日本共産党 原田のぶゆきです。

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2014年08月16日
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8月の暑い夏・・・平和を考える

 私たちの住むこの地は、戦場ではなかった。しかし、多くの人々は戦場の土と化し親も子も女たちも涙にくれた。この記録は、旧国立長野療養所に起こった悲劇であり、戦争体験である。

国立療養所がねらわれた
思わぬ爆撃

 終戦を前にした8月13日午後4時頃、数十基の戦闘機はすさまじい爆音をとどろかせ真夏の空を暗く飛行してきた。 国鉄長野工場(当時長野駅東)からまっしぐら、若槻の国立療養所(東長野病院)を攻撃の的に稲田の上空から機銃掃射が始まる。
 アメリカ軍は、ここが病院であるかどうか知ってか知らずか。その時、病院では、患者さんたちは長野方面からくる飛行機の爆撃は知ってはいたが、まさか、自分たちの病院に来ることはゆめゆめ思っても見ず、やじ馬心で眺めていた。
 だが、不気味な事態に患者や本舎の職員は防空壕にまっしぐらに走った。

戦争とはむごいもの
    非戦闘員をも巻き込む

炊事場めがけて

 炊事係は、仕事場の騒音で戦闘機の到来がわからず仕事が続けられていた。爆撃は煙突のある炊事場を直撃、その爆風はすさまじく、同時に鉄鋼弾の機銃掃射である。
 当時炊事係の主任であった私は、机に向かっていた。その周り30センチ左右前後を鉄鋼弾が撃ち込まれ、かがみこんだ私の上に同僚の婦人らが重なり合って互いにかばい、恐ろしさに震えた。
 同時に炊事場の事務所はつぶされた。
 一瞬爆撃が静まったので山の防空壕へ向かう。

下半つぶされ

 この時、上野のYさんという炊事係のおばさんが、下半身ぐしゃぐしゃになって倒れていた。
 急ぎ、Sさんと二人で裏山へ運んだが、おばさんは「Nさん、水ください」といったので、一口飲ませたが、そのまま息を引きとってしまった。
 この時亡くなった人は二人(他の一人は、南信・富士見町の人で遺骨を苦労して汽車で家にお届けした)でけが人は病院だけで百人位はいた。
 当時は、無我夢中で恐ろしさなどなかったが、あとで思うと、そら恐ろしいことであった。


当時健在であった、稲田のT・Nさんからの聞き取りをまとめたものです。 取材 文責 原田のぶゆき


追記

 山林に囲まれた病院で山菜は豊富だった。食べ物のなかった当時、周辺の山菜を採っては患者さんの食事に使用することもあったという。また、煮炊きする、燃料(まき)がなく、病院の周りを取り巻いている柵を壊して燃料に使ったこともあったといいます。(取材を通して知りえた当時の病院の様子です)





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最終更新日  2014年08月16日 12時56分57秒


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