7月
8月
9月
10月
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・市場の変化 FIO Winesは毎年3月中旬にデュッセルドルフで開催される業界向け試飲会ProWeinに出展しているが、近年は顧客の反応が変わってきたという。「以前は、昨年収穫されたブドウのワインが無い、と聞くと立ち去る人が多かったが、最近はそうでもなくなった。熟成したヴィンテージのワインが受け入れられている感触がある」とリンダさん。「高品質なワインの醸造には、時間が必要だと理解されてきたからだと思う。最初の頃は耐えねばならなかった。場所代、電気代、水道料金は必要だし、新しい収穫をいれる樽も必要。だから多くの醸造所は何年も樽で寝かせることをしないし、できない。4、 5年やって軌道にのれば良いが、それには品質が伴わなければならない。 長期的な視点をもって計画を立てねばならないが、私たちは上手くいっていると思う。昔からのやり方に固執してはならない。気候変動の影響もある。変えていかなければならないことはここ数年明らかになっている。昔の世代はいつも同じやり方で醸造していたが、今の若手はより多くの知識や経験を積んで、色々なことを試している。それが多様性をもたらし、リースリングをより興味深くしている」とリンダさん。 とても興味深いワインなのだが、現在日本では、少なくとも個人的な印象では、本腰を入れて紹介されているようには見えない。(参考:テッポ リースリング モーゼル 2020年 ドイツ - ワインリンク (wine-link.net))ポルトガルの有名生産者がモーゼルで手掛けるナチュラルワイン、という印象しかのこらず、フィリップ達が何を目指して取り組んでいるのか、見えてこない。いささか残念なことだ。 参考:29. Livestream "Das Fio Riesling-Paket von Niepoort und Kettern" (youtube.com)Fio Wines Piesporter Riesling Trocken Fio (Mosel | Germany) (moselfinewines.com)Dirk van der Niepoort: Portugal's greatest winemaker? (worldoffinewine.com)
2024/01/07
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・FIO Winesとケッテルンのラインナップ FIO Winesはケッテルン家とニーポート家とのコラボレーションで、2012年から始まったプロジェクトだ。ナチュラル寄りのワインで、低アルコール濃度と醸造に極力介入しないミニマル・インターヴェンション、最長5年間におよぶ長期の澱の上での熟成と、瓶詰前まで亜硫酸無添加もしくは微量添加が本筋のワイン。醸造過程で瓶詰前の一回だけ亜硫酸を添加するという生産者は、ドイツでは例外的だ。 FIOのほかにRätselhaft, Socalcos, Ururabo, Teppo (Tempoのポルトガル語で、Tempoはドイツではポケットティッシュの商標登録済のため), CabiSEHRnett, Falkenberg, Godtröpchenがある。この他にもペットナットのPiu piu、赤ワインのように果皮と一緒に発酵するオレンジワイン(JojoとGlou Glou)、ステンレスタンクと木樽で9カ月と比較的短い熟成期間で仕上げたFabelhaftや、そのノンアルコール版もあってヴァリエーションが豊富で、いささかややこしい。個人的には畑名入りのフラッグシップ2種以外は、3種類程度に絞っても良いように思う。 FIO Winesの影になっている感があるが、フィリップが5代目として継いだローター・ケッテルン醸造所も健在だ。生産量は年にもよるけれど、若干FIO Winesが上回っているという。畑面積はピースポート村の6.5ha(Goldtröpchen, Günterslay, Falkenberg)とライヴェン村のJosefsberg (Leiwener Laurentiuslayの区画名)を近年5.5ha購入した。 