全1215件 (1215件中 1-50件目)
タイトルと昨年来からの評判(150万部突破)に興味をもっていた。なかでも中学生のホームレスと心理、そして生活状況だ。ホームレスのきっかけも始めの内は登校拒否とか非行・・を考えた。そうではなくて家を差し押さえられやむなく兄姉共々ホームレス生活を余儀なくされたのだ。初めての夏休み(中一)が明日からという時に家に帰ったら差し押さえられて家に入れず、やむなく公園のコンクリートの滑り台の空洞で、独りでの寝泊りが始まったということだ。先ず夏休みの前で良かった、冬休み前ではまた違ったであろう。二学期が始まる前には、友人の家族や親切な人たちの世話でボロボロながらアパートの一室で兄姉と一緒に住むようになり、それぞれ新学期を迎えた・・・。世間の注目を浴びるにふさわしい読み応えがある平易な著書だが贅沢に慣れた世代には、一読をお薦めしたい一冊だ。昨年末は聖書に熱中したが新春は「ホームレス中学生」から始まった。転ばぬ先の杖と、云うが度が過ぎると神経質になりかねない。読み終えて固苦しかった気持ちがほぐれる感がある。「人生を余り難しく考えてはいけません。・・・もっと簡単で単純なもの・・・」(チェーホフ) 合掌
2008年01月25日
コメント(131)
みびいきを辞書で確認したら<自分に関係のある人を特に大切に取り扱うこと。>で単なる朝青龍フアンに過ぎない事が分かった。その横綱だが報道ニュースで見聞きするとおり、本来の取り口には戻ってないことは明らかである。一番一番の気迫は充分見て取れるが従来の勝負勘とかスピード感が足りない。慎重になっているのだろうが土俵から干されていたせいで相手力士の力量が分からないせいもあるだろう。今更孫子の兵法でもないが敵を知り己を知らざれば・・・・の例え今場所の朝青龍の苦労の程が偲ばれる。2日目に稀勢の里に負けた一番などはその証左であろう。昨日も稽古場で可愛がっていたという安馬に苦戦をしいられる横綱に陽の沈む哀れを感じたものだ。陽の上る勢いは白鵬だ。人生の無常を垣間見る思いである。一っ時の人気や勢いなどに心を惑わしてはいけない暗示を覚えるのは老いた証しであろう。そねみや落ち度、欠点をあげつらう世の中を見返す意味でも今場所の優勝を期待したい。「どうだ・・・」と、いわんばかりのふてぶてしい朝青龍をもう一度みたいものだ(笑) 合掌
2008年01月22日
コメント(3)
朝刊トップのそのフレーズに惹かれた。もんきー家もそれに重なった。このところの日経平均株価の下落も一つの要因だ奢る平家は久しからず=栄枯盛衰、かっての大英帝国の現状やローマ帝国衰亡の歴史も思い起こさせる。身近には大相撲の朝青龍だ。国民小学校と呼ばれた時代に育ったもんきーの記憶には日出る国日本!が鮮烈に蘇える。神風を信じて戦争に駆り出されて行った英霊に浴びせられた批判中傷も今は昔となった。国会では、福田氏は「話せば分かる」というが筆勢の衰えを取り繕う小手先の政治手法としか見えない。かっての小泉首相を思い出すがイラク戦争支持!「米国は『日本への攻撃は自国への攻撃とみなす』と言っているただ一つの国だ」と、言い切った。株価低迷の原因も多々あるがKY(空気が読めない)日本の政情も大きな要因と考えている。それはいいとしても国際情勢が読めない「KY日本」は、国民にとっては大迷惑である。民主の小沢氏も目先の政権奪取に目を奪われてKY民主にならないように心して欲しい。誤った指導者で困苦をこうむるのはローマ時代からの歴史が証明している。「けんかを先送りすれば事態は悪化するだけ・・・」(閣僚経験者)「他人を信じるな。自分も信じるな。」「あなたには名誉を。私には利益を。」(アラブの格言~) 合掌
2008年01月21日
コメント(2)
故人がな亡くなった月日と同じ毎年の月日と、辞書にあった。今日はただの命日ということになる。去年は毎月11日に総持寺のお坊さんに来てもらっていたが今月は、断った。実は、少し気がとがめたがあえて無視した。お盆まではと、考えもしたが断ち切った。息子は不思議そうにしたがあえて無視した。気持ちの何処かで無理をしているが聖書学習のせいも否定出来ない。学習のきっかけを省みるとそのクリスチャンの人となり、生活態度に惚れたからだ。そのように穏やかで慎ましく、謙虚で暖かく優しい人柄に憧れたわけだ。一朝一夕にできるものではないことは云うまでもないが、聖書を読んでみたいと考えた。クリスチャンとの違いは一方は実社会の生活をとうしてその真実を吸収し成長した・・・・私は、そうなれたらいいなー、悩みも少なくなるかも・・・勉強はプラスになってもマイナスはない・・・つまり功利的で無責任、そのうえ当のクリスチャンにも好感をもたれたいと、いったところだろうか。スタートラインから大きな差異がる。しかしながら学んでいくうちに、その奥深さ、神秘的な魅力に捉われ空恐ろしさも覚える。厳しい西欧諸国文明、文化の差も無視できない。春は花、秋は紅葉の・・・・四季に彩られた豊かな日本の自然環境に育まれた宗教とは、自ずから異なるのは自明の理だろう。精神的アレルギー体質?(かぶれ易い)のもんきーは、早々と、命日を中断したわけで前述のとうりちょっぴり、悔やんでいる。この年まで生きてきたのだ。今更、健康食に変えることもないように、宗旨を変更せねば生きれぬわけでもない。老いて軽佻に住環境を変える愚はないと考えている。 合掌
2008年01月13日
コメント(2)
未だ6ヵ月余りに過ぎないが之までもっていた聖書に対する概念的な誤りの多さに気ずいている。先ず、聖書は日本で云えば弘法大師とか親鸞聖人といった稀なる一人の天才に依る壮大な宗教物語と考えていた。その誤りについては聖書に関する参考書の初めに具体的に分かりやすく記述されているので、あえて割愛する。唯、聖書は1600年ほどの期間にわたって書き記され、40人の筆者もそれぞれ幾世紀も離れた時代に生きていたことになる。職業も様々で漁師もいれば、羊飼いや王、医者も一人いたとか・・・・。それが、一つのテーマのもとに統一されているのも驚嘆すべきことではないか。それはさておき、それを神の声と受け取り戒律を守り献身するクリスチャンの日常生活は複雑な現代社会に於いて、きわだって見事に映る。様々に起こる日常茶飯事な悩みなども揺るぎのない答えを持っているようだ。時々、現実離れの感もしなくはないがそれも意に介さない。羨ましい限りだ。そうありたいと、学習を始めたが進めば進むほど、かえってクリスチャンから遠ざかるような疎外感を覚える。伝統的な日本民族の正月、初詣もまだ行きそびれておるが先延ばしにしている有様だ。そのせいか気持ちにケジメがつかないまま「仕事始め」を迎えた。冬の夜長もワインを飲みすぎる愚かさも、我ながらうんざりだ。聖書学習も「信仰」も中途半端で明けましておめでとうは、ほど遠い。【すべての年寄りは二つの間違いをやらかす。可能性のない希望と極度のケチ。】アラブの格言~> 合掌
2008年01月05日
コメント(4)
占う>自然や物の現れ方によって、事の成否、吉凶、なりゆきなどを判断したり予言したりする。従って当たるも八卦あたらぬも八卦である。先ず占うにあたって、顧客が何を望んでいるのか、何を占って欲しいのかを推察することが重要だ。医者が患者さんの訴えを聞くのと同じだ。何処どこがいたい、苦しい・・・、それだけで病気は診断できないし、治療も出来ないのは自明の理だ。それは、経験を積めば積むほど身につくものだ。名医は的確に患者さんの望むことを把握し適切な助言と治療をする。評判の占い師は、人の悩みをよく聴き経験豊富だ。座ればピタリと当たるの例えだ。事の成否、成り行き、吉凶についても大胆にして細心な指針を失わない。客は疑心暗鬼ながら、気に病む場合が多い。でも、こちらの思うように的中すると、神業のごとく宣伝し、傾倒するものだ。また占う人物が卑しからざる人物だと、それは信仰宗教の態さえ呈して反論、批判の類は凡そ無駄である。熱が醒め、体力が回復する患者さんを見るのに似て非なりだ。悩み多きは、人の世の常・・・・古代から占術師の悪魔祓いは、医療の役割も受け持っていたことを想うと、あながち迷信とバカには出来まい。 合掌
