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大事に思っている人から「なぜ、嫌だと思っている家に居続けるの?」と聞かれました。他の人からそう言われるのと彼女からそう言われるのでは、いろいろ考え巡ることが違っていました。ちゃんと考えようとするからでしょうか。答えたひとつに、金銭的余裕がないからと、また失敗?を何度も繰り返す、これまでに同じような過ちを続けるのは、誤った考え方が身についてしまったからで、それを元から正さなければ結局は同じ事を繰り返してしまうと思うこと。でも、そのあとで、戻った当時のことを思い返してみました。あの頃、その当時に自分が出来ることをやりつくし、失望し、絶望感でいっぱいだった状態のときに、頼れるところがある事にどれだけホッとしたかを思い出しました。それにもかかわらず、それから何年も経ってしまいましたが、母が生きていた頃のような安心感でなかったことが今の状態に繋がっていると思ってしまっている事が申し訳ないと思っています。ただ、『安心感』。私はそれが一番大事だと思っています。一歩踏み出すのも、安定して継続することや考えることが出来ることは、その安心感があることが強みだと思います。一番よいのは、自分のことが信じられることによる「安心感」なのでしょうが、いろんなことに傷つき、自信を無くし、気持ちが不安定な時には、信じられる家族や仲間や知り合いなどが一人でもいることが何よりだと思います。悔やまれるのは、それをはっきり意識していなかったことです。なんとなくそう思いつつも目先のことに気に取られ、どうでもよいことに一生懸命すぎてその「安心感」を得られなかったことです。また私自身も与えるべきなのに与えられなかったことです。逆に不安感にさせることばかりをやってしまっていました。そう思ったときに、親の世代でも、私と同じようなことに悩み、うまく表現が出来ずに、ごまかすようなことばかりをしてきたのかもしれないなと。思いを馳せることが出来るようになれたらと。また、それらに出来るだけ早くに気づき、変えていかないと、世代間でも同じようなこと(負の連鎖?)を繰り返してしまうのではと思えてならないのです。考えすぎでしょうか?それでも、ここ最近、父に変化が現れてきたような気がします。父にとっては辛いことがあったからなのでしょうか?私もそうですが、自分に身に降りかからなければ、考えようとは思わないのかもしれません。でも、これを機会に良いほうに循環してくれたらと思います。それから、今はあまり期待せずに、少しでも明るい気持ちで、居られたらと思います。
2013.05.24
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先週に、いろいろ考えさせられることがありました。自分のことや周りのことを再確認できたのかもしれません。~しなければならないと思っていたことが、現実的には、~しなければならないということでもないのだと思えることができました。それらとは別に、裏切られたと思う人の言葉は、なかなか信用できないというか、拒否感が生じてしまうようだと再認識しました。以前は、私がそう思っていたのですが、現在は、逆にそう思われているようです。私が取った行動の重さを感じます。そして、それを解消できるように、行動が出来てないこともそれを悪化させているのかもしれません。ただ言葉で、伝えようとすると、言い訳ばかりをしているようで、情けなくなります。ほんとうに、最近、いろんなことを教えられています。
2013.05.23
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“生きることが、辛い・・”と感じるのはなぜなのだろうかと?小学校低学年の時に、幼い頃から仲良く遊んでいた友達が急に転校して行き、取り残されたような思いに浸っていたからでしょうか?学校に行く時は、坂が下り坂であったのと、時間内に学校に着かなければという気持ちがあったせいか、そんなに苦にはならなかったです。でも、帰る時は、一緒に帰る友達とはすぐに別れて、長い上り坂をひとりで昇るのがとても辛くて、本当に嫌でしょうがなかった記憶があります。でも苦にならないようにいろんなことを想像しながら帰っていたことを思い出します。そんなふうでしたので、家に帰ってからは、くたくたになっているので、すぐに横になっていたのが多かったと。また、中学では体力がなかったのに、なんでかバレーボール部に入部してしまったのです。