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今日は台湾のCDの話を少々。台湾は、私のような歌謡曲好きの人間にとっては、宝島のような場所である。台湾では日本人歌手の、台湾で編集した海賊版CDが、1枚300円ぐらいで売られている。演歌からJ-POPまで、それはもう幅広い日本人歌手に人気が集まっている。しかし日本のCDは高い。3000円はひどい。台湾の300円は極端にしても、韓国では韓国歌謡が1000円ほど、アメリカでは新譜CDが1300円ぐらいで売っている。この値段だと本の感覚でCDが買える。日本みたいにレンタルCDなんて商売が存在する国はない。台湾では老若男女すべての世代が日本の音楽を聞くので、レコードショップには日本人歌手のCDがあふれている。レコードショップに置いてあるCDの比率は、台湾の歌謡曲30%、日本の音楽20%、洋楽20%、香港の音楽10%、クラシック10%、ジャズ5%、その他5%といったところだろうか。日本でのピークは過ぎているが、台湾での人気は未だに高い日本人歌手は、安全地帯・谷村新司・五輪真弓などである。今でも彼らのCDは、お店の目立つところに陳列されている。「昴」や「恋人よ」といった曲は、朗々として、台湾人の心の琴線に触れるのだろう。ところで、台湾には勿論ひらがなカタカナはない。全て漢字表記である。だから日本の歌手・バンドも全て漢字読みになっている。浜崎あゆみは台湾では濱崎歩・松たか子は松隆子・柴崎コウは柴崎幸・鬼束ちひろは鬼束千尋と書く。名前を漢字表記にすると、若い歌手も齢をとったオバサン的な感じになる。さて、ここで漢字クイズ。今から挙げる熟語(?)は台湾での日本のアーティストの呼び名だが、いったいそれが誰なのか? どんなグループなのか? 興味のある方は考えて下さい。若者が好きなアーティストばかりなので、中学生高校生の授業の雑談に使えます。答えはこちら1. 月之海2. 美夢成真3. 大無限樂団 4. 地球樂団5. 小事樂団6. 放浪兄弟7. 早安少女組8. 南方之星9. 瀧&翼10.橘子新樂団11.柚子12.彩虹13.米希亜14.色情塗鴉15.決明子16.化學超男子17.聖堂教父18.光明前程19.東京小子20.近畿小子21.愛的魔幻解答はこちら1. 月之海→ルナシー2. 美夢成真→ドリカム3. 大無限樂団→Do As Infinity4. 地球樂団→globe5. 小事樂団→Every Little Thing6. 放浪兄弟→EXILE7. 早安少女組→モー娘8. 南方之星→サザン9. 瀧&翼→タッキー&翼10.橘子新樂団→オレンジレンジ11.柚子→ゆず12.彩虹→ラルク13.米希亜→MISIA14.色情塗鴉→ポルノグラフィティ15.決明子→ケツメイシ16.化學超男子→ケミストリー17.聖堂教父→ゴスペラーズ18.光明前程→ロード・オブ・メジャー19.東京小子→TOKIO20.近畿小子→キンキキッズ21.愛的魔幻→ラブ・サイケデリコ
2005/09/29
食べたものが消化しきれないで、身体の中にズドンと残り、そのまま脂肪になってしまいそうな食べ物がある。消化が悪く、油で気分は悪くなり、デブの素になってしまいそうな食べ物。「デブのエサ」とでも表現したらいいのだろうか。私にとっての「デブのエサ」は、湿ったポテトチップスとケーキだ。油について少々考えてみよう。最近は天麩羅屋でも豚カツ屋でも、油が悪くて胃にもたれるということはまずない。どの店も精製した良質な油を使い、サクッと揚がっている。「油が悪い」という言葉は死語になってしまったのか。(余談だが、昔は「サラダ油」と「天ぷら油」という2種類の油があって、サラダ油のほうが高級とされていた。サラダ油のほうが精製の度合が強かったのだろう。「天ぷら油」はどこへ行ってしまったのだろうか。)袋を開けたばかりのポテトチップスも油の切れはよい。チップスを全部食べたあと、袋の底をのぞけば、茶色い油が沈んでいることは絶対ない。しかし、袋を空けて2日ぐらいたった、湿気ったポテトチップスはひどい。湿気って濡れたポテトチップスを食べると、酸化した重い油で胃にもたれる。胃に消化しきれないポテトチップスがへばり付いて、体調の悪い時は吐きそうになる。そして、胃壁にへばり付いたポテトチップスは、消化することなく贅肉や皮下脂肪に変身して、腹のラードに厚く堆積していく気がするのだ。酸化した油の気持ち悪さは、たとえようがない。揚げてから時間のたったスーパーの揚げ物、冷たくなったマックポテト、衣が冷えて湿った幕の内弁当の天麩羅などなど。人を確実にデブかつ不健康にする「悪魔の食べ物」だ。それから、私はケーキを食べても気持ち悪くなる。1個ならケーキも美味いのだが、調子に乗って4個も5個も食べると、生クリームで胃にもたれてしまう。フランス料理やイタリア料理の満腹感の半分は、ケーキが受け持っているような気がする。西洋料理のコースを食べていて、「この店の料理はちょっと量が少ないな」と感じたとしても、最後にはケーキがドッシリと埋め合わせしてくれるのだ。焼き肉の満腹感が私には心地良いのに対して、ケーキの満腹感は、どちらかというと不快なものだ。大食いの私でも、気分が悪くなる時がある。乳脂のくどさが体質に合わないのかもしれない。ここで私が大学時代に、サークル仲間10人ぐらいで、ケーキ食べ放題の店に行った話をしたい。東京銀座の某洋菓子店。お昼のケーキバイキング。1500円でケーキ食べ放題、コーヒー・紅茶・ソフトドリンク飲み放題である。どうしてそんなところに行ったのか?男女比率は5分5分だったが、別に集団デートでもなし(魂胆があったら、ケーキ食べ放題なんか行かない)、当の私にも今もって理由がわからない。金がなくて腹が減っていたから、先輩の誘いについつい乗せられたのかもしれない。さて席につく。部屋の中央の大きなテーブルには、15種類ぐらいのケーキが置いてある。15個食べて普通、ということなのだろうか。攻撃開始。生クリームがたっぷりかかったイチゴショート苦いチョコがコーティングしてあるザッハトルテ栗の甘さが心地よいモンブラン3つまでは順調にいった。これならいけるぞ。あと10個は食うぞと、そこでコーヒーを飲んだ。砂糖2杯、ミルクいっぱい。「・・・・」コーヒーを飲んで3分後、胃が変調をきたした。胃の中のケーキが、コーヒーの液体を吸って膨れ上がったのだ。水をかけたら、ぼわ~と膨れ上がる花があるでしょう?ちょうどあんな感じで、私の大きな胃の片隅で小さくなっていたケーキ3個の残骸が、コーヒーのせいで膨張したのだ。膨張したケーキが、胃壁を押し上げるのがわかる。もう、食えん・・・やばい・・・しかしもう、1500円払ってしまった。1500円というのは学生にとって大金だ。独り暮らしの学生はケーキなんか滅多に食べられない。ケーキは大好きなのだが、いかんせん高い。300円のケーキ1個買うなら、75円のサッポロ一番味噌ラーメン4袋買ったほうが、経済効率ははるかに高いじゃないか。せっかく普段食べられないケーキを、死ぬほど食おうと勢い込んで来たのに、1500円払って3個だったら、もとさえ取れていない。ここで負けたら1500÷3=500円で、1個あたり500円。これじゃあバイキングに来た方が割り高になる。何のためのバイキングかわからない。せめて15個ぐらい食べて、1個あたり100円にはしたい。それから、デブのくせにケーキ3個でギブアップだなんて、周囲の友人に見かけ倒しだと思われるのは沽券に関わる。まわりの友達は涼しい顔でケーキの皿を重ねている。ならばと、私は腹をくくった。まずコーヒーは自粛しよう。飲んでもほんの1口か2口。砂糖もミルクも入れないようにしよう。ケーキの甘さで舌が麻痺しているので、コーヒーに砂糖を入れようが入れまいが同じ味なのだ。無理をしてケーキを食いつづけた。ちょっとさっぱり目の奴を選びながら、個数を重ねていった。メロンと桃のフルーツケーキ(爽やか)いちごにもミルフィーユ(小さい)シュークリーム(これも小さい)さすがにもう限界。血液が全部クリームになったような気がしてきた。気分が悪い。もう、何も食えないことを悟った。たった6個でかつて経験したことのないような満腹感を味わおうとは、情けない話です。しかしだ、1500円払っているんだ。もっと食わなければならない。食って食って晩飯代を浮かせたい。1500円は俺にとって、3日分の食費ではないか!そんな時に目に入ったのはプリンである。カスタードプリン。プリンなら何とか食べられそうだ。気分転換にプリンを食べた。「・・・・・」プリンは強烈だった。プリンは可憐な姿をしているけど、よく考えたら卵と砂糖とミルクが混ざった固体なのだ。プリン大爆発!プリンの乱入で、気分転換どころか腹の状況はメチャクチャ悪くなり、強い嘔吐感に襲われた。どんなにひどい二日酔いでも味わうことのない、強烈な吐き気がした。私は吐くこともできず、友人との会話にも加わらず、その後は一人椅子にもたれながら、身体中を突如として襲いこんだ甘いものが、体内の工場で粛々と消化されてゆくのを、気分の悪さに耐えつつ待つしかなかった。
2005/09/24
広島県民しか知らない歌の数々。これで笑えたら広島県経験者●広島の老舗デパートで、被爆した八丁堀の本店がまだ残り営業している「福屋」CMソング ♪あなたのそばに、よりそうわたし、そこに、愛の、花開く~ ららふ~く~や~●ゴールデンウイークの広島の祭り「フラワーフェスティバル」の歌♪花が輪になる~ 輪が花になる~●そごうに隣接したショッピング街「広島センター街」の歌♪楽しさがくるくると~ みんなが楽しく回る街~ 紙屋町~ みんなの広島、センター街~<上記3つの歌の歌唱は、芹洋子(「四季の歌」の人)>●「お好み焼きの徳川」CMソング♪さっさっさささとかきまぜまして、まーるくまーるくつくりましょう、あつあつふーふー徳川で、ふっくらふっくらえびす顔 お好み焼きなら徳川で、友達たくさん、作りましょ~●「もしも広島に」テレビ新広島、放送終了時のテーマ♪もしも、もしも、広島に、星の王子様、やってきたら~ ライラライ~ ライラライ~<上記2つの歌の歌唱は、デューク・エイセスかダーク・ダックスかボニー・ジャックスのいずれか。どれかわかんねえや>●「おたふくソース」CMソング♪かけてふくふく、おたふくソース(おたふく酢のバージョンもあり)●ケーキ屋「ルリデン」の、異常に画像の悪いCMの曲♪広島で、いちば~ん高い、ケーキなのよ るりでん、るりでん、るりるりるりで~ん●「ヒロコシグループ」CMソング♪ずらりならんでどちらまで~ みんなみんなヒロコシグループ~●「日専連」CMソング♪古いのれんと信用が、手と手をつないだ良いお店。●住宅展示場「せせら」の歌♪家を建てよう、いえいえ~ 住まいのことなら、すますま~ ゴールドもみじ、まいどぉ~西田篤史と横山健二がお送りいたしました。
2005/09/23
私は4~5年前から坊主頭である。1ヶ月に1回自分でバリカンで刈る。長さは1mmぐらいでツルツルに近い。頭頂部が少々はげてきた時、思い切って坊主にすることに決めた。カツラ代もかからないし楽だ。欧米に行くとスキンヘッドにした紳士が多い。日本人みたいにハゲを隠し通すのではなく、スキンヘッドにして開き直る。欧米人みたいに堂々とハゲにした方が格好いいと私は判断した。ただ、当然ハゲよりフサフサの方がいいに決まっている。だから一縷の望みを託して毎日リアップを塗ってはいるのだが、今のところ目に見えた効果はない。美容院とか理髪店とかは好きではない。私は短気だから頭を触られているとイライラしてくる。パーマをかけるなんてとんでもない。あんな超長時間散髪屋の椅子に座っているのは苦痛だ。また、いい歳をしたオッサンが、女性に混じって美容院へ行くのも考えものだ。不細工なオッサンが、「横の裾を心持ち短めにして」「パーマは少しゆるめに」なんて、自分の髪形に注文つけるのは恥ずかしい。そんな注文は私にはナルシスト的行動にしか映らない。自分でバリカンでサッパリ刈るのが一番潔くていい。ところで、今若者の間で坊主が流行っている。街へ出ると坊主頭の若者がいっぱいいる。昔は「坊主=部活で強制」だったのだが、いまはオシャレな髪型として認知されている。特にパンクとかヒップホップとか音楽系に坊主は多い。最近の若者の坊主頭は、坊主とか丸刈りとかいう名前よりも、「ボーズ」とか「ボウズ」と言った方が似合う。私もブカブカの服を着て半ズボンを履けば、年不相応ながら流行の一端を担っている気がして悪い気はしない。私の坊主頭に時代がついてきたのかも。さて、中学の時も私は坊主にしていた。坊主にした理由はこうだ。私は田舎の小学校で学び、中学から1人暮らしをしながら開成中学へ通い始めた。小学校や地方の塾では成績はトップクラスだった。しかし、中学校の最初の定期試験である中1の1学期の中間試験の成績が良くなかった。成績はクラスで51人中25位。トップクラスしか経験のない自分としては非常に情けない成績で、極度に落ち込んでいた。特に英語がさっぱり理解できず途方にくれていた。そんな時、私の友人が坊主にしてきた。聞けば彼も中間試験の成績が悪く、お父さんから「気合を入れろ」と坊主命令が出たのだという。私も坊主にしたら気合が入り頭が良くなりそうな気がしてきた。また開成では5月に運動会がある。開成の運動会は青春の匂いがほとばしる熱狂的な運動会で、開成OBの中には、開成高校が「東大合格日本一」と言われるよりも、「開成の運動会は日本一」と褒められる方が嬉しい人もいるが、私もその一人である。とにかく熱い運動会だ。開成では高3から中1までタテ割りで組を作り対戦する。高3は中1に運動会の指導をしてもらう。運動会の練習には教師は一切入り込まない。厳しい練習を通して、高3と中1の間には信頼関係が生まれる。運動会でお世話になった高3の先輩たちから学んだ、青春ドラマ的クサさがふんだんにある「熱さ」は、私の教師としてのパワーの一部になっている。そして、今はどうか知らないが、高3は負けたら責任を取って坊主にする先輩が多かった。負けたクラスは2分の1ぐらいが坊主頭になる。私が尊敬していた先輩達も丸坊主になった。高3の坊主頭には運動会の責任を取る意味と、8ヵ月後に控える大学入試に向けて気分を入れ替えるという意味の2つがある。そんな高3の潔いところが中1の私にはとても格好良く見えた。そしてお父さんに坊主にしろと命令された友人も、運動会で負けて坊主にした先輩も、坊主頭が凛々しく似合っていた。ちょっと真似してみたいなと思った。というわけで、思い切って散髪屋に行った。今でこそ私はヒゲを剃る感覚で頭を刈っているが。当時は坊主にするなんてとんでもないことだった。でもテストの点が悪く、ここで何とか心機一転ギアチェンジしないと、このままズルズル堕ちてしまいそうな予感がした。いっちょ坊主にしたろうじゃねえか。ところが、散髪屋に行く前は大いに躊躇し、緊張で心臓がバクバクした。おでこの前髪を上げて鏡を覗き込み、自分が坊主になったらどんな顔になるか想像した。私は小学生の時から少し長めの髪型で、散髪屋さんに30分ぐらいかけて丁寧に切ってもらっていた。私は勉強もできたし、長めの髪型は何だかいいとこのお坊ちゃまみたいで、ちょっとした優越感を感じていた。しかしそんな丁寧に調髪された髪が、バリカンで呆気なく根こそぎ刈られた。髪が無造作に濡らされて、バリカンが頭頂部から暴力的に入れられ、サラサラの髪は残骸として無残に床に落ちていった。3mmの白い坊主頭が出来上がった。頭の輪郭がまん丸く間抜けで、恥ずかしくてたまらなかった。友人や先輩の坊主頭は格好いいのに、自分がやってみると毛を刈られた羊みたいな情けない姿にしか見えない。不思議なことに、もうすっかり前髪なんかキレイに刈られて無くなっているのに、まだ前髪があるような錯覚がして、思わず前髪をかき上げそうになった。前髪があると思って額をさわると、サラサラした前髪はなく、ゾリゾリした感触の短い髪しかなかった。サラサラヘアからザラザラヘアへの変貌に、まだ慣れることができなかった。散髪屋から出て、道に止めてある車のミラーで自分の顔を見た。かつての長髪の秀才少年ではなく、坊主頭のサルみたいな間抜けなガキがいた。落ちこぼれには坊主頭がお似合いだ。俺みたいな勉強ができない奴は髪なんか伸ばす資格はないと思った。刈りたて坊主の地肌には、涼しい空気が貼り付く。風が少しでも吹くと頭が寒い。今まで長い髪に守られてきた私が知らなかった感触だ。頭の冷たい感触のせいで、坊主になって気合が入るどころか、ますます落ち込んでしまった。、開成という、世間で言うところのエリート中学に入った優越感なんか私には全くなかった。こんな凄い奴ばかりがいるところで、どうやって生きてゆくのだろうか。しかも坊主頭にすると、まるで少年院に入れられたような気分だった。囚人が坊主頭を強制される理由がわかった。坊主頭は明らかに人を滅入らせる髪型だ。
2005/09/22
私の塾は集団授業塾だが、ちょっと勉強が遅れがちの子には個別補習もやっている。特に中1英語はこの時期に差がつくと、将来とんでもないことになるので、目配りを欠かしてはいけない。とりあえず英語の苦手な子を3人呼んで、1対3で補習している。ただ私の塾はいま実質私1人で教えているので、補習時間のやりくりがなかなかつかない。幸いなことに中3は入試直前の今の時期「全国高校入試問題正解」をやっている。この本は全国47都道府県の入試問題と、有名国立・私立の入試問題を集めたものだ。その分厚さから「電話帳」と呼ばれている。塾では45分間中3生に電話帳をやらせて、45分解説という方法を取っている。ということは中3が電話帳の問題を解いている間、私は手が空くことになる。その時間を利用して補習ができる。私が中3に解説している時間は、補習の子には単語や文章を暗記させる。慌しい時間の利用法だが、時間の有効利用である。でも、ただ単に補習をやってもつまらない。補習というものは過去に習った箇所の復習=反復と相場が決まっているが、それだけでは面白くない。確かに反復演習すると成績は上がるが、補習している方もされている方も、即効性があるパッとした手応えが欲しい。そこで私は補習で予習=先取り学習をやる。たとえばちょうど中1は過去形に突入したところだが、他のみんなが過去形を集団授業でやる前に、補習組の子に過去形をみっちり教え、不規則変化の活用表を完全に暗記させておくのだ。そして過去形の集団授業がはじまると、補習組の子にどんどん当てて答えさせる。他の子は過去形を習いたてなので、あまり正確に答えられないのだが、補習組の子は補習であらかじめ知識を仕込んでいるので、私の質問に対してバシバシ正しい答えを出す。補習組の子は、補習で呼ぶ前には集団授業中私の質問にロクに答えられなかったのに、補習のおかげで力がつき、集団授業の時に楽々答えられて嬉しそうだ。授業中も以前とはうって変わり、「先生、俺に当ててくれ」という顔をしている。おそらく生涯初めて「できる子」の立場を味わうことができ、補習に参加して良かったと思うだろう。確かに補習組の子に先取り学習をやらせて、授業中「にわかヒーロー」に仕立て上げるのは作為的であざとい手段かもしれないが、できる子がいつも授業中に味わっている優越感を、勉強が苦手な子に少しでも味わってもらえたら、局面が変わりそうな予感がするのだ。
2005/09/20
私はマイルス=デイビスが好きだ。マイルスには、「努力の人」というイメージがある。下手っぴーなトランペッターから、帝王の座に君臨したマイルス=デイビスの成長物語を、授業中の訓話ネタに使うことがある。麻薬中毒でラリって電話ボックスで立ち小便したチャーリー=パーカーや、廃人寸前になり精神病院で脳に電気を流したバド=パウエルの生涯は、さすがに教育の場では語れない。マイルスは「根性」で成り上がった人だから、「王貞治」的精神的訓話が成り立つので、生徒のやる気を昂揚させることができるのだ。(少々クサいけど)マイルスは最初テクニックはなかった。マイルスのキャリアが浅い頃に、サボイ盤でチャーリー=パーカーと競演している演奏は、両者の力量の差、カリスマ性の差がはっきりと現れていて悲惨だ。チャーリー=パーカーの演奏は、輪郭が明確でスピード感があり、しかも不気味さを漂わせていて、まるで巨大で太いニシキヘビが、地面を猛スピードでクネクネと這いずり回っているようだ。そんなアルトの超絶ソロと比較して、無理して速く吹こうとするマイルスのトランペットはブツブツ途切れて拙く、悲しいぐらいに力量は雲泥の差だ。しかし若い頃に、チャーリー=パーカーの薫陶を受けて、圧倒的に力量の違う相手と競演したことは、マイルスにとって無駄ではなかった。天才の閃きを間近に浴びることで、マイルスは何かをつかんだのだろう。圧倒的なチャーリー=パーカーの才能を前にして、他のミュージシャン達は、「バード?あいつは天才だよ。オレがあいつに勝てるわけないさ」で片付けた。天才とは極力かかわらないようにした。しかし、マイルスは違った。正面からチャーリー=パーカーにぶつかろうとした。何が一流か、どんな演奏が本物のジャズか、マイルスは賢い男だから頭でわかっていた。しかし自分のトランペットで体現する技術は持っていなかった。地獄の苦しみだっただろう。それにしても、チャーリー=パーカーという天才に並ぼう、勝とうと想像すること自体凄いことだ。ところがマイルスは、秘めたる闘志をバネに、パーカーを超え、トップ=ミュージシャンになろうという強靭な意志があった。そして長期戦を覚悟しながら、超一流への階段を一歩一歩登りつめようとした。マイルスのレコードには、偏差値をじわじわと上げて行く子供の成績表の変遷を見るように、過酷な成長の後がくっきりと刻まれている。そんなマイルスの前に立ちはだかったのが、正真正銘の天才、クリフォード=ブラウンだ。クリフォード=ブラウンの演奏は、たとえて言うならカリスマ予備校講師だ。語り口は流麗なのに軽薄ではなく、スピード感は十分なのに言葉に重みがある。内容は理路整然として、隙がない。初期のマイルスの語り口はボソボソして、しかもぶっきらぼうで、とてもじゃないけどクリフォード=ブラウンの敵ではなかった。楽器は同じトランペットで、年齢はほぼ同じぐらい。マイルスがクリフォード=ブラウンを意識しないわけはない。クリフォード=ブラウンに、饒舌さで勝負を挑むことは無謀です。それはマイルスが誰よりもよくわかっていた。クリフォード=ブラウンみたいに輪郭のはっきりした星の王子様のような美音を、鋭いテクニックで撒き散らして客を酔わせることは、マイルスには不可能だった。マイルスは、180度方向性を変えた。マイルスは沈黙の美に気が付いた。ふだん無口で訥弁な人が、突然口を開いたときの、「高倉健」的言葉の重み。饒舌じゃなくても自己表現ができる。いや、寡黙だからこそ説得力をもつ。マイルスはバンドに静寂を要求した。沈黙を要求した。ピアノの音で「闇」を作れるビル=エバンスと競演した。どこでも誰とでも吹けるクリフォード=ブラウンと違って、マイルスは自分のバンドのスタイルに、人一倍こだわった。自分のソロを引き立たせるために、「威、あたりを払う」かの如くバンドに君臨し、自分のソロを引き立たせる演出を施した。リズム隊が神経質に、マイルスの露払いをつとめる。たっぷりと思わせ振りな間を取った後、マイルスのソロが登場する。夜の闇と静寂の中、マイルスのトランペットが虚空を駆ける。アイスピックで氷の塊を鋭く切り裂くような、トランペットの音色。マイルスの弱音器を使った、陰影に富む不器用な音色は、聴く人間の心を捉えて離さなかった。マイルスは発想の転換をして、「沈黙は金、雄弁は銀」の道を、スタイリッシュに突き進んだ。そんなマイルスの試みが頂点に達した「カインド・オブ・ブルー」は、芸術的にも、商業的にも成功した。しかし、マイルスは帝王と呼ばれるようになり、ステージで観客の誰もがマイルスの演奏に熱狂しても、演奏終了後観客への挨拶もほどほどに、ぶっきらぼうかつ恥ずかしそうに下を向きながら、舞台から足早に去っていった。マイルスのぶっきらぼうさは、どこから来るのだろうか? 傲慢とも劣等感感とも違う。発展途上の人間が持つ余裕のなさといおうか。どこかそれは、無愛想なイチローによく似ている。自分の出す音が気に入らない。自分の演奏を完成形ではなく、常に完成途上ととらえた謙虚なマイルス。そんな謙虚なマイルスは、「沈黙は金」の方向性を極限まで推し進め、大成功を収めた「カインド・オブ・ブルー」のスタイルすら破壊して、更なる高みに上り詰めようとした。さて、私がよく聴くマイルスのアルバムベスト5は1「フォー・アンド・モア」2「マイルス・イン・ベルリン」3「ライブ・アット・プラグド・ニッケル(ハイライト)」4「カインド・オブ・ブルー」5「リラクシン」
2005/09/17
今年のセンター試験の現代文では、教科書と同じ文章が出題されたそうだ。現代文なら古文ほど有利不利の差はないだろうが、しかし自分が読んことのある文章が出題されたら、ふだんの力より高得点があげられることは否めない。受験生は問題作成者から祝福されたような気分にもなるだろう。また読んだ経験がある文章じゃなくても、自分が興味を持つ分野の文章が出題されたら有利になることは確かだ。ガンダム好きの男の子ならガンダム論が出れば喜び勇んで問題を解くだろうが、ガンダムに興味がなく存在すら知らない女の子だったら、文章に対して距離を感じるだろう。たしかに国語力とは、どんなジャンルの文章が攻めてきても、普遍的でブレない方法論で文を鋭く的確に切りさばく能力なのだろうが、自分の興味や思想に合致した文章なら、文章を解釈する能力が少々稚拙でも、本文の執筆者や出題者の気持ちが乗り移ったような強い共感で解けてしまうものだ。特に記述式の問題ならば。ところで今年のセンター試験には、小津安二郎についての文章が出題されていた。出題文の著者は映画監督の吉田喜重氏、女優の岡田茉莉子の夫で、若い頃小津の謦咳に接していた人だ。私は高校時代から小津安二郎が好きで、吉田氏の文章は共感しながら読んだ。出典の「小津安二郎の反映画」は私の本棚にある。小津好きの私には、本文を読まなくても選択肢を見ただけでこの問題が全部解けてしまった。ありふれた日本家屋を撮っているのに異空間のような奇妙な映像、出演者の視線が常に宙を浮いている独特の芝居演出、鋭いカット割りや複雑な脚本や派手な音響効果で観客を振り回すのではなく、逆に観客を吸い込むような緩やかなテンポ、小津は尻フェチじゃないかと疑いたくなるほど低い位置にカメラを置く極端なローアングル、棒読みで台詞を読む笠智衆と佐分利信、、といった具合に、小津は極めて「異常」な映画を撮る。とにかく小津映画は、ハリウッド映画のように観た後で「面白かったね」「うん」と単純な感想ですまされるスカッとしたタイプの映画ではなく、謎が多く解釈が多様な、一緒に見た人と酒場に行って何時間でも語り合わずにはおけない映画なのだ。小津の無口な映像は、観客を饒舌にさせる。そんな小津体験を1度でもしていたら、センターの問題は強い共感をもって解けるのである。私は高校時代、勉強なんか全然しないで小津黒澤をはじめとする古い日本映画ばかり見ていた。自分は異端のアウトサイダー、しかも才能のない情けないアウトサイダーだと自分を規定していた。もし高校生の時に、センター試験で小津の文章に接したならば、天下のセンター試験が自分のことを認めてくれたようで、複雑な気持ちはあれど気分は良かっただろう。
2005/09/16
韓国を旅して驚いたのは、物価が安いことだ。確かに中国本土やタイやインドに比べたらずっと高いが、アジアで一番物価が高い日本や香港に比べたらずっと安い。ソウルの物価はおそらく日本や香港の70%ぐらいじゃなかろうか。まず交通費が安い。たとえば距離にしてほぼ日本の東京⇒京都間に相当する、ソウルと釜山の間を移動すると、韓国国鉄の新幹線KTXで料金は4000円ぐらいしかかからない。高速バスに至っては料金が1000円少々なのだ。青春18きっぷなんかなくても安上がりに旅行をすることができる。だから私は宿代を浮かすために、夜は夜行列車か深夜の高速バスで眠ることがよくある。またタクシー代が安い。ソウルの東大門市場から、江南のCOEXまでタクシーに乗ったのだが、東京だったら東京駅から荻窪や赤羽ぐらいまでの距離を1000円少々で乗ることが出来た。日本のタクシーはべらぼうに高くてあまり乗る機会はないが、海外のタクシーは安いので気軽に乗れてしまう。特に中国やタイは安く、上海やバンコクのタクシー初乗り料金は、日本円にして150円ぐらいなのだ。そして韓国の料理の安さと量とうまさには、ただただ圧倒される。韓国では料理を頼むと、ご飯や味噌汁だけでなく、7~8種類ぐらいのおかずが自動的にテーブルに並べられる。・焼肉屋や韓定食屋に行くとおかずが多過ぎて、テーブルが過密状態になって、皿を重ねて置かざるをえない羽目になってしまう。私が最初に韓国に行った時、何の予備知識も無かったので、頼んでもいないおかずが大量にテーブルに載せられたとき、日本人だから騙されぶったくられているんじゃないかと、店の人を疑ったほどだ。おかずが全部サービスだとわかったときには驚嘆した。あとキムチはどんな食べ物屋に行っても必ずついてくる。キムチが出ない店はマックやロッテリアは除いて存在しない。キムチが足りなくなったらおかわりを頼める。また別におかわりを頼まなくても、客の皿にキムチがなくなると嬉しいことにお店の人が勝手にキムチを入れてくれる。だから日本の焼肉屋のように、キムチやご飯やスープを別注文することはない。一度韓国旅行を経験すると「キムチはただ」という感覚が身について、日本の焼肉屋でキムチを別に注文するのは馬鹿げたことに思えてしまう。そして韓国のキムチは店によって味が全く違う。キムチは個性の固まりで、同じ味のキムチはない。たとえば店によって漬ける時間が違う。ある店は昨日甕に入れたばかりのような白菜のシャッキリ感が残った浅漬け、ある店は発酵が進んだ酸味のあるキムチ。私は個人的にキムチは浅漬けが好きで、漬けすぎのキムチはあんまり好きではない。でも酸っぱいのが好きな人は結構いるようだ。また韓国南部の全羅道では漬けるときにアミの塩辛とか牡蠣を入れるので、少々生臭いこってりした味わいになる。韓国では北に行くほどキムチの味はあっさりと塩辛くなるようだ。韓国の白菜は水気が少なく、その分甘味がある。日本の白菜は水分が多く、ちょっと塩で漬けたら水分が抜け透明感がでてくるが、韓国の白菜は少々漬けても水っぽくならず、白さがしっかり残り、どっしりした味が残る。そしてシャキシャキした心地よい歯ごたえの中に、野菜の持つ天然の上品な甘味が湧き出てくる。その野菜本来の甘さを、唐辛子のシャープな辛味が引き立る。とにかく韓国のキムチはこたえられない。韓国ではキムチがないと食事をした気になれないのだ。さて、私は韓国へ行くと、焼肉は豚ばかり食べている。韓国の焼肉は豚が一般的で安い。韓国で私は牛肉をあまり食べない。韓国の牛は赤身が多く、日本の霜降りの肉とは旨みの方向性が違う。私は脂がマーブル状態についた日本の牛肉の方が好きだ。牛の焼肉に関しては、日本の焼肉の方が口に合う。しかし韓国の豚の焼肉の旨さは圧倒的なのだ。たとえばソウルの大学街新村の豚カルビの店に行ってみる。サムギョップサルという名のタレのついていない厚い綺麗な薄ピンク色の脂身の多い豚バラ肉か、テジカルビという日本の焼肉のタレよりも少々甘めのタレに漬け込んである豚肉の2つのメニューがある。私は両方1人前ずつ注文することにした。出てきたのは、豆腐とたまねぎとじゃがいもが具の、「峠の釜めし」みたいな容器に入ったぐつぐつ豪快に煮えて出てくる粉唐辛子が散らされた味噌汁、それから銀の小さな器に盛られたご飯、キムチは白菜・スルメイカ・大根の3種類、それから茎ワカメのごま油和え、もやしのナムル、ピンク色のサウザンドドレッシング(韓国のドレッシングは何故かほとんどこれ)のかかったキャベツときゅうりとプチトマトとコーンのサラダ、20かけらほどの生にんにく、箸ぐらいの長さの大きな青唐辛子、ゴマの葉、チシャ(サニーレタス)の葉・・・とにかくテーブルはおかずでいっぱいになった。炭火で焼いて茶色い焦げ目がついた、肉の脂がまだシュワ~と音を立てている状態の熱々の豚肉を、銀のハシで大きな手のひらサイズのゴマの葉(これが美味い!紫蘇の葉に似ているが違う)やサニーレタスの上にのっけて、それからついでにご飯ものっけて、生にんにくとコチュジャン(甘い唐辛子ミソ)をはさみ、包んで巻いて豪快にがぶりと食べる。肉の脂、生にんにくの刺激、ご飯の穀物の甘味、唐辛子の芳香を、ゴマの葉やサニーレタスの水っぽい鮮味でくるんだ味・・・そんな渾然とした旨みを、ビールか韓国焼酎真露で洗い流す。うまい!サムギョップサル5000ウォン、テジカルビ5000ウォン。全部あわせて、10000ウォン(約1000円)。安い!ちなみにこんな食事を続けていると、キムチと生ニンニクのせいで、口の中はもちろん汗までがニンニク臭くなる。しかし韓国国民はみんなこんな食生活をしているから遠慮することはない。ソウルの地下鉄はニンニクの匂いが充満している。ニンニクくさい地下鉄の匂いをかぐと、ソウルに来たなあと思う。
2005/09/15
和歌山へ行ってきた。白浜温泉で外湯めぐりをし、和歌山でラーメンを食べた。相も変わらずテレビ東京のロケハン隊みたいな旅程である。福山からレールスターで新大阪。新大阪で好物の駅弁「八角弁当」を買い、特急「オーシャンアロー」で白浜まで。尾道を朝7時半頃出発すると、白浜には11時15分ごろに到着する。列車に持参したのは、城山三郎の「指揮官たちの特攻」という文庫本。大ハズレ。文体は弛緩し内容が薄い。歳を取るとかつての名作家もこんなひどい本を書くのだろうか。井上準之助と浜口雄幸が主人公の「男子の本懐」や、広田弘毅を書いた「落日燃ゆ」は高校生のとき読んで感銘を受けたが、城山三郎はどうなってしまったのか。こんなユルい文章で描かれてしまった特攻隊はあまりにかわいそうだ。途中で読むのをやめる。幸い村上春樹の「アフターダーク」もリュックに入れておいたので助かった。こちらは最高。筆力にただひれ伏すのみ。もう4回は読み返した。さて、白浜駅からバスに乗って海岸の温泉街へ。白浜駅から温泉街まではバスで15分ぐらいかかる。バスを降りて白浜名物の外湯「崎の湯」に向かう。目の前がドーンと太平洋で、波打ち際が岩で組んである豪快な露天風呂の写真を見て、「ここへは絶対に行きたい!」と思ったのだ。「崎の湯」は極楽だった。良い温泉の条件がいくつも揃っている。露天風呂だし、目の前が海だし、開放感抜群だし、料金は安いし(300円)、管理人さんは人当たりの良い方だし、湯は硫黄臭く適温だし、肌触りはヌルヌルして柔らかいし、湯で体が火照ったらひんやりした岩盤の上に寝転がって心地よい浜風に吹かれ身体を冷やせるし、温泉街の中心から少し離れて閑静だし、日本書紀に登場するほど歴史は古いし(斉明天皇や持統天皇が入浴した記録がある)、とにかくこんな風呂がある海沿いの家に住んでみたい(無理か)それにしても、近くに火山がない和歌山県に温泉が湧くのは不思議だ。たとえば九州だったら長崎には雲仙、熊本には阿蘇、大分には九重、鹿児島には霧島桜島と盛大に白煙を上げる火山があるから、近くに温泉が湧くのは理にかなっている。また箱根や伊豆は富士山、草津は浅間山と、温泉と火山はセットになっている。火山があるところに温泉あり。しかし和歌山の白浜や勝浦の近くに火山はない。紀伊山地は原始の昔から鬱蒼とした「もののけ姫」が住んでいそうな杉林で、霊山の雰囲気はあるが火山のイメージは全くない。どうしてこんなところに温泉が湧くのだろう?疑問に思い調べてみると、白浜温泉の地底の奥では、太平洋の海底プレートが日本列島に沈み込んでいるのだという。堅い岩盤どうしが地底で接触しているから地震が起こりやすく、プレートの接触で摩擦熱を発している。台風や夏の季節風が紀伊山地に大量の雨を降らせ、地下深くまで雨が沁み込み、強い摩擦熱を持つプレートに接触して、水は煮えたぎりミネラルを溶かしながら地表にあふれる。それが白浜温泉なのだ。「崎の湯」の滑らかな湯が、日本一の降水量を持つ紀伊山地の豪雨と、地球規模のダイナミックなプレート・テクトニクスが作り出したものだとわかると、ますます温泉のありがたみが増してくる。180度視界が広がる太平洋の遥か彼方から向かってくるプレートが日本列島に押し寄せ、この温泉の熱を作り出しているのだ。露天風呂に入りながら、地球の大自然の熱に包まれているような気がした。言うまでもないが、ここの温泉は「源泉かけ流し」である。地面から湧き出た煮えたぎる湯を適温に冷ましてそのまま使っている温泉である。最近では循環風呂とか、入浴剤とか、水で埋めるとか、井戸水を温めるとか、塩素臭が強いとか、そんなインチキな温泉が問題になっているが、「崎の湯」の湯は山の方から鉄パイプで湯を通し、露天風呂の上方の岩から小さな滝のように流し、湯が岩を伝わり空気に触れさせることで適温になる。80度ぐらいの源泉は、岩を伝わることで42~3度の良い湯加減になるのだ。浴槽は湯の花で白くなっている。「源泉かけ流し」は湯量が豊富じゃないとできない贅沢な温泉だ。日本の多くの温泉は湯量が少ないため湯を循環して使っている。いわゆる「循環風呂」である。排水溝で吸い取った湯を浄水器で濾し塩素で殺菌消毒する。こんな使い回し温泉では効能もへったくれもないだろう。温泉博士の松田忠徳さんの著作によると、浴槽の下に排水する穴があったら循環風呂なのだそうだ。穴から浄水器へ湯を回し、塩素を入れて消毒て再びお湯を使う。しかし、白浜温泉「崎の湯」の露天風呂の湯には当然排水する栓はどこにもない。露天風呂であふれた湯はどこへ捨てられるのか。何と余った湯は湯船からあふれチョロチョロと太平洋に流れ込んでいるのだ。う~ん豪快。さすが天然の温泉は違う。
2005/09/15
去年の今頃の時期、徳島へ行った。尾道から岡山までは普通列車。岡山から高松は瀬戸大橋を通るマリンライナー、高松から徳島までは高徳線特急「うずしお」。所要時間は約3時間30分。東京へ飛行機で行くより時間的に遠い。「うずしお」は指定席。ラッキーなことに先頭車両の最前列で、しかも運転席と座席を隔てる窓にブラインドがなく、前方の景色が丸見えの特等席。まるで運転手になったみたいで、「電車でGO!」の気分が味わえる。高徳線は非電化区間でディーゼルカー。架線がないから見晴らしが良い。線路は単線で、可愛らしいのどかなローカル線といった趣き。特急列車は小さな駅をどんどん通過する。通過する駅のホームには普通列車を待つ人がたくさん待っているのだが、運転席から見ると人がこぼれ落ちそうに見える。誰かが線路に飛び込んでくるんじゃないかと気が気ではない。特急といえどもスピードは遅いのだが、ホームから人が飛び降りたら、どんなに急いでブレーキをかけても絶対に間に合わない。新幹線の運転手はもっともっと怖い思いをしているだろう。何しろ新幹線は急ブレーキをかけて、完全に電車が止まるまで2kmもかかるという。ホームでは少しドキドキするが、運転席から見る風景はいたってのどかである。「うずしお」号が走る讃岐平野は、地理の教科書通り大きな川がない。広い平野なのだが、「二級河川」という感じの小さな川が何本かあるばかりで、こんな水量の少ない川しかなかったら、さぞ昔の人は水不足で苦しんだろうと思う。讃岐平野で農業をやっていた人は、水がなくなる恐怖をいつも感じていたことだろう。しかし県境の峠を越えて徳島県にはいると、吉野川が見えてくる。四国で一番長い川だ。四国山地に降る大量の雨を吐き出す吉野川は、川幅が広く堂々としている。讃岐平野のかわいらしい小さな川を見慣れた目には頼もしいくらい大きい。ディーゼル特急は轟音を立てて、恰幅の良い吉野川の鉄橋を渡る。さて、徳島の名物といえばラーメンである。私は徳島へ過去2度立ち寄ったことがあるが、徳島でラーメンを食べるのは今回が初めてである。私はラーメンが大好きな男だが、不覚にも前回徳島(5年ぐらい前)を訪れたときは、まさか徳島がラーメンで有名な街だとはつゆ知らなかった。失礼ながら当時の私には、四国に対してラーメンのイメージが全くなかった。香川は讃岐うどん王国だし、愛媛や高知はラーメン不毛の地だ(高知県須崎市には「鍋焼きラーメン」というのがあるらしいが)ところがどっこい、徳島は和歌山・喜多方・尾道・旭川・佐野といった町と並ぶ、「ご当地ラーメン」で名の知れた町なのだった。