2007年11月16日
コメント(1)
懸命に働いて、高価なブランド品を身にまとい派手に遊ぶのも楽しみごとだろう。同じように働きながら、ブランドなどよりお茶でも持ってドライブウエーから夜景の美しさを愛でるのも、素敵なな楽しみごとであり見事にさえ思う。人として、どちらが優れた楽しみごとで、それが正しいかどうかは、誰にも決められないと考えている。その人様々な育った環境とか社会状況に影響をうけるだろう。それに感受性も加わる。端的に云えば、金持ちも貧乏も、それなりの楽しみごとがありその優劣は決められない。従って、誰それは、何処へも行けなくて気の毒だ・・・そんな楽しみは可哀想と口にするのは、不遜かも知れない。目に見えぬ小さな虫にも、見るからにおぞましい生き物でも生きていることは変わりはない。人間は、自分の都合だけで川を堰き止めダムをつくったり、いたずらに空港を作ったりするが自然界に対して不遜と云われても仕方がない。生活を追われ、その場さえ失う数え切れない生き物の命も忘れてはいけない。それらは、巡り巡ってやがて人間自身の生活に降りかかってくるだろう。気ぜわしい日々が続いたが昨日で一段落して内心ホットしている。医師として之まで命の現場に携わりながら、省みなかった多くのことに愕然とすることがある。人生の軌道は踏み外したが愛の道は、迷いはしたが踏み外さなかったと、自負している(笑) 合
2007年10月13日
コメント(0)
高齢者で不自由な身を抱えての独り暮らしが気になるらしい。夜が特に寂しく所在がないので息子は月・水・金と、我が家に泊りにくる。娘は、進学を控えた二人の子供と、自分の事業に忙しいようだが、たまに電話がくる。息子の嫁は、その性格からか、月に一度、用事でもない限りは来ない。従って、身の周りの世話や三度の食事は、もっぱら介護ヘルパーのお世話になっている。子供たちは、ワインを飲みすぎないで、転んだら怖い、身体にも悪い、外食が多いようだけれど栄養面からも良くない、お金もかかると云う。余計なお世話!)だ。優しい気持ちは、分かるが孤独で不自由な父が一番して欲しいことが分かっていない。否、分かろうとは、しないようだ。何より先ず、自分たちの家庭の事情が優先して当然だろう。もんきーも両親にそうしてきた。自然界を見ても巣立ったり、親元を離れた生き物たちは、親を省みることはしない。人も例外があるにしても自然界の生き物の域を出ないと、考える。だとしたら、文句を言う筋合いはない。文句を云うにしても恩着せがましく我が子には、恥ずかしいし、みっともなくて云えない。人間は、して上げたことは、忘れないが、してもらったことは、何時までも覚えていない特質を持つ。喉元通れば熱さ忘れるの例えだ。当分、本音の部分は理解されることなく穏やかな<親子ごっこ>は続くと、覚悟した。(トホホホ・・・) 合掌(2007/10/09)
2007年10月09日
コメント(2)
それにについて過去の経験から反省を試みた。仏教でいう無常(不変なものはない・・・人の世の儚いこと)といってしまえばそれまでだがそうなるには、それだけの要因がある筈だ。一番は、ねたみ=嫉妬心と、省みる。所有欲の強いそれは、真に始末におえない感情だ。我が侭~疑心暗鬼→嫉妬心に、変化もする?もんきーの弱点、第一に挙げられるものだ。たとえば浮気、飲酒、かんしゃく、粗野な言動などは、その類に入る。と、いって思いやりと敬意、礼儀正しさばかりでは、抱擁もままならないだろう。本能を失くした、渡り鳥は戻る場所を見失って自然界では生きれまい。万事適当に自制し、妬き過ぎないヤキモチがいい。狎れ会いも気をつけないと、思わぬ落とし穴になる。礼節を欠き、品位を落とし嫌われる要因の一つだ。<慣れても、狎れるな!>だ。同じ轍を踏まないように心がけてはいるが残された黄昏人生、いかがなものか知る由もない。「オールイン」で終わりたいが・・・望みどうりにならないのも人生だろう(笑) 合掌
2007年09月28日
コメント(0)
息子がもんきーの近くにマンションを購入して引っ越してくることは既に述べたが、嫁の苦労も半端ではないと、想った。それを窺いながら思ったことだが引越しは、主婦には大変な大仕事だが楽しみもあるのか生き生きとして見えた。男には唯、厄介なだけに思える。女性のお産と似て非なりと、考えられなくもない。お産の方が比べようもなく大変だが、引越しも新たな夢や希望が伴うらしく見える。それまでの準備もコツコツと、苦労なものであろうが当日は、一人で頑張るしかない。荷物の持ち込みが済んで一息つく暇もなく新居での整理整頓が待っている。やっと生み終えて、ホッとする間もなく子育て育児と、苦労は絶え間がないように思える。その点など似て非なりと思う由縁だ。男性は「やれ出かした・・・」「と、祝い酒に酔うくらいで大した苦労はない。少なくとももんきーの場合はそうだ。聖書でもその権威の序列は男が女の上になっている。不審に思い問い質すと、それは神のご意思で女の方が創りが劣るとか?但し、男は全ての面で責任があり寧ろ、女性よりしんどい立場にあるとか・・・。因みに無責任男を自認するもんきー007は、女寄りであろうか?(笑)然し引越しの苦労といい、子を産み育てる苦労等を考えると、生まれ変わるにしても男の方を選びたいと思っている。 合掌
2007年09月26日
コメント(0)
例えば、家庭での食事は、妻と決まっていた。18年の間、当院の食事を担当していた炊事係が作ったものでも食べなかった。趣味趣向の問題ではなくて妻のものでなければ、外食の方がいい。誰が作ろうと関係ない筈だが口にする気になれない。妻が特別という分けでないのも言うまでもない。では何故そうなのか?多分習慣で、男は女と違って現実感が乏しい代物なのだと、考えている。子を生むたびに女性は一皮むけて強くなると、聞いたが専門医として納得するものがある。若しかしたら男は、死ぬまで女性には及ばぬ甘ちゃんかも知れないと感じる。地球にアダムとエバが誕生してから以来、男は、女に上位を保っているように見えるが本当は女性の思惑という手の内に生きているのかも知れないと、考える。省みれば妻を失って一っ時、行き場がない空虚な日々を思い出すが改めてもんきーの不甲斐のなさに思い当たる。惚れたら負けと、よく云うが、負けられる内が華でもあろう(笑) 合掌
2007年09月24日
コメント(0)
少しでも近くにと、息子がマンションを購入した。しかし、もんきーにとっては、嬉しさよりも不満を覚える。百数十平米の最上階部分だが、広いので一部分を仕切ってもんきー用にベット等を置いてあるようだ。心優しい気使いいだとは、思いながら意にそぐわない。今のところ同居する気が毛頭ないもんきーには無用の買い物でしかない。それより平屋でも良い、庭がある方がいい。年寄り好みで、非能率的と、いわれそうだが年をとると、そんなものだろう。立地とか、機能性を好むのは、若い時だけだ。もんきーなぞ、家土地などより宝石、貴金属の方が魅力的だった。有為(才能があり将来見込みがあること)変転(移り変わる・・)今は億ションでも魅力が無い!娘のほうは、京都の一等地に地下一階地上二階のもんきーに負けない邸宅を建てた。一緒に・・・といってくれるが、まだまだ老いぼれていない。大画面の液晶テレビとか日本に数えるる位しかない神のワインとか・・・で誘われるがこの数ヶ月、娘・孫たちには御無沙汰だ。年寄りには豪華な新居は無用である。寧ろアラスカや南米クルーズに付き合って介護してもらいたい。 蛇足だが子供たちは、父親モンキーが大好きだが、このところ片思いを味あわせている(笑) 合掌
