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記憶力は年々衰える。というのは、記憶量が年々蓄積されているからだと思う。昔の事やいらない記憶は消去できればいいのだがそういうわけにもいかない。私の脳は年々重たいマシーンになっていく。(忘れたい事ほどなぜかよく思い出す)
January 30, 2005
自分で自分に嘘をつくことがある。これは精神を安定させるのに役に立つ。これができない人は不幸である。しかしここで感じるのは、嘘をついている自分とそれを聞いている自分がいるということだ。ものを考えるとき自分で自分に語りかけている。そこで納得したり納得しなかったら言い直したりする。私は私のなかの「何か」に絶えず語りかけている。「私」が言葉で構成されているというのは誤りである。「私」のなかで「私」の言葉に審判を下す何かがひそんでいるのである。すなわちフロイトのいうエスである。なにかわからないものだからエス(=何か)としか名付けようがなかったのである。言葉をもたない内なる赤子である。このエスとのつきあいかたが人生における最重要の人間関係である。(本当にわがままなやつである)
January 29, 2005
なんだかうまく言えないが、自分のなかの価値観が変わっていく感じがする。トシのせいなのか環境のせいなのか。変わりゆくものに対しては身を任せる主義なのでほっておくことにする。(特にしがみつきたいものもないのである)
January 28, 2005
セックスとジェンダー。生物学的性と社会的性である。しかし最近のフェミニストは「セックスもすでにジェンダーである」といっているらしい。そして「『区別』は最悪の『差別』である」とも。フェミニストたちは社会がどうなれば気が済むのだろう。今の社会は男のものである。女性の社会進出は女性の男性化という意味しかもたない。男女平等とは女が男になることである。社会とは男性格のジェンダーである。社会というニュアンスは「男の大人」のイメージで構成されているのである。そしてその男の自然発生的社会的優位は現に機能してしまっているのである。既得権益にはしがみつきたいものである。今やジェンダーフリーはバリアフリーと並んで全国の自治体の必須課題である。小学校から積極的に取り組んでいるそうである。出席簿の男女別の廃止、トイレの男女別廃止、男子は「青」女子は「赤」など男は「強い」女は「かわいい」というようなイメージの廃止等だそうだ。これはこれ全体主義的な匂いがするが学校教育など所詮は全体主義である。しかしこれでは20年後にはイメージとしてのセックスが消滅するんじゃないか?少子化どころの騒ぎではないんじゃないか、と、感じてしまう。現代人は異性とセックスしているのではなくて異性というイメージとセックスしているからである。とにかく社会運動としてのフェミニズムには違和感がある。しかし学問としてのフェミニズムにはなかなか興味はある。階級対立が意識されなくなった昨今、はっきりとした「対立構造」で「闘って」いるのはフェミニズムのみであるから、である。上野千鶴子によるとフェミニズムのキーワードは「女性兵士」だそうだ。「女性」という存在と「兵士」という存在が同時に内在化することの分析だそうだ。それはそれ、おもしろそうである。
January 27, 2005
書を捨て街にでよう。と、思う。そういう時期である。しかたがない。書というのは一般的出版物のことではない。街といっても場所の問題ではない。そういうことでは一切ないが、書評である。「探求1」柄谷行人あとがきにはこう書いてある。「私は、私の真意が伝えられることを期待していない。そんなものはありえないのだから」本書は「他者」にたいする考察の評論集である。その内容は上の1文がすべてである。(といっても過言ではない)コミニュケーションにおいて「私の意味するところ」というものは本当にあるのだろうか?と、いうような事である。「東大で上の千鶴子にケンカを学ぶ」遥洋子遥洋子というタレントが東大で「知は力なり」を実感したというエッセイである。これは女性にはおすすめしたいがあまり身近な女性にはすすめたくない本である。とくに巻末の「ケンカに勝つ10箇条」などは・・・。(ただジェンダーというのはのりこえが可能なのだろうか?)