ピースポートのブドウ畑地図(Deutsches Weininstitut Deutsches Weininstitut: Regionenkarte des Deutschen Weininstituts (deutscheweine.de))ケッテルンのワインの味わいは、FIO Winesとそれほど違わない。昔からのモーゼルファン向けだと言うけれども、FIOもケッテルンもミネラル感が前に出ていて、ボディにやや厚みがあるがアルコール濃度は低く、乳酸発酵と熟成を経て柔らかくなった酸味が果実味を下支えしている。瓶詰まで亜硫酸を添加せずに澱の上で長期間熟成するため酵母のトーンが若干感じられ、様々な要素がまとまっている。 個人的に最も印象的だったのはUruraboという、産膜酵母とともに2年間樽熟成して瓶詰したワインで、軽く繊細でとりわけ精緻で、ほっそりとして美しかった。同名のワインをドウロのニーポートが地場品種ゴーヴェイオで醸造している。(つづく)
2024/01/07
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・伝統の後継者 フィリップ・ケッテルン。 2011年にフィリップは父ローターから正式に醸造所を継いだが、フィリップがドウロから戻ってきて、平地と斜面の畑を交換したいと言い出しても特に反対することなく、息子のやりたいようにやらせたという。 それからフィリップはモーゼルの昔のワインを飲んで経験を積むことで、伝統的なモーゼルとはどんなワインなのかを学んだ。2011年から伝統的なフーダー樽のセラーを造り、農薬は有機栽培用の薬剤を、ごく微量こまめに散布しブドウ樹の抵抗力を強めている。 「100年前と同じように栽培している。当時ペロノスポラはモーゼルになかったし、オイディウムもごくわずかだった。現在対策しないとすぐ病気になる。ひんぱんすぎる農薬散布でブドウ樹は病害虫に対して弱くなっている」とフィリップ。 醸造でも極力介入せず、野生酵母のみで発酵。酵母と一緒に1年~5年という時間をかけて熟成し、必要に応じて瓶詰前の一回だけ、微量の亜硫酸を添加する。「亜硫酸は添加しないことが多いが、添加するにしても必要最低限。 我々のブドウは収穫時点からすでに亜硫酸の含有量が高い。ブドウは自分で自分を守るために亜硫酸を生成する。それが30~35mgで、無添加でも総亜硫酸量40mgに達することもある。だから2~3年樽熟成しても亜硫酸は添加する必要がないことが多い。とはいえ、ワインが必要とするなら使う」とフィリップ。 (つづく)
2024/01/07
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・ドウロとモーゼル ドウロ川とブドウ畑 (File:Rio Douro - Portugal (32615481975) Wikipedia) ドウロもモーゼルと同様に急斜面のブドウ畑が川沿いの渓谷に広がっているが、その標高はモーゼルの200~300mに対し約800mに達する。モーゼルは一本ずつ立てた杭に添わせて栽培する棒仕立てか、斜面の上下方向に縦に畝を仕立てることが多いが、ドウロでは段々畑のように造成されたテラスに、等高線に沿って水平に畝が形成されている。 段々畑をポルトガル語ではSocalcosといい、FIOのリースリング・ソカルコスSocalcosもドウロと同じように、水平に畝を仕立てた畑のワインだ。モーゼル川支流の標高の高い場所にあるライヴェナー・ヨゼフスベルクの5.5haの畑の収穫で、澱引きせずに1年間熟成した。アルコール濃度11.5%の繊細な酸味--私にはFIOのリースリングは全体的に、モーゼルのリースリングにしては酸味の主張が控えめすぎると感じたが、乳酸発酵して長期熟成すると、こうなるのかもしれない--とハーブのニュアンスが印象的な辛口。 2008年、フィリップがディルクの招待を受けてドウロで三か月間の研修からモーゼルに戻ってまず取り掛かったことは、平地の畑と斜面にある畑を交換することだった。フィリップはケッテルン家の5代目で、当時は父ローターが当主だった。