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人間なんて勝手なもの。別にそんなこと、知っていた。自分勝手で、臆病で。そして、集団に埋没すればまるで自分自身が強大な力を持っているかのように振舞う。分かりきっていた筈なのに。人間なんて、弱い。それもとっくに知っていた。あれこれ言っていても、いざ自分の身に降りかかると何も出来ない。非力で、疲れ果てて、そして進む道が見えなくなったときに自らの手で自らの道を完全に閉ざしてしまう。それも、分かりきっていた筈なのに。最初の自殺者から、わずかも経たない内に、「患者」は次々と自殺をした。皮肉なもので、少しでも生きながらえようとする動物の本能を持っていながら、我が身が「不老不死」であるとなると、それに悲観して実際の寿命よりも遥かに早くに命を絶ってしまう。それも、自らの手で。ある者はこの先どうなるか分からない自分の症状を案じて、ある者は繰り返される「検査」に嫌気が差して、ある者は宗教上の理由だったか。アメリカでは患者の一人がカウンセリングを受けてる最中に、突然暴れだし、カウンセラーを殺害しようとした。彼ら、いや、私の母も含めて。皆、身体を蝕むその病よりも自らの心を蝕む病と闘うことになっていった。母は、スイスの青年が死んだあの日から口数は殆んど無くなった。時折、思いつめた顔をして、その度に私は体中を駆け巡る嫌な予感に、身体と思考がピタリと止まって動けなくなる。病室ではテレビを点けない。これ以上、病気の情報は何ひとつ聞きたく無かったし、母にも見せたくは無かった。「お母さん」ぼんやりとすることの多くなった母に声を掛ける。「ん?どうしたの」母はゆっくりとこちらを向く。「変なこと、考えないでよ」その拍子に母は、突然。大きな声を立てて笑い出した。久々に見る母が大きな声で笑うところ。いつも、毎日。母の友人と会話をしては、電話をしながら、テレビを見ては、その大きな声で笑って、目の周りがしわくちゃになって、口元から笑いじわが消えなくなるほど笑っていた母は、このごろ、くすりとも笑わなくなっていたと言うのに。私の言葉で、これ以上無いってくらい笑っていた。ぽかんとしてその様子を見ていた私は、だんだん腹が立ってきた。なに、人が心配してるって言うのに。「お母さん!」ようやく笑うことを止めて、母が私をじっと見据える。目元と口元には、まだ笑みがこぼれそうに残っている。「ごめんねぇ、大笑いして。あんたは心配してくれてるんだよねぇ」そう言って、また口元から、ふふっと声が漏れる。「なに、私が、私も自殺するとでも思ってたんでしょう」「・・・」私は何も言えずに冷蔵庫の上の花瓶を見る。花瓶にはカトレアが飾ってあって、こんな派手な花は自分には似合わないと母が繰り返し言っていたカトレアを、私は見つめていた。「まさか。自殺なんかしやしない。第一、理由が無いよ」母のほうを向くと、母もカトレアを見ている。それから私のほうを見て。「変な気を遣わせたね、ごめんなさい」そう言って頭を下げた。妙にくすぐったくて、でも、それと同時に安堵がこみ上げてきて。ああ、この人はウソをつかない人だから。特に、私には今まで一度もウソをついたことの無い人だから。だから、その言葉も絶対に本当だから。素直に、それは心の中に沁みて、疑うこともない。*****退院の知らせを聞いて、私は俄かにそれを信じることが出来なかった。けれど、その後に入ってきた噂で、すぐにそれも納得できた。「病」の患者が入院してきた。それも、若い男性の。つまり病院は「新しいサンプル」を手に入れたのだ。高齢の母は、いくら元気だからと言っても体力的には不安がある。若い男性なら、ある程度ならどんな検査にだって耐えられる可能性が高い。「病状も、まぁ、安定しているようですし、これからは通院で十分ですね」老医師はカルテを見ながら言う。「おめでとうございます」そう言って笑った。「うそつき」私は心の中で言う。あんないい部屋に置いておいたのも、そして、突然の退院許可も、全部あなたたちの都合でしょ。「おめでとう」も何も無い。母は、完治どころか、不治の病なんだ。不老不死って名前の不治の病。あなたはとても偉い医師なんでしょうけど、それでもとっても治せない病気。悪態のひとつでもついてやりたかったけど、母が退院するとなると、今までは全く病院に都合してもらった母の生活費もかかる。これからのことを考えると、職場にも復帰しなくちゃいけないし、頭が一瞬で一杯になって、「お世話になりました」私は頭を下げ、診察室を後にしようとした。「ああ、ちょっと」老医師が私を呼び止める。「何でしょう」「いや、こういう事を言うのも、変に不安にさせるようで何ですが…」医師が口ごもる。「母の容態で、何か?」急に、胸がざわつく。でも、退院できるって、いまさっき。「いえ、お母様のことではないんです」「実はまだ、断定できる段階ではないのですが…」言いにくそうに医師は口ごもりながら話す。胸中は穏やかではない。そんな話し方をされたのでは。「おっしゃって下さい。大切なことなんでしょう」たぶん、幾分語気は荒くなったのだと思う。医師は話し始めた。「ドイツ、そして、南アフリカで親が発症してから間も無く 子供が発症した事例が報告がありました。 