逆もまた真なり。
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この話題に触れないわけにはいかないでしょう。本山雅志が18年間プレーした鹿島に別れを告げる事になりました。思い起こせば18年前。おいらもまだ二十歳そこそこでした。東福岡での選手権のプレーに胸を熱くし、本山のファンになりました。決定づけたのは1999年のワールドユース。左サイドをひらひらと舞う、変幻自在のドリブラーに魅了されました。いずれ日本はこの男が中心になる。そんな思いで、「もとやん」というあだ名を拝借して以来、ハンドルネームとして使用し続けてきました。1999wyで準優勝の快挙をなしとげたメンバーはその後の日本サッカーを牽引していきます。小野・本山・高原・稲本・遠藤・小笠原・中田浩二・・・なんて豪華なメンバーでございましょう。思えばまだインターネットも黎明期。サカつくの掲示板でHN「スーパードリブラー本山」でデビューし、2chの熱い叩きをくらったのは忘れもしません。「SD本山」「本山武」などの変遷を経て「もとやん」というHNに。もはや俺のネット上でのIDのようです。その後本山(本家)は鹿島では10番を背負い黄金期を築き上げるも、代表には定着とはいかず。「なんで本山使わないんだ!」と激怒プンプン丸だった事を思い出します。稀代のドリブラー・ファンタジスタだった本山も、年齢を経るごとにパサーへと変貌し、いつしか中盤の汗かき役へ。サッカー選手としてトップのフィジカルを維持することの大変さを感じました。それでも鹿島の10番を背負って18年。鹿島というチームのおかれたJ1の常勝チームという立場から考えれば、偉業と言っても過言ではないかと思います。おそらく鹿島からは指導者の打診もあったでしょうが、本人はピッチへの思い捨てがたく。現役を続行するということ。群馬にこねぇかなあ・・・毎試合行っちゃうけどなあ・・・いずれにせよ、18年という時の長さを思う出来事でありました。本山雅志選手、とりあえずお疲れ様でした。
2015.11.27
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