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「大法輪まんだら:創刊60周年秀作選」大石順教尼順教尼は本名大石米子という。4つで踊りを習い、12歳のとき名取の舞の師匠となるほどの才能を示した。14歳のとき、その舞振りを認められて大阪堀江の青楼山梅楼に貰われた。半玉として妻吉の生活が数年続いた。明治38年6月20日、妻吉18歳のとき、「堀江の6人斬事件」が起こった。これは山梅楼の主人中川萬次郎が二度目の妻のお愛と萬次郎の甥の明次郎が一緒に家出をしたのを怒って逆上して一家皆殺しをはかった事件だという。妻吉は両手を切られ、高安病院で治療を受け、命はとりとめた。その後生計のため、寄席に見世物として出たり、割烹店を開き、二人の子をもうけた後、離婚し、口に筆をくわえての絵を描いて自活した。「今私がここに申し上げたいのは、人を恨むとか憎むとかいうことをすべきではない、それはその人自身を苦しめるものだということです。」萬次郎は、6人を斬ると、すぐ自首した。妻吉は高安病院へかつぎこまれ、わずかにつながっていた右手を切り離された。左手は萬次郎が一刀のもとに切り離していた。警察からの取調べの最後に「お前は萬次郎を憎んでいるか」妻吉は、萬次郎が自分を憎んで行ったことではないと知り、萬次郎が死刑になる身であること、これは自分の因縁があったと考えて、「私は恨んでいない、萬次郎の骨を拾い法事もする」と申し出た。両親は気でもちがったのではないか、相手を切り刻んでもあきたりないのにと驚いたという。そしてその後の人生を振り返ると、もしあの時、萬次郎を憎み、お愛を憎んでいたらこうした安らかな生活は開かれていなかっただろうと語る。萬次郎から「最後の願いだ、会ってくれ」という手紙が来て、旅芸人をしていた妻吉は堀川の監獄へ面会に行った。萬次郎は暫く沈黙していたが、「立派な舞踏の師匠にしたいと思っていたのに、両方の手を切り落としてしまい、すまないというだけでは死んでも死ねぬ。死後はあんたの霊となって守り、決して不自由させぬ」と言った。「お父さんが護ってくださるなら、立派な人になりましょう。」といって別れたという。その後いろんな艱難辛苦のたびに萬次郎の戒名をよみ、南無阿弥陀仏を唱えると「人に見えない大きな幸せが待っている、決して不幸せにならない」という信念が生まれたという。 妻吉は後に高野山に登り、尼となった。真言宗の藤村僧正のもとで国文学や歌を習っていたが、その師匠がなくなって17回忌に得度した。 順教尼は自分の庵に4,5人身障の女の子を預かっていろいろと教え、生きる道をつけてあげていた。「身障者であることを悲しまずに、感謝するような心持にさすことが、私の一番しなければならない肝心な仕事です。」「仏様は平等に慈悲のみ手を垂れてくださる。 人を呪わず、憎まず、人を愛し己を愛し、すべてを感謝して行えば、必ず仏様の力によって精神的に救われ、心が安らかになり、物質は必ずそれに伴ってくるものです。」「悲しいことがあったら、笑いなさい。つらいことがあったら、笑顔を人に差し上げなさい。それによってしか、私たちの笑顔はつくれないんだ」「しないことと、できないことは違う」「何事も成せばなるてふ言の葉を胸にきざみて 生きて来し我れ」◎◆「禍福一如」師の教えを胸に口筆画の世界に生きる――南正文・日本画家( 「致知」 2008年5月号 特集・工夫用力、p56 ) 日本画家・南正文さんは小学3年生の時に事故で両腕を失った。 悶々とした毎日を過ごしていた中学生の頃、 人生の師となる大石順教尼に弟子入り。 この尼僧もまた少女時代にある事件に巻き込まれて両腕を失った人物だった。 南さんは順教尼の生き方に接して人生に開眼、後ろ向きだった心が大きく転換していく。 「禍福一如」の師の教えを心に刻み、口で筆を操る口筆画の世界に生きる南さんの工夫用力の人生 について伺う。私が初めてお会いしたのは亡くなる2年前、先生78歳の時でした。小柄で、笑顔の美しさが大変印象的でした。ハンディを微塵(みじん)も感じさせず、どのような辛(つら)い出来事もカラカラッと笑い飛ばしてしまう明るさと強さを感じさせる、いかにも明治女らしい方でした。先生は笑顔で私たちの話にじっと耳を傾けられた後、「あんたは絵を描きなさい。よかったら私の弟子になるか」と誘ってくださいました。ただし、それには条件がありました。堺から京都まで一人で来ること、絵を描くこと、それも足ではなく口で描くこと。この三つが守れなくては弟子にはできないとおっしゃるのです。少年時代の私は絵が大の苦手でしたが、このままでは自分が駄目になってしまう気がして、その場で弟子にしていただきました。初めて一人で先生をお訪ねする前の晩、私はまんじりともせずに夜を明かしました。堺から京都まで5回乗り換え、片道3時間の道程を本当に一人で行けるのか、肩にかけた鞄(かばん)を途中で落とすことはないだろうか。あれこれ考えていると不安で仕方なかったのです。トイレのことは前日から飲食を控えれば解決できると考えました。問題は切符です。靴にお金を入れ、切符売り場の駅員さんに足で差し出す方法も考えましたが、物理的に難しいと分かりました。残る方法は、ポケットにお金を入れ、改札口の乗客を呼び止めて切符を買っていただくことです。事故以来、すっかり引きこもりがちになった私ですが、順教先生の顔を思い浮かべては気持ちを奮い立たせ、見ず知らずの人に声をかける決心をしました。反応は様々でした。気持ち悪いと逃げ去る人、怒り出す人、逆に親切に切符を買ってくださる人、中には行き先は反対方向なのにわざわざ次の乗り換えの駅まで付き添ってくれる人もいました。やっとの思いで京都に着き、順教先生の顔を見るや、「あんなこともありました」「こんなこともありました」と堰(せき)を切ったように道中の出来事を話しました。先生は「いろいろな人に出会えてよかったな」と笑顔でおっしゃった上で次のように話を続けられたのです。「切符を買ってくれた人はいい人、買ってくれなかった人は悪い人だと思うだろう。でもそうじゃない。買ってくれた人も、買ってくれなかった人も、あなたには皆先生なんだ。世の中に出たら、黙って手を差し伸べてくれる人ばかりではない。いろいろな人がいることを、神仏はその人を通してあんたに教えてくれているのだよ」と。
2024.03.31
2006年01月17日東井義雄先生兵庫県で小学校の先生をされ、昭和47年八鹿(ようが)小学校の校長を最後に退官された。東井先生は、卒業式で卒業証書を渡すときもこのようであったといわれる。「由利子さん、あなたのお父さんが亡くなられたのは、一年生の二学期でしたね。あれからお母さんがどんなに苦労されたか、よく分っていますね。」そして子供を見守って立っていたお母さんにもよびかけた。「お母さん、これまで本当にご苦労さまでした。由利子ちゃんはお母さんにも、亡くなられたお父さんにも、喜んでもらえる人間になろうと、一生懸命努力したのですよ。」サッカーの試合で負けて悔しい思いをしている子にはこう呼びかけられた。「慎吾君。人間は鍛えれば鉄のように強くなる。磨けば宝石のように美しくなる。人間は失敗しないことも立派だが、失敗をプラスに変えて生かすことは、それ以上に立派です。」と励ました。修学旅行のとき、東井先生は、必ず弁当はお母さん手ずから作っていただいて、そこに父母からの手紙を添えてくださいとお願いした。「お母さんたちが忙しいのはよく知っています。 でも、子どもたちにとっては、一生涯の思い出になる大切な修学旅行です。いつもより早く起きて、しっかり性根を入れてギューと握ったおにぎりを持たせてください。そのおにぎりの一つひとつに、どんな思いを込めてくださったか、それを手紙に書いて添えてください。」すると修学旅行のお昼のとき、いったいどんなことが起こったか。「子どもたちが弁当の包みを開いてみると、大きなおにぎりが入っていました。そのおにぎりにお母さんの手紙がついていたのです。普段やんちゃ坊主の子が、お母さんの手紙をじーと読んでいます。ほかの子もおにぎりにかぶりつきながらも、涙をにじませて読んでいます。やんちゃ坊主はみんながおおかた食べ終わった頃、ようやく手紙を読み終わりました。そしてその手紙を丁寧に折りたたんで、お守りのように大切に胸のポケットにしまうと、やわらおにぎりをぱくついたのです。」お母さんやお父さんはこんな手紙をわが子に書いていた。「楽しい修学旅行はどうですか。 母さんの心尽くしの弁当いかがですか。 お前ももう修学旅行に行く年になったのかと感慨無量です。 小学校最後の思い出をたくさんつくってきてください。 怪我をしないでね。」「母上のつくった弁当の味は弁当の味はどうかな。 小学校最後の旅行だ。思いっきり楽しんでこい。 ただし、みんなに迷惑かけるなよ。」こうした「いのちといのちの出会い」を教育の原点とする東井先生の教えを受け継いだ藤本文俊先生も修学旅行を引率するとき、手作りの弁当に父母の手紙を添えるようお願いした。ある日、藤本先生のもとに教え子から一通の手紙がきた。「先生にやっと手紙を書くことができました。11月29日、父が倒れ、2度と会えなくなってしまいました。先生が次の日に来てくださってとてもうれしかったのに、お礼の電話も手紙も書けませんでした。あれからの私は自分が嫌になるくらい、心を閉ざしていました。父が死んでしまったことが信じられず、帰ってきてくれるような気がしていました。毎日毎日ないてばかりでした。・・・・きょう、先生に手紙を差し上げたのは、お礼が言いたいことがあったからです。実は私の宝物に、父からもらった手紙があります。父が私にくれた最初で最後の、唯一の手紙です。中学校3年の修学旅行のとき、先生が父兄に頼まれましたよね。あのとき、父と母の両方の手紙が入っていて、すごく照れくさかったことを覚えています。でも大切に取っておきました。いまとなっては、父と私の唯一のつながりのような気がして宝物にしています。手紙の最後に「一人で勝手に行動するな」とか、「他人に迷惑かけちゃいけない」と書いてありますが、いまは父らしいなあと思います。その言葉を忘れず心がけていこうと思います。先生にすごく感謝しています。」「子どもたちはみんなー大人だってそうですがーこんなふうに、しみじみと自分の心に触れてくれる者を求めています。 いのちといのちとの出会い、ここから教育は始まるし、わたしたちの幸せもここから始まるのです。」東井義男先生の言葉です。(「指導者の条件」神渡良平より)
2024.03.31
2005年12月02日◎「僕の学生時代にあったいい話を投稿させて下さい。飲食店のバイトを初めて半年程たった頃の話ですが、いつも何テーブルか担当させてもらってサービスしているのですが、その日は家族4名の(父、母、女の子2)テーブル担当になりました。いつもどおりに接客していると、お父さんが料理にクレームを付けてきたんです。僕は最初に食べにくい料理であることを伝えたのですが、「店長を呼べ!」などと大声で言われ、初めての経験で自分自身かなりおちこみました(T_T)店の裏で店長にも注意され、落ち込みながらも接客を続けていると先ほどの家族が帰るところでした。僕はもう早く帰ってくれと心で思っていました・・・その家族がいったん外に出た後、上のお姉ちゃん(小学校3~4年生)が僕たちの店のコースターを持って走って帰ってきて、僕に「はい」ってにっこり笑って渡したんです。僕は「なんだ?」と思いながらコースターの裏を見ると裏に「お父さんが怒ってごめんなさい、ご飯おいしかったです」と書いてあったんです。それを見て僕はこんな小さい子にもわかるほどのサービスをしていたんだという思いと、暖かい気持ちにトイレに行って泣いてしまいました。」◎「私は花屋さんで働いているのですが、ある日、4歳くらいの女の子とお母さんがお店にきたんです。お話上手な子で、保育園で遊んだこととか友達のお話などを楽しそうに私にお話してくれました。帰るときに、私はカーネーションのお花をオマケにその子にあげました。女の子はすごい喜んで帰っていったんです。そしてその数日後☆笑顔で「お姉ちゃん、はい!」と女の子が元気良くお店に入ってきたんです。なにかな?と思ったら、手にはたくさんのタンポポ☆私があげたお花のお返しに保育園に咲いていたタンポポの花をつんできてくれたのです(^-^)おまけとしてあげただけなのに・・・。私は女の子の笑顔とやさしい気持ちがすごく嬉しくて幸せに気持ちがいっぱいになりました。子供ってやっぱり、すごいですね☆無条件で幸せな気持ちにしてくれます。たくさんのきれいな黄色いたんぽぽをありがとう☆
2024.03.31
黒住宗忠は、安永9年(1780)11月26日、冬至の日に岡山県岡山市の上中野村に生れた。父は、今村宮の神主で宗繁(むねしげ)、母は つた という。宗忠は三男であった。宗忠は幼い頃から親孝行だったと伝えられる。ごく幼い頃から、父母の言いつけをよく守る子であった。7歳くらいの時、雨上がりに戸外へ遊びに出ようとした時、父は下駄をはいていくと言い、後から来合わせた母は、それを知らずに、下駄では危ないから草履で遊ぶようにと言った。宗忠は、両親の言いつけを守ろうとして迷った宗忠は、咄嗟に片足に下駄、片足に草履をはいて出て行った。しかし、とうとう転んで泣いてしまったという。ある時、よその年寄り達が宗忠の両親が近頃めっきり年老いたようだと話し合っているのを小耳にはさんで、産土(うぶすな)の今村宮に日参して両親の長寿を熱心に祈ったという。少年の日、習字の塾に通うにも、両親を心配させないよう帰りの時間に気を配った。25歳の時、次兄がなくなり、黒住家の嗣子となった。宗忠は いく と結婚し、28歳の時長女こま(後「とら」と改名)をもうけた。 文化9年8月宗忠の父母はそろって、「痢疾(りしつ)」で床に伏して、わずか七日の間に相次いでなくなった。父は72歳、母は69歳であった。 宗忠は人一倍親孝行だっただけに、その悲しみは深く、文化10年から病の床について、翌年文化11年には容態は更に悪くなり、医者から見離されるほどの重態となった。病名はロウガイでいまでいう肺炎であろうか。 文化11年の1月19日、3年越しの病に医者も匙を投げ、親しい友人が心配の余り占いした結果も悪く、宗忠は死を覚悟して死を待った。 その時である。「自分は父母の死を悲しんで陰気になったために大病になったのだから、心さえ陽気になれば病気は治るはずだ。せめて残る息のある間だけでも、そのように心を養うのが親孝行ではないか。 」と気づいた。 そのことに気づき、天恩の有難さに心を向けると不思議なように、その時を境にして病気が軽くなった。 3月19日、床に伏していた宗忠はお日様を拝みたいと思った。妻は衰弱した夫を気遣って止めたが、宗忠の意志は固く、入浴して身を清めて縁側からお日様を拝んだ。その時から長患いが全快したのであった。 その年、文化11年11月11日、冬至の朝、いつものように日拝して一心不乱に祈っていると、太陽の陽気が体全身に満ち渡った。身に迫ってくる一団の温かい玉のようなものをしっかりと胸の中に納めて、まるごとのみこんだ。するとなんともたとえようがないほど、爽やかなよい気持となった。宗忠はこの時、天地生々の霊気を自得したのであった。(「黒住宗忠」原敬吾著)
2024.03.31
2005年12月23日◎玉城洋子さん*はブラジル料理店を営んでいて、アパートの保証人になってくれた洋子さんの元に、多くの日系人が家賃を預けにくるという。何十人もの家賃を洋子さんが振り込む。ところがある日系人の男性が「ママに家賃を預けたのに、払ってくれなかった」とふれ回った事件があった。「ママがそんなことするわけがないじゃないか!」と仲間の日系人にたしなめられ、結局その男性の記憶違いであることが判明した。「虚しくなるようなこともありました。 でもね、そんなふうに落ち込んだときに限って、潮田中学校の沼田先生がふらっと店に来るんです。彼は言うんです。『玉城さん、僕も壁にぶちあたる時がある。 支援は相手も自分も高まることが一番大事なんですよね。 教えてあげる、助けてあげるという気持ちは捨てないといけないですよね』って。」*横浜市鶴見区潮田地区にあるブラジル料理の店「ぶーがる」を切り盛りする玉城さんは長年、周辺に住む日系南米人の良き相談相手になってきた。援助は多方面にわたる。夫と同じ沖縄出身の日系ブラジル人らと「ぶーがるエイサー隊」を結成。文化の継承と日本人との交流をはかる活動にも力を注ぐ。 鶴見区は、戦前から多くの朝鮮半島や沖縄の出身者が定住している地域だが、一九八〇年代以降、ブラジルやボリビア、アルゼンチン、ペルーから日本に働きに来た日系人が多数住むようになった。 「南米の人たちは初めのころ、Tシャツにサンダルばきといった格好で日本に来たんです。冬は着るものもない。古着を買い集め、町会に呼びかけて皆さんに配りました。『ママさんにもらった』と言われると、心が通じたようでした」と玉城さんは話す。 玉城さんは、1986年にそれまでの惣菜店をブラジル料理店にしようとポルトガル語を特訓。ブラジルで料理の勉強もした。 日系の人たちは、日本滞在の期間が長くなるにつれ、家族を呼び寄せる人が増えた。地元の潮田中学校に国際教室が設置されたものの、子どもたちは言葉の壁もあって学校では孤立しがち。家にこもりきりの子もいた。 そんな中で1993年、住民と国際教室担当の教師が連携して、「外国人児童生徒保護者交流会」を結成。玉城さんは住民側のまとめ役になった。 「親は昼も夜も仕事でいない。子どもは電気もガスも使い放題、火事になった時もある。入学の手続きが済むと登校しない。ブラジルのゲームをしたり、ビデオを見たり。こんな悩みを毎日のように話し合っていました」 「交流会」では、子どもたちが集まれるようにとサッカー大会やシュラスコ(ブラジルの肉料理)大会を開催。他の団体と一緒に、外国籍の子も日本の子も参加するキャンプを実施するなど、活動を広げてきた。 玉城さんは「一時はシンナーを吸う子が多かった。交流会で連絡網を作るなどして、子どもの生活も学校を中心に回るようになった。地域も南米の人たちを受け入れ、以前はだめだった町会事務所も今は使える。外国の人ではなく地域の人と見られるようになってきました」と喜ぶ。 これまでを振り返って玉城さんはこう話す。「ともに生きていこう、と人生観を変えられた。外国の人は周りにいっぱいいる。その中に入っていく努力が大切。国際交流のかけ声だけは大きいが、早くしないと本当の交流で日本人は遅れてしまう。それも、地域単位や町会単位で進めていかなければ」◎裕子さんの知り合いの日系人に中学生の少年がいた。少年はグレていて、中学校でもたびたび問題行動を起した。その少年が自動販売機でタバコを買って吸っているのを、潮田中学校の先生が見つけた。教師は、少年の知り合いでポルトガル語のわかる裕子さんを学校に呼んだ。教師は、少年の胸にこぶしを押し当てて言った。「お前、なんで人の気持ち、思いが分らないんだ。みんな心配しているのに、何でわからないんだ。」教師はポロポロと涙を流しながら、こぶしを少年の胸に何度も何度も押し付けた。少年は無表情だった。学校からの帰り道、裕子さんと少年と二人きりになったとき、少年はポツリポツリと繋げるように言った。「おれ、 何か、 気持ちがおかしい。 うまく言えないけど、 胸がもぞもぞする。 変な気持ちだ。」と胸のところに手をあてた。この日を境に、少年が非行をやめたと裕子さんは人づてに聞いた。
2024.03.31
貢献心理学によると、「貢献感」とは、「自分は他者に貢献している」と思える感覚であるこの感覚を得ることができれば、相手の承認などは必要なく、自分自身で物事を判断することができアドラー心理学においては、人生で幸せを得るためには、他者貢献が必要であるとされている心理的安全性を説く100年前のアドラーの教え アドラー心理学で一番大事な考え方とは何かアドラー心理学の本質には、「人間とは何か?」という問いがあります。人間は、個体で考えると弱い生き物です。弱いからこそ群れをつくり、協力し合い、道具を扱うようになったことから生き延びたという人類の種の歴史があります。ゾウやトラ、クマより弱い人間が万物の霊長になれたのは、集団をつくり、協力し合ってきたからなのです。そうやって生き延びた人間だからこそ、集団・社会・共同体というものの存在は重要です。集団・社会・共同体なくして人間はない。それがアドラー心理学の基本にあるのです。アドラー心理学で一番大事にしている考え方に「共同体感覚」というものがあります。アドラー心理学では「共同体感覚」という感覚を最重要コンセプトの1つに掲げています。「まず、これを学ばなければいけない」とも言っているくらいです。ここで言う「共同体」とは、人間の集団のことです。ですから、小さいのであれば家庭や職場がそれにあたります。大きいものですと、地域社会、国家なども共同体です。共同体感覚とは、共同体にいる仲間の人間に関心をもち、仲間を信じ、仲間の幸せや成長に役立とうとする信頼感や共感、貢献感をいいます。さらには、所属している共同体に対して「居場所がある」「ここにいれば安心できる」と感じる所属感や感情を指します。共同体感覚とは、こういった共同体に対する所属感・共感・信頼感・貢献感を総称した感覚・感情のことです。アドラー心理学では、この共同体感覚を多くもつ人を、「社会のために自分は何ができるか」「チームの仲間のために自分はどうすべきか」を考え、行動できる人だと考えます。カウンセリングや教育における目標ともみなされ、健全な精神のバロメーターだともいわれています。アドラー心理学はよく「貢献の心理学」といわれますが、それはこの「共同体感覚」を重要視している姿勢からきているのです。人間は、個体としては「弱い」「不完全」な生き物です。「弱い」「不完全」という意識、それが刺激となって思考や精神を発達させることで生き延びてきたのが人類です。人間は、鳥のように翼がないから飛行機をつくり、魚のように泳げないから船をつくってきました。そのため「弱い」「不完全」を補うために、常に、「目標」に向かって努力する行動習性が人間にはあると考えます。「目標とする姿」と「現状」にギャップがあるからこそ、その目標に近づこうと努力するのです。人は誰でも進化の可能性をもっている。目標に向かって努力する。アドラーは、そう考えたのです。人間のどんな行動・感情にも目的・目標がある。こう考えるのがアドラー心理学なのです。社会の中に居場所がある、この組織にいれば安心だと思える、そういう感覚も大事にしているのです。そういう感覚があるからこそ、人は自分らしさを生かしてのびのびと貢献できるのだといっています。こうした点から、「心理的安全性」と「共同体感覚」には近しいものがあると感じます。共同体のため、つまり家族のため、チームのため、組織や会社のため、社会のため、「自分は何ができるか」という貢献の視点をとても重要としたのです。アドラーが「貢献の心理学」と言われるのは、まさにここにあるのです。💛M様印刷所社長に秦野市で組合長が本を小中学校、教育長、商工会議所会頭などに持参してくださったところ大変喜ばれたと伝えたところ、とても喜ばれました。印刷所在庫の20冊をM様に送るよう指示しました。一つお願いですが、印刷所のK社長に秦野名産(ダックワース?など)を送っていただけますでしょうか。秦野市の皆さんの反応も一筆付け加えると印刷所の皆さん喜ばれると思います。今回1月半発行が遅れたのは校正の最後の段階で、イラスト2枚と写真3枚をカラーで付け加え、しかもページ数を変更しないためにあちこち圧縮するのに手間取って印刷所には多大の迷惑をおかけしました。イラストと写真、それにもとの図表もカラーで入ったことで「映え」がよくなり、明るくなりました。もう一つ、小田原市内の図書館、小中学校へ本を寄付したいという話を進めていただければ有難いです。お口添えしてもらえればと考えています。
