全572件 (572件中 1-50件目)
昨夜遅くスペインに行った記録を書くため久々にログインしてさぶちゃんのコメントに気が付いた。エジプト人の本当の名前は知らないけれど、彼はご自分のことをさぶちゃんと言う。ローマ字で書かれたコメントは、本当にさぶちゃん?夜中だったので、今朝早く書かれている電話に掛けてみた。朝7時頃からかけるので呼ぶけれど応答はない。書き込みから一週間も経過しているので、「もういないよ。」と、夫。そしたら!9時過ぎに携帯が鳴って、さぶちゃんだった。懐かしいさぶちゃんの声はしっかりと覚えていますとも。まさか、再びさぶちゃんの声を聞けるとは、思ってもみなかった。さぶちゃんは、今、東京に滞在していて1ヶ月くらい日本にいるので、広島に来る計画も考えられると言われる。本当に驚きと喜びでいっぱい。今、エジプト情勢はどうなのかしら?訊きたいことがいっぱいある。昨年のエジプト旅行でご一緒だったTさんにご連絡をしてみるつもり。さぶちゃんの日本の旅が意義あるものになりますよう・・何か喜んでいただけることがあればと思う。
2014年05月15日
コメント(4)
台風のため延期した法隆寺・東大寺の見学に小学5年生たちと日帰えりで出かけた。去年は、目覚ましが鳴らず、目が覚めたのが5分前で大慌てだった。今回は、目覚ましを3つ仕掛けておいたら、1時間おきに目が覚めて結局、目覚ましが鳴る前に起きてしまった。午前6時20分自宅を出発。広島駅を7時発「のぞみ」に乗って、待ちに待った奈良旅行にいざいかんや。今年は、大改修中の平等院鳳凰堂へは、行かないことにしたため、新大阪から昨年と反対に時計の逆回りのコースに変更して、頭の中が少々空回りしそうだった。大阪から大和路快速に乗り、法隆寺駅に午前9時22分に到着。順調な滑り出しだった。駅から小さなバスに乗り、法隆寺南大門へ着くと赤い服に目印の帽子をかぶった斑鳩町シルバー人材センターのガイドさんが待機しておられて、「今日一日よろしくお願いしまーす」歴史を勉強してきたことを更に深めることができるのだから、法隆寺の説明を聞き逃すまいとみんな懸命です。「柿食えば、鐘が鳴るなり、法隆寺」正岡子規を知ってますか?今十時だから、法隆寺の鐘が10回鳴りますよ~みんな書くことよりもこっちも見てくださいよ。東洋のモナリザと言われる夢殿の救世観音さまが秋季公開中でラッキーだった。美しいお顔ににうっとりする。世界一素敵な百済観音さまに会えるのも楽しみの一つである。お弁当を食べてから、次は、列車に乗り奈良へ、東大寺に向かった。正倉院展が明日で終わりの日にあたるため、奈良は混雑していてバスで東大寺まで20分もかかってしまった。今年の正倉院展は、さほど人気がないのだとガイドさん。いや~国立博物館の周りは、沢山の人だった。今年は、東大寺もガイドをお願いして、大仏殿の説明を伺う。12月31日と1月1日のお正月には、大仏様のお顔が見えるよう扉が開かれるのだと写真を見せてくださる。みんなは書くのに必死の様子だ。大仏さまを拝観して裏に回り、鼻の穴と同じ大きさの柱の穴くぐりが長蛇の列だった。楽しみにしていたことだから、並んで待ちますが、子どもだけでなく大人がくぐろうと並んでいるから困ったもので、待たされるのでイライラ。それに大人がくぐると時間がかかるのです。たいてい外国の人たちみたい。そして、お土産タイムの後は、二月堂まで走って上り二月堂から奈良の町を眺めるのだった。つづく。
2013年11月12日
コメント(6)
先日、次男の婚約者のご両親が「伝助すいか」なるものを持って来てくださった。初めて見るスイカで、大きくて重いのに驚いた。熊本の生産者さんから届いたのだそうだ。伝助すいか?北海道で多く栽培されるようになったスイカのようだが、日持ちが良く、紅赤果肉で抜群の甘味。“でん!”としたジャンボサイズ。ご祝儀価格最高で1玉65万円がついたスイカの王様という曰く付きらしい。『シャリッ』とした食感と贅沢な甘味がつまったスイカですって。高級なスイカは、さいころに切って、みんなでいただき義母にも4分の1を届けて、皮はぬか漬けになって戻ってきた。今までに食べたことのない美味しいスイカだった。皮は、甘酢漬けにして、最後まで美味しくいただいた。まるでダイナマイトみたいに黒い皮だ。久々に砥石を出して包丁を研いで、夫にお願い、手に汗しながら半分に切りました!栽培されるにも苦労があったでしょうね~じっくり味わっていただいたスイカなり~
2013年08月08日
コメント(6)
今日、カイロで大規模なデモの様子が報道された。さぶちゃんはあの中にいるのだろか?5月の連休にエジプトを旅行して、ガイドのさぶちゃんと出会った。名前が難しいので「さぶちゃんと呼んでください。」ということでルクソール出身のさぶちゃんは、日本語を独学で勉強して日本人がしゃべる言葉と何ら違和感がないほどすらすら上手に遺跡を説明してくれた。日本語を専攻するための勉強は、戸外に出かけない女性の方が家で十二分に時間があって、大学には女性の方が多く合格できるそうだ。さぶちゃんは、日本語の通訳になると生活が安定するだろうと日本語の勉強を懸命にやった。日本が大好きというさぶちゃん。さぶちゃんの説明は、日本での知識にはない本物の遺跡を前にエジプト人がする詳しいものだから、5000年の悠久のエジプトの旅を最高の物としてくれた。お別れのバスの中で、さぶちゃんが私たちに「どこが良かったですか?」と一人ずつ聞いた時、「アブシンベル」が多かったなかで、私の前のご婦人が「さぶちゃん」と言われて・・・さぶちゃんは感極まって涙声になった。私も「さぶちゃんとアブシンベル」と答えるとさぶちゃんは、さらに胸を詰まらせた。アラブの春はエジプトにも飛び火し民衆による大規模なデモで、ムバラク政権が崩壊し、2年となるエジプト。それは今の政治を変えようとする若者たちが立ち上がったそうだ。そしてさぶちゃんもデモに参加したという。仕事がなくなることは覚悟の上だった。1年6ヶ月、日本から観光客を乗せた飛行機が来なかった。今年1月になって成田から革命後初めて観光客が到着し、私たちの大阪便も5つ目とか。さぶちゃんのガイドも復活した。5月のエジプトは、デモもなく落ち着いていたが、カイロ市内観光では、バスにSPが一人乗り、現地の旅行会社の方も同行して、態勢は万全だった。「日本に帰られたら、知り合いの人に『エジプトへ来てください。』と行ってください。『エジプトは安全になりました』さぶちゃんのお願いが今も耳に残っているのに今日のデモをみていたら、また飛行機が飛ばなくなりそうでとても心配だ。月光仮面の名入りのTシャツを着たさぶちゃん。
2013年06月30日
コメント(6)
昨日、カナダ産のズワイガニが届いてびっくり。オーストラリアにいる長男と彼女からの届け物に「またどうして?」と夫がのたまいます。「今日は何の日?」メッセージ付きのプレゼントが翌日また届いてまたびっくり。食べられないお花のケーキでした。世阿弥の『花伝書』と称されるものの中に<時分の花>という言葉が出てくるのは、ご存じの通りです。一般には、どんなに若く美しい少年の舞であっても、それが美しいのは若いうちだけである。盛りを過ぎて肉体的に老いた後でもなお人々を酔わせるのが本当の芸だ。という戒めの言葉の意味のように一般に解釈されていますが、・・<五木寛之氏の「生きるヒント」より>10代~20代はそれだけで美しい。40才からは時分の花は枯れていくのでそれこそ自分の花を咲かせて行かなくてはいけません。それが出来る人と醜く老いていくだけの人との境目になります。いかに自分で種をまいて大切に育てて花を咲かすか。姥桜に近い年齢になってもなお前向きに明るく生きていかねばと思う日でした。
2013年01月05日
コメント(4)
先月半ばのこと、義妹が渋柿を30個持って来た。大豊作で500個くらい実ったそうで、とても剥いて差し上げられないと言うので、初めて吊し柿に挑戦してみた。子どもの頃、母が吊し柿を夜な夜な作るのを見ていただけで、2階の軒下にぎっしりとつり下げられていたのを思い出す。見よう見まねながら、へたフリル(顎かな)をむしってから、柿の先からくるくると包丁で剥いでみた。包丁を動かしていると手が痛くなるので、柿をくるくると廻した方がきれいに簡単に剥ぐことができた。カビがこないよう、熱湯に5秒ほど浸けて、後は干すだけ。適当な縄がないのでたこ糸で結わえて、不揃いな吊し柿が出来上がった。物干しにぶら下げて、ヒヨドリや雀に食べられないよう不要なCDを両端に下げ、ゴーヤに使ったネットで防御した。あんぽ柿のようになるため、3日ほど干して、表面が乾いた頃、指で軽く揉んでおくと渋がまんべんに取れて中が柔らかくなるというのでもみもみする。干してから一週間でもう食べられる?!冷凍をすれば、きれいに粉をふくとか?半信半疑ながら、半分ほど冷凍にして、残りは、夫がちまちまと食べてしまった。柿の皮も捨てないで干して、柿茶を作って、半分は白菜漬けに使ってみるつもり。
2012年11月03日
コメント(8)
恒例の行事となっている京都~奈良の古寺見学に出かけた。その一週間前に、国宝が9月3日から1年半の修理工事に入っていたと判明しただが、予定を変更せず予定通りの見学となったのだが・・修理中の足場を見て、さすがにがっくり、興ざめだった。いつもなら、ここで並んで阿弥陀堂に入り説明を聞くところが・・・正面に回って足場の隙間から鳳凰を眺め、写真に収めると何ともまあ、絵にもならない記念写真である。51年ぶりの大修理であるそうだ。ご遠方から見えた老人会の方が「知らなかった」と抗議をされていた。さすがに見学する人が少ない。鳳翔館に入り、雲中供養菩薩や阿弥陀堂を再現された壁紙などを見て、多少は勉強になったかな。以前にも阿弥陀様が解体修理でお留守だったこともあったがそれでも、10円玉の裏の鳳凰堂は見ることができたから今回が最悪かもしれない。しかし、こんな工事中の鳳凰堂も滅多に見られないでしょう。子どもたちは「楽しかった」と口を揃えるので、疲れは吹っ飛んだ秋の長い一日であった。
2012年10月21日
コメント(6)
5時半にそーっと起きて、家事を済ませ、お花に水やりをして駅行きのバスに乗り、新幹線は、8:11発の「こだま」で出発。大人気のツアーなのか、42名の参加者に圧倒されるが全員整然と行動されて感心である。ご年配の方が半数以上だ。小倉駅より九州自動車道をバスは走った。まず、最初に「東洋のチロル」と呼ばれる幻想的な景観を求めて細い階段を降り、水場に着く。マイナスイオンがたっぷりだ。<大分県の由布川渓谷>滝の裏側を通って向こう岸に向かってパチリ<熊本県阿蘇群小国町 鍋ケ滝>滝の裏側から水のカーテン越しに見る景色も幻想的だった。熊本の瀬の本高原の三愛高原ホテルに宿泊して温泉には、夜2回、朝1回浸かる。翌朝は、8:15出発<大分県豊後大野市 原尻の滝>幅120m、高さ20mは、緒方川が突然落ち込んでその景観を作り出し、日本の滝100選に選定されている。東洋のナイアガラとか?「確かに・・・」と笑いながら納得する。次に宮崎県の高千穂峡へバスは1時間ちょっと走る。着きました高千穂峡!ここが入り口。高い橋の上から降りて来たけどまだまだ序の口でーす。渓谷を下へ下へとどんどん約1キロ歩く頭がくらくらしてきた。<真名井の滝>あーこれがパンフレットでよく見かける川なのね。太古の昔、阿蘇山の噴火活動で流れ出た溶岩の浸食によって形成された渓谷で、最大の見所だった。日本の滝100選に指定されている。水量が多くて迫力満点だった。お土産は、日向夏のドレッシング。
2012年09月01日
コメント(2)
