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ポンボ @ Re:まもなく発刊予定です(04/01) Oh ! My ! Great ! 自費出版! You are α …
msk222@ Re[1]:まもなく発刊予定です(04/01) ポンボさんへ ところが、これは著作と編集…
ポンボ @ Re:まもなく発刊予定です(04/01) いいなぁ ご自分のご商売ですと、実費だけ…
msk222@ Re[1]:被災地支援(01/07) みちのくはじめさんへ ぼくの場合、感情の…
みちのくはじめ @ Re:被災地支援(01/07) こんにちは。みちのくはじめです。 私たち…
aki@ Re:被災地支援(01/07) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

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2004.08.16
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カテゴリ: 日替わり日記
蓮の花



死の寸前までの7時間の間に書きつづられた「ぼくのためのノート」は、当時の学生運動の中にあって、分裂抗争のなかでの恋に疲れ果て、ついては死を選ぶまでのプログラムが克明に記されていました。
失恋による自殺という非常軌と、自らの死を実行するまでを冷徹にプログラムとして残した若者の記録。その一部を紹介してみましょう。



現在8時前。あと数時間だ。ぼくの歴史は1960年12月5日午前何時かにて終了する。それまでの数時間、まったくぼくだけのために、このノートを書き残しておこう。
自分の犬死に社会主義の大義名分をかかげるのはよそう。これは、気の弱い、陰険な男の、かたおもい、失恋のはての自殺にすぎないのだ。
短研(國學院大学短歌研究会)の誰かがいったように、夭折を美しいものとするセンチメンタリズムはよそう。死ぬことはなんとしてもぶざまだ。首をくくって伸びきった身体、そしてその一部分一部分、あるいは吐しゃ物。これが美しいといえるか。
問題は生きることがぼくにとってそれ以上にぶざまだということだ。昨日の渋谷のにおける、今日のSにおけるぼくのあのぶざまは生きた人間のすることか。しかし、身体の器官が活動しているかぎりぼくにはああよりほかないのだ。もはや、そのぶざまに耐えられなくなったいまは、みずからの首をしばるほかない。



失恋により自殺に至るというセンチメンタルはすでに古典に属するものかも知れません。しかし、恋愛によるぶざまに、自らの死をもってあたろうとする美意識はこの時代あたりまでの普遍であったのでしょうか。
現在でも自死は絶えず、年間3万4千余人にもなります。しかし、その多くは青年ではなく中高年による経済事例です。


  老人は死んでください国のため   宮内可静


この句が発表されたとき、川柳界の外のみならず内部から轟々たる非難が巻き起こりました。僕は、この句の底にある諧謔性に深い哀しみを読みました。この句が生まれたとき、作者はすでに80歳を過ぎていました。





すい












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Last updated  2004.08.16 15:12:35
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