2024.03.31
報徳日めくりカレンダー19日 欲にしたがいて家業にはげみ欲を制して義務を思うべきなり二宮翁夜話【3】尊徳先生はおっしゃった。人道はたとえば、水車のようなものだ。その形、半分は水流にしたがい、半分は水流に逆って回っている。まるごとに水中に入れば回ることができず流れてしまうであろう。また水を離れれば回る事はない。仏教の僧侶のように、世を離れ、欲を捨てたののは、たとえば水車が水を離れたようなものだ。また凡俗の者が教義も聞かず、義務もしらないで、私欲一偏に執着するのは、水車をまるごと水中に沈めたようなものだ。ともに社会の用をなさない。だから人道は中庸を尊ぶ。水車の中庸は、よろしいほどに水中に入って、半分は水にしたがい、半分は流水に逆昇って、運転が滞らないところにある。人の道もそのようで、天理にしたがって種を蒔き、天理に逆って、草を取り、欲にしたがって家業を励み、欲を制して義務を思うべきである。「報徳記を読む会」読了記念に8月2日(日)に「今市見学会」を実施した。 今市の報徳二宮神社の宝物館をいまいち一円会のお2人の先生に案内いただいた。宝物館の2階に鈴木藤三郎氏が、寄贈した報徳全書2,500冊が蔵されている。鈴木藤三郎が二宮尊親の了解を得て、二宮家に伝わる日記・書簡・仕法書等を20人の書生を雇い、3年の歳月をかけて、筆写させたものという。 そしてそれを納める防火蔵まで寄贈した。その話に深く感銘を受けてこの鈴木藤三郎氏を顕彰したいと思った。そこで、藤三郎氏の子息五郎氏が著した「黎明日本の一開拓者」を中心に「斯民(しみん)」に掲載された鈴木藤三郎氏本人の講演録などの関係資料をまとめたのが「報徳社徒 鈴木藤三郎という人」である。60部印刷し、「今市見学会」でお世話になった3先生ほかご縁のあった方々に送付した。また、現在鈴木藤三郎氏の故郷森町にも送付した。 鈴木藤三郎が報徳に出会ったのは、22歳のときであった。生家に年賀の挨拶に行った時、「天命十か条」(天命十訓)を見つけて、兄に「二宮(にぐう) とは何か?」と聞くと「にぐう ではない。にのみや だ。」という会話をしたとある。この近辺を年表でみると次のようになる。1846 弘化3年 この年、安居院庄七、遠州に入り、長上郡下石田村に報徳を伝える。1852 嘉永5年 2月 安居院庄七、森町村に来村、新村里助家に滞在中発病。 閏2月 森町報徳社結成。1853 嘉永6年 9月14日 新村里助、中村常蔵ら遠州報徳連中代表7人、安居院庄七とともに日光桜秀坊にて二宮尊徳と面会する。1867 慶応3年 この年 小田原報徳社員福山滝助、森町村に来村、新村里助家に逗留。 5月 森町報徳社再興1871 明治4年 この年 遠譲社設立。新村里助「重世話人」となる。1875 明治8年 1月 鈴木藤三郎、生家で「天命十箇条」を読み感銘を受ける。鈴木藤三郎、生家で「天命十箇条」を読む8年ほど前に、福山滝助が森町の新村里助の家に逗留し、森町報徳社を再興している。福山滝助は、参会のとき、冒頭で二宮尊徳が御殿場の藤曲村を復興する際、与えた仕法書に記された「天命10箇条」もしくは宮原家にあてた書簡を法書として読むのが常であった。1871 明治4年には遠譲社設立され、新村里助は「重世話人」となる。つまり、遠譲社として一番精力的に報徳思想を普及していた。おそらくは鈴木藤三郎の兄かなにかがそうした参会の場で「天命十箇条」をもらい、家にもって帰り置いたのを藤三郎がみつけたということになるのであろうか。「福山先生一代記」 20 先生各社巡回の事 ここに掲ぐるは明治14,5年頃の有様である。先生は各社を巡回して日より日に及ぶ朝は先ず夙(つと)に起きて神前に向かい、その日参会の定日に当れる各社の人名簿を朗読し、その平安を祈りたまう。(この故に各社員の姓名は先生大抵暗記したまいき。)かくて甲社より乙社に至りたまうその服装は脚絆をつけワラジをはき菅笠をかぶりヤタテを腰にし、大なる「風呂敷」に種々の書類を入れ、幾個かの「竹こり」を包めるを背負い、杖を携えたまう。その様、越中富山の薬売りに似たり。されば始めて先生にまみゆるものは皆その風采の質素なるに驚かざるはなかりき。(ある人かつて先生の迎えに出て道に先生と逢うて心付かずして行き過ぐ。既にして人の注意を受け、始めて先生なるを知る。かくのごとき事往々ありき)先生道を行くに路傍に農業を為すものあれば必ずご苦労と云いて挨拶し、路上に木石あれば必ず杖を以て傍らによせて過ぎたまう。かくて参会の家に至りたまうに、社員いまだ集まらざれば携え来たりし「竹こり」より筆硯を出し各社の帳簿の雛形又は加入金元恕金の相撲番付を作りたまう。(先生はこの相撲番付を以て社員奨励の具となしたまいけり。)社員すでに集まれば、先生正面に坐して机に向かい、まず法書を朗読し終わりて講話をなす。法書は多く藤曲、宮原の二書(共に二宮先生の御趣法書なり。)を用ゆ。講終わりて後は社員と雑話をなし、間々声をあげて笑いたまう。社員もし問うものあれば、諄々として説き、問うものあらざれば語りたまわず。社員もし余談に移り喃喃(口数多くしゃべり続ける)としてかまびしければ知らざるもののごとく座にありて眠りたまう。往々熟睡したまう事あり。されど別席につきて横臥したまうがごとき事はあらざりき。先生人に接するに貧富によりて待遇を異にしたまう事なく、その宿するに貧富を選みたまう事なし。会散じて後留まりて教えを乞うものあれば、これと語りたまう。この時留まるものの多くは社長副社長又はこの道に熱心なるものにしてその問いまいらする事は仕法の組立帳面の認め方又は家政の取直し子弟厄介の処分等なりとす。先生皆辞せずして教えたまう。中にも帳面の認め方は先生のもっとも重んじたまう所なりき。(ある社の社長先生に帳面の認め方を問う。先生外々の参会は余人にても事足るべし。帳面の相談とあれば、我ら自ら行かざるべからずとて、即日連れ立ちて行きたまいき。)先生社員の家にあり食を進むれば直ちに食し、浴を進むれば直ちに浴しゆとめて煩いをかけざるようにしたまう。また飲食ともに極めて粗食なるを甘んじたまい、菜は一菜の外食せず、酒はわざとばかり召していかにすすむとも過したまわず。煙草は好みて喫したまう。先生身の丈高く骨格たくましくおわせしが、この頃は背少しくかがみ歯みな脱して総入れ歯をなしたまいき。 21 本社春秋2期大会の事 遠譲本社春秋2期の参会は先生の最も心を用いたまいし所なれば少しくその事を述ぶべし。本社秋期の参会は貸付の会なり。すなわちその年新たに創立したる社に善種金を貸与え、また旧来の社にて返金を終わりたるには順次貸付を行うなり。報徳の仕法は貸付をなし、その返済を終わる頃にはまた貸付をなし、かくして間断なからしむるにあり。されば絶えず注意してあらかじめ数年後の案を立つる事を要す。本社社長副社長ありといえども皆指揮を先生に待つものなれば、大会前数日間は先生いと忙し。されど先生すべてこれをなしたまいき。本社春期の参会は帳面納めの会なり。すなわち各社前年度において行われたる成績を本社に報告するものなり。各社の帳簿は先生又は隣社の先輩の指揮を受けて製するものなれども、往々誤謬なきこと能わず。先生本社の社長副社長を指揮して帳簿を検せしめ、もし当日し能わざるものあれば他日を期して訂正せしむ。されば参会後数日間は先生また繁忙なりき。この時本社もまた1年の成績を明らかにするため、帳簿を製する事、各社と同じ。ただその帳簿は3部を作り、1部を本社に備え、1部は小田原社に、1部は中村なる二代先生のもとに納む。 22 先生春秋2期帰省の事 先生この2期の会を終わりたまう時は小田原に帰省したまう事年々一定したる例にてありき。かくてまた4,5年ごとに1回小田原社と遠譲社との帳面を携えて岩城国中村なる二代先生及び三代先生のもとに至り、富田高慶その他二宮先生に親炙したる人々に逢うて、この道の物語をなしたまうをもってこの上なき楽しみとなしたまいたりき。(二代先生は明治4年(1871)12月1日率し給う。) 23 先生病を得て帰国し給う事 明治19年(1886)6月先生、遠江引佐郡祝田村星野孫蔵方にてはからず病を得たまいける。時に年70にておはしき。これより先、先生時々脱腸といえるものを患いけれども、いつも久しからずして癒えたまいけるが、このたびその病発して容易に癒えたまわず。歩行したまう事いと困難におはせしかば、これより各社を巡回する事をやめたまい、ここに3日かしこに5日滞在して病を養いたまいしが、秋に至りても癒えたまわず、よって帰省を見合わせたまい、かくてその翌年明治20年(1887)には1年全く遠江にありて病を養いたまいければ、帰思しきりに催したまいければ、明治21年(1888)6月小田原に帰りたまい熱海箱根の間に遊び、温泉に浴し給いければ効験著しくて幾ばくもなく平癒したまいける。かくて先生小田原にある事ほとんど1年に及びけるが、身は小田原にありても心は常に遠三の間にあり、つらつら思い給うに遠三の仕法今のままにては将来の維持極めて難し。中にも遠江は社数多くして地域広ければ到底一本社のよく総覧し得るべきにあらず。よろしく適当の法を設くべし。今幸いに病少しく間あれば、速やかにかの地に至り最終の処理をなすべきなりと、ここにおいて明治22年(1889)5月再び遠江に赴きたまいける。(先生病後各社の巡回をやめ給いしかば、小田原社員小林菊太郎氏大いにこれを嘆かれ、遠路来たりて遠三のために久しく各社の巡回を勤めたる事ありしが実に感謝すべき事なりける。)
2024.03.31
報徳「二宮翁夜話」日めくりカレンダー 一覧1日 安んじて、のちによく慮って事をなすならば、過ちがないであろう2日 私心の草を取り、工夫を用い、仁義礼智の徳性を養って育てるがよい。これが身を修め、家を斉(ととの)える勤めである3日 国家を利益し、世を救うほかに道はなく、世の中に益ある事を勤めるほかに道はない4日 倹約も先んじなければ、用をなさない。後れる時は無益である5日 国家の盛衰や存亡は、各々が利を争うことの甚しいことから起こる。 私の教えは世のような悪弊を除いて安楽の地を得させることを勤めとする6日 真の利益というものは、もっとも利の少ないところにある7日 世間で智者と呼ばれる者のするところを見ると、農工商を勤めないで、ただ小智・浅知恵をふるって、財宝を得ようと欲する者が多い。誤っている、迷っている8日 堅い身代といわれるところに、味いがあり、利益がある9日 世の中は金銭が少いことが面白い10日 世界の百草は、種になれば生ずるきざしがある、生ずれば育つきざしがある、育てば花が咲くきざしがある、花が咲けば実を結ぶきざしがある、実を結べば落るきざしがある、落ればまた生ずるきざしがある、これを不止不転・循環の理という11日 『坐禅する祖師の姿は加茂川にころび流るゝ瓜か茄子か』世の変遷に遭遇しても、仏者が障りなく滞りなくいくのを誉めて、世間の人が、世の移り変わりのために浮瀬に沈んでしまうのをいやしめて、かつこの世だけではなく、来世の事をも含ませたのであろう12日 「平素から心掛けて米や金をたくわえて、非常の災害があるときに、これを施与するほか道はない。」13日 風がなくとも倒れるところを、風を待って倒れたり、破れたりしたのである。天下の事は皆同じである14日 この世界に咲く花は必ず散る。散るといっても、また春が来れば必ず花が咲く。これを仏教では不止不転の理といい、儒教では循環の理という。万物は皆この道理にはずれる事はあるまい15日 善悪は、人道で立てたものである。すべて人のために便利であるのを善とし、不便であるのを悪と立てたものであるから、天道とは別のものである。しかし、天道に違うのではない、天道に順いながら違うところがある道理を知らせただけである16日 天道と人道と異なる道理を悟るがよい。この理を明らかにしなければ、私の報徳の道は了解することが難かしく、実行することも難しい17日 『咲けば散り散ればまた咲き年ごとに ながめ尽せぬ花の色々』『増減は器傾く水と見よ こちらに増せばあちら減るなり』『腹くちく 喰うて つきひく女子等は 仏にまさる悟りなりけり』『我というその大元を尋ねれば食うと着るとの二つなりけり』18日 『もろともに 無事をぞ祈る年毎に 種かす里の 賤女(しづめ)賤の男(を)』19日 欲にしたがいて家業にはげみ 欲を制して義務を思うべきなり20日 世の中は嘘でも、さしつかえがないようだが、これはその相手も、また嘘だからだ。嘘が実に対することができない21日 世界は礼法こそ尊い22日 『秋来れば山田の稲を猪(しし)と猿、人と夜昼争いにけり』23日 人の死後に生前の果報はなくてなならぬ道理である24日 神といい、儒といい、仏というのも、本来は一つである25日 私は幼い頃より食は飢えをしのぎ、衣は寒をしのげば足りるとしてきた。ただこの覚悟一つで今日に及んだ。私の道を修行し、実行しようと思う者は、まずよくこの理を悟るべきである26日 地上の万物は一つとして、天つ日のみ影にもれた物はない27日 貧者は昨日のために今日勤め、昨年のために今年勤める。だから終身苦しんで、功がないのだ。富者は明日のために今日勤め、来年のために今年勤める。安楽自在であって、行う事で成就しないことがない28日 私の教えは、徳をもって徳に報いるの道である。天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、そのこうむるところ人々皆広大である。これに報いるに自分の徳行をもってすることをいう29日 天下の政事も神・儒・仏の教えも、その実、衣食住の三つの事のみである。私の方法は、天禄がない者に天禄を授け、天禄の破れようとするのを補い、天禄の衰えた者を盛んにし、かつ天禄を分外に増殖して、天禄を永遠に維持するところの教えであるから、尊い事は論をまたない30日 分限を忘れて、驕奢に馴れて、天をも恐れず人をもはばからない過ちである。自分の贅沢が、誠に分に過ぎていると気付いたならば、はばからなくてならない31日 不動仏の、猛火が背を焼いても、動かないようであれば、成功は袋の中の物を探るよりもやさしい
2024.03.31
報徳「夜話」 日めくり 31日 「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する) 【131】 高野丹吾帰国せんとす、翁曰く、伊勢の国鳥羽の湊(みなと)より、相模国浦賀の湊までの間に、大風雨の時、船の掛(かか)るべき湊は、只伊豆国の下田湊のみ、故に燈明台あり、大風雨の時は、この燈台の明りを目的(めあて)として、往来の船は下田湊に入るなり、此の脇に妻良子浦(めらこうら)と云ふ処あり、岸巌(がんがん)高く大岩多く、船路なき処なり、此の辺(へん)に悪民有つて風雨の夜、此の処の岸上(がんじやう)に焚きて、下田の燈台と、見違ふ様にしければ、難風を凌(シノ)がんと、燈台(トウダイ)を見当に走(ハシ)り来る船、燈台の火と見紛(みまが)ひ入り来る勢ひに、大岩に当り破船すること数度なり、この破船の積荷物品を奪ひ、取り隠し置て分配せし事、度々有りし由、終には発覚し皆刑せられたりと聞けり、己が聊かの欲心の為に、船を破り人命を損じ、物品を流失せしむ、悪き仕業ならずや、我が仕法にも又是に似たる事あり、烏山の燈台は菅谷氏なり、細川家の燈台は中村氏なるに、二氏の精神半途に変じ、前の居処と違へるが為に、二藩の仕法目的(もくてき)を失ひ今困難に陥れり、仮初(かりそめ)にも、人の師表たらん者、恐れざるべけんや、慎まざるべけんや、貴藩の如きは、草野氏池田氏の如き、大燈明上にあれば、安心なりといへども、卿も又成田坪田二村の為には大燈明なり、万一心を動かし、居処を移すが如き事あらば、二村の仕法の破れん事、船の岩に当れるが如し、されば二村の盛衰・安危、卿が一身にあり、能々感銘せらるべし、二村の為卿が為、此の上もなき大事なり、卿能く此の決心を定め、不動仏の、猛火背を焼くといへども、動かざる如くならば、二村の成業に於ては嚢中(のうちゆう)の物を探(さぐ)るよりも安し、卿(きみ)が心さへ動かざれば、村民は卿を目的となし、船頭の船路を見て、おも柁(かぢ)取柁と呼ぶが如く、驕奢に流れぬ様(やう)おも柁と呼んで直し、遊惰に流れぬ様取り柁と呼んで漕ぐのみ、然る時は興国・安民の宝船、卿が所有の成田丸坪田丸は、成就の岸に、安着せん事疑ひなし、此の時君公の御悦びは如何計(いかばか)りぞや、草野池田の二氏の満足も如何計ならんや、勤めよや勤めよや。 【131】高野丹吾氏が帰国(相馬藩)しようとしていた。尊徳先生はおっしゃった。「伊勢の国の鳥羽の港から、相模国の浦賀の湊までの間に、大風雨の時、船がとまるべき港は、たった伊豆国の下田港だけである。だから灯台がある。大風雨の時は、この燈台の明りをめあてに、往来の船は下田港に入るのだ。この脇に妻良子浦(めらこうら)というところがある。岸壁が高く大岩が多く、船路がないところである。この辺に悪民がいて風雨の夜に、この処の岸の上に火をたいて、下田の灯台と、見違うようにするものだから、難風をさけようと、燈台をめあてに走り来る船は、灯台の火と見まちがって入り来る勢いに、大岩に当って破船することが多かった。この破船の積荷物品を奪い取って隠しておいて分配した事が、たびたびあった。ついには発覚して、皆処刑されたと聞く。自分のわずかの欲心のために、船を壊し人命を損ない、物品を流失させた。憎むべき仕業ではないか。 私の仕法にもまたこれに似た事があった。烏山の灯台は菅谷氏であった。細川家の灯台は中村氏であった。しかし、二氏の精神は中途で変わり、前にいたところと違ったために、二藩の仕法は目標を失い、今困難に陥っている。かりそめにも、人の師表となろうとする者は、恐れなければならない。慎まなければならない。貴藩には、草野氏・池田氏のような、大灯明が上にあるから、安心であるといえる。あなたもまた成田・坪田二村のためには大灯明である。万一心を動かして、いどころを移すような事があれば、二村の仕法の破れる事は、船が岩に当たったようなものだ。そうであれば二村の盛衰・安危は、あなたの一身にかかっている。よくよく心に銘じなければならない。二村のため、あなたのため、この上もない大事である。あなたはよくこの決心を定めて、不動仏の、猛火が背を焼いても、動かないようであれば、二村の成功は、袋の中の物を探るよりもやさしい。あなたが心を動かなければ、村民はあなたを目標として、船頭が船路を見て、おもかじ・とりかじと呼ぶように、贅沢に流れないようオモカジと呼んで直し、遊惰に流れないようトリカジと呼んで漕ぐだけである。その時は興国・安民の宝船ではないか、あなたが所有する成田丸・坪田丸は、成就の岸に、安全に到着することは疑いない。この時、君公のお悦びはいかばかりであろうか。草野・池田の二氏の満足もどれほどであろうか。勤められよ勤められよ。」 ■報徳秘稿【112】伊豆の国にメラコフラ(妻良・子浦)という所あり。この所湊にて船路の目印として、夜々山にて篝(かがり)を焚く也。昔、悪き者ありて、この篝火を所をかえて焚ければ、米積し船は心も付かず、その火を目当に帆を上げて勢を猛く走り来れば、常の船路にあらぬ故、忽ち岩磯に当りて船破れ、又その漂流せし米を取りて己らが得とせし事あり。後には皆あらわれ科(とが)に逢ぬ。此の仕法もその如く、小田原にては、鵜沢氏、細川にては中村氏など、一同の目当となる者、居処をかえ、或は身勝手を欲し、或は独楽を欲し、前の居所と違う時は、領中の仕法は船の岩に当るが如く、忽ちに破るべし。故に人の師表たらん者の、豈慮ざるべけんや。村は名主、家は主人の居所大切也。又、一村にても一家にても、十ヶ年平均を定則となし、目当となし、船頭の地人を見てヲモカジトリカジを呼ぶが如く、定則を目当として驕奢に流れぬ様、オモカジトリカジを呼ぶならば、仕法の行われぬ事あるべからず。(訳)報徳秘稿【112】伊豆の国にメラコフラ(妻良子浦)という所がある。この所は港で船路の目印として、毎夜、山で篝火(かがび)をたく。昔、悪い者があって、この篝火を所をかえてたいたならば、米を積んだ船は気が付かないで、その火を目当に帆を上げて勢い猛く走って来ると、常の船路でないために、たちまち磯の岩に当って船は壊れ、またその漂流してきた米を取って自分たちの得物とした事があった。後で全てあらわになって刑罰に処された。 この仕法もそれと同じで、小田原では鵜沢氏、細川にては中村氏など、一同の目当となる者が、居どころをかえて、あるいは身勝手を欲し、あるいはは独り楽をしようとし、前の居どころと違う時は、領中の仕法は、船が岩に当るように、たちまち壊れるであろう。だから人の師や代表となる者は、どうして考慮しないわけにいこうか。村は名主、家は主人の居どころが大切である。また、一村でも一家でも、十年間の平均を定則とし、目当とし、船頭が大地の人を見ておもかじ、とりかじを呼ぶのと同様に、定則を目当として驕奢に流れないゆに、おもかじ、とりかじを呼ぶならば、仕法の行われない事はないであろう。
2024.03.31
ロシア人気歌手、スパイ指定か ウクライナ侵攻に「反対」公言ロシア最高検察庁は、日本語でカバーされた「百万本のバラ」などのヒット曲で知られる国民的歌手アーラ・プガチョワさん(74)をスパイを意味する「外国の代理人」に指定するよう法務省に要請した。ロシア通信が29日伝えた。プガチョワさんはウクライナ侵攻に反対の立場を公言している。 プガチョワさんは2022年9月、夫のテレビ司会者マクシム・ガルキンさん(47)が外国の代理人に指定されたことに抗議し、連帯のため自分も指定するよう訴えた。ガルキンさんは侵攻を批判し、政府系テレビの番組を降板した。
2024.03.30
あなたの睡眠の質は「1日の歩数」で決まる…最新研究で判明あなたの睡眠の質は「1日の歩数」で決まる…最新研究で判明「朝までぐっすり眠れる人」がやっている健康習慣3/30(土) 睡眠の質は「1日の歩数」で決まることをご存じでしょうか。 大分大学が平均73歳の男女860名の毎日の歩数と睡眠について分析したところ、次のことがわかりました(※1)。----------・1日の歩数と「睡眠時間」に関連はない・1日の歩数と「睡眠効率」は関連した---------- 睡眠効率とは、次の式で求められます。 「実際の睡眠時間」÷「寝床で横になっていた時間」×100 たとえば「0時にベッドに入った瞬間に寝て、7時にアラームが鳴るまで目が覚めなかった」という場合は「睡眠効率100%」。 一方、「22時に寝て6時に起きたけれど、正味5時間しか寝られなかった」という場合は「睡眠効率63%」になります。 年齢を重ねると、なかなか寝つけなかったり、夜中に何度も目が覚めたり、朝早く目が覚めたりするものですが、この調査によると残念ながら、1日の歩数が多ければ多いほど長く眠れるわけではないことがわかりました。 しかしその一方で、1日の歩数が多ければ多いほど質のいい睡眠が取れていた(睡眠効率がよかった)ことがわかりました。 1日の歩数が多い人は、夜中に目が覚める時間と回数が少ないこともわかっています。 そこで大分大学は「ウォーキングは高齢者の睡眠障害の予防にも有効」と結論づけをしています。シニアがよく眠れないのは、加齢とともにメラトニンの分泌量が減るためで、これはごく自然なことですが、たとえば日中、1時間も昼寝をすると、自律神経が夜の「リラックスモード」に切り替わり(副交感神経が優位になり)、どんな人でも夜、眠りにくくなってしまいます。 お昼寝は短ければ平均血圧を下げ、疲れも取れてリフレッシュできるのでおすすめですが、これは「脳の休憩」程度の、15分~30分以内にするようにして、できるだけ外を歩くのがおすすめです。 朝もしくは昼(太陽のあるうち)にウォーキングをすると、体の中に「幸せホルモン」と呼ばれるセロトニンがたっぷりと作られます。 このセロトニンは15時間後「睡眠ホルモンメラトニン」に加工されます。そうすると人はよく眠れます。 ですからよく眠れないという人は、朝もしくは昼、太陽のあるうちにウォーキングをすれば、幸せホルモンセロトニンが増えるとともにぐっすり眠れるというダブルの効果が期待できます。💛昨日、歩数計のアプリを携帯電話に取り込んで計測したところ、11000歩土曜日、早朝、朝食後、夕方3回歩いて21500歩花を楽しんだり、途中、図書室で本を読んだりして飽きることはない『文章修行』高峰秀子文章は果して修行すれば上手く書けるものだろうか?私はその人間の生き方と環境が書かせるものではないかと思うなぜなら物質 精神 共に裕福に生まれてきた人の文章には自ずと大らかなゆとりが感じられ 人の顔色を伺いながらシコシコケチケチと生きた人間の文書は常に貧しくみみっちい『美しい言葉とは』茨木のり子第一に その人なりの発見を持った言葉知り合いの女性がぽつんと言った「うちの亭主のいいところは まるで野心というものを持たないことだわ」第二に 正確な言葉は美しい20代の頃、田舎に出かけた時、その家の主人をたずねたのだが初老の奥様が出てこられて静かに言った「主人は今 ちんぽの裏っぽにできものが出来て伏せっとります」第三に ・・・
