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学生時代から腰の調子がおかしくなるときはあった。学生の頃は、ほっておけば2,3日もすれば痛みは自然になくなっていた。しかし、年を取るにつれて、治る速さが遅くなってきているような気がする。 5,6年前には、夜中に腰の激痛に耐えられずに、やむなく救急車で病院に運ばれたことがあった。そのときは昼間から調子が悪かったのだが、夜突然悪化した。 家に来た救急隊員の人は、まず部屋に横たわっているぼくの下にビニールシートのようなものをすべりこませた。それからビニールシートを持ち上げて、ぼくをストレッチャーに乗せた。それから救急車に乗って病院に運ばれた。さすがプロ。手際がよかった。初めて救急車に乗ったが、痛さのためにあまり目をあけられなかったので中の様子はよく覚えていない。結構揺れたような気もする。救急隊員の方にはただ感謝するばかりだ。 病院では、しばらくの間ベッドの上であお向けに寝かされて腰が牽引された状態で、ほとんど動けなかったのが少し辛かった。腰痛の原因はヘルニアだと言われた。このときは2週間でなんとか退院することができた。 痛みがひいた後半の1週間は、マッサージもしてもらった。係の人が腰や背中を指圧でぐりぐりとマッサージしてくれたのだが、ときどき痛いところがあって、ぼくが思わず“うっ”と声をあげると、係の人は、“はぁい、痛いですねぇ”と明るく言ってすっと力を抜き、別のところを揉む。普通だと“あ、すいません”とか言ってしまいそうが、“はぁい、痛いですねぇ”という面白い答え方がなかなかよかった。マッサージは単調な入院生活の中で数少ないお楽しみの時間だった。 それから腰痛には腹筋や背筋を強化した方がいいとかいうのを聞いたので、ジムで筋肉トレーニングをしばらくやったことがあるが、効果はあまり感じられなかった。かえって腰痛にはなにもやらないほうが、ぼくにとっては調子がいいような気がする。やり方が悪いのだろうか? 今、腰は特に問題ない(筋トレもしていない)。 入院したのがきっかけになって、ぼくは念願の禁煙もすることができた。タバコを吸いたくても最初動けなかったからだが、そのうちやめようと思いが強くなり結構すんなり禁煙できた。今、使わなくなったライターが50個くらいあるだろうか。
2006.01.31
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今年はモーツァルトの生誕250周年ということで、先週末あたりはオーストリアで大きなイベントがあったらしい。そういえばBSでもモーツァルト特集を放送していた。ぼくはといえば週末にばあちゃんの17回忌の法事があった。 法事は近くのお寺で行われた(うちは浄土宗)。昼間に行ったが、かなり寒かった。住職が来るまで待った部屋は広くて畳が冷たかった。法事にはぼくの両親と叔父さん夫婦が出席した。長いお経のことを思うと少しだけ退屈した気分になった。 しかし、住職が読むお経は意外と長く感じなかった。こんなもんなの?と思うくらいだった。父と叔父さんはもっと短く感じたらしい。お経のスピードがとても速かったと言っていた。お経の後、少しのんびり世間話でもするのだが、このときは簡単にすぐ終わった。後がつまっていたのだろうか。 家に帰ってから、しばらく叔父さんたちと食事をしながら話をした。話の内容のほとんどは病気の話と昔の苦労話である。今までこんな病気をしたとか、こんな薬を飲んでいるの類の連続である。また、ばあちゃんを含めた昔の人の話にもなった。 ぼくは、ばあちゃんっ子である。小さい頃両親が共働きだったので、ばあちゃんにはとてもお世話になった。ばあちゃんは若い頃に東京に奉公に行っていて、その当時の政財界のかなりのビッグネームと面識があったとか昔言っていた。ばあちゃんは小柄で上品な人だった。 また、ばあちゃんはぼくに、「地元の人と結婚するとが一番よかとよ。」とか「いやなことがあっても峠ば越えるまで我慢せんばとよ。」とかよく言っていた。