2007年09月15日
コメント(0)
このところ甚だ面白くない。オールインと、賭けた勝負の筈だが裏目裏目と続いている。幾千万と云うわけではないが気分は沈みがちになる。勝負の世界では有りがちなことだ。チャップリンの言葉と、記憶するが「・・・人生で必要なのは、いくばくかの金と、勇気である。」余分な金のために、働けなくなったもんきーには勇気が問題だ。その勇気とは、人がしなくてもする。人がしてもしない。記憶の隅にあるフレーズだが、それを胸に秘めて車椅子で大抵のところは、行った。中国の黄山、万里の頂上も体験した。残るところは、インド、アフリカ、南米アマゾン、イグアスの滝ぐらいだ。アラスカは介護者とのの意見の相違で行き損ねただけだ。適当な伴侶でもあれば直ぐにも行きたいところだが相手側の都合や趣向もあることで中々難しい。アラスカなど豪華客船クルーズだし、観光の域を出ないが之までの経緯から近く達成する自信はない。人生の黄昏を前に片思いだけで終わらせたくない所だ。・・・傘を持ち歩くと雨を呼び込む例え、心配したら出来ずじまいで<日没>する。急いては事を・・の例えもあるが急かないと、間に合わぬ年だ。しかも旅行から戻って~勇気だけでは生きてはいけまい(笑)【人は、望みどうりに物事を変えていくことは出来ない。望みの方が少しずつ変わってゆく】<マルセル・プルースト> 好きなフレーズだ。 合掌
2007年09月11日
コメント(1)
ご存知、放映済みNHK・韓国・連ドラだ。土曜の夜のお楽しみで録画までして欠かさず見終えた。未だ、ドラマの展開もシーンも鮮烈に蘇えるが予約注文で全巻揃いを購入した。少しバカバカしいとも、感じたが思い出もある。主演のイ・ビョンホン、相手役の女優ソン・ヘギョもお気に入りだ。ドラマの展開もさることながら、題名も気に入った。賭博用語に過ぎないが自分の全てを注ぎ込む愛と、いうテーマに似合った表題でその内容に恥じないドラマチックなストーリーなのだ。人間味よりストーリーの展開に追われて登場人物に深みがない、背景の描写も粗雑に過ぎるなど尤もらしいケチをつけるのは簡単だが体裁より面白いか、どうかだろう。記憶に新しいアメリカニズムなドラマに大金を投じるのは、その証左だろう(笑)お陰でワインで癒されぬ夜の部分を埋めてくれている。運命の愛にオールインとは、なんとも羨ましい物語である。あやかりたいがもんきーでは最早、賭ける相手がいない(キキキー) 合掌
2007年09月07日
コメント(0)
夕日で染まる黄昏の恋に出会いたい・・。そんな人と地中海クルーズで最後のカジノでプレイをしてみたい。「オールイン!」←すべてを注ぎ込む・・・だ。昨日書いたブログの結びのフレーズだ。年甲斐もなくと、顰蹙を買いそうだが恥を忍んだネタ話だ。それを見たいと、明石大橋へ出掛けた。電車で神戸へその後は、タクシーだ。まだまだ陽は高く、パーキングに建つ大観覧車も夕日どころか炎熱地獄だ。ロマンチックな想いは燃え尽きて、絶景も目に入らず、その空間からの脱出を願うだけだった。 飛び込んだお土産コーナーは広く、快適だった。讃岐うどんとカレーライス&カキ氷で小腹を充たし、ひとまず黄昏の夕日は諦めてホテルに戻った。夕食の土瓶蒸しは、先取りした季節の旨味だ。松茸は中国産の上物だとか・・・。それより神戸肉のうま煮が絶品だった。ワインはフランス・ロワール上流地域のプイイ・フュメ(白)を選んだ。 美味いし、酔っ払ったし、一泊したいところだが、プラトニックラブの手前、言い出せずに車に乗った。不自由な身での黄昏の恋は、良くも悪くも至難の業と考える。因みに恋の架け橋は、懸け橋、仮橋とも書く<国語辞典~> 合掌
2007年09月06日
コメント(0)
もんきーがそうなるとは、思いもしなかった。自分だけは違う、あんな惨めな年寄りにはならない、なりたくないと、思っていた。それがあの阪神大震災の年の2月下旬の日曜日の朝に脳内出血で倒れ、その後遺症で半身不随になった。言い添えれば、その日を境に人生も一変したわけだ。医師の自負も社会的地位も資産、財産もその日から全て失った。有意変転、栄枯盛衰この世の無常を身をもって味わったわけだ。以来無為徒食に耐えてきたが、何より恐れた点は、精神的欝状態になることであった。入院中から努めて現実から目を背け物事をシリアスに捉えまいと努力を重ねてきた。お陰で、連れ合いをなくしてからも極めて、不真面目で、いい加減さを保つようになれた。旅行も含めて快楽優先、楽しむことに浪費することは、意に介さなかった。数知れぬ豪華客船クルーズなどは、恰好の遊び場所になった。飛行機もファーストか、悪くてビジネスクラスだ(笑)築き上げた資産は惜しげなく売り払った。傘を持ち歩くと、雨を呼び込む。←娘の言葉だが真に的を得た名言だ。蛇足だが、傘を持たずに香港のディズニーランドでスコールに遭って下着までびしょ濡れになった。障害者ゆえに、楽しい半生は送れたが残りは、夕日で染まる黄昏の恋に出会いたい・・。そんな人と地中海クルーズで最後のカジノでプレイをしてみたい。「オールイン!」←すべてを注ぎ込む・・・だ。 合掌
2007年09月04日
コメント(0)
そんなものは、芸術の分野での絵空事としか思っていなかったが、聖書の【愛の定義】を納得するためには、そのラブをぬいては理解出来ないと、思った。いい年をして今更どうでもいいが、寧ろ、プラトニックラブこそ年齢に相応しい愛の形であり老年の醜さを補う愛だとも考えられるようになった。【愛は辛抱強く、また親切です。妬まず自慢せず、思い上がらず、淫らな振る舞いをせず、自分の利を求めず、刺激されても苛立ちません。・・・すべてのことに耐え、信じ、希望を失わず、忍耐します。愛は決して絶えません。】然し、難しい。云うは易し、行うは難しだ。もんきーには至難の技である。「・・・・色気は?」と、聞かれた国定忠次の母は、火鉢の灰を掬って見せたという逸話は有名だ。即ちもんきーも灰になるまで、スケベーと、いうわけだ。愛に妬かれて、棺おけでまた焼かれるまでは、逃れられない運命と、いうわけだ。・・・・よろしゅうおたのん申します。あとは、また明日考えよう・・・・。 合掌
2007年09月03日
コメント(0)
人は、年をとるだけでどんどん孤独になっていく。みんなそうだ。ある意味での私達の人生と、いうのは孤独に慣れるための一つの連続した過程に過ぎない・・・・>村上春樹~。好きなフレーズだが時々反芻してわが身を慰める年齢になった。茶のみ友達ができない身では、秋の気配と共に早すぎる夕暮れに、ネガチブになる。癒してくれるのは、高価なグラン・クリューのワインだけだ。PC上にも07年のボジョレー・ヌーヴォの予約注文の広告が目につく季節になった。益々孤独の影を覚えるがみんなそうだと、思い直す。諺に「遠い親戚より近くの他人」と、あるが親戚どころか家族と、言い換えたくなる咋今である。短かくても時間どうりに顔を見せてくれるヘルパーの方が余程優しく頼りになる。時には、PC上のおびただしい何とかメールに誘惑を感じる(笑)昔の彼女の言葉が記憶に蘇える。『・・・・まだ足りないの?』足りな過ぎて、昔に戻りたい!人間とは、常に物語を作り、それを信じることで【生・老・病・死】を超えることが出来るのではないか。自殺するしかない人は、そうすればよいのだ。】<五木寛之~>←暗いけど、いいフレーズだ。 合掌