どういった感染経路か、いまだ確認できていないのは事実ですが、 遺伝的な感染の可能性が全く無いとは言い切れないのです。 ですので、念のため、なのですが、ご家族の方にもお話するように、 そう思いまして」ざわついていた胸が、冷えていくのが分かる。私も、この病に?「とは言っても、ご注意を促した所でどうなるものでも無く、 むしろ不安を持たせるだけのお話になってしまいますし、 その上、確証も無い。 ただ、お知らせしなくてはいけないことだと、私は判断致しました」眉をひそめて、老医師が話す。それを、私は聞こえているのか聞こえていないのか分からない。自分でも分からない。頭の中はすでに別のことでいっぱいだったのに、それらも全てぐちゃぐちゃに混ざり合って、言葉も何も出ない。正直に、私はここに告白する。母を心配して、そして、ワイドショーとかでヒトゴトのように話す人たちに、私は憤慨してきた。あんたたちは自分のことじゃないから平気でそんな風に言えるんだ、って。でも、結局私も一緒だった。母が告知された時以上に、まだ病にかかっているとも分からない自分の身を思うと、目の前が真っ暗になった気分だった。勿論、母を案じていたのは、ヒトゴトだと思ってる人たちに憤りを感じていたのは事実。それでも、ここまで心がかき乱されることが無かった。もし、発症を言い渡されたら、自殺しないって保証は、とてもじゃないけど、出来ない。結局、私にとっても、「死に至らない病」はヒトゴトだったんだ。そのときに、初めて気付かされた。
2005.10.30
とんでもない大きな出来事が、それは、世界中を巻き込むような出来事が。自分にも関係するってなったら、どうする?きっと、誰だってそんなことは想像しないし、あまりしたくもない想像。私自身もそうだった。そうだったけれども。世界中の研究機関、医療機関、各国の首脳から街の人まで、「死に至らない病」についての見解を口々にした。その中にはマスコミのフィルターを通された声もあっただろうけれど。ある宗教団体に至っては「神の奇跡」だと、この病の患者をあがめたし、また別の宗教団体は「世界を破滅に導く恐ろしい病」だと畏れた。単純に言えば、「不老不死」になれてうらやましいって声と、「不老不死」なんかになりたくないって声に、世界は分かれた。それでも、口々にそう言う人たちは、自分に関係のないことだから、そうやって口にすることができるんだろうと、私は冷めた目で画面を見ていた。「患者」はすでに、報告されただけでも1000人を超えている。これがこの病の、もっとも不可解な部分なのだけれども。発症したひとは皆、国も、人種も、生活パターンも、持病も、年齢や貧富の違いも。まったくバラバラだった。集団発症が報告された例もベトナムの1件のみで、これが感染病だとはまったく考えにくいし、原因さえも分からない。だから、ある意味「誰でも発症する可能性」は秘めているわけで。けれども、報道する人間、報道を見る人間のほとんどが、自分とは無縁のものとして、それを見ているのだろうと私は思った。だけど、「患者」自身はどうなんだろう。自分が望む望まざるを別として、発症してしまった患者たちは。そして、目の前にいる、母は。母は何も言わなかった。ただ、目の前にあることだけを静かに受け入れていって、そう、やっぱりどちらが患者か分からないくらいで。看護婦を捕まえては世間話の相手にして、あまりにも暇だからとやったことのない編み物まで始めようとして、(それはすぐに飽きてしまい、病室のベッドの脇に数冊の入門書と編み棒、 それに編み掛けの毛糸と毛糸の玉が転がっていたが)自分の病気をまるで介していないかのように振舞った。ワイドショーはその朝も「病」の報道。このまま、この症例が広がって人口の○%がこの症状になったら、今から○年後に世界の人口がどうこう、と、コメンテーターが口早にまくし立てる。だったら、どうしろと?私は苛立ちを覚えた。じゃあ、患者は死ねばいいの?患者を全く人として見ていない気がして。テレビのスイッチを、切った。「あんたがそんなに不快を露にするのも珍しいね」母はそう言って、お母さんのこともよ、と私は心の中で思った。それは全く突然に起こった。誰もが予想できていなかった訳じゃない。けれども、確実にその知らせは、今までの「死に至る病」に対する世間の考え方を一転させるには十分だったかと思う。私がワイドショーに不快感を覚えたその日。「患者」のひとりが自殺した。不老不死になった自分を嘆くかのような遺書を残して。彼は、母の次に発症したスイスの青年だった。確かに、不老不死と言えど、それは何もしなければいつまでも生きているというだけで、他の病気になれば死ぬ訳だし、怪我をして出血多量になれば勿論死ぬ。窒息しても、毒を飲んでも死ぬ。そういう意味では、そんなに死に対する距離は変わってない気もする。なのに。誰もがそんな単純なことに気付けないでいた。と同時に。その病を誰もが恐れだした。滑稽なもので、不老不死になりたいと思っていた人があれほどいた筈なのに、手のひらを返したように「死ねないという恐ろしい病」として、「死に至らない病」は認識された。そして、自分が発症することを恐れた。母は、スイスの青年の報道を聞いて、発症してから今まで一度も見せたことのない顔を見せた。いま、思い出しても、ぞっとする。哀しみなのか、絶望なのか、諦めなのか。どういう感情か分からないけれども。私は、その顔に言いようのない不安を覚えたことをはっきりと憶えている。