ローターは先見の明のある醸造家で、ピースポートで耕地整理---トラクターが通れる農道を斜面に敷設して農作業の効率化をはかるため、第二次大戦後から現在に至るまで続くモーゼル全体の大規模な改修プロジェクト---が行われた時も、目先のことしか考えない生産者は、どのみち30年たつと植え替えるのだから、とことごとくブドウ樹を抜いて更地にしてしまった。しかしローターは古木を残して耕地整理を乗り切ったという。だからケッテルンとFIO Winesのフラッグシップ、ゴルトトレプヒェンには樹齢50~60年の古木の収穫が用いられている。 私が訪問した2023年7月時点で、ゴルトトレプヒェンの最新ヴィンテージは2018年産だった。試飲したのはFIOのGoldtröpchen 2016で、フーダー樽で澱引きせずに5年間熟成したという。「昔は2~3年樽で寝かせてから瓶詰するのが当たり前だった」とリンダさん。「昔のスタイルを復活させたかったのと、時間をかけることで達成される味わいを確かめたかったの」。 長期間澱と接触していたことは、酵母のアロマが感じられるが邪魔にはならず果実味と調和している。南向きの斜面らしい明るさのある味わいで、広がりとミネラル感が前に出て、やわらかくニュアンスに富んだ飲み心地のよいリースリングだった。ナチュラルワインの最上のものはファインワインに近づくというが、これもその一例のように思われた。 (つづく)
2024/01/07
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・FIOの醸造哲学 時間は前後するが、2002年にディルク・ニーポートはオーストリアのPRエージェント、ドルリ・ムーアと二度目の結婚をし(最初の妻はスイス人でダニエルの母)、二人でオーストリアのカルヌントゥムにある醸造所ドルリ・ファン・デア・ニーポートDorli van der Niepoortを運営していた。しかし2012年に離婚。翌2013年にディルクはモーゼルのケッテルン醸造所を訪れ、ケッテルンとのコラボレーションに取り掛かった。ディルクの長男ダニエル-母はスイス人でドイツ語は堪能-がドウロからモーゼルに来て4年余り滞在し、ワイン産地モーゼルを学んだ。こうしてディルク、フィリップ、ダニエルの3人によるプロジェクト、FIO Winesがスタートしたのである。(参考:Muhr-van der Niepoort wird zu Weingut Dorli Muhr - Falstaff) ディルクはまず、ケッテルンの2012年産の中で特に気に入った一樽を購入した。そしてジュラのナチュラルワインの先駆者のひとりジャン=フィリップ・ガヌヴァにインスピレーションを受けて、長期間樽で寝かせることにした。瓶詰まで亜硫酸を添加せず、澱引きもせずにそのまま2年半フーダー樽で寝かせてから、ごく微量の亜硫酸を添加して瓶詰。それが醸造所名となるFIO-ポルトガル語で「糸」を意味する-のファーストヴィンテージとなった。翌2013年産は2016年10月に瓶詰したので、丸3年樽熟成したことになる。 フィリップ・ケッテルンの奥さんのリンダさん。 私が訪問した時はフィリップの奥さんのリンダさんが相手をしてくれたので、少しだけ顔を出したフィリップ氏からも直接じっくり話を聞くことはできなかった。ただ、2017年2月にドイツの有名ソムリエ、ヘンリック・トーマのYouTubeで、ディルク、ダニエル、フィリップの3人を迎えてのトークセッションがあったので、その時の内容を織り交ぜて紹介する。(29. Livestream "Das Fio Riesling-Paket von Niepoort und Kettern" (youtube.com)) フィリップは言う。「発酵中の果汁を信頼することが大事。樽に長期間入れておくのはリスクを負うことではある。醸造期間中何度も試飲するが、変な臭いがすることもある。俺たちは何か間違っているだろうか、と不安になる。腐った卵のような臭いがすると、醸造学校ではポンプを使って樽を移して空気にふれさせよと教えるが、それはドイツ的な心配性の表れだ。失敗することへの不安から樽を移すなどいろいろ操作して、結局だめにしてしまう。そうではなくて、ワインと真摯に向き合い、信頼することから美しさは生まれる」と。 ドイツの常識はポルトガルのそれとは異なることを、ディルクは指摘する。「モーゼルでは一つの区画を5回にわけて収穫することもある。収穫期に入るとブドウは次第に色を変える。熟し始めの緑色を帯びている状態のブドウでカビネットを収穫し、次に金色に熟した房をシュペートレーゼ、過熟して貴腐が混じるとアウスレーゼというふうにスタイル別に収穫する。これはドイツ人らしい完璧主義のあらわれともいえる。 しかしポルトガルでは全部一度に、正しいタイミングで収穫する。この場合の正しいというのは科学的なものではなく感覚的なものだ。貴腐のついた房はえり分けるが、それ以外はいろいろな状態のブドウが一緒になっている。完璧を目指しているのではない。緑色のブドウや過熟したブドウはそれぞれに異なる要素をワインにもたらす。それが興味深いワインを生むのであり、ポルトガルのやり方だ」。 「ディルクはブドウ畑を一度に収穫するといったが」と、ドウロで収穫作業に加わったことのあるフィリップは言う。「ポルトガルで35種類のブドウを前に選別作業台に立ったときはすばらしかった。私はブドウを食べるのが好きで、その多様性に感動したし、これが一つのワインになると、また違う味わいになることに感銘をうけた。美しさは多様性から生まれるのだと学んだ。樹齢、品種、土壌、標高…」。 (つづく)
2024/01/07
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・ニーポートとモーゼル こうした一連の動きの原点となったディルク・ニーポートが、なぜモーゼルでFIO Winesをはじめることにしたのだろうか。1987年、父の醸造所で働き始めた年にディルクはモーゼルを初めて訪れた。中流域のブラウネベルクにあるフリッツ・ハーグ醸造所(Fritz Haag (weingut-fritz-haag.de))の醸造家ヴィルヘルム・ハーグを訪問し、ポートワインとは真逆の、アルコール濃度が低く軽やかで繊細、精緻でエレガントなリースリングの味わいに深い感銘を受けたという。ちなみにディルクの母はドイツ人で、ドイツ語は母国語のようなものだ。 2008年、ケッテルン醸造所の現当主フィリップ・ケッテルンはまだ10代だったが、北米のインポーターが主催したカリブ海のクルーズ船上試飲会でディルクに出会った。顔見知りのワインジャーナリストに「ディルクは君のワインをきっと気に入るはずだよ」と唆されて、挨拶に行ったのが最初だった。だがその時ディルクは、フィリップのワインをあまり気に入らなかったという。アロマティックでアルコール濃度も高めで、ディルクの理想とするモーゼル産リースリングとかけ離れていたからだ。にもかかわらず、あるいはだからこそ、ディルクはフィリップをドウロに招待した。そしてディルクの元で三カ月働いて帰ってきた時、フィリップは自分の進むべき方向性を見つけていた。モーゼルでしか出来ない、軽く繊細でエレガントなスタイルを目指すのだ、と。 アルコール濃度の高いパワフルなスタイルは、他の産地に任せておけばいい。熟し始めの糖度が低い段階で収穫して、アルコール濃度は高くても12%前後を目指す。圧搾前に果皮・果肉を果汁に漬けて香味成分を抽出する手法も捨てた。そのかわり、醸造に時間をかけることにした。多くの生産者は収穫翌年の春に瓶詰を始めるが、フィリップは短くて1年、長い時で5年間、ステンレスタンクか伝統的なフーダー樽で澱引きせずに熟成し、さらに2年間瓶熟してからリリースする。これらの昔ながらのモーゼルの醸造手法を、試行錯誤を通じて復活させた。 (つづく)
2024/01/07
