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テーブルといっても夏になると玄関先の庭に出てブレックファースト(朝食)を食べる、ハチミツ(ニュージーランドのクローバハニーは絶品)を食パンにつけ紅茶をすする、その豪華?な食事を置くテーブルを作っている。 テーブルの2本の足は、丸太を縦に切ったものを使っている。それを支える木は、廃材をもらって適当に切ってネジで締め付けた。テーブル自体は、いい模様の入った年輪のものを探したが手に入らなかったので、1本295円也のきれいに削られた細手の木を5本買ってきた。それを1センチくらいの空間を作って並べてみると、なかなかおしゃれなテーブルになっている。 ネジで留めた後ニスを塗って完成させる。 イスは丸太を縦に切ったものを丸太で支えて長いすを作った。1日2時間くらいの作業で自家製テーブルとイスが着々と進行している。 物を作るということは、手や足を痛くさせ、汗がふきでるが時間を忘れさせる。 これほど精神衛生上良いことはない。 私の仕事は、原稿を書いたり仲間の集会のアレンジをしたり郵便物の配送や荷造りなどが仕事だが、自分のものは自分で準備する生活(今は名だけの自給自足)をすることにしたので周りの景色を楽しむ時間がない。これが一番つらい。 ほうれん草や菊菜、大根、かぶらはもうお店では買わない。パセリもレタスも。隣の畑の奥さんは、「来年はスイカをつくんない」と言う。 庭に敷く小石を海岸で拾ってきてまいているが、これが重労働。石を拾う海岸から車まで急な階段を30段ほど上らなくてはならない。石の重さを感じながら、打ち寄せる波を眺めていると地球の重さを感じた。 地球は大変重いのだと。これも汗が吹き出る仕事である。
2005年06月14日
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私が初めてシーカヤックに挑戦した海岸。この写真は4月のある晴天の日に撮ったもの。こんな天候の下で、まもなく私が英虞湾の沖へと漕ぎ出す日も近い。 今朝、近くの自然活動センターで、伊勢志摩の自然教室の開講式があった。その教室のひとつに、シーカヤックに参加。 初めてのシーカヤックでこぎ方を3分教えてもらって英虞湾に漕ぎ出した。 あいにくの雨だったが、波まったくなし.快適なパドルさばきで?で恐る恐る岸を離れた。 案外安定感があるのは、驚きだった。もっと不安定だと思っていたがこれならいける、と自信を深めた。5分くらい漕いでもどってきてから、最も細い艇が空いていたのでチャレンジしてみた。 少しこいだだけでも、速さがちがう。少し横に揺れるが急がなければ安定感は案外ある。滑らかな海面に雨が打ちつけていても、まったく気にならない。志摩市長が乗った黄色の細い艇に私も乗って帰ってきた私に、市長が「なれた手つきだったですね。」と声をかけてくれた。テレビ局のカメラマンに「市長が転覆するところを見逃さずに撮るように」と言ったのを聞いていたのかも。 子どもと大人が50人くらいチャレンジしていたが、多分私が最年長だったろう。その次が市長と役所の課長かもしれない。 理想的な海岸が目前にあるところに住むものにとって今年の夏はシーカヤックにはまり込むことになるかもしれない。
2005年06月11日
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いいことばですね。まったく同感。サッカーのドイツ人コーチ、クラマ―さんのことばである。日本人サッカーの恩人。 「サッカーは子どもをおとなにし、おとなを紳士にする。そして紳士は自分でやるべきことは何かを知って自分で努力する。」 しかし、これはサッカーだけに当てはまることばでもないし、人が熱中する対象がスポーツであれ、芸術であれ、すべての分野に当てはまるような気がしてならない。 ジーコ監督は、「前の監督の考えは違ったかもしれない。でも、いいタレントがそろわなければ、どんな戦術も使いものにならない。」と言った。 これは一人一人の考えがしっかりしてること、そして自分のやるべきことをちゃんと知っていること、が前提条件であると言っていることだし、大人でなければ人生の旅路において勝利者になるなど絵に書いたモチである。 規律で縛ったトルシェ前監督では、勝利などはじめから無理であったことは実をもって証明済みである。たとえ勝利をもぎ取ったとしても、それは人生の旅路の中途での中途半端な勝利である。 「何も教えない」ジーコ監督は、守備の連係を細かく確認したという。「長年、日本をみてきた自分だから、正しいと思う哲学がある。」と言い、選手に自立心を植えつけるために黙して言わずを貫き通したその姿勢は、実にすばらしい。 教えられることに慣れて育つ日本人に必要なことは、まさにこれである。 もうひとつ加えたい。それを自分のものにして消化した選手の努力を称えない。 ドイツでW杯目指してがんばってほしい。
2005年06月10日
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今日はかぶらをひとつもぎ取って食べることになった。種を植えたのが今年の4月、一つ目のかぶらである。大根は昨年9月に植えたのが、初めてであって第1作は上出来でなかったが、今年の4月に植えたのは、耕す時に石灰、肥料などをじっくりやったおかげで大きな女性の足ほどのやつが出来上がってきた。もうそれは大根おろしにして食べたり、ラーメンに入れて食べている。 もうこのうまさは、毎朝の水やりと肥料と面倒みたおかげの成果であるので格別そのもの。 私の先生は、「野菜は裏切らない。手をかければかけただけの実を実らせてくれる」と言う。手を抜くとそれだけ収穫は、質も量も落ちる結果は恐ろしいほど。 雑草を抜く、大根の葉っぱにつく黒い虫やキャベツの葉の青虫を指でひねりつぶす。狭い庭の数本の大根、キャベツ、とうもろこし、レタス、菊菜、パセリだから薬をまかずにやっている。 自分のものは自分で作ることがどれだけできるか分からないがまもなく1年が過ぎる。 今年の秋の種まきの時からは、もっと上達していると思うがどんなものでも味がうまいのは、やはり自分がてがけたからだろう。 どんなへんてこなものでも、自分が作ったものは味があるわい。
2005年06月08日
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庭の木々が茂って切らねばならないので先日買ったチェーンソーで切り始めた。案外太い木で、途中で木の重さのゆえにもう少しで切り取るところまできたとき、はさまってしまった。下のほうからノコギリでごしごしすると木の重さがずれて挟まったのがはずれたが、チェーンがはずれた。 悪戦苦闘が終わったら今度はチェーンを入れるので悪戦苦闘。ゆるめるナットというのかネジのような六角形のやつが飛んでいってしまってチェーンソーから外れていた。 どこで落ちたのかもうそれを見つけるのは不可能。使っていたあたりを捜したが無駄だった。 やりはじめたことが、途中で邪魔されるほど悔しいことはない。物事がうまくいかないとき、日を改めてやるしかない。明日は、そのネジをゆるめるやつを買ってチェーンをはめて、再び庭の木々のサンパツの続きをする。そして、いよいよ自然とマッチしたテーブルつくりにとりかかる。丸太を縦に切ってもらって(これは製材所なければできない)、二枚あわせてテーブルを作る。丸太4本を縦に切った。そのうちの2本ですでにイスは出来上がった。テーブル用の丸太を探して、年輪の縦じまをみて庭先で夕食ディナーとはぜいたくでしょう? もう都会のコンクリートはごめんこうむりたい。人生60年を都会で過ごしたのは、少々過ごしすぎだとは思いませんか。私はそう思っています。 ポカポカ陽気の英虞湾で、穏やかな湾の水面を見ていると大工仕事に熱が入る。しかし道具がないとどうにもならない。 ニュージーランドへ留学する人が、夏休みの時に飛行機の便が満席とのこと、物事がうまくいかないことが、世の中には沢山ありますよね。 でもエネルギーを貯めて、またあきらめずにアタックすると人生は新たな局面を迎えるから、気落ちせず再挑戦、再挑戦。 何でもネバーギブアップ “たたきなさい。そうすれば開かれます。 ”
2005年06月06日