2005.10.26
私は、あまりに無力だ。そんなことは分かってる。けれど、大きなことがしたい訳でも、大きな望みでも無いと思う。「普通」で居たかった。私も、お母さんも。「普通」のままで、良かった。それを手に入れるためには、想像も出来ないほどの力が必要だった。母の口数は、少しずつだけれど確実に少なくなっていった。顔には、疲れがくっきりと現れていた。それは、病のせいじゃ無い。繰り返される「検査」と言う名の人体実験。いかにこと細かに説明を受けようとも、医学なんてこれっぽっちも身につけていない私にはそれが何の意味であるとか、何のために必要なのか理解できず、拒否はもちろん、質問すら許されない状況だった。母は、死なない。けれど。けれど。「あの花は、なんて言うんだろうね」凍てつく寒さだと言うのに、母が外に出たいと言ったその日、車椅子を押す私のほうを振り向かずに指を差して尋ねた。この季節に、花なんて咲かない。ましてや、花壇や植え込みではなくて、茶色くなってしまった芝生の中に、自生で咲く花なんて。でも、母の指差す先にひとつだけ、白くて小さい花があった。「ううん、知らない。こんな季節に咲く花なんて」珍しそうに花を見ている母と違って、私はそれに興味を惹かれなかった。「枯れ方を、忘れたのかな」母はつぶやき、私は、はっとする。季節外れに咲いた花に、意味や理由は無くても。私が何も感じなくても。母にだけは特別な意味があった。そのとき、どんな顔をしていたのかは、後ろにいた私には見えなかったのだけれど。花は風に揺れた。風は、車椅子を握る指に痛かった。スイスで、同じ症状の患者が発見された。そのニュースを私と母は病室のテレビで見ていた。少し驚きもしたが、安堵も正直あったのかも知れない。これで母の「検査」も少しは落ち着くかも知れない。どこまでこの病の研究が進んでいるのか、見当もつかないけれども。何より、変な話かもしれないけど。「仲間」が出来た、そんな感覚があった。ひとりきりじゃない。それは海を、大陸を越えたはるか遠くの国の話であっても、どこか心強さを感じた物だった。そして、私と母は、新しい年を迎えた。たぶん、それからひと月も経たないうちだったと思う。次々と世界中で同様の報告が発表されていった。連日報道される中で、ひょっとしたら報告もされていない患者もいたのかも知れない。日本でも。その頃には、私だって気付いていた。何かが、起きている。世界中で。ベトナムの小さな村で20数名の「集団発症」が報告された報道を見ながら、スイスの患者が報告されたときの安堵は、すでに私の中には無かった。
2005.10.24
まだ新しい建物の匂いのする病院に移った母と私を迎えたのは、広すぎるくらいの、そして、ホテルの様な病室だった。「もったいないことだよ」母はそう言って満面の笑みだった。母の主治医だった方の話だと、母のこの稀有な症例を、より設備の整った病院で診る必要性があり、その間にかかる入院費や諸経費は、心配する必要が無い、とのことだった。少しの違和感を感じつつも、既に底をついていた預金を考えると、私はその言葉に頷くしかなかった。ほどなくして、検査の毎日が始まった。母の症例は、調べれば調べるほど、他に例の無い症例であることが明らかになっていた。新たに主治医となった方は、かなりの高齢だったが、細胞の進化に関する分野では、学会でも一目置かれている方で、その方が少し興奮気味に説明した母の身体に起こっていることについては、私は半分も理解することが出来なかった。けれども、簡略してまとめると、次のようなものだった。・癌細胞ではない、新たな細胞が、恐ろしいまでの早さで増殖していること・その細胞は癌細胞とは違い、身体に多大なダメージを与える物ではない・その細胞はこれまで発見されているヒトの細胞に比べ、恐ろしく長い寿命を持っている・そして、外部から刺激や影響を殆んど受けることがない「それは、つまり、どういうことなんでしょう」私の困惑した表情に全く気を遣うことは無く、老医師は満足気な表情で言った。「つまり、俗に言う不老不死、ですね」不老不死?母が?「通常、細胞には分裂の回数に限界がありますが、癌細胞にはそれがありません」「そして、この細胞はその癌細胞の性質を持ちながら、更に長い寿命と、 外部からの影響を受けない強靭さ、何より人体に有害では無い性質を持つのです」医師の目つきはぎらぎらと光を放ち、口ぶりは更に高揚してゆく。「実に、これは素晴らしい発見だ」ああ。私はそこで理解する。母は、確かに助かった。しかし。老医師にとって、いや医学会にとって母はもはや「患者」なのではなく、「素晴らしいサンプル」でしか無い。それでも、私はこの奇跡としか呼び様の無い現実に感謝し、その現実を受け入れる。それだけで良かったのだ。それだけで、良かったと思ったのに。母が、病院から出ることは許されなかった。例え助かったように思えても、この未だ解明できない細胞に冒された身体はいつ、どのように豹変するか分からない。