2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全6件 (6件中 1-6件目)
1
わからなくて当然だよ。知らないことは、別に問題じゃないんだよ。僕たちはちゃんと見ている。知らないということに、引け目を感じる必要は無い。僕たちが見てるのは、知らないことに対しての姿勢。どういう風に、知らないことに対して対処するか。そこが重要なんだ。マニュアルを見るのも良い。ネットを利用するのも良い。既に知っていることの応用で、試すのも良い。知りたい意欲を感じる質問を僕たちにしてきても良い。重要なのは、どう知り得るのか。ここなんだ。そりゃぁ即戦力は欲しいところ。でもまぁ、人の集中力のすごさを僕たちは身をもって知ってる。僕たちは見守ってる。だから、、、頑張るのだ。僕たちだってまだまだ知らないことはある。でも、知る方法はいくらでも知ってるし、それぞれの分野の仲間がいる。知識を学んできたわけじゃない。学ぶべきは、知り得る方法なのだ。そして、その応用。自分の個性を乗せ、発信する。若さには学びを。白髪交じりは応用を。しわしわには教えを。まぁそんな感じ。答えを探しちゃいけない。見つかるものすべてはヒントであり、答えは自分の中にある。自分の中にある答えは、その時々で変化し、、、数学じゃない。論理的思考は必要だが、、、とても大事だけど、、、答えを導き出す道具でしか無くて、、、結局答えなんて無い。早まらなくていい。人との別れは、見切りは、数学じゃない。もっと全体を見据えるのだ。過去、今、未来、背景、雰囲気、そして、自分。答えなど、どこにもない。だれも教えてくれない。自分で見出す。ってか、、、そういう探してばかりの人生は楽しいか???探すのを辞めて、、、向上意識をやめて、、、前向きなんてやめて、、、今の自分で、全力で、試すのはどう???思ってるより、力は、能力は、スキルは、あるはずよ。呪文だって覚えてるさ。役に立ってるかどうかなんて、自分で決めなくて良い。どうしても決めたいのなら、ふらふらするな。役割は、それぞれにある。それはあるんだ。でも、それは、与えられたわけじゃない。その役割を掴んでいるのだ。皆、自らその役割に入ってるのだ。与えられたわけじゃないんだ。自分の役割、、、欲しいのなら、、、自分を知ると良い。戦力になるのは、勉強しているヤツじゃない。学んだことを発揮できるやつなのだ。学びすぎるな。発揮してみろ。そこでわかる。その知識の使い方はそうじゃないって。あの知識はここで使うんだって。行動することで、器を整理できる。器に余裕がないと、新しい知識は入ってこない。こびりついた古い知識がそれほど重要なのか。知ってることは、学ばなくてもいいのだ。とにかくだ。僕は、応援している。見守っている。行動するものは、受け入れるよ。新しい行動は、僕たちの、澱んだ知識をかき混ぜてくれる。そういうことなのだ。でっかい声で言ってやる。頑張れっ!
2010.07.28
コメント(1)
何度やっても駄目なこと。これは、多分、単純にやり方が、それにそぐわないだけ。なのに、人は固定観念に取り付かれたように、同じやり方をする。それはそれで、悪くもない。プライドや維持が強いのであれば、それを貫く意志というのも大事なモノ。すぐに結果が欲しいときや、今を抜け出したいという思いなんかだと、維持やプライドがストレスに発展するだけだとも思う。だったら、やり方を変えればいい。見方を変える。視点を変える。なんていうか、まだ自分で出来ることはあるのだ。出来ることは無限にあると思う。ひとりの力、ひとりの思考では限界があるかもしれないが、、、だから、「相談」という言葉ある。だから「協力」「仲間」「友だち」という言葉がある。いつも駄目な結果。落ち込むのも、これまた大事。落ち込みから学ぶこともあるのだ。あきらめたとき、そこで終わり。なんてこともある。これはほんと。どんな場合にも摘要できるし、まぁ大人ならわかるでしょ。やり方が違う。これは否定じゃない。気づきだ。これまでの過去には何があったか。それからどう学び、どう対処できるようになったか。歳を重ねれば、新しい事象も減る。すでに経験済みのことばかり。未経験でも似た経験はしているだろう。似た経験から答えをやり方を導き出すくらいは、出来るだろう。前向きがすべて「正」じゃない。ポジティブなんて結局はどうでもいい。