2007年09月02日
コメント(2)
間違いのないように辞書で確認をする。頑固で人の説得に従わない・・・強情なようす。愛し合う当人は、大なり小なり、そんなものだ。そればかりか、人生の色々な状況でかたくなさに遭遇する。拡大解釈すれば、人間の妬み、憎しみ、戦争も、その性癖からだろう。一歩ひいて相手の立場になって考えれば済むことなのだ。蛇足だが、大相撲を一人横綱として立派に協会を支えた朝青龍に対する非難は、人の心のあての無さを痛感する。相撲史に残した前人未到の業績、それに送った賞賛の数々は、どうした?立場が違えば、些細な事件に過ぎないのに、何故見守ってやれない。それを過剰非難する資格がマスコミや世間にあるのか!真実を知らせる義務権利だけで正義ぶるのは、止めて欲しい。世間は、過去の恩義に正義という旗を振って、ツバを吐きかけて良いか・・・どうして許す気持ちが起きないのだろう。次ができたら、ソッポを向く浮気者と、似て非なりだ。栄枯盛衰、無常の鐘を鳴らすのは誰だ。 合掌
2007年09月01日
コメント(0)
衰えを知らぬかのように、燃え上がっているように見えたが、ある日突然にその勢いにかげりを感じた。以来それは急速に勢いを失い恋の終焉を告げるかのようだ。果たして情熱と呼ばれるものは何を指すのだろう。しばしば、それは、野火のように燃え広がって、はた迷惑だ。ときには、おたがいの炎で火傷を負って醜い傷跡になる。今も忘れない学生時代の本がある。それはスタンダールの「パルムの僧院」だ。映画にも熱中した記憶がある。スタンダール文学のテーマは人間の持つ情熱で人生至高のテーマである。生きる上での最高の意義と考える。もんきーは、アレルギー体質?なのか、昔から文学、絵画、骨董をはじめ刀剣、切手に至るまで一っ時被れたものだ。特に美しいものにはアナフィラキシーショックさえ起こしかねない?(笑)装飾品、女性、宝石などもその類に入る。目移りすること情熱より、浮気に近くなる。至高の情熱を語らんとしてその意義を失った。もう一度「高校三年生♪」に戻って、情熱の追試を受けてみたい。 合掌
2007年08月31日
コメント(2)
父の独り身を案じる娘が昨日来阪したが孫の成績が悪いと、嘆き、怒る様に慰めようがなくて本当に困った。妻なら上手く相手になって、適当なアドバイスも出来るのだろうが、つぶしのきかない父親では、なす術もなく共に涙をながすばかりだった。問題は成績ではなくもう二度と、逢えない、話も出来ない悲しさだろうが、その心情が手に取るようにわかるだけに痛ましくて見ておれない・・・。娘も哀れ、孫も哀れ、なす術もない父親も無残である。作家・江藤淳の比ではないが、宿命のもたらす悲しさは、比べようはない。時間が癒すと、聞くが時がこれほど遅いとは思わなかった。それでも未だ煩雑さに追われている内は、救われるが、喪があけたらどうなるか?成績が楽しみである。地獄に落ちて留年だけは、ゴメンこうむりたい!?成績優秀?で妻の念願は、果たしたいと決めている。・・・・先のことは、また明日考えるとしても悲しみに溺れないよう気をつけよう。 合掌
2006年12月22日
コメント(0)
それは、また特別のものがあるらしい。電話でまだ悲しいの・・・と、聞くと胸がつまった。そんなときの父親は、つくずく、つぶしのきかないものだと思った。嘆く気持ちは、わかるが慰めようがない。二人の子を当産婦人科で産んだばかりか安心して半年近く亡母に甘え世話になった娘だ。成長すれば入学、進学問題をはじめ限りがなかつた一番の、相談相手であり愚痴の相手でもあった。電話で娘と長話をする妻を横目に寧ろ娘・孫の将来を案じたものだった。折りしも、期末テスト中を案じた妻は、最後まで連絡を拒みつずけ・・・テスト終了を待ちかねて連絡をした。その心情は察するに余りある。また急を聞き駆けつけた娘・孫らの嘆きようも生涯忘れ得ぬものであった。長男の50周忌を目前に急逝した妻の無念は、もんきーが果たさなければならない責任義務と、心している。「愛別離苦」死ぬも哀れ、生きるも哀れ・・・娘・孫らの平穏無事を祈るばかりだ。 南無大師遍照金剛 合掌
2006年12月20日
コメント(0)
愛する人と別れる辛さ苦しみを指す・・・(佛教)四苦八苦の一番だそうだ。苦しみの一番!・・・は、耐えられないタイプと思う。日暮れの早いこの時期は、寂しさが身に染む。何を思い何をしようが・・・生きている限り二度と、逢うことも声を耳にすることは、出来ないわけだ。我慢して生きながらえても孤独が癒されることは、ないだろう。誰であっても唯慣れるしかない。趣味も思い出も本質的に同じだ。一っ時自分を紛らわせても過ぎれば寂しさは、募る。薬だってワインだって、同じだ。だとしたら、みんなどうして生きながらえられるのか?多分、慣れ、諦め、忘れ、生き続けられるのでは?、難しく考えないで時の経つのを待てればいい・・・。努めて余計な思いを紛れ込ませないことだ。どんな死も「死」は「死」であると読んだ記憶が残っている。しかし自分のことになると、そう簡単には、割り切れない。妻は、二人の子供、孫&夫に限りなく惜しまれ、逝ったと確信しつつ自分を慰めている。・子供、孫らは、、ラスベガスやQP2とかへ・・・誘ってくれる。正直なところ半分期待し半分、自信が持てない心境なのだ。 合掌
2006年12月19日
コメント(0)
氷雨の水曜日・・・葬儀を済ませたばかりだ。思いを整理する意味で、PCに向う。生前のことを思い浮かべつつ・・・以外に平静な自分に驚いている。心残りなく葬儀を済ませ、,悲しみより安堵感が勝る。楽になれた妻を思うと、悲しみなぞ何ほどのものでもない。傘の心配は雨を引き寄せるとは、娘の言葉だが至言である。楽になった妻にまけないよう生きると、しても惜しむべき身でもなくなったもんきーには、、明るい道も見えてくる感がする。それが本ものか否かは、まだまだわからないし自信もないが時間が解決してくれると、聞いた。多忙に追われている間が華だろう・・・。 合掌 南無大師遍照金剛
2006年12月15日
コメント(2)
恐れていたことだ。脅えて生きるのはまっぴらだと、思っているもんきーだがそれが現実性を帯びてくると、どうしょうもなく心が震える。普段のこころ構えなぞ意味がないと思う。何時もは、気丈な妻だが、口をきくのも煩わしくみえて胸がつまった。口に出さずに「・・・ゴメン」と、いったら慰めや励ましの言葉を見失った。早々に引き上げたが、灯りの消えたリビングに朝から放りっぱなしのままの新聞が非日常性を物語るかのようだった。独り住まいの家は、寒く冷たく死んでいる。今朝の電話で、あれこれ注文をつける声を聞いて、一安心した。・・・が 良きにしろ悪きにしろ、いつものたかをくくった冗談が浮かばない。夜が更けると不安や幻想で身の置き所のなさにつまされる。ワインもDVDも慰めにならないばかりか物理的な危険が増すくらいだ。独り住まいの転倒なぞ助けを呼ぶにしても哀れなだけだ。空模様は雨足が速くなるようなら外出は中止! 合掌
2006年12月07日
コメント(2)