完全な管理下の元で慎重に症状を見なければならない。それが病院側の説明だった。それは、稀有なサンプルを手放したくない、と言う意味であることは明確だったが、とても逆らうことの出来ない状況だった。あ、っと言う間に世間には「不老不死の女性」としての報道が流れ、それはもちろん実名を伏せたものではあったが、世界中がそれに注目し、逃れることの出来ない大きな渦の中に私と母は、飲みこまれてしまった。母は、今でも自分の身体に起こっていることの意味を理解出来ていなかったが、「不老不死」であることだけは理解していて「ありがたいことだよ。私みたいなもんに神様は」と変わらない笑顔で言った。どこか呑気なその様子に、ただおろおろするだけの私は何となく、ほっとしたものだった。手術の話を聞いたのは、それから間もない頃の話。主治医は多くの説明をしようとはしなかった。難しい話を長々とした後に、「必要な、ことです」と言って、私の質問には答えることが無かった。一抹の不安。彼らは母をサンプル、いや、モルモットとしか見ていない。そんなことには気付いていたのだけれども、これから行われる手術は、決して母の病状の回復のために行われるのではなく、母の身体に起こった事を研究対象として診るためだけの、いわば、「解剖」では無いのだろうか。全身の血が引いていくのが分かる。母はこれから、意味もなく体を切り刻まれ、そしてそれは「医学のため」だと切り捨てられる。母の人権など、そこには無い。麻酔から醒めた母に、私は自分の考えを告げて「ここから出ましょう」と口にした。ここにいる限り、母はモルモットとして扱われる。私にはそれが我慢できるはずが無い。母は、じっと私の話を聞き、首を横に振った。「こうして、生きているだけでも感謝しなくちゃいけない」静かに話す口ぶりは、いつもの母のそれとは違って感じられた。「私みたいなものが世の中の役に立つ。それは、喜ばしいことだよ」違う、そうじゃない。どんなにそれが素晴らしいことであっても。世界中の人にとって有益なことでも。私は、お母さんが、そんな風に扱われるのなんか我慢できない。ただ、普通に家に帰って、テレビを見ながら笑ってくれれば良い。それだけでいいのに。母は、それ以上、私の言葉に対して首を振るだけだった。癌という不治の病に冒されていた母は、助かったと思っていた。けれど、それは「死に至らない病」に冒されただけだった。私は癌の方がマシだとさえ、その時に思った。
2005.10.21
みなさんこんにちは。(こんにちは)こうやって声を掛けることで、まるでここをたくさんの人が見ているかのように見せかけることが出来るんです。皆さんもよく憶えといてくださいね。(はーい)最近、独り言が多い。仕事と言えば、廃人のようにモニターに向かいパチパチとキーボードを打ち込むだけだ。一人きりの作業が多いものだけれども、エクセルをいじいじしていると、「あ、やべ」とか「あっちゃー」とか「ふんふん、じゃあ、こうすれば良いんだな」とか言っちゃう自分が居て、あらら、これは少し。と思うので。正直、独り言をぶつぶつ言いながらパソコンに向かっていたら、「残念な人」であるという結論を下すしかない。まさに、その、「残念な人」が自分自身である事実を認め、「まぁいいか」と独りごち、仕事を続ける7O2に励ましのお便りを!それでは、さようなら。(さよーなら)
2005.10.19
夢を見る。ベッドの上に横たわる姿。顔に白い布を掛けられて、私は最期のときに間に合わない。「残念ですが」と口を開く白衣の男性を押しのけて、私が叫ぶ。そこで、目が醒める。母の病状が、目に見えて悪くなっていった。背こそは低いものの、ふっくらとした母の頬の肉は削げ落ちてしまって、くっきりと骨がそのラインを顔の表面に形作られていた。相変わらずその口数は変わらないけれど、廊下にまで届いていた声は、ベッドの脇にいないと聞こえなくなっていた。「寒いのは、やっぱり苦手だよ」母はそう言って毛布を鼻の先まであげてみせる。病室は、軽く汗ばむほど暖房が効いているというのに。「ほら、またそんな顔してる」は、っと顔を上げるとこちらを見据えたように母が私の顔を見ている。「あんたね、何度も言うけどなんでも気の持ちようなんよ。そんな気持ちやったらなんも出来ん」まったく。これじゃあどちらが病人なのか分からない。「思ったよりも、状況は好ましくありません」暮れに差し掛かる頃の検査で、主治医が言い辛そうに口を開く。前回の検査で見えなかった部分にも、ひどく症状は進行していて、投薬の効果も認められないだろう、そう説明をされた。「正直申し上げますと、年を越せる可能性は非常に少ないです」覚悟はしていた。けれども。残された僅かな2人の時間をそれより多くを見込んでいた私にとってはその言葉はとても冷たく重たく、胸の中へと沈んでいった。昏睡する母を見ながら、時折目を開けることを待つだけしかなくて。骨だけになってしまったかのような手を撫でながら、待つだけの時間はとても長く、そして短く感じた。せめてもの救いは、母が症状の割には苦しむ姿を見せなかったこと。けれども、気丈な母が、敢えてその姿を私に見せていないだけかも知れないと思うと、やり切れない気持ちになった。お母さん、お母さん。繰り返し、口の中でつぶやく。少し手に力を込めると、僅かに指を動かす。