かりん御殿

かりん御殿

June 16, 2008
XML
テーマ: 生き方上手(689)
カテゴリ: 旧(中年の主張)
一般論的な助言ほど役に立たないものはない。

相手に合わせて与えるものだと私は思う。
漢方薬と同じなのだ。
体質(性格)に合わないクスリ(助言)は
却って毒になる。
そんなものをもらうよりは
禅問答で頭を悩ましたほうが良い。
何故なら、禅問答は、本来、自分で考え、

あくまでも、自分の性格に合っているからだ。

一般論的助言を求められてしまう立場の人も
気の毒と言えば気の毒だが、一般論的助言を
売って生活している人もいる。

一般論的助言とは、どんなものか、と
思う方もいらっしゃるかもしれない。
例えば
「子どもの前での夫婦喧嘩は避けましょう」
「子どもは怒らず叱りましょう」
「お母さんは、いつも笑顔で」などは、
よく見かける一般論的育児助言だ。


大型テレビ(現在の薄型じゃないやつっ)が
飛んで来るような夫婦喧嘩は、まずいだろう。
しかし、「夫婦喧嘩」にも程度の差があるのだ。
「マジで死人が出る」的な真剣な喧嘩
というより「仁義なき闘い」もあれば


「議論」程度の喧嘩だったら、
子どもの前では避けましょう、で
避けていられるかもしれない。
しかし、死闘、とまではいかなくても
かなり派手な喧嘩の場合は、大抵
地雷を踏んだように爆発するものなのだ。
子どもの前だろうが何だろうが
そこで、とどまれるくらいだったら
そもそも夫婦喧嘩には、ならないだろう。

子どもは怒らずだって同じだ。
よく、幼児が、食べ物を手づかみにして
投げる広告があるが、(見る度、むかつく)
私は、家を食べ物で汚されるのが大嫌いだ。
決して清潔な性格(??)ではない。
掃除が大嫌いなので汚されるのが嫌いなだけだ。
さらに、食べ物を手づかみ、は良いのだが
そうやって油ぎった手や口を服で拭かれたら
即座に怒りで自爆する。
食べ物のシミは落ちにくいのだっ!

悠長に「だめよ~」っと
「叱って」などいられない。
頭をボカっとやらないだけの理性は、
とどめていられる(いられた)。
しかし、即座に、我慢の限界を超えて
夜叉と化したブルース・リーくらいの
爆発力で「怒る」だろう。
まぁ、早い話が怒鳴るだけなのだが
私の声はよく通るので、破壊力は
十分にあるのだ。

そんな時、笑顔でいられるほどの
演技力は私には無い。

怒ってる母を見れば、子どもは
さすがに「やば~っ」と思い
「おべっか」を使ってくる。
幼児が、おべっかの使い方を覚える
その早さは、驚異的である。
生きるための不可欠手段なのだ。

子どもは、母の怒り顔を見て
「社会には規則がある」のを知るし
「ものには限度がある」のを知るし
同時に、自分自身の
「おべっか技術」を高めていくのだ。
これが、社会性を身につける一歩だ。

これを「お母さんはいつも笑顔で」
苦労しつつ育てていると、
「いつも笑顔ではいられない教師」
など、自分を無条件で愛してはくれない
大人に遭遇した時に、どう対処して良いか
わからず苦しむのではないだろうか?

ただし、母が、大変穏やかで、
努力せずに笑顔である方の場合は別だ。
このような穏やかな人の子どもは
大抵、穏やかな性格を受け継いで
いるものなのだ。
そして、笑顔ではない大人に遭遇しても
淡々と受け止められたりするものだ。
(たぶん。)


生まれつき怒りやすい人も穏やかな人もいる。
親になったからといって
怒りやすい人が穏やかに変るわけがない。
穏やかな人が怒りやすくなるのは
よくある話だが。(私だっ!)

いや、正直に言えば、私は
幼児の頃は、怒りに満ちあふれた性格
だったらしい。幼稚園に行きたくなくて
幼稚園で手足ばたばたの昔懐かしき典型的な
大駄々こねて幼稚園を中退になったのは
単に一つのエピソードに過ぎない。
それが、小学校入学あたりから
時に喧嘩はするが、ほぼ基本的には
穏やかに見えなくもない、いや
穏やかと言われた事はなかったが
最低限、暴力的ではない、ごくまともな
性格に変ったのは、おそらく
「人を笑わせる事」の楽しさを
覚えたからだと思う。

一人で怒っているより
一人でも多くの人を笑わせるほうが
よっぽど楽しい。

つまり、笑いが、怒りの地雷を
はずす装置(なんて名前だか知らないが)
となったわけである。
しかし、この「笑い」という
ある意味、別の爆発的な行動なく
単に「怒りを我慢」させられていたなら
私は、とっくに自己破壊していただろう。

そして、子ども達を怒る事が
以前に較べれば(笑)少なくなったのは
子ども達が成長したのもあるが
こっちが怒ると向こうも怒るからだ。
お互いに爆発し合う事によって
地雷の位置がわかって、怒り合う事なく
うまく歩けるようになるのだ。

また、息子に
「怒った声で喋った」という理由だけで
不条理に「怒られる」事もある。そんな時、
「私には怒る権利も与えられてないのかっ」
と一瞬怒るのだが、
やはり、そこは、惚れた者の弱みだ。
子どもは可愛い。可愛いから、
そんな事を言われると、
「あぁ、怒った声が嫌なんだなぁ
 私だって嫌だもんなぁ
 誰でも嫌だよなぁ」
と、考え直して、怒らない様にと
自然に努力する様になったのだ。

それは、愛という
やはり笑いや怒りと同じ
爆発的な感情があってこそ
できた努力だった。
力には別のタイプの力、だったのである。

しかし、たとえ、一般論的育児書で
「怒りの力は笑いと愛に変えましょう」
と書いてあったとして
その助言通りに実行できたかと言うと
私に、できたはずが無い。

結果的には、同じ目的地にたどりついても
その道筋を示されて歩いて行くのと
頭脳感覚行動総動員で試行錯誤しながら
歩いて行くのとは全然違う。

ゆえに、私は、思う。
一般論的助言より
他人の体験談のほうが、よっぽど面白いし
よっぽど役に立つと。
もちろん一人の体験談が全てでは無い。
人それぞれ人の数だけ体験談はある。


結局、万能薬的な助言など無いのだ。
自分自身の信じる道を行くしか無い。
悩んで先が見えない時は、天の星を見ながら
そこに描かれた自分の心を観察し
行動するのが一番だ。

=========
なんだか、また、偉そうですが
ある一般論的助言を見て
思った事を書いてみました~。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  June 16, 2008 09:36:24 PM
コメント(2) | コメントを書く
[旧(中年の主張)] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: