イタリア旅行 0
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先日、持病の帯状疱疹後経痛をペインクリニックの先生に診てもらう機会に恵まれました。そこで、1~10段階で表すスケールで痛みの度合いを先生に聞いてもらったりティッシュペーパー筆での感覚テストなど丁寧に時間をかけて、今の痛さ測定してもらいました。ただ、それだけなのですが、診察室を出た瞬間に涙があふれてきたのです。初めて、私の痛みをわかってくれようとした人に出会った!うれしいうれし涙だったのでした。私は、30年前に他の病気の闘病中に帯状疱疹を発症しました。当時出たばかりの抗ウイルス薬を投与してもらったのですが3日以内に投与の時間に間に合わず(神経にダメージが残ってしまいました)後遺症として神経痛が残ってしまったのでした。当時の治療は★ビタミン12の服薬★冷やさない★ストレスをためない★気にしないという対処療法しかありませんでした。当時の医学では、いたし方ない事だったと思います。年月と共に、少しづつ、少しづつ痛みは軽減していき、痛みとの付き合い方がわかってきましたが不快感はいつも日常にありました。途中医学の進歩で神経ブロック麻酔という技術を知りましたが20年前では、危険が伴うとのこと大学病院でしかペインクリニックがなかったことであきらめたのでした。その後も肌荒れや湿疹で皮膚科にかかる度に「神経痛、どうにかなりませんか?」と尋ねると「そうですね。ビタミン12を出しておきましょう」とあっさり言われて、終了!そして、つい2か月前も肌荒れで皮膚科にかかり一応聞いてみようと尋ねたら「30年前!ああ、それは、もうとっくに神経は治っているよ 心の持ちよう、気のせいだよ」と目も見てもらえず、さらっと言われてしまいました。予想はしていたものの、が~ん。悲しかったな~そんな私が出会ったのはペインクリニック(痛み専門のクリニック)医学は格段に進歩していました。多くの痛みを抱えた患者さん(腰痛からがん性疼痛など)が通ってきていました。私は、治療をしてもらったのではなかったのですがしっかりと見てもらって、痛みを認めてもらっただけで大満足だったのです。いままで、いつもスルーされていたから。。。痛みを承認してもらうだけで患者はうれしいのです。こんなことで泣くなんて、恥ずかしかったけどそれだけ、私は、辛い思いに蓋をしていたんだと今まで、頑張ってきた、自分をほめたいです。そして幸せな気分になりました。ペインクリニックの進歩これから、もっとつらい痛みが自分に起こっても安心できると思いました。痛みを認めてもらえる社会大切だとおもいます
2016.03.29
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あさいちで出生前診断を取り上げていました。現在、妊娠期に胎児に障害があるかどうか確率がわかる検査があります。そして海外からその確率がかなりの精度で分かる検査が入ってきました。今日の番組では参加者の方々がいろいろ討論されていて考えさせられました。特に東尾理子さん石田純一さんご夫婦の話はありのままの現実を受け入れていく過程にいろいろ考えさせてもらえました。理子さんの幸せそうな美しさが際立っていたな~。何が正しくて何が悪い答えはそれぞれが決めるものというのが番組でも、私も、そう思いました。検査をしなければこんな心配をしなかったのにそういう考えもあると思います。大切なのは子どもの将来を見つめて、母と父になるカップるが検査をする前にも結果が出た後でもトコトン話し合う事、だと、感じています。検査の事は何も考えないで受けてしまったという理子さん東尾理子さんは82分の1の確率でダウン症の子どもが生まれる確率。結果を聞いた時はどう感じました?という質問に不思議と数字的に受け止めたという事です「ああ~81人はダウン症ではないのだわ~」「私にはこのおなかの子どもを産まない選択はなかったのです」ときっぱり!背景には、10年間の外国暮らし、日常生活で障害の方々と共に生活してきた事があるかもとご主人は普通にうろたえ、羊水検査をすすめたそうですが。。。。