January 26, 2005
職人的技能の数値化という作業が製造業の現場で推進されている。「カン」や「コツ」を因数分解する作業である。数値化することによって誰にでも(機械でも)職人の技がふるえるようにするためである。鏡面研磨などもその部類である。金属を磨いてその表面を鏡のようにツルツルにする技術である。ある素材にたいして、ある圧力ある速度ある角度である材質のものを押し付けると金属の表面が鏡面状になるのである。(もちろん、ある製造コストで)そして難しいのは、「鏡面である」とか「ない」とかいうのは機械にはわからないのである。表面の凸凹は測定できるが、それが「鏡のようにツルツル」かどうかは人間の目でしか判断できない。今日はその鏡面研磨の設備が、いきなり鏡面を作らなくなった。原因は不明である。そして延々10時間にわたって、圧力や角度、研磨スピードを調整するはめになった。そして10時間後、偶然なおった。意外な盲点ではあったが、私も1歩職人に近づいた感じがした。しかしこれは数値化などとてもできない。
January 25, 2005
今夜はすき焼きであった。帰りが遅かった私は残った肉をたらふく食べた。こんなに肉を食べたのは久しぶりである。一説によると人間は人間を食べるのが一番効率的だそうである。人間を構成する栄養素を一通り摂取できるからだそうだ。まあ、たしかにそうだが、それはないだろ、と思いながら牛肉をつめこんだのであった。(牛は牛食って病気になったし)
January 24, 2005
昨日ラジオを聞いていたら、日本大好きイタリア人が京都の八坂神社のあたりの良さを語っていた。そういえば昔、京都のタバコ屋で髭もじゃの白人のバックパッカーがものすごくきれいなひらがなを書いていたのを見たことがある。日本の良さというのはやはり京都に代表されるのだろうか。海外にいくとやたら着物を着る日本人がいる。ただそんなものは過去のものである。そんなものを誇って何になるというのだろう。着物という生活習慣は過去の日本にはそれしかなかったものであり、歴史的に捨て去っていったものである。支配的な民族が民族性を発揮することは被支配民族に対する抑圧行為だといわれることもあるが、それは違うとは思う。ただ、それが外観を繕うだけだとしたらやらないほうがましである。欧米に対するコンプレックスが丸見えだからである。むしろ、民族性というものは民族が歴史的につちかってきた内面性(美意識とか道徳観)のことではないだろうか。(日本人は優しいとか、礼儀正しいとか)というのは日本に働きに来ているブラジル人が「日本に住みたいブラジル人なんているはずがない」と言っていたのを思いだしたのである。生活水準が同じくらいの国の人間で古代文化ヲタク以外の外国人を引きつける要素が今の日本や日本人にあるだろうか?
January 23, 2005
エロティシズムは動物的性欲とは無縁である。というのは、バタイユの分析である。彼は続いて、エロティシズムとは禁忌(タブー)の破壊への誘惑であると述べている。代表的なタブーとして「死」と「セックス」をあげている。とくにセックスのタブー化は人間的労働の誕生とともに発生したという。セックスしているひまがあったら働け、ということである。つまり、性欲によってエロティシズムが生まれるのではなくタブーの破壊行為によってそれは生まれるというのである。セックスがタブーであったがゆえに、性欲とエロティシズムが結びつけられていたということである。しかし、最近は実際的行為としてではないがイメージとしてのセックスはもはやタブーの印象はない。(実際的行為としてもどうか)それ故、短絡的で想像力に欠ける人たちにとってはエロティシズムを感じるにはより強いタブーが必要となってきているのだと思う。幼女殺害の被告をみて、思ったことである。
January 21, 2005
とある宗教のリーフレットを熟読する。リーフレットは2部あって、1つは「地球が危ない」1つは「宗教は人類を1つにできるか」という主旨のものである。「地球が危ない」のほうは「よく手入れされた庭園」を「あるべき姿」にたとえて、地球も手入れが大切だと言っている。「人類を1つにできるか」は、原始キリスト教が多言語多民族を1つにまとめていたことを現代において成せばよい、というようなことが書いてある。庭園のような人工の自然が「あるべき姿」なのか?とか、他宗教も1つにできるのか?等疑問はつきないが、もっと知りたい方は本部に連絡下さいとのことである。とにかく感じるのは、現代文明は宗教につけいる隙をあたえすぎているということである。(環境問題や戦争、自殺、凶悪犯罪等)それは、近代的理性の限界なのか、宗教の必然性なのかは不明であるが。