子供の頃から端午の節句に食べる柏餅の葉が柏かと思っていたら、柏の葉ではなく、それはサルトリイバラという葉だった。テニスコートの山裾にたくさん繁っているのを見つけ、いつか柏餅を作ってみよう思っていた。赤い実は、サルトリイバラの実。もう先月のことだけど奮起して葉を摘んで帰り、子どもの頃、母が作ってくれた柏餅に挑戦してみた。小豆を煮て、あんこにして丸め、上新粉とだんごの粉を練って耳たぶくらいの堅さにして丸めます。蒸し器に入れて約15分蒸すとできあがり!まずまずの出来映えだったのだが、夫も息子も1つ食べて、もういいや、と宣う。
2012年08月02日
コメント(4)
連休にトルコへ行った写真をやっと更新します。♪飛んでイスタンブールの旧市街地~トロイの考古遺跡~ヒエラポリス、バムッカレの石灰棚~ギョレメ国立公園、カッパドキアの岩石遺跡群~またイスタンブールに帰って来る全日程8日間の旅でした。たくさんの写真の中からまずは、イスタンブールのブルーモスクとエフェソ遺跡の写真です。トルコの旅1日目はこちらです。
2012年06月13日
コメント(6)
満開を2日ほど過ぎた広島城の桜を愛でながら今日は恒例の職場の4人でお花見でした。お濠の水も緩み亀が顔を出したり、鯉が跳ねたり鴨が水遊びをしていました。デパートで買ってきたお花見弁当とスイーツと昨夜遅くに焼いた玄米入りパンと・・そう、桜餅に桜の花びらがハラハラと舞い落ちて来ます。春はいいですね~鋭気を養ってまたお仕事ができそうです。
2012年04月12日
コメント(2)
2月17日に新しいCRVが届いた。うーん(^.^)新車の匂いだ。夜、ジムに出かけるため初めて車に乗ると同じ機種なのですんなり運転できるがちょっと新しい操作にドキマギ。ECONスイッチを押すだけでエンジンがかかる。ハンドルは、前よりも細くなって、パワステで軽い。タコメーターは白黒でとてもシンプル。ちょっと豪華さに欠けるよ-う。あちこち無駄が省いてあり軽量化されたからエコカーなのか。「今日の燃費をお知らせします。4キロです。」燃費を聞いて唖然とした。市内は10キロくらいで長距離は、14キロと聞いていたのに・・すると、ボタン雪が降り始めたら、ピーン「中区近辺は、凍結の恐れがあります。」などとまたナビが喋ってくれる。初日から雪に降られて恐る恐るの運転だった。1週間後の今日は日差しがあって快晴で暖かだった。午後のテニスのレッスン後、クラブハウスで記念撮影。前のナンバーは夫の誕生日だったのを今回は、電話番号にしたから親しみがあって、絶対に記憶できるでしょう。
2012年02月24日
コメント(4)
5年目の車検を間近に、買い換えることにしたCRVを洗車してテニススクールの駐車場で記念撮影。毎回、納車の時にディーラーが記念写真を撮って、小さな額縁入りでプレゼントしてくれるのが、このCRVは見あたらない。「写真はくださいましたよね」「はい」じゃあ、まあお別れの記念写真です。走行距離は、2万キロちょっと無事故で今日を迎えた。新車3ヶ月ほどの時に、タイヤに穴を開けられていてタイヤ交換は結構高く付いた。何もそれほど悪くはないのだが、ガソリンはよく喰う。夫が、とても気に入った車だと言うのでまた、次もCRVになってしまった。ただし、今までよりエコーカーになっていて、「今ならエコカー減税10万円」燃費が良さそうだし、車高が今より低くなり、義母が乗り降りするのに乗りやすそうだ。2月16日頃の納車予定で、しばらく代車のインサイトに乗せてもらって、これはハイブリットカーで快適な運転を楽しんでいる今日この頃なり。
2012年02月11日
コメント(4)
新しい年が穏やかで平和でありますように皆様本年もよろしくお願いしたします。元旦より、しまなみ海道を渡り因島でお正月を過ごします。海の幸をいっぱい堪能できるかな~
2011年12月31日
コメント(6)