素敵なご夫婦です。そしてそれは、この出来事があったからこそ素敵な夫婦になっていたのだと思います。私は、10年間不妊治療に没頭していました。その過程を過ごした事で、今の夫婦関係があるといっても過言ではありません。私たち世代は妊娠出産などの教育はほとんど受けていなったにもかかわらづ不妊治療は進歩していたのです。結果的にはできませんでしたが。(卵子がとれなかった)体外受精まで考えていました。そこまでの道のりは長く険しいものでした。。。が、一歩づつ夫婦で乗り越えた体験はとても大きなものでした。一つ一つの決断は未知なものでとても怖いものでも二人で出した決断だからという事で進んで行けたのです。排卵予定日に子作りをする?精子を検査するからこの試験管に入れて?人工授精?体外受精?排卵促進剤?自費診療?養子?あきらめる?などホルモン療法などでイライラする妻と話し合うのですから夫はとても大変だったと思います。でも、その歴史があったからこその今があると思います。医学の進歩で決断を迫られる事が多くなってくると思います。検査ができる事は素晴らしい事それを選択肢に加えてでもそれは私に必要か?自分に照らし合わせて選択する事私はどうしたいか?この事をこういう番組があるたびに考えておく事が大切だと、思いました。あさいちさんいつもありがとう~
2012.10.17
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素敵な笑顔の田中好子さんが55歳で亡くなられました。私達夫婦の青春を共に歩んだ大切な人を亡くした思いが強いです。主人は大のキャンディーズのファン解散コンサートには、新潟から行った思い出を持っています私は、田中好子さんの義理の妹さん、夏目雅子さんがなくなった時同じような血液の病気で闘病中で、大変な衝撃を受けた事その後の田中さんのがん患者さんへの支援活動に注目していました。今回の死の報道で結婚後1年の36歳で乳がんを発症。ご自身の弟さんも骨肉腫で亡くされていた事を知りご夫婦のかたい結びつきとがんの闘病生活に思いをはせ短かったけれど、大切に一日一日を生きてこられていた方だった事を知り生きる意味を感じさせていただきました。あの素晴らしい笑顔の裏側にはたくさんの歴史があったのですねがんや老いと共存して生きていく事どう死んでいきたいか?20歳の時にも考えた私47歳の今、改めて考えたいと思います。田中好子さん夏目雅子さんの笑顔は永遠に私の心に焼き付いていますご冥福をお祈りします。
2011.04.25
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あと数時間でチリ鉱山落盤事故で閉じ込められた作業員の救出が始ります本当によかったです。。。暗く、閉ざされた空間の中から地上にでるという事で肉体的精神的のダメージを懸念する報道がTV流れています。特に私が注目するのは心のケアの事TVで専門家の方がお話された時、「これって入院生活と同じだわ~」て私のアンテナがキャッチしました。暗く、閉鎖され自由を奪われいつ死ぬかわからない状況助け出されるかわからない不安な状況で長い間いた人間の心理と私が経験した20歳のころの6カ月の入院生活が重なったのです。当時がんなど難病といわれる病の告知がされていない時代私は、病名の告知をされないまま治療を受け5か月間入院しました。ドンドンなくなる体力、どうなるのか聞きたいけど聞けない状況血液系の疾患で感染が怖いため、病棟からはほとんど出る事が出来ず頼れるのは家族と医師・看護師のみ(友人とは病人の私を見せたくない変なプライドがありました)ベットだけの狭い空間と大部屋でのストレス20歳の娘がベット脇でポータブルトイレで用をたすのは、やはりストレス!今考えると病院の環境は過酷ですね途中からは個室に移してもらいました両親には本当に感謝しています。長期入院をされた方は感じるものがあると思いますが心身共に不健康なのですから入院環境で暮らすには心の強さが必要だと思います。・どんなちっちゃい事でもナースコールを押せる事・おしっこウンチは生きていれば当然の営み・苦しい時は苦しいといえる事・先生になんでも変化を伝えられる事そして「希望」入院中、私自身どうも重い病気かもしれない!?とうすうすは感じていたのですが、「私は死なない」という、根拠のない自信だけはありました。つい最近まで、告知されなかった事に両親を恨んだこともありました。でも、告知の方法を間違えれば、心が病んでしまったかも。。。入院環境への配慮・改善。患者力と心のケアも含めてチリのこの事故の経験をいろいろな意味で活かしてほしいと思います。全員の無事を祈りましょう
