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週休3日状態。また週の半分は徹夜という全くもってまともな状態でなかった日々。兎に角「まともじゃない!」【私の口癖】更には委託先には親身に指導しても、はいはいと聞いているが改善の兆しなし。ん~ん~ん~ん~ん~ん~ん~もうこれは自分で縫製工場つくりしかない!!出した答えはコレだった。いよいよ縫製工場立ち上げるぞ!!小さな小さな工場でいい。ということでまた前に一歩前進した。しかし、実はこれが長く辛い戦いのスタートであった。名前は上海笑子服飾有限公司(上海エコ)笑う子と書いてエコ実は弊社の子会社にエコベビー株式会社というところからとった。この名前実は8番目の候補で、全て7番目まで希望していたものは埋まっていた。この時期は既に今から4年半前です。ここからの戦いの方が非常に厳しかった。また改めて上海エコ物語は書いていきたい。上海物語これにて一度終了!
2009年04月30日
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いつも泥酔してしまう私なので他人事ではなかった。お酒の失敗は数え切れない。学生から社会人になる時に一度は気にしたことはある。しかしほとんど学生の時と変わらない飲み方をしている。時々思う。お酒の呑めない体ならどうだったろうって。何杯か飲むと眠くなったり、受け付けなくなったりの体なら・・・・。私の場合は飲めてしまう。どこまでも飲めてしまう。そうなると記憶が飛んでしまう。それでなんど翌日自己嫌悪におちていることであろう。楽しいお酒の呑み方ができる男になりたい。30歳を過ぎてから、結構切実な問題である。だれか私に大人の酒の飲み方を教えてください。
2009年04月24日
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前回の上海物語中盤2さ~賃金問題に関してはとりあえず、考え方を変えて実行することによりその後の退職要請は減った。それよりも辞めさせないでください。という事をいってくる人もでてきた。さ~検品検品!!頑張るぞ!!!ところが、検品工場を稼動させてしばらくたって、問題が更に同時期にいくつも押し寄せた。それは、中国生産は完全委託生産であり、問題は検品で食い止めることが一つの目的ではあるが、最大の目的は不良品を作らないこと。ということで、たまたま委託先の工場の一部を借りて検品していたので勿論、不良品が発生する度に、委託先の工場に返品して、指導をして、こちらが出来る範囲のことはしていた。それによりこの工場の技術や管理レベルがあがれば・・・と思いながら、弊社の管理技術の流出だな~とも思いながら、でも目先の事を考えてしまい指導していた。しかし、そんな気持ちを完全に無視して、委託先工場は我々の存在が非常に邪魔に感じてきたのである。更に、日本の弊社では一枚流しといって、TSS方式(トヨタ生産方式)を採用しているため、毎日完成品が必ずあがるが、大量生産方式を基本的にとる中国生産は仕掛かり在庫が多く、完成品がUPする時は一度に大量に商品が完成する。そうなると我が検品工場は一週間のうち、3日のみ仕事がありそれはSHIP(船)のスケジュール的にも厳しいので徹夜、そして、残り3日は全く仕事作業がないという状態。なんだか、そんな仕事をしていて2ヶ月も3ヶ月もしていると馬鹿馬鹿しくなってきた。技術管理の流出とわかりながらも、委託先に色々提供して嫌われて非協力的、挙句の果てには嫌がらせまで受け、仕事は週3日の徹夜作業ん~これでいいのか?本当にいいのか?次の大きな悩みが生まれてきた。一言でいうと「もったいない!」と思った。しかししかし、さて、どうすればいい?明日に続く
2009年04月21日
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さて、少し光が見えたところで『私辞めたいです』と連続していってきた。理由は?と聞くと非常に単純「他にもっと給与のいい職場が見つかったということ」なに~~~!!!もういい、勝手にしやがれ!という気持ちで、では、もう一名理由は「給与のいい職場がみつっかた・・・」私は「は~」と同時にもう一言「どれくらいいいのか?」「50元」・・・50元といえば750円程度である。この差で、今まで何ヶ月か教えてきたことが無駄になる・・・・私はショックを隠しきれなかった。ドンちゃんはこれが中国人だよ。と中国人が中国人だよ。といわれてしまってはなんとも返す言葉がない。が・・・・さて大ちゃんどうする?この2名は去っていきました。本当にこれでいいのか?ここで私はちょっとしたことに気付きました。賃金や労務はしっかりしなければならない。