どうやら新横浜のラーメン博物館に、徳島の老舗ラーメン店「いのたに」が出店してから、徳島ラーメンの認知度が高まったようだ。徳島駅に着くと、さっそく本日の宿であるキレイな「ホテルクレメント」にチェックイン。ホテルは駅の真上にあり交通至便。荷物を置いてさっそくラーメン屋めぐり。あちこち回って、1日で7杯食べた。一番私の好みだったのは、タクシーの運転手さんに薦められて行った、「東大」というラーメン屋。ここは若い店主が4~5年前に始めた店らしく、タクシーの運転手さんによると、最も徳島ラーメンらしいラーメンだという。「東大」という名前は日本一のラーメンを目指すという意味でつけたらしい。ここのラーメンは最高だった。「東大」という名に恥じぬ味だった。スープは黄土色。徳島ラーメンはこげ茶色のスープが多いが、「東大」は色が薄め。たまり醤油がベースだが隠し味に味噌が使ってある。スープは濃厚で粘度が高くて、麺にしっかり絡みつく。その濃厚さは京都発祥のチェーン店「天下一品」を思わせるが、さすがにあそこまで粘度は高くない。ただ「天下一品の白いスープを茶褐色に変えた感じ」という説明が適切でわかりやすいかもしれない麺は中細。水分の少ないボソボソ系の麺で、こげ茶色のスープを吸って色と味がしみている。どちらかというと自己主張しない麺だ。無意識のうちにズルッ、ズルッと胃の中に納まってしまう。ダシは豚骨がメイン。徳島には昔、日本ハムの前身の徳島ハムという会社があり、余った安価な豚骨がラーメンに回され、戦後すぐに豚骨がふんだんに使われたラーメンが流行したのだという。九州ラーメンと違うのは、スープに香ばしさがあること。なんだか豚のスペアリブを、醤油と味噌を混ぜたタレに漬けて焼いたような香ばしい味がする。ちょっと焼き鳥の味とも似ているが、豚肉の味噌漬けの方が近いかもしれない。スープの材料に、もしかしたら焼いたスペアリブでも加えているのではないか。なんだかバーベキューを焼いている匂いを凝縮したような、食欲をそそる香ばしさである。また香ばしさに加えて、スープには甘みがある。味噌が甘いのか、それとも砂糖とか蜂蜜が加えてあるのかわからないが、嫌味のない自然の甘さだ。野菜の甘さもふんだんに加わっている。スープの粘度が高いのは、玉ねぎ・ニンジン・キャベツなんかをトロトロになるまで煮込んでいるからだろう。もしかしたらリンゴも入っている可能性がある。リンゴと蜂蜜なんてバーモンドカレーみたいなラーメンだ。徳島のラーメンはこの砂糖or蜂蜜と野菜の甘さが特徴で、だから徳島のラーメンのことを「すきやき風ラーメン」と呼んでいる人がいる。しかし食べてみると、すき焼きとは似ても似つかぬ味である。徳島のラーメンがすき焼きに似ているのは、甘いところと生卵を入れるところだけだ。すき焼きに味が似ているラーメンといったら、むしろ大阪道頓堀の「神座」だろう。「神座」白菜の入ったすき焼きの味がする。そうそう、徳島ラーメンには生卵を入れる。今はやりの半熟煮玉子でもなく、ゆで卵でもなく、生卵をドガンと入れる。生卵は黄身だけを入れる店もあるが、白身も一緒に入れる店が主流みたい。おそらく生卵を入れるから、すき焼きラーメンなんて呼ばれるのだろう。私がガイドブックやインターネットのHPで、徳島ラーメンに生卵がのっている画像を見たとき、「これほんまにうまいんか、気持ち悪いな」と懐疑的だった。だってラーメンのスープがぬるくて卵の白身が透明のグジュグジュのままだったら気持ち悪いじゃないか。私は生卵があまり好きではない。チキンラーメンだって卵の白身が生だと気持ち悪い。丼にチキンラーメンと卵を割り入れ、ヤカンで熱湯をいれ蓋をし3分待つという小池さん的な食べ方だと、卵の白身が透明のままでぬるぬるしてあまり感触のいいものじゃない。しかも卵を一緒に入れるからスープの温度が低くなる。困った。だから私はチキンラーメンは面倒くさくても必ず鍋で煮て作る。ラーメン用の小さな鍋にお湯を沸騰させ、ラーメンを入れる。そして麺投入後10秒たって、卵の白身だけ鍋に入れる。そして10秒後に今度は黄身をいれ、黄身をいれたら10秒待ち、素早く丼に入れる。ラーメンを煮込むのはわずか30秒、白身が鍋に滞在時間している時間は20秒、黄身は10秒。この作り方だと麺は私好みの固めのアルデンテに茹で上がるし、白身にもきちんと火が通り、黄身は生のまま。生の黄身はスープの余熱で旨みが活性化される。そんなふうに白身のグニュグニュに神経質な私が、出来上がったラーメンに生卵を落とすのを嫌がるのは当然のことだ。しかし徳島ラーメンは生卵を入れたら断然美味くなる。だってよく考えてみたら、徳島ラーメンは豚骨・スペアリブ・すき焼き・りんご・蜂蜜・味噌・濃口醤油、そんなこってりして甘い食材のごった煮である。そのまま食べたらかなり味が強い。徳島ラーメン味のの濃さを中和するために、卵は絶好の中和剤になる。だってすき焼きだって肉を生卵に絡めて食べるでしょ。卵がない肉は甘辛くて味がきつい。なぜかすき焼きの卵は白身のグジュグジュが気にならない。徳島ラーメンも理屈は一緒である。徳島ラーメンはモヤシの使い方がまた上手い。モヤシが相性抜群なのだ。私はモヤシとラーメンの相性は、必ずしもいいとは思わない。例えば荻窪の「漢珍亭」や「丸福」にはモヤシが入っているが、モヤシの存在が浮いているような気がするモヤシがつきものの札幌ラーメンだって、果たしてモヤシが合うか疑問に思う。「どさん子」チェーンや早稲田の「えぞ菊」あたりでは、中華鍋で炒めた水っぽいモヤシが大量に入っている。味噌ラーメンならまだいいが、スープの薄い塩ラーメンや醤油ラーメンは明らかにモヤシ過剰だ。札幌の「純連」の味噌ラーメンみたいに、こってりパンチの効いたスープで初めてモヤシは生きるのだ。徳島ラーメンもスープに強烈なコクがあるので、卵といっしょにラーメンの濃さを中和している。あと、徳島ラーメンにはチャーシューではなく、甘辛く煮付けた豚バラ肉が入っている。しょうが焼きぐらいの厚さで、脂身が多くてうまい。そういえば、徳島のラーメン屋には必ず「めし」が置いてあり、地元の人は豚のバラをおかずにして食べている。豚バラはご飯のおかずにちょうどいいくらいの濃さの味つけで、豚肉を卵に絡めてご飯のおかずにすれば、豪華なラーメンライスになる。普通のラーメンライスは、メンマとか焼き豚の小片とか湿った海苔をおかずにしなければならず、なんだか侘しい感じがするが、徳島ラーメンはまるでメシのおかずみたいだ。ラーメンはメシのオカズというポジションだからなのかどうかは知らないが、徳島ラーメンの量は少ない。大盛りで普通のラーメンと同じぐらいの量である。確かにこんな味の濃いラーメンを大きな丼で出されたらキツイだろう。徳島ラーメンは食べ終わったあとに「ああ、もう1杯食べたいな」と思わせるような、ちょうどいい量である。それにしても「東大」のラーメンの渾然一体度はどうだ。スープも具も自己主張が強いが、全員自己主張が強いからかえって一体感を感じ、集団で舌に襲い掛かってくる。濃厚で香ばしいスープも、甘辛いバラ肉も、自己主張しない麺も、こってりとした生卵も、水っぽくないモヤシも、そこからが麺で、そこからが具で、どこからがスープなのか境界線がないぐらい一体感がある。私は食っている最中、思わず「うまい」と口に出してしまった。ああ、うまい。量が少ないとはいえ、さすがに1日にラーメンを7杯食べると腹が太る。体重が1日で5kgぐらい増え、ラーメンの脂がそのまま汗になって流れてきそうな気になる。よく考えてみれば、徳島ラーメンを7杯食べたら、生卵だけでも1日7個食べたことになるわけだ。
2005/09/14
暑い。とても暑い。身体中の血が暑さで粘性を帯び、ミートソースになってしまいそうなくらい暑い。暑いときはエアコンの効いた室内に閉じこもるに限る。僕の塾の仕事部屋は3畳ぐらいの広さでとても狭いのだが、ドアを閉め密室状態にしてクーラーをギンギンにきかせる。クーラーの冷風が僕の頭上に降りかかってくる。そんな状態だから、僕の部屋は夏でもまるで動物園の白クマの部屋みたいに寒い。また冷凍庫にはコーラと伊右衛門と六条麦茶をぶちこんで、凍る寸前のキンキンに冷えた状態でいつでも飲めるようにしてある。僕は暑さに対しては、クーラーで外から、冷たい飲み物で中からと完全防備してあるのだ。しかし、学校帰りに塾に来た中3のA君によると、塾と違って中学校は死ぬほど暑いらしい。学校の教室にはもちろんクーラーはない。しかも学校の建物はコンクリートでできているから熱気が部屋にこもりやすい。だから外より室内の方がはるかに気温が高いのだという。暑さを和らげるために教室の天井に扇風機があるのだが、扇風機は熱気をむなしく攪拌するだけで、何の効果もないらしい。しかも中学校は新体育館の建設工事中で、外から鉄骨のぶつかる大きな音がガンガンとうるさい。学校から500mぐらい離れているうちの塾で部屋を密封していても、工事の音が少し聞こえてくる。遠くからでもそんな具合であるから、工事現場から至近距離にある教室ならばどんなにうるさいのかと思う。当然窓を閉めたら音は軽減されるのだろうが、窓を閉めたら室内の暑さが凄まじいことになることは誰にでも想像がつくので、窓を開けっ放しにするしか道はない。窓を開けていても室内温度はおそらく38~9度、閉めたら45度は下るまい。45度なんてまるでバングラデシュだ。さらに悪いことに今日は学校のトイレの汲み取りの日だったそうだ。うちの塾がある地域は田舎だから下水が未整備で、街のあちこちでバキュームカーを見かける。学校のトイレの横にバキュームカーが数台横付けされて、強烈な匂いを発していたのだという。しかもバキュームカーの悪臭は、40度の熱風にのって教室に入り込んでくるのだ。うだるように暑い教室、熱気を攪拌する扇風機、神経に響く工事の音、バキュームカーの「熱い」悪臭。中学校の授業は熱地獄のようだ。生徒も気の毒だが、先生はもっとたいへんだろう。黙って座っていればいい生徒と違って、先生は炎熱地獄の教室で立って動き回らなければならない。そんな話を聞くと塾の先生に生まれてきてつくづく良かったと思う。クーラーのない学校の先生はいやだ。そんな過酷な労働は僕にはできない。昔僕が子供時代だった頃、職員室にだけにクーラーがあることに対して大きな憤りを感じたものだが、教える側になった今では当然のことだと思う。1時間子供の前で授業を演じて、ひとときでも涼むことができる憩いの場がなければ、頭がどうにかなっちゃいそうだ。僕が学校の先生なら夏は理由をつけて休みまくる。昨日は風邪、今日は腹痛、明日は法事。僕が公務員だったら思いっきり怠けた公務員になるだろう。給料が同じならサボるに限る。あるいは労働条件の向上を求めて、バリバリに組合活動に励むだろう。日教組の集会では「学校にクーラーをつけてくれ」という要求も議題に上がってるのだろうか。日教組の主張には変なのが多いが、教室の暑さとの戦いなら僕も大いに同調する。