January 20, 2005
話すということは聞くことである。自分の話を聞くことである。男性脳は人の話を聞かないというが、自分の話したことぐらいは聞いていてほしいものである。(私も含めて)
January 19, 2005
「ひとは悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」というような言葉があるが、やはり悲しいときは泣きたくなるものである。泣きたいときに泣けないのは大人にとって大きなストレスのもとになるそうである。大人は泣けないのである。仕事で失敗したときなど、いっそ、その場で泣いてしまえれば楽だと思う。と、いうような事を、上司に怒鳴られて青い顔の同僚を見てふと考えた。(他人事なので)
January 18, 2005
インクの臭いが便意を促進するというのは本当である。先日、24時間心電図を計った、というのは日記にも書いたが、その測定器を24時間装着していた都合上24時間シャツをズボンのなかに入れられなかった。寒天の下、私の腹部は保温がままならなかったのである。その測定器をはずした病院からの帰り、大きな本屋に入った。半日有給を取った私は、何か本を買ってその本屋に隣接したファミレスで昼食を取るつもりであった。ゆっくり読書でもして、ゆっくり昼食をとる、というたまたま訪れた優雅な平日の半休を楽しもうというプランであった。時刻にして11時であった。その優雅なプランは書店に入ってものの2分で急変した。ゆっくり本を選ぶという選択肢が消滅したのである。(便意の襲来)広い店内見渡してみても、WCの表示は、どこにも、無い。確かに、隣のファミレスには、ある。(ないはずがない)が、ここにきて手ぶらでは入りたくない。本屋にトイレが無いのはパチンコ屋に景品交換所が無いのといっしょである。出玉をかかえて右往左往するしかないのである。義務づけるべきである。判断能力が著しく低下した私が購入したのは「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」であった。以外と面白かったのでファミレスでの私は優雅であった。
January 14, 2005
著者はサル学者である。その著者が仕事で渋谷に行くことが増えて、そこで見聞した10代の男女の「生態」に衝撃を受けたそうだ。その衝撃を自らの専門に照らし合わせて、つまり現代の10代の日本人を「新種のサル」として研究したのが、本書である。と、書くといかにも面白そうだが、中身はたいしたことはない。学者が本を出すんだから、もっとちゃんとやれよ、という感じである。とても、真剣に研究しているとは思えない。現代社会にたいする論考の切り口は紋切り調で、「サル学」との連関もあいまいである。おまけに、取ったデータが25人とか6人とかではとても信じるに値しない。どうも、現代人はサル化しているらしい、というのをニホンザルの社会にひきつけて考察している。つまりは、公共性の希薄化である。(ニホンザルの社会はいわばひとつの家族であり、公共性というものはないんだそうだ)その原因として欧米にくらべて「特殊な」日本の子育てを論じている。この何かしら欧米が無批判的に優れているというような論調はどうか?と思う。(はっきりいって、嫌いである)(むしろ犯罪などは欧米化が危惧されている)まあ、とにかく小手先で仕上げてしまった著作であるという感はぬぐえないが、売れているそうだ。
January 13, 2005
鼓膜の厚さというのは皆同じであろうか?この間上司が「正月に鼻をかんで以来、右の耳が聞こえにくい」といっていた。「そりゃあ、鼓膜が弱いんですよ」と言いかけて、ふと思った。(鼓膜が弱い)→(鼓膜が薄い)鼓膜の厚さに個人差があったら、音楽の客観性など存在しないのではないか?私の聞く「ド」があなたの聞く「レ」でないことは証明しようがないことである。(同じことは色覚にもいえる・・・前の日記にも書いたが)実はこの間読んだ脳科学の本と数学の本は、その意味ではリンクしていたのである。「主観と客観」の問題である。脳科学者、茂木健一郎は完全1リットル主義(1リットル=脳の容積)で、いわゆる客観的実在というものは脳内に生じた「仮想」である、と論じている。