それが、いまの私と母とのコミュニケーション。状況が一変したのは、それから1週間経って、街が年の瀬の忙しさで慌しくなる頃。私はすでに休職届けを出して、毎朝決まった時間に病室を訪れていたのだけれども、病棟の角に位置する母の病室に、慌しく人が出入りするのが、エレベーターホールから見えた。全てを、私は覚悟して、決して慌てずにその場へと歩いた。いえ、本当は覚悟なんかじゃない。諦めと脱力。慌てなかったのではなく、走る気力も無かった。病室の前に立っても、中に入ることが出来ずに、入り口で呆然と立ち尽くしていた。これから視界に入ってくるであろう光景を、少しでも見たくは無かった。あの夢がフラッシュバックする。家を出る前には、何の連絡も無かったのに。自分の間の悪さを呪った。「ああ、なんだ、そんなとこに突っ立って」不意に聞こえたその声に、私は身がすくむ。母の、声だ。なんで?間に合わなかったんじゃなかったの?混乱した私の目に飛び込んできたのは、ベッドから半身を起して微笑む母の姿だった。一人で、起き上がることの出来ない筈の母が。主治医が私に向き直り、すいませんが、こちらへ、と病室の外へと促した。「どういう、ことです?」私は診察室の椅子に腰掛けるなり、主治医に尋ねる。「検査を行わないと何とも言えませんが…」彼も混乱しているようだった。「何かの拍子に、突然、調子が良くなる事例もあるにはあるのです」額に手をあてて、言葉を選びながら口にする。「しかし、あくまで一時的なものであることは間違いありません」そう言いながらも、自分の言葉に自信が無いような様子だった。その日のうちに、母は精密な検査を受け、そして全ての検査が終わり、母が眠ったころはすっかり日が暮れてしまっていて、私は再び、主治医に呼ばれた。「どうだったんでしょうか」居ても経っても居られない。私は、語調が強くなっている事を感じた。「結論から言いますと・・・」そう言いながらも、二の句を次がない彼に、私は少し苛立ちを感じた。「病状は、はっきり申しまして最悪の状況です」「じゃあ、どうして…」「いえ、それが、癌細胞が異常なまでの進行を始め、ほとんどの細胞が冒されているのです」すっかり困り果てた表情で、主治医は話を続ける。「通常、ここまでの進行はありえません。そればかりか…」「突然変異、と申しますか、現在報告の無い形へと細胞が進化しているのです」「何とも言えませんが、恐らく、現段階では未知の病状です」ぽかん、と口を開けて話を聞いているしかなかった。未知の、病状?私が見た今日の母は、そんな恐ろしい病へと進行してしまったのにも拘らず、むしろ、元気だったころの母に戻っているように見えた。どうして?一体、何が?それは、私が思っている以上に、目の前にいる主治医が思っているようだった。「ともかく」しばしの沈黙の後、彼が口を開く。「近日中に×××大学病院へと搬送されることになると思います」私の周りが、急にめまぐるしく変わろうとしていく予感がして、それは決して良い予感では無かった。
2005.10.17
病名、膵臓癌。転移箇所、少なくとも5箇所。余命、もって半年―。3ヶ月前に母の主治医が下した診断結果である。私は遠のきそうになる意識をどうにかこうにか繋ぎとめ、その言葉を飲み込もうとしたのだが、遠い国の言葉を聞いているかのようにその意味を掴むことができないでいた。母と娘、二人だけでこの30数年生きてきて、他に頼る物なんかありはしない。どうにか生きていけるだけの暮らしの中で、そこに提示された母の命を少しだけでも延ばす手段は、とても手が出せるものでもなかった。黙って、何も出来ずに、私の目の前から母が少しずつ消えていって、一人きりになるまでの時間を待っているしかない現実が目の前に投げ出された。それはとても唐突過ぎて、聞きなれない言語をひとつひとつ頭の中で翻訳するのに、ひどく時間だけが掛かった。「ご本人に、告知は」主治医の言葉で、頭の中でぐるりぐるりと回っていたものが一本になる。告知。母に、このことを。「私の、口から」それだけ答えて、初めて全ての意味が繋がったかのように、私の目から涙が溢れた。母は快活な人だった。父が私が生まれてすぐに亡くなってから、母として、そして父としての役割もひとりで果たそうとしたのか、もともとの男っぽい性格からなのか、引っ込み思案で、弱気な私をぐいぐいと引っ張ってくれた。こどもの頃、父が居ない寂しさを感じさせないくらい、大きな声で家の中でいつも笑っていた。時には大きな声で私を叱り付けた。そして、強く抱きしめてくれた。大人になった今でも、うまく仕事も回らないときに家を出る私の背中から、「いってらっしゃい!」と声を掛けてもらえるだけでどれだけの力をもらったことか、その大きさなんか量ることが出来ない。全然、ひとつだってお返しなんか出来てない。その前に、私の口から伝えなきゃいけない。せめて、それだけでもしなくてはいけないという思いが私の中にあった。それは恩返しでも何でも無い、死刑宣告のようなものだけれども。それでも私がしなくてはいけないものだと思った。「ああ、ああ」私が、静かに宣告を終えたとき、母は大きくそう言って頷いた。