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月日が経つのは早いもので、2010年に定年となり、2015年に2回目の定年となった。毎日が日曜・休日と思っていたが、意外にやることが多く、毎日が充実した日を送っている気がする。水曜日はタオクラブで東洋思想の勉強のため世田谷まで行く。木曜日は近所の企業でボランテイアでタグチメソッドを教えている。土曜日は篆刻教室と、ギターの個人レッスンがある。さらに、西鋭夫のフバーレポート、月刊三橋の購読、みやざき中央新聞、雑誌ターザンなどが月2回づつ送られてくる。筋トレは毎週4,5回は実施しており、今月からは英語(スピードラーニング)も始めたのでタイムスケジュールで計画をしていないと、毎日やることが溜まっていく。そんな中で仕事は気が向いた時にあれば行う。これからはボランテイアでやることを考えているけれども、それはタイミングと向こうの技術者たちの意識が合えばである。会社人生はそれなりに楽しかったが、今は人生を大いに愉しんでいる。人生は希望する通りになっていく、というが自分でもそう思う。
2016.01.31
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9月16日に全日本マスターズボデイビル選手権が開催され見に行った。友人の村松幸大選手が40歳代で断トツで優勝した。ボデイビルは健康だけれども栄養失調の体を造り競い合う過酷なスポーツである。その中で、男子の最高齢は82歳、女子は63歳だった。オンの時は毎日毎食いもとカボチャ、そしてささみでしかも味付けはない。過酷なトレーニングで筋肉を造り、脂肪を極限まで落とすのである。写真は村松君の完成された体です。9/19に母が亡くなった。夜中の2時に電話で起こされた。「もしもし青山さんのお宅ですか?」「バカ野郎、何時だと思ってるんだ、間違い電話だよ。」すぐにまた鳴った。しかも同じ声だった。「あんたさっきもかけてきただろう。番号を確認しろよ!」ねむいのなんのって・・・。次に携帯が鳴った。携帯に登録してあったのは田舎の病院の電話番号だった。「お母様が亡くなりました・・・。すぐに来て死亡確認をお願いします。」何を言ってやがる。入院先は北海道で、ここは埼玉だぞ。どうやって30分以内に駆け付けられるんだい?そんなこんながあって初七日を終えて帰ってきた。10/3から10/8まで春日部ロビンソンで書道研究会の「蒼穹會」会員展があった。篆刻を初めて2年がたったので、初出品した。自分の作品が展示さえ多くに人に見られるというのは良いものだ。下記の写真が私の作品で、「福寿海無量」という。意味は「大海のように福が限りなく来ること」である。
2012.10.10
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久しぶりに自分のプログを開いてみたら、毎日何人かの人が見てくれていたのに驚いてしまった。これは何かを書かなきゃ、と思い久しぶりに日記をつけることにした。 10年ほど前までは毎年我が家の重大ニュースを暮れに作成していた。今は子供たちが独立してそれほどのニュースもなくなり、ベストテンどころかベスト3すら危ういくらい感動するニュースが我が家にはなくなってきた。むしろ親のことが心配になって仕方がなくなってきている。正月前には田舎の親父が救急車で運ばれた、ということも遠くにいる倅には歯がゆい気分である。そうはいっても自分の体も老人の仲間に入ってきているのだから、あまりむちゃができない。 そんな中で、正月には子供たち夫婦や甥っ子が来てにぎやかになった。けれども大人が7人もいても酒を飲むのは私一人である。つい飲みすぎてたぶん1升くらいは飲んだと思う。記憶が全くなく、2日後に聞かされた妻の冷たい一言だけが記憶に残った次第。孔子の言葉で為政編にある「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳したがう。七十にして心の欲するところに従って則をこえず。」50まではその通りに進んできたようだが、60を越えても耳したがえず・・・、やはり凡人には難しいことなのかもしれない。その罰なのか、3日から喘息の発作がおこり風邪がまだ治らない。明日は中学時代のクラス会を新宿で行う予定で楽しみだ。新年会は4回予定しており、まだまだやんちゃが続きそうだ。
2012.01.10
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50肩のリハビリを初めても4カ月が過ぎた。左肩はまだ70%位であるが、右はもう90%位は復調したと思う。左足の骨折で通い始めたが、今はこの理学療法と言うのが気に入っている。そして理学療法士が若い女性で、良く勉強しているので、すっかりファンになってしまっている。 これまでウエイトトレーニングやスカッシュに重きを置いてトレーニングしてきたが、もう同じメニューは無理だと悟った。すると、別に遠くのジムまで行かなくてもいいじゃないか、となり、今月から近くのジムに通い始めた。10年前に一緒に通っていたメンバーがかなりいて、挨拶も面倒なくらいであるが、今の体力からすれば、丁度良いようである。さて、孫のあこのために、今週お宮参りに「水天宮」まで行ってきた。お祓いはわずかに10分もなく、流れ作業でおしまいとなった。天気が良かったので、1回15分のサイクルで20組づつのお宮参りと、その間の15分で安産祈願のお祓いを実施しているらしい。坊主丸儲け(神主であるが)とはこのことか?未熟児で生まれた孫は、ふっくらしてやっと赤ん坊らしくなっていた。爺じの贔屓目ではあるが、やはり可愛いと思う。いくつまでこの子と遊べるのかしら、成人した時にはぜひとも美味しい酒を飲みにつれていきたいと思う。その後は喰い始めとのことで、近くのホテルで食事となったが、これまた驚いた。ホテルの5階か6階にあるそのレストランは日本式の庭園が中庭にあり、草木は勿論のこと、池の中には錦鯉が泳いでいた。11時半から始まったランチは2時くらいまで続いて、少し長くて嫌になってしまった。後で一人1万円コースのランチと聞いて驚いた。娘の金銭感覚はどうなっているんだろうか?だけれども、非常に旨かった。ご馳走さんと言って、帰宅の途に就いた。
2011.06.07
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もう5月の連休もあっという間に終わってしまったけれども、4/29から5/9まで10日間休みだった。スポーツジムでのリハビリトレーニングと月・金の病院通いを定番に、篆刻作成とドラムの練習、そして、地デジでのDVD鑑賞で、夜は必ず日本酒を飲むというほぼ毎日が決まった通りに推移し、1日が終わった。そんな中で、図書館に行って、たくさんのCDを借りてはダビングしてみた。春日部の図書館には多くの図書だけではなく、視聴覚VTRやCDもそろっている。内藤洋子の「白馬のルンナ」を見つけて感動してしまった。あれは確か16,7歳くらいの頃の歌である。もう44,5年も前だろうか?驚くことに小川ローザーの歌まであった。すべてが懐かしいなあ。なんかまとまったことをやろうとしていたと思うが、ただだらしなく毎日が過ぎてしまっていた。そんな中で特筆すべきは、40年ぶりに会った友人たちである。中学時代の友人と、この春日部で飲んだのは4月の中頃で、それから急速に学生時代の友人たちと会い、最後は5/3に大宮で再会した。実に41年ぶりであった。不思議なことに顔さえも判らなかった友人たちが、もう40年以上も前の10代に遡って昔話に花が咲いているのである。その写真を恩師に送ったのだが、80歳を過ぎた恩師は、誰が誰だか判らないという。ただ、昔のことだけは良く覚えていることが、本当に不思議な気がした。連休の初めに孫のあこに会ってきたがその後は、写メだけである。昨日から嫁は何やら理由をつけて、孫の面倒を見に行っている。
2011.05.10
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先週22日に突然初孫が誕生した。予定は4月だったが、母体が危険ということで、日曜日に緊急入院した。嫁との会話で「3月に帝王切開で生まれるようだ。」とのはなしがあった。火曜日にヤス(義理の息子)から電話があり、「今日、手術の予定になりました。」と言う。4時に終わると言うので、3時過ぎに会社を出ようと思っていたら、2時過ぎに「生まれました。女の子です。」という。慈恵医大に搬送されていたのでギブスしている足を引きずりながら駆けつけた。(実は12日に大野で足を骨折していた。) 手術が終わってすぐに廊下で、むくんだ娘の顔を見ながら「良くぞ、俺をじじにしてくれた、ありがとう。」と声をかけた。ホッとした娘の顔がすぐに眠りに入ったようだった。しばらくしてから、集中治療室に居る孫と対面できることになった。1ヶ月半も早く生まれたので、体重はわずかに1137gと廻りと比べても小さい。それでも人間としての機能、「手や足、口、目、鼻、そして髪の毛など・・・」、を持っていることが不思議で、その小さな体が健気に動いているのが、愛おしかった。 私には夢があり、その最後の夢と言うのが、実は孫の結婚式に参加することである。それも具体的に決まっている。84歳の秋にニューヨークで結婚式を挙げるのだ。私はその年の4月に死ぬ予定だったが、正月に遊びに来ていた孫娘から、そのお誘いを受けて、死ぬことを延長したのである。その孫娘とは、正にこの娘である。名前は「あこ」にしたようだ。孫の誕生は、非常に嬉しいものです。
2011.02.28
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60歳を過ぎてから、体に異変が起こったのはいわゆる40肩、50肩と呼ばれるヤツである。昨年の10月頃から、ラットマシンをやっていると肩に違和感があり、バーを下げられなくなった。そこで、忘れもしない13日に六本木にあるスポーツ専門クリニックなる処に行った。「いわゆる40肩と言われるものです。あなたの場合は、60肩ですね。肩の関節周りで炎症を起こしているのです。炎症が引くまでじっとしていることです。痛みがあると言うので薬を出しておきます。」治療はなくて、薬だけくれた。けれども普段は何も痛みがなかったのであるが、せっかくセレコックスという薬をくれたので飲んでみた。翌日から全身にジンマシンが出て、1週間おさまらなかった。近所の内科で、実はこれが人生初めての薬害と判った。 そのことがあったせいか、寒くなると今度は着替えをするだけで肩が痛い。半端なく痛いのである。痛みはすぐになくなるのだが、泣きたくなる痛さである。ワイシャツを着る時も背広もそうだが、情けないのはズボンのベルトを後ろに通せないのである。ベッドで寝がえりを打って痛くて目が覚めたこともある。今月のターザンに「サラバ肩コリ・腰痛」の特集があった。サプリメントで葛根湯エキスがあり、飲んでみたら、3時間くらい効果があった。4日分で980円。毎日は飲めないなあ。 ジムでは、ベンチプレスは40kgでも10回上げられないくらいで、肩を使うトレーニングはほとんど駄目である。腹筋だけは負荷をかけて200回以上を目標にやっている。40肩を経験した人に聞くと、半年から1年で嘘のように痛みが無くなる、というので気長にあと6カ月ほど待つことにする。その間はマッサージで対応するか。 昨年の9月に受けた健康診断で血圧の治療を奨められた。そこで近所の内科に行ったのだが、中々下がらないので病院を3軒換えた。けれども思い直して2軒目に通いなおしている。毎日付けている血圧のデータからは、薬の効果が出ているとは思えない。医者と言うのはデータの見方が判らないのかもしれない、などと思っている。 60肩で騒いでいるせいか、それまでの腰痛が嘘のように消えた。これはビタミンB1を含んだサプリメントの効果と思う。ついでに肩にも効いて欲しいのだけれどもそれは別なようだ。サプリメントといえば、肝臓に良いといえばウコンを飲んだり、福島地方に伝わる蚕の木に居るとかいう貝(名前は忘れたが)を飲んだりして、結構期待に応えてくれたものもある。今月からサントリーのマカを飲み始めた。あっちもこっちも弱くなったりして、健康補助のサプリメントの力を借りて少しは元気になるのかもしれないなんてね・・・・。
2011.02.06