かたや、ゲーテルは人間精神とは独立した「数学的実在」(客観的実在)の存在を論じ、同時に人間機械論には頑として反対している。人間機械論とは、人間は物質的な脳にあやつられる機械である、というような考えのこと。(この考えにおいては人間はインプットーアウトプットマシーンであり、インプットされたもの以上のものはアウトプットできない)確かに、目の前にコップがあって誰もがそれをコップと言うのに、それをコップだと信じて良いのか悩むのは実利的とは言えない。(コップではなく「正義」とか「愛」であれば説得力があるが、そういう問題ではない)実利を求めるなら、せっせと残業でもしたほうが良いのである。
January 12, 2005
心臓に疾患など無いほうが良い。それは当たり前なのだが、少しは異常がないとカッコつかないかな、とも思う。現在24時間の心電図を計測中である。
January 11, 2005
ある男が言った「私は嘘つきである」この発言の真偽は?ゲーテル命題というものを簡単に言うとこうなる。(と思う)数学というものはある程度以上高度になると人間生活にとってほとんど無意味になる。上の命題なども言葉遊びでよく聞く言い回しである。上の命題には答えがない。よく考えれば誰でもわかるが、それが何故かわかるだろうか?本書は人類の世界観を一変させたといわれる「不完全性定理」の簡単?な解説から天才ゲーテルの人生、ゲーテルによる神の存在証明まで、わからないながらもなかなか読ませる。(私の読解力が不完全かも)ところで、「弓状筋肉の収縮状態における構造的並立」とは何かわかるだろうか?答えは「キス」である。冒頭にこの文がなかったらこの本は買わなかっただろうな、とは思う。
January 10, 2005
アルフレッド タルスキーという論理学者がいたそうである。彼は言語を対象を指示する「対象言語」と対象言語を指示する「メタ言語」とに分類した。すなわち、「これはリンゴである」というのは対象言語である。そして、「『これはリンゴである』という命題は真である」というのはメタ言語である。さらに、メタ言語を指示するにはさらに高次のメタ-メタ言語が必要になる、というのである。次元が上がるほどメタメタになるというのは・・・。ただ、それだけのハナシだが。
January 9, 2005
「人のセックスを笑うな」今日は出前のピザが込んでいて配達まで70分かかるという。ピザ屋に電話してから読み始めて、くる前に読み終わった。(40分)格闘技に秒殺というのがあるが、これは「秒読」である。19歳の男と39歳の女の「純愛」が男のモノローグで語られている。中年女の崩れたところを「かわいい」と感じる主人公が、とても「かわいい」。フザけたペンネームもふくめ、次作以降もおおいに期待したい。(田中康夫が絶賛していたが、それにどういう価値があるのかはわからない)「博士の愛した数式」「第1回本屋大賞」受賞作である。「第1回」というのも微妙だが、「本屋大賞」というのも微妙である。どうも、書店員が選んだ賞らしいのだが・・・。内容はといえば、これはおもしろい。全盛期の山田太一のドラマを彷彿させる。ただ、年末に読んだ「フェルマーの最終定理」に相当カブる。おまけに、映画「メメント」にも・・・。実をいうと、「フェルマー」のエッセンスを「メメント」の構成にあてはめ、山田太一風にまとめた、というのが率直な感想である。しかし、まあ、やったもん勝ちってことで・・・。「フェルマー」と「メメント」を読んだり見たりしていない方にはオススメである。(「フェルマー」はともかく、「メメント」を見て感動したり、やられた、と思った人には薦められない)ついでにいうと、本作は「読売文学賞」も受賞している。(映画化もされるらしい)最新作「ブラフマンの埋葬」は泉鏡花賞を受賞したそうである。「注目の作家」では、ある。
January 6, 2005
「ある」から「みる」のか「みる」から「ある」のか主観と客観の問題は決着のつきようがない問題である。しかしながら、科学技術は「ある」ことを前提に発達してきたし、そのことによって何の不都合も無い。そして、人間の主観は「随伴現象」としてその存在を無視されてきたのである。本書はその「主客論争」に「仮想」という概念で挑戦しようとする心意気は感じる。(冒頭部は)ただ、論点はさまざまに移りかわって、何か脳科学者が書いたエッセイのようなものになってしまっている。どうも、本書において何かを証明する気はないようである。だ、けれども、脳の話はやっぱりおもしろい。本書もカントや夏目漱石、ワーグナーなど引き合いにださず、もっと脳内現象について語ってほしかった。
