が減ることもあり、こんなご馳走を作る機会はまずありません。でも、みんなで何かをやるって楽しいですよねぇ。しかしながら、私は12月に入って突如体調を崩し(レメディー使わないでやり過ごしてみようと試みたところ3週間もズルズルと鼻水を垂れ流し続けました!)、続いてミンミが発熱し、ユウや母は沖縄へ行ってしまい・・・とちょっとした苦労が続いた後だったためか、この一日を終えてドッと疲れが出るのを感じました。今年に入ってからは、弟の結婚式を終えて帰った翌朝とほぼ同じような感じで・・・といっても私の場合、それが疲れた日の夜~朝だけでキレイさっぱり終わってしまうのですよね。そしてまたフツフツとエネルギーが沸いてきます。このたくましい心身に感謝。今年最後の勉強会も終わったし、これでもうやること何もナシ!となるとまた別のことで忙しくなりたい(というわけじゃないんだけど、他にやることが残っているから仕方なく)私なので、年内バタバタしていることと思いますが、とりあえずはお疲れさま~!~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/12/28
ちょっと前、近所の有機農産物売り場で見つけたかりん。一個70円から100円という手ごろな値段と値段と、いかにも庭の木になった実をもいできましたという感じの素朴さに惹かれて買っておいたのです。母に預けてあった大きなガラス瓶に、今年は種を入れずに薄くスライスして、喜界島の粗製糖をかりんの半分ぐらい入れてシロップを作ることにしました。はちみつがない(はちみつはもらいものだけで、わざわざ買うことをしないんです。蜂さんがせっせとためた蜜を横取りするみたいで気が引けるため)からと思ったのですが、よくよく棚を探してみたら600グラム入りの蕎麦蜜が見つかったので、半分は蜂蜜用にと取って置きました。ところが残念なことに、スライスして瓶やタッパーに入れておいたかりんにカビが生えてしまい・・・ミンミが熱を出したり、あれこれやらなければならないことがあって、結局、半分近くのかりんが犠牲になってしまいました。まあ仕方のないことではあるのです。体はひとつしかないし、時間は一日24時間しかないんですものね。やろうと思ったことすべてはできません。かりんちゃん、ごめんなさい。粗製糖をまぶして無事だった分は、ときどき瓶を振ってあげなければなりません。だんだんといい感じになってきていますよ。かりんがあるあいだじゅう、ミンミは「いいにおい~!」と言ってました。そのままかじりつきたくなるような、甘い香りがするんですよね。でもそのまま食べてもぜんぜん美味しくない、不思議な果物です。早くシロップにな~あれ!古いシロップを小瓶にあけたので、蜂蜜漬けのかりんを使ってジャムを作ってみようかなと思っています。ミキサーで砕いて、薪ストーブの上でグツグツと煮込むだけ。といっても取り掛かるのに時間がかかってしまいます。無駄にならないようこちらは早くやらねばね。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/12/26
たこ焼き(風)を作ってみました。カセットコンロを買ったとき、カセットコンロ用のたこ焼き器が横にあって、ついつい買ってしまったもの・・・カステラみたいなお菓子を作ったりはしていたのですが、冷蔵庫に入れっぱなしの赤カブがあったので、これをさいの目に切り、たこに見立ててみてはどうかと思いついたのでした。全粒粉、塩、大根、赤カブ・・・でどうかなぁと焼いてみたら、なかなか美味しいではありませんか!ソースには醤油をちょっと混ぜてみました。これ、炊いた雑穀を入れて焼いてもきっと美味しいと思います。次はモチアワ、モチキビなど入れて試してみたいと思います。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/12/20
ラクになるっていいことですよね。今日も、8月に母と子相談を受けたお母さんが、「どうしてこんなふうになるんだろうって不思議!私とっても辛かったんですよ~、なのに今は・・・」と久々に会うなり明るい笑顔で駆け寄ってきてくれました。ホントにね。不思議と言えば不思議だし、当然と言えば当然という気がします。人はみな、自分が自分であると信じ切っているけれど、実際にはこの自分というものが、いつの間にか自分じゃなくなってしまっているからいろんな妄想や恐怖に悩まされるのです。いつでも自分自身であることさえできれば、ちっとも怖くないし、何の心配も要らないんですよね。とりつかれたように子どもをキイキイ叱ることもなくなります。無駄なケンカもしなくなるし、つまりエネルギーが正しくまっすぐ使えるようになるんですよね。このようなクライアントさんたちの笑顔をシッカリと確認できるように、ホメオパシー相談のフォロー期間を1ヶ月から3ヶ月に延ばすことにしました。その分、仕事は少し増えてしまうかもしれないけれど、最近はミンミもだいぶ聞き分けよくなってくれているのです。ご縁のあるみなさんが、知らぬ間に肩の上に乗せてしまった厄介な重荷を取り払い、力を抜いてラクに生きられるよう、お手伝いをしていきたいなと思っています。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/11/29
いやはやビックリ。とうとうやってのけました、あのミンミがお泊まり!ユウと一緒にではありますが、近所の4兄弟の家に一泊したのです。しかも今回は私が東京へ行っていたので、途中で「やっぱり帰りたい・・・」となっても私の母の家に連れて行ってもらうしかないという頼りなき保証の中でした。お世話になったNさんご一家、ありがとうございます。「あのね、Tくんのお母さんが背中マッサージしてくれて、気持ちいいなぁと思っている間に寝ちゃったんだよ」とミンミ。よかったねぇ、やさしくしてもらえて。子どもってこんなふうに成長していくんですねぇ。ミンミが背中をさすってもらっている頃、私はと言えば、やはりまたひとつの成長を目の当たりにしていました。昔々、ミンミぐらいの歳だった私の可愛い小さな恋人と十数年ぶりの再会をし、夜を徹して語り合い、すっかり大人になってしまった彼に驚いていました。「人はこんなふうに育っていくものなんだ・・・」かつては私にベッタリ甘えていただけの彼が一人前の大人になっていたことは、とても嬉しいけれど少し淋しい。ミンミがひとりでよそに泊まれるようになったというのも、頼もしく嬉しいことだけれどやっぱり母としてちょっと淋しいことでもあります。でも、それを手放していく必要があるんだよなぁって思います。巣立っていく力を、ただただ見上げて見送るのが母の務め。そんな気がしているのです。
2008/11/24
懐かしい人にネット上で再会しました。私がまだハタチそこそこだった頃、東中野のレトロなアパートで隣の部屋に住んでいたお姉さん。いわゆる「東京ロッカーズ」時代、とあるインディーズバンドでボーカルをやっていた人なのだけれど、当時すでに37歳。バンドもやめ、離婚して、ひとり気ままに暮らしておられました。ご主人が引き取ったというひとり娘のミュウちゃんが、私の叔母が住む町に暮らしているということがずっと記憶にあったのですが、その叔母と、叔母の娘で私と2日違いで生まれた従姉と久しぶりに会い、なんとなく一度会ったきりのミュウちゃん父子と彼女を思い出していたのでした。「ネット時代だもん、調べたら何かわかるかも!」と思い立って探してみたら、ありました!「長年の沈黙の後、2007年に詩集を上梓」との紹介だけでなく、彼女のブログまで載っていました。「本を出したい。バンドの活動もそのための布石」と彼女がずっと言ってたことを思い出しました。「何でもやってごらんよ、今から始めたら私の歳までには17年もある。ピアノを始めたってピアニストになれる」って言ってくれたことも。そのピアノ、去年から始めて今ようやくサマにはならないまでも曲を弾くことができるようになっています。忠告に従ってすぐに始めていれば、今ごろはホントにピアニストになれていたかもしれないのにね(笑)!鹿児島のご実家と折り合いが悪いと、ずいぶん堅苦しいご両親なのだと聞いていましたが、その親御さんも亡くなられ、ひとり娘だった彼女がお家を継いでいるようでした。数えたら23年も経っているんですもの。いろいろなことがあったんでしょうね。お姉さんのような叔母さんのような存在だった女性です。いつかどこかで、本当の再会を果たしたい。そう願っています。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/11/19
今日は週に一度のピアノのレッスンがありました。『トルコ行進曲』がいよいよ仕上げに入ります!思えば私がピアノを習い始めたのは、わが家にWWOOFステイに来たウィーンのピアノの王子様が弾いてくれたこの一曲がきっかけでした。スタートから1年3ヶ月を要しましたが、第一の目標をクリアできそうです。ですが、本当に弾きたいなと思うのは、もっとシットリした癒し系の曲なんです。「激しいアップテンポの曲のほうがあなたには向いているみたい」と先生に言われているのですが・・・ポロロン、ポロロ~ンという感じのゆっくりゆったりしたメロディーを奏でるのが夢なんです。その第一歩として、沖縄で店をやっていた頃によくかけていたウォン・ウィンツァンさんのピアノコレクションという楽譜を見つけ、注文しました!「弾きたいのはどういう曲?」と訪ねられて思い浮かぶのはウォンさんのようなピアノだなぁとずっと思っていたんですが、紛失してしまっていたウォンさんのCDが母の家から出てきたんです。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~勢いづいてネット検索してみたら、私のとくに好きなこのCD『香港人形(Asian Doll』に収められている『運命と絆』その他の名曲が載っている楽譜を発見。あと2~3日もしたら近くのセブンイレブンに届く予定なので、来週はこれを先生に見せて、私に弾けそうなものを選んでもらおう!と~っても待ち遠しい気分です。
2008/11/18
最近、ユウは学校にお弁当を持って行かず、昼休みになると歩いて家に帰ってくるようになりました。それまで考えたこともなかったのですが、なかなかいい感じです。なにせ学校は歩いて5分そこそこのところにあります。つまり往復しても10分。あったかいできたての食事を家族とできるなんてラッキーなことです。今日はわが町で就学前検診があったそうです。本当は行きたくないんだというお母さんと立ち話をしました。ユウは就学前検診には行きませんでした。ミンミのときも、私はたぶん連れて行かないと思います。数値で子どもの成長を測ることに意味があるとは思えないし、測らないことによる不都合がどこかにあるとも思えません。私の場合、「行かなければならないのですか?」とお伺いを立てることはしないのです。給食を食べずに弁当や帰宅とすることについても、「給食は食べません。弁当を持たせます」と言ったら、学校はそれを拒否しませんでした。ユウにしても、「弁当持ってこなかったので家に帰って食べます」と言って出てくるのだと思います。「みんなが好き勝手を言い出したら大変なことになる!」と言われそうですが、一度みんな好きなようにしてみたらいいんじゃないかと思います。案外、不都合なことなんてなにひとつなく、すべてうまく行くのではないかというのが私の予想。わけのわからないルールに従ったり、個人や家庭の都合よりも集団の統制が優先されるようなことにはどうしても我慢がなりません。学校(とりわけ公の)というのは、個人が好き勝手なことを言わずに集団に従うように、つまり「戦争に行けと言われたら無条件に従うような」素直な人間を養成するために存在するのではないかと思ったりしています。●社会見学に出かけるということで、本当に久しぶりのお弁当持参。豆腐マヨネーズを入れる入れないでモメて、残り半分は「自分で作るよ・・・」ということに。前夜になって「サンドイッチがいい!」というので、何年ぶりかでホームベーカリーのお世話になりました。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/11/17
