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タイトルと昨年来からの評判(150万部突破)に興味をもっていた。なかでも中学生のホームレスと心理、そして生活状況だ。ホームレスのきっかけも始めの内は登校拒否とか非行・・を考えた。そうではなくて家を差し押さえられやむなく兄姉共々ホームレス生活を余儀なくされたのだ。初めての夏休み(中一)が明日からという時に家に帰ったら差し押さえられて家に入れず、やむなく公園のコンクリートの滑り台の空洞で、独りでの寝泊りが始まったということだ。先ず夏休みの前で良かった、冬休み前ではまた違ったであろう。二学期が始まる前には、友人の家族や親切な人たちの世話でボロボロながらアパートの一室で兄姉と一緒に住むようになり、それぞれ新学期を迎えた・・・。世間の注目を浴びるにふさわしい読み応えがある平易な著書だが贅沢に慣れた世代には、一読をお薦めしたい一冊だ。昨年末は聖書に熱中したが新春は「ホームレス中学生」から始まった。転ばぬ先の杖と、云うが度が過ぎると神経質になりかねない。読み終えて固苦しかった気持ちがほぐれる感がある。「人生を余り難しく考えてはいけません。・・・もっと簡単で単純なもの・・・」(チェーホフ) 合掌
2008年01月25日
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みびいきを辞書で確認したら<自分に関係のある人を特に大切に取り扱うこと。>で単なる朝青龍フアンに過ぎない事が分かった。その横綱だが報道ニュースで見聞きするとおり、本来の取り口には戻ってないことは明らかである。一番一番の気迫は充分見て取れるが従来の勝負勘とかスピード感が足りない。慎重になっているのだろうが土俵から干されていたせいで相手力士の力量が分からないせいもあるだろう。今更孫子の兵法でもないが敵を知り己を知らざれば・・・・の例え今場所の朝青龍の苦労の程が偲ばれる。2日目に稀勢の里に負けた一番などはその証左であろう。昨日も稽古場で可愛がっていたという安馬に苦戦をしいられる横綱に陽の沈む哀れを感じたものだ。陽の上る勢いは白鵬だ。人生の無常を垣間見る思いである。一っ時の人気や勢いなどに心を惑わしてはいけない暗示を覚えるのは老いた証しであろう。そねみや落ち度、欠点をあげつらう世の中を見返す意味でも今場所の優勝を期待したい。「どうだ・・・」と、いわんばかりのふてぶてしい朝青龍をもう一度みたいものだ(笑) 合掌
2008年01月22日
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朝刊トップのそのフレーズに惹かれた。もんきー家もそれに重なった。このところの日経平均株価の下落も一つの要因だ奢る平家は久しからず=栄枯盛衰、かっての大英帝国の現状やローマ帝国衰亡の歴史も思い起こさせる。身近には大相撲の朝青龍だ。国民小学校と呼ばれた時代に育ったもんきーの記憶には日出る国日本!が鮮烈に蘇える。神風を信じて戦争に駆り出されて行った英霊に浴びせられた批判中傷も今は昔となった。国会では、福田氏は「話せば分かる」というが筆勢の衰えを取り繕う小手先の政治手法としか見えない。かっての小泉首相を思い出すがイラク戦争支持!「米国は『日本への攻撃は自国への攻撃とみなす』と言っているただ一つの国だ」と、言い切った。株価低迷の原因も多々あるがKY(空気が読めない)日本の政情も大きな要因と考えている。それはいいとしても国際情勢が読めない「KY日本」は、国民にとっては大迷惑である。民主の小沢氏も目先の政権奪取に目を奪われてKY民主にならないように心して欲しい。誤った指導者で困苦をこうむるのはローマ時代からの歴史が証明している。「けんかを先送りすれば事態は悪化するだけ・・・」(閣僚経験者)「他人を信じるな。自分も信じるな。」「あなたには名誉を。私には利益を。」(アラブの格言~) 合掌
2008年01月21日
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故人がな亡くなった月日と同じ毎年の月日と、辞書にあった。今日はただの命日ということになる。去年は毎月11日に総持寺のお坊さんに来てもらっていたが今月は、断った。実は、少し気がとがめたがあえて無視した。お盆まではと、考えもしたが断ち切った。息子は不思議そうにしたがあえて無視した。気持ちの何処かで無理をしているが聖書学習のせいも否定出来ない。学習のきっかけを省みるとそのクリスチャンの人となり、生活態度に惚れたからだ。そのように穏やかで慎ましく、謙虚で暖かく優しい人柄に憧れたわけだ。一朝一夕にできるものではないことは云うまでもないが、聖書を読んでみたいと考えた。クリスチャンとの違いは一方は実社会の生活をとうしてその真実を吸収し成長した・・・・私は、そうなれたらいいなー、悩みも少なくなるかも・・・勉強はプラスになってもマイナスはない・・・つまり功利的で無責任、そのうえ当のクリスチャンにも好感をもたれたいと、いったところだろうか。スタートラインから大きな差異がる。しかしながら学んでいくうちに、その奥深さ、神秘的な魅力に捉われ空恐ろしさも覚える。厳しい西欧諸国文明、文化の差も無視できない。春は花、秋は紅葉の・・・・四季に彩られた豊かな日本の自然環境に育まれた宗教とは、自ずから異なるのは自明の理だろう。精神的アレルギー体質?(かぶれ易い)のもんきーは、早々と、命日を中断したわけで前述のとうりちょっぴり、悔やんでいる。この年まで生きてきたのだ。今更、健康食に変えることもないように、宗旨を変更せねば生きれぬわけでもない。老いて軽佻に住環境を変える愚はないと考えている。 合掌
2008年01月13日
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未だ6ヵ月余りに過ぎないが之までもっていた聖書に対する概念的な誤りの多さに気ずいている。先ず、聖書は日本で云えば弘法大師とか親鸞聖人といった稀なる一人の天才に依る壮大な宗教物語と考えていた。その誤りについては聖書に関する参考書の初めに具体的に分かりやすく記述されているので、あえて割愛する。唯、聖書は1600年ほどの期間にわたって書き記され、40人の筆者もそれぞれ幾世紀も離れた時代に生きていたことになる。職業も様々で漁師もいれば、羊飼いや王、医者も一人いたとか・・・・。それが、一つのテーマのもとに統一されているのも驚嘆すべきことではないか。それはさておき、それを神の声と受け取り戒律を守り献身するクリスチャンの日常生活は複雑な現代社会に於いて、きわだって見事に映る。様々に起こる日常茶飯事な悩みなども揺るぎのない答えを持っているようだ。時々、現実離れの感もしなくはないがそれも意に介さない。羨ましい限りだ。そうありたいと、学習を始めたが進めば進むほど、かえってクリスチャンから遠ざかるような疎外感を覚える。伝統的な日本民族の正月、初詣もまだ行きそびれておるが先延ばしにしている有様だ。そのせいか気持ちにケジメがつかないまま「仕事始め」を迎えた。冬の夜長もワインを飲みすぎる愚かさも、我ながらうんざりだ。聖書学習も「信仰」も中途半端で明けましておめでとうは、ほど遠い。【すべての年寄りは二つの間違いをやらかす。可能性のない希望と極度のケチ。】アラブの格言~> 合掌
2008年01月05日
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