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先日は京都からのお客様でした。80歳を過ぎておられるのに仙台からレンタカーを自ら運転してこられ、大変驚きました。里にとって大変ご縁の深い方なので、私たちも何日も前から庭をお掃除したり、お待ちしました。
火事の後の新しくなった本堂をご覧になられ、大変喜んでくださいました。小一時間ほどいらしたでしょうか。いろいろなお話をされました。亡くなられた三重さんとともに修道生活をされていたこともあり、懐かしい思い出話をうかがうようでありました。
その中でも、その方のお母様のお葬式の話は大変心に残りました。
「みんなうちは貧乏だ貧乏だって心配なさるけどね、何もない豊かさを本当に知らないよ。」と口癖のようにおっしゃっていたお母様。せめて最後のお葬式は、故人の遺志通りに弔いたいとの気持ちで、ただ霊堂に花も飾らず、棺だけをポンと置いてその日を迎えられたそうです。そして土に還ることが明日へのお誘いに通じると詠われていただけあって、お葬式の招待状も、ネズミ枠ではなく朱にされたとか。
もちろん周囲の方の反対や批判もあったでしょう。それでもそれを押し通したら、後日参加された方の奥様からこんなお電話をいただいたそうです。
「私はある程度大きな会社の社長夫人ですが、私のお葬式に人がたくさん参列してくださったとしても、社長への義理だとかが多いでしょう。人やお金がたくさん集まっても、こんな心温まるお葬式はないでしょう。本当に感動いたしました。」と。
とても素晴らしいお話でした。そして今では笑い話でしょうが、当日の葬儀の司会者が弔電披露と思わず、祝電披露と言っていたとか…
あっという間の時間でしたが、とてもいいお話をお聞きしました。
お寺というところに暮らしていますと、いろいろな葬儀のお話を耳にします。ご両親のお葬式のあり方で考えさせられたとか、自分の葬儀の用意をされたいとか。
親子間の思いの中で伝えられるものと伝えられないもの、は哀しいほどにどうしてもなくならないように感じます。それが無常という摂理かもしれません。でも直接的に伝えられなくても、ほかの血のつながらない人へ伝えてもそれは同じことでしょうし、別の形で返すことができると思っています。
血縁だけにしばられずに広く大きな世界観で人々が解放されていけばいいなあと願うところです。