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夫と妻はキリストと教会を説明するために例として出されるほどその意義は深い。そんなことを少しでも分かっていただきたかった。抜粋ですが式に出席していると思って読んでみてくださいますか? 結婚式メッセージ 夫と妻はキリストと教会 今、このふたりはこの伊勢の地で結婚しようとしています。この伊勢の地には日本の魂とも言うべき伊勢神宮があり、全日本の人びとが一度は訪れるところです。いわば日本のシンボル的場所です。この近くに夫婦岩(めおといわ)があります。6月の夏至の日、あと2週間ほどすれば太陽がその間から昇ります。夫婦岩は夫と妻を表している岩として有名ですが、太陽がその間から昇るというのは神さまがその間におられるという意味でしょう。さて、聖書に書かれているのですが、イエスはこのように言われています。「創造者は初めから人を男と女に造って、人はその妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。」夫の務めと妻の務めをお話しましょう。まず妻に関して:聖書はこのように書かれています。「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであるように、夫は妻のかしらであるからです。」 ここで教会といっているのはどこそこにある○○教会という見えるものではありません。キリストを信じている人たちの群れのことを言います。ギリシャ語でエクレシアと言いまして、世の中の罪から、悪から出てきた者という意味があります。ですから教会は世界で一つしかないのです。そして「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。夫は自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。」 ですから、神さまを信じて歩む人の結婚は土台がしっかりしています。愛を実践されたイエスキリストを信じ歩んでください。神様の愛はイエス・キリストの十字架の上に現れています。愛には犠牲が伴うものですが、それが犠牲とは思えないほど愛はすべてを耐えるものなのです。無条件で愛する愛でして、ありのままを受け入れる愛です。お互いが愛し合うなら神様を知ることができるとイエスは言われましたから、今日のこのときから、お互いの愛を末永く発展させてください。すばらしい家庭を築かれますように、お祈り致しております。結婚式のメッセ―ジはここまで。そこで雨が降ってきた。雷が鳴って大変でしたが結婚生活を象徴しているようでした。 結婚されている人にとっては、自分たちのいるところを再確認する機会ですね。これから結婚される人にとっては、気持ちを引き締めて、ゴール前の緊張感をもってほしいものです。相手がいたらですけれど。まだ相手がいない人は、いい人見つけて土台をしっかりしたところに新家庭を築いていけるように、自分をまず磨いてほしいですね。そうすると相手として自分を磨いている人が見つかります。 そういう私も司式の時に、初心忘れずでして結婚の意義を深くかみしめております。 30数年前に結婚したときより、愛は深まっていることだけは確かである。これが薄くなっているなら、司式などする立場にいないことになるでしょう?人のことより自分のことを棚に上げて、他の人を祝福するなどあつまかましいにもほどがある、と思っておりますのです。 でもその愛は、ちゃらちゃらした熱くてさめやすい愛ではありません。けんかしても、謝って、赦して、議論して、仲直りして、譲り合うというようにかめばかむほど味の出る“スルメ”のような愛ですけれどね。
2005年06月04日
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私は60年もの間、じかに土を踏んだことがない。いつもアスファルトであり、石畳であった。 精神的にも健康的にもいいことなど何もない。排気ガスを吸って、自動車に乗って信号でいらいらして、マンションの7階から町の明かりは魂を潤さなかった。 自分の務めに意義を見出さなかったなら、とっくにニュージーランドに移住してただろう。 大阪の町の中で育ち、大学は京都の同志社まで電車で通った。母は植木鉢で草花を育てるのが趣味で、水をやっていた。今生きていたら私の生活をうらやましがっているのは確か。94歳で大往生したのがもう4年前。 今私は、伊勢志摩の大王町に住んでおり、夕焼けは天下一品。英虞湾の夕焼けをぜひ一度は見に来て欲しい。紹介したら来週の金曜日に足の不自由なお父さんを連れて京都から来られる人がいる。親孝行をしたいときには、親はなし、ということばがある。 わが庭は野菜を植えている。猫の額のような狭いところだが、何とか大根、なす、ほうれん草、菊菜、ブロッコリー、キャベツなど。 ヤーコンはその中でも、ハイライトの野菜だ。そして今日、もうひとつの花形が加わった。アシタバである。5本の苗を八丈島から取り寄せた。送料共で1850円也。いい値段している。不老長寿の野菜である。健康志向の方たちはもうすでに有名な野菜である。 健康が大切、これには不注意な行動やストレスや口から入る添加物などに気をつけて、年を経るにつれて毎日の歩みをしたいもの。 肉体のいのち、そして魂のいのち両者があいまっていい仕事ができると思っているが、肉体が損なわれても魂が光っている人たちには私などはただ頭が下がるだけ。
2005年06月03日
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五十鈴川のほとり、内宮の正殿までの玉砂利を踏んで4時を待った。午後の日差しが木々の間からまぶしい。 清らかな水の流は、心を洗ってくれる。 太鼓の音とともに50名ほどの神官が白装束に身をつつみ一列に並んで大祓いを行う祓所(はらいど)に正座した。 大祭に先立ち、身についた罪と穢れを祓って、心身を清めて神の前に額ずくのである。大祭が行われる前の月の末、すなわち今日、5月31日に大祓である。 私と家内ははじめから終わりまでその様子を胸に刻んだ。大宮司が祓詞を奏上している間、神職の皆さんは低頭している。(写真) 榊で清め、榊を振って神職の一人一人を清めていく。自分の罪と穢れを取り除き、そしてその榊を五十鈴川に流す。 木の箱に入れられた榊の神職の数は50数本だろう、五十鈴川の方向に行くだけで再び元のところは戻されたので、なぜ戻るのですかと聞いてみた。 川が汚れるなどの理由で、形だけして儀式は終わるのですよ、という返事だった。 罪とは、穢れとは何なのだという質問は、愚問だろう。己の心に聞けばいい。 大祓を見て厳粛に受けとめさせられたのはその罪の穢れを拭い去る実質は、また形の美しさは、その内面の美しさからくるものだということ。 私が聖書の罪の赦しが神の愛から来ることを知っているために、今日の神宮の大祓の儀式の美しさに感動したのは、言うもでもない。 日本は罪と穢れを祓いながら、世界にはばたくときに世の光、地の塩となる定めを担っているとしか思えない。 身震いする晴天の光がこぼれる五十鈴川のほとりであった。 大祓の直前の石畳の上にむしろを一枚ひいただけのところでの正座 大祓、大宮司が榊を振って罪と穢れを祓う
2005年05月31日
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昨日の晴れの日に2組の結婚式の司式をした。緊張する。何回しても二人からかもし出される新しい息吹はいのちの息吹である。 1組目はふたりとも耳の不自由なカップルであった。笑顔の素敵な男性は1.75メートルと背が高く新婦は1.65メートルの非常に美しい背の高い女性であった。 私のすぐ右後ろにひとりの手話の方が新郎新婦のために手話で訳してくださった。私からは彼女の手の動きはまったく見えない。 もうひとりは、斜め右前で手話通訳を出席者の方たちにしている。 誓いのときが来た。「あなたは健やかな時も、病める時、この人を愛し、敬い、助け、慰めそのいのちの限り、堅く節操を守ることを誓いますか」 その男性は、手話の手を見て「チ・・・ス」としっかり喉からほとばしる声なき声を絞り出された。 私は、神がその声を確かにそれもはっきりと聞かれたことを感じた。三つよりの糸はそう簡単には切れない。神を中心とした男女の仲は心の声こそ新しい人生の岩である。彼らは岩の上に家を建てていくだろう。 彼らの上に祝福あれ
2005年05月30日
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丸太がとなりの森の中に切られてほったらかしにされている。それをもらってきて、木材屋さんに縦に切ってもらった。椅子にすることにした。近所の知人から板をもらった。それをテーブルにする。 電気のこぎりは持っているのだが、丸太を切ることができないので昨日チェーンソウを買ってきた。 生まれて初めてチェーンソウを今日使った。細心の注意を払わないと非常に危険な道具である。 1年以上もその丸太は放置されていたので、蟻が巣くっていたが木の皮を剥ぎ取ると十分使えた。 4本の丸太を縦に切ってその足にするために丸太を20センチくらいに切っていく。今年の夏は、自家製のテーブルと丸太の椅子でバーベキュウ―だ。 私はもの心ついて64歳まで大阪の町の真中で過ごしてきた。自然など私の周りにはなかった。土に触れるなど、草花を見るなど皆無の人生だった。失ったものを取り戻すが如く、今私は見渡す限り樹海の中に住んでいる。とんびが空を飛び交い、地にはいのししとたぬき、蛇にはお目にかかったことがあるが、マムシがいるそうな。すでにムカデは数匹、私の目の前を歩いているに出くわした。 毛虫が幾匹か木からぶら下がっている。 指の爪に土が毎日挟まっている。庭の野菜と花に水をやり、10分はなれた畑に肥料と水をやる。大根、しゅんぎく、なす、とうもろこし、ほうれんそう、キャベツ、そして本命のヤーコンの成長を楽しみにして、太陽と雨は恵みそのものである体験じゃ。 こんな人生が豊な人生というのだろう。お金はないが、ジャンボ宝くじがあたった夢を発売日を知らなかったその日の朝に見たので、ひょっとすると正夢になるかも・・・・・。そしたらほんとに豊な人生になるかも。くじを買わないと当たらないが、買っても当たらない。だが絶対に当たらないのは、買わない場合。みなさんは、買いましたか?