2024.03.30
「二宮尊徳の会」通信 第20号 2024.3.30・3月23日(土)、24日(日)事前に寄贈について「承諾します」と連絡のあった37大学図書館(静岡県内の大学図書館は除く)に郵送しました。岩手大学図書館、お茶の水女子大学附属図書館、鹿児島県立短期大学附属図書館、関西国際大学メディアライブラリー、九州大学中央図書館、京都工芸繊維大学附属図書館、京都大学教育学部図書室、国学院大学図書館、聖心女子大学図書館、大東文化大学書館、東京都立大学図書館、東北大学附属図書館、豊橋創造大学附属図書館、日本女子大学図書館、弘前大学附属図書館本館、福岡大学図書館、法政大学図書館、酪農学園大学附属図書館、会津大学 情報センター、宇都宮大学 附属図書館、鹿児島純心女子短期大学 図書館、金城学院大学 図書館、高崎経済大学 図書館、獨協大学図書館、弘前学院大学附属図書館、北海道教育大学附属図書館、立命館大学図書館、大分大学図書館、千葉大学附属図書館、奈良大学図書館、北海学園大学附属図書館、神戸大学附属図書館、大坂公立大学図書館、横浜国立大学中央図書館、慶應義塾大学図書館、中央大学図書館、関西大学図書館 ・また事前に承諾のあった28都道府県立図書館に本を寄贈し、その後、神奈川県内公共図書館、及び東京都内の小田急沿線の公共図書館に順次寄贈中です。北海道立図書館、岩手県立図書館、福島県立図書館、茨城県立図書館、栃木県立図書館、群馬県立図書館、埼玉県立熊谷図書館、東京都立図書館、千葉県立中央図書館、県立長野図書館、富山県立図書館、石川県立図書館、愛知県図書館、京都府立図書館、大阪府立中央図書館、奈良県立図書情報館、和歌山県立図書館、島根県立図書館、岡山県立図書館、広島県立図書館、山口県立山口図書館、香川県立図書館、愛媛県立図書館、高知図書館、大分県立図書館、熊本県立図書館、鹿児島県立図書館、沖縄県立図書館 (略)
2024.03.30
「メチオニン制限食」人は自分の遺伝子の指令によって体内でさまざまなたんぱく質を作りますが、たんぱく質の材料となるのは食事から摂取されたアミノ酸という栄養素です。体内でたんぱく質を作るアミノ酸は20種類ほど必要ですが、自分の体内で合成できるアミノ酸と合成できないアミノ酸があります。体内で合成できないアミノ酸を「必須アミノ酸」といい、食事などで体外から補給しなければなりません。メチオニンは必須アミノ酸の一つです。必須アミノ酸の中でも、メチオニンはさらに特別な存在です。というのも、体内でたんぱく質を作る際に最初に必要とされるのがメチオニンなのです。そのため、メチオニンが足りないとすべてのたんぱく質の合成がうまくいかず、細胞合成や成長に支障が出ます。特に体が育つ成長期にはメチオニンの必要量は大幅に増えますので、成長期にメチオニンの摂取量が足りないと十分に成長することができません。メチオニンは卵や乳製品(牛乳やチーズなど)、肉、魚などの動物性たんぱく質に特に豊富に含まれています。非常に重要なメチオニンですが、成長期を過ぎた段階では逆にその摂取量が健康に悪影響を及ぼすことが明らかになってきました。ここ20年ほどの間に次々に発見された新事実によると、メチオニンの摂取量を食事で制限することでガンの増殖抑制やインスリン抵抗性・糖尿病の改善、肥満抑制、新生血管促進による心血管疾患の改善、老化抑制、ウイルス感染抑制など、さまざまな効果があることが分かってきたのです。以前から、食事の摂取カロリーを30%程度制限すると、肥満や老化を抑制する効果があることは分かっていました。しかし、これを人に応用するのは非常に困難なため、カロリー制限以外の方法で同様の効果が出るものはないかと研究が続けられていました。そしてその後、カロリー制限なしでもメチオニンを制限することで肥満や老化に対して同様の抑制効果があることが判明したのです。米国ペンシルバニア州立大学のジョン・リッチー教授らの報告では、メチオニン制限食はカロリー制限を伴わずに人の細胞や酵母、動物(ショウジョウバエやげっ歯類など)の加齢を遅らせて寿命を延ばす効果があるといわれています。さらに、動物実験では、体重・脂肪の減少や酸化ストレスの低下、悪あく性せい腫しゅ瘍ようの減少、インスリン感受性の向上、効率的なカロリー燃焼など、さまざまな健康効果が報告されています。最新の分析では、動物が十分に成長した後でメチオニンの摂取制限をしても、多くの健康利益が得られることが明らかになっています。また、メチオニンを制限しても、成長期の成長抑制以外に特に深刻な副作用はないと報告されています。実は、人の細胞にはオートファジー機構による「メチオニンのサルベージ回路」というものが存在します。〝サルベージ〟とは〝救済〟という意味で、本来食事の摂取によって血液中から供給されるはずのメチオニンがメチオニン制限によって足りなくなっても、細胞中のサルベージ回路によって古いたんぱく質をリサイクルすることでメチオニンが再合成されるため、細胞の代謝や恒常性の維持には特に問題がないのです。ところが、ガン細胞は常に細胞増殖するため、サルベージ回路が使えない状態となっています。すると、血液中からメチオニンが供給されず、ガン細胞がアポトーシス(自殺)してしまうことが研究から分かってきたのです。同様に、ウイルスも増殖する際に外から供給されるメチオニンが絶対に必要なため、メチオニン制限によってメチオニン供給を阻害されると増殖できずに感染症を発症できないのです。メチオニン制限は新型コロナウイルス感染症に対しても有効だと考えられています。ガンやウイルスの増殖以外にも、いくつもの研究でメチオニンの多量摂取は肥満やメタボリック症候群、心血管系疾患などのリスクを高めることが示唆されており、メチオニン制限によってこれら疾患の予防を期待することができそうです。ただし、メチオニンは卵や乳製品、肉、魚などの多くの動物性食品に広く含まれているため、これらの食品を毎日の食事から排除することは厳格な菜食主義者(ヴィーガン)でもない限り簡単なことではありません。メチオニン制限によって誘導されるMsrAが個体寿命を延長させること、その効果が加齢によって減弱するため老齢個体ではメチオニン制限の寿命延長効果が消失するある成分を制限することが大事!「老化を防ぐ」ための食生活のポイント2つ
2024.03.30
報徳「夜話」 日めくり 30日30日 「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する) 【130】翁曰く、某(それ)藩士某(なにがし)、東京(えど)詰にて、顕職を勤めたり、一朝退勤の命あり、帰国せんとす、予往きて暇を告げ、且曰、卿(きみ)が是迄の驕奢、実に意外の事なりといへども、職務なれば、是非無し、今帰国せんとす、是迄用ふる処の、衣類諸道具等は皆分不相応の品なり、是を持ち帰る時は、卿が驕奢退かず、妻子厄介も同く奢侈止らざるべし、然る時は卿が家、財政の為に滅亡に至らん、恐れざるべけんや、刀は折れず曲らざる利刀の、外飾なきを残し、其他は衣類諸道具、一切是迄用ひし物品は残らず、親戚朋友懇意出入の者等に、形見として悉く与へ、不断着寝巻の儘にて、只妻子而已(のみ)を具して、帰国して、一品も国に持ち行く事勿れ、是奢侈を退け、驕意を断つの秘伝なり、然らざれば、妻子厄介迄染み込んだる奢侈決して退かず、卿が家終に亡びん事鏡に掛て見るが如し、迷ふ勿れと懇々教えたれど、某(なにがし)用ふる事能はず、一品も残さず、船に積みて持帰り、此物品を売り売り生活を立て、終に売り尽して、言ふ可らざるの困窮に陥り果たり、歎ずべし、是分限を忘れ、驕奢に馴れて、天をも恐れず人をも憚らざるの過ちなり、我驕奢、誠に分に過ぎたりと心付かば、同藩に対しても、憚らずば有るべからず、是驕奢に馴れて自ら驕奢としらざるが故なり、歎ずべし。 【130】尊徳先生はおっしゃった。「ある藩士のなにがしが、江戸詰めで、よい地位についていたが、思いがけず職を免ぜられて、帰国することとなった。私は行って別れの挨拶を告げ、かつその者に言った。『あなたがこれまでの贅沢は、実に思いの外の事でしたが、職務であれば、いいとも悪いとも言いますまい。しかし今帰国されようとしています。これまで用いられた衣類や諸道具等は皆分不相応の品物です。これを持ち帰る時は、あなたの贅沢はやまず、妻子なども同じく奢侈(しゃし)が止らないことでしょう。その時はあなたが家は、財政がたちゆかず滅亡しましょう。恐ろしいきことではありませんか。刀は折れていない曲っていない利刀で、外側に飾りがないのを残し、その他は衣類諸道具、一切これまで用いた物品は残らず、親戚・朋友や懇意にした出入の者等に、形見としてすべて与えなさい。普段着・寝巻のまま、ただ妻子だけを連れて、帰国して、一品も国に持ち帰ってはなりません。これが奢侈を退けて、驕意を断つ秘伝です。そうでなければ妻子や扶養者までしみこんだ奢侈は決して抜けません。あなたの家が終には亡びる事は、鏡にかけて見るようです。決して迷ってはなりません』と懇々と教えたけれども、なにがしは用いる事ができず、一品も残さず船に積んで持ち帰って、この物品を売り売りして生活を立て、終に売り尽して、言うこともできないほどの困窮に陥ってしまった。歎かわしいことではないか。これが分限を忘れて、驕奢に馴れて、天をも恐れず人をもはばからない過ちである。自分の贅沢が、誠に分に過ぎていると気付いたならば、同藩に対しても、はばからなくてならない。このケースは贅沢に馴れて自分では贅沢と知らなかったからである。嘆息すべきことだ。」 □二宮先生語録【165】人の家計を理むるや、勤労を竭(つく)すといえども、倹約を守るといえども、除日に至て歳計足らざれば、則ち勤労倹約、皆その効を失う。世人の勤倹これに類する有り。何となれば則ち百金の入を以て、百十金の出を為す。故にその入滅して九十金と為る。乃(すなわ)ち負債を以てこれを補ふ。故に其の入また滅して八十金と為る。これに於て始て浪費を省き九十金の出を為す。故にその入又滅して七十金と為る。乃(すなわ)ち又省いて八十金の出を為す。終に亡滅に至るまで、なお尚ほこのごとし。ああ、当初百金の入、滅して九十金と為るの日、速に弊習を革め、大いに浪費を省き、以て八十金の出を為さば、則ちただに百金の入に復するのみならず、遂に千金の富を致すも、また難からざるなり。世人これを覚らず、いたずらに姑息に安んじ、遂にその家を亡ぼす。悲しいかな。(訳)人の家計を経理するのに、いくら勤労を尽しても、いくら倹約を守っても、大晦日になって勘定が足らなければ、勤労も倹約も一向その甲斐がなくなる。世人の勤倹には、これに類するものがある。なぜならば、百両の収入で百十両の支出をする。だから収入が減って九十両になる。そこで借金によってこれを補う。だから収入はまた減って八十両になる。こうなって始めて浪費を省いて九十両の支出とする。だから収入はまた減って七十両になる。そこでまた節約して八十両の支出とする。ついに滅亡に至るまで、ずっとこの調子である。実際、始め百両の収入が減って九十両になったときに、すぐに悪い習慣を改め、大いに浪費を省いて、八十両の支出としたならば、ただ百両の収入に回復できるばかりでなく、ついには千両の富をつくるのも難かしいことではないのだ。世人はこれをさとらないで、ただ一時しのぎで安心するうち、ついにその家を滅ぼすようになる。まことに悲しいことだ。
2024.03.30
自宅をゴミ屋敷に変えてしまう人の特徴「ゴミ屋敷になる家」は玄関でわかる…老後のひとり暮らしが破綻する人に共通する「玄関のサイン」とは① 玄関と靴特に靴、履物の状態ボロボロでかかとが潰れたスニーカーが無造作に玄関に転がっていると、あまり積極的に外出したり、人と会ったりすることがない人なのかなと思います。サンダルのようにつっかけて近くのコンビニやスーパーに行く程度のケースがほとんど。あまり出歩かないからこそ、同じ靴を履き続けて、履き心地なども気にならないのだと思います。あらためて人と会う機会も少ないので、見た目も気にしていないのかもしれません。足元にこそ、その人の性格やこだわりが出やすい気がします。また、靴がこのような状態の人は、たいてい部屋も散らかっています。単にだらしないだけじゃないかといわれたらそうかもしれませんが、意外と玄関や靴にはその人の生活感がにじみ出るのです。② 貴重品のありか③ テレビの周りと寝床ゴミ屋敷のような部屋を片付けにいくと、その散らかり具合も多種多様なのですが、ある2つの点は不思議と共通しています。ひとつは、テレビの周りです。ゴミ屋敷にはあらゆるゴミが散乱しているのですが、お酒の空き缶がテレビ台や、もしくはテレビ近くのテーブルに集中して置かれているのをよく見ます。もうひとつは、寝床です。布団のシーツや枕カバーは、とにかく洗ったり取り替えたりするのが面倒で、ひとり暮らしの人では長く使いっぱなしの「万年床」になりがちです。生活情報サイトなどを見ると、寝具はだいたい週に1回は洗濯する人が多いようです。ひとり暮らしの場合、自分しか使わないし、寝られれば構わないとつい放置してしまうのは無理もないかもしれません。ただ、先々のことを自分で決定していたり、適度な人付き合いを保っているおひとりさまは、こういった面倒なこともしっかりとこなしている印象があります。④ モノの多さ「ゴミ屋敷」というのは、食事の食べ残しや空き缶、ペットボトル、タバコの吸い殻やペットの糞尿などがあふれていて、臭いもきつく、文字どおりゴミで部屋が埋め尽くされている家のことです。一方「モノ屋敷」というのは、フィギュアやプラモデル、ゲームやCDやレコード、本や雑誌、あるいはブランド品など、趣味性の高いものが大量に収集されている家のことです。興味のない人にはゴミと変わらないものを集めていたとしても、周囲に迷惑をかけていない限り非難される筋合いはありません。自己管理できる人はものに固執しない私が仕事で知り合った80代後半の女性は、着物や食器のコレクションをどんどん処分しています。私たちから見ても、そこまで減らす必要はないのではないかというほどの勢いです。「もう、私は絶対に着ることはないし、娘も欲しがらないから、いらないの」「でもね、いいものもあるから、それは価値のわかる人にあげたいの。それで、よくないものは捨てて身軽になりたい。だって、この先、使うことはないんですもの」「重いものが持てなくなってきているし、階段の上がり下りもゆっくりにしかできなくなっているの。家が広いのも考えものね。ひとり暮らしには広すぎるし、モノが多すぎるわ」たしかに、着物や食器など、その手のものの価値がわかる人は多くありません。価値のわからない遺族の手に渡ると二束三文で処分されてしまう危険性があります。それなら、自分がしっかりしているうちに、同じ趣味の仲間や弟子などに譲るほうが、その相手にとっても着物や食器にとっても、どれだけ幸せなことかわかりません。
2024.03.29
報徳「夜話」 日めくり 29日 29日 「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行) 29日 「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する) 【129】翁曰く、人生尊ぶべき物は、天てん禄ろくを第一とす、故に武士は天禄てんろくの為に、一命を抛なげうつなり、天下の政事せいじも神儒仏しんじゆぶつの教へも、其その実じつ衣食住いしよくぢゆうの三つの事のみ、黎民れいみん飢うへず寒こごえざるを王道とす、故に人たる者は、慎つつしんで天禄てんろくを守らずばあるべからず、固かたく天禄てんろくを守る時は、困窮こんきゆう艱難かんなんの患わずらひなし、仮初かりそめにも、我が天禄てんろくを賤いやしむの心出る時は、困窮こんきゆう艱難かんなん忽たちまちに至いたる、夫それ天禄てんろくの尊たふとき事は云いふ迄までもなし、日々にちにちの衣食住いしよくぢゆう其その他た、履はき物もの笠かさ傘からかさよりして鼻はなをかむ紙かみ迄までも、皆みな天禄てんろく分内ぶんないの物ものなり、嫁よめは他家たけより来きたる者といへども、云いひもてゆけば、天禄てんろくの中なかより来きたると云いはんも違たがへるにあらず、然しかるに我が此この方法はうはふは、天禄てんろくなき者に天禄てんろくを授さづけ、天禄てんろくの破やぶれんとするを補おぎなひ、天禄てんろくの衰おとろへたるを盛さかんに為なし、且かつ天禄てんろくを分外ぶんぐわいに増殖ざうしよくし、天禄てんろくを永遠えいゑんに維持いじするの教をしへなれば、尊たふたき事論ろんを俟またず、古語こごに、血気けつきある者、尊信そんしんせざる事なし、といへるは、我わが道の事なり。 【129】尊徳先生はおっしゃった。「人生尊ぶべき物は、天禄を第一とする。だから武士は天禄のために、一命をなげうつのである。天下の政事も神・儒・仏の教えも、その実、衣食住の三つの事のみである。庶民が飢えず、こごえないようにすることを王道とする。それゆえに人たる者は、慎んで天禄を守らなければならない。固く天禄を守る時には、困窮・艱難の心配はない。かりそめにも、自分の天禄を賤しむ心が出る時は、困窮・艱難がたちまちに来る。天禄の尊い事はいうまでもない。日々の衣食住その他、はきもの、笠やからかさから鼻紙までも、皆天禄分内の物である。嫁は他家より来たる者ではあるが、その原因を考えると、天禄のうちより来たるといっても違いはない。だから私のこの方法は、天禄がない者に天禄を授け、天禄の破れようとするのを補い、天禄の衰えた者を盛んにし、かつ天禄を分外に増殖して、天禄を永遠に維持するところの教えであるから、尊い事は論をまたない。古語に、『血気ある者、尊信せざる事なし』というのは、私の道の事である。」
2024.03.29
I先生静岡県内大学図書館及び公共図書館には、共同編集のMさんから、事前に寄贈の諾否を手紙で照会し、承諾の返信葉書のあった図書館に寄贈しています。ですから図書館への寄贈は除外して結構です。できれば報道機関でお知り合いの方がいらしたらこの本(「現代語訳 安居院義道」)を差し上げてください。静岡県民あるいは遠州の市民の皆様に広く 安居院先生の業績を伝える本書を 広く知らせたいと思います。そうすれば静岡県内の各図書館に寄贈し蔵書となった本書を手にとって読んでもらえるかと思います。今日、昨年12月17日の掛川で行われた第10回報徳講座で講演いただいた秦野農協組合長から先に送った50冊の本を、秦野市の全小学校、中学校、図書館と10公民館図書室、5農協図書室など配付し皆さん喜ばれた。本が足りなくなったと連絡を受けました。そこで、印刷所保管分から20冊を追加で送るよう指示しました。報徳は「世の中の人のために立ちたい、次の世界を担う子供たちに良いものを遺しておきたい」という実践です。尊敬するK先生に最初に教わった大切なことは「はい」です。「はい、私ですね」と先生のおっしゃることを受け止めて、実現するかどうか、自分にそんな力があるか躊躇することなく「はい、わかりました」と先生のおっしゃることを何のためらいもなく即時に実践に移すことです。K先生に、数十年前になりますが、職場の仲間を中心に 「報徳記を読む会」を立ち上げて報徳記を輪読しますと報告したときに「何と素晴らしいことでしょう。ぜひ世に広めて下さい」とおっしゃいました。「単なる読書会なにの 世に広めるとはどういうことだろう?」と思いましたが「はい」とうべなって作ったのが「二宮尊徳の考えを世界に広める会」で今に至っています。「<難しいかもしれない。生涯をささげて成功しないかも知れない。しかしながら「失敗は罪ではない」。あとから来る人々の成功の道案内たることができれば、それは実に尊いことである。「なんじの車を星につなげ」である。」(内村鑑三:北海道大学講演)あとから来る人々のために 報徳の教えを広めてくださいますように、どうぞよろしくお願いいたします。
2024.03.28
玉ねぎの持つ5つの健康効果1つ目は、心臓を保護する効果。玉ねぎにはケルセチンという抗酸化物質が含まれていて、強力な抗炎症作用や抗酸化作用があります。そのため、血圧を上げるような血管の炎症を抑えてくれます。また、中性脂肪を減らしたり、コレステロールを抑えたり、抗炎症作用で血圧を下げて血栓ができるのを防いだりして、心臓病の予防をしてくれます。2つ目は、糖尿病を予防する効果。玉ねぎには、少なくとも17種類のフラボノイド系の抗酸化物質が含まれています。抗酸化物質は、細胞に損傷を与えるフリーラジカルを取り除くので、がんや糖尿病、心臓病などを予防する効果があります。玉ねぎに含まれるアントシアニンは強力な抗酸化物質で、特に紫色の玉ねぎには強力なアントシアニンが含まれています。アントシアニンを含む食品を食べている人は、糖尿病を罹患する人が少ないことがわかっています。「生の紫玉ねぎを100g食べたら4時間後には血糖値が下がっていた」という研究結果もあります。それくらい短期的に血糖値を下げる効果があるのです。さらに、玉ねぎに含まれるケルセチンや硫黄化合物にも糖尿病を予防する効果があると言われています。三つ目は、抗がん作用の効果。玉ねぎやにんにくなどのアリウム族の野菜には、胃がんや大腸がんのリスクを下げる効果があることがわかっています。それは硫黄化合物やフラボノイド系の抗酸化物質が役に立っていると考えられます。実際に、玉ねぎに含まれるオニオニンAという硫黄化合物は、卵巣がんや肺がんを抑える効果があるという研究結果も出ています。また、ケルセチンやフィセチンなどのフラボノイド物質は腫瘍の増殖を抑える効果があるという研究結果も報告されています。4つ目は、抗菌作用の効果。玉ねぎに含まれるケルセチンという成分は、大腸菌、緑膿菌、黄色ブドウ球菌、セレウス菌といった細菌に対して抗菌効果を発揮します。玉ねぎの抽出物はコレラ菌の増殖を抑えるという報告もあります。5つ目は、腸活にいいという効果。玉ねぎには食物繊維とプレバイオティクスが豊富に含まれています。プレバイオティクスというのは、善玉菌が分解してエネルギーを作り出す成分のこと。プレバイオティクスをエサにして、善玉菌は酢酸やプロピオン酸、酪酸と言われる短鎖脂肪酸を作ります。短鎖脂肪酸は、腸の健康を強化して免疫力を高めて、炎症を抑えて消化を促進してくれます。そのため、プレバイオティクスが豊富な食品を摂ると、腸内に乳酸菌やビフィズス菌を増やす効果があります。玉ねぎに含まれるプレバイオティクスはイヌリンやフルクトオリゴ糖というものですが、これらは腸内で善玉菌のいいエサになってくれます。その結果、玉ねぎは消化器系全般の健康を高め、腸内細菌のバランスを取り、免疫力を上げる効果が期待できるのです。タマネギの「ケルセチン」で前向きにタマネギに多く含まれる「ケルセチン」が、認知機能の維持や前向きな気分の維持に役立つことを、農研機構食品研究部門(つくば市観音台)の小堀真珠子食品健康機能研究領域長らの研究グループが明らかにし、5月の学会誌オンライン版で公表した。 成果を元に、ケルセチンを関与成分とする、タマネギの機能性表示食品の届出を目指すという。
2024.03.28
「悪は、善人が行動しないだけで勝利する」ロシア反体制派ナワリヌイの遺言3/28(木)ナワリヌイ氏 急死の波紋と彼が残した“遺言”ナワリヌイの死は2月16日に公表された。彼の広報担当者キラ・ヤルミッシュは、ナワリヌイの遺体が北極圏の刑務所から近くの町に移されたとXへの投稿で明かし、遺体を家族に引き渡すよう要求した。ナワリヌイは、世界的な人気作家で日本文学研究者でもあるボリス・アクーニンがロシア中の政治犯に送った13項目のアンケートに答えを書き送っていた。アクーニンは昨年10月、政治犯たちからの回答をまとめた電子書籍を自身のウェブサイトで出版した。その英訳版(3月に出版予定)からナワリヌイの回答を抜粋、ここに独占掲載する。◇ ◇ ◇──あなたは何者か。刑務所の職員はいつも私に向かって「ふむ、今日は機嫌がよさそうだな......」と不満げな言葉を口にする。つまり、こういうことだろう。私は政治犯で、家族や仕事、仲間をとても恋しく思っているが、いつも元気だ。もちろん、読書家でもある。一日の大半を、本を片手に過ごしている。──何を信じている?神と科学だ。私たちは非決定論的な宇宙に生きており、自由意志を持っていると信じている。人はこの宇宙で孤独ではない、ということも信じている。私たちの行いはいずれ評価されると信じている。真実の愛も信じている。ロシアは幸せで自由になれると信じている。そして、私は死を信じない。──最も重要な決断を下す際に何を頼りにするか。理性か直感か?理性と直感は矛盾しない。選択肢が誤っている。進化の結果、人間はベッドにヘビがいたら、じっくり考えずとも行動できるよう設計されている。一方、ヘビが入り込めないような家を建てるときに、急いで決断することもない。このことについては、ノーベル賞受賞者のダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』(邦訳・早川書房)という素晴らしい本がある。ぜひ読んでほしい。──人生で最も大切なことは?社会の役に立ち、良い人間であり続けること。──最大の喜びは?家族だんらんのひととき。車に乗って一緒にどこかに行くときとか。誰かがふざけて歌い始めると、みんながこぞって参加する。何曲も歌い続けてやめない。そして愛と幸せがあふれ出す。──最大の悲しみは?多くの人がものを考えようとしないこと、基本的な因果関係も理解していないこと。「汚職は私の生活には関係ない」とか、「権力の座にいる連中が盗みを働いたが、人が代わっても同じことだろう」などと誰かが言うのを聞くたびに悲しくなる。何億年もの進化によって、最も素晴らしい頭脳を与えられているのに、この人はなぜそれを使わないのだろう、と思ってしまう。──人間と人類に最大の悪をもたらすものは?「悪は、善人が行動しないだけで勝利する」──誰かの言葉だが、驚くほど的を射ている。中立という偽善、政治的無関心、利害対立、隠れた怠惰、卑劣こそが、人類の歴史を通じて、組織化した悪党集団に何百万もの人々の支配を許してきた主な原因といえる。──人類に最大の利益をもたらすのは?「善」対「中立」の戦いに関わること。──今のあなたにとってロシアとは?私が理解できる人々が住む、くつろげる場所。私は国と政府を切り離して考えられるので、激動のこの時代においても、ロシアへの愛は変わらない。──あなたに一番大きな影響を与えた芸術は何か?私は文学が好きで、少しは理解しているつもりだ。映画も音楽も建築も好きだが、それほど詳しくはない。「敬意を持っている」と言えるだけだ。文学はあらゆる芸術の中で最も強い影響力を持つ。なぜなら、文学はわれわれ自身の想像力を通じて訴えてくるからだ。それより強い影響があるものなど考えられない。──好きな格率(行動原則)は?単に好きなだけではない。私の好きな格率には「格率」という言葉が含まれている。「汝(なんじ)の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理に妥当し得るように行為せよ」。ドイツの哲学者カントの道徳法則の定式化の1つだ。聖書の黄金律「汝の欲するところを人に施せ」によく似ているが、聖書のほうがまだ守りやすい。カントのほうは守る責任が重いと思う。だから私はこれを選ぶ。これらの法則に従うのは非常に難しいが、従うよう努力すべきだ。──これまで読んだ本で最も重要な1冊は?『ハックルベリー・フィンの冒険』だ。あの本を読んだのは、10歳か11歳くらいの頃だったと思うが、本というものは退屈だが役に立つだけでなく、読みだしたら止まらなくなって、ページをめくるたびに笑える場合もあるのだと気付いた。それで本を読むようになった。本を読まない人たちは気の毒だと思う。──ロールモデルはいるか。昔も今も優れた人々は大勢いる──勇敢で、偉大で、知的な人々だ。だからたった1人だけ選ぶのはもったいない。
2024.03.28
定年後は家でダラダラ過ごす年金16万円、65歳の元サラリーマン。「退職金と貯金で2,500万円だし、出不精・倹約家だから大丈夫」と思いきや…老後破産となったワケ日弁連2020年の破産事件等調査結果70歳代以上の割合が前回の調査でいったん減少となったものの、2020年の調査では9.35%まで増えており、これまでの最大を示しています。 また、生活保護を受けている年代を年齢階層別に見てみると、下記のように平成元年の水準を100とした場合、60代と70代以上の年代でも伸びが大きいのがわかります。お年寄りはお金を持っている、といったイメージが崩れてきているのがわかります。 今後も医療費や介護費の負担増や増税・社会保険料のアップ、物価の上昇などにより、若いころより病気やケガをしやすい70代以降の生活は苦しくなり、「高齢者の貧困」は大きな問題となってくると考えられます。また、多重債務の相談原因の「低収入・収入の減少」が高いことから、現役世代では早期退職やリストラ、役職定年が、高齢者では定年退職後の収入減やその収入減に生活レベルが合わせられなかったり、住宅ローンが老後も残ってしまったり、といったことも影響していると考えます。Aさんのケース60歳で定年退職を迎えたAさんですが、在職中に人間関係に疲れてしまい、仕事を続ける気も起きなかったため、再雇用契約をせずにそのままリタイアしました。定年退職当時は、約1,500万円の退職金とほかにも1,000万円ほどの貯蓄等がありました。家族は私立大学3年生の息子と3歳下のパート勤めの妻と住宅ローンが70歳まで残る持ち家に3人で暮らしています。 なお、離れた田舎に80代の母親がまだ一人で暮らしていますが、亡くなった父親は自営業(定食屋)だったため、遺族年金もなく、わずかな貯蓄と国民年金で暮らしています。まとまったお金もあったことからAさんは「もし、なにかいい仕事があったらやってみよう」程度にしか考えておらず、パートに出ている奥さんに疎まれながらも自宅でダラダラ過ごしていました。 あまり外へ出ないAさんですから、お金もあまり使いません。どちらかというと身の回りのものにお金を使うタイプでなく倹約家ですが、年金受給まではまだ何年もありますし、生活のために貯金を取り崩す一方でした。定年退職後は、古くなったキッチンをリフォームしたり、家電も故障で買い替えたりと、臨時で大きなお金も出ていったため、だんだんとお金についても気になってきました。 奥さんに言われてハローワークに相談に行きましたが、なかなか希望の仕事もありません。奥さんの目もうるさいので、一日だけ倉庫でのアルバイトをしてみましたが、一日中動きっぱなしの仕事は、デスクワークしかしたことのないAさんにとっては苦痛でした。さらに、息子のような若い年齢の人間から指示されての仕事は、Aさんにとってはあまり気分のいいものでもありません。 「年金がもらえるようになればなんとかなるだろう」と将来の月16万円の年金をあてにして、結局はアルバイトも続かず、Aさんは引きこもってしまいます。そんな生活を5年間続けていたAさんですが、生きがいもこれといってなく、あるころから漠然とした不安感にさいなまれるようになってしまいます。運動も特にはしていませんので、足腰も弱くなり、ある日、立ち眩みを起こしたときに転倒して骨折してしまいます。骨折だけでも大変ですが、立ち眩みの原因が「うつ病」と診断され、Aさんは長い療養に入ることに。 さらに悪いことに、離れた実家に住む母親も体調を崩して入院してしまい、高齢のため、入院期間も長引いてしまいましたAさん自身は医療保険に加入していましたが、母親の保険は80歳で切れてしまっていたため、保険金が出ず、病院代の援助も行う羽目になってしまいました。入院は医療費だけでなく、食費や衣類などいろいろなお金が必要になります。 キッチンリフォームや住宅ローンの返済に子どもの学費、自分と母親の治療費と、定年退職後のわずか数年で貯蓄はほとんどなくなり、Aさんの家計は破綻の一途を辿ることになってしまいました。いざ病気になったり介護状態になったりすると、アルバイトもできなくなりますし、出費は増えるばかりですから家計への負担は大きくなっていきます。 病気やケガは自分だけではなく、親や配偶者の身にも起きるかもしれないことです。家族のなかに病人が出ると、金銭的・肉体的・精神的にじわじわと影響が出てきます。 後期高齢者のうち、一定の所得がある人を除いて現在は原則1割負担となっている窓口負担ですが、膨張する医療費を抑えて制度の持続性を高めるためにとの理由で2割負担への引き上げも検討されています。 老後に病気にかかり医療費がかさんだことがきっかけとなって、マネープランが狂ってしまい、最終的に老後破産に陥るというのが、高齢者の最も多いパターンのひとつです。自分自身や配偶者のことだけでなく、親御さんの保険の加入状況なども調べておきましょう。健康に気を付けて病気にならないように日ごろから気を付けていくことも大事ですが、老後設計は病気や介護状態になったときにどうするか?を重点的に考えていく必要があります。
2024.03.28
「現代語訳 安居院義道」の大学図書館、都道府県図書館への寄贈が終わり秦野市を経由する小田急沿線の図書館への寄贈を始める。I先生おはようございます。秦野市農協のMさんから嬉しい知らせがありました。「秦野市に11の公民館があり、それぞれ図書室が設置されています。本日、秦野市図書館5部持参したところ、公民館図書室に置きたいと申し出がありました。また本 は秦野市小中学校22、教育委員会3、秦野商工会議所3 、JAはだの図書室5を配布しました。みなさん、喜んで頂きました」これこそが編集者としてわたくしの望んでいた安居院先生の郷里の皆様の反応です、市民の皆さんに喜んで受け取ってもらい、喜んで読んでもらい、安居院先生の業績を知らせたい、伝えたい、広めたいと願います。小田原市のほうは、Mさんから小田原農協の組合長に連絡し、秦野市同様に小田原市内の小中学校全校に「現代語訳 安居院義道」を配付してもらえないか、確認してもらうことにします。I先生禅の公案のようにしている話があります。 「観音菩薩様は私の念仏を妨げるお方」佐賀枝弘子さん「気がつけば み手の中」講演より「阿弥陀さまの両脇には勢至菩薩と観音菩薩がついていらっしゃいます。それは阿弥陀さまの分身で阿弥陀さまのはたらきの智慧の部分を勢至菩薩、慈悲の部分を観音菩薩が担当されると説明されています。「勢至菩薩さまの方はお念仏を勧める方」と、ある先生はおっしゃいました。智慧のはたらきですから、その通りですね。そうすると世の中に勢至菩薩のはたらきをして下さる方が、たくさんいらっしゃって、私にお念仏を勧めて下さる方は全部阿弥陀さまの智慧のはたらきなんだなあと、すごく了解しやすいわけです。 ところが観音さまのはたらきは慈悲ですから、どういうふうにはたらかれるのかなと思いましたら、その先生はこうおっしゃったんです。「観音さまのはたらきは私にお念仏の妨げをして下さる方です」「えっ」と思いましたね。これは聞き違えたと思ったんです。先生のお話がすみましてから、お部屋へ参りまして、先ほどの勢至菩薩と観音さまのお話をもう一度お聞かせ下さいと申しましたら、「ああ、あそこですね。勢至菩薩は私にお念仏を勧めて下さる方」と、はっきりおっしゃて下さいました。そうしたら観音さまは、と耳をすましておりましたら、やはりさっきと同じように、「観音さまは私に念仏の妨げをして下さる方」とおっしゃいました。先生の言葉が私はわかりませんでね、「先生、もう一ぺんおっしゃって下さいませんか」とお聞きしますと、やはり、「私に色々な妨げをして下さる方ですなあ」とおっしゃいました。「わかりません」「わからないでしょう。自分で考えてごらんなさい。これに目が覚める時が、またお念仏に目が覚める一歩ですよ」とおっしゃったんです。💛 私なりに自分で考えて「観音様は「私に色々な妨げをして下さる方ですなあ」」に目が覚めるように努めています(^^)
2024.03.28
「現代語訳 安居院義道」について共同編集者のMさんから「支援者に本と絵葉書を送りました。ほぼ完了して素晴らしいとの感想をいただきました」とメールがあった。支援してくださった方に 喜ばれて嬉しい。また安居院庄七の郷里秦野市内については、図書館と小中学校への寄贈を秦野農協のMさんにお願いした。Mさんからの連絡に「秦野市に11の公民館があり、それぞれ図書室が設置されています。本日、秦野市図書館5部持参したところ、公民館図書室に置きたいと申し出がありました。また本📕は秦野市小中学校22、教育委員会3、秦野商工会議所3 、JAはだの図書室5を配布しました。みなさん、喜んで頂きました」出版した「現代語訳 安居院義道」の本を配付した皆さんが喜んでくださる、編集者冥利につきる(^^)
2024.03.28
「二宮翁夜話」 日めくり 28日 「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する) 【129】翁曰く、人生尊ぶべき物は、天てん禄ろくを第一とす、故に武士は天禄てんろくの為に、一命を抛なげうつなり、天下の政事せいじも神儒仏しんじゆぶつの教へも、其その実じつ衣食住いしよくぢゆうの三つの事のみ、黎民れいみん飢うへず寒こごえざるを王道とす、故に人たる者は、慎つつしんで天禄てんろくを守らずばあるべからず、固かたく天禄てんろくを守る時は、困窮こんきゆう艱難かんなんの患わずらひなし、仮初かりそめにも、我が天禄てんろくを賤いやしむの心出る時は、困窮こんきゆう艱難かんなん忽たちまちに至いたる、夫それ天禄てんろくの尊たふとき事は云いふ迄までもなし、日々にちにちの衣食住いしよくぢゆう其その他た、履はき物もの笠かさ傘からかさよりして鼻はなをかむ紙かみ迄までも、皆みな天禄てんろく分内ぶんないの物ものなり、嫁よめは他家たけより来きたる者といへども、云いひもてゆけば、天禄てんろくの中なかより来きたると云いはんも違たがへるにあらず、然しかるに我が此この方法はうはふは、天禄てんろくなき者に天禄てんろくを授さづけ、天禄てんろくの破やぶれんとするを補おぎなひ、天禄てんろくの衰おとろへたるを盛さかんに為なし、且かつ天禄てんろくを分外ぶんぐわいに増殖ざうしよくし、天禄てんろくを永遠えいゑんに維持いじするの教をしへなれば、尊たふたき事論ろんを俟またず、古語こごに、血気けつきある者、尊信そんしんせざる事なし、といへるは、我わが道の事なり。 【129】尊徳先生はおっしゃった。「人生尊ぶべき物は、天禄を第一とする。だから武士は天禄のために、一命をなげうつのである。天下の政事も神・儒・仏の教えも、その実、衣食住の三つの事のみである。庶民が飢えず、こごえないようにすることを王道とする。それゆえに人たる者は、慎んで天禄を守らなければならない。固く天禄を守る時には、困窮・艱難の心配はない。かりそめにも、自分の天禄を賤しむ心が出る時は、困窮・艱難がたちまちに来る。天禄の尊い事はいうまでもない。日々の衣食住その他、はきもの、笠やからかさから鼻紙までも、皆天禄分内の物である。嫁は他家より来たる者ではあるが、その原因を考えると、天禄のうちより来たるといっても違いはない。だから私のこの方法は、天禄がない者に天禄を授け、天禄の破れようとするのを補い、天禄の衰えた者を盛んにし、かつ天禄を分外に増殖して、天禄を永遠に維持するところの教えであるから、尊い事は論をまたない。古語に、『血気ある者、尊信せざる事なし』というのは、私の道の事である。」 ■報徳秘稿【144】天下の政治は、衣食住の三を制するのみ。
2024.03.28
「二宮翁夜話」 日めくり 28日 「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する) 【128】 翁曰く、我が教へは、徳を以て徳に報うの道なり、天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、其の蒙る処人々皆広太なり、之に報うに我が徳行を以てするを云ふ、君恩には忠、親恩には孝の類、之を徳行と云ふ、扨て此の徳行を立てんとするには、先づ己々が天禄の分を明かにして、之を守るを先とす、故に予は入門の初めに、分限を取調べて能く弁(わきま)へさするなり、如何となれば、大凡そ富家の子孫は、我が家の財産は何程ありや、知らぬ者多ければなり、論語に、師冕(べん)見ゆ、皆坐す、子の曰く、某(それ)は斯(ここ)にありと、師冕(しべん)出づ、子張問うて曰く、師と言ふの道か、子の曰く、然り、固より師を助るの道なり、とあり、予が人を教ふる、先づ分限を明細に調べ、汝が家株田畑何町何反歩、此の作益金何円、内借金の利子何程を引き、残り何程なり、是汝が暮すべき、一年の天禄なり、此の外に取る処なく、入る処なし、此の内にて勤倹を尽して、暮しを立て、何程か余財を譲る事を勤むべし、是れ道なり、是れ汝が天命にして、汝が天禄なりと、皆此の如く教ふるなり、是れ又心盲(めしひ)の者を助るの道なり、夫れ入るを計りて天分を定め、音信贈答も、義理も礼義も、皆此の内にて為すべし、出来ざれば、皆止むべし、或は之を吝嗇と云ふ者あり共、夫は言ふ方の誤りなれば、意とする事勿れ、何となれば此の外に取る処なく、入る物なければなり、されば義理も交際も出来ざれば為さゞるが、則ち礼なり義なり道なり、此の理を能々弁へて、惑ふ事勿れ、是れ徳行を立つる初めなり、己が分度立ざれば徳行は立ざる物と知るべし。 【128】尊徳先生はおっしゃった。「私の教えは、徳をもって徳に報いるの道である。天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、そのこうむるところ人々皆広大である。これに報いるに自分の徳行をもってすることをいう。君の恩には忠、親の恩には孝の類、これを徳行という。さてこの徳行を立てようとするには、まず自分自身の天禄の分を明らかにして、これを守ることを先とする。だから私は入門の初めに、分限を取り調べてよくわきまえさせるのである。なぜかといえば、おおよそ富家の子孫は、自分の家の財産はどれほどあるか知らない者が多いからである。論語(衛霊公篇)に、『師冕(しべん)見ゆ、皆坐す、子の曰く、某(それがし)は斯(ここ)にありと、師冕出づ、子張問ふて曰く、師と言ふの道か、子の曰く、然り、固より師を助くるの道なり』とある。私が人を教えるには、まず分限を明細に調べて、おまえの家株は田畑何町何反歩、この作益金は何円、うち借金の利子何ほどを引いて、残りはなにほどである。これがおまえの暮すを立てる一年の天禄である。この外に取るところはなく、入るところはない。この内で勤倹を尽して、暮しを立てて、何ほどか余財を譲る事を勤めるがよい。これが道である。これがおまえの天命であって、あまえの天禄であると、皆このようにして教えるのである。これがまた心が盲目の者を助ける道である。入るを計って天分を定め、付き合いや贈答も、義理も礼義も、皆このうちで行うがよい。できなければ、皆止めるがよい。あるいはこれをケチだという者があっても、それは言う者の誤りであるから気にしなくてもよい。なぜかといえばこの外に取るところがなく、入るものがないからである。そうであれば義理も交際もできなければ行わないのが、すなわり礼であり義であり道である。この理をよくよくわきまえて、惑ってはならない。これが徳行を立てる初めである。自分の分度が立たなければ徳行は立たないものと知るがよい。」 ■報徳秘稿【57】底倉村(箱根町底倉)の人に告て曰く、汝が邑の天命は、常衣藤衣、食は粟稗、焼炭・采薪、自らせおうて渡世すべき也。如何となれば、今、天下君なければ国治らず。民なければ君立つことあたはず。君と民と後棒先棒にて、今日を明日へかつぐ世界也。汝、五公五民を天下の定法とする也。然るに、汝邑納むる処の税は僅か二十五両にすぎず。然らば、又、村中の暮し二十五両にすぐべからず。然りといへども、幸に温泉ありて繁栄する故に、領中の米穀価高く、魚鳥・菜菓も亦然り。是則、一国の潤ひ也。弘法大師高野山を開て海辺まで開けしと同じ。汝に衣・食・居住、領中とひとしきは可也。然るに、今、居住・衣食領中に類なし。是、困窮の元也。先、是等のことはさてをき、汝が家株・田畑の徳何程、年中の稼ぎ何程ど、入を計て出すことをなさば、困窮はすまじ。礼義・贈答も此の中にて出来ずんば為さざるが則ち礼也。此の外に取る処なく、入る処なき故也。人或は吝と云とも、云方の誤り也。若し、吝と云ものあらば、此の外に取る所あらば、汝取り呉れよ、此の外かへさずして能く借財あらば、汝云訳しくれよと云へ。此の帳は大切にせよ。汝が家の宝也。古語にも、性に率(したが)ふを道と云、といへり。(訳)報徳秘稿【57】先生は底倉村(箱根町底倉)の人に告げておっしゃった。汝の村の天命は、いつも衣は藤衣、食は粟やヒエ、炭を焼き・薪をとり、自ら背負って世を渡るべきだ。なぜかというと、今、天下に君主がいなければ国は治らない。民がなければ君主は立つことができない。君と民とは後棒先棒で、今日を明日へとかつぐ世界である。汝は五公五民を天下の定法とする。ところが、汝の村が納めるところの税は僅か二十五両にすぎない。そうであれば、また、村中の暮しは二十五両を過ぎてはならない。しかしながら、幸いに温泉があって繁栄するために、領中の米穀の価格が高く、魚や鳥・野菜や果物もまた同じだ。これはつまり、一国の潤いである。弘法大師は高野山を開いて海辺まで開けたのと同じだ。汝の衣・食・居住が、領中と等しいのであればよい。ところが、今、汝の居住・衣食は領中に類がない。これが困窮の原因である。まず、これらのことはさておいて、汝が家株・田畑の収穫がどれほど、年中の稼ぎがどれほどと、入るを計って出すことを行うならば、困窮はするまい。礼義・贈答もこの中で出来なければ行わないのが礼である。この外に取るところはなく、入るところがないためである。人があるいは吝嗇と言っても、言う方の誤りである。もし、吝嗇と言うものがあらば、この外に取るところあるならば、汝が取ってくれよ、この外に返さないでよい借財があるならば、汝が言訳してくれよと言え。この帳面は大切にせよ。汝が家の宝である。古語にも、性に率(したが)うを道と言う、と言われた。■報徳秘稿【591】『師冕(しべん)見ゆ、階に及ぶ、子曰く、階なりと。席に及ぶ。子曰く、席なりと。皆坐す。子之に告げて曰く、某(なにがし)は斯(ここ)に在り、某は斯に在りありと。師冕出づ。子張問いて曰く、師と言うの道かと。子曰く、然り、固(もと)より師を相(たす)くるの道なり』と宣う。予が教える道、まず分限を調べ、汝の家株田畑反別何町歩、この作益金年何程、内借金何程引き、残金何程。是汝が一年暮らすべき天命自然の分数也と云う。是又心盲その道を知らずして困窮するものを助るの道なり。(訳)報徳秘稿【591】『師冕(しべん)見ゆ、階に及ぶ、子曰く、階なりと。席に及ぶ。子曰く、席なりと。皆坐す。子之に告げて曰く、某(なにがし)は斯(ここ)に在り、某は斯に在りありと。師冕出づ。子張問いて曰く、師と言うの道かと。子曰く、然り、固(もと)より師を相(たす)くるの道なり*』とおっしゃった。私が教える道も、まず分限を調べて、汝の家株、田畑、反別、何町歩、この作益金は年どれほど、うち借金をどれほど引いて、残金はどれほど。これが汝が一年暮らすべき天命自然の分数であると言う。これがまた心の盲目がその道を知らないで困窮するものを助ける道である。*盲目の楽師の冕べんが来訪らいほうした。孔子が自身出迎えて案内され、階段まで来ると、「階段ですよ。」と言われ、座敷へ来ると、「お席せきですよ。」と言って着席させる。そして一同の座が定まると、「あなたの右は何さんです、左はだれそれです。」という風に同席者の名前と席順とをいちいち告げられた。師冕が帰った後、子張が、「あれが盲目の楽師と語る作法でござりますか。」とおたずねすると、孔子がおっしゃった、「そうだ、そもそも盲人もうじんはああいう風に介抱かいほうすべきものだ。」((穂積重遠しげとお『新訳論語』)