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年が明けてもう10日にもなる。12/27から風邪をひき、病院へ行ったもののどんどん悪化して、12/31には喘息の発作まで起こり、正月の3が日は死んだようにおとなしくしていた。4日に大宮の赤十字病院に行き、点滴を打ってもらったが効かずに、翌日は近場の内科で点滴を打ってもらった。6,7日は出社したものの体調がよろしくない。だらだらと体調が整わないうちに8日は大宮で新年会であった。2週間ぶりの酒であったが、3合飲んで、そのあとワインと焼酎を飲んだ。なんとなく、調子が出てきたような気がした。そう言えば昨年は貝に当たって年末年始は酒が飲めなかった。今年は旨い酒を12/27に購入していて、昨年の分も取り返そうとしていたのが、まずかったのだろうか。年を取ると、体が言うことを効かなくなると言うが本当にそう思う。若いころであれば、寝る前に体を温めて酒をグイーと飲んでから寝れば、夜中に何度か汗をかいて、翌朝にはケロリ、というのが多かったし、点滴を打てば、夕方にはジムにてトレーニングができたものだ。 さて、今年一番の楽しみは、4月の予定である孫の誕生である。娘から子作り宣言を受けて2年が経過した。私の夢の最後は84歳の誕生日の前に83歳の生涯を布団の中で終わることである。実は数年前に不思議な夢を見た。84歳になる年の正月にニューヨークから孫が来ているのである。(夢の中で)「じいちゃんが作る蕎麦は美味しいね」と言ったあとでこんなことを言うのである。「今年の秋にニューヨークで式を上げる予定なの。だから、出席してね。」と言うのだ。それを聞いたとたんに目が覚めたのであるが、今年生まれるとすれば女の子で、23年後にはそんな話になりそうだ。だから、私は自分の最後の夢を少し遅らせるつもりでいる。ややもすると、曾孫まで見られるかもしれないなら、あと5年くらいは伸ばそうか、などとも考えてしまっている。 年の初めは酷かったが、今年の楽しみはたくさんある。札幌で中学の合同クラス会をやることも企画したし、仲間との温泉旅行の企画も検討を開始した。妹の13回忌も実施する。結構やることが多い年になりそうだ。
2011.01.09
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今はもう月1回くらいしか更新しなくなったプログである。最近の出来事と言えば、10月にドラムのレッスンを止めて、篆刻を始めた。篆刻は石に印を彫る、まあ判子作りみたいなものである。それと血圧が高いので、今は降圧剤を飲み始めたことだろうか。このところずーっと血圧を測定しているが、190前後あったのが最近では150前後になってきた。それでも高いが、随分と下がったと思う。一方で7月から始めた減量作戦は、目標に足りなかった。それでも、2kgくらいは減った。嫁は酒の飲みすぎと言うが、毎日酒を飲みながら運動をして減量したのだから、これはこれで立派と自分を褒めている。寝る前のせんべえと飴をやめていれば絶対に達成していたと思う。 この1ヶ月間での出来事として大きかったことは、Oさんの突然の死である。11月の終わりに、ヒマラヤに行っていたOさんが亡くなった。元々山男だったOさんが夢だったヒマラヤに最初で最後に挑戦していたらしいが、残念ながら現地で亡くなったのである。そんなことも知らずに、家が近いので、そのうちに酒を持って遊びに行こうと思っていた。Oさんは息子の義理の父である。あるデパートの専務まで務めたにもかかわらず、控え目で自己主張の少ない人だった。日本酒のみならず、色々な商品の知識を持っていたにも関わらず、私の日本酒の講釈を微笑んで聞いてくれる人だった。 葬儀には、300人以上の人が来てくれた。69歳ですでに現役を離れていたが、これほどの人達に愛されていた、ということを感じた葬儀だった。私はなぜか親族の末席に座って、それこそこれまでの人生で人に頭を下げたのはわずかしかないのであるが、この日ばかりはOさんに成り替わり、一生分の100倍くらい焼香客に頭を下げ続けた。小学生からの友人の弔辞や会社の山岳部の後輩の弔辞を聴いていて、本当にOさんの人となりが分かった。もう少し足蹴く通って親しくなっていれば良かったのに、とても残念だという気持ちになった。Oさんは私の俺が、俺がを黙って聞いてくれる兄のような人だった。 奥さんは、「せめてあと5年生きていてくれれば・・・。」と言ったが、確かにそう思う。これから夫婦の時間がたくさんできるという矢先だった。今となっては、Oさんがグアムにて子供の結婚式で嬉しそうに話した言葉が忘れられない。バージンロードを歩いた後のパーテイで「うちのH実があんなに嬉しそうに笑った顔を見たのは多分初めてです。僕はとてもうれしい。T君に感謝します。」といったのである。私も数年後に娘とバージンロードを歩き、父親の気持ちを味合うことができた。・・・・Oさんに感謝するとともにご冥福を祈る。合掌。
2010.12.10
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秋晴れが続いている。もう10日前になるが、福島県にある「塔のへつり」から「大内宿」を回ってきた。春日部から特急スペーシアに乗って鬼怒川温泉まで行き、その後野岩鉄道に乗り換えた。1日5食しか売らないと言う「じゅうねん弁当」を買って社内で食らう。この弁当はご飯が旨い。が、量が多いので、嫁と2人で丁度良い。ちなみにじゅうねんとはエゴマのことだそうだ。鬼怒川から紅葉した風景を見ながら、塔のへツリに到着した。駅からは徒歩で5分くらいで着く。非常に危なかっしいつり橋を年寄りのじじばばがよたよたして歩いている。向こう岸についても何もないのだが、良く川に落ちないものだと感心するくらいの年寄りや子供たちがいる。写真を見ると以下に人が多いかがわかる。その後は、隣の駅(日本で唯一茅葺の屋根の駅で、湯野上温泉駅と言う)で下車してから、大内宿まで歩いて行った。はじめはタクシーで、と思ったが、駅員が渋滞で動かないかもしれないと言うし、5kmというから、気楽に考えて1時間半くらいで歩けるだろうと考えて歩くことにしたのだが、すべてが上り坂とは思わなかった。とにかくひたすら昇った。大内宿の前1kmで酷い渋滞はあった。多い戸には5時間半も動かないと言うから、車の時は気をつけたほうが良いようだ。大内宿では、ねぎでそばを食わせるという店が評判であった。が、1時間待ちということでぶらぶらしていた。すると蕎麦屋は他にもあり、ばあさんが二人でそばを打っている店があった。愛嬌のあるばあさんで、そばを食べたくなってきた。話をしているとトイチそばと言う。地酒とてんぷらを頼み、最後にそばを楽しんだが、これは旨かった。他の土産物屋に聞いても、ここのそばが旨いという。山形屋、という。また、栃でできた餅も旨かった。10月に行った「袋田の滝」も今は紅葉がきれいなのだろうな、と想いながら、会津の旅は終わった。また来たいところである。
2010.11.15
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表題のような歌があった。もう40年以上も前になるだろうか。くそ暑い夏がずーっと続くのかと思っていたが、10月も末になるとやはり寒くなってきた。毎週日曜日の朝は親父ソフトの試合があり、今日が最終日だった。朝の6時半から試合がある。10月の末になると6時くらいではまだ薄暗い。足を骨折した10年くらい前までは、不動の4番バッターで、ホームランも随分打った。7年ぶりでチームに復帰して、2カ月でまた4番に戻った。今日はいいところなしの3打席ノーヒット。 8時半には家に帰って朝飯を食って朝寝する。10時半ごろから近くの公園の商工祭に出かけた。日本酒の試飲ができた。今年は天候のせいか、余り出来が良くないと感じた。そういえば今年はもう試飲会に3回行っている。今安くて旨いと思う酒は、徳島の三芳菊である。この純米生酒は精米が60%であるが、フルーテイーで旨いと思う。もう3本飲んでいる。昼過ぎに帰宅して、ジムに行く。トレーニング終了後のマッサージは非常に良い。特に今は針もできるようになり、左右の肩に針を入れてもらう。夕方からスタジオでドラムの練習をする。そういえば、今月で個人レッスンを辞めた。個人はつまらないというのが理由である。来月からは篆刻をすることにした。 秋と言えば、旨い食べ物がたくさん出回り、冷卸しが出てくる。今日は久しぶりで銀杏を購入して日本酒の肴にした。そう言えば秋は読書の秋でもある。今は評判になった村上春樹の「1Q84]の3巻を読んでいる。なんだかよくわからない展開で、最後はどうなっているんだろうか?取りとめのない秋の近況を示したが、秋の次にはやはり冬が来るのだろうか?今年もあとのこり2カ月になる。
2010.10.24
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8月はクソ暑い日が続いていた。7月の終わりに今のクーラーが故障し、さらに家の補修工事が始まったため、家の中はビニール包まれ、外よりも暑い日が2週間以上も続いた。さらに暑さは9月に入っても猛暑日が続き、運悪く工事が遅れて9月初めまで続いた。家に居られないので、休みの日は終日スポーツジムに行くか、ドラムの練習にあてていた。 8月の終わりには、台湾に遊びに行ったが、30度を超えていたが日本よりも過ごしやすいので驚いた。初日には夜市なるものを見に行ったが、人が多すぎるうえに食べ物が分からなくて閉口した。年寄りには向かないと思う。翌日は終日観光して回った。飲茶が世界一旨い(ガイドが言っていた)鼎泰豊で小龍包を食べたり、故宮博物館や市内観光をした。免税店や土産物屋に連れて行かれるのには閉口したが、なぜか旅行会社のサービスで無料だったので、文句は言わないようにしていた。夜は台湾マッサージをして、近くの海鮮レストランで腹いっぱい食べて飲んだ。翌日は雨だったので(台風の熱帯低気圧が来ていた)故宮博物館で午前中時間をつぶし、午後から飲茶をした後、リンパマッサージなるものをやった。これは良かった。料金は2時間で、1800元だったが、日本円では5000円位。台湾は初めて行ったが、中々良かったので、また来年にでも行きたいと思った。 9/18に神戸で同窓会があり、仕事が前日大阪であったので、木曜日から大阪に行き、3泊4日で遊んできた。木曜日は難波花月でお笑いをみた。好きなバンクブーブが出演しており、腹から笑わせてもらった。土曜日は三宮にホテルを取り、北の異人館やロープウエイに上り、そのご、南京町にて飲茶をした。多分最悪の店に入った、と思う。なにもかもひどい食べ物だった。台湾とは比べ物にならないくらい酷かった。行列している店で食うのが良いのかもしれない。シテイループというバスは非常に良い。1日乗っても650円なので使える。しかし、満員で乗れない人もいたし、座れないことも多い。 同窓会は神戸の小高い丘の中にあるホテルで行われた。4時から開始したが、卒業以来40年ぶりに会った友人がいた。我々の同期は北海道から九州まで広がっている。一人は九州に住んでおり、学生最後の夏休みに彼を入れ3人で北海道を回ったことがある。昔話に花が咲いて、結局4次会まで付き合ってもらった。 日本酒が旨いはずの神戸では旨い酒が飲めなかったので、翌日は灘の酒蔵を回ることにした。魚崎下車して何もない道を南に行くと、櫻正宗酒造があった。どの蔵でも試飲ができると案内には書いてあったので楽しみにしていたが、特選と純米2銘柄の3種類だけなので、他は飲めないのかを聞いてみた。愛想のない女性が買って飲めという。数年前に行った諏訪の真澄と同じだなあ、と感じてすぐに店を出た。櫻正宗は自腹では飲まないぞ!と決めた。その後、小さな蔵と思うが、浜福鶴酒造に行き、試飲を聞くと全銘柄がOK、と言う。そうでなくては・・・。中に古酒で25度の酒があった。これはリキュール扱いで面白い酒だと思った。すべてを飲んだが、灘の酒は比較的辛口が多いのかな、と感じた。夏限定の酒を購入した。3件目は菊正宗に行った。この名前は知っている。が、関東に来ている酒は正直に旨い酒はないように思ってる。大きな工場で中を見学してから試飲できる場所にいった。大吟醸だけは試飲できませんが後はどれでも構いません、という。大きなところはそうでなくちゃ!純米に絞って全種類飲んだ。辛口で旨い酒がある。灘の酒は旨いではないか!幻の酒米と言われる「兵系酒十八号」で造った生?特別純米を購入した。その時点ですでに12時半を回っていたので、昼飯のために三宮まで戻った。そして夕方には新幹線に乗り帰路に就いた。 1ヶ月半の出来事を要約すると、こうなるのだけれども、遊んだことしか記憶にはないのだろうね。
2010.09.20
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7月の終わりごろから、居間のクーラーが故障した。7/30に修理の人が来てくれたが、治らずに部品交換が必要とのことで、8/6に再度実施することになった。追い打ちをかけるように7/31から家の補修工事が始まった。壁と屋根の補修だから、窓もドアもすべてをビニールで覆い隠してしまった。庭に成っていたブルーベリーさえもビニールでぐるぐる巻きにされていた。このくそ暑い状態で、家全体がビニールで包装されてしまったので、家の中が蒸し風呂と言うよりも熱地獄の様相を呈している。しかも、塗料のシンナーの臭いが家の中にまん延している。真夏の家の改装はやめたほうがいいですね。やっと昨日修理が終わり、安心して居間で食事ができるようになった。 さて、世界一の長寿国日本は今、妖しくなってきている。東京も千葉も埼玉も、NO1の人が随分前から行方不明だという。日本全体でも100歳以上のひとの61人が所在が分からないと言う。一体、どうなってしまったのだろう。娘がどこにいるかがわからないと答える。しかも20年以上前から連絡をしていないという。家族の絆なんていわないけれども、年老いた母親を心配しないのだろうか。自治体からは、住んでいるところは空き地になっていたり、ガード下になっていて所在がわからないまま、記念品を贈っていたなどと言う。いかにもお役人の仕事だよね。不作為の仕業で、こういった人たちが役所にいて住民の世話をする資格はないと思う。 ヤクルト叔母さんや新聞配達の人たちのことがニュースになっていたけれど、こういう人たちを巧く使うと老人対策になるのではないかと思う。私にも北海道に年老いた両親がいるので電話をしてみた。昨日は札幌でも37度の予測だった。久しぶりの会話であるが、喜んでいるのが電話の向こうから感じてくる。「暑くなってきているから、お日様に溶けるなよ。」多少ボケが入ってきた親父は、「大丈夫だ、倒れることがあっても溶けることはないよ。」などと言う。距離が離れていても年老いた二人が元気でいる間は、安心できるものだ。せめて近くにいる人たちが目を光らせてくれていれば、といつも思うのである。