NHK土曜ドラマのタイトルだ。四国八十八ヶ所巡礼で道中の様々な事情や悩みを抱えた人間模様のドラマだ。巡礼に心惹かれるものを感じていたので、そのドラマも興味深く欠かさずに見た。めでたく先の土曜日で完結した。もんきーも登場人物に我が身を重ねて八十八ヶ所めぐりを終えたというわけだ。もんきーの出身地は四国、宗派は真言宗で、お大師さま(弘法大師)を信奉する一人である。ドラマの中で「人生が巡礼なのだ・・・」「迷ったらどうする」「歩きます!」のセリフに毎度のように感銘を受けた。そして歩けない者は、どうすると、考えた。・・・・答えは「迷い続ければいい・・・諦めないこと」と悟った。そういえば、昔から名言、諺、格言の類が好きだがどうしてだろう?学問に疎かで遊びに熱心だったせいかも・・と、いったら妻に吹きだされ、当たらずとも遠からず!?と自信を得た(笑)続けて笑う門には福来る!と相場覧を開いたらそちらは、泡がはじけた!!(キーキーキ、キ!・・) 合掌
2006年12月04日
コメント(1)
体験記は既に医師会雑誌に発表済みで、沢山の会員諸氏からお見舞いと励ましの言葉を頂いたものである。それからもう11年余りになる。初めのうちは、各地の著名リハビリ病院を転々とした。その内、駄目になった身体機能は、器具を使いこなせば良いと考えた。、そこで車椅子で旅行しながら社会復帰に努力した。残念ながら祇園のお茶屋遊びにまでは、至らなかったが旅行は<一期一会>と、贅をつくして心残りはない。妻も若く気合も入って、そんな私のケアに骨身を削ってくれた。残したところは、アフリカ、インド&アマゾン流域だがチャンスがあればと、諦めてはいない。細かい部分のリハビリは、気にしなかった(妻に任せて・・・)せいで日常生活の様々なシーンで不自由さをかこつはめになった。身から出た錆だが時々苛立ちつつ・・・我慢しながらやり過ごしている。それを特に意識するようになったのは、妻の入院からだ。以来、何かと、不自由、孤独について身近に考えるようになり、気持ちの晴れない日々にしばしば気ずく。言い換えれば、わかりもしない近未来の幻想に脅えると、いうことだ。「どちらが先かわからないわよ・・・」と妻は、笑うが安心できない。何故なら「もんきー007」は当分、廃盤になりそうにないのだ!? 合掌
2006年12月01日
コメント(6)
もんきー007宛に送付され驚いた!?日本赤十字大阪府支部長大田房江と記名捺印された紛れもない感謝状ある。多額の社資を云々と、あったが、社会に尽した・・・も身に覚えがない。しいてこじつけたら、長年の医師会との関連ぐらいしか思いつかない。・・・・そういうことにして有難く頂くことにした(笑)生きていると、思いがけないことに会うと、見聞きするが、いつか秋の園遊会の招待状が届くかもしれない??自信を持って出席できる理由は、「その身体でよく明るく頑張りましたね・・・」の、陛下のお言葉位しか思いつかないが!?・・・余り難しく考えないで、また明日考えよう。 合掌
2006年11月30日
コメント(2)
繰り返し報道されるいじめ自殺のニュースを見ると、さすがに専門外とはいえ無関心でおれなくなった。この問題は、いかにも奥が深くてツカミどころがみえないかにみえるが、本当は簡単なことかも知れない。その元凶は、戦後のGHQによる意識&教育改革に端を発しているかにみえる。おしきせの民主主義~暴力否定は<忠臣蔵>上映禁止にまで及ぶ始末だった。日本民族の精神的矜持もひっくるめて、一緒くたに否定されたものだ。代わりに口先だけの権利、義務が幅をきかせた。戦後60年、未だ時々形を変えて顔をみせる気がする。現在のいじめ問題も子供より親、先生側の反省も促したい。果たしていじめる側の両親には、問題はないか?先生は、生徒の人気や受けばかりを狙ってはねらっては、いないか?いじめられっこは様々なメッセージを発していると聞くと、先生や親の自己虫?も否定できない気もする。省みれば、もんきーも小学生~中学1・2年頃までは、それに似た体験を思い出すが現代のような深刻さは思い当たらない。今のいじめとは根本的にどこか違うようである。ゲーム世代といわれる現代っ子は、主人公が死んでもリセットすればいい・・・同じように命の重さを知らない考えないのでは?学校でのいじめや家庭での虐待など戦後教育のゆがみを正すうえにも教育基本法改正の早期成立を望みたい。 合掌
2006年11月15日
コメント(2)
退院後も自分でお粥を作って食べる妻に胸が重い。「美味しいわよ・・・」と答える笑顔にも素直に頷けない。茶碗に半分のご飯でお腹は、いっぱいになる。もんきーでもそうだ。力もつかないし体力は、いうまでもない。一週間ぐらい付き合ったら便秘になったので元に戻した。妻のためにワインもチーズも控えているので気分が晴れない。健康には低カロリーで悪くないだろうが精神的には不健康だ。妻と代わってやれればいいがそうはいかないのも人生だろう。もんきーは、長生きしそう・・・と言われると、お世辞に聞こえる。今日まで、分っていながら無茶をしてきたが人生を二つ生きた気もしている。妻と共に元どうりは望めないとしても工夫しながら頑張って生きるしかないだろう。「人間、頑張って生きるか、頑張って死ぬか・・・」どちらかだろう←映画<ショウジャンクの空に>の中のセリフだ。より美味いヌーヴォのためにイベリコ生ハム&ロックホールパピヨン(アオカビチーズ)を用意して初めての休肝日を今夜も頑張るつもりだ。 合掌
2006年11月14日
コメント(2)
一っ昨日の夕刊で成田に到着したヌーヴォがスチュワーデスに抱えられた写真を見て胸が痛くなった。今年は去年の愚を繰り返すまいと、之まで飲んいないヌーヴォに止めていたら、僅か8本になった。妻に「・・・いっぱい飲んだから卒業ね!」といわれて昔の患者さんに「・・・いっぱい遊んだからもういいでしょう!?」と、云われたのと、同じだと思った。果たして、そうだろうか???と自問してみたがまだまだ飲みたりない遊び足りないと、思った。貪欲な性なのだろうが気持ちの何処かで、多寡を括った不真面目なところもなくもない。現実を直視しないと、いわれるが見ても見ていないと、いうことは誰でも経験することだろう?脳出血~退院して「わかっているのに・・・」「こりもしないで・・・」と、誹謗されながら止めなかったワインである。心残りがないように・・・見切ったヌーヴォを急遽発注!留年と、決めた!! 合掌
2006年11月12日
コメント(1)
一日の稽古後に階段でつまずいて左親指の剥離骨折により九州場所を全休することが決まった・・と、朝刊スポーツ面の片隅で見てツイテないな~と思った。そして、いいことは、続かないからこそ、その時々の幸運は思いっきり使い果たさないといけないと改めて考えた。美味しいものは、後に残さないで頂く>・・・自然の法だろう。楽しいことだって同じだと思う。勝って兜の緒を締めよ!より勝ち続けたらいい!?勝てない不運に見舞われたら頭を低くして不運がとうり過ぎるまで待つ辛抱も必要だろう。勝つよりその方が難しいのは、云うまでもない。白鵬は、来年一月の初場所は初のかど番となる(負けこせば、大関陥落)しかし、綱とりの大関のイメージが強いだけに調子の波に乗れと、いいたいのだ。先のわからぬ明日に備えるのは自惚れのそしりを受けかねない?乗りすぎてもんきーみたいになるのは、考えものだがそれは、そのとき考えればいい?人間たるもの凡そ不運にそなえる準備とか心構え等は、危機に直面した場合どれくらい役に立つだろうか・・・いつも疑問に感じるところだが、それを考えない人もいないのでは・・・。「人生を余り難しく考えてはいけません。おそらくほんとうは、もっとずっと簡単なものなのでしょうから。」文豪チェーホフがかっての恋人へ宛てた手紙の一節で、折にふれ思い出すフレーズでもある。白鵬も精一杯やったらいい・・・。貴乃花、千代の富士等の横綱は、もう現れないだろうから。 合掌