January 5, 2005
みなさんは電気の音というのを聞いたことがあるだろうか?蛍光灯などに耳を近づけるとかすかに聞こえる「ブーン」という音である。私は7年ほど前、最大音量で聞いたことがある。200V電源に感電したのである。右手と左手の間をみごとに通電させたのである。そうなると、体は完璧に硬直する。鳥肌が立つときのざわざわっとした感じが1000倍程スケールアップしたものが両腕を駆け回る。右手に握った電源部を放そうとしても何故か握る力が増すばかりである。舌が口から飛び出してくる。「ア」と「エ」の中間の叫び声が自然とでる。目の前は完全に真っ暗になる。そのとき、聞こえるのが「電気の音」である。実はもうこの音しか聞こえないというほうが正しい。頭の中は「死にたくない」という思いでいっぱいになる。何かの映画で何をやっても口を割らない男に最後に出てきた拷問が電気拷問であった。これは確かに苦しい。それも何と表現したらいいのかわからない苦しみである。(1000倍の鳥肌と言ってもわからないだろう)この未知の感覚はそれだけで恐怖をあおるものである。昨年末の瀕死体験(臨死まではいたらなかった)の後ふと思い出した体験である。この時もやはり「死にたくない」と強く思ったものである。幸いこの感電時には後ろに倒れたおかげで左手が通電部から離れて大事にはいたらなかった。(気がついたら床にたおれていた)→(前に倒れたらやばかったと思う)そしてなぜか、ひどかった肩こりがこのときを境に完治した。追記インド洋周辺では多くのひとが「死にたくない」と願いながらその願いを剥奪されている。2度と繰り返されないことを祈る。合掌。
January 4, 2005
短い本で言ってることは簡潔なのだが結構難しい。かいつまんで言うと以下のごとしである。心の発生 核酸の発生→細胞の発生→個体の発生→神経の発生→記憶の発生→心の発生休日に楽しんで読書をするための書とはとても言い難いが、こんな本を読めるのも長期休暇ならではである。心がはたらく場としての世界の入れ子構造というのもある。物質世界→生物世界→心の世界(ひらたく言うと後者が前者に寄生している)そして世界が世界として成立するためには次の4つの要請を満たしていることが求められる。特異点 それ以前にさかのぼれないある1点基本要素 その体系の最小の要素基本原理 証明することができない基本中の基本の原理(公理)自己展開 基本原理が基本原則に則って変化をするときの法則それを各世界にあてはめると物質世界特異点 ビックバン基本要素 素粒子基本原理 物質とエネルギーの不変則自己展開 エントロピー増大則生物世界特異点 核酸の出現基本要素 遺伝子基本原理 自己複製自己展開 自然淘汰心の世界特異点 統覚の出現基本要素 表象基本原理 自己回帰自己展開 意志の自由と、いうことである。ちなみに、エントロピーとは無秩序の量的単位である。物質はほっておけば秩序的なものから無秩序に変化するのに対し、生物の営みはその逆である。体内において必死に秩序をつくりだしているのである。冷厳なる物理法則に対してけなげなものである。本書では、その他記憶の発生による時間、空間の発生、他者の発生、社会の発生、はては生物世界の自然淘汰則に相当する心の世界の規範則の探求等、200ページそこそこの本にしてはその展開が多岐にわたっている。教科書的知識を身につけたい方にはおすすめである。(実際、読後感としては生物の教科書を読破した感がある)ちなみに、やたら発生の証明が多いのは著者が発生学の教授だからである。と、思う。
January 3, 2005
唐突であるが、今年のテーマは「人にやさしく」にしてみたいと思う。とかく殺伐とした世の中である。即物的利益を生まない「やさしさ」はむしろ現代社会においてはハンディキャップと化している。「やさしい」が故に詐欺にあったり、ストーカーに殺されたりしているのである。適者生存の論理からいえば「やさしい人」はあと50年もすれば絶滅するんじゃないかと思う。絶滅危惧種である。ついでにいうと、私の人生のテーマは「ラブ&ピース」である。
January 1, 2005
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