2010.08.07
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土日は春日部の夏祭りだった。7年ぶりに祭りを見に行った。土曜日は夜も晴れていて、春日部拾の住民が集まったのではないか、と思えるような人、人、人で道路は人の洪水のようであった。20年前から神輿を担いでいる元町の神輿がなかった。そういえば16機位しか出ていなかったので、担ぎ手がいないのだろうと思っていた。元町の詰め所になじみの顔がいたので聞いてみたら、昨年神輿の上に人が乗ったため、ペナルテイで出場禁止になったという。 日曜日は朝起きてから、庭の琵琶とイチジクの枝払いをやった後、選挙に行った。予想に反してみんなの党が10人も当選して意外だった。自民が盛り返したといっても、半数は取れていないし、また、ねじれ国会が始まるのかと思うと、この国の政治体制はいつまともになるだろうかと心配になる。どうして民主が自滅していくのか不思議でならない。9月にまた一波乱があるのかもしれない。 午前中にジムで汗を流して、昼からは数年ぶりに川口に住む従兄に会いに行った。年上であるが、兄弟のように仲よくしている。その彼が一時消息が不明で、私や家族は非常に心配していた。ある日突然電話がかかってきて、「おい、元気か?」と言う。人に心配させておいて何が元気か、と怒ったら、ごめんごめん、と謝る、まあ、寅さんみたいな憎めない親父である。再婚して幸せそうな生活をしていたので、安心した。 夕方から、タコと袢纏、地下足袋を身にまとい、神輿を担ぎに行った。7年ぶりである。昔からの仲間がそのまま年を取っていて、「ナベさん、神輿に乗らないでくださいね。」などとおちょくられる。10年前に神輿から落ちたことをまだ皆が覚えているのである。6時スタートで、結局駅前まで2時半担いだ。両足のカーフが筋肉痛になり、右肩が打撲擦り傷で、もう担げなくなった。けれども今朝になって、もう疲労で腰が痛くて、肩は腫れていた。が、60歳にしては良く頑張って担いだものだと自分で感心した。祭りになると血が騒ぐのである。来年もきっと担ぐだろう。
2010.07.12
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昨年の10月中旬に札幌にいる恩師の家族から、突然連絡があった。実は中学校の同窓会の記念に恩師に「奥の細道」か「万葉集」の講義をお願いしていた。それは奥さんに先立たれた病気の恩師に生きる目的を持っていただくことも含んでいた。結局、恩師にはそのことが心の負担になったようで、断わりの電話であった。私は電話だけではなく、手紙でもそのことについてお詫びを認めた。 5月に帰道して、石狩にいる恩師宅に電話したが通じなかった。はがきで連絡したところ娘さんから連絡があり、昨年の11月17日にお亡くなりになっていたことが分かった。札幌在住の同級生に連絡して、お線香を上げさせていただいた。娘さんのお話によれば、「カラオケから帰宅後、トイレに行く、といったきりソファーの上でこと切れていた。」とのこと。何不自由のない85歳の完璧な死であった。 私がその恩師の教育を受けたのは14歳から15歳までのたったの2年間であった。私は国語の教師でもあり担任であったその先生の影響を大きく受けている。スポーツや政治、日常の出来事などを通したモノの見方や考え方、友人の大切さや付き合い方、正義と不正義への対応の仕方や、酒の飲み方や宴会の仕方(これは変かな)などたくさんのことを教えられた。砲丸投げや演劇の指導も受けた。今でも忘れられないのは「奥の細道」のたった一句の解釈をした1時間の講義である。この授業のせいで松尾芭蕉の奥の細道への旅を追いかけた教え子は何人もいるのである。また、恩師の姿を見て同級生のうち教師になった者は6人もいる。 ただ単に講義を行うのでなく、先生が話された一言一言が、教え子たちの心の中に種をまかれて、20年、30年経過して開花し結実した、ということは真の教育者としての姿ではなかったのだろうか。その恩師の名前は大森祐一という。合掌。
2010.06.28
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6/1から新たな気持ちで会社に通い始めた。たった一人のために社長以下全役員で入社式を行っていただいた。その後は昼食会である。昼食そのものは大したことはなかったが、これは非常に嬉しい行事であった。昼からは総務人事関係者によるオリエンテーションがあり、4時で終了した。 この会社は面白く、自分の席というものがなく、役員すら、毎日席が変わる可能性がある。すなわちフリーアクセスなので、早いもの順に好きな席に座るのである。社長だけが社長室があり自分の決まった席がある。常務も平取りもジプシー生活そのものである。よって、机の上には何も置かないで帰宅することがルールである。ロッカーキーを渡されたが、ここに自分の書類やPC、文房具などをしまって毎日帰宅するのである。部門長以上にとってはつらいやり方であると思う。何しろ自分の席が決まっていないのだから・・・・。 春日部から六本木まで毎週3日は通うことになる。20年前には遊ぶところだと思っていたが、まさか自分が通勤するとは考えもしなかった。六本木の凄いところ、というかやはり都会を思わせるのは、2つあった。一つは家の価格や家賃がべらぼうに高いこと。なにしろ、6畳一間で10万円の家賃は当たり前として、60m2程度のマンションになれば築年数が古くても1億円以上もするから驚きである。2つ目は昼からキャバクラが開いていることだろうか。 担当者の仕事を改めてやってみると、今までは自分が本当に色々な人たちに支えられて仕事をしてきたということがよくわかる。**長、といったって、やれることは限られている。コピーして荷造りして宅配業者に渡す。あるいは客との予約を取って色々なことを設定する、なども部下に指示していれば良かった時代とは異なる。今はそういったことも楽しんでやっている。そして楽しみは、六本木界隈を探索して、安くてうまい店を探すことだろうか?
2010.06.03
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このプログも全く更新しないまま2カ月近くが経った。定年後すぐに引っ越しをして、埼玉に移動した後3日くらいで北海道に旅行していた。北海道には2年半ぶりに戻ったのだが、ずいぶんと色々な変化が起こっていた。 まず自分の父の変化である。電話をするわけでもなかったが、久しぶりに見た父親はすっかりと痴呆になっているように見られた。すぐに隣町の病院で診てもらったが、結論からいえばそうであった。ショックをうけるまでもなく、同居している母親が心配になり、今度は市役所に相談に行く。結論は出ていないが、多分要介護の診断になるだろうと思う。身近にいる母親は、まさか自分の亭主が痴呆になるとは信じ難く、結果として診断が遅くなった。周りの友人たちも母親と同等の目で見ていたようだ。 その間に芦別にいる叔母の見舞いに行くが、もう1ヶ月も持たないだろうとの話だった。見舞い後5/2に叔母は亡くなった。葬式といっても身内だけの質素な葬式で終わった。連休中であり、叔父は遠いところにいて、結局葬儀には間に合わなかった。 葬儀の後は旭川で悪友たちと飲んできた。42年ぶりという友人もいたが、ほとんど記憶はなかった。それでも同じ釜の飯を食った仲間として夜遅くまで付き合ってくれた。翌日は恩師に会ってきた。若いと思っていた恩師ももう77歳になり、随分と年をとってきた。耳が遠くなってきている。奥さんが病気であるとのことで、ここはひとつ面白い話がよいだろうということで、綾小路君麿の漫談が入ったカセットテープをプレゼントしたが、喜んでいただけただろうか?昼からは層雲峡に泊まりに行った。5月の連休中に、「雪崩注意報!」がでているなんて考えられるだろうか?ホテルの前にはなんとエゾシカの親子がえさを食べていた!寒い中で露天風呂に入り、石狩川のせせらぎを聞きながら眠りに就いた。 北海道訪問の大きな目的の一つに、中学時代の恩師に会って同窓会の講演会をお願いすることであった。先生のご自宅に電話したが、電話が繋がらず、仕方がないのではがきを出したら、娘さんから電話があった。先生は昨年の11月17日にご自宅で死亡されたとのこと。娘さんの話によれば、カラオケ大会から帰宅して、「トイレに行くよ。」と言ったきり、ソファーの上でこと切れていたという。83歳という若さであったが、自然死とのことで、本人にとってはまことに幸せな死に方だったという。(残された娘さんは警察の事情聴取が大変だったようだ)5/15に札幌に行って線香を上げさせてもらった。 札幌に行った時に中学時代の同級生3人と会い、来年の6月に合同のクラス会を行うことにした。彼らも私と同様に、みんな今年還暦である。帰りに江別で蕎麦屋を始めたという友人に会いに行った。彼とは卒業以来40年ぶりであった。Y社に勤めていたが、5年前に早期退職して趣味でやっていたそばを商売にしたという変わり種である。3時に店を閉めるというのでギリギリに間に合ったが、客がひっきりなしに入っているようで、成功しているように見えた。業界の雑誌にも掲載されていた。 最後は、私の山であるが、まず4月の後半は雪で車が入れなかった。5月5日になってやっと山道の除雪ができて上ることができた。薪小屋がつぶれていた。これを解体して、薪を別な場所に移動させて、整備した。薪小屋は十分な数があり新たに作る必要もない。それにしても、人が入らない山というのは虫や動物の好き放題である。いたるところにキタキツネのフンがあり、ネズミや鹿が木の根や皮を食っている。初日はテントウ虫や瑠璃タテハ蝶などが卵から孵り家中を飛んでいる。自慢の五右衛門風呂を沸かし、くつろいでいるうちに虫たちもいなくなった。今年は例年になく寒く、5月の2日には芦別ではみぞれが降ったくらいだから、本当に寒い春であった。。TVでは今週すでに日高地方で年寄りが襲われて死んだとのニュースが出ていたが、それよりも早く、今年の初熊は歌志内という町で出たようだ。何しろ山菜が取れる時期には熊も活動始めるから、気をつけなくてはならない。 とりとめのない話になったが、時間の流れは誰にも止められない。神様がいるとは信じていないが、すべて人たちに平等なことは時間だけである。人生をぼーっと生きてこようと真剣に生きてこようと、たった1度しかない人生をどう生きようが勝手である。が、私は先人たちの生きざまを見ると、自分がそうしたいと願った通りになっているのではないか、と感じてならないのである。私の人生もあと23年になった。やり残した夢は少ないが、それでも実現に向けて努力はしていこうと思う。無理な願いは見直しして変えようとも思っている。
2010.05.27
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4/7に39年間勤めた会社を定年退職した。3/5に退職のお祝いをやっていただいたのを皮切りに、全部で15回の宴会が4/4まで続いた。職場の仲間だけではなく、飲み友達や、スポーツジムの仲間、ドラムスクールの仲間など、本当に多くの方たちから、声を掛けていただいた。その間2回ほど病院通いをするほど、飲みすぎ食い過ぎによる胃炎を起した。計算してみると2日に1回飲みに行っているが、実際には週末に連荘が多かった。毎週木から土、ないしは日まで続くことが多々あった。最後にはクスリを飲みながら酒を飲むという日々だった。とにかく、私にとっては、嬉しい日々であった。言葉だけではなく、心のこもった色紙や、商品をいただいたりもして、中にはお世話になった人からも記念品をいただいて恐縮してしまった。 そして、初めての単身生活を送った相模大野からも4/9に引越しをし、埼玉に戻った。振り返ればたったの5年半であるが、実に楽しい想い出ができた。大野そのものは都会である。家から5分以内にたいていのことができた。スーパーや飲み屋は勿論であるが、病院も床屋も駅もパチンコやカラオケまで何でも揃っていた。病院も夜間や土日も診てもらえた。マッサージと美容院は駅の周りだけで10件くらいはあるのではなかろうか。都会の生活から、春日部に戻ってきて、今は引越しの荷解きと過去の遺産の整理で大わらわである。4/8からは無職なので暇になるはずであるが、これが末まで予定が入っていて、中々暇にならない。明日は、子供たちがお祝いをしてくれるらしいので、楽しみである。
2010.04.10