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・ポルトガルワインの現在 FIO Winesはローター・ケッテルン醸造所と、ポルトガル北部のワイン生産地域ドウロにあるニーポート家(Niepoort (niepoort-vinhos.com))が共同で運営するナチュラルワインのブランドである。ポルトガルは酒精強化したポートワインの印象が強いが、これもまたドイツワインは甘口という先入観と同様に、時代遅れの認識と言って良い。 もっとも、ポルトガルのテーブルワインが注目を集め始めたのは比較的最近のことだ。1990年代まではポートワインと軽く夏向きの白ワインとして知られるヴィーニョヴェルデや、フルーティな甘口スパークリングのマテウス・ロゼが国際的に認知されていたが、それ以外のほとんどは大規模な醸造所や醸造協同組合による日常消費用のワインで、小規模で高品質なワインを造る生産者は皆無だった。 しかしニーポート家の当主ディルク・ニーポートは、早くからテーブルワインの産地としてのドウロのポテンシャルを確信していた。ドウロがポートワインの産地として成功したのは1700年代以降のことで、もともと赤ワインの産地として知られていたのだ、という。 ディルク・ニーポートは創業1842年のポートワイン醸造所ニーポート家の長男として、1987年に23歳で父のもとで働き始めた。そして1990年に赤ワインの「ロブストゥス」Robustusを醸造。当時高品質な赤ワインはドウロではほかに誰も造っていなかった。地場品種の古木の収穫で醸造したそれは濃厚でパワフルなワインで、おそらく当時もてはやされていたロバート・パーカーの好みそうなスタイルだったのだろうが、友人や近隣の生産者たちからは笑いものにされたという。 そして実際、ロブストゥスが評判を呼ぶことはなかった。というのも、醸造した4樽のうち3樽を、ディルクがオーストラリアに研修に行っている間に、父ロルフが使用人に飲ませてしまったからだ。親子の間に相当な諍いがあったことは想像に難くない。 しかしディルクはめげることなく、1991年に赤ワイン「レドマ」Redomaを醸造。これが注目されて話題となり、テーブルワインの生産者として知られるようになる。ポートワインの醸造こそ稼業と信じて疑わなかった父の跡を1997年に正式に継いでからは、ディルクは一層テーブルワインの生産に力を入れるようになった。ロブストゥスも2004年産から復活している。(参考:The Radical Reinvention of Great Portuguese Wine (foodandwine.com)) 高品質な赤ワイン造りの伝統を復活させようと、ディルクが発起人となって5人の醸造家たちがドウロ・ボーイズを結成したのが2003年。私が初めてProWein-毎年3月にドイツのデュッセルドルフで開催される、世界最大規模の業界向けワイン試飲会-を訪れた2006年、ポルトガルは高品質なスティルワインの生産国として熱心にアピールしていた。そしてオレンジワイン・レボリューションの著者として知られるサイモン・J・ウールフSimon J. Woolfとライアン・オパズRyan Opazがポルトガルワインの現在を伝える単行本”Foot trodden. Portugal and the wines that time forgot”(「足踏みされたブドウ 時が忘れたポルトガルとワイン」未邦訳Foot Trodden – Portugal and the Wines That Time Forgot (foot-trodden.com))を出版したのが2021年。この著作でポルトガル各地の高品質なスティルワインの生産者が紹介されたことで世界のワイン業界の関心を集め、近年次第に存在感を増してきている。(つづく)
2024/01/07
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FIO Wines/ ローター・ケッテルン醸造所(ピースポート) 7月中旬の朝、友人の車でトリーアからピースポート村へ向かった。この村はゴルトトレプヒェンのブドウ畑で知られている。ローマの円形劇場の観客席のように、弧を描いてせりあがった斜面にブドウ畑が広がり、そのふもとをモーゼル川がゆったりと流れている。 その斜面の頂上には小さな祠がある。昔、疫病が流行ったとき、時の為政者は村と外部の行き来を遮断し、急斜面のふもとの川沿いの集落を隔離した。そして定期的に、斜面の上にある祠に食料が届けられた。村人たちは麓の集落から祠まで、急斜面を登って取りに行ったという昔の記録が、コロナ禍の際に話題になったそうだ。 ピースポーター・ゴルトトレプヒェンの畑。 