2006年11月10日
コメント(0)
この世紀末的混沌の世界情勢、環境で、未熟な思考錯誤に時を費やす自分に自己嫌悪と、慙愧の念を覚える。精神が老いたのか、それとも身の不自由のせいで、思うように行動が出来ない不満が鬱積しているせいであろうか。過去になった夢一杯なクルーズや遊びも、単に現実逃避に過ぎなかったのか。あれこれ思いを巡らせながら・・・記録映画「皇帝ペンギン」のシーンを重ねて夢想する。特に繁殖地に向かって氷上を行進する7000羽の縦隊の群れは神の手に導かれる巡礼者を思わせた。ドキュメンタリーは、その生態を準備期間3年、撮影時間8880時間に及んだという。零下40度の極寒の地で昼夜を分たず卵を温め続け、3ヶ月は何も食べないでメスの帰りを待つという。言葉に言い表しようもない苛酷な営みは、「生」のキーワードは耐えること・・・と言う解説者の声さえ虚しく感じたものだ。もんきーはペンギンではないのでその宿命はわからない。他人の痛みや運命と同じように・・・。つまりワインに酔った気持ちの内でオセンチに感動し、感銘を受けたに過ぎない!?しかし深まる秋の夜長には、心励まされる「生」と「死」のドキュメンタリー(DVD)と記憶に留めたい。 合掌
2006年11月09日
コメント(2)
誰でも何時かは、そうして独りになる。頭では分かっていても、寂しさは、増すばかりだ。年齢のせいかとも考えるがそうでもないらしい。淋さをやり過ごす方は、ないものかと、DVDを眺めたり、チャンネルを回す・・・。若い頃から交際交友に不足した記憶は微塵もなかったし、それは老いの慰め、癒しにもなると、思っていた。身体が不自由になってからは、妻の介護に甘えてパック旅行~海外旅行まで不自由な分はお金で補えばいいと、楽しみを追いかけ無聊を慰め現実から目を反らし今日に至った。妻の入院も、それに伴う不安、孤独も身から出た錆であり代償といわれれば返す言葉はない。頭での反省や、いい人生訓は、そのときには役にはたたないように思っているが本当の悲惨さを知らない甘さ、幸運なのかも知れない。あるいは、知的能力の低さ、几帳面でない性癖も有利に働いているのかも・・と考える。バカ、不真面目の内だろうが悲惨な現実には、色ボケも悪くないのでは・・・?今夜は28年間ジャングルで過ごした元日本兵のことでも想いながら青かびチーズにアルザスの白ワインを合わせて独りをやり過ごそう・・・ 合掌
2006年10月28日
コメント(2)
北の核実験で政治外交は、各国の本音、建前が混沌として政情穏やかならぬ感がする今日この頃である。せっかく景気も、いざなぎ景気を超えんとしていると、いうのに何が起こるかわからない一抹の不安を覚える。毎日、株式相場を睨みながら落ち着かない。大山鳴動ねずみ一匹!どころではない。誰がボタンを押すか?人間のすることは予測は出来ない。それに関して朝刊の片隅で興味深い記事を見た。それは、、安保理が決議を採択し、軍事的攻撃をしたらどうするか?の問いかけへの北の国境警備隊員の答えなのだが「むしろ戦争でも勃発して一日でも早くこの鬱陶しい時代が終わればと、思っている。・・・」様々な解釈があるだろうがもんきーは、映画「猿の惑星の最後」でのセリフを思い出した。傷ついて切羽つまった主人公が「くそったれ・・・!」と、水爆のボタンを押すシーンだ。そして・・・宇宙から一つの惑星が消滅した・・のナレーションで映画が終わる・・・・未だに時々思い出す(笑)不平不満の種はつきないので「見ざる、聞かざる、話さざる」の日々が増えたように思う。冬の忍び足を感じる朝晩だが、ヌーボ、クリスマス&お正月を思へば寒い季節もそんなに悪くはない。 合掌
2006年10月18日
コメント(1)
ワインにチーズとは、よく聞くところである。ワインお宅のもんきーは、さぞチーズにも拘りがあるだろう?その知識も・・・と、思われるであろうが実は、チーズは余り好きではない。その知識も皆無に等しいのである。それが突然、ここ数日来、あれこれ、チーズを物色してワインのつまみにしている。重いフルボデーのワインにブルーチーズを口にして昔を思い出した。・・・通ぶって、そのためにホテルのバーへも、よく出かけた。まだ、我が家に眠っている高価なシャンベルタン・クロ・ド・ベズ、、シャトウ・ディケム等々も、水と、ロックフォール・パピヨンがあれば、その大理石のような青カビを愛でながら秋の夜長を過ごすには恰好である。あなたのためにブリー・ドゥ・モー(白カビ)も用意しょう。それは「、チーズの王様で、王様のチーズ」と呼ばれるものだ。いずれもAOC(原産地呼称制度)認定チーズで、いいかえればフランス政府のお墨付きともいえる(笑)ワインと並んでチーズにもAOCがあることは、正直、今日まで知らなかった。軽い、ミディアムボディークラスはフリム・ダンベールかブルサンなどがよく会うようだ。○○、ワイン、DVDと、好きなものを渡り歩いていたが次は、チーズだ!?「浮気性なのよ!」と妻に言われながら今夜は、どのワインにどのチーズ?・・・が楽しみになった(笑)因みに、妻はチーズ(特にカビ系)はワインと同じく好みではない(キ・・キー↓) 合掌
2006年10月03日
コメント(1)
大儲けを企んでミクシイ株に手をだしたが、今日も買えない。魔法の言葉を呟きながら中々買えないのは、もんきーがツイてる証左か?新たなサイト系で若者の人気を博した企業だ。会員数も500万を超え、現在は、近く800万も手が届く勢いだと、いう。特徴は、同趣旨の会員制システムとかで、それぞれのグループ(ターゲット)に絞った広告が主な収入源だそうだ。そうしたアイデアは、アメリカが発祥の地らしいが、いち早く取り入れたミクシイも凄い。企業の今後の発展成長が期待出来る。何より企業の若さ、フレッシュさに魅力を覚える。上場当日は、凄い人気で一株155万円の株が買い気配で終わり、どこまで上がるのかと、持ってもいないのにネットから目が離せなかった。結局、騒ぎ立てた割りには、315万に落ち着いたが以来、安値を狙って指値を繰り返してドキドキしている。過去の反省点も多々あるが、久々の一発勝負に老いの血を騒がしている。ゲット出来たら、ツイてる!?買えなかったら、それもツイてる!?と信じて運を賭けている(笑)今日は、ブログで気を紛らわせながら合格発表を待つ受験生そのものである。 合掌
2006年09月20日
コメント(1)
最近のマスコミ報道を見聞きしながら、安倍氏の構想が一番だと、思っている。特に氏の「美しい国、日本」が気い入った。そして「国民が自信と誇りを持てる国ずくり・・・」は、他におもねることがない立派な政権構想だと思った。近隣諸国の顔色を窺ってばかりの政策は、もううんざりである。死者を鞭打つようなA級戦犯論議も聞き飽きた。靖国問題を毅然と処理できないような小利口な政治家にだけは首相になって欲しくない。安倍氏は新憲法と、教育改革を掲げているが期待したい。安易に親を殺したり、わが子を殺す最近の風潮を是正するためにも豊かさや老後の安泰は、目先の枝葉の政策に等しい。個人の権利についても一面、保護過剰(戦後民主主義の落とし子の一つ?)にみえることがある。青少年犯罪も未成年だとか、責任能力の有無で罰を左右するなぞ、片手落ちも甚だしい!未成年の重罪犯罪も同じで、被害者側の立場も考えるべきだろう。・・・あれこれ考えると教育改革こそ国家百年の大計の基盤と考えている。衆知のように総裁選レースでは安倍氏が他の候補を抑えて群を抜いているが逆転大穴はないだろう。 合掌
2006年09月02日
コメント(1)