2005年05月26日
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健やかなる時も病める時もこの人を愛し、敬い、慰め、助け 堅く節操を守ることを誓いますか?「はい、誓います」と昨日の男性は力強く、大声で言いました。 何と頼もしい男性だったことでしょう。175センチのがっしりした27歳の男性は、横に寄り添った小柄な女性に全身全霊を捧げて愛し守ろうとするその気持ちが、私の心にまっすぐ入り込んできた。 おかげで指輪交換の前に「この指輪が丸く終わりのないように、二人の愛も終わりがありません」ということばを思わず忘れてしまうところだった。 賛美歌を歌う時、二人で司式の題詞を持つ手が震えているのが司式をしている私の胸を振るわせた。 お二人の上に神の祝福があるように。快い緊張感が式の後私を包んだ。 昨日の土曜日のお昼の天候は晴れ、いい日だった。
2005年05月22日
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私はチャペルでキリスト教の結婚式の司式をしている。人生の門出の二人を目の前にして、緊張しているのはご本人だけではない。最前例に座っている両親も緊張している。 そしてことばの一つ一つを選んで話さなければならない私の喉はカラカラ。 式が無事に終わって控え室に入った途端、私はペットボトルをがぶ飲みする。たった15分から20分の式なんだが、何度やっても緊張ですよと私の友人牧師は電話の向こうで言っている。この友人1300件のカップルの司式をしたとのことだが、なんどしても緊張するし、話の内容も吟味すると言っている。 「神さまが合せてものを、人は離してはなりません」ということばの重荷を私は自分の結婚で何度こころでつぶやいたか。 明日も私は「愛はその中で最も大切です」と心をこめて言うつもり。それにしても、花嫁さんというのは実に美しい。何度見てもきれいだし、美しい。美しいものはすばらしい。 花が咲く チャペルの鐘に 父が泣く
2005年05月20日
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広がっている傾向にあるそうな。でもそんなに事は簡単ではない。乗り越えなければならない問題が山とある。 広がりを見せていると言ってもまだまだごく一部でニュースの種になるほどだから、実現目指すには自分の環境と戦うのが先決。 それからどこにするのかがいちばん問題点。アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどが上げられるろうが、ただ国を選べばということですむことではない。 そんなことより、留学する学校がどんなところかがいちばん大切。知っている人がいると良いが、そんなコネがあるはずもない人が多いだろう。一般広告やこのようなインターネットで探すにしても、雲をつかむようなものだ。 母と子の一生がかかっている一大事なのだし、費用も1年から2年となると馬鹿にならない。そんな買い物をするのに実物を見ないで買う人などはいない。人の話だけで決断する勇気もない。そんなのは勇気と言うより“浅はか”と言うべき。 一度自分の目で確かめてみることだけはしてほしい。そんなことをクリャーして出かけた私が紹介した二人の母子家庭は今どうしているのか?私はそんな心配をしている。便りのないのは良い便りと思っているが、そろそろカレッジにメールして聞いてみよう。
2005年05月18日
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1965年、私は大阪の真中、憩いの公園であった中ノ島公園の中ノ島中央公会堂という誰もが知っている会館の一番ちっさな部屋でキリスト教の集会を始めた。 25歳であった。友人たちが集まってくれた。8名だった。あれから40年経った今日、5月16日が日曜日であった。その日は。朝11時私はその教会ともいえないような集まりで友人たちに何を語ったのだろう。 そしてその二日後、18日の火曜日も集まった。そしてその二日後20日の木曜日も。そして、23日の第2回目の日曜日には、10名の人がやってきた。私はそれから来る日も来る日も、その日曜日、火曜日、木曜日、週3度。私が得たものをやってくる人に語りつづけた。 なんでもはじめたときの印象は、残っているものだが特にそのときの記憶は、今も生々しい。そしてその年の12月のクリスマスには、仲間が30名くらいになっていた。 そして楽しいクリスマス会をやった。洗礼を受けた仲間も10数名になっていた。 それから、10年間のその中ノ島中央公会堂は私たちの教会であった。人数は100名を超えようとしていた。 今でも思うが教会は建物ではない。人の交流の輪であり、また日本の精神でもある和であるとつくづく思う。 内村鑑三が無教会という名前をあげて、ひとつの大きな光と啓示を日本に残してくれたことは、実にすばらしい働きをされたと今本当に感慨深い。 40年も経つと結婚もし、子供もでき、その間に病気もしけがもする。身体も心も傷ついてぼろぼろになることもある。しかし人の和とことばの掛け合いで助けられ励まされ、またいやな忠告も受けてきた。 今私は、伊勢のチャペルで結婚式の司式をしている。新しく旅発つ若者に、私の経てきた経験を投げかけているが、たった3分の話の中に何をどのように語ろうかといつも楽しみと期待とが錯綜している。 人生は1度きりだ。2度とない。輪廻などは何の証拠もない。 泡のようなはかない教えで人生をないがしろしないように、死後にさばきがあることを肝に命じてこれからの残された旅を送りたいとこの節目の40目にひしひしと思う。 竹のふし 切られず伸びて 天仰ぐ
2005年05月16日
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ごみの箱のようなプラスチックの容器を買ってきて庭の畑の真中に穴を掘って置いた。 そこへ残飯を入れる。そして腐ったらそれを肥料にしたり、地面に吸い込まれた液は地中に広がって畑の野菜の肥料になる。 私が住んでいる伊勢志摩の英虞湾の船越は、ごみの収集はプラスチックのごみ袋を買ってきて入れなければもっていってくれない。有料なのだ。そこで少しでもごみを少なくするためにも、畑の肥料にするために容器を買ってきたのだ。 一石二鳥とはこのことである。 春に植えたソラマメ、キャベツ、ナス、トマト、レタスがだんだん大きくなってきている。 土との生活がこんなに面白いとはやってみて初めて分かった。 都会のコンクリートしか踏んだことのないこの足は、今、土の地面の感触を楽しんでいる。 60年目にして地球はアスファルト球から自分の素顔を私に見せてくれている。失っていたものがあまりにも大きいように思えてならない。
2005年05月12日
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名古屋の中部国際空港で友人夫妻は中国へ旅発つことができずに我が家にその日舞い戻った。 ビザとチケットが不備であったため。 その日に大阪まで車で走って中国大使館へ直行、そして無事ビザ申請終了して今日そのビザを入手した。 そしてチケットを再発行してもらって今週の土曜日に彼等は再び中部国際空港へ行く羽目になって無事日本を離れて次の目的地に行くことができる。 そのおかげで彼等と5日間ほど余計に過ごすことができるようになったがそれもオマケをもらった子供のように喜んでいいのかそれとも彼等の予定が狂ったことを悲しんでいいのか複雑であります。 どちらにしても人生では予期しないことが起こるものですね。
2005年05月11日
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自分のことだけを考えているのであろう。他の人の迷惑や自分の行動やことばがどのような影響を与えるのか考えたこともないのだろう。 人はまいた種は刈り取らねばならないことも知らないで人生を送っているのとしか思えない。 天に唾したら自分に帰ってきて自分に降りかかる道理を体験していないので迷惑メールや人の人格を傷つけるようなことを平気で送信してくる。 幼い赤ちゃんが歩いているとき、5、6歳の男の子が足を出した。赤ちゃんはひっくり返って泣いていた。そんな光景を見たことがある。なぜそんなことをするのだろうか。 世の中には変われねば取り返しのつかない人生を歩いている人がいる。何とかしてそのような人をの一人を罪の中から救い出すならナント多くの人がその人の周りで迷惑をかけられないですむだろうか。 腐ったリンゴをひとついっぱいりんごが入っているところから取り出せば周りのリンゴが影響を受けないで済むのはよくわかることだが、そのリンゴが自分で自分を良いように変えていこうとすることができればもっとすばらしいと思う。 私はみんな自分を変えることができると信じている。その希望をもっているので、ちょっとした事をすることにしているがそれが案外楽しいのだ。
2005年05月07日
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3週間ほど前にも友人夫婦がニュージーランドから見えられたが先月の27日からまたお互いがよく知り合っている友人夫婦が来た。そして我が家に泊まっている。彼等と私、彼等同志もよく知り合っている仲間である。 今日は、彼等からまたアメリカの友人からも学んだことばを書いてみる。ありがとうと言うことばを彼等が学ぶ時は「Arigator」と覚えるそうな。すなわち「わに」である。どうもありがとうは、dumb Arigator と覚えるのだが、それをstupid Crocodileと言って冗談を言うそうな。それに応えて、「どういたしまして」Don't touch my mustache といって覚えるという。 そこで私は、ありがとう は、ten ants だというとなんだか分からない顔をしている。蟻が10匹は、すなわち蟻がとうであるから。なんだか分からない冗談であるが、今日のこの記事を読んでくれてten Antsいや“Stupid Crocodile”
2005年05月03日