どうもぼくは、ばあちゃんが望んだのと違う方向に行っているみたいだ。ひたすら平伏するのみである。 普段はやさしくてのんびりしたばちゃんだったが、ゴキブリを見つけた時は違った。 ゴキブリを見つけると右手にハエたたきを持って、ゆっくりとゴキブリの方に歩いていく(そのときなぜかゴキブリは逃げない)。そして、ゴキブリのすぐそばで立ち止まり、しばらくゴキブリを見つめる(そのときもなぜかゴキブリは逃げない)。 そして、いきなり前兆無しに“バシッ”ともの凄い速さでハエたたきをゴキブリに叩きつける。たぶんプロのボクサーでもよけられないのではと思うほど動きが速かった。まさに幻の右だ。どうしてゴキブリを叩くときは速かったのだろうか。 ばあちゃんは縫い物をしながらよく鼻歌で哀しいメロディーの歌を歌っていた。あれはなんの歌だったのだろうか。もっと色々な話をばあちゃんから聞いておけばよかったと思う。
2006.01.30
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ぼくはジョギングする時は車が少ないところを走りたいので、走るコースは自然に大通りから離れたところになる。最近は、家の近くの新興住宅地のあたりを走っているが、そこはまだ家が建っていない空き地が多いので、遠くの景色まで見えて走っていて気分がいい。 空き地を走っていると、小学生の頃の風景を思い出す。その頃は、今ぼくが住んでいるところも新興住宅地だったので、空き地がたくさんあった。家に帰る時に空き地を横切って近道をしたりしていた。 最近、1970年代の歌謡曲を紹介する番組があったが、そのときの映像に決まって出てくるのがオイルショックでデパートのトイレットペーパーに殺到する人たちの姿だ。その当時、ぼくは10歳くらいだが、オイルショックのことは全く覚えていない。社会状況にまったく感心のないぼーっとした子供だったのだろう。 今のジョギングコースも徐々に空き地が少なくなってきている。そのうち他の住宅地と変わらないようになるだろう。遠くを見る機会が減るのは、さびしいがしょうがないか。サザエさんみたいに年を取らないわけにはいかない。 また、ぼくが小学生のとき、学校の近くに手品の道具を売る人がなぜか時々自転車に乗ってやってきていた。手のひらに載せたマッチ箱が自動的に開いたり、人差し指と親指をこすり合わせると、そこから煙を出していた。それを見て子供達は歓声をあげた。今考えるととてもあやしい人が結構いた。
2006.01.29
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きのうチョコのバッカスについて書いていて思い出したが、映画『ロッキー』の中でロッキーが家で飼っていた犬の名前もバッカスだったと思う。犬のバッカスは最初の『ロッキー』だけの出演だったろうか。 ロッキーのシリーズの中では、ぼくは最初の『ロッキー』が一番好きである。ロッキーの人間くささや不器用さがよく描かれているのがいい。脇役の人たちも良かった。 不思議に思うところもあった。ロッキーは試合のときにリング上では“イタリアの種馬”と紹介された。ぼくはそれを見て、なんじゃそりゃ?と思った。“イタリアの種馬”をアメリカ人は強そうに思うのだろうか。日本語に翻訳しにくいのかもしれない。アメリカ社会の中でイタリア系のポジションも複雑なものがありそうだ。 『ロッキー』を知ったのは、たしか中学生の頃だろうか。そのとき、11PMというテレビ番組の中の映画を紹介するコーナーがあって、そこで初めて見た。愛川欽也が司会の水曜イレブンだった。11PMは自分の部屋の小さなぼろい白黒テレビでこっそり見ていた。 そのとき11PMは映画の紹介だけで、ぼくが見たかったHなやつは全くなかったので、もの凄くがっかりしてその日は眠りに入った。ぼくは典型的なアホ中学生だった。
2006.01.28