大切なのは、使い方!?そのコツは、1)嫌なことがあったら『ありがとう』2)いいことがあったら『感謝します』3)普段から『ツイている・・・』を口癖に・・・。それだけのことだが、その効果は娘に貰った【魔法の言葉】の本を読みながら試すことにした。目下、7日余りだが万事最近調子がいい。先ず起床時から笑ってしまう。妻が「お早うございます。ツイている♪ツイている・・・」口先だけだが笑う。負けずに、もんきーも反芻しながら笑ってしまう。暑い、曇り空でも気持ちが和む(笑)そして、本当にいいことが起こる。昨日は、思いどうりに○○・バンクの株が買えた。今秋発売予定のDVD<ダビンチ・コード>をはじめ、2っの新作を予約購入できた。ワイン部門では初リリースのヴォジョレー・ヌーヴォをゲット!・・・数え上げたらキリがない・・。それも、素晴らしいと、いえる。と、いった具合でブログを読んでくださる楽天広場の皆様へも、お伝えしたく思ったわけだ。因みに著者は工学博士、もんきーは医学博士で科学者の端くれと自負している(笑)<結果良ければ、全て良し!♪>口先だけでもいい「ツイテいる」から試してみては?・・・。 合掌
2006年08月31日
コメント(3)
残暑真っ盛りながらヌーヴォーの予約受付が目立ち始めた。しかしもんきーのセラーには2005年ものが数本、飲み切れないまま眠っている。今年の解禁日(11月16日)までにきれいにしてヌーヴォーを迎え入れたいと・・・思っている。酒量もめっきり少なくなったので、今年は、これという数本だけに絞ろうと決めている。それでもやはり、ヌーヴォーの季節は、もんきーにとっては思い出とともに気持ちがときめくイベントとして待ち遠しい。初めて口にしたのは、京都へ向かう高速を降りた幹線道路脇のレストランだったと、覚えている。若くて酒も強かったし、飲酒運転にも口うるさくない時代でもあった。車も今ほど混雑していなかったようだ。飲み残したタイユバン(パリ・エッフェル塔近くにある三ツ星レストラン)のヌーヴォー2005は、2006年のそれと飲み比べる夜が楽しみだ。冬色濃い季節が一っ時思い出色に染まる夜でもあろう(笑) 合掌
2006年08月29日
コメント(1)
露に即時解放を要求!改めて朝刊トップでみて、またかと政治外交ドラマの幕開けを思った。相手は大国ロシアとなれば、日本側もそれなりの覚悟が必要だ。厳しい自然環境で育った民族性は、辛抱強く、しぶとい。古くは、ナポレオン~ドイツと戦火にまみれながらも負けなかったお国柄である。第二次世界大戦では死に体、日本を目前に一方的に不可侵条約を破棄して国境侵犯、犠牲を払うことなく戦勝国側の権利だけをせしめたお国柄なのだ。北方四島返還もグズグズと戦後61年目である。陰湿な国民性の表れと、言わずしてなんであろう。今回の事件もロシアの政治的目論見が見え隠れする。四島返還の話もこれでご破算、し切り直しだろう?日本側にも何らかの落ち度があったようだが、銃撃されるまでもない問題だろう。35才で命を失った船員、ご家族の思いは如何ばかりであろう。本来ならば抗議だけですまされぬことだが、平和を錦の御旗とする日本では外交で決着をつける他道はないだろう。しかし少々危険を冒しても、毅然たる姿勢を最後まで示して欲しい。靖国問題でもそうだ。中・韓からとやかく言われる筋ではないのは明らかなのに、政治家の勉強不足か、<弱腰>がもたらした結果だと思う。ロシア当局者は、遺体は検視後に日本側に引き渡し、一乗員は捜査終了まで国後島に拘束、他の2名は日本に戻す可能性を示しゅんしたという。疑えば、この辺の言葉の綾が怪しい。ずるずる交渉の場を引き延ばされないように祈りたい。 合掌
2006年08月17日
コメント(2)
「四月の雪」「甘い生活」等ヒットして評判になった韓国映画を劇場で自由に観る術がないもんきーはDVDを予約してでも観たいと考えている。・・「冬ソナ」当時とは、えらい違いようだ。もう4年になるが、主演のペ・ヨンジュをヨン様と呼んだ過熱気味のブームは一時的と皮相的に眺めていたが、どうしてどうして韓国映画は、今や映画の都ハリウッドでも注目され、そのリメーク版まで決定しているそうだ。日本の女性には、特に恋愛ものが人気があり、韓国のスターたちも女性週刊誌に顔を見せないことがない位だ。妻は、韓国の男(優)は日本人より男前が多いと、一っ時話題にしていた(笑)連ドラでは、過日放映の「チャングムの誓い」が「冬のソナタ」に続いて日韓とも大ヒットしているという。物語の展開は相変わらず波乱万丈で、少々荒っぽい嫌いは、あるものの、主演のイ・ヨンエの見事な個性と好演が光る。ビデオ・ショップで次回放映分を借りようと何度か電話をしたがいつも「貸し出し中」だ。今では、「韓流ブーム」と、笑っておれなくなった。寧ろドラマを通じて韓国の民族性や文化の一端も窺い知れ、、それを通して日韓の文化交流の輪をが広がれば、何よりだろう。 合掌
2006年08月14日
コメント(0)
昭和天皇まで話題にしてA級戦犯の云々を問題にする日本とは、如何なる国であろうか?小泉首相ではないが「靖国参拝」は、戦没者に対する哀悼の念を表するということでなんの問題もないはずだ。それをとやかくいう方も???だが、石原慎太郎氏がいうところの日本の「平和憲法」にその根源があると考える。卑近な問題だが北朝鮮の高官たちは、日本がもし拉致問題にからめて経済制裁を行うなら瞬時にして日本を火の海にしてみせるなどと揚言したそうだがまさか、そこまで北朝鮮が無思慮だとは思わない。しかし、そうした害意ある他国に対する備えは必要である。またそれへの【報復】を行う権利があることは、論を待たない。迅速なる、対処に支障をきたす「平和憲法」なら直ぐに改変すべきである。政治家の長所も、認めるが自国を守るのに功利的であってはなるまい。戦中派を自認するもんきーは、当時の記憶は後遺症になってある面では、懐かしい古いDVDとして残っている。 合掌
2006年08月07日
コメント(1)
日中の外出は暑さに負けて。活動するのは、もっぱら夜だった。今は、半身不随だから、それも駄目。クルーズもなにも思うにまかせぬご身分になった。それに、この暑さでは、ご近所の町角を曲がるのも億劫になる。老いただけではなくて気合、気力が乏しくなったわけだ。心掻き立てるクルーズでもあればだが、それも帯に短しタスキに長し?。・・・・深く考えないでも、なかなか、行動に移せないのも実情だ。在宅時間は、増え、いつやら昔のDVDを取り出すようになった。ワインの趣味は変わらないがDVDが加わって、株式相場がない日は、パソコンの前に座る時間がそれに変わった。即ち、DVDとワイン情報だ。医学生当時は、映画同好会にはまっていたせいか懐かしい映画は、後を絶たない。彼女とのデートで見た映画、感動したものとか、キリがない。それを検索すると、次から次ぎにDVDが出てくる。一例を挙げると、「第三の男」であり「誰がために鐘が鳴る」比較的新しい記憶は「ローマの休日」やら「風と共に去りぬ」など忘れ難い映画だ。、・・・限りがない中でも一番!は、フランス映画ジェラール・フィリップ主演「パルムの僧院」「肉体の悪魔」がある。過去を振り返るのは、女々しいと、決め付けていた頃もあったが振り返りだすと、決壊した大洪水も顔負けだ!(笑)蛇足だが、そんなもんきーに何故!?面白くもなにもないハード系息子が誕生したのだろう親父の、おふざけには、興味は示さない。祇園遊びの極意を伝授したくても、また海外の遊びどころ・・・?。【クルーズと夢とワイン】も「豚に真珠」だ。もっと、不真面目に精進しないと、安心して死ねない。娘は美人で勇猛果敢である。何より光り輝いて、豪胆で可愛い。京都で一台しか無い大きな美容機器を備えてマスターとして活躍している。だが、二人かかっても、パパ(もんきー)を超えられない(本人たちは、・・・???)と、思っているが、誰にも認めてもらえない!!(泣) 合掌