2010.10.13
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あるへき地診療所で働く医師が地域医療に身を置こうと決心した言葉が「誰にでもある お互い様だ」という言葉だったそうです。先日NHKプロフェッショナル仕事の流儀で心に響いた言葉ですくも膜下出血の診断を見極められなかった中村医師が転院させた総合病院から村へ戻る道すがら、自分の無力さに打ちひしがれ医師を辞めようかと考えている最中に車の中で患者さんのご家族からかけられた言葉だそうですえっ?私も一瞬耳を疑いました果たして自分の家族がそのような状態の時にこの言葉を発することができるのか?でも、なんて大きい言葉なんでしょう。。。私も涙が溢れました。許しあう、お互い様がある村の空気、土壌中村医師はこう言っていました。「誰かに言われたことがないと言えない言葉だと思います お互い様がお互い様を生んでいく、連鎖があると私は思います」(↑私の記憶、たぶんこんな言葉)厳しい自然の中で死を感じながら共に寄り添いながら生きてきた村の人ならではの言葉なんだろうな~(←これは主人の言葉、なるほど!)中村医師は私と同じ世代、この村と結婚したそうです「患者を教科書にしなさいとよく言われますが、私は、患者さんに育ててもらっています」医療崩壊が叫ばれている昨今大きく考えさせられた一言でした
2009.10.28
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昨日の晩、突然爆発的に歯が痛くなってしまった。昨日の夕方、予約していて通常の治療をして夜はママさんバレーの練習をやって帰宅後、床についてからの歯痛!治療したところではないところ付近が~~(実は、治療前、頭痛だと思ってバッファりんを飲んでいて、治療時には痛くなかったようです)以前もらってあったボルタレンでどうにか眠ることができましたそして今日、電話で連絡すると、もう一度見てもらう事ができました私の主治医は1ヵ月前に変わったばかりのM先生ちょっぴりシャイな先生です。愛想は良いとは言えないけれど、マジメにしっかり治療をしてくれます「昨日、治療してもらったときは、頭痛だと思っていて。。。でも、夜爆発的に痛くなって~~~。」「ハイ、わかりました」クールに淡々と治療を始めてくれました予約の合間の診療なので、時間はかかります「時間大丈夫ですか?時間かかってすみません」と、言ってくれて、「痛かったら左手を上げて知らせてくださいね」「腫れていると麻酔が効きにくいので」え~~。でも安心して、治療を受けることができました。予約の合間でいつもより混んでいるのに、丁寧に、神経の治療をしてくれました。「ありがとうございました、本当に助かりました。」心を込めて伝えました。するといつもシャイな先生が、目線はあわさないのですが「あそこは、痛いんですよ。 本当に痛いと、どこが痛いかわからなくなちゃうんですよね」と私にいたわるように声をかけてくれたのですあれれ~痛みを受け止めてくれた承認の言葉くれた~不覚にも涙が出そうに。。。。。。たかが歯痛、されど歯痛。予約外の診療でしかも、昨日来たばかりで、恐縮していた私。今回の痛みは本当に参っていたので、先生の言葉が非常にうれしかったのでした。痛みは本人しかわからないそれを受け止めてもらえるだけで、こんなにもうれしいなんて。ありがとう先生。今日はぐっすり眠れそうです。
2009.09.02
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