もう秋も深まる季節だというのに、その日は穏やかな日差しが病室の窓から差し込んできて、母の顔色は病人だなんて、あと半年の命だなんて想像できないくらいに、明るく血色もよく見えた。「まぁ、生きてるもんはみんな死ぬからねぇ」ペットが死んだときみたいな言い方をして、母は少し翳った表情をしながらも、それほどのショックを見せなかった。「あんたがねぇ、ちゃあんと片付いてからだったら良かったんだけどねぇ」そして、そう言って笑った。「恋人もいないよ」そう言って笑おうとした私の目からは、また涙が溢れてうまく笑えなかった。母を強いと思って、その強さが悲しくて、辛くて泣いた。何も知らない人が見たら、盲腸で入院してるかと思うくらい、母は明るく、そして健康に見えた。看護婦さんは、もちろん母の病状を知っている。けれど、時折そのことを忘れそうだと私に苦笑しながら言ってきた。お喋り好きな母は、検温や点滴の交換にやってきた看護婦さんを捕まえては、もてあました暇を世間話で埋めようとする。「だから、お母さんのところに行くには、他の患者さんのとこを回ってからじゃないと」困ったような顔をして話す看護婦さんを見て、母らしいと思った。一度は飲み込んで、覚悟を思った出来事が少し薄れるほどで、それが嬉しく思えて微笑んでそれに答えた。実際、食事の量は減ってきていて、少し痩せてきたことを除けば、口ぶりもそして足取りも弱った様子が見えなかった。ひょっとしたら、快方に向かっているのかもしれない。まるで呑気にも思える考えを持てるほど、最初の1ヶ月は病室に通ったものだった。そして、3ヶ月。主治医の宣告通りならば、残り、3ヶ月。母は、口ぶりは全く変わらないものの、ベッドから立ち上がることはもう出来なくなっている。「寒くなる前に外の空気を吸っときたいねぇ」そう言った母を車椅子に乗せて、病院の中庭を歩いた。落ち葉をゆっくりと車輪で踏んで、ぱりりと音が鳴った。「あんた、いっつも神妙な顔してんじゃないよ」母が口を開く。「そんな顔してたら、まるであたしがすぐにでも死んじまうみたいだろうに」何も言えないまま。私は車椅子を押して歩く。「簡単にね、そう簡単に死にはしないんだよ」私に向かって言っているのか、それともそれは自分に言い聞かせているのか。分からないけれども、車椅子を押す私の手に、また雫が落ちていく。「そろそろ、病室に戻ろうか。冷えてきたし」やっとそれだけ言って、車椅子を押して来た道を引き返していった。「寒いのは昔から、苦手だわ。冬も来てないけど早く春にならないかね」母がちょっと暗くなった空気を吹き飛ばすように笑って言った。冬が、間も無くやってくる。その次には、春がやってくる。そんな当たり前の季節の流れの中でも、母は。たぶん、次の春を迎えることが出来ない。
2005.10.16
あの頃の僕は若かったなんて言い訳は、言い訳にもならないと思うけれども。手首に残る傷痕を見た僕は、どうして自分自身を傷付けたのか、その意味や理由を考えることも無く、ただサユリが全てを自分に見せてくれたことに、一つの嬉しさに近い感情を持っていた。だから、「美しい」と、それはまるでどこか呑気とも思えるようなことを胸の内に持ったのだと思う。僕はその傷の意味を問いただすことはしなかったし、彼女自身もそれについて言葉を次ぐことも無かったから。「過去のこと」として僕はそれを受け取ったし、「自分が居るからそんなことはもう無い」と言う妙な自信からでもあった。実際、酔ってそのまま眠ってしまった次の日にはサユリは何事も無かったかのように僕にひっついてきて、それ以上のことを考える事を、僕は止めてしまった。「過去」は「過去」で。そのころの僕は「今」と「過去」をまるで別の物のように思って、そして全く切り離して考えていたから、「今」僕の腕の中にいるサユリが笑っているなら、傷痕に何の意味も無いと決め付けた。僕とサユリは、切り付ける風が吹き抜けるアーケードの下を通って、幾つか古着屋だとか、アクセサリーが並ぶ店を回って、ジャケットと安い指輪を買った。もう少しすれば、僕は論文のために、多くの時間を費やさなければいけなかったし、変わり行く季節の中で慌しく過ぎていくであろう日々を思った。「しばらく、あんまり会えへんかもなぁ」ベージュのソファに向かい合わせに座って僕が口を開く。サユリの目を、顔を見ずに肩をすくめて道を歩く人を見ながら言った。街中に出る度に腰を下ろすこのカフェで、サユリはモカをすするのを止めた。「会えないかな」「うん。研究、ちょっと遅れてるしな」「そっか」しばらく、二人の間に言葉は無くて、僕はカップの中のコーヒーと、紙ナプキンを交互に見たりした。「もし、さ」「ん?」サユリが口を開いて、でもその顔が余りにも真面目だったから僕は少し固くなる。「会えない間に、わたしが死んだらどうする?」サユリの言葉の意味が一瞬掴めず、僕はぽかんとした。死ぬ?何が?そして、僕はそれを「会えない」と口にした自分に対する責めだとか、寂しさを伝えるための比喩のことだと解した。そして、僕は、物事をちゃんと理解して飲み込むことが出来ず、ただ、自分の感情のみに重きを置く、こうした女性の言が好きではなかったから、そのまま何も言わずに、ぬるくなったコーヒーを口に運び、店を出ようと促した。別れ際に、1週間はサユリに会えないであろう事を僕は伝え、自転車を大学に向けて走り出した。頬に当たる風が痛い。そして急にサユリの傷痕を思い出し、少しの不安を覚えた。「わたしが死んだらどうする?」その問い掛けは、ひょっとするともっと大きな意味を持っているのかも知れない。ただ、その不安も研究室のパソコンを開いた時には、僕の心の片隅にも残っては居なかった。