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今日、ブランデー入りのチョコレートを買った(バッカスというやつ)。このチョコは、少し前にヨン様のCMが流れていたと思う。ちょっと苦かったが、家に帰ってから、あっという間に食べてしまった。ぼくはチョコやケーキの類は家畜みたいにすぐに食べてしまうのだ。 “冬のソナタ”は最初に放送されていた時には、全く興味がなかったが、2回目の放送の時にハマって見てしまった。“こんな展開はないよ ”と突っ込みを入れながら、チェ・ジウが泣くとついもらい泣きしていたと思う(最近涙腺が弱い)。 その頃、漫画家の梅図かずおが外国語講座をよく聴くというのをテレビで見て、それをまねてNHKラジオの外国語講座のテキストを買ってきて、放送を聴いたりしていた。しかし、同時にハングル、ドイツ語、フランス語を始めるという無茶をしたので、全て中途半端なまましばらくしてやめてしまった。ハングルあたりに絞ってやればよかった。 去年の今頃までは、冬ソナ関係の話題はテレビでは結構扱っていたと思うが、今はもうほとんどない。あれだけ流れていたテーマ曲のピアノのイントロも今では聴くこともない。たしか韓国へのツアー旅行もあったと思うが、今でもあるのだろうか。 結局、チャングムは見なかった。冬ソナがまた放送されたら、また見て泣くだろうと思う(なにせ涙腺が弱いから)。
2006.01.27
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今でもしつこくギターを弾いてるいるが、この年になってやっと演奏する時には脱力することが大切なことが実感できるようになってきたよう気がする。 今までは大きな音を出すためには、大きな力がいると思って実際そうしていた。そのため複雑で長い曲のときは、特に弦を押さえる方の左腕の筋肉がぱんぱんになってしまうことがよくあった。 力を抜くことが大切なのは、プロの女性ギタリストが存在することからもわかる。ある女性ギタリストは、握力が18kgくらいしかない。ぼくの半分以下である。それなのにプロでやっていけるということは、いわゆるパワーはギターを弾くのには必要ないということなのだろう。 脱力が重要なのは雑誌とかで時々見るが、そのために何をすればいいのかということはあまり見かけたことはない。ぼくのやり方としては、曲を練習する時、最初は音が明らかにびびるくらい弱く弦を押さえて弾いて、そのあと少しずつ力を強めながら弾いていくというやり方をするときがある。もっとうまい方法はないだろうか。 漫才も最近は脱力系がいい(おぎやはぎ、とか)。
2006.01.26
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今、昭和の歌謡曲をよく聴いているが、その前は図書館から世界の民族音楽のCDをひたすら借りて録音していた時期があった。この手を借りる人は少ないようで、借りるのに順番待ちをしたことは一度もない。 以前からインド音楽には興味があったので、まずシタールが入っているものから借りて、それからどんどん地域が広がっていった(すごいマニアック路線だと自分でも思う)。 シタールの他に好きな弦楽器では、南米のチャランゴとアラブのウードがある。 チャランゴが入っているので有名なのは『コンドルは飛んで行く』だろうか。マンドリンのように高くてかわいい音がする。いつか弾いてみたいと思う。図書館からは4曲の異なるアレンジの『コンドル…』を借りることができた。 ウードは、楽器の大きさはギターよりほんの少し小さいくらいだろうか。バイオリンと同じでフレットがない。音色は日本の琵琶に似ているかもしれない。 2,3年前、長崎でイラク人のウード奏者のコンサートがあって、運良く最前列で観ることができた。演奏は素晴らしく、コンサートは大成功だった。特にぼくの左隣の60前後のオヤジさんは、かなり興奮していて、曲が終わるたびに一生懸命拍手していた。その様子を観るのもかなり面白かった。 曲の中では、イラクの戦争を取り扱ったものがあり、ウードで空襲警報のサイレンの音や飛行機の音を楽器で出していた。まるでジミ・ヘンドリックスのようだった。ぼくはこの曲は以前にテレビで観て知っていたので、かなり深刻な気持ちになっていたが、隣のオヤジさんはニコニコ笑って拍手するばかりだった。歌詞がないのでしょうがないかな。 コンサートは決してマニアックなものではなく、誰もが感動するすばらしいものだった。最後はスタンディングオベーションになって、大盛り上がりで終わった。でも、一番盛り上がっていたのは、ぼくの左隣のオヤジさんだろう。生の音楽は色々楽しめて面白い。