勿論労務関係を勉強している私ではない。今自分が思うこと考えられることをやってみよう!「少数精鋭」でなければならない。この少数精鋭の考えは、一人が二人分働き二人分の稼ぎを一人が得る。そうすれば労使共にHAPPYである。中小零細企業はこうして勝ち残っていかねばならない。なお更中国では50元であっちの工場がいい。こっちの工場がいい。となっているんだ。正直当初の給与は一般的なローカル工場の平均だろうという給与設定をしていた。確かに安い。しかし給与を安く設定する必要はない。むしろ給与を高くしよう!そしてその給与に見合う働きをする人間のみ残っていくような仕組みにしていけばいい。そうすれば募集も集まりやすくなるし、モチベーションも高くなる。これによりもう一つ私の中で気付いたことがあった。それはよく解からないが、辞めてもらっては困る。働いていただいている。という気持ちが異常に大きかったことである。この逆も困ったものだろうがこれまた困ったことであった。なんとか目先の業務を円滑にしたい為だけに辞めてもらっては困るという考えが先になっていた。何かマンマと踊らされていたことに気付いた。50元であっちこっちへと。私の気持ちもあっちこっちへと・・・・こんなことに振り回されていてはいかん!身が持たん!今後がない!思いきって、発想の転換。辞めたい人は辞めればいい。しかし辞めたくないという職場を作ろう。まずは少数精鋭の自分の理論に合わせて。給与を高くして、自分の姿勢を変えた・・・そうなると何が変わったか?まず自分が変わったことに気付いた。結構ド~~~ンとしてられるようになった。なぜ?不思議な感覚になったことを覚えている。しかし、ココは考え方をガラッと変えて
2009年04月20日
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上海物語は少しお休みしまして、実は水曜日より我が家に一人、居候がいます。はるばる、奄美大島の離島、加計呂麻(カケロマ)島から東京に遊びにきています。結構勘違いしている人も多いのですが、奄美は鹿児島県なのです(沖縄)ではありません。私はこの奄美大島のカケロマ島とはちょっとしたご縁があります。ま~それはまた別の機会にとして、この居候くん来週の木曜頃まで我が家にいます。ま~一週間くらいですね。今日も私が出勤した後、お目覚めになりまして、嫁の作った朝ごはんを食べテレビを見て、いっぷくして、じゃ~渋谷に買い物にいってきますと出発したということ。いや~最高の生活です。でもなぜか憎めない、本当に魅力的な奴なのです。とりあえず基本的に来週も暇していますので是非この島ッ子と飲みたいという方がいればご連絡ください。「THE 自由」あなたの価値観を変えるほどの力を持っています。カケロマの王子【趣味サーフィンと漁】
2009年04月17日
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さて、検品場を確保しやる気満々でスタート。弊社東京での検品方法を参考に、色々とルール作り、希望に燃えてというか、それよりも念願の「マンションから脱出!!」の方がうれしかった。とりあえず自分で一歩踏み出したぞ!ということがうれしかったのを覚えている。さ~小さな小さなミニラオパンの誕生。給料を決めルールを決め、必需品をそろえと全てが初体験。しかも良くわからない異国でのミニラオパン。最初の問題は予期せぬところから持ちあがった。それは「トイレ」だ!!従業員がスタート時結局中国人4名と私と嫁さんです。従業員トイレは初日から「ボコボコ」と臭いにおいが!!!紙が詰まったのである。トイレットペーパーを流す習慣の無い中国。基本的にはトイレにゴミ箱があり、そこに捨てる習慣である。それが嫌でルールに「ちゃんと紙はトイレに流す」としたが、大量に流したらしい・・・・。初めての仕事はトイレ処理とはなんとも・・・・ここから実際の業務「検品」以外の問題が次々と勃発していくのであった。その中でもやはり言葉でいうと簡単ではあるが「考え方とか文化」の違いのギャップに結構悩まされた。すぐ我々島国日本人は中国人はこうだ!とか思ってしまう。中国人だから、中国はまったくとその言葉を発してしまう。でも私は他の人よりは結構早くに気付いていた。それは「中国人だから・・・・なんだ」っていって一体何が解決するのか?皆、人間、嬉しい時は喜ぶし、悲しい時は泣く。何も我々と変わらない。ただ違うところはその「幅」が大きいか小さいかの違いなんだということ。しかしながら私はそう思っていても、逆に反対は難しかった。あいつは日本人だからこう言うんだ!と結構な決め付け・・・・でもそれも理解できた。普通はそう思うよな。