2005/09/13
私は早稲田の政経学部の経済学科を10年ほど前に卒業した。今日は早稲田のOBの一人として、早稲田の長所・短所を、主観的に思うままに挙げてみよう。早稲田の一番の長所は、「人が多い」ことだ。人が多いぶん、大学で出会うたくさんの友人達は魅力に溢れている。学力が異常に高い人、強い問題意識を持った人、「起業」を目指す人、大学の勉強を無視して俳優を志す人、英語を帰国子女でもないのにネイティブのように使いこなす人、普段は普通っぽい雰囲気なのに文章を書かせたり映画を撮らせたりしたらその独自の表現力でまわりを魅了する人、類型の全くないようなファッションで道行く人の目をくぎづけにする人、議論で周囲を圧倒する人、大学へ全く来ない消息不明な人・・・個性・学力・行動力など、全ての面でパワフルだ。早稲田は「学生一流、施設二流、教授三流、学長四流」何ていわれているが、学生一流というのは真実だ。とにかく面白い友人との有意義な出会いがある。また早稲田は大学というより、巨大な祝祭空間というほうが当たっているかも知れない。野球の早慶戦、ラグビーの早明戦、早稲田祭など、学生感の連帯感を高めるイベントがたくさんある。とにかく早稲田は楽しい。こんな楽しい大学、そんなにないんじゃなかろうか。また、早稲田の排他的なまでの愛校心の強さ。マスコミは最近よく早稲田の悪口を書く。特に週刊誌。ご存知のとおりマスコミには早稲田出身者が異常に多く。その早稲田出身者が早稲田大学の悪口を書く。しかしこれは早稲田への強烈な愛情の裏返しなのだと思う。次に短所。早稲田の最大の短所は、矛盾するようだが「人が多い」こと。授業は語学以外、大人数のマスプロ授業がほとんど。これは学生数に対して教員の人数が圧倒的に少ないという事情があるだろう。西川潤教授みたいに、大隈講堂で800人の学生相手の授業すらある。これでは教授との緻密なコミュニケーションなど取りようがない。早稲田は、学問の面においては裏切られる事の方が大きい。政経学部に入学したら政治学を1年からバリバリに学びたいという思いが私には強かったのだが、1・2年度は一般教養ばかりで、肩透かしを食らった。人類学やら哲学やら、私には正直あまり興味のない学問ばかりだった。大橋巨泉はそのつまらなさに辟易して、「一般教養の授業は無駄だ」と言って、早稲田を中退した。一般教養にしても専門科目にしても、授業が面白ければいいのだが、予備校でハイレベルな講義を受けた後では失望させられる事の方が多い。(凄い教授の授業は目をむくほど凄いのだが・・・川勝平太教授の授業は面白かった)成績のつけ方も、今はどうか知らないが、とてもいい加減だった。早稲田には学費値上げ反対を目的とした試験のストが多く、私は4年間のうち2回後期試験でストがあり、試験を受けることができず、評価はレポートで代替した。その結果、大学の成績評価はあやふやなものになった。また、早稲田は人数が多いため、自分の居場所を積極的に見つけるようとする努力が必要だ。語学のクラスなり、サークルなり、またバイト先なり、とにかく自分が安心する居場所を、自分で見つけなければならない。
2005/09/09
塾講師は妾だという名言を吐いた方がいらっしゃった、まさにわが意を得たり。子供にとって可愛い妾であり続けるためには、塾講師は常に色気を保っていなければならない。色気が消えれば、たちまち客が去ってしまう。塾講師を妾に喩えるとは不謹慎だと思う方もいるかもしれない。しかし教師を聖職だなんて未だに思っている人には陰気な愚物が多い。聖職者のつもりが性職者になる人はいくらでもいる。では、塾講師の色気とは何だろうか。おそらくそれは子供に新鮮な知識を与える力じゃないかと思う。塾は面白い知識・情報がバンバン飛び出してくる場でなければならない。講義はマンネリじゃなく、トリビアの泉に負けないぐらい、サプライズに満ちていなければならない。同じような話をウダウダしていたら飽きられる。まず、子供を講義に魅きつけるためには、話し方に工夫を凝らさなければならない。今の子供はTVやゲームで面白い刺激を常に与えられていて、刺激に対して目が肥えている。塾の講義は、TVやゲームのようにビジュアルを多用することができないから、使える武器は、昔ながらの話し言葉だけだ。「講義」ではなく「話芸」であることを意識しなければならない。私は国語・理科・社会では、授業時間の4分の1ぐらいを雑談に使っている。もしかしたら雑談こそが、授業の要じゃないかと思う時もある。雑談をマクラに、いかに履修内容にスムースに入ってゆけるか、頭が痛いところだ。良い雑談、子供の知的好奇心を高める雑談をするためには、常に新しい知識を吸収していなければならない。私はそんな恐怖心もあってか、1日1冊必ず本を読む。読んでネタに使えるものはバンバン使う。ツバメの親は自然界のあらゆる場所から餌を求めて飛び回り、子供に食べやすくアレンジして食べさせる。それと同じように、塾講師は古今東西の著作を読み、難しい箇所は話の組み立てに工夫を凝らしたり、また比喩を多用したりして、わかりやすく噛み砕いてから教えるわけだ。講師は「教養」で頭をパンパンに膨らまして、授業で子供に語りかけることによって「教養」を撒き散らす。妾が肌のお手入れやエアロビで色気を保つように、塾の講師も頭を古い知識で澱ませることなく、絶えず新しい知識を吸収して、脳味噌をリフレッシュさせておかねばならない。塾講師が放つフェロモンとは、「教養」に他ならない。
2005/09/08
僕は御三家の一角、開成中学・高校で青春期を過ごした。同級生たちは勉強の面でとてつもなく凄い奴が多かった。それは以前書いたことがある。では、開成高校の教師の力量は、いったい、どの程度のものなのであろうか?実は一部の教師を除いて、授業の技も人格も大いに期待はずれなのだ。大部分の開成の先生は凄みも熱意もない。またそのうえ、魅力的な授業ができない。50分間ただ「黙々と」授業して帰る、その繰り返しである。東大合格者を毎年150人以上出している開成高校ではどんな魅力的な授業が行われているのかと期待したら、大いに裏切られる。優秀なのは教師ではない、生徒のほうなのである。ちょっと特別なケースだが、ヒドイ例を紹介しよう。俺の高2・高3のときの担任Sというのはどうしようもない人物だった。Sは数学の教師で、奈良のT学園から東大に進んだ俊才だが、こういう経歴の人にありがちな傾向で教え方が非常にわかりづらい。それ以前に、授業を成立させるだけの、教師としての最低限の力量すら持っていなかった。俺が中2の時に大卒で入ってきた教師だが、最初のうちは山下達郎をオカッパ頭にした風貌と、なよなよとした江戸時代の公家が使うような関西弁で人気を博したが、そのうちあまりの威厳のなさに生徒が騒ぎ出し、授業が収拾つかなくなった。Sの授業は生徒がいつも騒ぎあっていた。Sが授業している時には、生徒たちは思い思いのことをしていた。あるグループはトランプをやっていて、トランプで負けた時の罰ゲームは、授業中のSの尻にカンチョウをするというものであった。Sが黒板に向かって板書している隙に、後ろからカンチョウをするのだ。(もちろん浣腸薬の液体をSの尻の中に突っ込むのではない、指でSの尻を突くだけである。念のため)実際カンチョウされてもSは「やめなさい(「な」にアクセントを置いて読んで下さい)」と妙な関西弁でわめくだけだ。怖くもなんともない。これでは、罰ゲームにもなりゃしない。Sがカンチョウされる瞬間だけ、それまで思い思いのゲームや読書に興じていた生徒たちもSの尻に注目して、授業は静謐に満ちた緊張感のある雰囲気になり、Sが「やめなさい」と叫んだ時だけ、授業は大爆笑に包まれる。あとはワイワイ、ガヤガヤのメリハリのない無駄な時間が過ぎる。それにしても真面目な子が多いはずの開成高校で授業を仕切れず、学級崩壊(?)させるなんて、荒れた高校で教鞭をとったら一体この人はどういう目に合うのだろうか? こういう軟弱な教師を、ピラニアが棲んでいるアマゾンの川に放り込むのもいいかもしれない。Sの名誉のためにいっておくが、彼の数学力はなかなか立派なものだそうで、参考書の執筆陣にも加わっている。しかし彼は穴蔵にこもって1人でシコシコカリカリ数式でも解いているのが似合いの御仁である。間違っても現場に出るべき人ではない。笑い話を一つ。Sの授業があまりひどいので、私の友人が、これでは数学が伸びないといって、名古屋に本拠のある東京信濃町の大手塾に通い出した。大手塾の数学講師は、田中先生という人だとパンフに書いてあった。Sの下手くそな授業に辟易していた私の友人は、まだ見ぬ田中先生の授業に期待し、田中先生のもとで数学の再起をかけていた。そして・・・予備校最初の授業、なんと、予備校の教壇に現れた田中先生は、Sだったのだ。Sは「田中先生」と名前を変え、副業としてK塾の時間講師をやっていたのだ。Sの授業はひどいのだが、予備校側は開成高校とのパイプ作りのために雇っているのだろう。私立学校は公立と違って兼業は禁止されていなので、塾との掛け持ちは別に違法ではないのだが、Sも塾との掛け持ちが高校にばれたら上司に注意されることを恐れて「田中先生」と名乗っているのだろう。