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森の声 @ Re[3]:「不自由を楽しむ」(不便が成長を促すのです)(07/18) タカハシさんへ 有り難うございます。 …

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森の声

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2024.09.22
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カテゴリ: カテゴリ未分類
(何回も目にしている文章かも知れませんが、何回も伝えたいことなので少し手直しして再掲載します。)

人間は「つながり」の中で成長します。言葉も、歩き方も、感じ方も、考え方も全て他の人との「つながり」を通してしか学ぶことが出来ません。どんなに高価な知育玩具を与えても大人との人間らしい関わり合いがなければ子どもの知能は成長しません。

そして、その「つながり」には大きく分けて二種類あります。
大人も含めた異年齢による「縦のつながり」と、仲間との「横のつながり」です。

異年齢のつながりは新しい世界、異質な世界との出会いをもたらしてくれます。

また、様々な年齢の人と出会うことで人生や、生き方ということを考えるきっかけにもなります。世話をされたり、世話をしたりすることで優しさを学ぶことも出来ます。また、言葉や、考え方、感じ方、心の使い方、からだの使い方、価値観などを学ぶのもこの「縦のつながり」を通してです。

つまり、いわゆる「人間性」と呼ばれるもののほとんど全てを子どもはこの「縦のつながり」を通して学んでいるわけです。
ですから、この「縦のつながり」がなければ、子どもは「一人の人間として生きていく能力」を育てることが出来ないのです。

子どもは人生の最初、この縦のつながりのなかに生まれてきます。3才くらいまでの子どもにとってはお母さんやお父さんとの縦のつながりが全てです。そのつながりのなかで子どもは歩き方や、言葉や、コミュニケーションの方法や、感覚や心やからだの使い方の基礎を学んでいます。


でも、横のつながりは縦のつながりと違って、何か「共有するもの」を必要とします。
それは例えば「言葉」を含めた様々なコミュニケーション能力や、常識や、知識や、技術や、趣味や、価値観などです。
それは大人でも同じですよね。

そして、そういうものは主に「縦のつながり」を通して学んだものです。
つまりそれは、3歳までに「縦のつながり」によって身につけたものを共有する形で「横のつながり」が生まれるということです。 ですから、お母さんやお父さんなどとよく森の中で遊んでいた子どもは仲間とも森の中で遊ぶことを喜びます。だからそういう仲間が集まります。でも、小さい時から家の中ばかりで遊んでいた子は家の中で遊びたがります。だからそういう仲間が集まります。

「仲間を作りたい」というのは子どもの本能なのですが、実際にどういう仲間作りをするのかということにおいては、それまでの親と子の縦のつながりが非常に大きく影響しているのです。

ですから、逆に言うと生活の中でのお母さんやお父さんとの縦のつながりがしっかりとしていない子は、仲間と共有するものを持つことが出来なくなるため、横の繋がりも作ることが困難になってしまうということです。 織物と同じように、「縦糸」がしっかりと通っていなければ、しっかりとした「横糸」は通せないのです。

そして、「横のつながり」を作ることができない子は、孤独になり、相手を否定することで自分の居場所を作ろうとしたり、様々な攻撃的な関わり方によって仲間とつながろうとします。

また、ゲームや空想の中に逃避してしまう子もいます。成長しつつある子どもにとって一番苦しいのは「孤独」だからです。だから必死になって「孤独」から逃げようとするのです。でも、一人だけの世界の中に居場所を作ってしまった子は、余計に仲間とつながることが難しくなってしまいます。
ちなみに、ゲームを通してのつながりは「支え合うことが出来るつながり」ではありません。相手はAIだっていいのですから。

ただし、発達障害などの子の場合はこの「縦のつながり」が作りにくいようです。そのため、結果として友だちに攻撃したりするような問題行動が多くなってしまうのですが、そんな時は“優しくしなさい”と叱っても無駄です。
トラブルは「横のつながり」の中に現れていますが、もともとの原因は「縦のつながりを育てることが出来ない」ということの中にあるからです。これは生まれつき障害のある子でも、「縦のつながり」がない状態で育った子でも同じです。



