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(たくさんの方方が犠牲になり、今も苦しんでいるご家族や関係者の方方がいらっしゃることを忘れてはならないと思う、その人達に申し訳ないとも思うが、どうしてもそう感じてしまう)
私事で恐縮だが、その半年ほど前から、母の状態がよくなく、ふらふらしていて家でいても転びそうで、トイレにも付きそい(しかも頻尿 夜間も多い)、入浴も介助、食事も歯の状態が悪い時が多いので、すりつぶしたりミキサーで刻んだりとずいぶん手がかかるようになっていた。要介護で2をもらっいてたが調子のいい時がその程度、悪い時は3くらいの感じだった。
その当時は まだ覚悟が全然できていなくて、加速度的に手がかかるようになってきている母に戸惑い、これから長く続くだろう介護に言いようのない恐怖を感じていた。絶対に最後まで世話をすると決意はしているはずなのに。怖くて逃げ出したい気持ちと逃げてはならないという使命感とが心の中でせめぎ合っていた。外面がいいので「大丈夫」と笑顔で周りには言いながら。。。
そのころ 夜にはよく同じ夢をみた。背中に母を背負って自転車に乗っている。どこかに避難しようとしているのだが、前はすごい急こう配の下り坂。自分一人なら、急こう配でも乗り切って下る自信はあるけれど、母を背負ってこのまま下る自信はない。たぶん失敗する。急がなくては時間がない。このままというわけにはいかない。母と一緒に下るか、戻るか・・・どちらにも未来はない。どうしよう。うなされ、ひどい動悸と寝汗でいつも目が覚めた。
あるとき、母に直接、もしこんな大津波などの災害にあったらどうしてほしいか、尋ねてみた。
母は助かりたいとも、おいて逃げてとも言わなかった。たぶん、元気なころの母なら「あなただけで逃げなさい」といっただろうが。
母は「**ちゃん(私の名前)と一緒がいい」 「逃げるの?逃げないの?」「どっちでもいい。**ちゃんと一緒がいい」と答えた。もはや、自分の命の選択すらも私に頼り切って任せるというのである。私だけで逃げるわけにはいかない。こんな母を置いていけるものか。これを聞いて私の覚悟もまたさらに強まった。「死ぬときは一緒」やれることまでやるしかない。母の手を絶対にはなさない。
あれから、8年。母と私は病気の看護や介護の大波に翻弄され、それでもできる限り頑張ったけれど。。。甲斐なく・・・今は母は一人で天に昇り、私は半分だけ一緒に天に、半分だけここで生きている。あれからの日々は、二人で徐々に死んでいった歳月だったと思う。それでも私は母とともに流されながら、決して「助けて」とは言わなかった。助かりたくもなかったから。
遠い波間に母を抱きしめているのか。。。しがみついているのか・・・私と母の姿が浮き沈みしながら沖に流されていくのが、見える気がするけれど・・・じきに見えなくなるだろう。
未曽有の大災害なのに、世間では 今 防災や哀悼の気持ちがあふれているのに。。。私は、ただ自分の事を考えるので精いっぱい。いや、自分のことさえまともに考えていられない。情けないなあと思う。
半分の私。。。どう生きていこう。
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