2024.03.28
年齢とともに低下する脚の筋力維持に!ブラックジンジャー由来 ポリメトキシフラボンブラックジンジャーはお腹周りの脂肪を落とす効能が知られているが、最近筋力増加の効能で注目されているポリメトキシフラボンは、東南アジアが原産のブラックジンジャー(黒しょうが)に含まれる成分タイ政府厚生省は、数ある有用植物の中からブラックジンジャーをプロダクトチャンピオン*に選び、安全で健康によい素材であると認定しています。*タイ政府厚生省は2004年に健康促進が期待される12種類のハーブを「プロダクトチャンピオン」に選定。ブラックジンジャーもその一つ。60歳以上の健康な男女45名を対象にブラックジンジャー由来ポリメトキシフラボン7.2㎎を配合した食品と非配合食品を2か月間連続して摂取してもらい、歩行能力の指標である6分間歩行テストで歩行距離を測定する実験を行いました。するとポリメトキシフラボンを摂取したグループで約28mも歩行距離が延長していました。この結果から、ポリメトキシフラボンが加齢により衰える歩行能力の維持に役立つことがわかったクラチャイダムは、他のショウガ科の植物と同様に、土の中に根茎があり、葉は地上に生えている。根も葉も見た目は一般的なショウガと非常に似ているものの、塊根部分を切ると、切断面がサツマイモの皮のような紫色をしている点が特徴である。クラチャイダムの成分として有名なのが、11種類のフラボノイドである。フラボノイドには抗酸化作用があり、これらのフラボノイドが健康増進に寄与しているとされている。その他に、抗酸化物質の効果には、老化防止(アンチエイジング)、動脈硬化や心筋梗塞、癌の予防などが挙げられる。クラチャイダムにはフラボノイド以外にも、アルギニンや、BCAA(バリン・ロイシン・イソロイシン)やトリプトファンなどの必須アミノ酸、アスパラギン酸などが含まれている。
2024.03.27
『現代語訳 安居院義道』事前に寄贈の承諾を得た26都道府県立図書館への寄贈を終えたまた秦野市内については、秦野農協のMさんに50冊送って市内の寄贈を託した秦野市に11公民館があり、それぞれ図書室が設置秦野市図書館に5部持参したところ公民館図書室に置きたいと申し出がありました→必要なところに置いてください。必要な数の本を送ります。本📕は秦野市小中学校22 教育委員会3 秦野商工会議所3 JAはだの図書室5 を配布しました皆さん、喜んで頂きました
2024.03.27
「カラス語」でゴミ集積所を荒らすカラス撃退、足立区の対策が大きな成果…ゴミ出す住民の意識も向上3/26(火)ゴミの集積所を荒らすカラス。東京都内でも各地で住民の頭を悩ませているが、足立区が昨夏に実施した対策が大きな成果を上げ、注目を集めている。カラスが嫌がる「カラス語」を利用して集積所から追い払うという前代未聞の対策で、見事に成功し、カラスが姿を見せなくなったという。ゴミを出す住民の意識向上にもつながったといい、区は今後も必要に応じて実施していく考えだ。区がたどり着いたのが、カラス被害のコンサルタント会社「CrowLab(クロウラボ)」(宇都宮市)が開発した「クロウ(カラス)コントローラー」だった。鳴き声を分析 機器は縦21センチ、横16センチ、厚さ10センチの大きさで、カラスが近づくと赤外線センサーが反応し、スピーカーから数秒間カラスの鳴き声が流れる。人や天敵である猛禽(もうきん)類が近づいた際に録音したカラスを不安にさせる鳴き声で、周囲のカラスに「この場所は危険」だと知らせる。 区が昨年6月から9月、竹ノ塚駅周辺など特にカラスの被害が大きい集積所5か所で機器を試験導入すると、効果はすぐに表れた。集積所に近づいてきたカラスが鳴き声を聞くと、その場から離れていく様子が確認されたという。 同社社長で宇都宮大特任助教の塚原直樹さん(44)は20年以上カラスを研究しており、カラスの鳴き声のサンプルを収集し、どのような状況で鳴いたのかを分析するなどしてきた。「1万以上のサンプルを分析した結果、警戒した際のカラスの鳴き声が、別のカラスを遠ざけることが確認できた」と自信をみせる。意識向上にも 思わぬ「副作用」もあった。センサーはゴミを出す人などにも反応してカラスの鳴き声を周囲に放つため、ゴミを出す人は、カラスが近くにいるように感じるのか、自然とネットの中央にゴミを出すようになった。また、荒らされていない集積所を見て別の集積所を利用する住民も防鳥ネットを正しく利用するなど設置前に比べ自発的にカラス対策を行うようになったという。 区は昨年12月、クロウコントローラー5台を正式に購入。今後、集積所への設置の要望があれば貸し出しを行うほか、集積所をきれいに使うことを呼びかけるチラシも配布する。 足立清掃事務所の長谷川澄雄所長は「カラスを集積所から移動させるだけでなく、ゴミを出す住民の行動変化にもつながった。今後も住民の意識の変化を促しながら、きれいな街・足立を目指していきたい」と話している。生態正しく知り共存へ カラス研究のススメCrowLab社長 塚原直樹(宇都宮市) 彼を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず。カラス対策はまさに「彼」を知ることが重要だ。正しく生態を理解し、研究すれば、百戦勝つことはできずとも、より適した対策につなげることで、より良い関係を築けるはずだ。 では、どうすれば正しくカラスを知ることができるのか。先入観にとらわれない、擬人化しない、結果を疑う、この三つが鍵と考える。 身近なイヌやネコは鼻が効くため、動物は嗅覚が優れると思いがちだ。しかし、カラスの嗅覚が鈍いことを示唆する解剖学的な証拠がある。ゆえに、臭いでカラスを寄せ付けなくする対策は難しい。 トウガラシの激辛ソースをごみ袋に塗りたくれば、カラスもごみを荒らさなくなるのでは、というアイデアを耳にする。つい調子に乗って度が過ぎた辛みを食べ、体調を崩した経験のある方も多いだろう。その感覚を基にすると、カラスも嫌がりそうだ。しかし、カラスはへっちゃらである。なぜなら、鳥はトウガラシの辛み成分のカプサイシンを感じにくいからだ。 試しに、強烈な臭いを放つ芳香剤をごみ集積所の上にぶら下げたり、激辛ソースをごみ袋に塗ってみたりするとしよう。おそらく、カラスのごみ荒らしを防げるはずだ。 はて? 言っていることがあべこべだと思われただろうか。カラスの嗅覚は鈍く、激辛も大丈夫だとすれば、これらの対策をしてもごみは荒らされてしまうのではないか。 実は、違う要因でごみ荒らしを防げている。それは、変化自体が原因だ。 芳香剤の容器やソースの塗られたごみ袋など、いつもと違う状況が、記憶力と洞察力に優れるカラスを警戒させる。そのため、この時はごみが荒らされるのを防げたのだ。だが、これらの対策はカラスにとっては実害がない。そのため、何回か試した後には必ず効果がなくなる。 私は、この一時的な効果を「かかし効果」と呼んでいる。かかしはヒトを模した対策だ。しかしカラスは、微動だにしないかかしをヒトとは思わないだろう。かかしも、設置直後はカラスを寄せ付けない。見慣れないものがあるのでとりあえず近づかないでおこう、とカラスが警戒するためだ。ただ、何度も目撃していると、警戒すべき対象ではないと判断し、無視するようになる。 対策を研究する上で、このかかし効果が厄介だ。一見、カラスが嫌がっているような結果を出してしまうからだ。先入観や擬人化による誤った解釈の後押しで、間違った「効果的なカラス対策」を発見してしまう。都合の良い結果をすぐに信じてはいけない。 そして「己」を知ることが重要だ。カラス対策で言えば、ヒトの行いが被害に直結している。「彼」を知ろうとすれば、きっとそれに気付く。共存の道が近づくはずだ。 【略歴】鳴き声でカラスの行動を制御する製品などを提供するCrowLabを設立。ふん害や食害といった対策を全国で手掛ける。宇都宮大特任助教。桐生市出身。
2024.03.27
ピーナッツバターに含まれるタンパク質量は?全米ピーナッツ協会の管理栄養士でマーケティングコミュニケーションを担当するマーキータ・ルイス「ピーナッツとピーナッツバターには、1食あたり7gのタンパク質が含まれています。タンパク質の含有量はナッツ類の中でダントツです」栄養カウンセリング「Nutrition by RD」の創設者で管理栄養士のレベッカ・ディトコフ「タンパク質には9つの必須アミノ酸がありますが、ピーナッツバターはすべての必須アミノ酸を含んではいないのです」アミノ酸はタンパク質の構成要素で、そのうちの9種類(ヒスチジン、イソロイシン、ロイシン、リジン、メチオニン、フェニルアラニン、トレオニン、トリプトファン、バリン)は食事から摂取する必要がある。『Meal Prep for Weight Loss 101』の著者でシアトル在住の管理栄養士、ジンジャー・ハルチン「ピーナッツバターは他のどのナッツよりもタンパク質の含有量が多いだけでなく、ビタミンやミネラル、抗酸化物質も豊富なんですよ」
2024.03.27
「二宮翁夜話」 日めくり 27日 「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する) 【127】翁をう曰いはく、富とみと貧ひんとは、元もと遠とほく隔へだつ物ものにあらず、只ただ少すこしの隔へだてなり、其その本源ほんげん只ただ一つの心得こころえにあり、貧者ひんしやは昨日きのふの為ために今日けふ勤つとめ、昨年さくねんの為ために今年ことし勤つとむ、故ゆゑに終身しゆうしん苦くるしんで其その功こうなし、富者ふしやは明日あすの為ために今日けふ勤つとめ、来年らいねんの為ために今年ことし勤つとめ、安楽あんらく自在じざいにして、成なす事こと成就じやうじゆせずと云いふ事ことなし、然しかるを世よの人ひと、今日けふ飲のむ酒さけ無なき時ときは、借かりて飲のみ、今日けふ食くふ米こめなき時ときは、又また借かりて食くふ、是これ貧窮ひんきゆうすべき元因げんいんなり、今日けふ薪たきぎを取とりて、明朝みやうてう飯めしを炊たき、今夜こんや繩なはを索なふて、明日みやうじつ籬まがきを結むすばゞ、安心あんしんにして、差支さしつかへなし、然しかるを貧者ひんしやの仕方しかたは、明日みやうじつ取とる薪たきぎにて、今夕こんゆふの飯めしを炊たかんとし、明夜みやうや索なふ繩なはを以もつて、今日けふ籬まがきを結むすばんとするが如ごとし、故ゆゑに苦くるしんで功こう成ならず、故ゆゑに予よ常つねに曰いはく、貧者ひんしや草くさを刈からんとする時とき、鎌かまなし、之これを隣となりに借かりて、草くさを刈かる常つねの事ことなり、是これ貧窮ひんきゆうを免るゝ事こと能あたはざるの元因げんいんなり、鎌かまなくば先まづ日雇取ひようとりを為なすべし、此この賃銭ちんせんを以もつて、鎌かまを買かひ求もとめ、然しかる後のちに草くさを刈かるべし、此この道みちは則すなはち開闢かいびやく元始げんしの大道だいだうに基もとづく物ものなるが故ゆゑに、卑怯ひきよう卑劣ひれつの心こころなし、是これ神代しんだいの古いにしへ、豊芦原とよあしはらに天下あまくだりし時ときの、神かみの御心みこころなり、故ゆゑに此この心こころある者ものは、富貴ふうきを得え、此この心こころなき者ものは、富貴ふうきを得うる事こと能あたはず。【127】尊徳先生はおっしゃった。「富と貧とは、元は遠く隔たっているものではない。ただ少しの隔てがあるだけである。その本源はただ一つの心得にある。貧者は昨日のために今日勤め、昨年のために今年勤める。だから終身苦しんで、功がないのだ。富者は明日のために今日勤め、来年のために今年勤める。安楽自在であって、行う事で成就しないという事がない。そうであるのに世の人は、今日飲む酒が無い時は、借りて飲み、今日食う米がない時は、また借りて食う。これが貧窮する原因である。今日薪を取って、明朝飯を炊いて、今夜繩をなって、明日垣根を結ぶならば、安心、さしつかえることがない。それを貧者のやり方は、明日取る予定の薪で、今夕の飯をたき、明夜なう繩で、今日垣根を結ぼうとするようなものだから苦しんで功がないのだ。それゆえに私は常に言っている。貧者が草を刈ろうとする時に鎌がないとする。これを隣りから借りて、草を刈るのが常の事である。これが貧窮を免れる事ができない原因である。鎌がなければまず日雇いで賃金を取るがよい。この賃金で鎌を買い求めて、その後に草を刈るがよい。この道はすなわち開闢元始の大道に基づくものだから、卑怯・卑劣の心がない。これが神代の昔、豊芦原に天降った時の、神の御心である。だからこの心がある者は、富貴を得、この心が無い者は、富貴を得る事ができないのだ。」 □二宮先生語録【52】衰邑の貧民、終日懶惰(らんだ)、負債もって酒食に給し、毎に意のごとくならざるをもって憂いとなす。もし僥倖を得ればすなわち喜び、にわかに窮困に迫ればすなわち戚(うれ)い、常に成りがたきを求む。なお明日索(なわ)を綯(な)い今日これを用いと欲するごときなり。ゆえに終身その求むところを得るあたわず。ついに窮困流離に至る。しかしてその民を治むる者村長なり。村長もまた分度を守り余財を推し貧民をめぐむの道を知らず。富貴にこれ耽り、奢侈にこれ誇り、負債日に生じ、家道月に窮し、ついに家を滅し、身を亡ぶに至る。貧民ともって異なる無し。哀れまざるべけんや。もしそれ村長分度を守り、節倹を務め、余財を推し、貧民をめぐまば、すなわち貧民その余沢に沐し、惰を改め善に遷(うつ)り、村長を親しむ、なお父母のごとく、孝弟・義信の俗もって起こるべし。すなわち一村治むるに足らず。一国も治むべきなり。 (訳) 衰えた村の貧民は、終日ぶらぶらとなまけて、金を借りては酒食に費やし、いつも思うようにならぬと言っては愚痴をこぼし、たまたまこぼれ幸いを得れば喜び、にわかに困窮に迫れば悲しみ、いつもできないようなことばかりを望んでいる。ちょうど明日なわをなって今日使おうとするようなものだ。だから一生その望みがかなわず、ついに困窮流離するようになる。そういう村民を治める者は名主だが、その名主は名主で、分度を守って余財を譲り、貧民をめぐむという道を知らず、富貴にふけり、ぜいたくを誇っているうちに、借金は日々に生じ、家政は月々に窮し、ついに家も身も滅ぼすようになる。貧民と全く異なるところがない。実に哀れむべきではないか。もしも名主が分度を守って、節倹につとめ、余財を推して、貧民をめぐむならば、貧民もその余沢に浴して、怠惰を改めて善に遷(うつ)り、名主を父母のように親しみ、孝弟信義の美俗が起るようになる。こうなれば一村など治めるまでもなく、一国さえ治められるのだ。□二宮先生語録【55】家を興さんと欲する者よろしく家具什器を購蔵すべからず。必用の時に臨み、隣人に借る可なり。もし耕さんと欲して鍬無きもまたよろしくこれを借るべし。隣人もまた耕すといわば、すなわち励精これを助耕し、速やかにその畝をおえ、しかる後我が圃(はたけ)を耕す。夜に及ぶもまた可。これすなわち家を興すの道なり。しかりといえども終始これを借るをもって、是となすも、また貧を免るるあたわざるゆえんあり。そのこれを借るより、雇いとなり、銭を得てもって鍬を買うにしくはなし。これ一日の雇いをもってその鍬我がものとなる。およそ貧を免れ富をいたすの術、この理を拡充するに在るのみ。 (訳)家を貧乏から興そうとする者は、家屋や道具類を買いこまないほうがよい。どうしても必要という時になって、隣りから借りればよいのだ。もし耕そうとして鍬がないときも、借りたらよい。隣の人も耕すので使うと言ったら、精出してその手伝いをし、早くその畑を仕上げてから、自分の畑を耕すのだ。夜になっても構いはしない。これが家を興す道である。けれども、始終借りさえすればよいと思っているのも、貧乏から抜けられない理由である。一々借りているよりは、日雇いかせぎをして、銭をもらって鍬を買う方がよい。一日雇われればその鍬が自分のものになるのだ。およそ貧乏を免れて富をいたす方法は、この道理を推しひろげるだけのことである。■報徳秘稿【51】小人と君子と、貧と富と、元遠隔有るに非ず。只一日の違也。小人は昨日の為に今日勤め、昨年の為に今年勤む。故に終身苦しんでその功なし。君子は来日の為に今日勤め、来年の為に今年勤む。故に為す処願ふ処として、成就せざるなし。今日采(と)る薪にて明日飯を炊き、今夜縄を索て明朝の用に備ふものは、安楽にして自在也。明日取薪にて今日飯を炊き、明朝索縄を以て夜遣ふものは、勤苦して其の功なし。只一日の違なり。遠隔あるにあらざる也。■報徳秘録【27】凡人と憂とする者は、其の分を知らずして、得難きを得んとするが故なり。或は坐がらにして財宝を得んと欲し、或は無にして立身を欲し、行ひ不善にして人の称誉を欲し、或は不信不実にして人の信ぜんを欲す。此の如くの類、皆尽く得ざる所なり。而して是を憂ひとす。何れの時が憂止ことあらんや。夫れ自ら省いて是の迷ひを去るべし。身を勤苦せずば富至らざるものなり。植えざる者は生ぜざる者なり。善為さざるは其の報ひ至らざる者なり。不信不実なれば人の悪みを受ける者なり。買わざる者は無き者なり。水を汲まざる者は水なきものなり。屋の破れ補わざれば雨漏ある者なり。庭を払わざる上は塵芥除かざる者なり。万事是の如く不易の者なれば、人其の不易を知て心に治定すれば、何物か憂患とせん。今日事々物々の理易ふべからざるを知りて、治定すべきものなり。
2024.03.27
「現代語訳 安居院義道」の寄贈にあたって今回事前に寄贈の諾否を照会した。静岡県内の大学図書館への本の寄贈は森町のMさんにお願いした。124大学図書館に照会を行って、承諾があったのは静岡県を除いて37図書館であった。横浜国立大学附属図書館から承諾の葉書をいただいていて、寄贈のお礼のメールをいただいた。二宮尊徳の会 様お世話になっております。横浜国立大学附属図書館です。本日ご恵贈いただいた図書を無事拝受いたしました。この度は貴重な資料をご寄贈いただきまして誠にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2024.03.26
「二宮翁夜話」 日めくり 26日 「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する) 【126】翁をう某それの駅えきの旅舎はたごやに宿泊しゆくはくせらる、床とこに「人ひと常つねに菜根さいこんを咬かみ得えば則すなはち百事じ做なすべし」と書かける幅ふくあり、翁をう曰いはく、菜根さいこん何なにの功能かうのうありて、然しかるかと考かんがふるに、是これは麁食そしよくになれて、夫それを不足ふそくに思おもはざる時ときは、為なす事こと皆みな成就じやうじゆすと云いふ事ことなり。予よが歌うたに「飯めしと汁しる木綿もめん着物きもの」とよめるに同おなじ、能よき教訓けうくんなり、又また傍かたはらに「かくれ沼ぬまの藻もにすむ魚うをも天伝あまつたふ日ひの御影みかげにはもれじとぞ思おもふ」とかける短冊たんざくあり、翁をう曰いはく、此この歌うた面白おもしろし、夫それ米こめは地ちより生しやうずる様やうなれども、元もとは天てんより降ふるに同おなじ、太陽たいやう日々にちにち、天てんより照てらす処ところの温気うんきが、地ちに入いり、其その力ちからにて米穀べいこくは熟じゆくするなり、春分しゆんぶん耕たがやし初はじむる頃ころより、秋分しうぶん実法みのるまでを、尺杖しやくぢやうの如ごとく図づして見みよ、十日か照てれば十日か丈たけ、一月つき照てれば一月つき丈たけ、地ちに米穀べいこくとなるべき温気うんきが入いりて居をる故ゆゑ、仮令たとひ其その間あひだに雨天うてん冷気れいき等とうありといへども、夫それまで照てり込こんでで居ゐる丈だけは実法みのるなり、然しかれども人力じんりよくを尽つくさゞれば、実法みのり少すくなきは、耕たがやし鋤すき掻かきの功こう多おほければ、太陽たいやうの温気うんき地ちに入いる事こと多おほきが故ゆゑなり、地上ちじやう万物ばんぶつ一つとして、天日あまつひの御影みかげにもれたる物ものはなし、海底かいていの水草すゐさうすら雨天うてん冷気れいきの年としは繁茂はんもせずと云いへり、左さもあるべし、此この歌うた、歌人かじんの詠よめるには珍めづらし。 【126】尊徳先生はある宿場の旅屋に宿泊した。床の間に『人常に菜根を咬み得ば則ち百事做(な)すべし』と書いた掛け軸がかかっていた。先生はおっしゃった。「菜根が何の功能があって百事がなるというのかと考えてみるに、これは粗末な食事になれて、それを不足に思わなければ、行う事は皆成就するという事である。私の歌に『飯と汁木綿着物は身を助くその余はわれを責むるのみなり』と詠んだのと同じだ。よい教訓である。」またそのかたわらに『かくれ沼(ぬ)の藻にすむ魚も天伝(あまづた)う 日の御影(みかげ)にはもれじとぞ思う』と書いた短冊がかかっていた。先生はおっしゃった。「この歌は面白い。米は地から生ずるようだが、元は天から降るのと同じだ。太陽が日々、天から照らすところの暖かい気温が地に入って、その力にて米穀は熟するのである。春分に耕しはじめる頃から、秋分に実るまでを、尺杖(しゃくじょう)のように図に書いてみるがよい。10日照れば10日だけ、一月照れば一月だけ、地に米穀となるべき温気が入っているから、たとえその間に雨天や冷気等があったとしても、それまで照り込んでいるだけは実るのだ。しかし人力を尽さなければ、実りが少ない。なぜかといえば、耕して鋤ですきかく働きが多ければ多いほど、太陽の温気(うんき)が地に入ることが多いからである。地上の万物は一つとして、天つ日のみ影にもれた物はない。海底の水草ですらも雨天や冷気の年は繁茂しないという。そうであろう、この歌は、歌人が詠んだものには珍らしい。」