そして、「縦のつながり」がしっかりとしてくれば「横のつながり」も落ち着いてきます。この時、「横のつながり」の中だけでトラブルを解決させようとしても無駄です。また無理に“ゴメンナサイ”を言わせても無意味です。“ゴメンナサイ”は大人同士の関係改善のための言葉です。

ただし、ここで間違えないで欲しいのは、「縦の繋がり」とは、単なる「しつけ」のことではないということです。現代の「しつけ」はただ子どもの行動に規制をかけることだけが目的になってしまっています。昔のしつけには精神的なものを伝える意味もあったのですが、その“精神的なもの”に価値を感じなくなってしまった現代人はただ子どもの行動だけを制御しようとしています。そしてそれは結果として動物を調教する方法と似た方法になってしまっています。アメとムチを使った大人の権力による押しつけです。

でも、そんな方法ではいくら一生懸命にしつけても子どもが人間らしく成長することはありません。そして、しつけに熱心になればなるほど、子どもはペットのように大人に依存するようになってしまいます。そして、思春期が来たとき“自立出来ない自分”に苦悩することになります。

それが「縦のつながり」であろうと、「横のつながり」であろうと、「つながり」に必要なのは「お互いを認め合う双方向的な関わり」なのです。この双方向的な関わりがあるから大人から子どもへと大切なことが伝わり、また、仲間同士もしっかりとつながり、子どもは安定するのです。子どもが安定出来ないようなものは「つながり」ではないのです。

さらに「縦のつながり」においては「あこがれ」や「尊敬」や「信頼」の有無も大切な要素になります。例えば、小さな子は何でも出来るお兄ちゃんやお姉ちゃんに憧れを抱いています。だから、そこに「縦のつながり」が生まれるわけです。自分のことを大切にしてくれる大人に対しては尊敬や信頼が生まれます。だからそこにも「つながり」が生まれます。

「つながり」は共有するものであって、一方的に押し付けることはできないのです。
 このようなことは学校でも同じです。先生と生徒が信頼関係によってしっかりとつながっているクラスでは、「横のつながり」もしっかりとしています。逆に、先生と生徒がつながっていないクラスでは生徒は乱れ、学力は低下し、イジメなども多発します。先生と生徒の間に信頼関係のないクラスで道徳教育などやっても全く無意味です。“生命を大切にしよう”、“友だちを大切にしよう”と訴えても、先生と生徒の間に信頼関係のないクラスではその言葉に何の説得力もありません。ですから、イジメを子どものせいにばかりしてはいけないのです。

ですから、学校における最高の道徳教育とは、先生が生徒との間に信頼を築くことに他なりません。また、そのためには校長が一人一人の先生との間に信頼を築くことも必要になるでしょう。



子どもたちはこのような縦と横のつながりに支えられて成長していきます。そして、そのつながりの中で自由に生きることが出来るようになります。人は一人では生きていくことが出来ないので、「つながりの中での生き方」を学ばないことには、自由に生きることが出来ないのです。

でも、現代人はそのことを忘れてしまっています。そして、まだ一人では生きることが出来ない状態の子どもを縦横のつながりから切り離し、“自由に生きなさい”、“早く自立しなさい”と言って追い立てています。

それは、現代人が誰からも束縛されていない状態を「自由である」、「自立している」ことだと思いこんでいるからなのでしょう。でも、実際にはそれは自由でも自立でもなく、ただ単に「糸が切れた凧」と同じ状態に過ぎないのです。
そういう状態の子は「自分」や「周囲」に振り回されているだけです。一見自由には見えるのですが、本人は苦しいのです。





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Last updated  2024.09.22 06:23:55
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