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ポンボ @ Re:まもなく発刊予定です(04/01) いいなぁ ご自分のご商売ですと、実費だけ…
msk222@ Re[1]:被災地支援(01/07) みちのくはじめさんへ ぼくの場合、感情の…
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aki@ Re:被災地支援(01/07) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

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2005.10.20
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カテゴリ: 川柳・文芸
ピーマン



賢治の目にかなう理想の女性は、妹のトシというフィルターを通して見ていたフシがあり、トシを凌駕する必要があった。
ところが賢治にとっての不幸は、妹のトシは病弱ではあったが、ずばぬけた才媛であったこと、そのトシに重ねて女性のおもかげを求めたことであろう。
儚げな才媛に惹かれること、それは男にとってはひとつのパターン的要素でもあるのだから…。
一般的な賢治のイメージは、「雨ニモマケズ」に代表される、類い希なる詩人、童話作家、宗教・哲学・科学に通じた、マルチで真面目実直な人柄が浮かぶ。しかし、実際らは違った姿もみえる。
彼の年表や、当時周辺にいて賢治と親交のあった人たちの書き残したものから実像に迫ってみたい。
まずは、こんな証言から入りたい。
大正10年1月下旬に家出のように上京した賢治は、国柱会理事高知尾智耀のすすめもあって、童話制作に熱中した。
その頃のことを弟清六は次のようにいう。

「本郷の菊坂町では、芋と豆腐と油揚げを毎日食べて、筆耕もやったし辻説教もやり、童話もうんと書いたという。
1ヵ月に3千枚も書いたときには、原稿用紙から字が飛び出して、そこらあたりを飛びまわったもんだと話したこともある程だから、7ヵ月もそんなことをしている中には、原稿も随分増えたに相違ない」




「さて、そのトランクを二人で、代りがわりにぶらさげて家へ帰ったとき、トシの病気もそれほどでなかったので、「今度はこんなものを書いて来たんじゃあ」と言いながら、そのトランクを開けたのだ。(略)「童児こさえる代りに書いたのだもや」などと言いながら、兄はそれをみんなに読んでくれたのだった」(『兄のトランク』より)
しかし、帰郷後も童話を書きつづける賢治に対して、父は厳しい目を持っていた。
妹シゲは父が賢治にいった言葉を次のように伝える。「文学をやりたいなら、本屋にいって、いまどういう本がよく売れているか、よっく調べるんだナ」(森荘已池『宮沢賢治の肖像』)

結婚して子どもをつくるかわりに、童話を書いていたのだと兄弟に冗談めかして言っている。東京・本郷菊坂での生活は宗教活動とともにあったから、たぶんに禁欲的なものではあっただろう。
しかし、禁欲的であろうとすればいっそう逆の欲望が頭をもたげることは想像できることである。
その、大正10年8月中旬、賢治は稗貫郡立稗貫農学校の教師になっている。
校長を含めて教師6人だけという小さな学校で、賢治はのびのびと教員生活をおくる。当時の同僚や生徒は次のように語る。(森荘已池『宮沢賢治の肖像』)

「宮沢さんはダルマぐつで、生徒のお掃除した廊下を歩いたり、窓を越えて職員室に入ったりするので、校長は、君、それはいけないじやないか。と、とめるのです」(阿部繁)
「宮沢さんは、春画の名作を、しょっちゅう持ってきました。それをみんなで鑑賞するわけですが、女性が足の指を伸ばしているのはおかしいというのは白藤さんで、宮沢さんとわたしとは、のばしているのがほんとうだ、白藤さんはあくまで曲っていなければ嘘だと頑張ります」(阿部繁)
「(水田実習の時)先生はとみれば、草の上にひっくりかえったり、空に手を伸ばしてわァと叫んでみたり、パントマイムのような、劇のみぶりのようなダンスのようなものだったんでしょう。わたしたちは、それをみるのが面白くてしかたがなかった」(晴山亮一)
「宮沢さんの授業は、教科書によらない実地の話だとか、一般文化の話、宗教、哲学など自由なものだったようです。物の見方について、概念的な見方をしてはいけない。新鮮で独自な見方、考え方を教えておりました」(自藤慈秀)

と、証言では真面目で堅物のイメージとはかなり違った賢治像がみえてくる。
女性、そして性に対する興味は人並みあるいはそれ以上にもっていたことが伺われる。
このようなことを踏まえながら、書き進めてみたい。




ほん












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Last updated  2005.10.20 20:03:00
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