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いつものことのように心があちらこちらへとさまよい、迷っているけれど、これが当たり前なことではきっとないんだと思う。きちんと自分のポリシーを持ち、何事にも揺れ動かないで、まっすぐに前を向いて歩いている人もいる。その強さにたじろぎ、つい、道を譲ってしまうお人好しな自分。そうやって自分が歩むべき道を、他の誰かが歩んで行ってしまい、後をのんびりと歩く羽目になることもある。時々、自分が本当はそれをしなくては行けなかったのに、のんびりやのお人好し故、他の人が私の代わりに、それをしていると思えるときがある。とても太刀打ち出来ない強さに、ひるんでしまっているのは、とてもほめられることではないし、恥ずかしいことだと思う。何時になったら自分の道をよろめかずに歩いて行けるのか。しっかりと中心を持つ女性になってみたい。
2008年02月24日
海には浄化をする役割があるそうです。そして山にはエネルギーを与える役割が。私はよく、どちらに行きたいかで、今の自分の心の状態を判断しています。最近行きたいのは断然、海の方です。ずっと最近までは、山が好きで、山の近くに行っては、新鮮な空気を身体いっぱい吸い込んでいました。その頃は海に行っても、ちっとも楽しくありませんでした。昨年の1月にインドの海に浸かって以来、海が凄く恋しいです。日本なら、沖縄の海に行きたいです。沖縄には2度行っています。海から海へ、島を渡る風が気持ちよかったです。歴史的にはいろいろなことがあった島。でも、それだけ深く人の心を受けとめる力があるんだと思います。
2008年02月24日
しばらくブログを書くことをお休みしてしまった。ここのところ、春めいてきたせいか、身体が凄くよく動く。生きる力が湧いてきたということなのかな。自然の力にとても素直な人間のからだって本当に面白い。以前書いた決意は、だんだんきちんとした形で整ってきている気がする。例えば、これからこれをし続けてみようとか、こういうことに打ち込んでみようとか、そういった感じの決心とは違った感じだ。自分の人生、それでどうなろうともしょうがない。決めたことだし、それとともにくるであろう、マイナス面も受け入れる覚悟って言うのかな。何かそんな感じの、そう、腹をくくった感じがする。でも、なんだかさわやかだ。
2008年02月20日
高校生の頃だった。チョコ好きな私は「いいなあ、私もチョコが欲しい」ととクラスメートに向かって言った所、「あげっよっか~」と予想外に、日頃同じグループではない、凄いきれいなクラスメートの女の子から、言われた。照れくさくて断ったけど、好かれていることが分かって、すごくうれしかった。男の子ではなくとも、うきうきバレンタインだ。
2008年02月14日
窓から入る日差しは春みたいなのに、外は猛烈に寒い。寒すぎる。住んでいるのは多摩の奥地。晴れた日には毎日、遠くに山が見える。山の稜線もくっきりと。あまりに美しいから、毎度足を止めてしまう。西から北から冷たい風が吹き込んでくるけれど、新鮮な空気が身体を通り抜けて気持ちがいい。
2008年02月13日
最近、ふと気がつくと、この二つのことを心の支えにして、過ごしていることに気がついた。一つは「決める/決意」そうしてもう一つは「皆が幸せでありますように」私の決意は、自分がネガティブな方向に行かないようにすること。ネガティブな言葉を話さない。柔らかく、思いやりのある言葉を使うこと。そして、それは自分を含めた、みんなが幸せでいてほしい、という願いの、現れだと思う。
2008年02月12日
昨年ずっとついていなかった友人が、節分を気にしていた。節分から新しい運が開けると言う。そう言う私も、良いことも悪いことも、沢山いろいろなことがあった年。あけるのなら、あけてくれた方がうれしい。その日のことは、全く意識していなかったのに、目覚めた朝、何かつきものが取れた様な身軽さを感じた。そう言えば節分って何時だっけ?と思ったら、当日だった。節分とは、こういうことなのかもしれない。しかも全く意識もせずに大豆を煮たくなり、水に浸したのが1日で、煮豆は2日の晩に作った。偶然とはいえ、自然の摂理に従って動けたのには驚きだ。しかし大豆を煮たので、これで良いとして、豆まきはしなかった。そう言えば7日は旧正月だったそうで、ここのところ、めでたいことが繋がっている