2006.01.25
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最近は結構大きな古本屋さんがあちこちにあるので、ときどき利用している。百科事典くらいの大きさで誰かの全集ものとかが、一冊100円くらいで置いてあると、読まないだろうなと思いながらも、つい買ってしまう。それで予想に違わず読まないので、置き本は増えるばかりである。 もうちょっと速く本読めたらというのは学生の頃から思っていることだが、なかなかスピードは上がらない。 結構薄い文庫本でも、何ヶ月もかかることがある。その割には頭に入っていなくて、あらすじが思い出せないことはしょっちゅうある。文庫本を一日一冊読める人を、ぼくは本当にうらやましいと思う。 過去に何回か速読の練習はやったことはある。そのときには最初に眼球を速く動かすトレーニングというものだった。タテ・ヨコ・ジグザグなどに動かすトレーニングをすると、眼球はまあまあ速く動くようになった(傍から見れば不気味な光景かもしれない)。 次の段階では、一度に見る範囲を広げるもので、少しずつ広げていけばうまくいくというものだったが、かなりしつこく練習してもぼくの場合はうまくいかなかった。ここでトレーニングはしなくなった。 そんなわけで眼球だけは比較的速く動くようになったが、残念ながら頭に入る速さは変わらなかった。 最近ぼくは速さよりも理解度重視ということで、色ボールペンで文に線を引きながら読む時が多い。理解度はこれで少し良くなったかもしれない。時間は当然かかる。本はかなり汚くなるが、それだけ愛着が湧くかもしれない。とってもアナログなやり方だが人間にはこれが一番いいようだ。 それでも、やっぱり速読はうまくいかないのだろうかと思う。速読には結びつかなくても、速く動く(だけの)眼球は何かに活用できないだろうか。今のところいいアイデアは思いついていない。
2006.01.24
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最近、ぼくはテレビを見るよりラジオを聴く時間の割合の方が高くなってきている。聴くのはもちろんAM。車の中でも聴くラジオはFMよりもAMが多い。確実にオヤジ化は進行しているようだ。 夜寝る時に最近よく聴くのは、NHK第1放送の『ラジオ深夜便』。23時過ぎから翌日の午前5時まで毎日放送されている(午前1時からはFMでも放送される)。 NHKのアナウンサーが1人で番組を比較的落ち着いたトーンで進行していくが、お付き合いできるところまでで全然かまわないんですよというような雰囲気がいい。結構年配のリスナーを対象にしているような感じがある。 番組は2時台になると音楽関係になる。大体古い歌謡曲が流れているみたいだが、時々80年代のロック特集とかやっていて、選曲の幅が妙に広い。東海林太郎からイーグルスあたりまでカバーしている。ぼくは大体この時間帯にトイレに行きたくなって目が覚めるので、この時間帯を聴く機会が多い(これもオヤジ化効果だ)。 4時台はインタビュー番組になっている。先日、五木寛之が出演していて、戦争中の日本の状況について語っていた。そのときに淡谷のり子の話が出てCDを借りてくるきっかけになった。 この番組は、とても全時間帯は聴けないので、一晩に1時間程つまみ食いするような感じで聴いている。
2006.01.23