俺の友人が田中先生の正体に驚き落胆したこと言うまでもない。開成高校の教師に期待はずれな人が多い理由は、生徒の学力の高さ、及び真面目さに大いに関係する。開成高校の生徒は元来素直でまじめな子が多い。だから先生との人間関係も上手い。その生徒の素直さと学力の上にあぐらをかいているのが、開成高校の教師である。開成高校教師のメッキが本格的にはげたのは、僕が予備校に通い出してからだ。僕は高1の時英語が苦手になり、代々木ゼミナールに通い始めることになった。僕は健気にも英語が苦手になったのは100%自分の才能と努力不足だと信じて疑わなかった。自分を教えてくれたのは紛れもない開成高校の先生だ。教え方も日本一に違いないだろうと。さて。代々木ゼミナールにに通い始めた。代々木ゼミで、英語のW先生の授業を見て、目を疑った。凄い! 熱い! わかりやすい!文字が大きい! 声も大きい! 存在感はもっと大きい!僕は授業中時計を何度も見た。早く終わらないで欲しい。ずっと授業を続けていて欲しい。そして授業の最後に先生がおっしゃった一言は凄かった。「いいかい皆さん、勉強がわからなくなるということは、当然皆さんの責任も半分あるけれども、半分は私たち教える側にも責任があります。私は全力を尽くしてその半分の責任を果たそうと努力します。ですから皆さんも予習復習をきちんとこなして、責任を半分、果たして下さい。授業でわからないところがあれば、直接私に聞いてください。」と、自分が予備校の講師室にいる時間と、講師室の地図を書いて立ち去っていった。何という謙虚さ、何という懐の深さ。かっこいい~。今まで尊敬して疑わなかった開成高校の講師たちの化けの皮が剥がれると同時に、常に厳しい競争にさらされている予備校講師の凄みを体験した瞬間であった。結局僕は予備校にはこの日を含めて3回しか通わなかったのだが(笑)W先生には感謝している。
2005/09/07
今回の台風は風が強かった。塾はまた休み。うちの塾は島にあり、暴風警報が出たら本土と島を結ぶ橋は閉鎖され、フェリーが欠航になるから仕方ない。1日本を読んで過ごす。ところでテレビの台風報道であるが、台風がやってくると自国の被害の報道しかしないのが面白い。今回の台風は日本海を斜めに通過しているので、韓国も被害を受けているはずである。しかし日本の台風報道で韓国が登場したのは、「博多と釜山を結ぶ水中翼船ビートル号は欠航」というニュースだけだった。韓国や北朝鮮がどんな被害を受けようと知ったこっちゃないといった感じである。それは韓国の側も同様で、深夜のNHK衛星放送でやっている韓国KBSのニュースを見ると、釜山港のコンテナが浸水したとか、蔚山駅前の木が倒れたとか自国のニュースばかりで、日本のことは一言たりとも触れられていない。よほど他国の被害が凄まじい時以外は報道しないのが台風報道のパターンである。確かにそんな自国の被害しか伝えない台風報道は、日本のニュースを見ているのは日本に住む人だけだし、韓国のニュースを見るのも韓国在住の人だけだから問題はない。昔朝日新聞の投書欄で「海外で航空事故が起きたとき、テレビや新聞で『日本人乗客が何人いるか』といった、日本人の生死にだけにこだわる報道はおかしい。他の国の人も死んでいるのだから」というトンチンカンな投書があった。だって日本のテレビを見ているのは日本の人だけでしょ、外国旅行に行っている家族が飛行機に乗っているか心配するのは当然でしょと突っ込みたくなった。しかし台風報道における他国の被害に対する強烈な無関心ぶりは、グローバル化などという綺麗ごとが、これっぽちも浸透していない現実を突きつけられる。南方で台風が生まれ北上してくると、われわれの側から見ると「中国や韓国へ逸れろ」と無意識に思っているのかもしれない。中国や韓国も同様だろう。日韓中3国はお互いに「あっち行け、あっち行け」と台風をなすりつけ合っているようだ。テレビのアナウンサーが「台風13号は日本列島を逸れ、日本上陸は避けられました」と言った時、ふと天気図を見ると台風は朝鮮半島のど真ん中を堂々と通過中だったりする。
2005/09/07
ジャズやクラシックを聞く若者が減ってきた。少なくとも私の周囲には全然いない。ジャズやクラシックのCDは売れない。カラヤンが生きていた頃はまだ、クラシックのレコード売り上げも結構あったようだが、今ではスター不足で売れ行きは実に淋しいものだ。最近のクラシック界は、一部のCDだけが爆発的に売れる。小沢征爾のウイーン・フィルのニューイヤーコンサートは80万枚、ヨーヨーマ(チェロ)が演奏したピアソラのリベルタンゴの入ったアルバムは30万枚売れたそうだが、こんなのはクラシックのCDとしては超例外的な数字だ。それからフジコ・ヘミングという技量も感性も三流のピアニストが、テレビの後押しで売れる。売れるからといってあんな演奏を上等なクラシックだと思ったら大間違いである。爆発的な売れ方をするCDがある一方、基本的にクラシックのCDは、1万枚も売れたら大ベストセラーである。ジャズのCDに至っては、2000枚も売れたらレコード会社は祝杯をあげるのではなかろうか。J-POPやロックとは、売上枚数の桁が全然違うのだ。都市部の外資系レコード店(タワーレコード・HMV・ヴァージンメガストア)に行ってみても、クラシックやジャズの売場は、奥まった場所の、重い扉がついて静まった、高級感漂う別室にあることが多い。平日に訪れると、こんなんでいったい採算が取れるのだろうかと、疑いたくなるほど客がいない。また、田舎のレコード屋ではクラシックのCDは売れないから、ジャケットが日に当たって変色しているものが多い。だが、昔からジャズやクラシックのファンは、決して多数派とは言えないのだろう。ただ、私が生まれた60年代は、ジャズやクラシックなど「難解な」音楽を聴くことが、格好いいという風潮があったような気がする。ジャズやクラシックが好きだと人に宣言することは、自分が「知識階級」であると宣言するのと同じことだった。同級生達が藤圭子や弘田美枝子を聴いているときに、女声歌手はマリア=カラスとビリー=ホリデイしか認めねえと広言することは、「インテリ」のステイタスだった。しかし、彼らが本当にジャズやクラシックを理解していたかどうかは怪しい。正直言って、多くの私より世代が上の日本人にとって、幼少の頃に刷り込まれた音楽は、三橋美智也や春日八郎あたりの流行歌だろう。私にしても、ジャズやクラシックよりも、演歌やコテコテの歌謡曲のほうが、実は親しみ深かったりする。いい演歌や歌謡曲は一発で理解することができる。私もそうだ。「津軽海峡冬景色」や「青春時代」や「五番街のマリー」や「メモリー・グラス」といった曲のメロディーラインは、本当に何度も何度も聴きたくなる。私の大好きな「夢の途中」や「異邦人」なんかは、いったい何千回聴いたことだろうか。これらの曲のメロディーは、いくら噛んでも味の落ちない、ガムのようなものだ。最近では中島美嘉の「雪の華」や、オレンジレンジの「上海ハニー」なんかは、極めつけの名曲だと思う。幼少時代から音楽教育を受けていた人や、子供時代ヨーロッパ過ごした人、それから特別な感性を持っていた人を除いて、日本人が身体の芯からジャズやクラシックを求めていたとは言い難いんじゃないか?聴覚すら西洋人と日本人は違うらしい。西洋人は音楽に構築性を求める。だから不連続に鳴り響く音は雑音と同じなのだ。だから日本人の耳に心地よい涼気を呼び覚ます風鈴の音は、西洋人には不愉快な雑音にしかすぎないのだという。ともかくジャズもクラシックは、根は日本人には縁遠い音楽である。だから日本人にとってジャズやクラシックに慣れ親しもうと思ったら、無理して背伸びをしながら聞く段階が必要なのだ。私より上の世代の人をジャズやクラシックという異文化の音楽に駆り立てたのは、「難解さへの憧れ」だったように思う。日本人が難解なクラシックやジャズを理解するためには活字の媒介が必要不可欠だった。活字の手助けがないと、音楽が理解できない。自分の耳だけでは、クラシックやジャズが、本当に素晴らしいものなのか自信がない。心もとない。音楽の良否が判断できないのだ。クラシックやジャズの旋律が流れてくる。いい音楽なのか?悪い音楽なのか?自分では判断しかねる。迷っている。自信がないから、音楽評論を読む。言葉の後押しが欲しい。誰かに「これはいい音楽だよ」と太鼓判をおして欲しい。こんな調子だから、クラシックやジャズの高名な音楽評論家が推薦する演奏は、巨大な権威と化す。クラシック評論やジャズ評論の新書版は結構売れる。一ヶ月に一回は、どこかの出版社から新書が出ている。評論の世界だけだと、J―POPやロックを売り上げで凌駕している。もしかしたらクラシックやジャズの評論は、CDより売れているんじゃないか? ジャズの寺島靖国やクラシックの宇野功芳の文章は、時には音楽自体よりも面白い。彼らが推薦したCDは非常に良く売れる。私を含めてクラシックやジャズの良さをイマイチ理解できないが、妙に難解なものに憧れてしまう「愚民の群れ」が、評論家の文章に釣られてCDを買ってしまうのだ。しかし、活字にナビゲートされながらでも、自分の力を超えた難解な音楽に対して果敢に挑戦するのは悪いことではなかった。今では私もある程度は、クラシックやジャズを理解できるようになった。モーツァルトやベートーヴェンやマイルスやビル・エヴァンスの音がないと、私の生活の楽しみの10%は消えてしまうだろう。大学生時代に格好つけて、無理して聴いておいて良かったと思う。さて、勉強の世界も同じである。難解なものへの憧れ、難問を征服してやろうという野心、これが勉強に対する最高の動機になる。私達の頃の参考書は難解だった。そして、私達の世代より前の参考書は、サービス精神のかけらもない高踏的な過去の遺物である。ただその遺物たちは語りかける。「この本は難解で歯ごたえがあるぞ、さあ、攻めて来い」しかし、ここ10数年間、参考書の世界に実況中継シリーズが出現してから、参考書の世界は変わってきたように思う。こちらから征服しなくても、本の向こうから著者がわかりやすく語りかけてくる親切な参考書がどんどん現れた。ところが、参考書が飛躍的にわかりやすくなってから、大学生の学力が落ちてきたと言われ始めたのはどういうわけだろうか? 巷で言われている大学生の学力低下が本当ならば、参考書の質の向上と大学生の学力は反比例しているのではないか? 水と肥料を与えすぎたら植物は根が腐ってひ弱になるように、過保護な参考書は高校生の学力を落としているのではないか?極論ついでにもうひとつ極論を言わせてもらえば、クラシックやジャズの人気低下原因は、大学生の学力低下の原因と根が同じなのではないだろうか。その原因とはもちろん、「難解なものに対する憧れ」が無くなってきた事である。