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彼との付き合いも42年になる。彼の奥さんのお父さんとも親しい間柄で、その方の奥さん(友人の奥さんのお母さん)は昨年なくなられたそのとき、彼等は日本に着いていた。 友人は日本で講演会が会ったので、帰国されず奥さんはすぐに帰国された。そのときはイギリスからの途中でついたの日に機上の人となられてNZに帰国された。彼女は今回はゆっくり私の家で滞在できる。 彼女と私の妻は気の合う同志で、手振り足ぶりで意志の疎通をはかっている。春のうららの英虞湾を前に林の中を4人で散歩した。うぐいすが鳴き、そらにとんびが舞って平和な日よりも今日だけで、明日からは二日連続で集会の連続が待っている。忙しくなるのでこの日記はしばらく、多分3日ほどはお休みです。
2005年04月28日
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昨日午前中に急に3人もの申込があった。うれしい。 少ない人数でライフウエイ・カレッジへ行っても面白くない。一度見てもらって、人生の転換期になるかもしれない留学を決心してほしいし、新しい体験をしてほしい。 私も若い時にニュージーランドで新しい文化の中で新しい友人たちを得て人生の未来に希望を抱いたものの一人であるから。 その3人の内訳は、20歳の若者、43歳の中年の男性、そしてもう一人は職業は分からないが、連絡を取り合っているある団体の女性のご主人である。 そのうちの一人は、ビジネスマンでニュージーランドの私の知人とビジネスの話に行くことにした。 彼のビジネスに新しい道が開かれたらいいのにと思う。 だれでもチャンスがある、それをつかむ機会を逃してはならない。キューピーは、チャンスの天使ということですが、彼が通り過ごしてしまってからは、彼を捕えようとしても後には毛がない。毛のない頭ではつかみようがない。 チャンスは前からやってきて彼の前にしか毛がない。
2005年04月26日
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お世話になっている人の家が空家で23日にその人が退院して住む始めることになった。 そこで数年の間、手入れをしていなかったのでペンキがはがれて汚れがひどくなっていた。 そこで私が昔取った杵柄でペンキを塗った。お世話になっている人の退院祝いだ。 鉄ブラシでごしごし、それからサンドペーパーでごしごし。そしてその手のかかる作業の末、1週間後の昨日、晴天の春の午前中と午後にペンキを塗った。 雨戸の戸袋の周りを白のペンキ、その内側にベニヤの薄緑の板を張った。見違えるような美しい戸袋に生まれ変わった。 汚れているものがきれいになるのはこんなに楽しいものか。創造的な作業は楽しい。明日は我が庭の木々の枝を払って日当たりをよくする。庭に植えた野菜の種と苗を成長させるため。
2005年04月23日
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ミサクチという神が諏訪大社上社前宮で祭られている。4月15日に御頭祭という祭りをする。MISAKUCHIを分解するとM・ISAKU・CHIとなる。Mのミは接頭語、イサク そしてCHIのチは接尾語ともまたは蛇という意味があるそうだ。この前宮の背後に1600メートルほどの山が御神体であるが、その山を「モリヤ山」という。 神主が一人の男の子を縛りナイフ(藤刀)で殺そうとするが別の神主が馬に乗ってきてそれを止める儀式をする。そしてその代わりに鹿の首を75頭切る。これを明治4年までやってきたが、現在は子供を殺そうとする儀式はせず剥製の鹿の頭を神饌として捧げている。 これは、もうお分かりであろう。アブラハムがイサクを捧げる創世記22章そのものである。人生の最大の試練をかいくぐったアブラハムの魂の叫びである。 このミシャクチ信仰がこの伊勢志摩一帯にあることを昨日知った。大王町の波切(ナキリ)の土地の老人が、私に教えてくれた。その文献をコピーして読んだ。鳥羽の図書館の本からもうかがい知れた。皇祖神の天照大神が伊勢に落ち着く前より、この伊勢に土着していたミサクチ信仰は、何を意味しているのか。どちらが古いのかまだ調査中で分からないが、伊勢の土着信仰と諏訪が結びついていることだけは確かなようだ。 日本のそこかしこにある古代イスラエルの痕跡は何を私たち日本人にかたりかけているのだろう。 日本は案外聖書の世界が遠くにあるのではなく、もうすでに日本民族の中に入り込んで灯台もと暗しの感があるのではないだろうか。 これは驚くべきことであると、一クリスチャンとして身震いし始めている。地震がよく起こる昨今、日本民族の下地が揺れ動き始めているのを感じる人は少ないと思うが、これを読んでいるあなたの魂は日本民族の血をどう意味付けているのかお聞きしたい。 中国の反日運動についても日本人としてどう感じていますか?「汝の右の頬を打つ者には、左の頬も向けなさい」このことばの意味は、大きい。
2005年04月21日
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穏やかななぎの海を見ているとカヌーでスイスイと漕いでみたい気になる。 こんな穏やかな海面はカヌー日よりのようだ。だが私はカヌーなどやったことがない。 どんな気持ちになるのだろう。急流を漕いで流に乗ってみるという気持ちもわからぬでもない。が、鏡のような海面を軌跡を後に描きながらすべるように艇をすすめる方が私の年では似合っているのではないかと思えるような、春の英虞湾である。 いつかのこの欄でその体験を書いてみたい。どんな気持ちをかけるのかそれも楽しみだ。 体験してみてその値打ちがわかるのは真理だと思う。
2005年04月19日
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留学したり、ちょっと旅行に出かけようとするときニュージーランドドル高は私たちには痛手も痛手、財布が泣いてしまう。 ライフウエイ・カレッジへの留学の仕事をし始めた5年ほど前は1ドル50円くらいだったことを覚えている。それがこの2005年に入ったとたん、75円くらいになったかと思うともうそれが80円を越えてしまった。 半年の留学費用が、授業料、滞在費、食費すべて込みで1万ドルと少しであるが、5年ほど前だと50万円と少しでよかった。それが今や80万円を越えてしまうのだ。 紹介する方も、される方ももう泣きべそ状態であります。それでも何とか工面してがんばって勉強しようとする者たちには先々日の15日、若い奥様二人が子供を連れて出かけました。この人たちの勇気と決断には、頭が下がります。 こころから良き学びと、人生の肥やしを得て欲しい。 新しい勇気ある行動に神さまの祝福を! また6月29日にライフウエイ・カレッジへの現地無料体験ツアーを募っているが、昨夜二人の方がいっしょに行きたいと申し込まれた。まず見て確かめることからが安心感も来るというもの。外国で学ぶということは、やはり勇気も決断も必要だ。ちょっと駅前留学というわけにはいかないものね。
2005年04月17日
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子供を連れてライフウエイ・カレッジ(ニュージーランド)へ行くお母さんから電話。待ちに待ったビザが下りたとのこと、案外長くかかるのだ。 昨年10月、Discovery Lifeway と銘をうった無料見学会に参加した人が8人いた。その二人がこの4月に留学する。それから準備をして今年の4月に入学することになった。 今回も6月29日から2泊3日で無料見学会を催すが、一度見学すると躊躇していたり、どんなところかがはっきりするので迷いが吹っ切れる。 この人たちは息子(6才)を連れていっしょに留学するわけだが、一歩ライフウエイ・カレッジのキャンパスの中に入るとすぐに吹っ切れたようだった。すぐに決断して半年後、今月15日に飛び立つ。 これを読んでいる人でもし迷っている人がいるならぜひ一度見に行って欲しい。 まず自分の目で見て確かめなければ、経済的にもまた自分の時間もむだにすることになる留学もあるわけだから。もし、自分の意志にそぐわない結果となったとしても自分の目で見て自分で決断したことは、将来必ず役に立つ。他人に決断してもらったことは、往々にして自分の役に立たないことが多いからね。 サブタイトル=「百聞は一見にしかず」
2005年04月07日
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サクラが咲き始めた。我が家の隣の藪に淡いピンク色の大きなサクラがうぐいすの声に励まされて小さな手のひらをひろげ始めた。 鵜方のショッピングセンター近くの川をはさんだ両側に濃いピンク色のサクラが数百メートルに並び始めた。 会う人が声をそろえて「さくら」を歌った日が昨日だった。今日もそのサクラはさお一層、手をひろげるだろう。 登茂山の桐垣展望台までの道脇にもサクラが目を覚まし始めている。大阪の西区に住んでいた私にとって、「これほどのサクラがいっせいに咲き始める土地は人生で初めてなのです」、とこの新鮮な喜びと驚きを誰かに叫びたい思いでいっぱい。 自然の中で暮らし始めて、失っていたものがどれほどものなのかあまりにも尊いものを知らずして私の日常生活は成り立っていたとサクラ咲くこの季節に思う。 今のこの春をうぐいすとともに満喫したい。
2005年04月06日
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隣の敷地は藪で樹がうっそうと茂っている。その隣との境界線脇に桜が3本。そのうちの2本は上から枯れて腐り始めている。2週間前にその桜の腐っているところをのこぎりで削って治療した。玄関脇に一番近い桜がすくすくと育って見事な枝ぶり。それが昨日咲き始めた。近所の桜もいっせいに目を覚ましたようにピンク色を見せ始めている。 桜は日本の花、そして樹だ。新渡戸稲造の「武士道」の書き出し。 武士道は、日本の象徴である桜花にまさるとも劣らない。 日本の土壌に固有の華である。そして彼は言う。「大和魂」のところで しきしまのやまと心を人とはば 朝日ににほふ山ざくらばな と詠んで日本人の純粋無垢な心情を示すことばとして表した。 たしかに、サクラは私たち日本人が古来からもっとも愛した花である。 そしてわが国民性の象徴であった。・・・・ サクラの花の美しさに気品があること、そしてまた、優雅であることが、 他のどの花よりも「私たち日本人」の美的感覚に訴えるのである。そしてバラと比較して彼は次のように言っている。 私たちの日本の花、すなわちサクラは、その美しい装いの下に とげや毒を隠し持ってはいない。 自然のおもむくままにいつでもその生命を棄てる用意がある。 その色合いはけっして華美とはいいがたく、その淡い香りはあきることがない。 サクラの花を仰ぎ見て、そのかぐわしき香りが満ちるここの季節にすべての人が家々から外に出て、その花の美しさに触れ世の喧騒と心の汚れを洗ってもらおうと手足を休めて働くことを止めたとしてだれがとがめるであろう、とも言っている。 短い楽しき時を過ごした後、ふたたび新しい活力に満たされて、日常の生活に戻ろうではないか。 サクラは春に咲いて日本の人々を明るくしてくれる。 そのサクラを見ずに私の友人夫妻はニュージーランドに帰ったが日本の人々の暖かい心に触れてさよならをいう空港で涙を潤ませていた。かれらはたしかに「サクラ」を見て帰った。