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1971年4月1日に、私は社会に出た。あれからもう39年が過ぎた。私はもう定年になるのだ。私の誕生日は4/7だから、あと1週間であるけれど、今日からは有休消化である。その有休だって40日が付加されたけれども、どうやっても消化できない。むしろ3月に4日の有休取得したけれども、3日間は結局仕事をしていた。 今日は各地で入社式をやっていると思う。その中で、私は再就職のために39年ぶりに入社試験を受けに東京に行って来た。課題が事前に与えられていて、その課題を6人の試験官を前に実演することで午前中の1時間、昼からは筆記試験と性格判定テストがあった。筆記試験は1時間の間に120問くらいを答えるのであるが、知能テスト的な事項だけではなく、数学、物理、地理、歴史、国語に統計や確率論、まで豊富であった。まるで歯が立たないという感じである。時間があれば80%くらいは答えられたかもしれないが、まったく判らない問題もあり、何をどう判定するのだろうかと思う。それでも優秀な人は100点に近い点数を取るかもしれない。 私は定年後にやりたい仕事があり、それをやるために独立するか、会社組織でやるかを最後まで悩んだ末に、会社組織の中で進める事に決めた。理由は簡単である。そのほうが簡単に広がるからである。一人では何もかもやらなくてはならないが、やれることは限られてくる。組織を使えば、売り上げや利益管理は経理の専門家が、営業は営業マンが、広告宣伝はその道の担当者がそれぞれやってくれる。自分はやりたい事だけに専念できしかも時間的な余裕も取れる。 定年前に色々な人たちのお祝いをしてもらっている。その話は来週書くことにする。何しろあと3回も送別会が残っている。
2010.04.01
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3/5に埼玉で元部下たちが30人くらい集まって定年退職のお祝い会をやってくれた。元々は同じ職場で働いていたが、それぞれが自分の意思で道を決めて、今は半数の人の職場が異なっている。うるさい親父だなあ、と思っていた人もいるだろうし、面白い親父だと感じていた人もいるだろう。始めはそんな関係だったけれども、それらはおそらく時間をかけて信頼関係が生まれていったのだろうと思う。今はすっかり仕事やめて良い母親になっている人もいれば、相変わらずのバカをやっている人もいて、和気藹々と会は終了した。 それからは送別会やら、ただの飲み会やら毎週2回~3回の飲み会が続いている。とうとう15日の朝4時半に気持ち悪さで目が覚めた。胸がむかついて吐き気がしたので、9時前に病院へ行き、色々と検査をされた。血圧が200を越えていたので、医者は脳梗塞を心配したらしい。CTスキャンもレントゲンも血液検査もしたが、医師の診断は胃炎か食道炎という。それが本当ならば、人にはイエンではないか、と思った。嫁はただの飲みすぎ食い過ぎに金を掛けている医者を怒っていたのだけれども。医者からは1週間はお酒と運動を避けてください、と言われた。まずいことにその夜はおじさんたちでの飲み放題食い放題の宴会が入っており、さらにまずいことに私が幹事であった。始めはおとなしくしていたが、最後には日本酒も芋も飲んでいた。 飲み会は続くもので、飲むペースは変わらない。私の退職まであと2週間となったが、飲み会はあと7回もある。明日からは怒涛の4連荘が始まる。今日は10ヶ月ぶりでドラム仲間のOさんとばったり会った。31日の音楽スクールの送別会に来てくれるらしいので楽しみだ。
2010.03.08
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冬季オリンピックが終わった。日本のメダルは銀と銅で5個だった。浅田真央の銀はプレッシャーの中で、本当に良くやったと思う。スピードスケートの女子団体追い抜きが一番金メダルに近かったのだろうと思う。又、メダルには届かなかったが、37歳の葛西はすばらしいジャンプをしたし、女子カーリングのチーム青森はカーリングの面白さを教えてくれた。27億かけて5個しか取れないというのか、良くやったというのかは難しい判断と思う。 そんな中2つのニュースを見た。一つは女子のスピードスケートで銀メダルを取った2人が所属する会社の社長の話である。15年前に富山にあるその会社は、国体のために頼まれてスケート部を創ったのだそうだ。けれども富山県内にはスケートリンクがない。これほど金がかかるとは思わなかったという。が、始めた時は売り上げがあり、対応できていたらしい。06年に富士急から田畑(穂積だったかな?)を受け入れた頃から会社の業績が悪くなったそうだ。それでも企業の使命として、会長、社長の給料を下げて年間4000万円の部活費用を捻出したそうだ。これが従業員50人の会社でやっていることである。従業員が何万人いようと雇われ社長ではこのようにはできないだろう。株主から利益を出せ!といわれて生産性が悪い部門や売り上げに寄与しない部門は真っ先に予算をカットされるからだ。 もう一つのニュースはロシアの大統領がメダルが少ないので激怒したという話。今回の責任者は辞表を出せ!次のソチに向けて国ができることはきちんとやる!と宣言した。 団長の自民党議員の橋本聖子は良く頑張ったと思う。国母の服装事件などがあったが、巧く処理をしていたと思う。が、日本の指導者たちは何も発していない。来年度予算が今日衆議院を通って多分成立するだろうが、仕分けで1.7億円削減されるらしい。ドイツは国家高揚に向けて270億円をオリンピック強化に使った。韓国ですら日本の4倍である。しかも金メダル獲得デモすれば一生の保証を国が見てくれる。こんな環境の中で同じ競技をしていても気合の入り方が違うのは当然だろうと思う。つまらないことに金を使うなら、思い切ってこっちにまわす事だってあると思うが・・・・。さあ、ソチに向けてこの国はどう動くのか?
2010.03.02
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早いもので、もう2月が終わり、慌しい時間が過ぎていく。日常はどおってことない日々であるけれど、積み重なっていくうちにあと1ヶ月少しで定年退職となった。最後の日まで出勤してある日から、これまでの垢を落とす旅に出たいと考えている。 新たな会社を興そうかどうかを考えたが、色々な人たちのサポートでもっと平易にやれるめどがつきそうだ。実際の稼動は6月からとなりそうなので、少しは色々なことを整理できそうだ。
2010.02.28
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ノダメカンタービレって何だろうと思っていた。久しぶりに埼玉の家に帰ったらその本があった。ノダメは主人公の野田めぐみを短くした愛称で、今風にそういうものなのか、と感心した。そうであるなら、ワダメは和田めぐみで、ワタメは渡辺めぐみだな、と思った。飛田めぐみはヒダメで・・・・、と際限なくめぐみの名前を漬けていくと色々な**メが出来上がりそうだ。カンタービレは音楽用語であるようだ。それでこの漫画はどんなジャンルかといえば、まあ音楽分野の少女マンガである。それがかなり面白くて、つい嵌って読んでしまった。すると22巻まで読んで終りではないことに気が付いた。全巻ではない!そこで調べてみたら、昨年に終了していて全23巻であるらしい。終りはいったいどうなったのだろうか、どんな終りになるのか気になって仕方がない。 今年になって2本の映画を見た。「アバター」と「This is it.」両方とも面白かった。特にThis is itはマイケルジャクソンの遺作になってしまったが、彼の音楽の感性と踊りのすばらしさには驚いてしまった。もっと早くから見ていればなあ、と思った。親父バンドを経験したことでさらにそのすごさが判ったのだろうと思う。その親父バンドであるが残念ではあるが、解散することにした。しばらく様子を見てから埼玉で仲間を集めるかもしれないけれど同じ感性というのは中々難しいのだろうと思う。
2010.02.02
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暮れにやったライブがYou Tubuにupされたそうだ。「わぃわぃナベちゃんwith-T」で検索するとヒットし、曲を選ぶと動画再生される。(ここまで書いてみたが、まだ見ていなかった)言われたとおり操作してみたら、ドドドーンと出た。下記のURLはライブの全曲が収録されているようだ。再生回数が多いのは青春-僕で145回だった。全世界で見られるとの事だけれども、どうも関係者の域を出ていない気がする。http://www.youtube.com/results?search=related&search_query=%E5%AD%A6%E5%9C%92%E5%A4%A9%E5%9B%BD%20%E3%82%8F%E3%81%83%E3%82%8F%E3%81%83%E3%83%8A%E3%83%99%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93With-T%20%E5%88%9D%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%206/28%20%E5%B0%8F%E6%B3%89%E4%BB%8A%E6%97%A5%E5%AD%90&v=Ilmuh9f5Wvc&page=2ここでドラムスを叩いているのが私だけれども、改めて聴いてみると、やはりへたくそであるなあ。もっともバンド全体で言えることだけれども。バンマスの昔の友人で、元ブルーハーツの河口さんから初ライブの講評をもらった。「ドラムスは平均的に上手で、難しいところをクリアーすれば良い。年齢と経験からすれば凄い。」と誉められてしまった。最後に「なごり雪」を歌ったのだが、(リズム感が悪いのだけれども)唄が上手いと又誉められた。今は音楽プロデュサーをしているとのことだったが、人を誉めることが巧い人はやはり大成するのだろうなあ。 昨日で正月も終り、新たな年の始まりとなる。その新しい年の干支は寅であり、私の干支でもある。4月で長いようで短かったサラリーマン生活が終わる予定である。
2010.01.04
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今年最大のイベント?のライブが終了した。12/22(火)20時から小田急相模原のT-Rocksで実施。始めは何人来てくれるか、が不明であったが、ほぼ店内が満員に近い50名+が来てくれた。演奏時間は1時間であったが、14曲をこなした上でアンコールも2曲もやってしまった。来場した人たちの感想としては、「下手と聞いていたが、意外と良かったよ。」ということだった。息子曰く、「子供のライブに行く親はいても、親のライブに来る息子はそうはいないだろうね。」持つべきは愛する家族と友人たちか。反省すべきことは沢山あるが、基本的には下手なことである。やはり練習するしかないのだろう。曲をしっかり覚えることと、フィルをきちんとやることだろうと思うけれども、これはスクールでは教えてくれないので、少し難しい。写真だけ見ると音楽が上手いかどうかは分からないので、雰囲気を味わって欲しい。バンドの構成は、リードギター、2ndギター、ベースギター、ドラムスの4人である。それぞれのパートは上手くないが何とか演奏にはなっていると思うが、弱みはボーカルだろうか。唯一私がボーカルをやったのが「なごり雪」である。定年後にミュージシャンをやるよ!なんてかっこいいけれども、生活すには難しいだろうな。でも、またやりたいなあ。これで、今年の最大のイベントが終った。12月は忘年会が8回あった以外に、バンドの練習がメインで、その他には講演もやった。やっと今週に賀状を終了して、昨日ポストに投げ込んだ。年末には年越し蕎麦を打って今年も終わる。
2009.12.27
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ドラムを始めて1年と7ヶ月が過ぎた。今年の2月からバンドを結成して、毎月練習してきた。そして、12月のクリスマス頃にやりたいネ、といってきたが、とうとうライブをやることが決定した。みんなの日程とライブ場所の空きを確認して決定したが、果たして観客が集まるだろうか?そして料金をどう設定するか、など課題が山積みだった。正直に言えばど下手なバンドをお金を払って見に来るはずがないだろうということで意見が一致して、無料でやることに決めた。けれども、肝心の観客動員が少ない。全部で80人が入れるライブハウスで観客が少ないんじゃ寂しいねえ、ということで各自ノルマを決めて40人を集めることにした。曲はすべてコピーで、ほとんどが青春時代の曲である。1. ファンキーモンキーベイビー:キャロル2. 憎いあの娘:キャロル3. 愛の叫び:キャロル4. Let it be :ビートルズ5. Stand by me:ジョン・レノン6. Walk don’t run:ベンチャーズ7. Diamond head:ベンチャーズ8. Pipe line:ベンチャーズ9. 学園天国:小泉今日子10. 青春 僕:矢口真里11. 世界に一つだけの花:SMAP12. 想い出の渚:ワイルドワンズ13. クリスマスイブ:山下達郎14. なごり雪:イルカこのところ毎週4~6時間くらい練習しているが、学芸会のいきを出ない。このままでは本番まで間に合わないような気がしている。私は土日は個人練習の日々である。ちなみにライブは12/22の夜に開催する。バンド名:「わぃわぃナベちゃんWith-T」
2009.12.12
