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最近、仕事が忙しい。おかげで娘には(何故か『嫁』でない・・・)会えないし、日記は更新できないし、嫁のご飯は食べれないし、外食ばかりで、心が荒(すさ)んでいきそうになる。花の男30代なのだから、今はこれ位でちょうど良いのかもしれないという気もするが、酒も呑めない私にとっては、家庭の団欒こそが癒しの原点だったということを改めて思い知らされる。そんな私にとって、唯一の癒しは、最近借りてきた昔のCDたち。青春時代、テープに落として数え切れないほど聴いたのに、ついぞCDを買わずじまいとなった名盤。嫁とは音楽の趣味が全く合わないため、結婚してからはあまり聴くこともなくなり、テープデッキの無くなった今ではもはや聴くこと自体不可能になった青春のBGMをこの時とばかりに聴きまくっている。今夜のBGMはフリッパーズ・ギターフリッパーズ・ギター『CAMERA TALK』。1990年。私が高校1年の時のアルバム。当時はバンドブーム全盛の頃で、今の若手お笑い芸人のような勢いで、バラエティー溢れる数々のバンドが活躍していた。小沢健二と小山田圭吾(現コーネリアス)の二人組によるこのバンドは、その中でも高い評価を受けていた。当時愛読していた雑誌(『What's in』など)でも、自信満々で自作を語る記事の印象が強烈で、聴いてみたのだが、最初はその良さは良くわからなかった。正直なところ、小沢健二の声は、パンチに乏しく、光GENJIと大して変わらない位歌が下手だという印象だったので、暫くは聴いていなかったのだが、大学生になって、小沢健二がブレイクした頃聴き直し、何度か聴いているうちに、どんどん耳に馴染んでいくのを感じた。歌はともかく、歌詞の世界、サウンドは、やっぱり本物だったのだろう。そんなわけで、表参道を歩く私のウォークマンでは、何度も彼らのメロディーが流れていた。お勧めはやっぱり、『ワイルド・サマー/ビートでゴーゴー』だろう。「君と僕に夏が来るよ、夏はビートでゴーゴーなのさ…」こんな歌詞は彼ら以外には許されないだろう。
January 23, 2007
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さてさて。次女が産まれ、久々に多くの方々からメッセージまで頂いたものの、こちらを放ったらかしにしてしまったのには当然わけがある。お仕事が大忙しなのだ。来月はじめに、棚卸を控え、今週はずーっと研修の講師をやっており、それが終わった後通常業務。更に暇さえあれば、嫁の実家に顔を出して、鼻の面倒。元々こちらの更新頻度と、私の仕事の忙しさには、密接な関係がある。書きたいことがあっても、いつも更新できるとは限らないのが辛いところだ。何から書けばいいのかわからないくらい、何も書いていないが、まずは次女の名前について書いてみたい。名前は『ひな』にした。ひな長女の名前を『はな』と名付けた時点でその事はほぼ決まっていた。決めたときこそかなり悩んだものの、1歳児でも覚えられる単純な響きと、シンプルにして大きなインパクトを持つひらがなというものの偉大さをこの2年で改めて実感した私達にとって、妹の名前は『ひな』以外はあり得なかった。ひなには申し訳ないのだが、ひなという言葉自体に殆ど意味は込められてはいない。ただ、『はな』という姉を持つ妹の名前として、逆に『ひな』以外の名前では、親の立場から見て、非常に異質に感じてならなかった。言葉自体にさほど意味はなくても、『はな』と『ひな』であれば、等しく愛情を注げるような気がした。せっかく生まれてきた子なのだから、どっちにも同じだけの愛情を注ぎたいのは親として当然なのだが、そうした時、名前があまりに違っていたら、親のほうが構えるし、それは将来の二人にとっても同じだろう。『はな』と『ひな』。敢えて同じような名前にすることで、2人が仲良く生きていけるのではないかと思った。はなとひなとはいえ、仮に3人目が生まれて、女の子だった場合、さすがにもうこの手は使えないとは思っている。『ひな』までは許されても、『ふな』や『へな』ではいよいよ意味が通らない。そんなわけで、敢えて何も調べずに決めた名前なのだが、今改めて見てみると、意外と平凡なのかも…と知り、せめて漢字にしないで良かったとつくづく思っている。
January 20, 2007
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出産から一夜明けて。本当ならもう一日会社を休めることになっているのだけれど、仕事はたまるし、出勤することにした。そこで出てくるのが娘の存在。はなは、保育園に行くので、日中は面倒を見る必要はないのだが、夜は私と一緒では寝付いてくれない。そこで嫁の母親に預けているのだが、彼女も仕事がある。しかも朝が早い。そこで、私が朝、嫁の実家に娘を迎えに行き、そこから保育園に送っていくことになる。それはそれてかまわないのだが、私が迎えに行って、『先生(保育園のこと)行くよ』と言ったら、『先生バスよ』と言われた。実は前日、保育園のバスに来てもらって、保育園に行ったのが、やけに気に入ったらしい。『バスじゃないよ。ブーブーよ』と言ったら、『イヤー。先生ない。『保育園に行きたくない』と言い出した。そうかと思えば、『ママ、ママ、』と言い出す。『ママはポンポンがイタイイタイからねんねよ』と答えると、『先生ない、赤ちゃん』と言い出した。車で保育園に行くのなら、行くのを止めて、赤ちゃんのいる病院に行ってママに会いたいと言うことだ。結局知らん顔して連れて行ったのだが、保育園の道を通るだけで、『先生ない!』と言っていた。少しずつ色んなことがわかってきているんだなぁと思う。私も大変だけど、娘も大変なのだ。保育園に着いて、大好きな先生の顔を見たら、さっさと上履きを履いて教室に入ってくれたのが、何よりの救いであった。