2005年04月04日
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先月21日に来日、そしてもう今日新空港の中部国際空港から離陸する。この13日間、あっというまだった。伊勢神宮を皮切りに伊勢志摩の横山展望台、大王崎灯台、安乗灯台、戦国時代村、我が地元の登茂山の日本一の夕焼け、そして大阪での友人たちとの再会、盛りだくさんのホリデーを満喫しての帰国となる。 その間、この日記を書くひまもなく時は過ぎてしまった。今も朝食の前にこれを書いているがもう行かねばならない。ではまた
2005年04月02日
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じつに美しい。円形に輝く月は自らの清らかさを誇っている。地を照らして暗闇をけちらかしている。 露天風呂で見る月は、見知らぬ人同志を親しくする。日本人親子に声をかけた。「どこから?」「オランダ」「?」私の隣には、友人のキウイ。オランダから一時帰国している日本人は、2年ぶりの日本の温泉を楽しんでいた。露天風呂に三人、一人はニュージーランド、一人はオランダ、そして私は日本。それぞれが満天の月明かりの中、初対面同士が親しく話すのは、明後日のイースターの恩恵か。人は死んだようなところからよみがえるのは、暗闇に光る満月の次にくる太陽の明かりがあるからか。 明日はすばらしい青空を。そしてその次の日曜日は、春の暖かさを期待する。 75歳の半身不随の老人を病院に見舞ったが、彼の希望に満ちたことばは「砂漠に川が流れ、荒野に花が咲く」そして彼は別れ際に言った。「シャローム」
2005年03月25日
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会合中に電話がなった。びっくりした。明日の予定だと思い込んでいたニュージーランドからの到着が今夜だった。友人夫妻は、新しい空港で迎えもなく立ち尽くしていたというのだ。 思い違いか勘違いか、連絡確認が不確かだったのか、いずれにせよ外国で迎えに来ているはずの人がいない時の不安は私も経験したことがあるので二度としたくないことです。 明日鳥羽の港まで来てくれることになって、そこまで迎えに行ってくれる人を手配した。明日の朝は、私が集会の講演者になっているのでどうしても会いにいけない。 今夜も集いの真っ最中だった。でも明日の夜の再開がランチ時になったので、早めに会えることになったのはうれしい。 電話のむこうで何も心配することはないとNO Problemと言っていたので一安心。空港のホテルで無駄なお金を遣わしてしまった。 今夜はほんとにびっくりした。友遠方より来たりて、迎えなし。その友いつもわが身をオークランド空港で迎えてくれるのに。悪いことしたと悔やむことしきり、胸内てすみませんの連続。
2005年03月21日
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日本の春が向こうでは秋。夏は冬、秋は春、冬は夏とように自分のいる今の環境とは逆の環境を楽しめる。これは、いうにいわれぬ魅力です。 冬の泳ぎたい時に泳ぎに行く。夏の暑いときにスキーに行く。豪華な生活ですね。 この6月に私は留学のお手伝いをしているが見学会を開催する。無料である。1週間や2週間なら見学することもなく、無鉄砲に行ってみて少しの体験をしてみるのも失敗してもそうたいしたことはない。その留学先やホームステイが意に反したところであっても我慢ができるかもしれない。それでも行ったこともないところなので、運不運はある。 だが、2ヶ月、6ヶ月、1年ともなると話がちがう。長ければ長いほど、その目的志向が重大であればあるほど試食をしてみないと危険そのものだ。 そこでお手伝いをしているものとして、当然のことながら無料試食会をすることにしている。 それも高い航空運賃を払って試食するのは、これももったいない。だからチャンスを捕らえた企画をすることにした。昨日の日記にそれは詳しく書いておいた。 まじめに考えている人には、また金銭に余裕のない人はこの機会に借金をしても自分の精神的財産を貯える意味でもぜひ若いときにチャンスを生かして欲しい。 プログラム、日程表は左のフリーページに今日添付した。写真はMt.Manganui オークランドより南島200キロのところタウランがの朝焼け。また詳しくは明日。
2005年03月20日
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ごきげんいかがですか?さて再度無料見学会のお知らせ今回は時間が取れますでしょうか?今すぐならニュージーランド航空(直行便)でインターネットで申し込むと72,000円くらいです。これは破格の値段ですね。35日以前申込ですから安いので成田からでもありますが、私は新品の中部国際空港から6月29日17:25発で30日オークランド着8:20です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2泊3日現地無料見学会 定員15名ニュージーランド ライフウエイ・カレッジ6月30日~7月2日 往復約7万円(満席の場合は韓国経由)英語留学(12週間NZ$6,390)・聖書留学(アーミーコース)・ビジネスコース・アニメーション3Dコース・TVプロダクションコース現地オークランド空港6月30日朝9時集合ライフウエイ・カレッジ日本事務局 TEL&FAX 0599-72-0036E-mail:h.newlife@newlife-jp.comwww.newlife-jp.comやはり、日本と日本人を学ぶために、外国へ出かけることが手っ取り早いです。別にニュージーランドでなければならないことはないと思う。でもニュージーランドはいいところですから、そして学ぶところとしても環境抜群です。なんせ毒虫(さそり、へび、蜘蛛、などなど)がいない。人も毒を持っている人がどの国よりも少ない、と多くの人が言っている。写真は朝もやの中のライフウエイ・カレッジです。くわしくは左の自由ページを参照してください。
2005年03月18日
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一昨年高校2年生であった我が塾の卒業生が夏休みを利用して1ヶ月ニュージーランドへ行った。ライフウエイ・カレッジへである。英語を勉強して帰ってきてその体験を話すとお父さんお母さんはたいへん喜んでくださった。そのお父さんから聞いたと言って昨夜お父さんのご友人から電話があった。 娘さんが6ヶ月英語を勉強したいとのことでどうでしょうか?と相談である。「環境抜群、勉強する環境も抜群、山歩きは毒虫いないし安全無害!」と答えたが、危険なのは男性ですよ、と念を押しておいた。私の塾の卒業生が20歳のときキャンパスで2ヶ月めで結婚申し込まれた。彼女は明るくてたいへんチャーミングな女性である。よほど気に入られたのだろう。びっくりしたのはその気のない彼女である。 断ったと言っていたが、気安くおおらかに迫ってくる男性がいるので気をつけておかなくてはいけませんよ、と親父おせっかいをしている。 日本人女性が憧れだと言っていた30過ぎの英語の先生がいた。我が塾で先生をしてもらっていたが、彼はいつも振られていた。そしてあきらめないと言ってクライストチャーチにビザ切れで帰国した。それから3年、4年と経ったとき突然それも昨年、我が塾の扉をノックした。可愛い日本人のような顔をした髪の毛が茶色の3才のお嬢ちゃんを連れて立っていた。「ついに日本人の女性をみつけたよ!」と頭の毛が薄くなった喜びの顔をくしゃくしゃにして立っていた。 このように男性が女性をゲットするには、実に不思議な出会いがある。心と心が通い合って、ゴールするのだが日本人同士でも国際色があっても、一時の熱で燃え上がっても何か深いところでOKというものがないといけないから、要注意ですよ。これも多くの失敗のケースを見ているので親心ですかね。 親元を離れて遠い外国へ半年も行く若い女性が多いので、昨夜もお父さんにそんなことをしゃべって、気になる心配事を分かち合った。 それでも若いときは多くの体験をしてほしい。それもよく見極めながらの体験を。
2005年03月16日