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日曜日は全国高専ロボットコンテスト2009年全国大会が両国の国技館で開催されたので、母校の応援を兼ねて見に行った。全国8地区を勝ち抜いてきた25チームが与えられた課題をクリアーして、高得点を狙うというコンテストである。今年のテーマはかなり難しい。2台の歩行ロボットがダンスパフォーマンスを繰り広げるという競技で、3分間でどれだけ課題をクリアーするのかを競い合うものである。ASIMO並みの2足歩行ロボットもあり、中々面白いコンテストであった。1回戦で母校が負けてしまったので、13試合を見た後帰宅の途についたが、若い技術者の卵たちが、モノつくりの面白さを企業に入っても継続できれば、日本のモノつくりも成長していく可能性があるのだけれども・・・・。
2009.11.23
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大野駅のコンコースでは毎年この時期になると、クリスマスツリーが飾られる。今年ののツリーは写真のように結構良い感じ。ところで、今日は朝8時半に起きたものの、朝飯を食べてからつい朝寝をして、10時半に目が覚めた。11時から1W振りに筋トレをやって、12時にはスカッシュをやった。1時過ぎには帰宅し、その後海老名にある丸井の酒売り場に行った。毎週末に各地の酒造メーカーが来るので、ここと大野の伊勢丹は穴場である。今日は愛知の蓬莱泉が来るので楽しみにしていた。何しろ、「空」はここの看板酒で、中々手に入らない酒である。空よりも安い酒の試飲ができた。けれども気に入った味がなかった。やはり、「空」以外は大したことがないのだろうか?結局、厚木の盛升を購入してきた。その後、ドラムの練習をして今度は伊勢丹に行ってきた。先週は、長野の真澄が来ていた。諏訪で試飲した時に頭にきて以来、真澄の酒は自腹では飲まないと決めていた。その話を売り子にしていたら、通りがかりの奥さんが謝って来た。名刺をみれば、うわさの若女将であった。今は試飲が梅酒を入れて6種類しかないことが無くなったそうだ。試にと純米大吟を飲むと旨いんだなあ。けれどもやはり購入はしなかった。「ごめんね女将、今度は飲むよ。」今日は明石酒造という宮崎の焼酎メーカーが来ていた。定番である明月を購入した。5合ビンで980円くらい。今年もあと1.5ヶ月くらいだね。
2009.11.15
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秋になり、少し涼しくなってきたので、里山を歩くことにした。関東NO1の人気を誇ると言う高尾山に10/12に登ってきた。京王線の高尾山口で下車して、1号路を歩き始めた。高尾山薬王院の参道ということもあり、全面舗装された道路であった。年寄りは勿論、乳母車あり、幼少者ありで、まるで都市の中を歩いている錯覚すら感じた。ケーブルカーで行けばすぐの距離でも、のんびり登って2時間くらいで山頂に着いた。山頂は新宿の雑踏のごとくの人がいて驚かされる。写真でもわかると思う。紅葉にはまだ早い。帰り道は舗装がされていない6号路を回ってきた。こちらは険しい山道であったが、やはり人通りが多い。気楽に登れる山として人気があるのは良くわかった。 10/17は箱根に行き、仙石原高原のススキ草原から強羅公園までの10kmを歩いた。ススキ草原はごらんのように圧倒的な量のススキが見事だった。山を登り、そして降り、途中で色々なところを見聞きして強羅公園についたのは昼過ぎの2時頃だった。強羅公園はバラ園が見事だったが、中に桜を見つけた。10月桜というそうだ。 その日は強羅のホテルに泊まったが、外食しようとして困った。湯元まで降りて遊んでの帰り、強羅で蕎麦を食べようとしたのだが、6時頃には真っ暗で、しかも閉店している店が多いのであった。客足が遠のくので昼だけの営業なのかもしれない。歩き回って見つけた店がカツ煮豆腐で有名な店らしく込んでいた。30分ほど待たされてやっと食事にありつけた。ホテルに帰って温泉に浸かったらバタンキューで寝てしまった。 翌日は、大涌谷から芦ノ湖まで歩くことにした。天気に恵まれ大涌谷からの富士山の眺めは良かった。大涌谷名物の黒卵を買って、遊歩道を歩く。多くの人がロープウエイを使うので、遊歩道は空いていた。芦ノ湖では海賊船に乗って箱根口に渡り、玉村ミュージアムに入った。作家と思っていたら、実は絵も描く人だと知り驚かされる。野菜果物の水彩画と世界の風景を切り取った絵が多い。写真を撮ってから絵におこすらしい。その敷地にあるレストランで昼食を取る。ここも評判の高い店らしく、15分くらい待たされた。が、こんなところでも旨い料理を出すので又驚いてしまった。店員にどこから通勤しているのか聞いたら、「私は仙石原から車通勤しています。」とのことだった。仙石原は昨日行ったところで、別荘しかないと思ったが、どこでも生活があるものだと感じた。
2009.10.24
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造ったばかりの日本酒はややもすると、ピチピチしているような生きの良い酒であることが多い。生酒はそれはそれで旨いものである。が、冷おろしは(あるいは秋上がりとも言うが)夏の暑い時期を過ぎると、味ががまろやかになって一段と美味くなってくるのである。およそ9月の終わりごろから出始める。そこで、つづらおの店長が転勤したのに伴い、冷おろしを飲む「のん兵衛の会」を新百合で実施した。 美味い酒は春までに仕込まれているので、それらも同時に発売されてくる。我々の会ではまず始めにその日の一番美味しいと思われる酒を店長に出してもらうことにしている。それで本日の仕入れた酒の全貌が垣間見えるのである。この日の最初は「醸し人九平次」の純米大吟である。35%まで磨いた山田錦を使っている。山田錦は酒適米としては一番良く、高い米とされており、35%というのは米の中心部のみを使い、残りの65%は捨てているので、随分と贅沢な造りである。醸し人九平次は愛知の酒であるが、私の好きな銘柄で蓬莱泉の「空」と言うのがある。45%まで磨いた純米大吟であるが、中々市場に出回らない。ひょうんなことから時々ある酒屋にあることを見つけて、時々確認のためにその店に行くが、年間で2回くらいしか見たことがない。定価で販売するので、知っているのん兵衛が見れば、当然購入するのである。実は私は今週1本を手に入れることができた。今年は始めてである。写真をアップした。 次に出たのが、「尾瀬の雪解け」で愛山で45%まで磨いている。愛山は店長が好きな酒適米である。愛山といえば、山形の十四代にもあり、写真を探したが見つからないので、宮城の純米大吟である日高見の愛山を添付した。 日本酒は毎年およそ200種類くらい飲んでいるが、本当に毎年の酒の出来が異なることと、同じメーカーの同じグレードの酒でも米の種類によって味わいが違うので、本当に酒の味を楽しめる。高い酒ばかりではなく、冷おろしは安くて旨い酒も出てくる。先週大野の伊勢丹で岡山の地酒をやっていた。岡山には知っている酒がない。半信半疑で試飲してみるとこれが旨かった。思わず購入して家でも飲んだが、やはり旨かった。竹林の無濾過純米「瀞」という酒である。空が4合ビンで3517円するが、竹林が4合ビンで1840円と約半額である。 冷おろしは飲兵衛の会でも随分と出たが、5杯目くらいからは良いが回ってきて、ナニを飲んでいるのかが判らなくなってくる。写真を撮るのも面倒になり、いつも終了時には蕎麦を食らうのであるがそれを食べたことまで忘れてしまっている。下記の写真は飲んだ分の一部である。今、見ても美味しそうに見える・・・・・。
2009.10.07
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9月もそろそろ終りになる。先週嫁と西日暮里から尾久を回り、王子そして駒込を抜けて巣鴨まで歩いた。万歩計ではおよそ25400歩であった。下町の尾久銀座、霜降り銀座商店街、そして最後は巣鴨地蔵通商店街を回った。これらの商店街は生鮮食料や総菜屋が立ち並び、揚げたてのコロッケやおでん、などが食べられ、しかも安くて旨いのが特長である。尾久銀座から隅田川に行こうとしたが、防波堤が邪魔をして川には出られなかった。そこで、宮ノ前から都電に乗って王子の先にある飛鳥山に行った。都電は一律の乗車賃でたしか160円。飛鳥山では渋沢栄一の資料館があり、私は彼が好きなので見学した。その後、ひたすら歩き霜降り銀座を目指して歩く途中に旧古河庭園があったので寄り道した。バラが1年中咲き誇っているとのことであったが、残念ながら咲いていなかった、10月中は見所と言うから、もう一度行ってみたいと思った。庭園は、写真のように大正時代に造られた洋館である。 そのご、霜降り銀座から、染井霊園に行こうとしたが道に迷い、そのまま「そめい銀座」を過ぎて明治通りに向かったようだった。丘の上を行ったりきたりしながら何とか巣鴨駅に着いた。私は巣鴨の三浦屋ですっぽんを食べるつもりだったが、嫁は予めカレーうどんに決めていたようだ。とげ抜き地蔵の裏にある古奈屋という店に並ばされ、40分も待って食べたのが下記のカレーウドンである。うどんを食べるくらいで並ぶのかよ!と思っていたが、並んで食べる価値はあったと思う。下記の左がえび天カレーうどんで、確か1350円くらいだった。カレースープは本当に旨かった。右がヒアルロンサンなどが入ったカレーうどんである。値段は同等であったが、お肌ツルツルの追加分が2~300円あったと思う。 巣鴨では塩大福と酒のつまみを買ったのち、へロヘロになって帰宅した。10月は高尾山か丹沢に挑戦しようかな。
2009.09.30
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9月もそろそろ終りに近づいてきた。なんだか暑い日が続いた9月だった。私は先週から飲み会が4回も続いて、飲みすぎで又太り始めてきたので気にしている。それにしてもシルバーウイークなんて誰が決めたものなのか。それもあっという間に終わってしまった。 大相撲が今日千秋楽だったが、初めから練習をしない相撲取りばかりだから、結局強い横綱が優勝して終り。なんとも締まらない。最後の取り組みの3番は内容がお粗末だった。日本人最高位の大関戦は7勝7敗の魁皇が勝つようになっていたと感じるし、外人同士の大関戦も格差がありすぎた勝負だった。2番が外人同士の取り組みでそれが日本の国技、と言うのには呆れてしまう。1番目は白鳳のすばらしさが目立ったが、決定戦はできレースに見えて仕方がない。朝青龍はもう盛が過ぎている。練習しなくて優勝ができるのは日本人力士がだらしがなさ過ぎるからだ。 町田の胡心房というラーメン屋に入ってみた。いつも列ができているので避けていたが、今回は思い切って並ぶことにした。昼を少し過ぎていたので、随分と行列ができていた。女性ばかりの店内で通常のラーメン屋とはイメージが違う。出されたラーメンは写真の通りである。中々上手いラーメンであった。
2009.09.27
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最近、きれいな女性がジムのトレイナーに入った。わざわざ挨拶してくれたので非常に良い印象に残った、が、名前は忘れていた。何日か前に音大出身で、以前は舞台に出ていたと言うのを聞いた。「俺も何回かはミュージカルを見に言ったよ。特にライオンキングは2回も見たよ。」「それはすごいですね、高いですものね。」、という他愛もない話をしていた。「実は私も出ていたんですよ、しょうもない役でしたけれど。パンフレットが残っていれば私の名前もあると思います。」「パンフは高いから買わないの。」なんて会話、あーそうなんだ、で会話が終わっていた。沢山出ていたから端役なんだろうな、と思い込んでいた。そのときに、このジムの仲間との日本酒を飲む会にお誘いしたけれど、「その日は仕事が入っていて駄目です、又お誘いしてください、」と断られた。会って数日でそんな話をしたおじさんが悪いのだけれども。今日になって、ウエイトトレーニングをやっていたので、少し指導をした。素直で、はいはいと指導通りに行うのでとても気持ちが良かった。名前を忘れていたので、トレーナーで格闘家の下ちゃんに聞いたら、「MSで彼女は元女優ですよ。」という。何で判ったの?と聞いたらnetで調べたら載っていた、とのことで、早速帰宅して調べてみた。名前を検索するとライオンキングのナラ役やマンマミーやのソフィ役だった。準主役クラスなので驚いた。劇団四季を退団後も舞台女優として活躍していたようだ。なんだか嬉しいねえ。
2009.09.13
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気が付いてみるともう9月になっている。もう秋だ。ここ相模大野の西口は再開発の波で、そこら中取り壊し中であり、面白いことがない。今日は天気が良いので、久しぶりに西口商店街を抜けて、ツタヤまで行った。焼き鳥が1本60円の店は移転し、焼き団子1本50円の店も移転した。私がドラムの練習に良く使っていたスタジオアジャも取り壊しされ、新たな店は工事中である。まだまだ使えると思われる建物も今はボロボロに破壊され、見る影も無くなっている。今日はスカッシュをやったあと、相模原商店街?にあるスタジオまでドラムのレッスンに通った。眠くなったので、今日はこれでお終い。