2024.03.26
「腸活のために毎日ヨーグルトを食べる」はやめたほうがいい…実は副腎に負担をかけている逆効果の食生活3/24(日) 『抗加齢専門医が教える 食事は「引き算」に変えなさい』(青春出版社)腸は体内にある臓器のように思われますが、実は口から入ってきた食べものを消化・吸収するための外界にある臓器。腸の粘膜が整っていることは、外界から体を守るためにとても重要。腸の状態を整えると免疫力がアップするのはそのため。副腎のケアには、まず食べものが最初に吸収される腸を整えることが基本。「副腎疲労外来」で行っている「腸を整える4つのR」 1 Remove(取り除く) 体から不要なものを取り除くこと。 副腎ケアでは「入れない」ことが重要。 まず、体にとって炎症を起こす火種となる食べものや、自分の体に合わない食べものをとらないことからスタート。 2 Replace(代替する、補充する) 腸の状態が悪い人は、腸で分泌される消化酵素が少ない傾向がある。 口からいくら食べものを入れても、腸でしっかり消化吸収できなければ意味がない。 「若いころのように油っこいものや肉が食べられなくなった」「少食になった」という声をよく聞きます。消化機能が衰えているから。 ところが、最近は朝食を手軽で日持ちがするパンと牛乳、コーヒーなどで済ましてしまう人が増えている。このような食事は消化酵素を含まないため、さらに消化機能が落ちてしまう。毎日の食事で「消化酵素」を補う必要がある。3 Reinoculate(植え付け) 腸内環境(腸内フローラ)を整えるために、ビフィズス菌や乳酸菌、オリゴ糖などを腸に植え付けること。 乳酸菌というと、ヨーグルトを真っ先に思い浮かべるかもしれませんが、副腎のためには乳製品はおすすめできません。 また、お腹には発酵食品がいいからと、みそやしょうゆ、キムチなどの発酵食品を積極的に食べている人がいます。 それで調子がよければいいのですが、お腹が張るなど、自分に合わない菌なら無理にとる必要はありません。 乳酸菌のとりすぎには注意。とくにご高齢の方でお腹の具合が悪いと、つい乳酸菌入りの整腸剤を常用してしまいがち。 しかし、たとえいい菌でも、増えすぎると体のなかで渋滞を起こす。 高齢者の方で腸内にフローラがあふれすぎると、逆流性食道炎を起こす場合があるので注意が必要。 4 Regenerate(更生させる、よみがえらせる) 腸をよみがえらせ、いい状態を継続していこうという考え方。 いらないものを入れず、消化吸収のいい状態を保つ。 小麦粉を使った食品に含まれるグルテン(小麦たんぱく質)がアレルギーや腸の炎症を引き起こす。 腸の炎症を引き起こすグルテンを「入れない」ことで、火種を減らし、副腎の負担を減らすことにつながる。 腸の機能が下がっているときに、グルテンをとると、消化吸収にさらに負担がかかり、副腎を働かせてしまう。 グルテンとは、小麦やライ麦などの穀物に含まれているたんぱく質。小麦粉に水を加えてこねるとモチモチしてきますが、このモチモチ成分がグルテンで、パンをふわふわとやわらかくする働きがある。 グルテンを含む食材には、パンをはじめ、小麦粉からつくられたパスタやうどん、ラーメンなどの麺類、ケーキやクッキー、ドーナツなどの菓子類、シリアル、カレーのルーなどたくさんある。 これら小麦を使った食品を食べないようにする「グルテンフリー」は、かつて世界ランク1位に上り詰めた男子プロテニスプレーヤーのジョコビッチ選手が実践した食事法として話題を集めた。 欧米を中心に健康に関心のある人たちから絶大な支持を受け、近年グルテンフリー食品は日本のスーパーでも手に入るようになりましたいつもの食事をグルテンフリーに変えただけで、副腎疲労の症状が改善する人も少なくありません。 それは、グルテンが腸にとっては炎症やアレルギーをもたらす“毒”だから。 グルテン過敏症の人は潜在的に多い。自覚症状がなく、消化に何も問題がなくても、集中力の低下、慢性疲労、下痢や便秘、肌荒れ、重いPMS(月経前症候群)や生理不順、不妊症、ぜんそくなど、人によってさまざまな症状が出る 腸の状態を整えるために、もうひとつ注意したい食品が「乳製品」。乳製品に含まれる「カゼイン」というたんぱく質も、腸や副腎にとって有害。アレルギーの原因になり、花粉症やめまい、アトピー性皮膚炎や下痢、便秘などを引き起こす危険性がある。 とくに日本人は、遺伝的に乳糖(ラクトース)を分解する能力が低い「乳糖不耐症」が多い。 牛乳を飲むと、お腹がゴロゴロして下痢を起こすというのが典型的な症状ですが、乳糖不耐症だからといって、必ずしも症状が表れるわけではありません。 自分がそうだとは気づかない人がほとんどなのです。 カゼインには、「カソモルフィン」といって、麻薬のような強い中毒作用があるため、食べ続けるともっと食べたくなる傾向があります。 しかも困ったことに、患者さんのなかでも毎日、中毒のように牛乳を飲みたがる人、ヨーグルトやチーズ好きほど体内に問題を抱えているケースが多いのです。 ためしに2週間やめてみると、体調がよくなったことに気づくのでわかります。 これは、小麦粉のグルテンも同じです。グルテンにもカゼイン同様に中毒性があるため、パンや麺類はやめられない、止まらないのです。実は日本人こそグルテンフリーとカゼインフリーは実践しやすいのです。 パン食ではなく、なるべく米食にする。乳製品は豆乳製品に代用する。便秘にいい乳酸菌はヨーグルトからではなく、みそや漬物などの植物性食品からとる。カルシウムは牛乳からではなく、小魚から……。 和食を食べていれば間違いありません。パンやパスタ、ピザが大好きな欧米人は大変苦労しています。 実際、最初はとまどっていた患者さんも、1カ月ほどたつと、お腹の調子がよくなり、胃も強くなるのか、肉が食べられなかった人でも食べられるようになります。 また、意外なところでは集中力がアップしたり、貧血が改善する方もいます。それだけ、グルテンとカゼインが目に見えない炎症を起こしていたのでしょう。 イメージ的には若い世代より中高年世代のほうが和食を好みそうですが、食生活を調べると、朝食をパンと牛乳、ヨーグルト、シリアルなどで済ませる高齢世帯が増えています。
2024.03.25
ロシア海軍揚陸艦「ヤマル」と「アゾフ」をウクライナ軍が巡航ミサイルで撃破か3月23日から24日の夜間(現地時間)、ロシア海軍黒海艦隊の根拠地セヴァストポリに対してウクライナ軍が大規模なミサイル攻撃を仕掛けました。空襲の最中にロシア側は10発以上を撃墜と主張、ウクライナ側はロプーチャ級大型揚陸艦「ヤマル(Ямал)」と「アゾフ(Азов)」の2隻への攻撃が成功したと主張、他に黒海艦隊の通信センターと幾つかのインフラ施設を攻撃したとしています。セヴァストポリへの着弾の様子。ロシア海軍は壊滅に追い込まれ、制海権をクリミア半島の制海権を完全に失いつつあるのかもしれない
2024.03.25
ダルビッシュ有の母・郁代「一緒に死のうか…」少年院まで行った次男の翔が大阪で130回以上炊き出しをするまで「変化した理由」3/24(日)ダルビッシュ有の母、郁代さん。次男の翔は、中学3年生で初逮捕され少年院へ。その後も気苦労が絶えなかったと言いますが、人との出会いで徐々に変化をしていったと語ります郁代さん:有が中学3年生のときに翔が中学1年生で、その頃から翔はだんだんと帰宅時間が遅くなっていきました。有は野球で忙しかったし、翔のことで一回一回、口を出すようなことはなかったと思います。ただ、あまりにも度を超えたときに「お前いい加減にしろよ」くらいは言ってたと思いますけど。他のお母さんにも聞くんですけど、男の兄弟ってある程度、縦社会があって、外からはすごく大人しそうなお兄ちゃんに見えても、下の子たちはお兄ちゃんに逆らえなかったって。うちにもそれはあったと思います。有は高校から全寮制の学校に進学したので中学卒業後に家を出ましたが、夏休みや年末には帰省していたんです。そのときに翔が家に帰ってこない日があると「すぐに帰ってこい!」と翔を呼び出して、翔を怒ってた、みたいなことは聞きました。ただ、普段は有も家に居ないし、翔もどんどん悪い友達と繋がるようになって、歯止めが効かなくなっていった感じはありましたね。翔は何度も問題を起こしていて。鑑別所か少年院か、どのタイミングかは忘れましたけど、「一緒に死のうか」って話はしました。翔がどう思ったかわからないけど、翔ひとりで逝かせんよって。覚悟を決めて一緒に死のうかって話は何度かしたことがあります。もうその前から何度も報道されてますね。「ダルビッシュ有の弟が何か問題起こした」って。ただ、たしかに野球賭博で捕まりましたが、逮捕よりもっと前から普通に仕事をして、普通に生活もしていたんです。少年院を出た後も多少のヤンチャはしていて、摘発された当時は仲間内だけで賭けをしていたようです。それが、どこかから警察に情報が流れて、よからぬ人と繋がっているんじゃないかということで逮捕されました。逮捕された日は、警察官が夜に家に来て。警察の車の後部座席に乗った翔がだんだん小さくなっていく姿は、まるで殺人犯が連行されていくような感じでした。翔はすごく怒っていましたが、私は「まぁ、いいやん」って。「大概いろんなことやってきてね、積み重ねもあるししゃーないやんって。もう自業自得なんだから、それも含めてこれからは周りに何か返せるくらい、しっかり頑張ろう」っていう話はしましたね。ただ、裁判の中で、すごく異例なケースみたいですが、裁判長が最後に「仲間内の賭け事に留まり、違法性は高くない」とはっきり言われました。やっぱりいろんなことを経験し、たくさんの人に会って、徐々に徐々に変化していったと思います。たとえば鑑別所に入った時はお世話をしてくれる人や警察の人、日常では近所の人たちもそうですが、それぞれの人と会話をするなかで、思うことがあったんでしょうね。自分が置かれている立場とか。「親は自分のことなんかいらんやろう」とか、口には出さなくても、親に対して思っていたことがそれなりにいっぱいあったと思うんです。けど、周囲の人から「お前は本当は親の愛情に満たされて育ってきた」といったことを結構、言われたみたいです。なかには、その人自身も過去に道を外して更生した人もいて、「お前を見たらわかる。俺も以前はそうやった」って感じのことを言われたりして。実は自分はすごく甘えていたけれど、本当は親が一番、俺のことを大事にしてくれていたんじゃないか、そんなことを言ってくれたことがありました。今まで自分がすごく歪んだ、ねじれた感覚でしか物事を見れていなかったことが、実は違ったんやみたいなことに気づき始めてから、徐々に変わっていったと思います。やっぱり本人がね、私たちが口酸っぱくこうした方がいいよって言っても、「わかりました。じゃあやるわ」っていうタイプの子でもないので。自分が失敗しながら学んでいく流れに今なってるのは、すごくいいことだなと思ってます。お兄ちゃんも弟も翔を頑張れってすごく思ってるので、家族みんなで応援していけたらいいなって思います。💛結局、人は自分自身で「そうか!」と気づきがないと変わらないよき出会いは 気づくきっかけになる 人生二度なし 今の人生でよき出会い 気づきがある仕合せ(幸せ)
2024.03.25
「二宮翁夜話」 日めくり 25日 「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する) 【125】翁をう曰いはく、衣いは寒さむさを凌しのぎ、食しよくは飢うゑを凌しのぐのみにてたれる物ものなり、其その外ほかは皆みな無用むようの事ことなり、官服くわんぷくは貴賤きせんを分わかつ目印めじるしにて、男女だんぢよの服ふくは只ただ粧よそほひのみ、婦女子ふじよしの紅白粉べにおしろいと何なんぞ異ことならむ、紅白粉べにおしろいなくとも婦人ふじんにてあれば、結婚けつこんに支つかへなし、飢うゑを凌しのぐ為ための食しよく、寒さむさを凌しのぐ為ための衣いは、智愚ちぐ賢不肖けんふせうを分わかたず、学者がくしやにても無学者むがくしやにても、悟さとりても迷まようて、離はなるゝ事ことは出来できぬ物ものなり、是これを備そなふる道みちこそ人道じんだうの大元おほもと、政道せいだうの本根ほんこんなり、予よが歌うたに「飯めしと汁しる木綿もめん着物きものぞ身みを助たすく其その余よは我われをせむるのみなり」と詠よめり、是これ我わが道みちの悟門ごもんなり、能々よくよく徹底てつていすべし、予よ若年じやくねんより食しよくは飢うゑを凌しのぎ、衣いは寒さむさを凌しのぎて足たれりとせり、只ただ此この覚悟かくご一にして今日こんにちに及およべり、我わが道みちを修行しゆぎやうし施行しかうせんと思おもふ者ものは、先まづ能よく此この理りを悟さとるべきなり。 【125】尊徳先生はおっしゃった。「衣服は寒さをしのぎ、食物は飢えをしのぐだけで足りるものである。その外は皆無用の事である。官服は貴賤を分つ目印であって、男女の服はただ装飾のためで、婦女子の紅おしろいとどうして異なろう。紅おしろいがなくとも婦人であれば、結婚にはさしつかえはない。飢えをしのぐための食物、寒さをしのぐための衣服は、智者と愚者、賢者と不肖者を分かたず、学者でも無学者でも、悟っても迷っても離れる事はできないものである。これを備える道こそが、人道の大元であり、政道の本根である。私の歌に『飯と汁木綿着物ぞ身を助く其の余は我をせむるのみなり』と詠んだ。これが私の道の悟りの門である。よくよく徹底するがよい。私は幼い頃より食は飢えをしのぎ、衣は寒をしのげば足りるとしてきた。ただこの覚悟一つで今日に及んだ。私の道を修行し、実行しようと思う者は、まずよくこの理を悟るべきである。」 ▽二宮翁道歌解【56】飯と汁木綿着物は身を助く其の余は我をせむるのみなり 歌の心は解するに及ばず。此の歌は解するには安く、行ふは至って難き歌なり。此の歌の覚悟極りたる人にあらざれば、大業を成就する事難し。一家を興すも、一村を興すも、一国を興すも其の分あり。此の覚悟に至って、十分極めざれば、我が方法の事務を取るは至って難き事なり。此の覚悟一つ極れば、才少なきも、学少なきも害なし。此の覚悟を極めて、大業を成就せしは、富田氏、斎藤氏なり。降りて安居院(あんごいん)氏、福山氏又近し。此の覚悟未熟の者は、半途にして廃せり。此の歌の事務者に必用なる事、夜話三の56にあり、必ず見るべし。此の境界に至って日夜楽しんで起臥し、楽しんで明し暮す。尤も難き処なり。勤めて其の味を知るべし。(訳)二宮翁道歌解【56】飯と汁木綿着物は身を助く その余は我をせむるのみなり 歌の心は解釈する必要はない。この歌は理解しやすいが、行うのは非常に難しい歌である。この歌の覚悟が極った人でなければ、大業を成就する事は難しい。一家を興すのも、一村を興すのも、一国を興すのもその分がある。この覚悟に至っては、十分に極めなければ、報徳の方法の事務を取ることは非常に難しい事である。 この覚悟一つ極れば、才能が少なくても、学問が少なくても害はない。このの覚悟を極めて、大業を成就したのは、富田氏、斎藤氏である。降って安居院氏、福山氏も又近い。この覚悟の未熟の者は、中途で廃してしまう。この歌の事務者に必用な事は、夜話三の56にある、必ず見なければならない。この境界に至って日夜楽しんで起き臥しし、楽しんで明け暮らす。もっとも難しいところである。努力してその味いを知るべきである。
2024.03.25
尊富士の快挙に祖父母が涙「きょうの相撲は最高だ」「本当に胸がいっぱい」 母は急遽大阪入りで現地で110年ぶり新入幕優勝を見届ける3/24(日) 尊富士の快挙に青森県が沸いた。千秋楽の取組を見ようと、生まれ育った五所川原市の市役所には特設のパブリックビューイング(PV)会場が設けられた。前日23日の取組で右足を負傷しながら、110年ぶりの新入幕優勝を決めた一番を見届けると、会場からは大きな歓声が上がった。尊富士の祖父・工藤弘美さん、祖母・洋子さんは優勝が決まった瞬間、うれし涙を流して孫の快挙に喜びを爆発させた。尊富士の祖父・工藤弘美さん「きょうの相撲は最高だ」「今日は無理だと思った。朝起きて「今日大丈夫か」と思ったら大阪の方から出るって話を聴いた。親方が無理しないといっていたけど本人が出たいといったみたいだ。」尊富士の祖母・工藤洋子さん「本当に胸がいっぱい。みなさんのおかげだ」PV会場が設置された22日から連日会場は満員に。遠い青森県から大阪で快進撃を続ける尊富士にエールを送ってきた。優勝に王手をかけた23日は親族や後援会関係者や市民が駆けつけるなかで、優勝を逃し、さらにけがにも見舞われた。前日の取組後、尊富士の母・石岡桃子さんは「私が行っても何もできるわけじゃないので、祈るしかない」と言葉を絞り出していたが、大一番に向けて千秋楽は急遽大阪入りして現地で息子の活躍を見守った。尊富士は千秋楽の取組で、平幕の豪ノ山を押し倒しで下して、110年ぶりの新入幕優勝を決めた。史上最速を更新する所要10場所での優勝でした。【青森県出身力士の優勝】1997年以来27年ぶり。尊富士で史上11人目。強行出場の尊富士 土俵入りに大歓声!右足首にサポーターだけ、しっかりとした足取り 千秋楽勝てば偉業V3/24(日) ◇大相撲春場所千秋楽(2024年3月24日 エディオンアリーナ大阪) 単独首位の新入幕・尊富士(24=伊勢ケ浜部屋)が千秋楽の土俵入りに登場。場内は大歓声に包まれた。千秋楽で尊富士は豪ノ山(25=武隈部屋)と、大の里は大関・豊昇龍(24=立浪部屋)と対戦する。尊富士は負傷した右足首にサポーターを装着も、しっかりとした足取りで土俵入り。割れんばかりの大歓声にも表情を崩さず、鋭い眼光で前を見据えた。 尊富士は24日午後2時17分、エディオンアリーナ大阪に到着した。14日目の朝乃山戦で右足首を負傷。この日はゆっくりとした足どりで、右足を少し引きずっているようにも見えた。1差で追う大の里(24=二所ノ関部屋)は午後1時25分に会場入りしており、尊富士は通常よりかなり遅めの到着だった。 師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)はこの日、「出る方向で調整している」と明かしていた。 尊富士は14日目の朝乃山戦で右足首を負傷。花道を自力で歩けず車椅子で医務室に直行し、ギプスで固定した状態で救急搬送されていた。師匠によると、ケガの箇所は「足首とか甲とかいろいろ」だという。 この日は豪ノ山と対戦する。勝てば、初土俵から所要10場所目での史上最速、新入幕では1914年夏場所の両国以来110年ぶりの優勝という歴史的偉業を果たす。敗れた場合、1差で追う大の里も敗れれば尊富士の優勝。大の里が大関・豊昇龍に勝てば、尊富士と大の里による優勝決定戦へともつれ込む。 どちらが優勝しても史上最速優勝、そして史上初の大銀杏が結えない力士の優勝となる。歴史に残る“大荒れ”の春場所。尊富士のケガがこれ以上悪くならないことを切に願う。
2024.03.24
「アドラーの本は難しい」と思われる意外な背景 自らの経験から考えた「劣等感」との向き合い方3/24(日) アドラーのよく知られた功績の1つに、「劣等感」があります。「劣等感のアドラー」という言われ方をすることもあります。 この劣等感とは、「私は兄より背が低くて嫌だ」とか「体が弱いのがつらい」などのように、誰かと比べて、主観的に「自分は劣っている」と感じることです。 一方で「劣等性」は、客観的な属性で、「背が低い」「喘息を患っている」という欠点や欠損があるだけです。その「劣等性」を人と比べて、主観的に「自分は劣っている」と感じると「劣等感」になります。 しかしながら、この「劣等感」をアドラーは「悪くない」と言いきります。大事なのは、「劣等感をどう生かすか」だからです。 「劣等感があるからこそ、成長できる。糧にして努力できる」と考えたのです。まさにアドラー自身が、自分の体の弱さからくる劣等感がありながらも、それを糧にして医師になっています。💛劣等感はどうすれば克服できる?あなたが感じている劣等感情を「バネにして生かし」「誰かのためになることにつなげる」意識をすれば、その劣等感は有意義で、やがて「これがあったから成長できた」という喜びになる。
2024.03.24
【整体プロが指南】認知症になりやすい人の「体の特徴」3/24(日) ――自力整体の指導者・鍼灸師・整体治療家の視点から、「認知症を発症しやすい人の体の特徴」はありますか?矢上裕(以下「矢上」):特徴はいくつかありますが、わかりやすいのは次の2つです。1 手首が硬い2 足首が硬い 40年ちかく、教室にいらしている生徒さんを見てきましたので、よくわかります。この2つは血流が悪いサイン。脳の血流も不足しがちです。一方、手首・足首が柔らかい方は、認知症になりにくいと感じています。 1 手首が硬い 手首が硬いということは、血流やリンパの流れも悪いということです。こぶしを日ごろから握りしめているかのように、体はいつも緊張してカチカチです。手首の硬さのわかりやすいチェック方法の1つは、手の指を反らす動きです。手首が硬い方がこれをおこなうと、ほとんど反らすことができません。 2 足首が硬い 足首が硬い人は、歩き方ですぐわかります。小股でちょこちょこ歩くようになった、ちょっとした段差でつまずきやすいなど。大通りの横断歩道を渡ろうとすると、途中で青信号が点滅するようになると、足首はかなり硬い状態です。 ご高齢になっても認知機能はほとんど衰えず、旅や趣味を楽しみながら、天寿をまっとうされた生徒さんたちは、手首・足首はしなやかでした。――手首や足首をほぐすと、なぜ認知症の予防・改善に約立つのでしょうか? 矢上:手首・足首は、「経絡」が集中している場所だからです。「経絡」とは、体中をめぐる川の流れのようなものだと考えるとわかりやすいでしょう。東洋医学では、約12本の経絡が流れていると考えます。 この経絡の流れが滞ると、よどんだ場所に邪気(病をおこす悪い気)が溜まり、そことつながる経絡上に不調が出ると考えます。ですから、経絡が集中する手首・足首が硬くなり、流れが悪くなると、痛みや不調、認知症の症状などが出やすくなるのです。 この邪気を押し流すには、経絡を刺激して、せき止められている流れを開放することです。これをおこなうのが自力整体です。 自力整体で手首・足首を柔らかくほぐす習慣が、認知症予防・改善にも役立ちます。――手首・足首が硬くならないためにも、何からはじめたらよいでしょうか? 矢上:ワークは後半で紹介しますが、まずは次の2つの習慣が大切です。1 じっと座っていないで体を動かし、よく歩く2 手首・足首をやわらかくほぐしておく まずは、じっと座っていないで、立ち上がってください。そして、体を動かしましょう。よく歩きましょう。手首・足首が硬くなる原因は加齢もありますが、運動不足や家の中でじっとしていることで、関節や筋肉が硬くなるケースがほとんどです。 そして、自力整体のような経絡を刺激する動きで、手首・足首をほぐしましょう。この毎日の習慣が、認知症予防・改善につながりますよ。 ――おすすめの自力整体のワークをご紹介ください。 矢上:認知症の予防や、初期症状のある方におすすめなのは、いっきに血流を促す「手首の刺激」のワークです(ワークは最後に紹介)。詰まりやすい手首を刺激してほぐします。他にも目、肩コリ、目の疲れも解消します。【手軽にできるのは、「30秒呼吸法」です。「10秒息を吸って、10秒息を止めて、10秒かけて息を吐く」。これを2セットおこなえば、血流は良くなり脳の活性化に役立ちます】