うちから2時間もしないところに住んでいる叔母が母のところへ遊びに来ており、目的は紅葉見物だというので、数時間ドライブに出かけました。「田貫湖の紅葉が見ごろだとラジオで言ってた」と母がいうので、まずは田貫湖へ。到着すると小雨がそぼ降っており、外へは出ずに車内でシートを倒し、母と叔母が作ってくれたお稲荷さんを食べました。湖畔の紅葉は確かにきれいなのですが、なんだか物足りない感じがした私は、2人を本栖みちへ連れて行くことにしました。下部温泉へ向かうその道は、たくさんの山に囲まれていて紅葉の季節でなくても本当に美しい景色が楽しめるのです。きっと今ごろは色とりどりでますます素晴らしいはず。予想はピッタリで、母も叔母も圧倒されたようでした。『道の駅しもべ』を最終地点として、お土産やら柿(干し柿用の柿がたくさん売っていて!)やら買って折り返し。往復1時間もかからずに本当に素晴らしい景色を堪能できるので、ここはまさに穴場ですよねぇ。ミンミは友達と遊んでいてくれたので、大人だけの時間を過ごしました。まだ慣れなくて不思議な感覚なのですが、これからどんどんこうやって親離れが進み、子ども抜きの外出が当たり前になっていくのかな。ちょっと淋しい気もしますね。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/11/15
ホメオパシーに関心を持たれている地元の獣医さんたちに、2時間ほどお話をしてまいりました。ふだん牛乳とも牛肉とも対面する機会のない私としては、酪農地帯に住んでいるのは完全なミスロケだと思っていたし、この土地の産業とは永遠に無縁だろうという気がしていたのですが、意外な接点ができたことにはビックリです。私自身は牛乳を飲むことは滅多にないのですが、バターやチーズなどの乳製品はときどき摂っています。とはいえほとんどが輸入やオーガニックのものなので、やはりこの土地で摂れたものとはあまり関わりがないのですが、本当なら四里四方とは言わずとも、なるべく近場でできたものを食べていくのがいいわけですもんね。地元がよりナチュラルな方向に進んで行くことは私としても嬉しく、ありがたいと思います。地域にはすでにホメオパシーを取り入れてくれている牧場があり、「ホルスタイン牧場」と書かれたその看板が、いつの日か「ホメオパシー牧場」と書き換えられたりしたら面白いかも(笑)。いえいえ、決して冗談ではなく、「レメディーを摂っている牛のミルク」ということが知れ渡れば、日本中からその製品を求められる日が来るかもしれませんしね。私は今後もやはり母と子を中心に活動を続けたく、畜産業界でのアドバイザーを仕事にするつもりは毛頭ないのですが、レメディーを摂った牛の乳が出回るということはそれだけでかなり画期的なことだとも思えます。今後もできる範囲でご協力したいですね。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/11/14
なんだかぼんやり眠いです・・・24時間ほぼ連続補講の合間に見てしまった、くだらない恋愛映画。いやいや、ヒュー・グラントの名前があったので、ついついね。でもね、なんとその映画に出てくるキーパーソンが「COLA」という名の女の子なのです!だから何だって?実は、日曜日に学校入りするのがちょっと早すぎちゃいそうだったので、代々木上原駅近くの古本屋さんに寄ってみたのです。そしたら、マジックマッシュルームの本とオールカラーの花の本、ゴリラの本が目を引きました。レメディーを選ぶにあたり知識として役立ちそうな気がしたので、その3冊を買ってゴリラの本から読み始めました。すると、しょっぱなから出てきた主役級のオスゴリラの名前が「コーラ」なんです・・・で、その後に見たDVD授業に、刺激物のレメディーとして「KOLA」の名があったというわけです。まあ、マテリアメディカもきちんとできていないレメディーで、症例も少ないようではありましたが、こういう言葉の偶然が重なると、俄然興味が出てきてしまいます。だって、これは「注目せよ!」っていうサインでしょう?ボーレッキーのマテリアメディカに載っているのを見つけましたが、MMとしてはたいへん小さいレメディーです・・・アルコール中毒に適合していると書かれたアオイ科(チョコレートと同じファミリーです)のこのレメディーを必要とする人が近いうちにあらわれるのでしょうか???~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/11/06
身延自然農園さんで『新月ワークショップ』と銘打って話をしてきました。3回連続なのですが、初回のテーマは『自然に生まれ、自然に育つ』。ユウを妊娠した前後の不思議な話から始まり、2時間はアッという間に過ぎてしまいました。私より若い世代のお母さんから、お孫さんのいらっしゃるお母さんまで、熱心に耳を傾けてくださり感謝感激です(あまりご熱心なので、みなさんの真剣なお顔がこちらに迫ってきてドキドキでしたが・・・)。このワークショップは、主催者の宮川昌代(マコ)さんのつぶつぶ雑穀ランチと抱き合わせになっています。私もみなさんと一緒にテーブルを囲み、美味しいランチをお腹いっぱいいただきました。メニューをご紹介しますと・・・ ・ヒエとキャベツのつぶつぶスープ ・里芋モチキビご飯 ・キノコのモチアワバジルソースオーブン焼き ・豆乳ヨーグルトサラダ ・梅酢ミョウガとワカメの煮物 ・大根のユズ醤油漬け ・ソバクレープのヒエカスタード (たんぽぽコーヒー、三年番茶)写真も撮りました。見てください、美味しそうでしょう?マコさんは器にもいろいろと配慮されているそうです。確かに、いい器は目で美味しいだけでなく、実際の味も違うんですよね。機械的に製造された食器に触れると、せっかくお料理に込めたエネルギーが歪んでしまいます。次回は11月28日(金)、やはり新月の日に行います。話のテーマは『ホメオパシーと気づき』。マコさんのお料理は何かなぁ・・・今から楽しみです!
2008/11/01
お隣の富士宮市根原区で、野焼きのお手伝いをしてきました。実はこの春にも同じようなことで出かけたのですが・・・行ってみてわかったのが、春は全面的に野を焼く、秋はそのための準備として周囲に防火線を作るのでした。(この仕事は春の5倍ぐらいきつかったです~!)防火線というのは、幅4~5メートルぐらいで野焼き面積の外側を草刈りし、刈ったところをしばらく乾かしておいて、火をつけるのです。火を回して、飛び火しないように気をつけながら焦げこげのベルト地帯を作っておきます。すると、春に中を焼いたとき、火はこのベルトまで来て消えてくれるというわけ。野原全体の周囲だけではなく、中ほどに残っているいくつかの小屋を焼かないために、その周囲にも防火線を作ります。ひと回りして、この根原区財産区の野原の全貌もだいたいわかり、作業中のおばさんたちとの会話で、私たちの住む富士ヶ嶺の人々が、開拓当初この根原区にお水をもらいに通っていたことをはじめ、根原の歴史や現在の状況などもいろいろ知ることができました。人手が足りないから困って声がかかったのかと思いきや、私のところが母子家庭でもあるし、仕事があれば助かるのではないかと気を回してくれた様子も感じられたりして・・・ハッキリ断ったほうがよかったかしらと思いながら参加したのですが、午前中のわずかな時間にいろんな話を聞くことができて、本当に行ってよかったという気持ちです。声をかけてくれたSさんは、ほかにも国道沿いの草を削る季節労働を紹介してくれたのですが(これもやはり、わが家の経済のために誘ってくれたような感が・・・笑)、私はとても時間が作れそうにないので、近所でちょっとしたアルバイトを探していた女性たち、それと富士宮市で自然農をしている友人、それから私の母などに声をかけ、みんなで交代で入ってもらえることになりました。(みんな喜んでくれる結果になって何よりでした!)それにしてもこの野原、ススキの原野に戻したいという市の意向があるそうなんです。でも、このススキ(萱)を全部焼いてしまうのももったいない話で・・・これでベイルを作るとか、萱葺きに使うとか、何か利用法はないものかなぁと考えてしまう私です。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/10/30
長い間、選択的不登校、つまりはホームスクーリングを実践してきたわが家でした。ユウは、私が再婚して住んだ町中の保育生協にわずかな期間だけ在籍したことがありますが、そのときも行ったり行かなかったりですぐにやめてしまい、小学校にいたっては、名簿からも名前を削除してもらい、靴箱もロッカーも机も何もない、いわば「幽霊児童」でした。7歳の夏にここへ来てからは、気が向いたときには学校へ行き、向かない日が365日続くこともあるような状態。しかし、私の母がわが家に来てからは、何日も続けて学校へ行き、もしかしたらこのまま普通に通うようになってしまうのかなぁ・・・と、少々心配もしていました。でも、母が徒歩20分ほどのところに引っ越し、「祖母の期待」という重荷がなくなったせいか、再び「気が向いたときだけ学校に行く、しかし、結構気が向く日が多い」という感じになっています。遅刻、早退、お昼ご飯のための抜け出しも思うまま。「学校」(つまりは「行政」)に従うのではない彼の生き方にブラボー!という気持ちです。まあ、彼が学校へ行くのは、おそらく「そこに友達がいるから」です。友達がみんな学校へ行くので、学校へ行かないと遊ぶことができません。もし学校へ行かない友達を近くに作れるものなら、もっともっと学校から遠ざかってもらうことができる・・・そうも考えるのですが、あまり作為的なことは考えずに自然に任せることにしました。今朝は、校外学習で早朝から隣町の川に出かけるそうです(この富士ヶ嶺には川がありません・・・)。でも、明日は祖母の通院に合わせて、町の無料バスに乗って、図書館に行く予定を立てているようです。月曜と火曜は家族で遠出していたため休み、水曜(昨日)は疲れ半分、買ってもらったガンダムプラモデルを組み立てたい気持ち半分で休み、今週は今日だけの登校になるのかな。こんな感じで、週一登校ぐらいならまあいいか・・・という気持ちでおります。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/10/23