2009.09.06
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もう少しで、8月が終わる。今年の夏はお盆までは寒い日が続き、その後急に暑い日が続いた。こんなときにインフルエンザが流行り、高校野球やプロ野球にまで影響が出た。体力には絶対的な自信がある私だってインフルエンザじゃあなくて、夏風邪なるものにかかってしまった。クーラーと窓開放による空調のコントロールが、体温のコントロールと合わなく、長引いたと思われる。 近くにある大きな病院だが、ヤブ医者が多い病院へ通う。ここは待たなくてすぐ診てくれるのが良い。が、やはり、ヤブが多いようだ。医者は診察代を取りながら、どうしましょうか、と平気で患者に聴いてくる。それはこっちが聴きたいと言うと、「そうですね、耳鼻科に行って下さい。」などととぼけたことを言う。「耳鼻科でどこを診てもらうのですか?」「おそらく喉ですね。」「喉に異変が起きているのですか?」「見た目は異常がないですが・・・。」こんな会話が続く。結局、薬をくれるが前のカルテもろくに見ないのでトンチンカンな個数になり薬局で待たされる。 衆院選挙が終わり、民主の圧勝に終わった。小澤の戦略が16年の年月を通して達成されたと言う気がする。この20年間に失われた政治の失政を挽回できるかどうかが、民主党の評価になる。それらの多くは、やはり経済の建て直しである。特に、今の30台後半の世代(失われた世代、と呼ぶそうであるが)の再生産が可能となるかどうか、35歳を過ぎて契約社員で、結婚もしない、あるいは結婚していても子供を作らない、というこれからを背負う世代への対応が非常に重要と思う。企業内失業者600万人とも言われる人たちや失業率(平均で5.6%、北海道はもっと酷い)の改善がどこまで進むのか、も重要である。日本の中でやれる仕事は沢山あるはずで、コストだけで中国やインドなどに生産を移すと言うのは、おかしい。派遣労働の禁止、ということもあるが、都内には月給15万、ボーナスなしの正社員もいるようで、むしろ雇用安定だけで非正規社員よりも劣悪条件である。 そんなこんなで、変な夏が終わる。夏の終わりの最後には台風のおまけまで付いた。今はもうどこかへ言ってしまったのだろうけれど。週末に、親父バンドの練習をした。下手なバンドであるが結構楽しんでやっている。明日からは9月で、ここ相模大野の駅コンコースも秋の気配を感じさせる装いを工事中である。今年も残りは4ヶ月しかない。
2009.08.31
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やっと夏らしい暑さになってきた。今日は朝から30度近く、湿度も高いとTBSの根本君がTVで話していた。ちなみに彼女の笑顔はとても良いですね。今週の地震で崩れた静岡の高速を修復している様子がTVで映し出されていた。お盆で帰省ラッシュというのに高速も走れないのでは、遠くへ行く人は大変だろうと思う。夏らしい暑い日がやっときたという感じなのだけれども、1週間くらいしか続かないらしい。近年にない冷夏だそうで、もう秋が忍び寄ってきている。 私の体調はあまり芳しくなく、昨日の昼からは背中まで痛くなってきた。薬も切れるので、朝から病院に行ってきた。「先生夏風邪と診断されてからもう3週間が過ぎているのですが、もう少し何とかなりませんか?」と訊ねると、「あなたのようにアレルギーを持っている人は特に長引きますね。長ければ2ヶ月も続くこともあります。まだ喉も赤いですから。」診断しながら説明する。確かに喘息を持っているし、咳は前に比べると随分と楽になったが、今でも出ると死にそうになるくらい辛い時がある。「もう少し薬の量を減らしてください、何しろ腹が膨れるくらいの量をもらっている上に飲むと眠くなるので。」、とお願いして薬の量は大幅に減った。背中の痛みは筋肉痛ではないか、と言う。確かにスカッシュをやっているし、筋トレもやっているので否定はできない。シップ薬をくれた。(金で買うのだけれども) 内科を終わってから、今度は接骨院でマッサージをしてもらう。リーブの会員たちが結構利用して、その仲間から紹介されたベスト接骨院と言うのだが、ここはとてもいい。場所も大野駅前にある。前は整形外科に通っていたのだが、治療らしいものは牽引と電気プルンマサージだけなので、良くなっていると言う実感がなかった。それでも随分と通って、その間に色々なマッサージにも通った。ここでは15分の手もみマッサージが付いて、10分単位で希望に応じたマッサージをやってくれる。随分と楽になってきた。 明日は、午前中にマッサージをやった後、昼過ぎからスタジオを借りてドラムの練習をして、夕方からは筋トレとスカッシュをやる予定。夜はカラクリTVを見て、大河ドラマをみたら多分酔って寝てしまいそうだ。
2009.08.14
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先週から行方が判らなかったノリピーこと酒井法子は、夫の覚醒剤逮捕が恥ずかしい故の逃避行かと思われたが、本人の覚醒剤使用による指名手配になって驚かされた。そして、先ほど警視庁に自首したところを逮捕されたという。39歳の母親が覚醒剤を使用しているなんて、しかもノリピーがなぜ?と思うのは私だけだろうか?とにかくびっくり仰天、とはこのことかと思った。それにしても、子供を親ではなく亭主の浮気相手に預ける事の異常さもそうであるが、知人の男と逃避行していたことも驚かされる。さらに弟も九州で覚醒剤で捕まったとのニュースもでた。しかも弟は広域暴力団員であるらしい。それにしても覚醒剤を夫婦でやるなんて信じられない。捕まった馬鹿亭主だけであるなら良くありがちな話である。10歳の子供を持つ母親、しかもあのノリピーが覚醒剤を打つなんて信じられない。いったい彼女の身に何があったというのか、幸せに見える彼女にも覚醒剤を打たなければならないほどの辛いことがあったのだろうか。普通のオジサンにとってこの事件はとても不可解で悲しい、そして不愉快なものである。
2009.08.08
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7月からそうだったけれども、8月になってもまだ夏らしさがない。暑いのだか、湿度が高いのかわからないが、体温の調節が上手くできなくて、夏風邪を引いたままもう2週間を過ぎた。昨日は朝から病院に直行し、腹一杯になるくらいの薬をもらってきた。それも今回は4回目になる。点滴を打ってもらおうかとも思ったが、先週やってもらって効かなかったので、やらないことにした。女医は「土曜日までの薬を出しますね。」と言ったが、来週まで出してもらった。勿論、病院通いを辞めるつもりだったのだけれども、昨日に続いて今日も会社を休み、明日もきっと駄目だろうな、と思うくらい体調がおかしい。薬を飲んで寝ると少しは楽になるのだが、咳き込みと痰が絡んで鼻水がでて、とにかく1日中汗をかいている。トレーニングもスカッシュも止められて、風呂も良くないようだから、今日は汗をかいたまま寝ることにする。勿論、酒を飲む気にもなれない。 夏らしくしゃにむにでも暑くなれば、いいと思うのだが、今年の夏らしさは、来週1週間で終わるらしい。山梨のぶどう園では、カブトムシが大量発生し、被害が出ているらしい。これも異常気象のせいらしい。そう言えば、蝉の声もあまり聞こえてこない。蝉だって雌伏数年だから、この陽気なら地上に出てくるのは来年にしたいなあ、と思うだろうな。
2009.08.06
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梅雨明けしたというのに、このダラダラ雨はいったい何なんだろう。雨のせいばかりではないが、世紀の皆既日食も見られなかった。それというのも、先週から風邪をひいたためである。窓を開けぱなしにしておいたため体を冷やしたようだ。土日はなんか体がおかしいなあ、と言う感じであったが、月曜日から喉が痛くなり、火曜日には喘息の発作と思われる咳が酷くなった。喘息の発作と思い、午後から無理にお願いして主治医がいるS病院に行って来た。 医者曰く「ただの風邪ですね、薬を出しておきますので様子を見てください。」と言われた。けれども、その日は咳きとたんが酷くなって、1晩中寝られなくなった。水曜日に会社に行ったが、どうしょうもなくて昼からは帰宅して、部屋で寝ていた。2時間ほどしてから、近くのヤブ病院へ行って点滴を打ってもらった。さらに咳止めももらってきた。木曜日も金曜日もおとなしくしているが、まだ症状は変わらない。明日からは夏休みになるが、何もしないで終わる可能性もある。
2009.07.24
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先日のTVで痴漢の冤罪をやっていた。「痴漢は立派な犯罪です!」というのは判るし、本当にやっている奴は卑怯である。けれども、もし、それが被害者の勘違いだとすれば、お互いがとても不幸である。TVで放映していたのは、満員電車の中で被害者の後ろ向きでジーパンの上からお尻を触っていたというもの。正直に言えば、それだけのことで、加害者と疑われたサラリーマンは仕事を失い、場合によっては家族すら失うことがある。それほど重大な過失だろうか?勿論,病的に痴漢をする輩がいるというのは否定しないが、そこまでの罪があるのだろうか?しかも、裁判官は加害者の身長が185cm、被害者の身長が145cmで、加害者が満員電車の中で被害者のジーパンの上から触るためにわざわざしゃがんでお尻に触ったと解釈して有罪を宣言した。1年3ヶ月の懲役が宣言されたが、それほどの罪になるものなのか。言い方は酷いかもしれないが、例えば、パンツの中に手を入れて触られたならばそれこそ警察沙汰もあるのだと思うけれども、ジーパンの上から触られたくらいで・・・・、というのは言いすぎだろうか。 疑わしきは罰せず、ということも日本の法律の良いところだと思っていたが、今は違うようだ。下記の「youtubu」にも冤罪と思われる痴漢の例がある。痴漢に会った女性は気の毒ではあるが、事実を捉えていなければくそにもならない。良くは見ていなかったが、黒い服を着ていたから、なんて理由で痴漢扱いされるのであれば、逆に目立つ格好をしてあんたは違うよね!といわれるほうがぜんぜん良いのだろう。ちなみに私の場合は必ず万歳の状態にして手を下に行かないようにするか、バックを持ちながらつり革を捉む様にしている。これでも防御体制のつもり。http://www.youtube.com/watch?v=bYNMgnFrhvc 私が東京に出てきたばかりの頃、本当に新人の時の話である。中央線から新宿で丸の内線に乗り換えるのであるが、その朝のラッシュ時に痴女(と思われる)に股間を触られたことがある。それもおそらく複数である。身動きが取れないのに手がナニにふれ、股間が膨れ上がるので、少し体をずらすと又別な方向から手が出てくる。電車の中では朝からもうたまらない、という感じであったが、手ぶらであるために隠しようがないので非常に困った。そこで、翌日から紙袋を持つようになったのだが、ビジネスマンがビジネスバックを持つのはひょっとしてそのためだったのか、などとのんきに考えたこともある。男でも嫌な人はいると思うので、こういった場合も痴漢として駅員に届けるのであろうか? そうは言っても常習犯は必ず再発するので、犯罪者は許さない体制が必要なんだろうと思う。例えば痴漢常習者は、懲役が終わってから又同じことをやる人たちには、いたずらができないように再発防止をする、ことも必要と思う。 それにしても冤罪をなくすためには、周りの人が無関心でいるうちはだめだろうな。面倒なことにはかかわりたくない、と思うと、知っていても知らん振りをしてしまうだろう。知らない人ばかりが乗り込む都会の満員電車の中では皆がイライラしている。もっと日々良い人間関係が世の中にあれば、そんなことも問題にならないだろう、と思う。
2009.07.09
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金曜日は定例の「のん兵衛の会」が大野のつづらおで開催した。美味しい日本酒を、とにかくだらしなくこれでもかと飲み続ける会だった。10人が集まって6時半から10時近くまで飲んだのだけれども、途中からの記憶がない。それは今に始まったことではなく、若い頃でも記憶がなくなるくらいまで飲んだというのはあるが、年に1回か2回程度である。それが半年で覚えているだけで8回もある。随分と弱くなっているのかもしれないが、かなりひどい状況と自分でも反省している。証拠写真がある場合は「自分でもギョギョ!」となってしまう。以前と変わらない量であるにもかかわらず記憶がなくなるというのは、自分の中の何かが変わってきているのだろうと思う。孔子が言っている「70才にして法(ノリ)を越えず。」ということを理想としていたが、もう無理かな。 これからは、1回に飲む量を4合までに抑えようと思う今日この頃だが、実際にコントロールできるだろうか?なぜなら、下記の写真に示すような旨い酒がごろごろしているのである。南部美人の純米大吟は30%まで米を磨いた酒である。くどき上手は山形の私の好きな酒で、酒適米に愛山を使っている。純米大吟の雨後の月は岡山の銘酒である。飲んだばかりというのに、もう飲みたくなっているのはアル中かしらん?