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高見盛、残念ながら勝ち越しならず。惜しくも7勝8敗。でも、手術直後にこれだけやれればたいしたもんだ。来場所は大勝して上位でがんばってほしい。ブログで有名な普天王は頑張って9勝を挙げた。ブログでは普天王のネガティブ思考的な面が見られて親近感が持てる。力士も大変だ。 現役力士『普天王』どすこい大相撲日記 → http://futenou.ameblo.jp きのう淡谷のり子のCDを借りてきたと思ったら、教育テレビで先程(19時45分)、『あの人に会いたい』という番組で淡谷のり子の特集をしていた。なんたる偶然。もっと淡谷のり子を聴けという誰かのお告げか? とにかく、この番組で彼女(失礼!)の生い立ちを結構知ることができた。 淡谷のり子は、青森の呉服屋の長女として生まれた。幼い頃から相当気が強かったらしい。青森には無理を承知でがんばる県民気質があって"じょっぱり"と言うそうだが、じょっぱりの中でもさらに筋金入りを"カラキジ"というらしい。淡谷のり子はまさに"カラキジ"の人生を送ったそうだ。そういえば高見盛も青森出身だった。 学生時代はクラシックの声楽を勉強して、プロになってからしばらくして生活のために収入のいい流行歌手の方に転向した。淡谷のり子は戦地に慰問に行ったときに、"もんぺをはけ"とか"軍歌をやれ"などと当局に言われたこともあったらしいが、そんなことは"カラキジ"の性格が許さない。彼女は脅しに屈せず、完璧なメイクにドレスを着て、ブルースを堂々と歌ったそうだ。実際のところ、若い兵隊たちは軍歌よりも、悲しい詩とメロディーのブルースを聴きたがったということを別の番組で聞いたことがある。 借りてきたCDには超有名な"別れのブルース"を含めて14曲入っていたが、タンゴも入っていた。ほとんどが別れを歌った悲しい内容のものばかりである。その中でも"暗い日曜日"というのが心に残った(ボーカルも伴奏もかなりヘビー)。ちあきなおみと同じように、淡谷のり子も聴けば聴くほど味が出てくるスルメイカみたいな歌い手なのだろう。 "じょっぱり"は多分"強情張り"からきているのだろうが、"カラキジ"は何だろう。標準語の"からきし"とか"からっきし"に該当するのだろうか。"からっきし人の言うことを聞かない"の"からっきし"。ぼくはなんだろう? からっきし駄目だと思う時はけっこうあるが…。
2006.01.22
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今日、図書館から、ちあきなおみと淡谷のり子のCDを借りてきた。最近の図書館はビデオ、CD、DVDまで借りられる。便利になったものだ。 去年の年末にBSのちあきなおみの特集を見てから、かなり衝撃を受けてCDを借りてきた次第。 借りてきたのは『ちあきなおみ全曲集』。『喝采』を始めヒット曲がたくさん収められている。アレンジが意外に古く感じないので、長いつきあいができるCDになりそう。音を紹介できないのがとても残念。 ちあきなおみというと、今まではものまねのコロッケのイメージしかなかった。もっと早くからちゃんと聴いとけばよかった思う。歌うというよりも役を演じているという感じ。ちあきなおみは数年前に夫が亡くなってから活動していないと番組では伝えていた。 ちあきなおみと淡谷のり子か。自分でも変わってきたなと思う。昭和の歌謡曲はマラマニが詳しかった気もするが。
2006.01.21
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きのう髪を切った。坊主頭にしようとも思ったが寒いので、ちょっと長めにした。暖かくなったらまた短くするか。 学生時代、髪が肩ぐらいまであった時期があった。ただ単に床屋に行かなくて勝手に伸びただけだったが。学生証の写真は髪が長い頃のものだった。 その写真は三分間の白黒写真だったが、髪は長くボサボサで目はどこか上の方を見ていて、まるで捕まった過激派のメンバーみたいで、爆弾を何個か作っているんじゃないかと思うほど出来がいいものだった。今見たらもっとすごいと思うかもしれない。 あの学生証は探せばまだあるはずだ。今は部屋はちらかっていて探す気も起きないが、そのうちひょっこり出てくるだろう。 来週月曜日、また面接だ。今度はなんとかしたい。