2024.03.24
薬に頼らず自分で血圧を下げるために…知っておきたい「正しい知識」加藤 雅俊病院で高血圧と診断された人の多くは、降圧剤を服用しています。高血圧で現在お悩みの方は、「血圧を下げるには、薬を飲むしかない」と思っていませんか? あるいはすでに薬で血圧を下げているものの「薬をやめたい、でも怖い」と迷っているかもしれません。実は多くの場合、血圧は簡単な体操で下がります。体操で血管が若返れば、血圧以外にもさまざまな面での効果も期待できます。そのほか、血圧を下げる生活習慣や、目からウロコの血圧の知識などをご紹介しましょう。いますぐにできることから始めて高血圧を解消し、これからも血圧の上がらない体を目指してみませんか。・世の中に広まっている血圧の知識は、実はあまり根拠のないものだったり、古いエビデンスに基づいていたりするものが多いということをご存じですか? 薬に頼らず、自力で血圧を下げるための正しい知識を身につけていきましょう。まずは診断についてです。日本高血圧学会の「高血圧治療ガイドライン」では、血圧の値のうち、上が130〜139 mmHg(以下単位省略)かつ(または)下が80〜89の場合、「高値血圧」とみなされます。つまり、高血圧予備軍ということです。それを超えると、数値ごとに「I度高血圧」「II度高血圧」「III度高血圧」「(孤立性)収縮期高血圧」と分類が変わっていきます。要は上が140、下が90を超えると、太っていようが痩せていようが背が高かろうが低かろうが、一括りに高血圧とみなされ、「下げないと危ないですよ」と薬を処方される。それが今の高血圧事情です。・かつての高血圧の設定値は今ほど低くはありませんでした。1960年代後半に日本の医学部で最も広く使われていた『内科診断学』という教科書には、「日本人の年齢別平均血圧」の算出法として、「最高血圧=年齢+90」という算式が載せられていたのです。つまり今60歳の人なら「60+90」という計算になり、最高血圧が150以下なら正常血圧とみなされていたということ。70歳なら160以下、80歳なら170以下で正常です。1999年にWHO(世界保健機関)とISH(国際高血圧学会)が「140/90以上は高血圧」と定義しました。すると日本高血圧学会もこれにならい、2000年に「140/90以上」を高血圧とし、目標数値を「130/85未満」にまで引き下げたのです。しかしこの時点ではまだ、70歳代の最高血圧の目標値は150〜160、80歳代では160〜170と、年齢によって幅をもたせていました。ところが2003年になると、日本高血圧学会はこの年齢別の数値も撤廃。何歳だろうが一律に、140/90以上で高血圧とし、降圧剤を処方することにしたのです。・日本人間ドック学会は、2014年に「新たな健診の基本検査の基準範囲」で、健康な男女グループの血圧上限値を、最高血圧で147、最低血圧で94としました。2014年に日本高血圧学会は、若年・中年層の降圧目標を130/85未満から140/90に引き上げています。また後期高齢者に関しても、降圧目標を150/90と引き上げました。それでもまだまだ厳しすぎる目標値です。さらに困ったことに、このように目標値が引き上げられた後も、多くの医者は相変わらずそれまでの数値を採用していて、140を超えたら「はい、高血圧です」と降圧剤を処方しているのです。ですからもし血圧が高くなってきたとしても、「医者が高血圧と言ったから」と素直に従って薬を飲むのではなく、運動を取り入れたり生活習慣の改善を図ったりして、まずは自分で血圧を下げる努力をしてほしいと思うのです。・年齢とともにジワジワと上がってきた高血圧を示す数値は、自然なものですから、過度に怖がる必要はありません。怖いのは、それがジワジワではなく急激に上がった数値の場合。脳の疾患や心臓の疾患など、どこかに大きな病気が潜んでいて、そのサインとして急激に上がっている可能性が高いからです。・高血圧の犯人としてまことしやかに言われているのが「コレステロール」です。中でも悪者扱いされているのが、悪玉コレステロールと呼ばれるLDL。血管の内壁に溜まってプラーク(血管内壁のコブのこと)をつくり、動脈硬化を促進していると言われています。そのため最近は、健康のためにもコレステロールを減らしましょうと声高に叫ばれています。でも、そんな悪者のコレステロールが、実際には自分の肝臓でつくられているって知っていましたか? わざわざ自分の体でつくっているわけですから、悪者どころか重要な物質だということです。コレステロールの働きをいくつかご紹介します。1)全身の細胞ひとつひとつの細胞膜の原料です。ですから、コレステロールがなければ細胞分裂はできず、新しい細胞がつくられなくなってしまいます。2)性ホルモンや副腎皮質ホルモンなど体のあらゆるホルモンの材料にもなっています。3)骨の成長には欠かせないビタミンDの原料にもなっています。コレステロールは、70〜80%が肝臓でつくられ、あとは外からコレステロールを含む食品を食べることで補っています。もし大量のコレステロールを含む食事をしても、肝臓がつくるのを控えて常に同じ量になるように調整してくれます。・薬によって血液の運搬量を減らしてしまえば、全身に充分な栄養が行き渡らなくなってしまいます。手先や足先といった末端部位は、ものすごく冷えるようになるでしょう。何より怖いのが、脳への栄養も減ってしまうこと。だんだんボーッとするようになるし、その状態が続けば、認知症を発症する可能性も高まります。また目にも栄養がいかなくなりますから、血圧の薬を飲んでいると、白内障や緑内障といった目の病気を発症することもあるのです。ですから、きちんと運動をして消費されていれば、心配する必要はないのです。大半の方は運動不足のせいで血管が硬くなり、血圧が上がっているだけです。そういった高血圧は、運動を行ってNOを増やせば正常値に戻るものであり、本来は薬を飲む必要などないのです。
2024.03.24
「現代語訳 安居院義道」を出版し、3月21日(木)にセンターに届いた。21日、22日で、クラウドファンディング等の支援者に郵送した。続々と届きましたのメッセージが返ってきている。大阪のW先生から「本日、書籍と関連資料など一式、確かに拝受しました。ありがとうございました。安居院義道のお名前、初めて知り、これから興味深く拝読します。さらりと拝見しましたところ、心身が引き締まる感じです。また含蓄の多い文言が並び、姿勢正しくして読むべきものと思います。ただ読むだけでなく、後世に伝える言葉や、現代人にとって教訓となる文言を選び、友人や知人への贈る言葉として紹介しようと思います。術後にもかかわらず、従前どおりのご活躍、敬意を表します。そして、無理のないご活躍を祈念しています。」掛川のI先生「こんにちは。本日はご労作、『安居院義道』素晴らしい現代語訳が今、届きました。さぞかし大変な日々だったと拝察いたします。一頁づづ大切に読ませて頂きます。また出版記念の貴重な絵葉書の数々有難うございました。(略)この度の書籍大事に読み込みます。有難うございました。」
2024.03.24
「二宮翁夜話」 日めくり 24日 「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する) 【124】翁をう曰いはく、鐘かねには鐘かねの音おとあり、鼓つづみには鼓つづみの音おとあり、笛ふえには笛ふえの音ねあり、音おと各々おのおの異ことなりといへども、其その音おとたるや一なり、只ただ其その物ものに触ふれて、響ひびきの異ことなるのみ、是これを別々べつべつの音おとに聞きくを、仏道ぶつだうにて、迷まよひといひ、是これを只ただ一音おんに聞きくを、悟さとりと云いふが如ごとし、されども、是これを悉ことごとく別音べつおんに聞ききて、其その内うちをも幾箇いくこにも分わかちて聞きかざれば、五音おん六律りつ分わかたざる故ゆゑ、調楽てうがくは出来できぬなり、水みづも朱しゆにすられて赤あかくなり、藍あゐに和わして青あおく成なるといへども、地ちに戻もどせば元もとの清水しみづと成なるに同おなじ、音おとは空くうにして打うてばひゞき、打うたざれば止やむ、音おとの空くうに消きゆるは、打うたれたる響ひびきの尽つきたるなり、されば神かみといひ儒じゆといひ仏ぶつと云いふも、本来ほんらいは一なり、一の水みづを酒屋さかやにては酒ざけといひ、酢屋すやにては酢すと云いふが如ごとき違ちがひのみ。 【124】尊徳先生はおっしゃった。「鐘には鐘の音があり、鼓(つづみ)には鼓の音があり、笛には笛の音がある。音はそれぞれ異っているが、その音は一つである。ただその物に触れて、響きが異なるだけである。これを別々の音に聞くのを、仏道では迷いといい、これをただ一音に聞くのを悟りというようなものだ。しかし、これをすべて別音に聞いて、そのうちをいくつにも分かって聞かなければ、五音六律が分けられないため、調楽はできない。水も、朱が溶ければ赤くなり、藍が混じれば青くなるが、地に戻せばもとの清水になるのと同じだ。音は空であって、打てば響き、打たなければ止む。音が空に消えるのは、打たれた響きが尽きたからである。そうであれば神といい、儒といい、仏というのも、本来は一つである。一つの水を酒屋にては酒といい、酢屋では酢というような違いがあるだけである。」 □二宮先生語録【321】音は空に満つ。故に物に触れば、則ち5声8音を生じて、止めば空に帰す。猶お井水を汲み、之に画料を投ずれば、則ち5色を為して、棄れば井水に帰するごとくなり。且つ夫れ音を聞き以て各調と為す。之を迷と謂う。其の帰するを空と見る。之を悟と謂う。然れども人之を見るあたわず。是他無し。肉眼有る故なり。猶ほ東江の花を見んと欲する者、重任を荷う為めに門戸を出るあたわず。以て花無しと為す。肉眼は猶お重任のごとく、故に音を見るあたわざるなり。寿も亦然り。人生れば則ち寿。人死すれば則ち空に帰す。猶ほ桶を造り水を容るがごとし。桶破れば則ち地に帰す。故に音と寿とは、開闢以来両間に満る者なり人世は、猶ほ百花の如し。開けば則ち散り、散るも亦開き、終古窮極無き也。(訳)音は空(くう)に満ちている。だから物が物に触れれば、5声8音というような色々の物音を生じ、触れるのが止めば空に帰する。ちょうど井戸水を汲んで、これに絵の具を投ずれば、5色をあらわすが、地に捨てればやがてもとの井戸水に帰るのと同じことだ。また、音を聞いて、それぞれ別の音調と思うのを迷いといい、すべての音が空に帰することを見るのを、悟りという。けれども人々はこれを見ることができない。それはほかでもない。肉眼があるからだ。ちょうど隅田川の桜を見ようと思う者が、重荷を負うたために門を出ることができず、花なんかあるものかと言うのと同様である。肉眼・肉耳はその重荷のようなものだ。だから真の音を見ることができないのである。寿命もこれと同じことだ。人が生れれば寿命があり、人が死ねば空に帰する。ちょうど桶を造って水を入れるようなもので、桶が破れれば水は大地に帰する。こういうわけで、音と寿命とは、開闢以来天地の間に満ちているものである。◎万物発言集草稿(二宮尊徳著) 【4】夫何の国何の郷に十家の邑あり、河海不便にして一ツの井を掘り用水と成す、或は東の方に紺屋あり、一ツの井を汲て藍を仕立、青き物一切を染出す事を司とるなり、又或は西の方に欝金屋あり、一ツの井の水を汲て欝金を仕立黄色なるもの一切を染出す事を司とるなり、又或は南の方に紅屋あり、一ツの井の水を汲て紅仕立赤き物一切を染出す事を司とるなり、又或は中程に筆道の師範あり、一ツの井の水を汲て墨を仕立、大字細字に限らず、其外黒き物一切を書出すなり、又或は北の方に晒屋あり、一ツの井の水を汲て諸色汚れたるを洗い落し一切のものを白く成すことを司さどるなり、又其東西南北の傍に五味の造家あり、一軒は酒屋にて一ツの井の水を汲て酒を造りだすなり、一軒は酢屋にて一ツの井の水を汲で酢を造りだすなり、一軒は味噌屋にて一ツの井の水を汲で味噌を造り出し、一切の食物に味う事を司どるなり、一軒は醤油屋にて一ツの井の水を汲で醤油を作り出し、一切の食物に味う事を司どるなり、一軒は砂糖屋にて、一ツの井の水を汲で砂糖を仕立、一切の食物に甘き味付けることを司どるなり、右十家の前後左右を取巻、一ツの悪水路あり、或は洗い流し、食残し、又は両便とも流れ落、外に行べき流もなし、残らず悪水落しの内にて消、大地にしみ畢ぬ、翌朝は一つの井に帰り清水と成りて十家を養うなり、これ辺鄙、片田舎、不便の十家のみならず、右十家の理を以て案る時は、天朝は言うに及ばずあらゆる国々もまたまた是の如きなりと知るべし。(訳)万物発言集草稿(二宮尊徳著) 【4】何の国何の里に十軒の村があるとする。川も海も不便で一つの井戸を掘って用水とする。東の方に紺屋があって、一つの井戸の水を汲んで藍を仕立て、青い物一切を染め出す事を仕事とする。また西の方に欝金屋があり、一つの井戸の水を汲んで欝金を仕立て黄色のもの一切を染め出す仕事とする。また南の方に紅屋があり、一つの井戸の水を汲んで紅を仕立て赤いもの一切を染め出す事を仕事とする。また中央に筆道の先生があって、一つの井戸の水を汲んで墨を仕立て、大字細字に限らず、その外黒い物一切を書き出す。また北の方に晒し屋があり、一つの井戸の水を汲んで諸色の汚れたものを洗い落して一切のものを白くすることを仕事とする。またその東西南北の傍らに五味を造る家があり、一軒は酒屋で仕事とする。一つの井戸の水を汲んで酒を造りだす。一軒は酢屋で一つの井戸の水を汲んで酢を造りだす。一軒は味噌屋で一つの井戸の水を汲んで味噌を造り出して、一切の食物に味う事を仕事とする。一軒は醤油屋で一つの井戸の水を汲んで醤油を作り出し、一切の食物に味う事を仕事とする。一軒は砂糖屋で一つの井戸の水を汲んで砂糖を仕立て、一切の食物に甘い味付けることを仕事とする。右十家の前後左右を取巻き、一つの排水路があり、あるいは洗い流し、食べ残し、または両方とも流れ落ち、外に行くべき流れもなく、残らず排水を落して消え、大地にしみて終わる。翌朝は一つの井戸に帰って清水となって十家を養う。これは辺鄙、片田舎、不便の十家だけでなく、右十家の理を以て考える時は、天朝は言うに及ばず、あらゆる国々もまたまたこのようであると知るべきである。
2024.03.24
坂本花織が日本勢初の3連覇達成!SP4位から大逆転 重圧乗り越え圧巻演技、会場はスタオベ【フィギュア世界選手権】3/23(土) ■フィギュアスケート世界選手権(日本時間23日、カナダ・モントリオール)女子フリーが行われ、坂本花織(23、シスメックス)がフリー149.67点の合計222.96点をマークし、ショート4位から逆転で「世界選手権3連覇」の快挙を達成した。女子では1966年~68年のペギー・フレミング(アメリカ)以来、大会史上56年ぶりで8人目、日本勢では男女を通じて初の偉業となった。最終グループ3番目で演技した坂本。冒頭は安定感のあるダブルアクセル(2回転半)を決めると、3回転のルッツ、サルコウを余裕を持って着氷。GOE(出来栄え点)はルッツでわずかな減点があったが加点を積み重ね、3回転フリップからのコンビネーションも決めた。後半は連続ジャンプを2本立て続けに成功。終盤は情熱的な曲調に合わせ、最後の3回転ループも着氷するとジャンプは全て降りて会場は大歓声に包まれた。フリーの得点は昨年10月のスケートカナダでマークした今季世界最高の151.00点には届かなかったが、149.67点の高得点。ショートを終え首位のルナ・ヘンドリックス(24・ベルギー)と3.69点差で出遅れたが、終わってみれば合計で2位のイザボー・レビト(17・アメリカ)と10点近い差をつけ逆転優勝を果たした。演技後、坂本は会心の演技に感極まって天井を見上げ、リンクサイドでは中野コーチが両手でガッツポーズ。会場のファンはほぼノーミスで滑り切った坂本をスタンディングオベーションで称えた。昨年12月の全日本フィギュアを制した後、「世界選手権3連覇は今シーズンずっと言ってきた目標なので、どうしても達成したい目標」と改めて世界フィギュアに向けて意気込んでいた坂本は重圧を跳ね除け、逆転で宣言通り目標を見事達成した。3連覇を達成した坂本は会場のインタビューで「(21日の)ショートは4位で少し焦ったんですけど、今日はひとつひとつ集中できた。結果はうれしい」と笑顔をみせた。さらに直後の取材では「つかれました(笑)」と率直な気持ちを明かし、重圧の中てのフリーについて「今日の緊張感の方がやりやすく、“これぞ試合”という緊張感で、すごく良い状態で挑めた。最初アクセルをちゃんと跳べればいけるかなと思って、アクセル降りていつもの流れだったので、これはいけるなという感じになりました」と振り返った。優勝後の会見の主な一問一答 ――メダルを手にして 「一昨日のSPで、4位で。本当に焦りや緊張とかいろいろあったけど、それでも今日は良い緊張感の中で一つ一つ集中してできた。それが結果につながって、すごくうれしいです」 ――普段は最終滑走が多いが、このフリーの滑走順はどうだった? 「個人的に、早く終わる方が好きで。なので、今日の滑走順は、6分間練習からそこまで空かずに自分の演技ができたので。6分間練習の良いイメージが演技でもできた感じがして。いつも最終滑走で、その前に5人がやっている間は試合前の独特な緊張感があるけど。今日は久しぶりにグリーンルームに座っていて、また違う、本当に後に滑る選手が良い演技をしたら自分はどの位置に行ってしまうんだろうという不安とか、まだ緊張が解けない感じがあった。最終でも先でも、緊張は変わらないと思いました」 ――感情がこみ上げていたような最後の表情だった 「3―3のコンビネーションが終わってから会場がわいて、わいているところに自分の気持ちが乗ってしまうと高ぶりすぎて空回りして、失敗してしまう。自分の気持ちを抑えようという一心でやっていたので、途中は(表情が)険しかったと思うけど、最後、スピンまでやって“よっしゃー”という気持ちになりました」 ――3連覇、それぞれのストーリーがあると思う。振り返ると? 「初めて優勝できた時は五輪シーズンで、そのときの世界選手権は1カ月前に五輪があって(五輪で)かなり燃え尽きて。五輪が終わって1カ月後に世界選手権で、しんどい部分がたくさんあった。でも、いろいろその間に状況が変わって、勝たないといけないという。自分が勝たないと、という気持ちになって、なおナーバスになっていって…。でも、最後の最後まで世界選手権はやり切った気持ちがあったので。初めて優勝できた時が一番うれしかった。 2回目は、五輪シーズンが終わった後で、それこそまた燃え尽きて。GPファイナルまでは本調子じゃなくて、けど、やっぱり世界選手権で連覇したい気持ちもあった。その葛藤を乗り越えての優勝だった。去年は本当に苦しい、自分が一番やりたくなかったミスをしての優勝だったので。悔しさの残る優勝だったなと思います。 今年…今日ですね。今日は、今シーズンずっと調子が良かったので、SP4位になった時に、好調を維持し続ける難しさを感じて。必ずしもSP1位、フリー1位の総合1位になれるわけじゃないなとこの場で経験できた。常に勝ち続ける難しさを感じた優勝だったなと思います」 ――この偉業はペギー・フレミング以来。伝説のスケーターと同じように語られるのは? 「すごくうれしいです。でも…、んー、うれしいです(笑い)」 ――先ほど中野コーチが“ロシア勢が帰ってきても勝てるように”と話していた。ロシア勢に対する意識は? 「もちろん帰ってきてからも勝ち続けたいとは思っているので。今のままじゃダメだというのは分かっているし、今、できることを精いっぱいやって、もっともっと自分自身のレベルを上げていけたらなと思っています」
2024.03.23
国立国会図書館に「現代語訳 安居院義道」を納本する国立国会図書館「納本のお願い」日本国内で頒布を目的として発行された出版物は、原則として、すべて納本の対象となります。国立国会図書館に納本いただくと、その書誌データが「全国書誌」として国立国会図書館サーチで検索できるようになります。また、図書館資料として広く利用されるとともに、国民共有の文化的資産として永く保存され、日本国民の知的活動の記録として後世に継承されます。納本制度の趣旨をご理解いただき、関係者のみなさまのご協力をお願いいたします令和6年3月吉日 国立国会図書館 収集書誌部 国内資料課 様 春暖の候、ご清祥にお過ごしのことと存じます。「二宮尊徳の会」です。 「現代語訳 鷲山恭平著『報徳開拓者 安居院義道』」を出版したので納本致します。本書は、鷲山恭平著『報徳開拓者 安居院義道』を現代語訳するとともに、また新たに発掘した史料を収録し、コラム欄で安居院庄七に関連する研究・話題を取り上げました。原本の鷲山恭平著『報徳開拓者 安居院義道』は、大日本報徳社の鷲山恭平氏が82歳の時、昭和28年12月25日に発行した安居院義道(庄七)に関する伝記です。今から70年前の著作物で、安居院庄七研究にとって非常に大切な名著ですが、旧漢字、旧仮名遣いで、文体も現代人には読むのが難しくなっています。曽孫にあたる大日本報徳社鷲山社長から「読みやすくしてください」とご依頼があり、共同編集者と共に『現代語 安居院義道』を発行しました。出版した本は安居院義道の功績を世に広めるため大学図書館、公共図書館及び秦野市、遠州町市の小中学校に教育委員会を通じて寄贈します。 昨年9月に鷲山社長や共同編集者と共に秦野視察を実施しました。その過程で「相州北秦大住郡横曽根村仮趣法」などの安居院庄七の報徳仕法に関する新たな資料を発見し、本書に原文と現代語訳を収録することができました。また「資料編」において安居院庄七の農書(「万作徳用鏡」等)についても、原文と現代語訳を収録致しました。 『現代語 安居院義道』編集に当って、東京大学戸石先生の「安居院庄七の報徳運動と参詣講」https://www.jkri.or.jp/PDF/2020/sogo_80toishi.pdfの論文に啓発されるところが大きく、本書は安居院庄七の前半生の大山御師・庄七に着目するものとなっています。戸石先生には書評を頂戴し、あとがきに収録させていただきました。 裏表紙「若き大山御師・庄七の像」という森町・O氏のイラストは本書で注目する庄七の前半生を象徴するものです。松田町在住のK氏に寄せて頂いた巻末の貴重な史料「相州御領分絵図」の上に、若き大山御師・庄七が相模国足柄上郡・足柄下郡の大山講を廻るの途上で「二宮先生の高名」を知る姿を想像してもらえればと存じます。 50歳を過ぎて報徳を学び、自家の穀物商で元値売りを実践し、近隣の横曽根村に報徳仕法を指導し「ためし試みてその印あらわさんより、二人に教え、二人より一村に教え、一村より郡国へ伝え、諸国用うとなれば、国益の第一と知るべし」(万作徳用鏡)との志を抱いて、遠州において報徳社を数多く創設し、報徳の普及に「骨の髄まで尽した」安居院先生の生涯は現代の超高齢化社会においても、「よきお手本」となるものと考えます。 国立国会図書館に収蔵していただき、遠州一円に報徳の教義を伝え、報徳社を続々と設立させた安居院庄七の偉大な功績を長くそして広く知って頂ければと存じます。二宮尊徳の会
2024.03.23