2008年02月09日
すっかり忘れていた。昨年の今頃は、南インドの海に浸かってごきげんな時間を過ごしていたことを。波は荒く強く巻いている。身体でかんじる波の力の強さ。ちょっと危険な海だった。だから余計に挑戦するかのように、何度も何度も、寄せては返す波に向かっていった。何も持たず、何も考えないでするその行為のシンプルさが、気持ちよかった。人もほとんどいない砂浜は、日の暮れる頃、乾いた風がちょっぴり肌寒く、そして、清々しかった。その日は丁度満月の夜で、日が暮れた後、海に月が上ってきた。黒い海に浮かんでいる月の明かりが、静かに波を照らしていた。自然のもたらす美しい光景。おそらく生まれて初めて見たと思う。そして私はずっとこんなふうに、真っ正面から、素直に自然に出会う機会を失っていたように思う。海に抱かれる瞬間も、風に触れる瞬間も、月に挨拶される瞬間でさえも。
2008年02月08日
どこか知らない街に行く時には、お気に入りの喫茶店を見つけておく。次のその街に行った時に帰る場所があると、また、行ってみたい気になるから。でも、お気に入りのお店が見つからなかった時には不思議と、もう一度行く気にはならない。インドにさえお気に入りの喫茶店がある。だからついまた出かけてしまうのだろうか、あの街に。
2008年02月07日
出身地でもなんでもなかったけれど、若い頃、ひとりで京都の街を歩く機会が多かった。今のちょうどこの寒い時期、そう、18、9の頃。京都の寒い街中、地図を片手にずいぶんひとりでほっつき歩いた。父が単身赴任で一人暮らしをしていた、高槻を拠点にして。そして、その後30歳くらいの時にも、もう一度関西に住む機会に恵まれて、気が向くと京都へと足を運んでいた。お寺の門前も門を閉じた、夕暮れ時のしぐれ時。嵐山の渡月橋から見た景色は墨絵のようだった。たまにまた、あの旅を復活したくなることがある。京都巡りの楽しさはお寺だけではない。ゆっくり京都新聞を読みながらの朝のイノダコーヒー。(今も新聞置いているんだろうか・・・?)よくお弁当にした、志津やのサンドイッチ。日本家屋が面白かった尾張屋のおそば。(今も立て替えずにあのままか???)お出汁の美味しい権兵衛のきつねうどん。(ひとり歩きだから、こういうとこばかり)清水の三年坂の七味屋さん。夏に並んで食べる鍵膳良房のくず切り美味しかったけどその辺の和菓子屋さんで買う、もっちりした麩饅頭も好きだった。お気に入りの作家物の器を扱っているギャラリー。古門前通りの絵附けの食器やアンティーク。毎月21日に開かれる、東寺の弘法さん。(骨董屋の知人がいて店番したこともある)京都植物園の散歩。三条通をほっつくのが好きで、そこから寺町を北に上がるのが好きだった。夕方帰る頃にはおなじみ錦市場。まだまだあるけれど・・・ひとりで歩く気楽さと孤独感が、何とも懐かしい。最近結婚した友人が言った。独身の売れ残った女性は和物にハマるって。「私は歌舞伎だった」と笑っていた。多分私だったら京都歩きだと思う。最近は、もっともっといろいろなお店もできたし、その当時行けなかったところも沢山ある。しかし近くに住んでいるのとは違って、お金も時間もかかる。(確かにずいぶん早く行けるようになったけど)ずいぶん贅沢な楽しみ方をさせてもらっていたんだなと、今になって気がついた。
2008年02月06日
沢山のありがとうを伝え、日々あることを感謝する。今日はご飯を丁寧に作ることで、それを表してみたんだと思う。沢山の野菜やら、お豆腐やら、コロッケやら。みんな愛しい、今日のありがとう。
2008年02月04日
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