January 10, 2007
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『便りがないのは良い便り』とは、高校時代の恩師の名言だが、ことここブログの世界では、そうとも限るまい。良いことがあり、心身ともに健康であれば、何か書きたくなるのが人情というもの。それが出来ないとなれば、何らかの事情があると見て間違いない。良くても『相当忙しい』とか、悪かったら、『相当きつい』とか。さて、私の場合(正確に言えば娘なのだが)、新年早々、強烈な体調不良との戦いを強いられた。元旦からやけに機嫌が悪いと思っていてたら40度というひどい熱があり、病院に行ったら、アデノウィルスという最新流行の病気にかかっていた。以来、尋常ならざる高熱と食欲不振と不機嫌に苦しむ娘をひたすら看病する毎日。とはいえ私の仕事も新年より多忙を極め、そうそう休むわけにも行かず、臨月の嫁がひたすら看病を続けるのだった。予定日になったとはいえ、娘は40度の高熱。そのためか、甘え方も普通でない。寝ていても、定期的に嫁の所在を確認し、側に居ないと知るや大泣き。これでは、嫁としても、とてもじゃないが出産という雰囲気にならない。予定日を過ぎても、一向に産気づいてこない日々が続いた。今思えば、これは妹の出現によって『一人っ子としての愛情独占権』が危ぶまれることを本能的に察知した娘なりの反乱に思えてならない。とはいえ、さすがにここにきて、娘の反乱空しく?病は回復し、それに伴い、昨晩から急激に出産モードに突入していった。陣痛のペースが速まり、入院することになったのが昨夜22時。それでも、まだしばらくは産まれそうにないということで、私は一旦家で待機することに。今日の昼くらいになるのかなと、のんびり構えているつもりでも、興奮しているのか、なかなか眠れない。ようやく眠りに付いたかに思えた今朝の4時半。いきなり電話が鳴った。『今から先生が来ることになった・・・』聞けばその声はやけに苦しそう。私は飛び起きて、病院に向かって着いたのが午前5時。手術室の嫁はしきりに呻き声を上げ、気も動転しようかという勢いではあったが、当直の看護士さんの様子から事態の緊急性はあまり感じられない。にもかかわらず、数分おきの陣痛のたびに私を握る嫁の握力は、普段からは想像も付かぬほど強い。顔を見れば意識を失いかけているのか、死んだ魚のような目をしている。ようやく先生が登場したのは、午前5時半のことだった。その後に及んでも、『いきむ』とかいうアクションをする素振りは見えない。本当に産まれてくるんだろうかと、何度も思いながら、『もっとしっかり、そんな顔してたら、ビデオに撮るよ』『大丈夫、こずえちゃんから教えてもらった呼吸法を思い出して!』などと、聞こえているかどうかもわからぬ嫁に向かって声をかけ続けていた。突然、『シューーーー』という掃除機のような音がした。どうやら、嫁の様子を見た先生は、自力の出産を断念し、子供を吸引する方針に打って出た模様。と間もなく、子供の頭が見え始め、あーあーと私が呆気に取られている間に、全て出てきた。午前5時46分。激しいつわりや、右足の静脈瘤という、最初の時にはなかった苦しみと戦い、予定日から早4日過ぎたそれまでの長さを思えば、あまりにもあっという間の出産だった。ひなそれからの出来事は、まるで2年前にタイムスリップしたかのようだった。同じ病院だったこともあるだろう。二人目が生まれたというよりも、一人目が生まれたときに逆戻りしたような気分。誕生直後の長女一人目の時は3,080グラムだったけれど、今回は3,600グラム。予定日より遅く産まれた分だけ、とても大きい。そして、泣き声は、比較にならないほど大きい…今は、正直言って、母子共に無事であったことをホッとする以外の喜びは、まだ良くわからない。それよりも、またミルクから、ハイハイ、夜泣きと、やり直すのかーという気持ちの方がある。子育てというのは、可愛いだけじゃない。それに伴う労力は、途方もない。しかし、せっかく丈夫に産まれて来てくれた娘だ。可愛い子供にするには、子供を可愛がってやるしかない。はなに負けない愛情を注ぎこんで、可愛い姉妹にしてやりたい。保育園から帰って『妹』を見に来た娘の顔が、やけに頼もしく見えたのは、私の気のせいだろうか。お姉さんになったはな
January 9, 2007
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結局二日間嫁から遠ざけていた娘。母親とここまで長時間はなれることは殆どなかったにもかかわらず、あまり泣くことがなかったのには訳がある。妹の存在だ。妹は、不思議なことに嫁よりも娘に似ている。そのせいか、実家にいる間中、妹のことを『ママ』と呼んでいた。ひょっとしたら、我々夫婦の実家にそれぞれ『ばあば』と『じいちゃん』がいるように、私の実家にも違う『ママ』がいると思っているのかもしれない。性格も結構似ているし、非常になついてくれて、助かった。というわけで、今年もよろしくお願いいたします。
January 1, 2007
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