2006年08月06日
コメント(3)
靖国参拝について宮内庁長官の「昭和天皇メモ」の報道記事を見て、軽佻浮薄かもしれないが、政治の深謀遠慮(先々のことまで深く思い巡らして計画を立てること。深慮遠謀に同じ)に感心した。敗戦後の天皇陛下の戦争責任云々の風潮は忘れもしないが、万一の為の窮余の一策の内だったのでは?と、考えた。そして今、靖国参拝に揺れる自民党内の思惑などが重なってか、降って湧いたような「昭和天皇メモ」が世にでてきた。それを政治家の深謀遠慮に重ねて思うのは、考え過ぎ、褒めすぎか?いずれにしろ、いいタイミングである。中国をはじめ対外的にも、国内的にも具合がいい。死者を鞭打つような言動に臍を噛む思いを味わった国民にも、妥協ができそうに思っている。言い換えれば、経済大国になった中国を無視できなくなったと、いうことだ。口惜しいが、逆に!靖国問題は、外交カードとして利用したらどうか?そして終戦記念日は、、ご先祖様になった英霊に黙祷を捧げたら良いと思う。 合掌
2006年07月25日
コメント(3)
云うまでもなく龍・鵬の一番だと思う。その大相撲に白鵬の実力が際立って見え、優勝に準ずる成績として場所後の横綱昇進も可とも思った。そんな期待を打ち消すように、早々と、それを否定する審議会の報道が流れ一瞬、裏切られたような感を覚えた。さすがに白鵬のショックは覆うべくもなかったが次期横綱を目指し、期待したい。6回目の優勝を果たし、横綱昇進を見送られた貴乃花を思い出した。しかし、次場所で全勝、文句なしに横綱になったことは、忘れられない。白鵬も本当の横綱になる自覚があれば、貴乃花に負けない意地を示せばいい。後は天命だ。チャンスは、またあると思ったが、それが最後で二度となかった!>忘れられないフレーズだ。白鵬にも同じ危うさを覚えるのは、之まで様々な分野で、見聞きしてきた事実による。卑近な例では、先場所の栃東であり、過去の魁皇が挙げられる。大関返り咲き期待の雅山関もしかりである。自分の思いどうりにならないのは、世の常であり、お釈迦様も、この世は無常と説く。朝青龍もかっての激しさ、勢いに穏やかさが覗いて見えた。蝉の声が際立って聞こえる晴天だが梅雨は、終わったか?サマージャンボを買いに出かけようか(笑) 合掌
2006年07月24日
コメント(1)
大相撲中日を終えて優勝候補に挙げられる力士並びに将来の大相撲を背負うであろう関取が目立ってきた。白鵬はその筆頭と、いってもよいのでは。新大関としての初日は、いただけけないとしても、その後の強さ、取り口は実力どうりの見事さで、連続優勝後の横綱昇進も充分期待できる。その姿は、かっての横綱貴乃花を彷彿させるほどだ。体型もどことなく似ているように見える。その行く手を阻む大きな存在は、いうまでもない大横綱 朝青龍である。先場所までの不名誉な取り口が一掃されたかのような心・技・体の充実ぶりを窺わせる。加えて数え切れない修羅場を潜り抜けてきた経験は目に見えぬ大きな力になっていると、考える。龍・鵬の一番は、今場所一番の楽しみとなった。話は変わるが外人力士のマナーが漸く、取り上げられ始めた。「一獲千金」を夢見て相撲界に入る外国人力士に上下関係を重んじる角界のしきたり等は理解不能かも知れない。しかし、角界に入れる以上は、日本古来の伝統文化について、しっかり教育をして頂きたい。大相撲存続のためにも大相撲協会並びに親方の今後の努力がより必要だろう。そうした意味では昨日の露鵬の行為は、しきたりにあぐらをかいた協会への反省への一石となり、よかったのでは?ついでに、野球での審判を巡っての乱闘も思い出した(笑) 合掌
2006年07月16日
コメント(0)
それは、まるで梅雨空の打ち上げ花火だ。時代錯誤を思わせる、冴えないお騒がせだったが、その後始末がまた大変である。世界各国、特に日米中露の国益を踏まえた外交合戦は、正論本音を取り混ぜて、躍起になっている様は国連という舞台で演じる役者の打ち合わせみたいだ。国力まで見え隠れして、ときに醜く、ときに煌びやかにさえ見える。北のかたくなな言い分も分からぬではないが、退け時を間違えると元も子もなくすと、いうものだろう。北の国民の迷惑のほどもはかりきれないものがある。意固地になっている今の北の国情は、日本の昔を思い起こさせるものがある。<嘘からでた真>弾み、というものも想像すれば、北の未来を大切に考えて欲しいものだ。各国がそれぞれの国益にだけ狂奔していたら、映画「猿の惑星」の語り【・・・宇宙から一つの、小さな惑星が消滅した・・・・】になりかねない。蛇足だが、韓国の大統領の「日本は騒ぎ過ぎ・・」「先制の北ミサイル基地攻撃は、威嚇であり、軍備増強の口実に繋げている」も政治的意図ミエミエの発言と思っている。加えてミサイル打ち上げに合わせたような日本領海での探査船活動は真に許しがたい行為である。まるで火事場のドサクサに紛れたコソ泥だ!政府の毅然たる態度を望んで止まないが、憲法9条を持ち出す似非知識人が多いのでは中韓露ならずとも、舐められても仕方あるまい。平和がどうこうではなく、今の日本人の矜持が問題なのだ。 合掌
2006年07月12日
コメント(1)
お誘いの済州島旅行だったが遂に断った。孫たちも楽しみにしていたそうだが、断腸の思いだった。無理をして同行しても迷惑をかけては、楽しい筈の旅行がダメになる・・・が妻の考え。面倒をかけてもこちらが楽しみ、また楽しませればいいのではと思うのは、もんきーだ。娘の親孝行の真似事も思いっきり喜んでやれば、満足するのでは?寧ろ子供・孫・孝行だと思えばいいと今日まで夢を引っ張ってきたのだが、無理が利かなくなったわけだ。済州島には余程、縁が無いのか、これで3回目だ。行くな!ということかも知れない。無理をするなら、半端なことは止めて、Q2か・新造船ビクトリヤ号クルーズを選べということかも知れない。これも叶わぬ夢で終わり!?・・・かも知れないが、たかが夢だと思えばいい(笑) 合掌
2006年07月02日
コメント(3)
<漫才の島田洋七著>の文庫本を口コミで、読んで元気を貰った。がばい=すごい!・・・佐賀の方言だろうが、初めて耳にした。ばあちゃんは1942年、戦中に夫を亡くし、以来、厳しい戦後を佐賀大学と、その付属小・中学校の掃除婦をして五女二男の計七人の子供を育てて生き抜いてきた。俺がばあちゃんに預けられたのは、1958年で、ばあちゃんは既に五十八だったが、相変わらず掃除婦を続けていた。(プロローグ~)お解りのように、、この本は彼の自伝的、がばいばあちゃんの思い出話が骨格をなす。わかり易く、胸に飛び込んでくる話は、過去の貧しいけれど一面、豊かささえ覚えさせられた。著書の「0点のテストと、満点の作文」の章の一部分を原文のまま紹介する・・・・「1と2ばっかりでごめんね」と、ばあちゃんに言うと、「大丈夫、大丈夫。足したら5になる」と笑った。「通知表って足してもいいの?」と聞くと、今度は真顔で、「人生は総合力」と言い切った。でも、俺にはあまり意味が分らなかった。・・・豪放磊落というか、万事この調子で一面、氏を羨ましく感じられたものだが現実(孫たち)には通用しない話とも考えた。蒸し暑い今日この頃、一服の清涼剤、心のサブリメントとして是非一読をお勧めしたい。 合掌
2006年06月16日
コメント(3)
全1215件 (1215件中 1-50件目)