100年ぶりに再発見!所在不明だった西郷隆盛の「直筆の書簡」滋賀で見つかる 専門委員も驚き「まさか今、実物が出てくるとは」西郷の“写真嫌い“象徴する一文も3/22(金) 滋賀県によりますと、見つかった「西郷隆盛自筆書簡」は全長4メートル75センチにもなる、西郷の手紙の中では最長級のもの。明治5年(1872)に、岩倉具視や大久保利通らの政府高官が欧米に大規模な外遊を行った際、「留守政府」の首班として日本の政治を守っていた西郷からアメリカに滞在していた大久保へ出されたもので、西郷が日本国内の状況や島津家の内情などについて詳しく書いています。また、「追伸」にあたる部分には、大久保から受け取ったポートレートについて「醜体」とからかうなど、「写真嫌い」で有名な西郷を象徴する一文も記述されています。また、この書簡が本物だとする西郷の弟が記した鑑定書も初めて見つかりました。昭和2年(1927)に刊行された「大西郷全集」第2巻に写真図版付きで初めて紹介され、豊富な情報を伝える「一級史料」として知られていましたが、その後、原本の所在が分からなくなっていました。しかし去年9月、大津市の男性が滋賀県に寄託した文化財5件の中に含まれていたことが分かり、鑑定の結果、原本だと特定したということです。滋賀県立琵琶湖文化館の井上優副館長は、「まさか直筆のものを手に入れるとは思っていなかったので驚いた」「フォーマルな内容と追伸のくだけた内容が混じっていて、特に写真に対する西郷のスタンスが分かるのが面白い。(大久保との)仲の良さを前提としたくだけた手紙の部分もある」とコメントしています。専門委員「まさか今、実物が出てくるとは」また、公益財団法人西郷南洲顕彰会の専門委員は「まごうことなき、南洲隆盛の自筆書簡。筋が通り、均一の行間で書かれるなど筆跡の特徴が如実にあらわれている。内容は周知のものだが、まさか今に実物が出てくるとは驚いた」と評価しています。書簡は、今年5月に滋賀県公文書館などで展示される予定です。
2024.03.23
日光市のK先生にお電話した。K先生には「現代語訳 安居院義道」の校正でお世話になり、本の後書きに編集協力者として載せさせていただいた。「先生 本ができましたので、出版記念絵葉書と一緒に謹呈いたします。つきましては 日光市立図書館に先生から直接寄贈していただけますか?」とお願いした。「安居院庄七は静岡県では著名ですが、日光や相馬といった尊徳先生ゆかりの地ではほとんど知られていません。なぜ静岡県で報徳運動が盛んになったのか?また報徳社が遠州各地に次々に成立したのかは、安居院庄七、福山滝助の報徳活動を知る必要があります。 今回の本は安居院庄七の若き大山御師(おし)の時代に焦点をあてるものとなっています。大山講を組織し毎年回村してお世話をする、その組織の創設と存続の手法を遠州各地の報徳社の設立・存続に応用したのだとする東京大学戸石先生の論文を紹介しするものでもあります。 これまで不明だった なぜ遠州で報徳社運動が盛んになったのかの疑問に答えるものになっています」「日光の報徳二宮神社の宝物庫の鈴木藤三郎の報徳全書を見て ぜひこの人を顕彰したいというところから始まったんだったねえ」「そうです、今回の本の発行者は 二宮尊徳の会・鈴木藤三郎顕彰会 で「現代語訳 安居院義道」は、「鈴木藤三郎顕彰シリーズ」第2集の資料編にあたる「報徳の師父」シリーズ第3集と表紙に銘打っているところです。令和6年3月吉日 日光市立 今市図書館 様 春暖の候、ご清祥にお過ごしのことと存じます。「二宮尊徳の会」です。 「現代語訳 鷲山恭平著『報徳開拓者 安居院義道』」を出版致しましたので、謹んで寄贈させて頂きます。 鷲山恭平著『報徳開拓者 安居院義道』は、大日本報徳社の鷲山恭平氏が82歳の時、昭和28年12月25日に発行した安居院義道(庄七)に関する伝記です。今から70年前の著作物で、安居院庄七研究にとって非常に大切な名著ですが、旧漢字、旧仮名遣いで、文体も現代人には読むのが難しくなっています。 曽孫にあたる大日本報徳社社長から「読みやすくしてください」とお話しがあり、『現代語 安居院義道』を発行致しました。 昨年9月にはW先生や共同編集者・M氏と共に、秦野市農業協同組合M組合長の案内で秦野視察を実施しました。その過程で「相州北秦大住郡横曽根村仮趣法」などの安居院庄七の報徳仕法に関する新たな資料を発見し、本書に原文と現代語訳を収録することができました。また「資料編」において安居院庄七の農書(「万作徳用鏡」など)についても、原文と現代語訳を収録致しました。 『現代語 安居院義道』編集に当って、東京大学戸石先生の「安居院庄七の報徳運動と参詣講」https://www.jkri.or.jp/PDF/2020/sogo_80toishi.pdfの論文に啓発されるところが大きく、本書は安居院庄七の前半生の大山御師・庄七に着目するものとなっています。戸石先生には書評を頂戴し、あとがきに収録させていただきました。 裏表紙「若き大山御師・庄七の像」という森町・O氏のイラストは安居院庄七の前半生を象徴するもので、松田町・K氏に寄せて頂いた巻末の「相州御領分絵図」の上に、若き大山御師・庄七が相模国足柄上郡・足柄下郡の大山講を廻る途上で「二宮先生の高名」を知る姿をご想像頂ければと存じます。50歳を過ぎて報徳を学び、自家の穀物商で元値売りを実践し、近隣の横曽根村において報徳仕法を指導し「ためし試みてその印あらわさんより、二人に教え、二人より一村に教え、一村より郡国へ伝え、諸国用うとなれば、国益の第一と知るべし」(万作徳用鏡)の志を抱いて、遠州において報徳社を数多く創設し、報徳の普及に「骨の髄まで尽した」安居院先生の生涯は現代の超高齢化社会において「よきお手本」となるものと考えます。貴図書館に収蔵していただき、遠州一円に報徳の教義を伝え、報徳社を続々と設立させた安居院庄七の偉大な功績を市民の皆様に広く知って頂ければと存じます。二宮尊徳の会
2024.03.23
「二宮翁夜話」 日めくり 23日 「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する) 【123】或あるひと問とふ、地獄ぢごく極楽ごくらくと云いふ物もの実じつにありや、翁をう曰いはく、仏者ぶつしやはありといへども、取とり出だして人ひとに示しめす事ことは出来できず、儒者じゆしやはなしといへども、又また往いきて見みきはめたるにはあらず、ありと云いふもなしと云いふも、共ともに空論くうろんのみ、然しかりといへども、人ひとの死後しごに生前せいぜんの果報くわはうはなくて、叶かなはざる道理だうり也、儒者じゆしやのなしと云いふは、三世ぜを説とかざるに依よる、仏ぶつは三世ぜを説とく也なり、一つは説とかず一は説とくも、三世ぜは必かならずあり、されば地獄ぢごく極楽ごくらくなしと云いふべからず、見みる事ことならざればとて、なしと極きはむべからず、扨さて地獄ぢごく極楽ごくらくはありといへども、念仏宗ねんぶつしゆうにては、念仏ねんぶつを唱となふる者ものは極楽ごくらくへゆき、唱となへざる者ものは地獄ぢごくへおつと、法華宗ほつけしゆうにては、妙法めうはふを唱となふる者ものは浮うかみ、唱となへざる者ものは沈しづむと、又また甚はなはだしきは寺てらへ金穀きんこくを納をさむる者ものは極楽ごくらくへゆき、納をさめざる者ものは地獄ぢごくにおつと、斯かくの如ごとき道理だうりは決けつしてあるべからず、夫それ元もと地獄ぢごくは悪事あくじをなしたる者ものの、死ししてやらるゝ処ところ、極楽ごくらくは善事ぜんじをなしたる者ものの、死ししてゆく処ところなる事こと疑うたがひなし、夫それ地獄ぢごく極楽ごくらくは勧善懲悪くわんぜんちようあくの為ためにある物ものにして、宗旨しゆうしの信しん不信ふしんの為ためにある物ものにあらざる事こと明あきらか也なり、迷まよふべからず疑うたがふべからず。 【123】ある人が問うた。「地獄・極楽というものは実際にありましょうか」尊徳先生はおっしゃった。「仏者はあるというが、取り出して人に示す事はできない。儒者はないというが、また往って見きわめたのではない。あるというのも、ないというのも、ともに空論に過ぎない。しかしながら、人の死後に生前の果報はなくてなならぬ道理である。儒者がないというのは三世を説かないからである。仏は三世を説く。一つは説かず、一つは説くが、三世は必ずある。だから地獄・極楽がないとはいえない。見る事ができないからといって、ないとはきめられない。さて地獄・極楽はあるといっても、念仏宗では、念仏を唱える者は極楽に行き、唱えない者は地獄へ落ちるという。法華宗では、妙法を唱える者は浮かび、唱えない者は沈むという。また甚しいのは、寺へ金や穀物を納める者は極楽へ行き、納めない者は地獄に落ちるという。このような道理が決してあるわけはない。本来、地獄は悪事を行った者が死んでやられる所、極楽は善事を行った者が死んでいく所である事は疑いない。いったい地獄・極楽は勧善懲悪のためにあるもので、宗旨の信・不信のためにあるものではない事は明らかである。迷ってはならない。疑ってはならない。」
2024.03.23
65歳からは「筋量を落とさない」が目標! リハビリ専門医の吉村芳弘先生に教わる運動と検診のポイント63/22(金) 70歳を過ぎるとやせてくる人が多いですが、やせることで万が一の病気に立ち向かう力は著しく低下します。そのため65歳からは体重と筋力を落とさないことが重要。リハビリテーション専門医の吉村先生「65歳からは、筋量を落とさないことを目標にしてください」「楽しみながら週1~2回、体を動かすのも筋力低下予防に最適。フラダンスやゲートボールなど、お好きなものでかまいません」歩くことが好きだという人は、1日6000歩ぐらいまでのウォーキングもいい「カレンダーに歩いた歩数を書き込んで数値を"見える化"すると、健康のバロメーターになります」「筋力を減らさないためには、日々のプチ筋トレが効果的です。ちょっときつい程度の負荷の運動を行うことで、5年後の体の状態がまったく変わってきます」家の中でもできるおすすめプチ筋トレは、「いすから立ち上がる」「かかと上げ」「片足立ち」の3つ。疲れを感じない程度の負荷で1日3セットずつ行うのが効果的です。「最近食事の量が減ってきた、いつの間にか体重が減っているなどと気付いた場合は、かかりつけ医に相談してみましょう」「何歳になっても食事を楽しむためには、しっかり嚙めることが基本。そのためにも、歯周病予防をはじめ、口のケアは大変重要です。信頼できる歯科医を見つけて、数カ月に1回は、クリーニングや歯垢除去など、メンテナンスを受けるといいでしょう」
2024.03.22
「現代語訳 安居院義道」の本が届いて、昨日の夕方から早速支援者の皆様への送付に取り掛かる。5000円以上支援の皆様には「出版記念絵葉書」も同封する。工夫をこらしたかなりユニークな記念絵葉書にできあがっている。反応が楽しみ。土日には、大学図書館と都道府県図書館で事前に寄贈を承諾いただいている図書館に寄贈を開始する。事前の寄贈の承諾の有無の照会は、郵送料もかかり負担ではあったけれども、実践してみて、大切な本を廃棄することのない良い方法に思われる。令和6年3月吉日 大学附属図書館 各位 様 春暖の候、ご清祥にお過ごしのことと存じます。「二宮尊徳の会」です。 「現代語訳 鷲山恭平著『報徳開拓者 安居院義道』」を出版致しましたので、謹んで寄贈させて頂きます。 鷲山恭平著『報徳開拓者 安居院義道』は、大日本報徳社の鷲山恭平氏が82歳の時、昭和28年12月25日に発行した安居院義道(庄七)に関する伝記です。今から70年前の著作物で、安居院庄七研究にとって非常に大切な名著ですが、旧漢字、旧仮名遣いで、文体も現代人には読むのが難しくなっています。 曽孫にあたる大日本報徳社社長鷲山先生から「読みやすくしてください」とお話しがあり、『現代語 安居院義道』を発行致しました。鷲山先生には序文を寄せていただきました。 昨年9月には鷲山先生や共同編集者・Mと共に、秦野市農業協同組合組合長の案内で秦野視察を実施致しました。その過程で「相州北秦大住郡横曽根村仮趣法」などの安居院庄七の報徳仕法に関する新たな資料を発見し、本書に原文と現代語訳を収録することができました。また「資料編」において「万作徳用鏡」など安居院庄七の農書についても原文と現代語訳を収録し、農書についても照明を当てるものとなっています。 『現代語 安居院義道』編集に当って、東京大学戸石先生の「安居院庄七の報徳運動と参詣講」https://www.jkri.or.jp/PDF/2020/sogo_80toishi.pdfの論文に啓発されるところが大きく、本書は安居院庄七の前半生の大山御師・庄七に着目するものとなっています。戸石先生には書評を頂戴し、あとがきに収録させていただきました。 裏表紙「若き大山御師・庄七の像」という森町・大須賀氏のイラストは安居院庄七の前半生を象徴するもので、松田町・K氏に寄せて頂いた巻末の「相州御領分絵図」の上に、若き大山御師・庄七が相模国足柄上郡・足柄下郡の大山講を廻るの途上で「二宮先生の高名」を知る姿をご想像頂ければと存じます。 壮年を過ぎてから報徳を学び、穀物商で元値売りを実践し、近隣の横曽根村に報徳仕法を指導し「ためし試みてその印あらわさんより、二人に教え、二人より一村に教え、一村より郡国へ伝え、諸国用うとなれば、国益の第一と知るべし」(万作徳用鏡)との志を抱いて遠州に報徳の教義を伝え、報徳社を数多く創設し、報徳に「骨の髄まで尽した」安居院先生の生涯は、将来の日本を担う学生の皆様にとって「よきお手本」となるものと考えます。 貴大学附属図書館に収蔵していただき、教員・学生の皆様に遠州一円に報徳の教義を伝え、報徳社を続々と設立させた安居院庄七の偉大な功績を知って頂ければと思います。二宮尊徳の会
2024.03.22
「二宮翁夜話」 日めくり 22日 「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之3(【 】は夜話の通しで表記する) 【122】翁をう曰いはく、山畑やまはたに粟あは、稗ひへ実法みのる時ときは猪鹿ちよしか小鳥ことりまでも出いで来きたりて、是これを取とり食くらふ、礼れいもなく法はふもなく、仁義じんぎもなし、己々おのおのが腹はらを養やしなふのみ、粟あはを育そだてんと肥こゑをする猪鹿ちよしかもなく、稗ひへを実法みのらせんと草くさを取とる鳥とりもなし、人ひとにして礼法れいはふなき、何なんぞ是これと異ことならむ、予よが戯たはむれに詠よめる歌うたに「秋あき来くれば山田やまだの稲いねを猪ししと猿さる、人ひとと夜昼よるひる争あらそひにけり」夫それ検見けんみに来きたる地方官ちはふかんは、米こめを取とらんが為ためなり、検見けんみを受うくる田主たぬしも、作徳さくとくを取とらん為ためなり、作主さくぬしは元もとよりなり、されども、皆みな仁じんあり義ぎあり、法はふあり礼れいあるが故ゆゑに、心中しんちゆうには争あらそへども、乱らんに及およばぬなり、若もし此この三人にんの内うち、一人り仁義じんぎ礼法れいはふを忘わすれて、私欲しよくを押おし張はらば忽たちまち乱みだるべし、世界せかいは礼法れいはふこそ尊たふとけれ。 【122】尊徳先生がおっしゃった。「山畑に粟や稗が実る時には、猪や鹿、小鳥までも出て来て、これを取って食う。礼もなく法もなく、仁義もない。自分の腹を養うだけである。粟を育てようと肥しをやる猪や鹿もいない。稗を実らせようと草を取る鳥もない。人であって礼法がないものは、これと異なるところがない。私がたわむれに詠んだ歌に、『秋来れば山田の稲を猪(しし)と猿、人と夜昼争いにけり』とある。秋の収穫を調べに来る役人は、年貢米を取るためである。調べを受ける地主も、耕作の利益を取るためである。小作はもとよりのことである。けれども、皆仁があり義があり、法があり礼があるために、心中では争っていても、乱には及ばないのだ。もしこの三人のうち一人が、仁義礼法を忘れて、私欲を押し張ったならばたちまち乱れるであろう。世界は礼法こそ尊いものなのである。 ■報徳秘稿【54】恐れても恐るべきは、受財の楽しみ。勤めても勤むべきは、苦しみの施財也。受財の楽しみは畜生の道也。苦しみの施財は人道の元也。夫れ、禽獣は奪を知りて譲をしらず。故に、開闢以来今に至て安堵の地なし。人道は大神宮以来、今日を明日に譲り、今年を来年に譲り、天の恵みを受けて地に施し、親の恵みを受けて子に施し、譲り譲りて人道立ち、世界相続をなす。元仁義と云い、礼譲と云う。皆己が手の向えたる時の名也。己が手前へ向かう時は、仁も仁にあらず。礼も礼にあらず。勤むべし。恐るべし。【訳】恐れても恐るべきは、受財の楽しみである。勤めても勤めるべきは、苦しみの施財である。受財の楽しみは畜生の道である。苦しみの施財は人道の元である。それ、鳥獣は奪うことを知って譲ることをしらない。だから、世界が開けて以来、現在まで安心安全に暮らす地がない。人道は大神宮以来、今日を明日に譲り、今年を来年に譲り、天の恵みを受けて地に施し、親の恵みを受けて子に施し、譲り譲って人道立ち、世界相続を行う。元仁義といい、礼譲という。皆自分の手を向うにむけた時の名である。自分の手が手前へ向かう時には、仁も仁ではない。礼も礼ではない。勤めなければならない。恐れなければならない。
2024.03.22
開始2分で田中碧先制ゴール!3/21(木) 田中先制弾動画サッカー日本代表(FIFAランク18位)は21日、東京・国立競技場で行われたW杯アジア2次予選で北朝鮮代表(同114位)と対戦。前半2分、MF田中碧(25=デュッセルドルフ)が先制ゴールを決めた。 CKの流れから堂安がグラウンダーのクロスを中央に入れると、フリーで走り込んできた田中が右足ダイレクトで強烈なシュート。難敵を相手に開始2分で先制点を挙げた。森保監督「全力でファイトしてくれた結果。選手たちが厳しい戦いの中でもファイトしてくれた。また1つ1つ前進していけるように、みんなで戦っていきたい。応援、共闘、よろしくお願いします」 田中碧「すごく難しかったゲームですし、自分たちで難しくした試合でもありましたけど、勝てて良かった。勝って反省できるのはいいこと。ホームで勝てて良かった。(先制点は堂安)律が優しいパスくれたので、あとは決めるだけでした。やっぱり勝つことは難しい。次、アウェーでありますし、もっとやらないと。まだまだやらないといけない」北朝鮮、ファウル判定に主審囲んで猛抗議…日本代表戦、決定機シーンのジャッジに不満後半開始早々、日本はピンチを迎える。後半2分、カン・ジュヒョクが蹴ったロングボールがゴール前でこぼれる。これに反応したハン・グァンソンがペナルティーエリア手前の中央から左足でシュート。これが右ポストに嫌われたが、こぼれ球を拾ったペク・チョンソンが左足でシュートを放つ。GK鈴木彩艶は防げずにボールはネットを揺らしたが、主審はこぼれ球の競り合いの際にファウルがあったと得点を認めなかった。北朝鮮のファン・サポーターで赤く染まったメインスタンドから見て右側のゴール裏は、日本のゴールネットが揺れたことに歓喜していた。ピッチ上では、北朝鮮の選手たち、ほぼ全員が主審に詰め寄って猛抗議。しかし、判定が覆ることはなく、北朝鮮のゴールは認められなかった。【日本代表】26日のアウェー平壌戦は急転中止!北朝鮮5日前に開催放棄「人食いバクテリア」警戒か3/21(木) 26日に行われるFIFAワールドカップ(W杯)北中米大会アジア2次予選アウェー北朝鮮戦の、平壌開催が急転白紙となったことが21日、分かった。東京・国立競技場で行われた日本(FIFAランキング18位)-北朝鮮(同114位)後、日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長(66)が中止を明らかにした。26日に行われるFIFAワールドカップ(W杯)北中米大会アジア2次予選アウェー北朝鮮戦の、平壌開催が急転白紙となったことが21日、分かった。東京・国立競技場で行われた日本(FIFAランキング18位)-北朝鮮(同114位)後、日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長(66)が中止を明らかにした。 そこから一転、試合5日前に急きょ開催地が不透明となるドタバタ劇が再現された。これを受け、森保ジャパンは予定されていた翌22日の出国を取りやめ、国内待機することに。試合後に伝え聞いた選手は「早く情報が欲しかった」と吐露した。 北朝鮮では、日本で「伝染病」が拡大していると伝えられているという。日本で報告数が増えている「劇症型溶血性レンサ球菌感染症」*を警戒した防疫上の措置で、日本からの入国を全面的に禁止とした模様だ。「人食いバクテリア」とも呼ばれ、国内の感染者数は過去最多。発症者の30%が死亡との報告もある。 北朝鮮は新型コロナウイルスが感染拡大した時も、18年のジャカルタ・アジア大会から23年の杭州アジア大会までの5年間、国際スポーツ大会から姿を消していた。*劇症型溶血性レンサ球菌感染症とは劇症型溶血性レンサ球菌感染症は突発的に発症し、急速に多臓器不全に進行するβ溶血を示すレンサ球菌による敗血症性ショック病態である。メデイアなどで「人食いバクテリア」といった病名で、センセーショナルな取り上げ方をされることがある。溶連菌感染症に大人も要注意 致死率の高い「劇症型」が過去最多喉の症状を起こす「溶連菌感染症」が増えている 今冬から春にかけて、例年になく「溶連菌感染症」が増えている。東京都のA群溶血性レンサ球菌咽頭炎の流行状況(図1)を見ると、2023年10月頃(第42週)から感染拡大の兆候があり、11〜12月、2024年1〜2月に感染者数が激増している。2024年2月から下降傾向にあるものの、2020年と同等か上回る水準で推移している。全国の集計でも同じ傾向が確認されている。2020年と似た推移をたどるとすれば、4月ごろまでは流行が続く可能性があるのでしばらくは用心しておきたい。「新型コロナウイルス感染症の流行でマスク、消毒などの対策が徹底されていたため、口や鼻の粘膜に生息していた溶連菌も人から人へ受け渡すリスクが減り、保菌している割合が減っていました。新型コロナが5類に移行してからマスクを外すなど通常の集団行動がなされるようになり、人から人へ移す割合も増えてきました。かつ、多くの人が免疫自体を持たない期間があったため、広がりやすい状況になっていると考えられます。どんな感染症も一定程度増えるとやがて減ってきて、またある時期に増えるという波が見られますので、今の流行が落ち着いても、また一定の期間を経て流行する可能性もあるでしょう」 そもそも、溶連菌とは「溶血性レンサ球菌」の略で、丸い球体の形をした菌が数珠状に連なっているのが特徴だ。健康な人でも普段から喉や鼻の粘膜、皮膚などに生息していることがある、常在菌の一つと考えられている。溶血性レンサ球菌の中にはA群、B群、C群、G群などがあるが、中でも病原性が強く、よく人に感染して症状を引き起こしやすいのがA群だ。 A群溶血性レンサ球菌が引き起こす主な症状は、発熱、咽頭炎・扁桃炎、舌に苺のようなプツプツしたものができて赤く腫れる(苺舌)などの喉の症状が中心だが、中耳炎、副鼻腔炎、肺炎などの原因にもなる。咳や鼻水などの症状は出にくい。 「飛沫感染、接触感染で伝播するため、小さいお子さんの集団生活の場で感染が広がりやすいのですが、大人だからかからないということはありません。若い人でも、労働で消耗したり、睡眠不足が続いたりして抵抗力が落ちたときに扁桃炎などの症状が出やすく、繰り返す人もいます」(松本氏)
2024.03.21
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