2005.10.12
僕が何かを喋る度に、「オーウ、こいつ英語喋られないのかよ。ヤレヤレだぜ」的な空気を毎度毎度さらけ出される拷問を受けに、米国に滞在してました。米国。米も食えんのに何が米国か。おかげで「銀シャリが最高のご馳走」という戦後を髣髴させる生活を満喫してます。人は遠きに在りて思うもの。普段、近くにありすぎて当然のように思っていても、遠くに行ってしまうと、改めてその大切さに気付く。大切な人も、そう。いつも一緒に居て、空気みたいに思っていて、その扱いがぞんざいになってることは無いだろうか。遠くの地に離れてみて、初めてその存在を改めて強く感じることは、誰にでもあることなのです。離れてみないと、或いは失わないと気付かないのは、一種、愚かさを感じます。しかし、実際に常に側に在ってその都度大切さを感じるようになるのは非常に難しいもの。例えば、郷里を離れて気付く両親のありがたさ、別れた後に気付く、恋人の存在の大きさ、それらはよく聞く話のひとつでもあります。常に顔を合わせている両親は疎ましく思えるものだし、付き合いが長い恋人は慣れてしまって嫌な所ばかりが目に付くようになってしまう。その人の大切さは、その裏に隠れてしまって。見えなくなってしまう。失ってからでは遅いですが、時には離れてみることは必要なことかも知れません。そうして気付くことが出来れば、一層、幸せな関係が築けるんだと思います。そう思って距離を置いた女性は、大体連絡がつかなくなるものです。
2005.10.10
たぶん、何も変っていない。毎日の生活のリズムも、目に映るものも。変ったとすれば私の心。そんな安っぽい小説みたいな一節が、ちょうど私に当てはまる気がした。バイト先で泣いてしまったあの日。何もかもが嫌になって、全部終わってしまったかのように思えたあの日。あの男の子に渡されたものを帰るなり取り出した。部屋に寝そべって、それを眺めてみる。手にとって裏返してみたり、電気にかざしてみたりして。「何の意味があるんだろ」ちょっと考えてみたけれど、ぜんぜん見当もつかなくて、しばらくしたら自分の姿がとても滑稽なことに気付いて笑った。でも、たぶん。彼は私を元気づけようとしてくれたのかな。そう考えると、嬉しいような、恥ずかしいような気持ちになってきて、いたたまれなくなってきたから、もう一度私はそれを見た。蛍光灯の明かりに照らされて、薄くオレンジ色に光る。「どんな意味なんだろうな」今度、彼とバイト先で会ったら。お礼を言わなくちゃいけないかな。それとこれの意味も。そんなことを考えていたらいつの間にか眠ってしまった。薬を飲まずに眠れたのは、数ヶ月振りだった。けれど。彼にお礼を言うことも、その意味を尋ねることも叶わなかった。次の週に見たシフト表には彼の名前は無くて、他の子が彼がクビになった理由をいろいろ推測する声が聞こえた。私は鞄の中にそれを入れて持ち歩くようになっていた。時折、思い出したかのようにそれを眺め、あの時のことを思い出す。でも、それは別に彼に対して恋心を抱いていたとか、会いたいと思ったりする訳じゃなくて。純粋にその意味を追っていた。それに、興味もあった。ひょっとしたら凄く大きな意味があるのかも知れない。スタバでキャラメルマキアートを飲んでいるときも、帰りの有楽町線の電車内でも、付き合いで行ったバイト先の飲み会の居酒屋でも、ふ、と気になっては鞄の中を覗き込んで考えてみる。隣に座っていたマヤがそれに気付いて話しかけてくる。心を許せる友達、って程でもなかったけれど、シフトの時間が同じで、同じ時期に入ってきたマヤと、私は話す機会が多かった。「なに見てんのー?」彼氏からのメールを見ているのとでも思ったんだろう。下世話な話をするときのような、ニヤニヤとした面持ちでマヤが言う。一瞬焦って隠そうとしたけれど、次の瞬間、それを見たマヤが、私の分からなかった答えを知っているかも知れない。知らなくても、何か思いつくかも知れない。そう思ってこっそりと鞄から取り出して見せた。ぽかん、とした顔でマヤがそれを見つめる。「なに、それ?」「さぁ、分かんない」「分かんない、って」呆気に取られたマヤに、あの日の出来事を話す。私が泣いてた理由は、彼氏にフラれたことにしておいた。「で、どう思う?」私の問いに、マヤは大きな目を斜め上に向けて、あごの下に手を置いた大げさな姿で考えているポーズを取る。「うーん、と。アレかな。泣いてる子にアメをあげるような、そんな感じ?」「コドモじゃないんだから」「だよねぇ、それに、これもらってもフツー嬉しくないし」「うん」「じゃ、きっとアレだよ」マヤは、分かった!というリアクションを、また大げさにする。「意味なんか無いんだよ!」私はその答えに声を立てて笑った。そっか、そうかもね。意味なんて無かったのかも知れない。マヤに話して良かったかも知れない。その答えは、確かに私の中には無かったものだった。意味は無いという答え。