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夜の八時半から30分は、一日を締めくくる坐禅です。
九時。チーンと合図を鳴らして、皆が退出していき、ひとり禅堂に残ります。闇の中に、足元が見える程度の灯と文殊菩薩の前の蝋燭がとてもきれいでした。
それから今日一日分の香炉を直して、電気を消したら、ほっと一息。交代で二人のお坊さんが托鉢に出かけた今、今度は私がお留守番をして禅堂を守ります。
そろそろ明日のお粥の準備を始めている小学生の女の子も、やがて十時を過ぎるとこの本堂に来て眠ることでしょう。寒くなってちょうどテント生活も卒業し、今は本堂で寝ています。私が朝の坐禅の支度に来る音で目を覚まし、彼女は台所に出て行きます。ここは小さな小さなお寺ですが、未熟な私たちが精一杯修行させてもらうには十分なところ。かわいらしいなあと思います。
今朝の坐禅のときも、座の前にたなびくお線香の煙がとても静謐に感じられました。
ちょうどこなしてきた一週間の托鉢でも「行雲流水」とかかれた看板袋を下げているのですが、そのたなびくお線香の白い筋も、まさにそんな風に感じました。二度と同じ形を見せない雲の動き、決して留まらない、留まったら濁る水。自然(じねん)に、あるがままに、それはまた仏道で目指すところでありますが、托鉢でもそのようにありたいところです。
一日の端々には様々な感情が沸き起こり、喜んでみたり未熟さを嘆いてみたり、泉のごときです。でも大きなところからみたら、それも一つのお線香の白い筋の様に思いました。私も小学生の彼女も、また里の皆もその煙と何ら変わりないのではないかな、と。
いつの間にか雪が降り始め、あたり一面を白く染めておりました。
静かな、夜です。
冷たい手を比べあって騒いでいた仲間たちも、みな自分の部屋に帰っていきました。
今日も一日、お疲れ様。