人は見た目がすべて。そう思う。その意味はもう知ってるでしょう。他者に淘汰された。それが悔しくて切なくて、、、そんな思いもあるだろう。その時の自分は、自分の全力だったか。ありのままの自分だったか。見せたい自分だったか。惚れてもらえるくらいの自分だったか。見栄や愚痴や自分でも嫌なことをしてなかったか。全部ひっくるめて、自分が知ってる自分で、自分の道を進んでいる自分だったか。まぁそう単純な話でもないだろうけど、、、綺麗事なんかは自分を苦しめるだけ。理想とはまた違うと思うのよ。綺麗事を言ったって、大人はそれを見抜けるのだ。自分でもわかるだろう。まぁそれを言うのもありのままの自分かも知れないが、そんな綺麗事を言う自分になりたかったのかどうかが大事。綺麗事を現実にするっていう崇高な理想亜あるのなら、そうすればいい。いつも笑顔でいる方法。知ってるよね。自分の落ち込み。これが他者の落ち込みだったとき、どう思うか。何を伝えたいか。それをそのまま自分に伝えればいい。まぁ、立ち直りたければ、、、のお話だけどね。たったひとりがそれほど重要なのか。重要なんだろう。重要だったし、、、。そのひとりと自分の明日を天秤にかけたとき、答えは見つかるかもしれない。そのひとりを今日においていくか。そのひとりへの想いと共に明日へ向かうか。まぁ僕は共に歩いている。。。偏屈な片思い野郎だけど。。。^^人に信じてもらいたければ、信じてもらえるくらいのことをしないとね。そして、何より、相手を信じる。人に信じてもらいたいと思ったときに、信じてもらいたい自分でいられるかどうか。頑張って無理して、前向きを装って、可愛さを装って、無駄にかっこつけて、、、そんな自分を信じてもらったって、自分で自分じゃないのはわかるだろう。そうじゃない。自分がかっこいいと思うことをして、自分が可愛いと思うことをして、、、その上で、これが自分だと胸をはればいい。その自分を信じてくれる人が、なにより、ありのままの自分を信じてくれる人なのだ。僕は、あまり人を信じない。悪い意味じゃなくて、なんていうか、全部を信じたりしない。この人のこの面は信じれる。。。とかそういう類だ。で、相手にも、そう思って欲しいのだ。僕のすべてを信じない方が良い。ただ、新しい出会いに関しては、すこし趣向が違う。便宜上、無条件で信じる。在る程度までね。そのうち、その人が見えてきたときに、本当に信じられる部分が見えてくる。で、信じられない部分は見ない。そこは未知数としておいておく。で、やっぱり、僕に対してもそうであって欲しいと思う。相手の裁量で僕を見てもらえればいい。僕から、信じてなんて言わない。まぁ行動で示すしかないから、自分が思う自分でいるだけなんだけどね。行動で示すには、相手に届くまで相当な時間がかかる。まぁそれはそれで良い。すぐに出てくる結果には、重みも深みもない。信じてた人が、なんだかあっけなく逃げてったことがある。現実から逃げていった。そういう人じゃないと思ってた。一緒に頑張ってたと思ってた。でも、逃げていった。残された僕たちは、いなくなった人の分以上のことをやらなくてはならなくなった。逃げていった人の気持ちもわからなくはない。僕もそういう状況があり、どうするかの「選択」があった。僕は「逃げない」選択をした。「逃げない」聞こえは良いが、自分も周りも大変だったと思う。でも、それはそれで良かった。今では、その「選択」が自信にもなっている。逃げていった人には、情けはあるが、好意はなくなった。信じてた気持ちは、その人に踏みにじられ、僕たちを落胆させた。皆で、自己嫌悪だ。まぁ、その人は、それなりにやってるらしい。多分、いつか、同じように逃げるのだろうと、、、逃げる性質を持ってる人という位置づけになってる。人は、人が思ってるほど、ひとりじゃない。どんな状態でアレ、その状態のまま、周りにも影響している。人はひとりでは生きていけるわけがないのだ。これは、自分に対しての言葉じゃなくて、他者に対して思うこと。自分は誰かの何かになっている。自分は誰かの人生の脇役なのだ。もちろん、自分の人生は自分が主役。まぁ落ち込んでいるときは、そうも思えないかも知れない。そんな時は、誰かの脇役に徹するのがよい。悲劇の主人公より、喜劇の脇役の方が楽しいだろう^^そして、自分を取り戻すのだ。取り戻す、、、これもまた、いろんなことを思うが、、、今日はこの辺で。。。じゃねっ!