少し飲み過ぎた気もしたけれど、ひとりで帰ることにして、歩きながら思った。私は、少し考えすぎてたかも知れない。このことだけじゃなくて、東京に来てからの全て。「何か」を手にしなきゃいけないと思ってたのは、きっと手にしなきゃココに来た意味が無くなるから。そして、「何も無い」って思ってたのは、周りに溢れているもの一つ一つに意味や価値を求めすぎていたから。全てに意味や価値があるって思い込んでいた。実際には無いのにね。たぶん、何も変っていない。毎日の生活のリズムも、目に映るものも。でも、マヤの一言を聞いたときから。「意味がない」って答えもあるって、私の心は軽くなった。来週、私は生まれた街へ帰る。それは東京に何も無いからじゃない。私にとって、何かを手に入れるためには東京じゃなくてもいい。そう思ったから。また、いつか。ココにしかないものが欲しくなったら、戻ってくるんだと思う。そのときに彼に会うことが出来たら。私はお礼を言って、お返しをしなきゃ。全てはあれから始まった。だから。夏が終わった空は、驚くほどの青さ。私は「何も無かった街」へと出掛けた。鞄の中には、魚肉ソーセージ。私を変えてくれたもの。
2005.10.07
これは私にとっても不思議なことだったのだけど、「何も無い」って思っても家に帰ろうとは思わなかった。この街で、何かを、手に入れなくてはいけない。そう思い込んでいて、でも、それが何なのか見当もつかないまま、私は東京で藻掻いて、毎日が過ぎていくだけだった。名前も知らない男と寝ることもあった。何も無いってことに恐怖とか寂しさを感じるよりも、何かで埋めなくてはいけない、といった焦燥に駆られるように、そのときの私はなっていた。何も無い自分がひどく惨めに思えて、何かで満たそうとした。私は名前も知らない男と何も無い身体で絡み合う。私は名前も知らない男の唇をやわらかく噛む。私は名前も知らない男のを口にゆっくりと含む。私の中に、名前も知らない男が入ってきて、それを自分の中へと受け入れていく。私には男の名前も素性も顔も、そして感情や愛も要らない。「何も無い」ことから解放してくれるような気になる、その一時だけを必要とした。それでも私の心には、依然、何も無いままなのに。生活は一定のリズムで進んでいく。波風が立たないその生活は、「安心」を得る一方、私を更に不安にさせた。思ったよりも仕事は順調で、相変わらず店長は生理的に受け付けないけれども、仕事自体は人と接することが好きな私に向いていたし、必要以上に踏み込まなかったけれども、バイト仲間も、気の良いひとが多かった。 きっと、ほとんどの人が、その生活を「何も無い」とは思わないのだろうけど。一度「何か」を失ってしまったような私には、その「何か」や、それに代る物を手に入れなければ満足が出来ない。何かを求める焦燥は激しくなるばかりで、しばらくして仕事中にも、ぼんやりとすることも増えてきた。「――― ちゃん?」はっ、と気付いたときには、店長の顔が真向かいにあった。「なんでしょうか?」取り繕うつもりでした笑顔がうまく作れないのが自分でも分かる。「最近さぁ、ぼーっとしてること多いよ?何?要求不満?」店長のニヤニヤした顔がすごく近くにあって、身体がこわばる。次の瞬間、「すいません」そう言い終わらないうちに通用口に向かって走る。もう、嫌だ。普通の、普通の生活も出来なくなってる。きっと私が求めてる物なんて幻とか、そういうもので、私が勝手に自分の中で作り出した物なんだ。でも、やっぱり、私には「何も無い」。それは変らない気がする。進むことはもちろんだけれど、振り返ることも出来ない。振り返っても、ケイの顔もうまく思い出せない。私の気持ちも思い出せない。誰かにすがりつきたい気分だった。でも、寝た男たちは、誰とも2度会うことは無かったし、バイト仲間にも、ひとつ壁を作ってしまっている。ケイは・・・もう、ケイじゃない。きっと。通用口に座り込んで、私は動けなかった。人の気配がして、はっ、と顔を上げる。次のシフトの男の子が、そこに立っていた。「あ、ごめん・・・」そう言った瞬間、目から涙がこぼれ落ちる。たぶん、東京に来て初めての、涙。「ごめんなさい・・・ごめん・・・」それだけを繰り返し、恥ずかしい気持ちもあってそれきり顔を上げることが出来なくなった。男の子はすっ、と私の横を何も言わず通り過ぎる。けれど、私にとってはそれの方がありがたがった。「これ」背後から声がしてびくっ、と振り向く。男の子が空いた鞄から取り出した物を私に差し出していて。私がそれに手を伸ばして受け取ると、そのまま店内へと消えていった。呆然とそれを見送って居た私は、我に返って涙を拭き、立ち上がる。職場に、戻らなくちゃ。きっと、みんなが何があったのかと思ってると思う。通用口のドアを開けようとして、渡された物が初めて何なのかに気付く。なんで渡されたときに気付かなかったのかは分からないけど。でも、そんなことに構ってる場合じゃない。私は少し赤くなっているであろう目を気にしながらも持ち場へと急いだ。制服のポケットの中には魚肉ソーセージ。思えば、これが始まりだったのかも知れない。
2005.10.03
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