葉子の日常

葉子の日常

2014年12月17日
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授かった生を全うするのが義務なのかと思っては居ます。私が弱い頭で考えるレベルの問題で、です。

魂や輪廻転生を信じていますか?

私は近しいヒトに肉体がなくなってもなお常人には見えないヒトが見えるヒトが居るので、信じざるをえないというのが正直なところです。その人が知りえない情報を肉体を失ったヒトから託され伝えられた経験があるので、肉体がなくなってもなお魂というか思念のようなものがあるのだと思っています。

ただ、輪廻転生も同時にあるのだとしたらどのタイミングで次の生にその魂のようなものが移行していくのかはわかりません。

私自身は肉体がないヒトを見ることもありませんし、ましてや前世の記憶もないですから。実感としては無いのです。

同居人はそういった肉体を持たないヒトの存在を頑なに否定します。どんなに望んでも亡くなったヒトを実感として観たり感じたり出来ないので。ただ、その否定の感情に彼の弱さも感じもします。きっととても悲しく会いたいのに会えないジレンマのような感情のような・・・彼は母親を突然に亡くしていますがその悲しみや不条理さを今も受け止められていない感じがします。

魂や霊として存在しているのであれば張り裂けそうに悲しい自分の前に何故自分の前に現れない?と。

ヒト、いや、生あるものは必ず死ぬことを間逃れません。生を授かり生まれ、成長し必ず朽ちていきます。
その想像をはるかに超えるスケールは何かしらの意味があるのだと思います。



でも、残念なことにその意味に気が付かなで今を生きています。今がつらいのなら前世は楽に生きていたのか?もしくは次の生はもう少し気楽に生きられるのか?そもそもヒトとして再度生まれるのか?もしかしたら次は昆虫やもっと小さなカビの菌として生まれるのかも知れません。全ての生を平等に考えれば菌だって生き物ですからね。輪廻転生があったとしてですが。

そういった輪廻転生の本を数冊読んでみましたが<ステージ>があるようなことも書かれていました。意識の無い微生物のことは書かれていた記憶は無いのですが、動物から輪廻転生を繰り返しいずれヒトになり、更に生まれ変わる度にカルマがありステージを踏んでいくというような内容。

そして自ら生をリタイアした魂は輪廻転生の歯車から外れ魂が浮遊して逃れられないというようなことをかいている書籍もありました。確かに突然生を絶たれた(事故などで肉体がなくなった自覚が無いなど)、自死をしたヒトは思念が強すぎ次のステージに進めず今世に魂がさまようとか・・・

真相なんて全く判りません。肯定も否定も出来ません。ただただ、どうなんだろうという疑問だけです。

そんなことを考えず、今の生を精一杯生きればいいのでしょうが、死を意識するたびにそのことが頭に浮かびます。きっと自分でも死後がわからず怖いからなのでしょう。寿命を全うすればいいだけのことなのでしょうが時々良からぬ考えに取り付かれるものですから、ね。

馬鹿らしい考えだとは思います。でもなかなかぬぐいきれないのがわたしの現状です。





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最終更新日  2014年12月17日 19時31分39秒
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