2010.07.23
コメント(0)
やりたいのに、何故やらないのか。「何かをしたいんだ」そんな科白を聞くと、決まって思う。「やればいいのに」誰でも思うことだ。しかし、そう言われて反論する科白のほとんどは、「言い訳」でしかない。だったら、最初から言うなよ。かっこつけてるのか、偽善なのか知らんが、、、まったく。。。やらない言い訳は歳を重ねるほどうまくなる。中学生のそれは、単純だ。やり方を、始め方を知らないのだ。やり方など無限にあると大人はいうだろう。無限にあるのだ。「やればいいのに」って言う自問自答。だけでも無いが、、、単純でいいのだ。やりたければやればいい。やれないなら、言わなきゃいい。夢は叶えるもの。少しでも、叶える努力をしているなら、それでいい。「やってるよ」と、自信を持てばいい。言い訳はいらない。何がしたいのか。大人なら見極められるべ。これをやりたい。。。の「これ」の向こう側に、心意があるのでは?と疑ってみるとよい。向こう側にたどり着いたとき、やりたいことじゃなくて、やるべきことが見つかる。自分を知るとは、そういうことなのだ。さて、話し合おうか。僕もやるべきことを知りたいんだ。
2010.07.17
コメント(0)
僕が思うこと。。。後悔は、必ずするもの。だったら、上手に後悔したいですね。人は、後悔も反省もするけど、改めない。。。結局同じ事をする。ってだれかが言ってた。それじゃ寂しいね。だったら、、、「人の後悔に、同じモノは何一つない。」「いつも違う後悔。」「人は、成長している最中なのです。」後悔はするものです。怖がることはない。大事なのはその後です。人間的魅力はその後の行動で決まる。失恋の経験の無い者に恋愛の相談をしますか???離婚の経験の無い者に離婚の相談をしますか???借金のしていない綺麗なヤツに借金問題を相談しますか???まぁそう単純な話しでも無いけど、こういうこと。今起こっている良くないことは、ちゃんと経験値として加算しないとね。加算出来れば、レベルアップも近いのよ。加算出来ない人が多いね。僕もそのひとり。。。。。。まぁいい。。。。。人は勘違いをする。みんなが成功を目指していると思ってるのだ。そして、その成功は、似たようなモノを想像している。ここでいう「人」って言うのは、そこら中にいる説教好きでアドバイス好きで、一般論好きで、、、、まぁどうでもイイヤツのことねwみんなが社長を目指していると思っている。みんなが借金を完済しようと頑張っていると思っている。みんなが浮気をしたいと願っていると思っている。まったく。。。まぁ僕もこうやって書いているって事は少なからずそうなのかも知れないね。。。ごめん、、、人の目指すところはそれぞれで違う。居心地の良い場所ってのも違う。キムタク総理が言ってたね。「人は違う」これだと思う。そろそろ、明日がやってくるね。今日の後悔は丁寧にまとめておきなよ。明日僕が経験値に変えてあげる(笑)じゃね。
2010.07.11
コメント(0)
どんな夜だって、朝が来るように、、、どんなに前向きな僕だって、途方に暮れる。真夜中に襲ってきた「虚無感」アトレーユなら上手く闘うのだろうが、今の僕には、闘う気力も勇気もなく、、、ただただ、為すがままに、襲われ傷つき、通り過ぎるのを待つ。「虚無感」が通り過ぎるころには、僕は、底辺に近いところに立ち、日の光に手を伸ばす。何百、何千という言葉を知っているが、そこには、色も形も音も匂いも無い。たった一言の「おはよう」が聞きたくて、何百何千の言葉を発する。たった一言の「元気?」が聞きたくて、何百何千と、言葉を深読みする。そこに意味は無いのに、意味を与え、自己満足や自己不満足に落ちる。まぁ、空想は科学の源であり、科学はすべからず、仮定の証明なのだ。証明をする前に、仮定が必要なのだ。何事も、空想が必要。仮定が必要。大事、大事、大事。妄想でも空想でもいい。どうせ仮定するなら、夢見心地くらいでいい。ふぅ。。。まぁいいや。今日という一日が始まる。もうすでに、手つかずの朝ってわけじゃないが、、、そんなに悪い朝でもない。上り調子で進もう。それがいい。もう、今日は、途方に暮れなくて、済むかも、しれない。。。
2010.07.04
コメント(0)
ある種の数式は、とある解を導き出し、とある解は、無数の数式を、空想させる。僕は、数式側にいるのか。僕は、解側にいるのか。デブは何故デブであることを選択したのか。ハゲは何故ハゲであることを選択したのか。すべては、選択の上で成り立つ。選択と結果には、必ず因果関係がある。ただ、因果を目視出来ることはほとんどなく、目視できる因果関係の選択と結果なんて、ひとりの人の人生くらい簡単だ。今の僕の選択で、300年後の何かの誰かの状況が好転するかもしれない。そんなことはつゆ知らず、僕は、今も選択し続けている。僕だけの利益を考え、選択している。世の中のため、、、誰かのため、、、そんな偽善に、期待などしない。ただ、その選択は、偽善だろうがなんだろうが、正しいのかも知れない。まぁ、思うだけの偽善と選択した偽善には、大きな違いがある。今は、過去の選択で、辿り着いている。それでいながら、過去の選択は、今の状態を目指して、されたものでもない。僕らは、いつでも、旅の途中なのだ。答えなんて、どっちにしたって、いつか、辿り着くのだ。僕らの死を乗り越えたりだってするのだ。答えなんて出さなくていい。疑問があるなら答えを目指せ。それだけでいい。どうせ、更なる疑問に、ぶつかるのだ。どんなに急いだって、明日を越えることは出来ない。明日は、望まなくても来るもんだし、明日得られる答えには、もう既に大した意味もないんだ。大きな目で、軸を持ち、ふにゃふにゃしながら、踊ろう。これでいいと思うよ。
2010.07.01
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1


![]()