ミンミが満5歳になったので、生まれたときに住んでいた家からいちばん近い、産土(うぶすな)神社にお参りしました。生まれた頃は、ちょっとした高台に小さな祠が置いてあっただけだったのに、なんでも3年ほど前に地元の氏子さんたちが寄付(というのかお布施というのか?)をして立派なお社になっていて驚きました。両隣を二階建ての住宅にはさまれた、たいへん不思議な空間だったのですけど(笑)。これでも浅間神社のひとつなんですよ。私たちは奇遇にも、その総本山の近くに現在は暮らしているのですが。さて、ミンミの父親は若いながらも祝詞をツラツラあげられるような人物なので、「かしこみかしこみ~~~」と、みんなで目をつぶって掌を合わせてお参りしました。それから、予約しておいてもらった写真館で記念撮影をしてもらいました。ミンミは茶系の着物を借り(ユウのときは青系でした)、ひとりで何ポーズか(小道具から刀は外してもらいました。私のたっての要望で)撮ってもらい、4人でも1ポーズ、それから私とユウと3人でも1ポーズ。「3人だけですか?」と、撮影のお姉さんがいつまでも訝しがるので、「うちは離婚家庭なんです。一応、二親揃っての写真も撮るけど、年賀状には3人で撮ったのを載せたいから」と説明したら納得してくれました。いまどきいろんな家庭があるんだから、いろんなパターンがあるでしょうにねぇ。とある友人のところなど、息子さんの七五三に実のお父さん(すでに離婚して別居)が一緒に写っているだけではなく、なんとその写真を撮影したのは、新しいお父さん(プロカメラマンなので・・・)ですよ!ま、虚礼廃止で年賀状はほとんど出さない私ですが、好きな写真で名刺サイズのカードを10枚作ってくれるというので、この3人でのポーズを指定しました。切り貼りしてポストカードにしたらいいかなって。もちろん、送るのは子どもたちを知っているごく親しい人たちだけです。この写真は、富士の麓で留守番している母にも1枚プレゼントしようと思いまして・・・「でも、母が亡くなったら結局は近くにいる私たちが受け継ぐわけだから、母へのプレゼント1枚だけにしておこう」と、縁起でもないことまで考えて無駄遣いを控える私でありました。それにしてもな~、ミンミはまったくおふざけばっかりで、お姉さんたちをさんざん弄んでいました。シッカリ真面目にキリッとポーズを決めていたユウとは大違い!同じ時期に同じことをやらせてみると、性格の違いが明白に出るもんですね。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/10/20
いつもだったらもうとっくに目覚めている時間です。私はいつも子どもたちと一緒に寝入り、次に目覚めたときに新しい一日を始めます。2人がシッカリ寝静まっていてくれる時間だけが、集中して勉強したり仕事したりできる時間です。こんな時間までなぜ起きているかというと、今、埼玉に来ているんです。昨日、今日と続けて代々木上原の学校に行ってきました。ホメオパスの資格更新のために必要な出席ポイントがまだ足りず、3月までに何度かこうやって聴講(または補講)に出かけなければなりません。鉱物界の第一人者であるジャン・ショートンによる3日連続講義を、1日半分シッカリ聴いてきました。面白くて時間が経つのを忘れるぐらい・・・英語が聴き取れたところは訳を飛ばしたり、休憩時間を早送りすると、1日分の時間で1日半分聴くことができるんですよ!ショートンに限らず、卓越したテクニックを持つホメオパスたちはみな、クライアントに治療を強いないことをモットーにしているようですが、今日の録画講義の途中でも、学生さんの質問に答えてそのことを明言しておられました。ちょうど私も今朝がた開いたホメオパシー愛好家の方たちと語らう茶話会で、「いいものはついつい勧めたくなってしまう。その気持ちはわかるけれど、本当に縁があればその人が必要なときにちゃんとつながる」という話をしたばかりでした。そして、その人が本当に自分の時間をシッカリ大切に生きていたら、「他人を変えたい」なんてことを考える暇はないはずなんですね。もちろん私は、ホメオパスとして「自分を変えたい」と願う方々のお手伝いをするわけですが、それはあくまでもご本人が望んで来られるという前提のもとであり、こちらからお誘いすることはありません。治す、治さない、どうやって治すか・・・これってやはり人それぞれの自由なんです。問題を持った自分とどう付き合っていくかということは、その人の生き方そのものを反映しています。その人自身が、生き方を、治し方を選択するのです。私が他人に余計なおせっかいを焼かずに済んでいるのは、子どもたちの相手に、薪の確保に、庭や畑の手入れに、毎日が忙しくておせっかいを焼いている暇がないおかげでもあると思います。もちろん、相手に求められれば、出し惜しみせずに分かち合う準備はありますが。多用なおかげで、頼まれもしないことに手を出すエネルギーが残っていないということなんですよね。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/10/19
年に4回ほど、『マムだより』という通信を出しています。そろそろ秋の号を発行しなければ!ということで、原稿を書いていました。そのなかに、『ホメオパスへの道』という連載記事がありまして、私がロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシーに入学することになった頃から、現在までの道のりを各回2ページ見開きでつづったものなのですが、今回が最終回でした。思えば、遠い沖縄から通学する決意をしたのがもう8年も前のことになります。あのとき3歳だったユウは11歳になりました。通学中に再婚して本土へ戻り、ミンミを産んで、子連れで卒業して再び離婚。富士の麓へ引越し、子どもたちと今の暮らしを始めて3年が過ぎ、現在に至ります。最終回を締めくくるにあたって、これまでの8年間が走馬灯のように思い起こされました。陳腐な表現ですが、まったくその通りだったんです。入学のきっかけを作ってくれた謎の赤服の女性、宿を提供してくれた浅草のゲストハウス・オーナーくん、子ども同伴の通学を黙認してくれた学長、私大並みの学費を貸してくれた母、子守を引き受けてくれた友人、知人たち・・・ここに詳細を書ききれないほどの人たちにお世話になりました(いえ、今もなっています)。私を頼りにしてくれる相談者のみなさんや、このブログを読んでメールをくださる方々にも支えていただいています。私の結婚はどれも2年ともちませんでした。大学も通算2年通ってやめ、仕事についても、続けたいと思えるものがなかったどころか、最後には一刻も早くやめてしまいたいと思うような職ばかりでした。それが、子どもを育て一緒に暮らすことは11年(お腹の中にいた頃も入れれば12年)、ホメオパシーは8年も続いているんです。私がようやく見つけた「ほんとうのこと」がこの2つなんですね。迷っても先が見えなくても、自分自身を信じて、心からやりたいことにフォーカスを当て続けていれば、必ず「ほんとう」とつながってくるんだと思います。この世には「しなければならないこと」なんてひとつもなくて、「したいこと」をひたすらに追い求めていくだけでいいんですよ~!~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/10/18
明け方4時、寝返りを打ってもなお静かに眠り続けています・・・ミンミが昨日、ゼロゼロヒューヒューの喘息症状が出て超不機嫌でした。ゆうべも12時過ぎまで「眠れない!お腹が痛い!痛い、苦しい、マッサージして!!!」と騒いでいたのですが。はじめは症状に合わせて急性のレメディーをやっていたのですが、「暑いし寒い、寒いし暑い~!」にマーキュリーをあげて「どんどんよくなって来てるよ~!でも痛い~!」というあたりで、ミンミのレメディーを割り出してみようと分析開始。出てきたものは、まさに喘息や胸の痛み、頭痛(マーキュリーを摂った直後に頭の痛みを訴え出していた)、咳、といった症状を持つ小さな小さなレメディーでした。LMポーテンシーで水に溶かして、ほしがるだけ何度もスプーンで与えて様子を見ました。とにかくこの子、痛みに弱いんです。そしてもう、それは激しく騒ぎまくる。かと思うと、(稀にではありますが)魂が抜けたようにボーっとなり、うわごとか?と思うようなしゃべり方でツラツラと語りだしたりもする。これが彼のレメディーの特徴をよく表していると思います。それにしても、今回の発端は「卒乳」でした。ひょんなきっかけから「おっぱいをやめる」というミンミ。代わりにライスドリーム(お米を糖化させて作った飲料。おっぱいの味にちょっと似ています)を哺乳瓶で飲む!と言って1日に2回ほど飲み、なんとまる2日間もおっぱいを飲まなかったのでした!確かに、私がミンミを妊娠中のユウも5歳で「卒乳」したんだしなぁ・・・ミンミにもできないことはないのかもしれないと思ったりしたのです。しかし、2日目の晩あたりからちょっとゼロゼロし始め、翌朝はかなり調子が悪そうだったのでした。「やめる」と言い出したきっかけのひとつは、私に叱られたことがあったりもしたので、やはりちょっと無理があったかなぁ・・・「無理しなくていいよ~、おっぱいやめなくても」と言って、昨日は何度か飲みました。「飲めない、苦しくて~」と騒ぎながら。ミンミが生まれて再びおっぱいを飲み始めたユウも、結局7~8歳まで飲んでいたのでした。だから、ミンミもそのぐらいになれば平気の平左で自然とやめるのでしょう。無理して卒業する必要はないんですよね。もっと早く止めてあげればよかったかなと少し反省。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/10/17
このブログを読んでくださっている方から、「1ヶ月以上も書き込みがない」とご心配のメールをいただきました。「便りがないのはよい便り」の通り、毎日楽しく子どもたちを遊ばせてヘトヘト・・・それで更新する時間がなくなっています。最近、わが家のご近所で、子沢山のお母さんと仲良くなりました。毎日誰かしらが遊びに行ったり来たりして、子どもたちは大喜びです。外遊び中心に思い切り遊んで過ごし、私もその遊びに付き合ったり、たまにひとりの時間ができて作業に没頭できたり。いずれにしても、フル回転という感じで、ついついブログ更新の機会を逃してしまいがち。そんなわけですので、どうぞご心配なく・・・たまに空いた時間に、撮りためた画像の日付をさかのぼりながら更新していきたいと思っています。追記:不思議なことに、この方からのメールがとてもおかしな形で到着したのです。8月26日送信と記された、とある知人の携帯アドレスを発信元とするメール。そこには知人からのメッセージが数行書かれており、その後に続いてこの方のメールが全ヘッダ表示で記載されているのです!アメリカから送ってくださったということなのですが・・・どうしてこのようなことが起きたのか、現在プロバイダに問い合わせ中です。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/10/16