2009.07.05
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不思議な夢を見るもので、先週は亡くなった妹の夢を見た。(妹は10年ほど前に亡くなった。妹の誕生日は6月19日、生きていれば48歳になる。)私が見た夢は、「兄ちゃん、布団を買ってください。」というものだった。それも赤ちゃん用だという。そして、今週は母方のばあさんが夢に出てきた。これは田舎にいる母親に知らせるべきと思い、今朝電話をした。母親曰く、その夢は「孫が生まれるということではないか?」というのである。確かに私も嫁も希望しているのだが、彼女らはそれを伝えに来たというのだ。母親はともかくばあさんは「昔は神様」をやっていた人なので、なんとなく霊感がある人だった。明治31年生まれだから今生きていれば、113歳くらいになる。66歳で亡くなったが、その晩に兄弟や従弟達と家で留守番をしていたときに「ドドン!」という凄い響きがきて、私は、ばあさんが亡くなった、ということを感じた、という想い出がある。 雨の中を午前中は2時間ドラムの練習をしてきた。スタジオ「アジャ」は相模大野西口の再開発のため今月中で営業が終わる。1時間500円から利用できるので結構良かった。何しろ私が通っている音楽スクールでは30分で700円取られるのである。 そんな中で、帰宅すると娘からの宅急便が届いていた。父の日の贈り物であった。娘が結婚してからは、毎年なにかしら送ってくるようになった。(息子もそうであるが、今年は今のところは来ていない・・・。)岐阜の酒であるがラベルには私の名前が書いてある。日本酒の好きな私には、とても嬉しいプレゼントである。本当に嬉しいねえ。写真は桐の箱と日本酒である。すぐに冷蔵庫で冷やすことにした。 今日は2時からスポーツジムでスカッシュゲームをやった。1時間ゲームをした後、足のトレーニングをきっちりした。体重は73.3kgと昨日の72.8kgよりかは増加したが、それにしても、1月から見れば5kg位は減少している。先日のTVで、私と同じ年の幼稚園の給食のおばさんがベンチプレスの世界チャンピオンで102.5kgを挙げるとの話を聞いた。還暦で100kgを挙げることを目標にしていたのだが、それ以来目標を変えた。けれども。102.5kgは大変な数字である。毎年来る父の日であるが、今日は特別イベントが多かった。 父の日に好きな日本酒と、希望している孫ができるかもしれないという話(これは勝手な妄想であるが)さらに、体重が下がっているという3つの嬉しい話が一辺にくるというのは随分と幸せなことではないか? 実は、これを書いた後に、息子たちからのプレゼントも届いた。写真のようにこんどは焼酎である。酒が飲めない子供たちは、のん兵衛の親父にたいして、少しは工夫して日本酒だったり焼酎だったり、時には酒のつまみを考えているようだ。持つべきものは友だけではなく、子供たちもそうなのだ、と感じた日だった。
2009.06.21
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親父バンドを始めてもう4ヶ月が経過した。月に1度しか合同練習をしていないが、およそ3曲のレパートリーができつつある。それは、ビートルズの「Let it be」とキャロルの「ファンキモンキーベイビ」そして、ベンチャーズの「Walk don`t run」である。リードギターとベースとドラムスの3人構成であるが、下手ではあるが、何とか曲になっているような気がする。それが、今月からレパートトリーを増やすことになった。追加曲は、学園天国とクリスマスイブ、Stand by me、Pipe-Line、青春 僕、などで12月にはクリスマスパーテイをしてバンド披露することになった。半年でどのレベルまでできるかは判らないが、何か頑張ろうぜ!という気になってきたのは何か不思議な気がする。写真は少し古いが練習風景である。ドラムを叩いているのは私である。意外と若いでしょう?
2009.06.18
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私が入社したときに同じ寮生活を共にした13人がいた。北は北海道から南は九州までそれぞれが20才過ぎまで学生生活をした後、東京の吉祥寺に集まった。一緒に過ごした期間は3ヶ月からせいぜい1年くらいであるが、同期ということだけではなく何かしら気があったのだろう、アラカンといわれる年まで付き合ってきた。若いときから仲が良く、旅行をしてきた。金のない若い頃はせいぜい伊豆の1泊旅行であったが、四国の松山や、九州の阿蘇まで足を伸ばしたこともあったし、2年前には秋田青森の2泊3日の温泉旅行もしている。 地方から上京して、又地方に戻り、近年は又東京に戻ってきているメンバーもいて、38年くらい同じ会社に勤めたことになる。今回は大阪、静岡、埼玉、東京そして神奈川に住む9人が集まった。3人はすでに退職したが、その記念に神奈川の萎びた旅館で1泊したいとの要求があり、私が幹事をすることになった。本厚木の元湯旅館である。(この旅館は環境も部屋も風呂も料理もとても良かった。)あいにくの小雨だったが、とても風情のある旅館でごらんのように狸がお出迎えをしてくれている。門から玄関までの間は緑に囲まれており、横には川が流れていた。 宴会までの間、積もる話もあったが、とにかく皆で風呂につかる。旅館の専務からの差し入れがあり、風呂上りに1杯やるものもいる。6時から始まった宴会であるが、昔話とこれからの生活に花が咲いた。若い頃とは異なり、健康に難があるメンバーと、こいつは随分と若いな、と思わず嫉妬したくなるメンバーもいて、他から見れば同世代とは思えないグループではないかと思う。部屋に戻って2次会をやったが、途中で私は寝てしまった。後で写真を見るとカラオケもやっていたようだけれども・・・。 翌日は小田原まででて、街中を探索する。まずは守屋のアンパンを食味し、次に揚げたての魚のてんぷらを食す。西海子通りに出て文芸館に寄った後、和菓子を見て小田原城に向かう。ちょうど菖蒲が満開であった。 小田原城に着いて、小田原おでんなどを食べているうちに天気が良くなってきた。催し物を見ながら、昼のひと時をおじさんたちでまったりと過ごした。その後は、だるまへ行って別れまでのひと時を酒を酌み交わした。写真のだるまは明治26年にできた建物とのことで、風情があり良かった。2階に行きたかったが予約が必要とのことで、今回は上がれなかった。 我々は次回を静岡の大井鉄道のSLに乗って、寸又峡で再開する約束をして帰宅の途についた。
2009.06.09
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表題は工学院大学の畑村洋太郎先生が書いた「失敗学の法則」という本に書いてあった。読んでいて思わず、頷いてしまった。この本は失敗から身を守るためのさまざまな法則を紐解いた本である。畑村先生は失敗学なる学問を創生した先生である。アラカン、と言われる世代は、若い頃からどれだけの失敗を繰り返してきたか、そりゃあ、数え切れないほどある。特に私の場合は、子供の頃からいつでもつまない正義感を振り回して、周りを慌てさせたものである。ところが、会社生活を送り、随分と時間が経過してくると、それが鈍くなってくるのである。 私が思わず笑った箇所は、「組織の中には、悪いとされていることを平然とする人種が3%、逆に何が何でも不正が絶対にできない、とする頑固な良識人が3%、そしておおかたは善意で動くが時には{ほどほどの悪いことはする}、という人種が94%いる、ということである。「ほどほどに悪いことをする。」、というのは例えば「赤信号では渡らない、というルールであるが、車は来ないし、誰も見ていないから、渡ってしまおう。」というような、普段は誰でもやっているようなことである。この程度のことは誰でもやっているわけで、組織では、まさにこの層をターゲットにして社則や会社の倫理を決めているらしい。 正義感の強い3%の人種はモラルが高いので、悪いとされることをしている人に注意したり、上司に訴えるかする。が、往々にして、上司が握りつぶしたり、上司自他が悪者だったりすると、雪印や三菱自動車のように社外に告発していくそうである。そうなったときに、会社がつぶれそうになったりすると、悪くない告発者が、密告者となって社内のいろいろな人たちから村八分にされるのだそうだ。 ところで、大相撲の今場所は面白かったね。久しぶりにTVを見た。朝青龍の一人相撲はとてもつまらなかった。白鳳、日馬富士が台頭してきて、面白みが出てきた。なんだか、みんなモンゴル人ばかりだけれども。今は飽食の時代であるからして、若手が汚いつらい前相撲をやりたがらない、が、日馬富士の登場で、面白くなりそうだ。
2009.05.24
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私は元来丈夫である。そしてこれまで不注意による怪我あったものの、大きな病気をしてこなかったのは単に丈夫な体に造ってくれた親のおかげである。そういった意味でも本当に両親には感謝している。 そういう丈夫さが取り柄だった私でも、50歳を過ぎた頃から、体のあっちこっちにガタがき始めた。54歳から始まった喘息の影響もあるのかもしれないが、やはり年齢を感じるのである。今年の1月くらいから、喉に違和感があり、通院した。始めの病院も結構大きい病院だったが、「国立の相模原病院で精密な検査をしてもらうべきです!」と言われ、3月から通院し始めた。若い医者だったが、好酸球過多のため、「チャグ・ストラウス症候群」の可能性があるとのことで、検査をすることになった。当初は治療も入れると3ヶ月くらいの入院を覚悟して欲しいとのことであったが、今回は検査だけと言うことにした。「チャグ・ストラウス症候群」を検索してみると、難病のひとつと認定されており、日本人では40代以降に発病し、およそ500人位患者がいるそうである。体重の減少、筋肉の痙攣、喘息、そして紫斑などが症状として出るのだそうだ。6つの条件のうち、私の場合は3つがすでに該当しており、あとひとつの条件が揃えば、難病に認定されるところであった。難病と言うからには、治療法などあるはずもなく、それ故ひたすら、検査で異常が見つからないことを願っていた。病室は4人部屋であった。3人のうち2人は肺がんで1人は肺気腫だった。この肺気腫の人は術後間もないせいか毎日毎晩うなされたり、大いびきをかくので眠れない日々だった。しかもカーテンを引いたままなので窓からの光が入ってこなかった。健康だからこそ、光の入らないベッドは嫌だったし、何しろ安心して寝られないと言うのは苦痛であった。入院中はそんな訳で、少しも健康的な入院生活が送れなかった。検査入院してあたりまえのことに気が付いた。それは、「健康であることの幸せ」である。普段何気なく生活をしているが、それらの基盤は健康な生活を送っていると言うことである。健康であるがゆえに仕事ができ、そして、飯が食えるのである。もし健康を害しているとしたら、仕事はおろか、質の高い人生をどうやって送れるのであろうか?それゆえに、ある程度の年齢になれば、自分の健康管理が必要となってくる。そのためには、適度な運動と、栄養学に基づく正しい食事のコントロール、そして休養が必要である。だから金を投資してスポーツジムや各種スクールに通うとか、歩いたり走ったり自転車に乗るなどして運動しているのである。 どんなにお金があっても、健康でなければ人生の楽しさを満喫できない。今皿であるが、健康であることに感謝したい。そしていつかは天寿を全うするのであろうから、その直前まで健康でいて、できれば朝布団の中で死んでいた、という形になれば理想的だと思う。