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これは友人が送ってくれた文の一部です。私が信じているイエスの道を歩く者の名文だと思いますので、今日はぜひこれを載せてみたかったのです。 人生では順調にいかない時が多々あります。信仰の道も同じです。でも正しい知恵のことばが人を迷いや自分の過ちを正してくれます。正しく歩んでいるものにとっては、励ましで確信を新にさせられます。 私は昨日、腰をまた痛めました。今かがむことができません。畑仕事を昨日それでもやりましたら、きょうひどくなりました。人生で誰かがやらねばならないときに、一人でもやる心構えがないと何でも前に進まないとそんなことばも先日教えられたところです。冬の間に耕さないと秋の収穫はないものね。写真は私の好きな川、ニュージーランドはクライストチャーチのエイボン川です。It was never supposed to be like this. Jesus asked us to care for the widows and orphans, to feed the hungry, care for the sick, visit those in prison, reach the lost. He wanted us to love our enemies and pray for them. He cared about human justice and suffering, the lost and lonely. But I don't think He would have marched on a picket line - He had His mind on much bigger problems. He wanted us to focus on the eternal things, not the everyday. He never once said to go into all the world and build big buildings and divide up into factions and buy Bentleys. Just the opposite! I get that you're mad at us and I think you have a right to be, but please understand, you're mad at what we've made under our own power, you're mad at "Churchianity." That's different than Christ and what he wanted. Don't be mad at Jesus! This mess wasn't His idea.www.FellowshipOfTheMartyrs.com
2005年03月15日
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11日作夕方、実に幻想的な英虞湾の夕日であった。我が家から南方は伊勢湾の南方にあたる。夕日が沈む英虞湾が西である。その西から雲が晴れてきて南方にたなびく雲と霧に薄ピンク色の絵の具を塗る画家の妙手は絶賛されるに値した。幻想的ということば以外にない。 カメラを向けた。ここに載せられるほどの腕前ではないのがもどかしい。すばらしい景色は、カメラに納めるよりは、心のアルバムに貼り付けたいですね。 心のアルバムは鮮明に記憶として残らないのがたまにきず。その時々を楽しむ心のゆとりこそ大切ですね。 カメラに注意をひきつけられて、その時の天の画家の妙手を味わえないのはバカらしいから私はカメラを手にして心のカメラを第一にすることを心がけている。 絵を楽しむよりも、その画家の偉大さを楽しみたい。画家をどんなお方か知らない人は大自然をしっかり見ると見えますけれど、最近は大自然が壊され始めて、見えるのは人間の破壊活動から、画家の絵に泥を塗る人との手がよく見えてしょうがない。ちょうどその時、新国際空港は霧で離着陸ができなかった。西の方から晴れてきた合間に、夕日のオレンジが英虞湾の樹海の合間のもやと霧を照らし始めていたときである。
2005年03月12日
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ということは円が安くなっていることである。ニュージーランドへ行くものにとっては、大変なのである。4年ほど前は、1ドル50円台であった。その時に比べるからかもしれないが半年留学するにしても、50万円台でできたのが今は80万円する。今日の新聞でNZ$=79円を越えている。ニュージーランドの経済が上向いているということは、物価が高くなっているのということだ。 NZへ行って買い物が楽しかったのだが、昨年あたりから値札が気になり「高い!」と言ってしまう。やはり円に換算して比べてしまうのだが、日本の物価が低くなり始めているのも確かだ。 さて、6月の下旬にライフウエイ・カレッジへの無料見学会を予定している。6月にニュージーランド航空で直行便で季節がら大変安く行けるからだ。今日の写真はライフウエイ・カレッジの朝もやに浮かぶキャンパスです。朝の散歩の時に撮った写真で、すぐ近くにロッジがありそこからは海岸の手前にカレッジ全体像が窓から見ることができる。 7万5000円で2泊3日、名古屋の新空港から行くことにしたいがこのメールを見た人に限り、わたしの一存で7万2200円(飛行機便のみの値段)にしておきます。無料といってもライフウエイ・カレッジへ私は少し負担することになっていますので、これは出血大サービスなのです。一緒に見学に行きませんか?この値段は航空費こみですが申込に制限があり、多分4月中に申し込まないと飛行機の予約がとれないかもしれません。 連絡はh.newlife@newlife-jp.comのメールで申込を。詳しくはまた明日。
2005年03月11日
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午後大潮で干潮が著しかった。お昼の12時に近くの次郎六郎海岸に下りてみた。のりのアオサが実にきれいな海水の上に緑に映えて美しい。 地元の人しか知らない牡蠣のいるところへでかけた。大きい牡蠣がそこかしこにいた。 夕食はそのかきの鍋を楽しんだ。うまかった! 春がきた。Spring has come!である。海岸にからすが2羽獲物をつついていた。近づいてみるとからすは逃げた。そこには子供のイノシシがはらわたをむき出して横たわっていた。なぜ、こんなところで死んだのだろう。グロテスクな死体にハエが群がり飛んでいる。 水のきれいな波うち際にふさわしくない動物の死体。いくら子供のイノシシといえども1メートル近い動物が肋骨を剥き出しにされ肉を食われていた。 誰もいないきれいな英虞湾の白い砂浜。死体のあるところにはカラスとハエ、まったく場違いの光景。イノシシも生きているとカラスとハエは見向きもしなし近寄りもしないだろう。 小魚がスイスイ泳いでいるのは美しい。私は小魚になりたい。
2005年03月09日
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有料道路がない。100キロで車が走れるところでもお金を払わないで済むのは旅がしやすい。 早く日本でもそうなって欲しい。経済が活性化すると思う。その代わり消費税が12.5%のニュージーランドの真似をしなくちゃいけなくても年金と健康保険とか医療制度,特にお産の費用などが改善されるならOKではないかを思ったりもする。 道を走りながら制度の違いを痛感するが、トンネルもない。急いで走ることはない、という精神文化を真似することも重要じゃないか、そんな風に思える国である。 トンネルを造らず、回り道して行くのも結構見えないところが見えていいものだよ、とキウイは言う。確かにトンネルでは何も見えない。 北島の北端ベイオブアイランド端や南島のテカポ湖、クィーンズタウン、辺りを走ると車の数は少ない。湖のほとりやブッシュの中を走ると一台もすれちがわないことが数分もある。 すばらしい観光地で真昼でもそんなことがある。 キャラバンといって家族が寝泊りできる車が時折目に付く。私も2年前にクライストチャーチからオークランドまで借りて走ってみたことがある。きれいな海岸公園で停車してスーパーで買ったビーフを焼いて夕食をとった。好きなところで寝て食べてまた走る。これは一生に一度はしてみたいと思っていた。 日本の道では味わえない旅の味であった。でも正直言ってクッションが悪い。長距離を走るなら止めておいたほうがいい。 数日海岸べりでゆっくりキャラバンを停めて、好きな料理を食べ、夕日を浴びて本でも読むなら、これ以上の手はないが・・・。キャラバンで1000キロは長すぎた。もう2度としたくはない。 同じ左側を車が走るのだが、町の色が違う。田舎の色も違う。ニュージーランドは明るい。そして空が広い。 私は大阪の町を車で走ってきた。そして今、伊勢志摩の海岸の美しいところを走って半年が過ぎた。 ここの道とニュージーランドの道がよく似ていると思うことがよくある。空が広い。そして信号が少ない。車が滞らずに走る。そして女性が多くハンドルを握っているのもよく似ている。
2005年03月08日
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ライフウエイ・カレッジに着くと、まるで緑のガーデンである。このカレッジの長所は?と聞くとここがニュージーランドだという。オークランドはニュージーランドではない、都会は学ぶところではないよ、とスタッフは自信満々で答えてくれた。 アニメ―ション製作では、世界一流のテクニックで子供たち向けのアニメを製作しているFufu Enterprisze 社は昨年完成した大きな2階建ての建物の左端にある。そこにはひとりの日本人の青年が、アニメを書いている。彼は入り口のすぐ近くに座っている。日曜日にはオークランドまで出かけて日本人教会に出席している。 そのアニメーション製作会社の建物の続きで、右隣に隣接しているのが学生寮である。1部屋に二人用のベッドと個々に机がある。40名から50名が宿泊できる。その寮の宿泊部屋をはさむように入り口のところに居間がある。洗濯機も乾燥機もあり、1回使用に2ドル必要だ。 その大きな建物の階下がコンピュータ―教室、視聴覚設備のある部屋でそこで階段式の教室になっており、パソコン大画面スクリーンで学んだり見学会の生命などがそこでされている。私もそこで日本の私の働きを学生達にパソコンを使って説明したことがある。 その部屋の隣は、地域の子供たちの活動のために作られた大ホールがある。壁一面に描かれた絵は、ちょととした芸術作品。200名くらいは十分入る。舞台もある。 その前は広場で駐車している車が数台ある。少し左側を歩いていくと女性用の寮があり、その中心は芝生で円形になっている。その一角に食堂がある。その広場でよくバレーボールなどをしているが、学生の溜まり場になっている。 6月に無料見学会をしてみようよ、とメールをした。すると空き部屋がないが何とか考えてみると今日返事が来た。学生がイッパイ入っているのだろう。責任者と相談中とのこと。 昨年10月、2泊3日の無料見学会をしたのが大変好評であったのでまたやってみたらと思ったのだ。 飛行機渡航費だけ(7万円)で3日間のニュージーランドのライフウエイ・カレッジを見学するのは、長期留学を目指している人には安心のためにはもってこいだと思う。 見学後は少しオークランドでも見学したらいいのだから。また続きはお楽しみに。