2005/09/04
akiakiaki
2005/09/02
知覧飛行場跡の特攻平和会館には、特攻隊員の遺書が肉筆やコピーが、資料館の広い部屋の周囲にずらっと展示されている。広島の原爆資料館の館内が、放射能や熱で科学的被害を受けた物的資料で埋め尽くされているのに対し、知覧の平和会館は特攻隊員が残した文章がメインである。だから原爆資料館のように、全身火傷して手の皮が垂れた人形とか、高熱で解けてねじ曲がったサイダーの瓶みたいな、ビジュアル的に衝撃的な展示物はなく、特攻隊員の遺書がガラスケースに静かに陳列されているだけで、一見物足りない印象を受ける。しかし隊員の文章世界にいったん引き込まれると、どんな残酷な写真やモノをも凌駕する、戦争関係の資料館特有の重苦しさを感じる。私は厳粛な重々しい気持ちで、特攻隊員が残した手紙や遺書を3時間あまり眺め続けた。死を目前とした若い隊員の文章に釘付けになってしまった。大命遂に降下す。輝かしき特攻隊長としてこの武人最高の名誉を忝す。一億国民はもとより三千年の祖先の血潮は脈々として我が満身に湧溢す。まさに皇国忿怒の魁として一億の刀の切尖として敵艦に玉砕あるのみ。たとえ暗夜海上遠く出撃して消息不明のこともあろう。又、誰一人見ていてくれる者もない敵中深く自爆して爾後不明のこともあらん。何れにせよ、花々しき勲功は敢へて希望せず。私の死後、お上から下さる金など、それから私の貯金は全部航空機献納資金として陸軍に献納して下さい。薫より。父上様、母上様こんな文章を1つ1つ丹念に見て回ることで、私の心にはさまざまな言葉が浮かんできた。以下その断片を記す。●隊員はみな驚くほど達筆。今でも70歳を越えた年配の方の書いた文字を読むと、畏まってしまいたくなるほど流麗な書体の達筆である。というか達筆すぎて正直読みにくい。そんな70歳以上の方と同じような書体の華麗な文字を、20歳前後の若い特攻隊員が書き記す。当時の人の文字に対する美意識の凄みがわかる。戦前は学校の書道の時間には、古今の名筆を「お手本」にして、それを忠実に書き写す練習に力を注いでいたのだろう。●文体は漢語の多い擬古文が多い。しかも登場する漢字は、現在では漢字検定1級でしかお目にかかれない難解なもの。●死を目前にした若者はどんな顔をして死んでゆくのか? 仏様のように達観した冷静な顔なのか? 若者らしい高揚感で顔を紅潮させているのか? それとも恐怖で無表情になり唇を紫色にしていたのか? 特攻隊員の文体からは、仏の達観と若者の高揚感は読み取ることはできるが、死の恐怖を表面上消し去った文面である。「死ぬのが怖い」という意味の文章は1つもなかった。●特攻隊員が書く文章は、修身教育の成果の見本のようだ。どの文章も、天皇への忠誠と親への忠孝が基調で、修身教育の硬い鎧の中で書かれている。目前に迫った死への強く熱い葛藤が修身教育の鋳型の中に収まり、隊員の理性の凄みに圧倒される特攻隊員は尋常小学校の頃、誰よりも修身の授業で大きな声で教科書を読み、綴り方の授業ではひたすら字を丁寧に書いた真面目な子供だったのだろう。●現在再び右傾化が進んで、またあの忌まわしい時代に戻ると心配している方が多い。教育基本法の「改悪」とかで、文科省は「愚民化」を進めていると言われるが、遺書を読んでいたら特攻隊員は「愚民」ではなく、最高の「賢民」だったことがわかる。教育に対して疑いを挟まず、疑ったとしても自制心から口には出さず、清潔な純粋さに満ちている。よく考えてみると、「愚民」は怖がりでいい加減なものだから、戦争なんて面倒臭いことはしない。「賢民」の無垢な正義感こそが危ない。●教育の成果は文章にこそ顕著現れる。特攻隊員の文章が戦前の修身教育に縛り付けられているように、私の文章も小学校時代の日教組教育の影響を多大に受けている。特攻隊員が軍国教育を受けたのとは逆に、私は戦後日教組の教員から教育を受けた子供である。平和教育や同和教育をたっぷり受けた世代である。作文の題材と言えば広島長崎の原爆や、部落差別に反対する人権作文が多かった。私は結構その手の作文が得意だった。今日の私の日記を読み返していると、押し付けがましく生硬な文体だ。話題が戦争とか平和になると、どうしても無意識のうちに深刻で暑苦しい書き方になってしまう。とくに、死を目前にした若者はどんな顔をして死んでゆくのか? 仏様のように達観した冷静な顔なのか? 若者らしい高揚感で顔を紅潮させているのか? それとも恐怖で無表情になり唇を紫色にしていたのか?という箇所の皮肉な問いかけは、押し付けがましく読者が引いてしまう。幼年時代の刷り込みの恐ろしさよ。●遺書は「戦陣訓」の影響を受けている。「戦陣訓」とは軍人が戦場に向かう時のの心構えを説いたもので、兵士はその文章を繰り返し教えられ、頭にたたき込まれて戦地に赴いた。その一節には「生きて虜囚の辱めを受けること勿かれ」とあり、これは捕虜になるなら自決せよという意味である。また、陸軍刑法第42条には、司令官敵前ニ於テ其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ逃避シタルチキハ死刑ニ処ス、という条項がある。「戦陣訓」と陸軍刑法を見ると、特攻隊の死は自発的なものではなく、強制的で逃れられないものだったという解釈も間違いではない。●家族に送る手紙は当局によって検閲された。検閲されるから本音は書けない。だから特攻隊員の手紙は、虚飾に満ちたものであるという人もいる。しかしもし検閲されなくても、特攻隊員は今残っているものと同じような文章を書いたであろう。現在われわれから見れば明らかに痛ましいイデオロギーが、特攻隊員を骨の髄まで強く支配していた。そんな彼らが死を目前にして、検閲がないからといって、死への恐怖とか天皇や戦争に対する批判を書くことはあり得ないと思う。彼らは心の内奥し閉じ込めている本音を、意図的に覗き込むことはしなかったし、できなかったと思う。本音に対して判断停止を決め込んだに違いない。いったん死への恐怖とか、自分を死に至らしめた軍国体制に対する怒りとか、そんな本音に向き合ってしまえば、自分の死は無駄死にで滑稽だということに気づいてしまう。軍国のイデオロギーを否定することは、自らの死の神聖さを否定することだ。彼らは神国の虚飾の中に生き、虚飾の中で自分の行為を美化し死んでいった。●特攻隊員は死の美学に酔わないと死ねない。素面では敵艦に突っ込んで自爆するという壮絶な死に方なんて、できっこないのだ。酒で酔えない分、皇国の神話に酔った。●隊員達の文章は、詩的性格が露になったものが多い。本質的に彼らは詩的な人間だったから特攻隊に志願し自らの命を散らすことを潔しとしたのか、また死を目前とした人間が詩的にならざるを得ない運命にあるのか、それはわからないが、激越な詩情が隊員の文章には感じられる。酔生百年 夢死千年修行二十年 散華一瞬 ●特攻隊員は格好いい。その格好良さは認めなければならない。自己犠牲の尊さ、死へ赴く度胸、若者らしい熱さ、過剰なほどの純粋さ。特攻隊員にはテロリストとか、悪辣な殺人者とか、忠君愛国の滑稽な心酔者とか、負のイメージの言葉は浮かんでこない。比較するのは不謹慎かもしれないが、「アルマゲドン」のブルース=ウィルスの姿から私は特攻隊を連想した。●私が昭和10年代後半、年齢が20才前後だったら特攻隊に志願する「賢民」になっていたのか、それとも日和見を決め込むその他大勢の「愚民」の1人に過ぎなかったのかわからない。ただ当時の社会情勢は日和見を決め込むことなんてできなかった。20前後の男ならいずれは死ななければならない運命だった。自分たちだけ死ぬのではなくて、どうせ死ぬなら先陣切って死んでやろう。そんな気持ちだったのか? 特攻隊員は狂気が支配する軍国体制に追い立てられた。日本民族は集団自決するつもりだったんだろう。特攻隊員の文章に心を打たれ、いろんな思いが頭を交錯し、重苦しい気分で平和会館をあとにした。頭の中は完全に太平洋戦争末期にタイムスリップしていた。重たい足取りで歩く私の後ろから、20人くらいのオジサン集団が平和会館から出てきた。最初は特攻の生き残りの方かと思ったが、どうやらJAの団体旅行らしい。歳も60歳くらいで特攻隊員にしては若すぎる。特攻の経験者は80を超えているはずだ。皆さん私と同じように無口で神妙な顔をしている。ところがJAのオッサンの一人が、周囲の沈黙を打ち破って、大きな声でこう言ったのだ。「わしは特攻隊はいやじゃのお。わしゃあ死ぬ勇気がないわ。わしが特攻隊に行けえ言われたら、ジェイキンスみたいに逃げるわ。ジェイキンスは賢いわ。ジェイキンスは逃げて曽我ひとみさんと結婚できてええのお。曽我ひとみさん、ありゃあムチムチして色っぽいからのお」どうやら方言から、オッサンは私と同郷の広島県人らしい。オッサンの言葉は不謹慎スレスレかもしれないが、彼の明るい一言で周囲のオジサンたちは爆笑の渦に包まれた。平和会館の重苦しい雰囲気が一気に和らいだ。私もつられて笑った。戦前のモノクロ世界にすっぽりタイムスリップしていた私は、ジェイキンスという言葉で、一気にカラフルな現在に引き戻された。 国家に対して過剰な忠誠心を示し、果敢に自爆した凛々しい特攻隊員は、他人を殺し自分も殺す。しかし国家を裏切り、みっともなく逃亡したジェイキンスは誰も殺さない。戦争とは格好良く、平和とは格好悪いものなのだろうか。
2005/09/01
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