その練習がきつくて、ほとんど毎日、帰ってからすぐに横になって寝込んでいました。勉強もあまりしていたような記憶がありません。それから、部活でのことでは、基礎練習がきつくて走ったりするのが嫌でしたが、ボールを使ってのスパイクやレシーブなどの練習をするのが好きだったことは覚えています。ただ、一つ一つの練習では上手にできているのに、試合になると、基本的な動きだったらよいのですが、急に違ったことをするのが理解できなかったりしていました。それに、ミスをすると、そこからメンバーに申し訳なく、精神的な緊張で体までが硬くなり動けなくなっていました。体力もなかったので、少しでも早く試合が終わらないかなとばかり思っていて、勝つとか負けるとかを考える以前の問題だったかもしれません。 今思えば、どうしてやっていたのでしょうか?部活をする意味、チームメイトと信頼関係を築くためにとか考えことすらなかったような気がします。ただ、何かおかしいなと思いながらも、何がおかしいのかも気づけなかった日々だったのです。ただ、バレーボールは好きでした。体力があったら、もっと上手になりたいとも思っていたような気はするのですが、どうしたら体力が付くのかも考えてられなかったのです。体力がないのは、昔大病をしたせいで、頭がよくないのは、小さい頃に自転車から落ちて頭を打ったせいとかで片付けてしまっていた?? なぜ、くたくたになってしまうの・・・
2013.05.14
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最近、エンパスということを知りました。共感能力者ということみたいですが、思い当たることばかりでした。タイプが6つほどあるらしくて、私は、その中の『感情直感型』なのではと思います。私はいろんな過去の経験から、生き辛くなっていると思っていましたが、、周りの感情を何気に感じ取ってしまい、それらによって生きづらく感じているのもあるかもと。テレビを見ていても辛いと感じていましたが、このせいだったのかと思ったらこれだけでも楽になったような気がします。また外に出かけると具合が悪くなったりするのや、どうしてこんなに人に気を使ってしまうのだろうかと思うのも納得かも知れないと。共感しやすい体質ならば、共感しないようにする練習をすればよいことなのだと思ったら、すこし希望が出てくるようです。そう簡単ではないでしょうが、まずはこの練習ができたらと思います。
2013.05.12
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“生きることが、辛い・・”と感じるのはなぜなのだろうかと?思い返せば、そんな思いを、小学校低学年の頃から持っていたような気がします。その思いに 家が貧乏だから仕方がない 小さい頃に頭を打ったせいかも? 父親が何も考えようとしない!! 父の病気のことを人には言えないと思い込んでいた などなどいろんな負の感情をいっぱい詰め込み、さらにやりたいことがあっても思えば思うほど、辛い思いをするので最初から考えないほうが一番いいと思っていました。唯一時折、外の景色をぼんやりと眺めて時間が過ぎる事が心地よいと感じていました。何もせずにこうしているのが一番落ち着くと感じていたことが何も行動しないことにつながるのでしょうか?でも、そうやって心のもやもやを解消させていたのだと思います。また、家族にだけですが、相手が折れるまでは口も聞かずに、片隅でじっと我慢して居続けていたという頑固者でもありました。弁解するようですが、普段は相手のことを考えているつもりでいました。また常日頃は我慢ばかりしていたつもりです。でも、これだけはと思ったときや理不尽なことを言われたと思ったときには、貝のようになってしまっていたようです。今思えば、肝心な時に相手の思いを何も考えようとしないで頑なになっていただけではいけなかったようです。たとえ、理不尽なことも、なぜそんなことをするのかという背景を考えられたら良かったのかもしれません。さらに、ずっと目標ももてずに、“ただ幸せになりたい”と唯一思うだけで日々をただ流されていたようです。考えるべきことを考えてこなかったことが今に至っているのかもしれないなと。だからこそ、余計なことで考えすぎて、堂々巡りの思考回路になってしまった?よくわかりませんが、そんな風に思えるのです。 考えることって??
2013.05.07
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