2009.05.06
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なにやら難しいそうな名前の病気(チャガー・ストラウス症候群)の疑いがあるとのことで、4/21から検査入院していた。入院と言う響きに弱い私は、仕事の区切りがとりあえず付いた頃に入院することを決意した。元々が丈夫で入院したことで悪い印象がないものだから、2週間は長くないだろうと思っていた。病室は肺がんの手術後の人や、肺気腫を患っていた人ばかりで、とりあえず健康であるのは私一人である。 検査がある時は、時間の進みは良いが、順番が来なくて待っている場合には、いらいらしてくる。特に、今日は大腸鏡検査があり、悲劇を味わったのである。昨晩の6時に食事が終わり、朝の6時前から下剤を飲まされて9時の検査を待っていた。朝飯を抜いて水さえも飲めない状態で、どうなっているのか、と看護士に文句を言っても彼女たちは担当ではないから、わからない。「きっと込んでいるのですよ。まっててくださいね。」と言われて、はい、と言うしかない。 ベッドで寝ていると、「呼ばれましたので、検査に行ってください。」といわれて時計を見ると、もう12時を回っている。こりゃ、昼飯もひょっとするとパンのみかな?と思う。何しろ楽しみは食事だけである。先週もアイソトープ検査で朝飯抜きで、検査が昼になり、昼飯がパンとジャムとジュースだけで副食がなかった。頭にきて外出して美味いものを食べに行ったが、選んだ食堂はまずくて残念な思いをして帰ってきたのである。 検査現場へ行って驚いた。患者が数人いて、看護師や医師たちは忙しなく働いていたのである。考えてみると、こっちは待たされて腹が減って怒っているだけであるが、彼らは昼飯も食わずに必死になって働いているのである。点滴と麻酔を打たれて、12時40分から検査が始まったが、一言くらい話した後は寝てしまったようで、気が付いたら終了していた。1時20分くらいだった。ポリープもなく、まったく異常がなかった、とのことで、ひとまず安心である。 さて、病室は夜9時に消灯となる。少しは本を読むが眠くなり10時から11時には寝るようになる。が12時を過ぎた頃に、病室からはいびきや悲鳴に近いうめき声で突然起こされる。これが信じられないくらいに喧しい。何とかTVや音楽を聴いて寝ようと努力したのだが、3時半か4時くらいまでは寝られないのである。考えてみれば、皆病人であった。唯一健康?な私はこの2週間の休養の日々が、実は寝不足の日々であったのである。検査入院、という甘い響きに惑わされたが、もう騙されないぞ、と強く誓った2週間であった。今日は、きちんと寝たい、と言う理由で外泊の了解をもらった。何しろ寝不足である。退院は多分明日になるのだろうか?検査入院は、やめたほうが良いと思う。
2009.04.30
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4月は、年度レビューや新年度方針の策定、ISOの定期審査、そして業務の引継ぎなどがあり、慌しい月だった。そんな中で、毎週末は桜を中心とした花見であっちこっちに行った。最後の週は、実は入院していたのだが、金曜日の検査が早く終了したので、土日は外泊を許可された。それで雨が降る前にと金曜日は鎌倉へ行ってきた。 藤沢から江ノ電に乗って、長谷寺で下車し歩いた。修学旅行の子供たちで鎌倉の町は込んでいた。鎌倉は桜が終わり、つつじが咲き始めていた。光則寺で樹齢200年の藤を見に行ったが、残念ながら白藤はほとんどが腐っていて期待した藤の花は見られなかった。(そういえば春日部の藤もあまり元気がなかったようだ。)けれども山門に新緑が曇り空に映えていた。光則寺ではいろいろな花が見られるようだ。なぜか孔雀の番まで飼われていた。 その後、鎌倉文学館まで歩いたが、残念ながら閉館だった。手入れが行き届いた庭はきっと見るに値しただろうなあ、と思いながら、東の安国論寺までひたすら歩いた。安養院は道路に面した壁が一面つつじであった。左の写真は山門前。そして、右は妙法寺のつつじである。 狭いところに何件も寺があった。何しろ鎌倉時代に日蓮上人がこの辺で厄介になったというので、あっちこっちにゆかりの寺ができたようである。その中で日蓮上人が処刑させる前に、ぼたもちを差し出したという尼寺を横に妙本寺に抜ける。ここは穏やかでとても雰囲気のある寺である。 ところで、体重はまだ減り続けており今日は何十年ぶりで73kg台になった。嫁に言わせると「あなたはまだまだデブだからね。」という。このままで行けば、夏には60kg台に落ちそうである。医者からは、「チャーグ・ストラウス症候群の疑いがあります。」と言われている。これには6つの条件のうち4つを満たしていればそう判断しても良いと、国際的に認定されているという。だから、なんなのさ、といっても仕方がないが、若い先生は珍しいこの病気を治療したくてしょうがなさそうな顔をしている。今のところ3つの症状があてはまっているらしい。残りの検査は月曜から始まる。最後は大腸検査であるが、これはいやな感じらしい。医者からは、「万一の場合はこれこれの障害が出ますが、了解しておいてください。」と言って、手術承諾書に署名させられた。説明責任は果たしたが、金も体も患者持ち?ってちょっと技術者の目から見ると奇妙な気がする。
2009.04.25
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さて、4月もあっという間に過ぎて、プログのupもしていなかった。実は私は、50歳のときに足(かかと粉砕)の骨を折ってからは歩くことがとても嫌いになっていた。お金をもらっても歩きたくない走りたくない、であったが、この2年位前に嫁から里山歩きを進められてから随分と歩くようになってきた。そこで、今年はこの相模原に住むのが最後の年でもあるので桜の咲いているところを回ることにした。この大野から町田までは電車では2分程度であるが、歩いてみることにした。歩いても20分くらいでほぼ駅の近くまで行くのであるが、町田駅の西口の外れに寺と神社が並列にあった。何という名前のお寺なのか知らないが、随分と恰幅のよい枝垂桜が咲いていた。有名ではないと思うが、堂々としており、美しさを感じた。その後、町田駅についてから駅の人から何かイベントをやっていないかを聞いて、「まちださくらウオーク」というのがあるのを知った。逆のコースになるようだが、町田駅からつくし野駅に至る全長多分5kmくらいのウオーキングコースを歩くことにした。桜は約1000本見られるコースである。私たちは町田から芹が谷公園にでて、その後成瀬に向かう恩田川流域を歩いた。その川にはおよそ400本の桜並木が咲いていた。 恩田川の吹上橋を過ぎると、つくし野駅に向かい、今度は車道のの両脇には桜並木が美しく咲いていた。これはつくし野駅まで続いていた。 このコースは散歩としてはお勧めである。実はその翌週は御殿場に行った。残念ながら写真がないのであるが、松田から御殿場に行く途中のJR線路沿いの桜は良かった。それにも増して、4月11日は晴天で、御殿場の桜並木から見た富士山の美しいことは多分生涯忘れられない思い出となった。翌12日の日曜日は小田原に桜を見に行った。文豪通りの桜を見た後小田原城へ行き、少し夕暮れの夕日に沈む城を囲うピンクの桜がきれいだった。温泉に行く時間がなく、小田原名物の駅弁を買って岐路に着いた。 4月は桜見物と日本酒、そして忙しない仕事でアップする余裕がなかった。明日からは少し休養して5月にまた元気になって復活する予定である。
2009.04.20
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本日は天気が良かった。2日続きでの大酒飲みでかなりの量の酒が体に残ったまま、嫁と赤坂で待ち合わせをして、四谷を抜けて新宿へ出る散策コースをたどった。赤坂サカスから見附に向かい、弁慶橋ボート場を抜けて、赤プリの裏にある清水谷公園を目指した。ここは明治4年に元勲の大久保が暗殺された場所であるようだった。綺麗な公園で茶室もあった。その後はニューオータニの横を通り、四谷駅上の土手を通った。桜並木が所狭しと並んでいて、花見客が昼から飲んでいた。場所が上智大学の目の前のためか学生たちも大勢居た。 四ッ谷見附址をみて、四谷駅を渡り、とんかつ天金を通り、四谷1丁目を左に曲がって西念寺を目指したがわからず、須賀神社まで進んだ。途中で昼飯を購入して、この境内で昼飯となった。お岩稲荷と言うのがありそこも見て廻った。何でもあの四谷怪談のお岩さんの神社で驚くが、あの話は江戸後期に創った歌舞伎の本だそうだ。本当のお岩さんは働き者で田宮という家を再興させたという功績からお岩稲荷神社を建立したそうだ。 次に新宿歴史博物館を見に行ったが、野点をやっていたので300円で飲ませてもらう。ここには夏目漱石の首のコピーと手書きの原稿、小泉八雲雅使っていたと言う本棚とイギリスの女性にあてた手紙が開示されていた。何でこんなところに設置したのかと疑問に思うし、人も少なかった。 最後は新宿御苑の大木戸門から入り、桜を見ながら周り、新宿門から新宿駅に向かった。人人の集まりで御苑の中は花見の客で一杯であったが、桜は満開まではいっていなかった。恐らく来週が見所になると思う。それでも満開名木は何本かあった。大木戸門前のビルの前にある桜は満開であった。御苑の中で大きな桜がありそれの上の方も写真に撮った。どうだろうか?若いカップルや家族連れ、何かの集団、外人、やはり中国人が多いのかな?我々は3時半に出たが、御苑は4時半に閉門されるとのこと。それでも人が続々と入門していく。門の前では係員が「中には酒は持ち込めません。」と云っているが、どこもかしこも宴会たけなわで、中には1升ビンを持ち歩いている若者も居た。好天で青空が広がっており、風が無かったので絶好の花見日和だった。
2009.03.29
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