2005年03月07日
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今日はライフウエイ・カレッジがどんなところにあるかを少し。 オークランド空港に降りると迎えに来てくれる。ちょうど空港が市街地の南にあるために、北に向かうライフウエイ・カレッジは、その街の中を通ることになる。スカイタワーという町の中心部にある展望タワーを横に見ながらハーバーブリッジを渡る。するともうすぐに牧場のがそこかしこにある田舎に入ってしまう。高速道路が一直線にのびて北へ100キロメートル走る。約1時間である。どこにもトールロードゲイトはない。有料道路のゲイトはない。 45分くらい走ると右手に美しい海岸が見えてくる。Orewa(オレワ)という町でここには映画館もある小さいが発展している町で、町外れには住宅が建ち始めている。まもなくワークワース市に入る道とライフウエイ・カレッジがあるスネルズビーチに行く道とそのままワンガレイ(人口8,000人)というオークランドの北で一番大きな町に出る交差点に着く。ここは始めてライフウエイ・カレッジに行く人にとっては、どの道を選ぶのか標識で迷うところである。 私が大雨のときレンタカーで始めて訪問した時、今でも自分で感心するほどよく道が分かったと思うほど、ややこしい。カレッジの人はこの交差点は危ない交差点なので高架にする計画があると言っていた。いつのことやら。 そこからの道がすばらしい。牧歌的風景がドンドン目に飛び込んでくる。秋にはポプラの並木がうつくしい。左手に鹿牧場で鹿が草を、白い豆粒のように見える子羊が点々と見える。乳牛、肉牛がこちらをじっと見つめてよく来たなぁと言っているようだ。 ワークワース市は人口4,000人位、スーパーマーケット、銀行、レストランが建ち並ぶ商店街でまず何でも買うことができる。醤油、うどん、芥子にわさび、日本のものはまず手に入る。そこから15分くらいで右手に新しくできた大きな日曜大工道具店とちょとした商店(ピザ屋、アイスクリーム屋など)を通り過ぎるとすぐに右手にライフウエイ・カレッジがみどりの屋根を見せてくる。いよいよ学び舎である。海がすぐ真近くに広がっている。 カレッジの門は1メートル50センチくらいの四角い柱が両側に立っているだけ、その門のすぐそば右側が事務所である。左側がゲストルーム、講師が宿泊する一番よい棟が建っている。私はそこにいつも滞在させてもらっているが、ダブルベットにシャワールーム、洗濯機そしてリビングには応接セットとちょっとした料理ができるものは用意されている。 事務所を右手に見て50メートルほど行くと左手に実際は2階なのだが地表のところにアニメーション製作HUHUエンタープライズ社がある。その向かいにはFTN(ファミリー・テレビジョン。ネットワーク)テレビ局がある。24時間放映の番組を制作してその地域のみならずニュージーランドのそこかしこに電波を流している。 そのテレビ局の上にはホールがある。そこが日曜日その他の集会のために使用される場所である。200人から300人は十分入ることのできるホールであるが、ここが教会として使われている。 この続きはまたの機会にしてみます。
2005年03月04日
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日露戦争勝利、100年、大東亜戦争集結60年、阪神淡路大地震10年、日本に関することでの今年をさかのぼること建国2665年にあたる。 2005年は3月に入った。この年日本はどういう舵取りをしてするのであろうか、またどのような状況の中を航海していくのか、将来を日本という国単位で見極めて行くのも大切であろう。 それ以上に、個人個人の私たちの生活も節目になるような年とさせていくためにも将来に希望を拓せるようにして、この3月を春の訪れとさせたいもの。または、冬のままにセットさせ続けるのかを問うてみたい。 昨日、私がたずさわっているライフウエイ。カレッジへひとつの計画を打診した。昨年10月に日本の若者をニュージーランドへ留学していただくために無料見学会をやった。 8名の方々が参加した。そして新しい人生のステップを決心した二人のお母さんが今年の4月1年以上の計画で学びに行かれる。 それもひとりの方は6歳の息子と共に。もうひとりの方は、6歳の息子と4歳の娘を連れて。 若い男性がひとり行くのではない。若い未婚の女性がひとり行くのではない。自分の人生と子供の人生を賭けた大決断なのだと思う。 私は常々若者に言っている。日本をある一時期でも良いから外から見る機会を作ってみよと。 そうすれば日本を外から見つめると、自分を愛すると言うことがどんなことか分かってくる。そして日本を愛するということも分かってくる。 そこが人生の原点だと思っているからだ。 ライフウエイ・カレッジへ6月に無料見学会を開こうじゃないか。協力して欲しいと頼み込んだ。 もうすぐに返事がくるだろう。6月ならは70,000円ほどでニュージーランド(直行便)へ行けるのだから今回は10人くらいは参加してくれるだろう。いやもっと行くかも。 人生の節目に決断をする時、新しい道が開かれる。その助けをさせていただくのは、うれしいことじゃないですか。
2005年03月03日
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びっくりした。10ほどの畝の畑を借りた。(百坪)その端から耕した。その労力に2週間はかかったのである。なぜなら少し掘ると石地だった。そこへ鍬を入れてやわらかくして重たい腐葉土を運んで混ぜておいた20坪くらいのところへ、誰かが木と野菜を植えていた。 何じゃこれは?と言うのが正直なこころだった。 あきれてその土地に立ち尽くす。あと80%をどうして耕そうかと思案していた最中だった。なんとか春のくる前に耕してしまおうと思っていたところにやっと20%を終えたその場所が、なしのつぶてで誰かにちゃんと木々(桃)と野菜を植えられていた。 収穫しようと実ったのをそっくり盗まれた人の悔しさも分かるがこれからヤーコンを植えて・・と思って耕したところへ別のものを誰かが勝手に植えている。 土地の持ち主に電話すると、家のものが知らないで自分の土地なので植えたのです、ということがわかった。 ちゃんと私に貸したと言っておいて欲しかった。 こんなことが田舎では起こるのだろう。都会から移住してきて畑を借りて、こんなことが起こるのは田舎なのだろうか。 わたしには「すみませんーー」で終わってしまうには、2週間の汗水たらしたその労働は無駄だったのか。耕作は、いったいぜんたいなんだったのだ?と茫然自失、あきれて物言えず、ただ天を仰いでため息つくのみ。 また、明日から借りたところを新しく耕して腐葉土をいれますか。そうするほかに道はない。 もしわたしが一時的にも腹立てて、その木々を引っこ抜いたら元の木阿弥、借りれる土地も借りれなくなる、そうすると一時の短気は1年の損気となるだろう。 心安らかに再び耕すしか道はなさそう。こんなことくらいで心の平安を失うほど、愚かじゃないわ、と自分に言い聞かせて笑顔で地主さんに会いましょう。
2005年03月02日
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一昨日だったと思うがそんなTV番組があった。若い男性が焼肉を食いたいと高級な店を探して、それから寿司を食べたいと探しているうちに時間切れで死んでしまった。 なぜか笑えない番組でした。私ならどうする?貴女は?君なら? モーツアルトをアインシュタインなら聞いたかもしれないな、と思ったりしたが案外好きな音楽など聴いて過ごすかもしれない。それも愛する妻と一緒に。 1時間とは短いが、命を奪われる人がいる傍ら自分でそのいのちの糸を断ち切る人もいる。ある人がどこかで言っていた。いのちと生命は違うと。 生命はいつか終わるが、いのちは永遠だと。 さて、両方もっている人は後1時間なにをするのでしょうか。
2005年03月01日
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あるお家を訪ねると、そこにはサザエを囲んで美味しい匂いが蔓延しているところであった。 集まっていたのは、全てクリスチャンの男女合わせて10人ほど。いいところへ来たものだ、と私。ニコニコ顔でむかえてくだッて、さっそく前にもち出されたのがサザエのつぼ焼き。3つ4ついただいたが、その人たちも年に2回あるかないかの今年1回目だよ、と言っていた。 TVで細木さんという人は、誰も言えないことをズバッと言ってくれる。いいことをおっしゃるから若い人は筋のある話を聞けていいですよ、皆が感心していた。 正しいことをしっかり語れる人が少ないし、ましてやTVの番組は、正しいことを茶化して笑いを取るような情けない場面によく出くわすので細木さんはベリーグッドだと皆が感心する結論になった。 ひとりの男性が日本は、断固とした態度を取るべきだ、話してもわからない北朝鮮の金日成には、経済封鎖だ、と言う。横にいた77歳の老人は昨年結婚したばかりでいや、小泉首相は6カ国協議も大切だし、深く物事を考えているのでそう簡単には、切り捨てご免と言うわけには行かない、と言う。 まっすぐに物事に立ち向かうべきだ、私と同じ年くらいの方は、持病を抱えて2日に一度は、夕方インシュリン注射を5時間しなければならない。そんな身体をもちながら彼の正義感は溌剌、意気揚揚だ。 ひとりが走り、ひとりが周りをゆっくり見て歩く。こんな仲間が輪になって、サザエを食って笑い合い、世を憂い、真理を振りかざすあんたは、きついのよ、と斜め前の女性が口を出す。 私はそんな話に耳を手向け、「そうだそうだ」と相槌をうちながらサザエを口運んで、また食べたいなぁと心底思う。
2005年02月28日