今回訪問した生産者のひとつFIO Wines/ローター・ケッテルン醸造所(醸造所のサイト:FIO およびWeingut Lothar Kettern in Piesport an der Mosel – Riesling-Winzer aus Leidenschaft (kettern-riesling.de))は、モーゼル川の対岸の平地の広がる区域にある。醸造所の近くまで来た時、トラクターに乗ってブドウ畑へ向かう、現オーナー醸造家のフィリップ・ケッテルンとすれ違った。長髪の大柄な体格で、年のころは30過ぎくらいだろうか。ハンドルを握る友人が手を振ると、トラクターの運転席に座ったまま「これから瓶詰をやらなくちゃいけないんだ。試飲所で妻が君たちを待っているよ」と言って去っていった。 ドイツのワイン生産地域地図(Deutsches Weininstitut)。モーゼルは赤い星印のある場所。(つづく)
2024/01/07
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・ドイツのナチュラルワイン ドイツワインといえば甘口、というイメージが日本では数年前までは根強かったが、ここ数年、辛口も認知されるようになってきた。一方、ドイツ産のナチュラルワインの存在感はまだ薄い。もともと1990年代にフランスのボージョレやジュラ、ロワールから台頭した、有機栽培のブドウを使い、一切の化学合成物質を添加せずに(瓶詰前のごく微量の亜硫酸の使用のみ容認されている)ブドウ果汁のみで醸造するナチュラルワインは、その柔らかで親しみやすい飲み口が日本人の嗜好にもあい、現在では世界的に見ても日本が重要な消費市場になっている。 欧米では10年くらい前までは、一般的な亜硫酸を添加したワインは不安定で往々にして欠陥臭があり、産地の個性が表現されないキワモノワインといった批判にさらされることが多かった。しかし近年では、評価の高いファインワインの生産者の作り方は、栽培には農薬や化学合成肥料を使わず、醸造にも化学合成物質を使わない点で、ナチュラルワインとほとんど変わらないではないか、という指摘も出てきている。 ドイツでナチュラルワインが一部で認知されるようになったのは2018年頃のことだ。2009年にモーゼルで、1970年代末からバイオダイナミック農法を実践していたルドルフ・トロッセンが、顧客に依頼されて亜硫酸無添加で試験醸造したのが、そもそものはじまりだった。(醸造所のサイト:Weingut Rita & Rudolf Trossen (trossenwein.de)) 2015年になるとケルンでナチュラルワイン専門店「ラ・ヴァンカイラリー」La Vincaillarie(ショップのサイト:Naturweinladen und onlineshop seit 2009 in Köln | La Vincaillerie (la-vincaillerie.de))を営むスルッキ・シュラーデが—もう専門店まであるじゃないか、と思われるかもしれないが、彼女の店は例外中の例外で、ドイツでナチュラルワインはどこにも売っていないし知られてもいないから、スルッキが自分で輸入することにして2009年にオープンした店である—毎年3月にデュッセルドルフで開かれる大規模なワイン見本市プロヴァインProWeinにあわせて、第一回のナチュラルワイン見本市「ヴァインサロン・ナチュレル」を開催(2024年は3月9・10日。イベントのサイト:Deutschlands größte Messe für Naturwein, in Köln (weinsalonnaturel.com)。同年11月にはベルリンで、ロンドンが発祥の世界的なナチュラルワイン見本市RAW Wine Fairが開催された(2023年12月開催時のサイト:Berlin 2023 | RAW WINE)。もっとも当時の反響は芳しいものばかりではなく、半分以上が飲めた代物じゃない、こんなワインが注目されるなんてどうかしている、という意見がどちらかといえば目立ったが、ともあれ、これらのイベントはドイツでもナチュラルワインが存在感を高める契機にはなったし、自分でも醸造してみよう、という気になった生産者もいたことだろう。 