日本共産党 原田のぶゆきです。

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2002年10月26日
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 城の指定では、長野市で5番目といわれる、若槻山城跡の「史跡指定」を記念して、現地で式典が行われた。

 絶好のトレッキング日和で、久しぶりに里山独特の腐葉土の匂いのする山を登る。ニレ、ナラ、ケヤキ、蔓マサキ(枯れた大木に宿借りしている珍しい光景)に、若槻の地名と由縁のある、ケヤキの仲間「槻ノ木」も並んでいる。

 林道から300メートル弱の、頂上付近から5段に別れて「郭」(くるわ)・・・番兵をおいて敵の来襲に備えるための、囲い跡がわかる。井戸ある。里の川から上げたと思われる丸い石が並べられていた。敵がきたときにこの石を投げて防戦するのだと説明された。
 小さな城跡ではあるが、800年前に地方の低い里山を活かして、小さな領域を守る当時の戦いと暮らし振りがしのばれる。

歴史で見ると、若槻山城は12世紀後半、鎌倉時代の初期に里城(現在、若槻団地の一角にその跡がのこっている)とともに、若槻頼隆によって構築されたと言われている。頼隆は八幡太郎源義家の、孫にあたり、鎌倉御家人として相模国毛利の庄より若槻庄の地頭職としてここに移り、若槻氏の祖となった。平時は里城は居館で、戦時には山城に篭ったという。本丸には先頭に備えて河原石を備えた。 

 主郭は標高676メートル、東西25メートル、の楕円形。総面積6000平方メートル。


 徳間小学校の児童が、若槻史のうちこの城跡の学習をし、現地で発表してくれた。

 自分の生まれ古里には、たくさんの史跡があるが、ほとんど知らない。あらためて、知りたいとの思いを強くした。






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最終更新日  2002年10月26日 12時17分27秒


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