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「夜明け前」という島崎藤村の小説がある、日が昇る幕末を背景に日本の夜明けを描いた実話小説である。その時から130年ほどたった今、日本は再び夜明け前のようだ。 何からの夜明けだというと、精神的に夜明け前である。吉田松蔭、西郷隆盛、伊藤博文等のラストサムライが夜明けを宣言したように、今の日本を照らす太陽は日本独自の翼が羽ばたく夜明けである。 130年前の夜明けは、日本独自というよりも西洋色の濃い夜明けであった。しかし、今回は内に開く夜明けであり実質的に日本のアイデンティティーを色濃くする性質をもっている。 少なくともそうでなければ、夜明けはなくいつまでも暗黒の中に輝く光、それも月の明かりくらいの光で満足する国民の欲求不満状態の継続をよぎなくさせられる。事実そんな日本国民の精神的状態が21世紀入ってなおその色は濃くなっている。 リアス式の種種雑多な地形を輝かすには、月の光は幻想的であっても、実質的には役にたたない。 第2次世界大戦を太平洋戦争と呼ぶところから大東亜戦争と呼ぶ、歴史観をもつことは正しい歴史観を呼び戻すことである。 過去の判断や行動について、その過ちは過ちとして認める勇気は必要である。しかし、どういう視点から過去を評価するのか、その判断基準が問題となる。 現在の判断基準だけで過去を評価してはいけないし、また特定の外国の立場からのみ日本をの過去を評価してもいけない。 過去を美化するのも危険だし、ことさらに民族の誇りを失わせてしまう歴史の記述に及んでは日本の夜明けなどない。 これは、「近代日本の世界体験」という書物からの引用をさせてもらったが、拓殖大学副学長、草原氏の新渡戸稲造の志と拓殖の精神と題する本から多いに啓発されたので今日の光とさせてもらった。 西洋から託されたキリスト教が中身よりも外見や外国の文化をキリスト教と勘違いしている日本の精神文化の夜明け前でもある。日本古来からある神道、儒教、そして伝統、習慣、という民族固有の文化の中に、本来持っている真理の核である神のことばが、隠されている。その宝を掘り出すことが、日本の夜明けでありその光が日本を輝かす時、夜を迎えている世界を24時間後には明るく照らすのが、世界の黙示録である。 アルマゲドンの次にくる夜明けの前兆である。 今回は、少々難解かな?そうとも思わないのですがいかがでしょう。
2005年02月26日
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大阪の空の下で60年。5年ほどニュージーランドで生活したので、それくらいだ。23の時に太平洋の海原を航海したとき、空には星があることを初めて知ったときのように、40年ぶりのように毎日、すばらしい空気と住んだ空、満天の星空を仰いでの日々をこの志摩半島の片隅で過ごさしてもらっている。そこに突如大阪のドンヨリが覆い被さった。 それが一昨日と昨日、昨日は雨のなみだが今にもこぼれるようなドンヨリだったが、中国大陸からの黄色い砂が夕刻の茜色を消し去っていた。時折、大阪のビルの上に黄砂が覆い被さる模様を見たことがあるが、英虞湾のそれは、それほど黄色には見えなかった。 そして今日は、またあの青空が戻ってきた。海は穏やか、干潮の海岸に下りてゆきそこでカヌーを楽しんでいる中年の人にあった。 ひとりウエットスーツに身を固め、英虞湾の波間にオールをこぐその心意気は、健康そのもの。 私は健康がこれほどありがたいものであるとは思いもよらない感慨にふけながら、波打ち際をひとり歩いた。 春になればカヌーのオールをにぎりたい。英虞の海島々めぐりの一人旅波間に漂うカヌーの白波明日はわれもその波切ってみる
2005年02月25日
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先日の日曜の薄暗くなる時、西名阪で大事故に遭うところだった。 突然追越し車線に割り込んできた大型トラックが助手席にいた私の目の前1メートルのところにいた。 私の車を運転していた男性はブレーキを踏まなかった。そのまま1メートルの間隔をたもったままびっくりしていた。 「ブレーキを踏め!」と私は思わず大声で叫んでいた。彼はそれでもパニック状態でそのままアクセルを踏んでいた。もう一度「ブレーキを踏め!」と叫ぶと初めて車間距離を開けた。 なぜブレーキを踏まなかったの?と聞いたらびっくりしてどうしてよいのかわからなかったと言う。 私は、その答えにどうしたらよいのかわからないほどパニクッタ!!!!。 21日月曜日午前11時ごろ、鹿児島県、駅伝応援で交差点を歩いている中学生の列に女性ドライバーが突っ込んだ。そしてひとり即死、15名が重軽傷。落ち着いて、ゆとりの心を保ちつつ人生の瞬間瞬間を歩まないと人は命を失う事故を起こしてしまう。自分の過失で自分のいのちを失うことも悲劇であるが、他の人を巻き添えにするその悲劇は、ことばもない。 私のいのちが自分の不養生、不摂生、また過度のスケジュールの性で下痢になり風邪を引いて他の病気を併発して死に到ったとしても自分のいのちの責任で自分で刈り取ることになる。 しかし、とっさの判断ができなくてアクセルからブレーキペダルへの瞬時の足の運びが出来ないなら、私の今回体験したように彼のその運転によって一足先に天国に行っていたかもしれない。 後ろの座席の家内も一緒に。後続の高速で走っている車の数々にもどのような結果をもたらしたであろうか、それは計り知れない。 運転暦私は40年以上だが、助手席にも何度乗ったかもしれない。だが、こんな危なかった体験は今までなかった。これからもないことを祈るが、これはただ車上のことだけではない。 くわばら、くわばら。「ひとりの罪人(つみびと)は多くのよいことを打ちこわす」とある伝道者は彼の書物に書いていた。それも3000年も前に。
2005年02月23日
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先週は下痢の真っ最中、東京を三重の端から電車でゆられて、二日前の日曜日は、風邪にやられて熱のあるときに大阪へ車で揺られた往復7時間あまりの旅だった。 体が揺られてガタガタしていても、気持ちがしっかりしていることが自分でも不思議だと思う。 こんなことばが脳裏に浮かぶからだろうか。「なまけ者は、冬には耕さない。それゆえ、刈り入れ時に求めても、何もない。」 ニュージーランドのマウントクックです。私はこんな姿のクックを見ることが出来たのは超ラッキー! コンチクショウ!これくらいでへこたれてたまるか!なんて心で叫んで後でしおれて、ベッドで深呼吸。そんな昨日今日。体重はやせて何十年ぶりに60キロ代になった。うれしいなぁ。(ダイエット成功) 食欲がない1週間後、今は何でも食べられるのがうれしい。でも喉の奥が熱い。肺に何かが詰まっている感じだ。 そんな時に遠くからどんな山奥に住んでいるのかと車で4時間以上かけて昨日(月曜日)訪ねてきてくれたご夫婦がいた。 山の峠を荷車押して越えようとしている疲れた旅人にそっとうしろから押してくださる人がいる。 そんな友人ご夫婦が昨日の人だった。こんなことばもある。「人の労苦はみな、自分の口のためである。しかし、その食欲は決して満たされない。」 下痢と風邪、病も健康も人の受ける普通のいのちの日数の間、骨折る全ての労苦のうちに、仕合せを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分。 それ以上のものがあるなら、それが知恵ある人生。それを求めて今日も息して過ごしましょう。 知恵は知恵を求める人の一番の力づけになる。町の10人の権力者よりも知恵者をはげます、とは金言だ。
2005年02月22日
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昨日8時間も電車に揺られた。近鉄特急で名古屋まで2時間そして新幹線で東京まで2時間。 途中静岡で快晴そのもので富士山が完全に姿を現してくれていた。 朝の7時半に電車に乗り、鵜方の駅に帰り着いたのが午後8時45分。 私はこの5日間食事をしていない。下痢で困っている。断食しているわけではないが、食欲がない。でも東京の某大使と面会しているときは、下痢の兆候がなかったので助かった。でも電車(近鉄)のなかでは一度だけ便所に走った。 緊張しているのか兆候が和らいだのか知らないが家に着くやいなや便所に駆け込んだのは3回。 プロテインとリンゴと夕方サンドイッチを東京駅で買って食べたのが出たようだ。 それも汚い話、黄色いベタベタなやつ。今日は失礼。でも本人には大変はことなんです。さずがに階段を上がる時はしんどかった。エネルギッシュではない日が続いている。 今から病院に行く。その結果をまた書こうかな。
2005年02月15日
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4日前に送金した時は、74.7円だった。インターネットバンキングで送金するのでいつでもできるので昨日土曜日だったが送金した。そしたら76.2円。なんと1円50銭が1ドルで損をすることになる。円安は海外渡航するものにとっては、痛手だ。留学するものにとっても、滞在期間が長くなると大打撃である。 1万ドルともなれば15,000円の差が出る。昨日の送金額は600ドルくらいだったので、助かったが。 先日は3000ドルくらいだったので、1.5円でも円高だったので少しは助かった。 留学する人から、預かっている時の額が76円として計算していたので差額を返金することにしている。送金するお手伝いはさせていただいているが、レートの変動は私の責任ではないが、やはり預かったお金のレートより円が安くなったら、追加徴収は気が重い。 留学する方も円高になったときに送金できた時は喜んでくださる。それが反対になって円安に振れた時は、差額をもらうことになるので私としてもやりにくい。昨年に預かった時、76円で計算して今年になって送金した時は、74円だった。長期留学で子供さんも一緒に連れて行かれる人だったのでその額が100万円を越えていた。返金額が5万円以上あったので、大変助かりましたとお礼を言われた。 私としてもうれしい。 ちょっとでも安く留学をしたい気持ちは、だれも同じだ。でも みなさん、ライフウエイ・カレッジは良心的値段で施設と環境は抜群ですので、私は安いと思っています。 3月に1年予定で、リピーターの青年が行きます。10,000ドルくらいになるので、76円以下になるように祈っています。 留学者には円高がいいね。
2005年02月13日
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