而して最も怖るべきは、思想的に訓練と教養のない連中が、純な忠君愛国者と、不純な忠君愛国者との見境がつかず、思想的恐怖時代を現出せんとしつつあることである。
p.220 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第3号<三・四月号>
君の論理学の利刄の向ふところ誤謬は指摘せられ、虚偽は追及せられた。
ここに於いて「国体明徴」運動の正系は直接行動の暴力主義に陥ることなく学術的基礎を確立して、知識層に畏敬せられ、世間に信用せられたのである。
終戦後の今日全国民が国体護持の一念に徹到して
それによって、またそれによってのみ、日本に於けるデモクラシイを実現しうべしとするのは、
学術的国体明徴運動の効果であった。
三井甲之「霊につぐ」『蓑田胸喜君の霊にささぐるのりと』《昭和21年4月28日完成》

われらはこの点 [1] に気附いて弁証法的迷信の打破につとめたものの
その微力は無力にひとしく、まごまごしてをるうちに
二〇年八月の大破滅に陥りしときはわれらもまた「必勝」等の概念に執着する群衆の中に自己を見出したのであった。
三井甲之「霊につぐ」『蓑田胸喜君の霊にささぐるのりと』《昭和21年4月28日完成》
戦場に於て、世界の耳目を聳動するような、赫々たる偉勲を立て得るこの国民の中に、偉大なる政治家だけがいない訳がない。
彼等の出現をはばんでいるものは一種の島国的乃至は横車的の暴力である。
日本であったならば、イーデンかチェンバーレンかは、必ず殺されているに違いない [2] 。
p.221 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第3号<三・四月号>
忠義の名による不忠、愛国の名による非愛国、そしてまたその亜流の亜流が、ルンペン愛国業者群となって、日本の思想を貧困にし、日本の発展を邪魔する。
日本に抱擁力のある大政治家の現れない大原因の一つは、雲助愛国業者の数が多過ぎることである。
p.221 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第3号<三・四月号>
赤化征伐を喰物にし、国体明徴を喰物にし、一九三五、六年の危機 [3] を喰物にし、喰物が無くなると、終いには老人の頭をステッキでぶん撲って [4] 逃げ出したりする。
p.222 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第3号<三・四月号>
80年前より―その63(『近きより』をな… 2020.02.22 コメント(6)
80年前より―その62(『近きより』をな… 2019.12.14 コメント(1)
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