弟の結婚式があり、東京へ出かけてきました。子どもたちによそ行きを着せ、電車を乗り継いで都内へ出るというのは、こんなにも疲れることなんですねぇ。普段は裸足で駆け回っている子をおとなしく座らせておくというのは至難の業です。この往復で私はもうヘトヘトでしたが、幸いにも往路ではまだエネルギーがかなり残っていたので、挙式も披露宴も万全の状態で出席できました。美しい花嫁さん、花嫁さんを宝物のように愛しておられるご両親とご親戚の方々・・・弟は本当に幸せそうで、最後の新郎の挨拶など、別人かと思うほど成長した姿に私も驚きを隠せませんでした。(まあ、弟の年齢を考えたら当然の成長ではありますが)そして嬉しいことに、ミンミが摘んできたお花で作った花束を控え室で花嫁さんに渡そうとしたところ、「これを贈呈してもらいます!」と言ってくれました。ミンミの気持ちをそのまま贈ることができて、本当によかった。(でも、こんなことになるなら、ちゃんと給水しながら持ってくればよかったなぁ・・・お花はすでにしおれかけてしまっていたんですよ)ともあれ、小ぢんまりと素敵な披露宴を楽しみ、ご馳走にお腹をいっぱいにして帰途につきました。母は途中まで自分の妹と一緒で、話が尽きないようでしたし、息子たちは花束のお礼にともらったお菓子やカードに夢中で、長い乗車時間も半分ぐらいに感じたのではないでしょうか。その後、母の家に泊まったユウが、母にこんなことを言ったのだそうです。「ねえチャーチャン、ひとつだけ知りたいんだけど、ママって疲れないのかな?」それを母から聞いた私は思わず笑ってしまいました。確かに、深夜早朝にクライアントさんのメールに答え、薪を割り、家を直し、あちこちから声がかかると飛び出して行く私の姿は、彼の目には「疲れ知らずの母」に見えるのかも。(でも、私だって人並みの10分の1ぐらいは疲れもするんですよ~)●帰りの電車で大騒ぎ!貸切状態でホントによかった・・・~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/10/05
日曜日に弟の結婚式があるので、子どもたちと母の髪を切りました。今日はせっかく河口湖の町まで出る用事があったというのに、わが家の子どもたちも母も美容院には行きたくないと言うんです。それは自動的に私が散髪を担当するということ・・・夕飯後、母の家に出かけて行き、9時ごろのスタートで10時半ぐらいまでかかって3人分カットし終えました。3人はこれでいいけど、私はどうしよう・・・?みんな手がかかるもんだから、結局、自分のことはいつでも後回しになってしまいます。私だけでも町で切ってくればよかったなぁ。(母は元美容師であったにもかかわらず、年齢を言い訳にして人の髪を切るのを嫌います)ユウとミンミは新郎新婦への花束贈呈役を仰せつかっており(本当は可愛い女の子がよかったのでしょうが、親類縁者に子どもはうちの2人だけなのだそうで)、何を着せようか迷ったのですが、今後まったく着る機会がないであろうスーツやタキシードはやめて、去年買って一度も着ていなかったブルーのタートルネック(フランスのものだけあって、たいへん品のいい色)に、濃紺のスクールベストとチェックの長ズボンをお揃いで買い、つでに靴もお揃いにして、フォーマルに履いた後は普段履きもできるという黒いスニーカー仕様のものを買いました。ズボンは先に届いたのですでに長さを調整済み。その他はなんとすべて前日の明日に届く予定です・・・本当にギリギリセーフ滑り込み!という感じですが、さて、またもや私はどうしよう???です。お出かけ着を最後に着たのは、もうかれこれ4年ぐらい前でしょうか。「どこにしまったかなぁ・・・」と家中あちこち探してようやく見つかりました。ヤレヤレです。2日ほど前になりますが、ミンミがウーファさんのTちゃんと一緒に、向かいの空き地から花を摘んできてくれたんです。「ママ~!ほら、結婚式で渡すからたくさん摘んできたよ~、花束作って!」と喜び勇んで大きい束(たぶんユウ用)と小さい束(自分用)を両手に持ち・・・そうなんです。弟から2人で花束贈呈をしてくれるようにと頼まれていて、それを伝えてあったのです。ミンミは、花束も自分で準備しなきゃと思ったのでしょうね?「なんて可愛いんだろう・・・!」もう嬉しいやら可笑しいやらで顔が思いっきりほころんでしまいました。花たちはそれぞれブリキ缶に生けてありますが、当日までもってくれそうにありませんるかなぁ・・・もししおれてしまったら、こっそり朝摘みの花とすり替えてでも、彼の気持ちを新郎新婦さんに届けたいと考えています。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/10/03
自然農とアンスクーリングって似てますよねとある人が言いました。ちょうどそんなことを、わが家に滞在しているウーファのYさんにも話していたところだったんです。自然農って、あるがままでいいという考えなんですね。余計なものを加えないで自然に循環させたらいいんじゃないか、生きる力は植物そのものが持っているので、人は手をちょっとだけ貸すだけでいいんじゃないか、とそんな感じ。有機農法をやっている人は、もっとガツガツしているというか、あるがまま以上のものを望んで、大きな収穫を得るために時間や手間をいっぱいかけているという印象があります。食べていくために必要なんだとか、お客さんの期待に応えたいんだとか、いろいろ理由はあるのだと思いますが、決定的な違いは何かと言うと、自然農の場合、生きることに対する恐怖や不安をあまり持っていない人、またはそのような心を持つまいと心がけている人がほとんどだというところでしょうか。サラリーマンをしながら自然農を趣味のようにやっている人もいるし、いろいろだとは思いますが、自給的な暮らしに踏み切って自然農をしている人のところへ行くと、ホッと心が安らぐんです。あるがままを受け入れているこの人は、私のこともあるがままに受け入れてくれるだろうし、特別な期待もなく、おおげさな感謝もなく、淡々と付き合ってくれているということを感じるんだと思います。野菜やお米を作っているといっても、その中にはいろんなやり方をする人たちがいて、それぞれに生き方が反映されているように思います。そして、そのなかでも、自然農をしている人とは、根本的な考え方や生き方に共通点が感じられて、安心するんですね。アンスクーリングも似ています。アンスクーリング家庭の場合、やはり子どもの生まれ持った力を信頼し、教育を施したり躾けたりする必要を感じないという親御さんがほとんどです。「ホームスクーリング」というところまで枠を広げると、宗教的な教えから学校に恐怖や不安を抱いて学校教育を避けていたり、独自のカリキュラムを作ってきちんと勉強をさせる家庭など、私はとても相容れないなぁ・・・と感じることが多いのです。自然農で自給しているアンスクーラー家庭が近くに数軒あったら、本当にそれだけで満ち足りた暮らしができそうだなぁと思います。現代においては、かなり難しそうなことではありますが。■画像はわが家の裏庭。赤ちゃんから6歳児までさながら保育園状態~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/09/15
先日行った稲子の空家見学ツアーに行きそびれてしまったという、知人の友人一家が3連休に遊びに来たいというので、それではいっそのこと稲子のGさん宅へみんなで泊めてもらって空家の勝手見学ツアーに行こう!という話になりました。ちょうどスズメバチ騒動直後で、私たちにはよい避難の旅にもなりました。ご近所に住むユウの友達もひとりさらって、ウーファさんと総勢5人(12歳未満の子ども3人=2人の計算なので軽自動車の定員ギリギリ)で出かけてきました。いやあ、毎度のことながら楽しかったです!今回はミンミの機嫌が悪く、初対面の小1くんと仲良く遊ぶまでに時間がかかったりしててこずりましたが、Gさん宅に行くといつも「まだ帰らない!」「夜までいる!」「もう一回泊まって朝帰る!」とゴネるほどの気に入りよう。(今回は、「明後日また来るんだから!絶対だよっ!」と念を押されています・・・)ユウと友達のTくんは朝から晩までカード遊び。そしてたまに野球をしたりとマイペース。自然体の大人たちがたくさんいたので、ときに誰かに絡んだり、絡まれたりして過ごしていました。13日は十四夜で月がとてもきれいに出ていましたが、タイムリーに鳥取から大きな望遠鏡をかついでいらしたOさんが月と木星をみんなに見せてくださいました。その後、星にまつわる思い出話を語る会が開かれ、床に就いたのは11時過ぎ。子どもたちと私とで軽ワゴンの荷台にギュウ詰めになって眠りました。今回のGさん宅滞在のきっかけとなった知人の友人Cちゃん夫婦は、稲子の空家(というより空集落?)をたいへん気に入った様子。お家を借りて住むことができたらいいな、そしていい感じで古く新しい集落が再生したらいいなと思うけれど、さてどうなりますことやら。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/09/13
母の引越しが決まりました。9月の第2週ぐらいになりそうです。家を買うのは初めてのことですが、小さな買い物であっても、顔が見えて心が通う関係を大切にしてきた私としては、たいへん気持ちのよい売買ができてうれしく思っています。一方の母は、いざ売買という段になって出てきたいろんなことに(当然のことです。実際に引き渡すとなれば、あれこれと小さな注意点までも教えてきてくれるわけです)、「ええ~っ?そんなに大変なの?」と眉をひそめたり、今日もとある変わった女性について「もう関わらないほうがいいね」なんて言ったり、この世に起こる面倒なことすべてを全身で引き寄せては毛嫌いしています。相変わらずの姿だなぁと思うのですが、こういう母だからこそ、成長するためにいろいろなことが起こるのでしょうね。母の人生もあと10~20年そこそこだとは思いますが、娘や孫の近くにいることで、安らぎと学びに満ちた余生であるようにと願わずにはいられません。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/08/19
横浜に泊まる用があったので、埼玉時代の友人に電話をしてみました。彼女は同じ町に住んでいた半シングル母さんなのですが、今は横浜のご実家の近くに息子さんと2人で住んでいるのです。横浜へ来ると思い出しはするのだけど、あわただしい日帰り旅程ではコンタクトもできずにおりました。でも、ようやくの再会、しかもお互いの子をまじえて(今回は珍しくユウも来ていたので)楽しい時間を過ごすことができました。彼女は、私が富士ヶ嶺に誘いたいと思っている人のひとり。来年は小学校に上がる予定のKくんが、2年前にわが家に泊まりに来たときのことを今でも思い出してはしゃべっているという話を聞いて、また有名小学校へのお受験を控えて、お母さんである彼女がときどき強く疑問を感じたりする・・・そしてそんなときにふとユウを思い出すなんていう話に、ますます私の思いは募るのでした。しかし何ごとにも時期はあり、道を決めるのはいつでも本人だということはわかっているので、私はただ願うだけ、そして時期を待つだけ。自分が自分らしく暮らしていれば、そこに共感が広がり、しかるべき相手としかるべき時期につながっていくことができるはず。遠くても、目に見えなくても、人と人との不思議なつながりは深まり、広がるのですよね。そして、必要なものには必ずたどり着くことができます。魂の姉妹の幸せをいつも祈っています。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/08/12