私は元専門学校で教師を3年間していた授業だけではなく、担任も3年間で4クラス持っていた。その経験は結構役にたった。(たっている)それはどんな難しい子でも「共有」できれば「おもしろければ」「感動できれば」かならず解かりあえるということ。一緒に検品台に向かい、残業も一緒にして、一緒にご飯を食べる。何よりも検品作業を一緒にする。出荷作業を一緒にやるというか率先してやる。同じ空間で同じ業務を共有する。そういうことで互いに信頼関係が生まれ少しづつそれは結果として纏まりができてきた。なぜか日本人は中国人を理由はわからないが上下でいうと下にみてしまっている人が非常に多い。これがアメリカ人やフランス人だと逆で日本人は自分達より上に見てしまう。特に意識しているわけではないが、そういう傾向がある。でもこれがいけないのである。私が偉そうに語れる事ではないが、中国人も日本人もアメリカ人もフランス人も関係なく、結局は「その人」なのだ。日本人にも中国人にも頑固な人もいるし、超ポジティブな人、ネガティブな人も、厳しい人も優しい人も良い人も悪い人もいる。だから日本人だからこうだなんてことは言えないし、中国人だからこうだとかもない。これが中国と係わっていく日本人に大切な考え方ではないであろうか?といっても、これだけでは解決できない問題は結構あった。さ~検品検品と・・・「しかしまた問題である」折角こうやって理解できてきた関係だったが検品所解説2ヶ月で「私辞めたいです・・・・」おっとそして連続して「私も・・・」なんで!!!!(明日に続く)
2009年04月15日
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上海駐在半年が過ぎ、実態が見えてきた。といっても今考えれば氷山の一角程度であったが、その当時は大きな問題と感じていた。それは日本に不良品が入ってきているということだ。その当時まだ中国でベビー服の社外検品工場はホルマリン規制の壁を越えられず、全て日本に輸入した後、弊社東京本社で全量検品を実施していた。東京では不良品が見つかっても、中国に送り返すという時間もコストもかけられず、結局弊社内、もしくは栃木工場でお直しをするという手段で対応していた。「中国のものは中国で完結しよう!」ということで「検品を小倉メリヤスの目で中国でしよう」「不良品を日本にいれるな!」ということで検品所をスタートしようということにしました。私はこの小さなマンションから脱出できるうれしさと、とりあえず、一歩踏み出せそうだという期待感に胸が膨らみました。しかし!!「場所は」「人は」「法人設立?」「許可等どうすれば?」全く解からない!!前述したドンも縫製工員スタートでまた彼女は瀋陽の人間全く、この辺に関しての知識は無く、とりあえず委託先の工場の人に相談をしました。が!!委託先の工場にとって、中国で不良品を指摘されて、お直し等を今まで自分達がしていなかったことを今後しなければならないとなれば基本的には反対しかし、彼らにとって弊社は「客」ノラリクラリの対応で正直あ~こりゃこのままでは相当時間を費やして、結局できないですね。という形になりそうだと直感しました。私は考えました。異国の地で「解からないから」「知らないから」と超消極的になっている自分のこの姿で交渉していてもきっと予想した結果になってしまう。もう後は、「熱意」しかない!!こいつらが「ま~ま~大典さん落ち着いて」といわれるような『猛烈な熱意』は世界共通だろう!!と思いました。この時、私は異国に来て初めて、この仕事に入って初めて何か少し吹っ切れた気がしました。熱意は伝わったというか押し切ったj形でとりあえず、委託先の工場で従業員の採用と場所の確保の交渉をして、基本的にこの従業員の採用から全てを弊社が実質管理をするということで検品工場をスタートする準備は整いました。場所も内装して、多少の設備も用意しました。さてさて、忘れていましたが、この検品工場設立に対して弊社日本での感触は・・・・社長は「ふ~ん解かった」と・・・おいおいなんかこっちの期待していた反応と違うぞ!「ま~頑張ってやってみるや」ってそれだけ!!日本本社の反応は正直私のこの半年間の思いや熱意とはかなりの差があり、ギャップを感じてしまい、ここからもうひとつの戦い「孤立」との戦いが始まったのです。大体海外に単独赴任、少数赴任している人の現地の人の悩みは「日本本社が理解をしてくれない」ということです。最初は孤立感に襲われますが、これが段々敵対心にも変化していく不思議なものなのです。後継者の私がこうなったら「the END 」と強く思いながらもこの恐ろしいほどの孤立感が今後僕のもう一つの大きな敵になってきてしまいました。
2009年04月14日