2018年になるとナチュラルワインに手を染める生産者や、それを扱うショップやレストランが少しずつ増えていき、シュラーデによればナチュラルワインはドイツ国内で「ブームになった」という(参照: Surkki Schrade, Natürlich Wein. Ungefiltert, ungeklaert, ungeschoent - alles über Naturwein, Pet Nat und Co., 2021 Christian Verlag)。もっとも、生産されるワイン全体からみれば1%にも満たないニッチで特殊なワインではあるが、その存在はわずかだが定着しつつある。とりわけフランケンとファルツ、ラインヘッセンでナチュラルワインに本腰を入れて取り組んでいる生産者の存在感があるが、近年はモーゼルでも増えてきている。まだほんの数えるほどではあるが。(つづく)
2024/01/07
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2023年7月、コロナの渡航規制が3年ぶりに解除され、久々にモーゼルを訪れた。2019年4月以来だ。成田から台北経由で早朝フランクフルトに着陸した。台北では乗り継ぎ待ちが5時間あったため、フランクフルトに到着してからiPhoneでネットに入れるよう—列車の時刻表やGoogle map、Lineで連絡を取り合いながらコブレンツで落ち合う予定もあった—モバイルバッテリーを持参したのだが、飛行機の座席にUSBコンセントがあり、そこにつないでおいたので心配することはなかった。桃園空港で乗り継いだ。さらに3年前はなかった、海外渡航用のeSIMなるサービス(airalo等旅行者向けの現地と各地域のeSIM (airalo.com))が登場していた。以前は事前にアマゾンでモバイルルーター用のSIMを購入していたが、eSIMをiPhoneなりスマホにダウンロードするだけでよくなったので、今回ルーターはほとんど出番がなかった。各通信事業者の海外でのネット利用料金も低価格化が進んでいるようで、わずか3年だが時代は変わった、と感じた。フランクフルト空港でスーツケースを受け取り、鉄道駅に近いターミナルへ移動するバスに乗ると、誰もマスクをしていなかった。軽い違和感を覚えたが、郷に入れば郷に従えのことわざを思い出し、私もマスクを外した。呼吸が少し楽になった。 ドイツに来ると、旅先であるが故の緊張感は常につきまとうが、同時に開放感にも満たされる。日本にいる時の日常の息苦しさは遠のき、その時その時の課題—チケットを買い、ホームを探して正しい列車に乗るなど—を切り抜けて目的地にたどり着き、私の場合は醸造所を訪問して話を聞いて写真を撮るといった、大げさに言えばミッションを果たそうという使命感に支配される。気分転換とか、息抜きとかいった気楽さはあまりない。しかしそのミッションは、誰に言われたものでもなく自分で勝手に決めたものだから、楽しい。13年間を過ごしたモーゼルへの郷愁と望郷の念を、束の間ではあるが充足させ、仕事ではおそらく訪れる機会を得られないであろう醸造所を訪れてみることが、今回の旅の目的でありミッションだった。 トリーアに入る前に最後にわたる鉄橋からのながめ。ここを渡ると、いよいよ帰ってきた、という気分になる。ラインラント・ファルツ州の州都マインツで乗り換え、ライン川沿いを走る列車の車窓から渓谷の斜面に広がるブドウ畑の景色を堪能し、モーゼル川が合流するコブレンツで、トリーアへ向かうローカル線に乗り換える。モーゼル川沿いの風景は相変わらずだ。ライン川よりも川幅はせまく、ブドウ畑の急斜面は線路の間近まで迫ってくる。時々モーターボートが列車と並走し、河岸のキャンプ場にキャンピングカーが並び、駅に停まると自転車と一緒に乗り込んでくる人々がいる。都会の喧騒を離れ、アイフェルとフンスリュックの二つの山地の間を蛇行しながら流れるモーゼル川周辺の自然と歴史や文化、そしてワインを満喫しようという観光客たちで、夏のモーゼルは相変わらずにぎわっていた。(つづく)
2024/01/07
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