懐かしいモノが出てきました・・・これ、ユウが百日記念の写真を撮るときに私が手作りした剣道着。ユウのパパは剣道6段の剣士だったもんで、こんなの作って着せたのでした。もうとにかく可愛くて可愛くて、この写真きっと写真屋のオジさんに「引き伸ばしてお店に貼らせて」って言われるだろうなと思っていました(マジメな話です)。こんなに可愛い赤ちゃんは他にいないと信じていましたから。「この子って『オヤジ顔』だね」と言われたときには、耳を疑いました。聞こえた言葉が間違いないとわかったときには、相手の感性を疑いました(大マジメ!)。だって、会う人はみんな「可愛い!」と絶賛してくれていましたからね~。そのユウも大きくなり、今では昔の写真を見返すたびに顔が赤くなります。『オヤジ顔』だと言った彼女の感性は紛れもなく正しく、私が幻覚を見ていたのだということがようやくわかったのです。ヒトという生物として、母親として、子を育てるために必要な「かく乱」ホルモンが出ていたんでしょうね~。このように盲目的に「可愛い!」と愛せるからこそ、育てることができるのだと思います。今はまだ5歳のミンミに、「可愛い!」を連発しながら育てています。喧嘩をすると、「本当はミンミのこと『可愛い』って思っているくせに!」と反撃されます。心の底からそれを信じて疑っていないその様子が(もちろん真実その通りなんですけど)、さらに可愛くて仕方ありません。この子は幸せだよなぁって思うひとときです。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/07/27
こういう時間に起きて日記を書いているようなときというのは、ズバリ迷いの時期なんです!平静なときは、子どもとともに8~9時には寝入って、日付が変わるとパッチリ目が覚めて始動!という感じです。最近、夜更かしがめっきり多くなりました。すると、朝の目覚めもあまりよくないので、一日の充実度が違ってきますね。私は、まだ心のどこかで、「理想の土地、理想の環境にめぐり合えるのでは?」と思い(英語で言えばhopeですね、願望として)、もがいているんだと思います。もちろん、100%パーフェクトを求めるわけではないのです。でも、昨日、電気を使わずに暮らしている友人宅で、キャンドルと灯油ランプのもと、ミンミが寝入った後も遅くまで話し続けたりして・・・そしてまた今日にかけて、ちょこっと気づきがありました。はるか昔の日本には、私が望むような暮らしもあったんですよね。当時は当たり前のように無農薬無化学肥料の農作物があり、みな仕方なく粗食で、おやつも手作りの無添加のものしかなかったし、テレビもゲームもなかった。だから、近所の子どもたちとその辺を駆け回ったり、素朴なおもちゃで遊んだり、木に登ったりという子どもたちの時間があったし、それを見守る近所の大人たちも、適当に子どもを遊ばせながら仕事をしたり、家事をしたり、ちょっとした手伝いをし合ったりする関係を持っていた。まさにエコビレッジですね。しかし、ほとんどの日本人が望む方向に世の中は進んできて、今があるのです。コンビニで堂々と陳列されている有害図書も、小中学生までもが使用している携帯電話、出会い系サイトも秋葉原のメイドカフェも、すべて人々の要望に応えて存在しているのですもんね。であれば、この現代の日本で、いくらエコビレッジの実現を望んだところで、それを作り上げることは不可能に近いぐらいの難題なのではないかと思えます。時間を逆戻りさせることはできないし(また、したいとも思いません。封建的な日本に戻って、当時の女性として生きていくことは私にはとてもムリなこと)、さりとて時代の流れに逆らうことも相当なエネルギーを要するからです。話は変わって、最近知り合った方の子育て時代の回想などが記されたブログを読みました。山奥で、ご夫婦と男の子2人の暮らし。わが家と似ているようで違うのは、やはり父親(男親であり、女親の夫)という存在の有無です。これってもしかして、とても大きな問題なのではないかと、ふと感じました。私の暮らしはまるで、『大草原の小さな家』のインガルス一家にあのお父さんがいないようなものなわけで・・・これではどう考えても、『大草原の小さな家』のお話が成り立ちそうにありませんよね。私が感じている「不足感(歩いて行ける距離に子どもの遊び友達がいない、親同士が協力し合って子どもを見たり仕事をしたりという関係性が作れない・・・などといった)」に共感してくれる人はほとんどいません。どうしてほかの人たちは感じないのかな・・・と疑問に思うことがときどきありました。でも、家の中に「お父さん」という存在の人がいて、「夫婦」「母と子」「父と子」といった複合的な関係があると、家庭はそれだけで満ち足りて、外に足りないものがあることなんて、どうでもいいような感じになるのかもしれません。わが家には、「母と子」というたったひとつの関係しか存在していないのです。本当に興味深いことなのですが、ホメオパシー療法でも、クライアントさん自身が感じることをドンドン掘り下げていくと、その人が実に独特な感じ方をしていることがわかるのです。ひとつの事実に対して、人の反応というのは千差万別なのですが、本人には自分の感じ方しかわからないので、「このような事実には誰でもこう反応するはずだ」「こう反応するのが普通のことだろう」と思い込んでいるのですね。しかし実際には、その人独自の生い立ち、環境、歴史、トラウマなどから、他人とは違う独特の考え方や感じ方がいつの間にか形成されているものなのです。私の場合、子育てにたいへん重心を置いて暮らしていることも手伝って、「ひとり親」としての考え方や感じ方が身についてしまっていたのでしょうね。ですから、私が求めているようなエコビレッジが実現するとしたら、それはシングルマザー(もしくはひとり親)家庭ばかりが集う場所になるのかもしれません。両親揃った家庭においては(とりわけ「お父さん」が自然志向である場合)、私が日々切実に感じているようなニーズはおそらくあり得ないのだと思います。自分自身が深い深い迷路の中を歩いていることは確かなのですが、それを俯瞰してみると、どのぐらいのところまで来ているのだろう・・・それを知るには、やっぱり舞い上がってみるしかないのかなぁ。そんなことを考えたりしています。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/07/25
昨日、ある人が紹介してくれた山梨県北部に住む一家のところへ行ってきました。小学4年生の男の子を筆頭に4人のお子さんがいて、学校や保育園へは行っても行かなくてもいいような生活をしているというので、交流ができたらなと思って。彼女は、お母さんが元祖の時代のヒッピーなのだと人づてに聞いていましたが、まさにヒッピー2世という感じの(でも、2世ならではのニュートラルな感覚も持ち合わせているような)、私とほぼ同世代さん。わが家は、私の実母が来てからほとんど私と行動をともにしなくなってしまった上のユウがドタキャンを仕掛けてきたため、ミンミと2人だけで出かけることになってしまったのですが、小4のMくんはユウに会うのをそれは楽しみにしていたという話を聞き、「それじゃ、家に一緒に行って泊まる?」と誘ってみたら大喜びでついてきてくれることになりました。とは言え、ユウは最近、学校を休みたがらないし、もし彼とミンミだけが家に取り残されてしまっても気の毒だなぁと思い、彼のすぐ下の弟Mくんも一緒に来ないかと誘いました。まだ6歳前なので、ご両親は大丈夫という確信が持てないようでしたが、全部で4人の男の子になるわけだし・・・あぶれるとしてもミソッカス役はミンミになるはず。おそらく問題ないだろうと考えて連れて来てしまいました。本当にかわいいお子たちで、わが家は一気に楽しくなりました。朝になって、ピアノを習いに行った途中の友人宅から、赤ちゃんが生まれたばかりでちょこっと体調を崩している3歳児をつれて来て、総勢5人になりました。そしたらなんと、友人の友人が6歳児をひとり連れて来て、男の子ばかり6人に!5~6人になると、ひとかたまりではなかなか遊びません。年齢の大きな順から3人は野球に出かけ、残りは家の中で遊び始め・・・あっというい間に日が暮れました。夕飯はシチューのリクエストがあったけど豆乳を切らしていたのでカレーにし、その後は私のPCで「ハリーポッター第一話」上映会。3歳児は夕飯前に送り届けてあり、6歳児も夜遅くに迎えが来て、そのころにはわが家の2人はそれぞれ眠りについており、最後まで残ったのはMくんMちゃんの兄弟でした。ちょうどトイレを掃除していた私とすれ違った2人は「おやすみなさ~い」と。ダイニングへ戻ってみると、PCは閉じてあり、電気もちゃんと消してありました。年齢的なこともあるのでしょうが、自分の後始末は自分でやるという習慣がついていることが伺えます。とくに長子のMくんは、実にシッカリ者。弟がひとりしかいないユウとは比べものにならないように感じます。「迷惑かけないかなぁ」と心配していたご両親ですが、そんな心配ほとんどない!と思います。これは4人ものきょうだいの中で揉まれている経験と、アンスクーリングな家庭の中で日々、自分の役割を認識しながら暮らしていることによるのだろうなぁと思います。それにしても、彼らを車に乗せて出発するときに、お母さんのTさんと笑ってしまったのですが・・・「初対面の人に子どもを1週間預けるなんて親いるかね?」(Tさん)、「初対面だってのに連れて行くほうも連れて行くほうだよねぇ」(私)。お互いの気安い性格(言葉を変えれば「軽率さ」?)のために、子どもたちにとってもそういうことがまったく自然に思えるわけで、来た側も受け入れている側もただただうれしく楽しく過ごしています。ああ、いいなぁ、こういう関係!~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/06/25
思い立って、芝川の友人GOKAさん宅で、母と子が緩やかに集うことを始めてみました。ちょうどわが家に滞在しているウーファさん2人も連れてにぎやかに。富士宮のHさん母子3人、それとわが家から4人がお邪魔して、今日も楽しく過ごすことができました。週に何日でもいいのだけれど、こんなふうに集まって過ごしたいよねという話が実現したものなのです。賛同して集まる人が増えれば継続できるんじゃないかなと思います。理想は私たちがこの近辺に引越し、そこへそれぞれの親子に来てもらえたらいいと思うのですけど。わが家から身延まで30分、桜峠を越えた芝川の稲子へは40分ほど、それぞれ別ルートで行くことができます。2つの間には南部町というところもあります。身延と南部は山梨県、芝川は静岡県。どちらかというと、県を移らないほうが何かとラクでいいかなと思ったりもするのですが。いずれにしても52号線を利用して、山梨の北部へも抜けることができます。しかも甲府を通らずに!これはいいですねぇ。増穂町の田んぼ仲間たちのところへも気軽に行けるし、最近知り合ったアンスクーリング家庭とも行き来ができそう。これから、少しずつ足を延ばして、家を探してみようと思っています。ガソリンを消費するのにとても抵抗があったのですが、子どもたちのためにあちこち動き回るのも今だけのこと。あと4~5年もすれば、自分で移動できるようになっていくし、それまでに、徒歩圏内に仲間がたくさんいる暮らしを実現できたらいいなと思っています。■電気を引いていないGOKAさんのお宅で、キャンドルのもと夕飯をご馳走になりました。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/06/17