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さ~続きは明日といってから何日たったでしょうか?では改めまして上海駐在3ヶ月マンションの一室でスネオになっていた私ですが、その間にしていたことは「どうしたらこのマンションをでれるか?」ということばっかり考えていました。しかし!!知っている人はほぼいない、業界に入って4ヶ月、業界のこともわからない。中国人のツテもない。もちろん言葉はわからない。「さ~どうする」ということでこういうときは公的機関へ!!JETRO上海にアポイントをとりいきました。さすがJETROすごい立派なビルに入っていました。担当者の方がでてきて、私は今の悩みをさ~ぶちまけってやりました。熱く熱く熱く!!しかし、返答は冷静に「で!何がしたいんですか?」「今のままでいいじゃないんですか?」お!!!!以外な回答!確かにごもっとも、私はマンションを出たいというだけで、何をしたらいいかなどは考えていなかった。委託先ともとりあえずは生産ができている。ん~「じゃあ日本に帰ろう!」っていくわけ出来ないし・・・・・もう少し話を進めてみると、じゃ兎に角何かするのであれば法人を設立しないとね・・・そうですか、それじゃそうしましょう!!ま~3000万くらいはかかりますね。おいおい、軽く言わないでください。・・・でなおします。ということで一度出直すことにしました。人脈もない私にとっては、本当にこれはヤバイ。とやっとここで自分のおかれている立場が理解できました。それは何か?ポイントを整理します。1会社から何をする為に、上海に駐在するのか?という目的が無い2その目的を見つけなければならなかった3という前に今何が問題点なのかをしっかりと理解する必要があったそれから、また更に3ヶ月間、とりあえず、委託先の工場のところに通いながら、連絡係をとりあえず続けた。しかし、この3ヶ月間は私はただのスネオではなく、メラメラとしていたことを覚えている。そして上海駐在半年が過ぎた頃、やっと一歩目のアクションを起こすことができた。
2009年04月13日
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ブログをサボってしまいました。今日からまた再開?
2009年04月13日
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今週月曜日より、上海工場の工場長が来日しております。弊社の上海工場長は「中国人・女性」であります。年齢は私と同じ年です。名前は張冬(ちょうとう)といいます。中国語で冬は「ドン」というので弊社内では「ドンちゃん」です。相当昔になりますが、彼女は日本に研修生として来日して、そこから、社長がこの子は何か普通の人とは違う!!ということで、研修が終わっても中国に戻っても一緒に仕事をしようということでもう長い付き合いになる。とりあえず、何よりも一生懸命さは今の日本人が忘れているほど、すさまじい。6年前私は嫁さんと二人で上海に渡り、「ドン」と三人で小さなマンションの一室で弊社の上海連絡事務所としてスタートした。私は前の職場を辞めて3ヶ月しか経っていなく、新婚1ヶ月。当初は2年の駐在の約束で(結果3年になってしまったが)仕事の目的も社長より伝えられず、「ま~兎に角自分で何かみつけてこい」ということで上海に渡った。こちらも出発前は長い新婚旅行とでも思っていた。が・・・・・・・一番の問題は「何をすればいいんだ!!!」ということであった。当初弊社の中国生産はスタートしていていた、しかし全て現地の日本語が通じる工場に委託生産をしていた。つまり日本本社からこの日本語が通じる委託生産の会社とのやり取りでほぼ、用は済んでいた。当初は日本本社⇒上海連絡事務所⇒委託工場と連絡をするようにしたが余計にワンクッションはさむことにより、コミュニュケーションは悪くなるし、それよりも「俺はメッセンジャーする為に上海に来ているのか?」「それならくだらない!!」中国語もわからず、入社3ヶ月、全く業界のこともわからず、小さなマンションの一室に押し込められて!「伝言係りか!」と完全にふさぎこんでいた。前職の仕事をバリバリして輝いていた自分との比較に苦しんでいた。毎日「前職を辞めなければよかった」と本気で後悔していた。それでもモガイテイタ。何かしなければ、来た意味がない!!後継者の自分が連絡係りして、帰国とは、こりゃ笑いものだ!何か見つけなければ!3ヶ月も経過すると、段々まず何をすればいいか見えてきた・・・・明日に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2009年04月01日
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