2006.01.20
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残念ながら今日は高見盛は負けてしまった。泣き出さんばかりの表情をしながら、がっくり肩を落として帰っていった。残念。でも明日があるさ。 相撲をよく見始めたのは、2,3年くらい前からだろうか。その頃に高見盛が横綱朝青龍に勝って、そのときから相撲を結構見るようになった。高見盛の取り組みは勝っても負けても大歓声があがる。人気はダントツ横綱級だ。 テレビでたまに見るが、土俵と控え室の間の通路に柱があって、そこには張り紙がしてあるときがある。張り紙には墨で “鉄砲禁止” と書いてある。 鉄砲禁止、なかなかいいタイトルだ。たぶん過去に柱に鉄砲を打って柱を壊してしまった力士がいるのだろう。それだけ力士の鉄砲は強烈なのだろう。もっと厳しく“鉄砲厳禁”と書いてある時もある。 浅草あたりの相撲関連の店に行けば、“鉄砲禁止”のステッカーは売ってありそうな感じもするが。車の後あたりに張ってみたい気もする。 車よりどこかの国の大統領や将軍様のおでこに貼り付けるのもいいかも。マイケル・ムーア監督あたりがやってくれれば面白いのにと思う。
2006.01.19
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ジョギングを始めたのは3,4年前からだろうか。その時はほとんど家に引きこもっていた状態で精神的にも肉体的にもかなり弱っていた。雑誌の記事がきっかけになって、体力アップのために走り始めたと思う。 しばらくしてゆっくりとしたスピードだったら10km位を休まずに走れるようになった。最初に10km走ったときは妙にうれしかった。オリンピックのマラソン選手にでもなったような気分だった。自分のような運動が苦手な人間にもできることがわかってうれしかった。 ある朝走っていると、腹の調子がおかしくなってきた。まだ家から2,3km離れている。そのまま走っていると良くなってきたが、しばらくするとまた強烈な便意の波がやってきた。波は3回ほど通り過ぎた。 4回目が来た時、こりゃどこかでやるしかないなと思い、周りを観察しながらそれでも走っていた。運良く木が茂っている藪みたいなのがあったので、そこに入って大急ぎで用を足した。至福の時だった(プロジェクトX風)。最悪の事態はなんとか回避できた。 こういうことが走り初めてから3回くらいあったと思う。今は走る前にできるだけトイレに行くようにしている。 走ることによって、持久力は前よりも少しついたかなとは思う。精神的にはどうだろうか。走った直後は気持ちはいい。気分転換にはなるかな。 競争じゃなく自分のペースでやるのが一番いいんだろう。
2006.01.18
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少し前に親戚のおじさんから聞いたが、ぼくが赤ん坊のころに最初にしゃべった言葉は“じゅう”だったらしい。普通は“まあ”とか“だあ”とかだろうが、誰かの真似でもしたのだろうか。 “じゅう”という言葉を周りの人たちは、数字の10と受け取ったらしい。そこでいろいろ楽しんだようだ。 “7たす3は?”、“じゅう!!” “1000ひく990は?”、“じゅう!!” ちょっとした天才数学赤ちゃんの登場だ。即座に答えを出す。 “一億ひく九千九百九十九万九千九百九十は?”、“じゅう!!” どんなに難解な数学や高等物理の問題でも解いてしまう。ただし答えが10の場合に制限されるが。周りの人たちは面白がっていたが、これを見た何も分からない僕は調子に乗ってなんでもかんでも“じゅう”“じゅう”言っていたらしい。 大人になってからはこんなに喜ばれたことはほとんどない。やっぱり赤ん坊は偉大だ。
2006.01.16
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