深夜に雨が降ってきました。ミンミにせがまれ『ハリーポッター』第一話を見ながら寝て、12時過ぎに目が覚めたので思い切って一日を始めていると・・・トタン屋根にわずかに降り注ぐ小雨の音が・・・。火曜日の朝、ピアノのレッスンに行ったときに開けたルーフウィンドウがそのままだったような気がして、車のキーを持って確かめに行くと、やはり開いていました。助手席を後ろに倒して布団を干してあったその上に落ち葉が2枚。布団はまだ濡れていない状態でギリギリセーフ!2時間ほどたった今、かなりの勢いで雨が降っています。今日はカンが働いて助かったけれども、これからの梅雨時期、とにかく気をつけなければ大変なことになってしまいそう・・・ウッカリ者の私なので、対策としては屋根つきのガレージを作るほかないでしょうかねぇ・・・。この車を買ったとき、サンルーフがついていると、風も余計に入って気持ちいいし、長尺モノを買ったときなど上に突き出して載せることもできるんじゃないか(違法なのかな・・・)なんて安易に考えたのですが、実際に乗ってみると不便なことも多いんです。窓の閉め忘れで雨や雪の被害に遭うかも・・・峠道を走るときなど落石が怖い(表面がガラスなんで、小石が落ちてきても割れてしまう可能性が高い)・・・など。まあ、何にしても予想と実際は違うものです。次回の参考に生かせばいいのですよね。車は何度乗り換えても誰にも何も言われないのがいいですね。離婚は何度もするとあれこれ言われてしまいつらいところがありますが(笑)。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/05/28
フランス語を習い始めて1年ぐらい経つのでしょうか。当時は、どうしても読みたいホメオパシーの文献がフランス語でしか出版されていないため、なんとかひとりで読破したいという気持ちで始めたものだったのですが、その動機はもはや薄れつつあります。しかし、3月の終わりに甲府の『こぴの庭』へお邪魔して、知り合いのYさんに植木屋さんのお友だちがいると知って紹介してもらい、ついでに「フランス語を教えてくれるフランス人はいない?」と尋ねてみたら、即座に「いる!」と、その場で電話をかけてくれたのでした。あいにく留守番電話になっていて、どうやらその方はフランスへ帰省中だったらしいのですが、その後なんとか連絡が取れて、2ヵ月後の先日、ようやくお会いすることができました。レッスンの内容はかなりハードそうで、今の自分についていけるかどうか(始めればなんとしてもついて行くのだろうと思うけれど、逆に熱が入って忙しくなり過ぎることがなんとなく目に見えてしまい)ちょっと心配な私。往復に時間と石油エネルギーがかかり過ぎることも懸念のひとつなのです。これまで、やりたいことは何でもやってみようと突き進んできた私ではありますが、子どもが生まれてからは思うようにならないということを少しずつ受け入れるようになっています。そのうちに、何もかもがどうでもいいような気にもなって来るから不思議。(実際、この日は子どものことで大きなショックに打ちひしがれており、フランス語どころじゃない心境でもありました・・・)フランスに特別に興味があるわけでもないし、フランス人全般を好きと言えない気がする(もちろん、よくは知らないのだけど)私が、これ以上フランス語を習ってどうする?という気持ちもあります。なんでも、富士吉田から毎週通って来られる女性は、日本語のしゃべれないアフリカ人(フランス語圏)のご主人とのコミュニケーションのために続けておられるのだとか。そうですね、私もフランス人ではないフランス語圏の男性と縁でもあれば、一念発起ということもあり得るかもしれません(笑)。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/05/27
芝川町に住むGさんのお宅に遊びに行きました。ちょうど富士宮へ届け物が何件かあったので、大好きな『和田とうふ屋』さん経由でお土産も買って。(『和田とうふ屋』さんは西富士宮駅の近くにある、県産の大豆を使った素晴らしくおいしいお豆腐を作られています。こちらで買えないときは、よそで買ってまで食べたいとは思わない私)一緒に行ったわが家のステイさんが家探し中ということもあり、Gさんのお宅に一足先に遊びに見えていた身延町のMさんという方に、いろいろな情報を伺いました。身延や南部は山梨とはいえ静岡に近い文化で、人々ものんびりと温かみのある感じなのだそうです(北部の方ごめんなさい)。町営住宅にも空きがかなりあるそうで、ステイさんよりも私の方が身を乗り出してしまいました。Gさんの住む芝川もたいへんよいところで、ステイさんにも、そのほか移住先を探している方々にもつい紹介したくなってしまいます。過疎が進むだけのことはあるのですが(山あいなので日照時間がそれほど長くないとか、湿気が多いなど)、それだけに人(ひと)気があまりなく静かな雰囲気、なんとも言えないゆったりした空気があるのです。富士山はまったく見えないのですが、富士のエネルギーもいくらか及んでいるように感じます。しかし、ここへ来てなんと!以前から耳にはしていた八ヶ岳のアンスクーラー一家の情報をGさんから得ることができまして・・・電話番号を教えてもらったので、さっそく電話してみようと思います(といっても電話が極度に苦手な私・・・メールアドレスならさらにうれしかったのだけど)。八ヶ岳方面にはあまり縁がないと思っていたのですが、アンスクーラーがいると聞いては黙ってはおられません。ちょくちょく遊びに行けるといいな、近くに半住できたらそれもいいかな、『やかまし村』のように近くに住めたらいちばんなのだけれど。まあ、まずは第一歩を踏み出すことですね(電話恐怖症克服!)。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/05/24
「ユウは食べないねぇ・・・」と母。そう、ユウはとても小食なんです。でも、小さな頃から、いわゆる「食の細さ」を心配したことは一度もありません。なにしろ3歳になってもオッパイが主食。たいていのお子さんは離乳食なるものを食べ、遊び食いなどに悩むお母さんたちの話もよく耳にしたものですが、わが家はそのような心配とはまったく無縁でした。その後、普通にモノを食べるようになってからも、ご飯は一膳軽くよそっても残すこともあるし(シチューなど大好きな献立のときは3~4回お代わりすることもあるのですが)、基本的にずっと小食なのです。私はこれでよいと思っています。むしろ、ほかの皆は食べすぎだよ!と思います。私も主婦としてついついちょこっと余ったおかずを残すのがイヤでお腹に詰め込んでしまうことがありますが、そうでなければ潔く残し、残ったものは次回に形を変えて食卓に載せることにしています。「食べなくても生きていける」という『不食』のテーマがここ数年マスコミにも取り上げられたりしているようですが、実際に人はそれほど食べなくても生きていけるはず。また、より少なく食べるほうが、健全でいられるのではないかなというのが私の考えです。「よく食べる子はいい子」「好き嫌いがないのがよい」「食べっぷりのいい人は見ていて気持ちいい」なんて言われますが、どれも違うなぁと思います。議論するつもりは毛頭なく、私の個人的な感覚で言ってます。大食いの男性なんて、ゴメンだなぁって思っちゃう私です(笑)。今はもらいものが多いので、食費もそれほどかからず暮らしていられるので、「いいね、助かるでしょう?」と人に言われることが多いのですが、もらいものがゼロになっても、私とユウだけならあまり困ることもないんじゃないかなと思います。いろいろあると、つい調理してしまうのですが、どうしてもそれを食べたいというわけではないんですよね。昔から料理は好きなのですが、食べるということに対する執着が年々減ってきているようで、料理に対する姿勢もだんだんと変わってきています。手をかけず、粗食の小食がいちばん。そういう食生活ができるのは、老後ひとりになってからかなぁ。■画像はGさん宅での持ち寄りランチ。食べてくれる人が大勢いるときには、無理してかき込まずに済んでありがたいです。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/05/16
ピアノのレッスンを始めて9ヶ月目に入りました。ブルグミュラーの練習曲、ポピュラー、ハノンで指の練習、などなど織り交ぜて教えてもらっています。今は『スケール』という、ドレミファソラシドレミファソラシドレミ・・・と音階を上げていってまた戻ってくるという指の練習。これが不思議なことに、ド~レミ~ファソ~ラ・・・とか、ドレ~ミファ~ソラ~シド~・・・なんていう弾き方をはさんでやると、難しかったはずのドレミファソラシド・・・が少し簡単に思えるんです。できないことを簡単にやり遂げられるようにするには、少しだけレベルを上げて挑戦してみる・・・すると、難しかったはずのものが易しく感じられる。これってピアノに限らず、上達のコツなのかもしれませんねぇ。ピアノを始めていちばん強く感じるのは、「こんなの絶対無理!」と思うような曲が、2週間後ぐらいにはスラスラ弾けるようになるという不思議。「無理」なんてことは実際にはなく、ただ自分の意識がそう感じてしまうだけなんじゃないかと思ったりします。なかなかできずにいるいろんなことを、「できるできる、2週間後にはきっとできている!」と暗示をかけながら始めるとするかなぁ。たとえば仕事場周辺の片付けとか(笑)。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/05/14
ステイ中のお母さん、小学生の娘さんが学校になじんでとても楽しそうなので、このまま通学できるようにここで家と仕事を見つけたいそうです。お家の件は、何件か当たってみています。仕事も、選ばなければ何かしらあるのではないかと思います。こんな寒い土地なのに???と、つい止めてしまいたい気持ちになりますが、私たちがここにいるように、彼らにもこれが縁というものなのかもしれませんよね。よく考えることなのですが、ここは土地がとても広く、みなさん遊ばせているような状態なので、よく街中で見かける貸家群みたいな家でもいいから、ポツンポツンと2~3軒ずつ建ててみたらいいのになぁ。そこに家族連れが越して来てくれれば、老人世帯も頼もしいでしょうし、子どもを増やしたいという町の思惑とも一致するでしょうに。田舎暮らしをしたい人たちはたくさんいるのに、住む家がない。これは全国に共通した現象です。ここは土地がいくらでもあるのだから、家を建てれば人はやって来ると思うのです。まあ、過疎の土地に住む人々は、自分の子どもたちでさえ町へ下りていってしまったものを、誰がこんなところに好き好んで住むものかと考えているのでしょう。だから家を建てて人を呼ぶなどという発想はまったくないんだろうなと思います。町営(もともとは村営)住宅も、5区画用意されていながら、2戸だけで終わってしまっています。田舎の人好みの近代的住宅ではなく、都会の人が田舎に求めるイメージの家を作って、菜園ができるような土地を付けて貸し出せば、きっとたくさんの応募があると思うのですが。・・・と、まぁいろいろ案はあるのですが、何々プロジェクトというのがあまり好きではないので、積極的に持ちかける気にもなれずにおります。でも、移住を希望する人たちの想いがかなうといいなと思っています。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/05/13
今、わが家に来てくれている25歳のウーファさん・・・恋の悩みがあるようで、胸のうちを熱く語ってくれます。もうひとりのステイさん(40代)、「真弓さんはもうそんなのし尽くしたって感じでしょうね?」と。それはもう~、私だって20代の頃は恋する乙女でしたよねぇ。それが今は「恋愛って面倒だよね・・・」なんて言う世代になってしまいました。2週間ばかり前、シングルマザー3人で(失敗した)結婚についてあれこれ語り合い、ほんの数日前も、50代、30代のご近所さんたち(ともに既婚)と(長年続いている)結婚についてなんだかんだ語り合ったのですが、私の口から出てくるのは、「結婚生活を続けている人はある意味偉い!」「私はやっぱりひとりがラクだと思ってしまう」という言葉。ほかの国の事情は知りませんが、ここ日本に限っては、「結婚」というのは男女2人の合意だけでは済まないいろんなしがらみに絡められており、とうの昔に消えたはずの「家制度」はシッカリと人々の中に(お姑さんだけでなく、嫁となる立場の女性たちにさえも)残っています。そもそも、家制度がなければ嫁なんてものも存在し得ないのに、いまだに「うちの嫁」とか、「お嫁さん」なんて言う人がたくさんいます。よ~く字を見てくださいよ。「嫁」という字にはシッカリ「この家に入ってきた女」だと記されているでしょう?そして「姑」というのは、「家にもともといる古いほうの女」って意味ですよね(笑)。「たまたま縁あって結婚した相手の母親」というわけにはいかないわけです。面倒ですねぇ。それじゃ、私が外国人と結婚したと仮定しましょう。遠い国で、嫁姑の問題も家の問題もあまり関係ないかもしれない。それならラクでいいかな?とは思います。でも、文化が違ったり、言葉が違ったり(これって相手が日本人でも同じことだと思いますよ。それぞれが背負っている文化、習慣、また言葉の理解というのは、同じ日本人でもまったく違います。同じ関東出身でも、小学校で同級だったというカップルだとしても、やはり背負っている文化や言葉の理解は驚くほど違うもんだと私は考えています)、生き方も趣味も違っていたりして・・・これだけ違う大人ふたりがひとつの屋根の下で一緒に生活するというのは、本当に大変なことだと思います。ひとつ屋根の下といっても、単にハウスシェアしてるのとはわけが違うから、食事とか、休日の過ごし方とか、子どもの育て方とか・・・そういういろんなことの相違を愚痴る人たちの話を聞くと、結婚とは実に面倒だと感じてしまいます。私はひとりでよかったかも・・・。でも、話を聞くだけでもうらやましいような、楽しい結婚生活を送っている人も稀にいますよね。そんな結婚ならいいかなぁと思ったりもします。しかし、そこに至る過程を想像すると、もうそれだけで面倒になってしまう私・・・つまり、「恋愛」は「結婚」よりさらに面倒に思えるのです。「結婚なんて向いてないから、これからは恋愛だけにしておきなよ!」と母に言われたことがあるのですが、確かに人間社会での結婚はもうゴメンだと思っている私、しかし恋愛も「もうイイや~」という感じなんです。再婚もせず、恋人もいないと、以前の夫たちから「まだ自分に脈があるのでは?」と誤解されかねないのがこれまた面倒なのですが、どれもこれも面倒なので、現状維持が一番ラクということになってしまいます。仕方ないですね。こんな私に、上記のウーファさんはじめ恋の相談がときどき舞い込んで来るのには困ってしまいます。一緒に盛り上がる勢いはなく、あまりに冷めた返答をすることもできず、どうお付き合いすればよいのやら・・・。私に結婚の相談をすると「やめときなよ」、離婚の相談をすると「早いほうがいいかもね」と、まあそんな返答が返って来るのがオチだと思います。ホメオパシー相談の場合は別ですよ!主訴に加えて結婚や離婚の迷いがあったとしても、それには何も返答することなく、ただひたすらにレメディー選びをいたします。最も自分らしい判断をクライアントさんご自身に下してもらうために。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/05/12
久々に『吉田のうどん』を食べました。ミンミのお気に入りは揚げだしうどんといって、麺を油で揚げたうどんなのです。普通のうどんなら300円ぐらいで食べられるのが『吉田のうどん』の特徴なのですが、こちらは500円します!ミンミと私、それからAちゃんというステイ母娘の娘さんも連れていたので、3人分1500円・・・これ、わが家ではかなりの贅沢です。揚げだしうどんは確かにおいしいのですが、使っている油はそれほど品質のよいものではないと思います。それじゃ家で作ってみたらいいんじゃない?ということで、以前に一度、完全粉うどんを茹でてから揚げてみたのですが、麺が細いせいかシボシボした感じになってしまったのでした。今度は手打ちで麺を作り、それをサッと揚げて作ってみよう!これを食べるたびにそう思うのです。私は麺を全部食べて汁を残し、Aちゃんは汁を頑張って飲んだがゆえに麺を少し残してしまいました(この麺は私がいただきました・・・)。きっと汁が油っこすぎて「もう入らない~」という状態になってしまったんだと思います。近々、挑戦してみよう!手打ちうどんの揚げだし麺。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/05/07
富士宮から友人とお子さん3人が遊びに来てくれました。ここから30分と離れていない富士宮は温暖な静岡県の町。そしてここは、寒い寒い富士山の一合目。この季節になって、ようやく「遊びに来てね!」と誘う気持ちになれるのです。天気もいいので、昼は完全粉のうどんを茹で、つけ麺にして食べることにしました。わらび、タラの芽、よもぎ、こごみなど野草の天ぷらも一緒に。伯父の家から椎茸をもらってきたので、肉厚のおいしそうなところを揚げてみたんですが、グズグズ言ってちっともカラッといきません。おかしいなと思ったら、母がシッカリ水洗いしてしまっていました。「椎茸もキノコも、水で洗っちゃダメだよ~!」「え?私、ずっと水で洗ってきたけど」・・・そうなんです。私は家事のイロハもこの母からは習っておらず、小学生の頃から、遊びに行った先のお母さんたちを見ながらいろんなことを覚えてきました。(友達よりもそのお母さんとの方が話が合い、仲良くなる私なのでした)10代後半に別れて以来、一緒に暮らしたことのない母です。まあ、沖縄時代はかなり近くにおり、同じ台所に立つこともありました(玄米弁当屋も一緒にやりましたし)。しかし、こうして今も母の家事や料理に驚くことが多いのです。「こんなことやってんだ、まったくも~う」と思ってしまうのです。若い頃、「嫁をもらいたかったらその母を見ろ」という言葉がとてもイヤでした。「私はあの母からは何も学んでいませんから、ちゃんとよそでいろいろ教えてもらってありますから、どうぞあの母を見て私を判断しないでください!」という気持ちでおりました。でもまあ、遺伝子というのは確かに恐ろしいほど正確に何かを伝えてしまうものだと思います。自分の日々の言動のなかに、わが母の影響を見ることも少なくありません。となると、あの私の大嫌いな言葉も、確かに信憑性のある言葉なのかもしれません。だけどやっぱり、その人自身をシッカリ見ましょうよ~!(あ、そうか、妻を得ようとする人はその人自身を見て、嫁をもらおうという輩はその母を見ろってことなのかな、もしかして・・・だとするとなかなか含蓄の深い言葉かもしれないですね、これは)~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/04/27
「脱税」と書いてみて気づきましたが、2つの漢字の旁(つくり)は同じなんですね!いえ、何も脱税を企てているというわけではなく、「納税する立場を積極的に脱したい、脱しよう!それこそがオルタナティブな生き方なのではないだろうか」と考えついたしだいです。私の本業は収入には結びつかない「母親」ですから、副業でホメオパスをしてはいますが、事業所得はたいへん低く、今年度も所得税はゼロ申告でした。でも、この春から母も来てくれるし、あちこちに出たりクライアントさんをもっと受け入れたりしようかなぁなんて思っていたんです。そうすると所得も増えてしまうし、今のうちに青色申告の届出をしたほうがいいかもしれないとか、時節柄、「税金」というものについていろいろと考えたりしておりました。それと並行して、このたびは家を直したり母の引越しを予定していたりと、少しばかりまとまったお金を使う機会が増えて、「お金の行方」について考えることも多くなっていたのです。ミンミを取り上げてくれた助産士さんに支払いをした際、「このお金は、こうやって私のところへ来ても、すぐに離れて行ってしまうんです。それがよいところへ回っていきますようにと願いを込めて渡してくださいませんか?」と言われたのがとても印象的だったのですが、本当にその通り、お金というのは人のもとを通過して回っていくもの・・・だからこそ、よい回り方をするよう心がけて使いたいと思うようになっています。(おかげさまで、家直しも引越しも、「ぜひこの人に回して行きたい!」と思えるような人が見つかりました。本当によかったと思っています)最近は、銀行や郵便局にお金を預けるということについても、ちょっと考えてしまっています。既存の金融システムは、戦争や貧富の差などをドンドン作り出すことに加担しているし、自分のお金がそのような結果をもたらす目的に使われるとしたら、私がそうしたプロジェクトに出資しているということになります。そんなのはゴメンです。(『未来バンク』という素敵な「銀行」がありますが、もっとたくさん、こうしたオルタナティブな金融機関が出てきてほしい。そうしたら私たちは選択することができるのに!と思います)金融に限らず、今の日本にあるシステムのうち、参加したい、支えたいという気持ちになれるものは数少ないのです。教育からは最初から外れることにして、子どもたちは家で過ごしています。婚姻制度も、再び利用することはないように思います。医療についても、保険証を持って医者に行くということはまずありませんし、健康診断も乗り気になれません。「『教育と医療はすべて無料』というのであれば、税金をいくら払ってもいいと思う」と私の母はよく言っていました。スウェーデンなどのいわゆる福祉大国は、かなりいい線までやってくれているようですよね。それに英国も老後お金がかからない国だと聞いています。しかし、フランスのように、医療費も薬も無料だから薬をたくさんもらって飲んじゃうようなのはどうだろう?とも思いますが(現に日本だって似たようなところがありますね)。話が少しずれましたが、母の台詞をここで出したのは、いくら税金を払ってもいいと思えるシステムを自分で選べたらどんなによいだろうかという話をするためです。「よし、私はこの国に住んで納税したいわ!この国のシステムを支えます!」と、そんなふうに住む場所を選びたいものです。しかし、現実はなかなかそうはいきません。私は日本政府がまったく好きではありませんが、できたら日本語圏で暮らしていきたいなぁと思うし、現にここに住んでいるわけですから。選挙のたびに抱えるむなしい気持ち・・・私の一票だけでは結局何も変わっていないし、この国に生まれてこの国に生きている以上、愚かな政治家を支えている愚かな国民のひとりでい続けなければならないのか?と。でも、望むように税金を使ってもらえないなら、逆に税金を納めないという戦略もありではないか?と思いついたのです。断固として一切!とまではできないけれど(買い物をすれば消費税を払いますからね)、このまま収入を増やさずに、非課税事業者であり続けるのです。お金を借りたり家を建てたりということは難しくなるでしょうが、もともと借金はあまり好きじゃないし、土地や家を所有したいという気持ちもないわけですから。今は自動車ローンを組むことさえ難しい私ですが、その気にさえなれば、車のない暮らしだってできないわけじゃありませんし。実はもうひとつ、ずっとジレンマを抱えていたことがあります。ホメオパシーにしても、無農薬野菜にしても、オーガニック雑貨にしても、「害がない」「体にいい」「現状では希少である」ことはもちろんわかります。でも、現代医療、慣行栽培の農産物、環境に何も配慮しない粗悪な雑貨に比べてバカ高ければ、やはり庶民には手が出せません。とくに、自給的な暮らし、真にオルタナティブな暮らし(既存の社会システムの中で高収入を得ながらのナチュラル志向暮らしではなく)をしている人には続けられるはずもありません。(まあ、今の段階で、日本にそういう家庭がそう数多くあるとは思えませんが)実のところ、医療にせよ、慣行栽培にせよ、国から多くの支援があって成り立っているわけです。すべて、私が支えたくないと考えているシステムです。たとえば保育や教育にしても、国や自治体が運営したり認可していれば、市民の負担は少なくて済む。つまりは税金がそこに使われているわけです。保育は母親がしたらいいのではないか・・・そう考える家庭には、何の援助もありません。真の教育はこうあってほしい・・・そう考えて作られたプライベートスクールは、児童生徒の家庭から大金を集めなければ運営できません。行政の支援が得られないからです。ルドルフ・シュタイナーは、「労働はお金を対価として行われるべきではない」と唱えました。教師は教えることを好んで教えるべきであって、給料のために働くようではいけないというわけですが、日本にあるほとんどのシュタイナー系スクールは、シュタイナーのこの偉大な考えを学校運営に反映してはいません。経営や教師の生活を成り立たせるために、高額な学費を設定しています。それは、公立の学校であれば行政の補助でまかなわれるはずの、「人が人間らしく暮らせるための最低の保障」を教師や学校経営者が得るために、いたしかたないことなのだろうと思います。しかし、この「人が人間らしく暮らせる」というのは、いったい何を基準にしているのだろう?といつも疑問に思うのです。「人並みに土地や家を持ったり借りたりして、飽食の時代に見合った豊かな食生活をし、高い学費をかけて子どもを教育し、大きな冷蔵庫やテレビや車を所有し、ときには海外旅行にも出かけたりもできる」程度の生活を意味しているように私には思えます。オルタナティブな教育を求めている人たちも、自分たちの暮らしは決してオルタナティブにはできずにいるのではないか。実際に、このような学校に子どもを(ときには複数の)通わせることができる家庭経済は、きっと彼らが批判的な目で見ている現代の日本社会において、それなりの役割を担う仕事によって成り立っているのではないかと思うのです。なんだかおかしい、どこか違うんじゃないかと、ずっと長い間ひっかかっていたのですが、だんだんとそれがハッキリしてきたのです。他人のことはどうでもいいのですが、私自身はやはりそこから脱したいのです。ホメオパスにも生活があるのだから、やはり一定の相談料をもらわないわけにはいかないんだと思ってきました。その一方で、お金のことを考えて相談に踏み切れなかったり、途中で休止するクライアントさんを見ると、なんとかしてあげたい気持ちになって仕方なかったのです。「お金がない」とひとくちに言っても、実情はさまざまです。ご主人はそれなりの企業で働き安定した収入があり、旅行にも行くし、服も買うけれども、ホメオパシー相談にかけるお金はないというのなら、それはその人の優先順位の問題です。自分のからだや心の問題を後回しにしているとか、ホメオパシーそのものへの信頼度が低いということであれば、これは私が何かを考える必要はないでしょう。しかし、なかには自給自足的な暮らしを求めて田舎に移り、カツカツの暮らしをしている人もいます。物々交換や値引きを提案してあげたくなるけれども(そして実際にそうしてきたのですが)、他のクライアントさんとの公平性をどう保ったらよいのだろうかと悩んできたのです。しかし最近になって、相談料は所得に応じてもらうというのはどうだろうかと考えつきました。それぞれの家庭の所得証明を提出してもらうわけにはいかないけれど、たとえば住民税の請求をコピーしてもらって、その額に応じて下は無料から上は1万円まで設定するとか。そして私は、できるだけお金を得ない生き方をしている人から優先に受け入れていきたいと思うのです。そうすれば、私の仕事が増えても、それにつれて収入が増えていくという心配もなくなるでしょう。納税してこの国の気に入らないシステムを支えることなく、オルタナティブな生き方を選択する人々を助けることで、新しい価値観を支援していくことができるのではないか。そんなふうに考えると、なんだか希望の光が差してきたように思えてホッとした気持ちになるのでした。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/03/16
一目惚れした中古ピアノを買って、そろそろ2年が経とうとしています。そして、ピアノのレッスンに通うようになってから、早いもので半年が過ぎようとしています。ときに指づかいの練習を織り交ぜながら、1曲ずつレベルアップしてマスターさせてくれる先生。調音とか、コード進行も教えてもらっています。今はスマップの『夜空ノムコウ』の伴奏を自作して弾くという課題。誰でも知っている曲ということで選んでくれたようなのですが、私は知らない!スマップの曲・・・。そういえば、数年前の今頃、ホメオパシーの学校を卒業するときにも、「式で『世界にひとつだけの花』を歌おう!」ということになり(このときも「誰でも知っている歌がいいよね」ということで)、まったく知らなかった私は、イチから覚えなきゃならなかったのでした。ピアノの音階は正確には「ドレミファソラシド」ではなく、「CDEFGAHC」というのですよね。それもドイツ語読みで、「ツェー、デー、エー、エフ・・・」と言うのが本来なのですが、コード進行については英語読みで、しかもH(ハー)はB(ビー)になるのです。(Bの方が自然ですよね。なぜドイツ語だとHを持ってくるのか不思議)で、Cで始まる和音が、長調(メジャー)だとC(シーメジャー)、短調(マイナー)だとCm(シーマイナー)になるのです。C7(シーセブン)なんていうコードはどういうものかというと、CプラスCの音から7音目の音(つまりHの音です)を加えた4音の和音という意味なのです。このように、構成しているアルファベットや記号の意味を知ると、もう何が出てきても怖くありません!非常にスッキリします。「これって、ギターを弾いているロックのお兄ちゃんとかは、シッカリ理解しているのでしょうかね?」と尋ねると、「いえ、まったくわかってないと思いますよ」と先生。う~ん、そうかぁ。確かにそうかも。「音楽は数学よ!」とおっしゃる先生。どちらかというと文系タイプの私ですが、こういう明快な理論もなかなか楽しいものです。今日は『ハノン』というテキストにある指使いの練習を仕上げたのですが、「ピアニストみたいな姿勢になってるわよ~」とほめてもらいました。うれしいなぁ。来週はお休みで、再来週は半年分のおさらいの予定です。練習もレッスンも、本当にウキウキと楽しい毎日です。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/03/15
使命感に燃え、ときに命や自らの暮らしをなげうってまで何かに打ち込む人に会うことがあります。「やらなければならないこと」をやり遂げようとする姿は、人々の尊敬を集めるし、自分自身にもある程度の満足感をもたらすのだろうと思います。しかし、最近の私にとっては、人生とはただ毎日を生きること。必死に歯を食いしばるのではなく、流れるように暮らしていくこと。そういう人生こそが、いい人生であるように思えるのです。尊敬というと、する側もされる側も、とても疲れるように思えます。誰かを尊敬するとき、人はその苦労を分かち合おうとしてしまうのでしょうね。「自分に課せられた使命ををキッチリと果たさなければ!」という決意には、他人の期待に応えなければならないという妄想が感じ取れます。一方で、「やりたいこと」をやりたいようにしている人は、人々の共感を集めるように思います。そういう人に触れると、人は「あ、いいな」と感じ、幸せを分かち合えるのでしょうね。子どもたちには、名を残すような人になってほしいとは思いません。ただただ自分自身として、ありのままに、流れるように生きてほしい。誰かの期待に応えるのでもなく、何かをつかむ目的を持つのでもなく、ただ「生」を享受し、いのちをつないでいってほしいのです。これは女性ならではの考え方なのかもしれないと思います。男性は、自分の役割や自分の生きている意味を見出さずにはいられないのかもしれませんね。それは、いのちをつないでいる実感を持ちづらいオスの特性ではないかと最近になって思います。女性は、自らの中でいのちを育み、自らの力(と自然の力、もちろん胎児の力も)でいのちを産み出すことができるので、生物としての自分たちにとって何が大切なのか?ということに、比較的容易に行き着けるのかもしれません。男性は、いのちの尊さについて、今ひとつ誤解しているところが大きいように思います。長くとも短くとも、何かを成し遂げてこその人生であると思い、生き方や死に方にロマンを求めるようなところがありますよね。男性社会が長く続いている日本においては、そういう生き方こそが人間の生きる価値であり、潔く生きたり死んだりできる人が強いのだという刷り込みが感じられます。でも私は、本当の強さとは、淡々と自分の人生を生きられることではないか、と思うのです。名を成したり、事を成し遂げたりせずにいられないのは、誰かに自分を認めてもらいたい、つまりは、自分で自分を認めてあげることができないからではないのか、と。そして、いのちというのは、そこにあるだけで尊く、またそこからなくなっても、どんななくし方をしたとしても、その尊さに違いはないと。それとはまったく逆に、いのちとは別段尊くもなんともない、ただあるがままの存在であるとも言ったほうが、私の感覚に近いかもしれません。淡々と自分の日々を生きている人に出会うと、「あ、いいな」と、私も一緒に幸せな気持ちになれるのです。もちろん、世の中にはいろんな人がいて、だからこそ面白いということも事実ですから、これは好みの問題なのだろうと思います。私自身の好みから言えば、淡々と生き、ドラマチックという言葉からはほど遠いような、平凡な消え方で構わないなぁと思うのです。子を産み育て、ヒトとしての生のピークを超えてしまった人間ならではの思考なのかもしれませんね。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2008/03/10
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