5月の連休にインド世界遺産ゴールデン.トライアングル5日間の旅に行ってきました。今頃、やっとHPに更新完了。せめて1枚blogにも更新します。俵万智さんの「ある日カルカッタ」を読んでから一度はインドに行ってみたい思いを温めていた。そのインドの旅に静岡の友と実現できたのですが・・友には大変な旅でした。ともかく世界一美しかったタージマハルです。
2011年08月19日
コメント(6)
youmeタウン屋上から何も邪魔されない黄金山の桜。黄金山は、広島市の南東にある標高212mの小高い山で広島市内や瀬戸内海の島々が一望できる。太古の昔には広島湾に浮かぶ島として仁保島と呼ばれていた。この山の頂には仁保城があり、室町時代から合戦の歴史が残っている。当時、黄金山の沖を行く船の安全のために山頂では火を起こし煙を上げていた。その煙と火が黄金色に輝き天を焦がすような表情であった説と夕日が島々や瀬戸内の水面に反射し、黄金色に輝いていたという説がある。
2011年04月12日
コメント(4)
黄金山の桜も表は満開で、テニスに行く道中、車の助手席から桜を楽しみながら海田大橋の上で止めてもらって、裏黄金山をパチリ。鉄塔や外灯など邪魔ながら裏富士ならぬ裏黄金山の桜なり~海岸沿いにも桜が見えてますよ。
2011年04月11日
コメント(0)
日曜日に時間をかけて作ったという手作りチョコなど仕事柄、夫は可愛い子からたくさんいただいた。さすがに高校生の手作りは凝ってますね~小学生は、カラフルで飾っておきたいね~中学生からは、ありません。私は、あげません。でも、ホワイトデーには、私が色々気を遣わねばならないので、半分以上私のお口にパクリです。
2011年02月14日
コメント(4)
粉雪がパラパラ舞う寒さなのでテニスの参加者はたった、3人だった。が、体を動かしていたらいつの間にか寒さも吹き飛んで80分のレッスンも終了。最後にコート整備のお二人さんをパチリ。午後1時から始まるレッスンに間に合うよう銀行へ行ってATMで入金をしたところ機械が止まってしまった。窓口の人が来て、しばらくお待ち下さい。裏でガチャガチャ音がして、しばらく待たされた。イライラ「いくらお入れになりましたか?」と裏から出て来て、手元にだされた枚数が、1万円足りません。「絶対に○○円入れました」「機械の中にはもう残っていないのですが。」「本当に○○枚ですか?」「そうです!○○枚です。」----とうとう、こちらへどうぞ~応接室へ通されて、支店長さんがお出ましになってATMの入出金の動きを調べますからもうしばらくお待ち下さい。と、コ-ヒーが出てきた。時間がかかりそうなので、これはテニスに間に合わないなーテニスの欠席届を携帯でやって、待つこと15分ほど。「有りました!機械の間に挟まっておりました。」(そうでしょ!!)取り出すのが難しかったのか、破れ目のある紙幣を手に持って見えた。(1万円があるかないかは重要ですぞ)やれやれ見つかって一件落着で安堵した。まだ、テニスに間に合いそうだったので帰宅して大急ぎでバナナと五目ちまきを口にし、テニス開始に間に合うよう出かけられた。寒いけれどテニスで体を動かして気分爽快になったからまあ、今日の事件は忘れましょ。
2011年01月26日
コメント(4)
お正月2日は快晴です。住吉神社まで2キロほどの道のりを運動不足だから歩いて行くと言う夫に「待ってよ。私も行きます。」1人で初詣に行くなんて寂しくないの?いつか、1人で行くときが来たら仕方ないけど・・と、お散歩がてら川土手を歩いて初詣に出かけました。昨年は、長男の心臓手術などでブログをすっかりさぼってしまいました。「手術が無事に成功して、息子は忙しく働いています。神様、ありがとうございました。」術後の経過も良く、そろそろ好きなゴルフを始めるとか、昨年の心配が不思議なほどです。新しい年が佳い年でありますよう、前進するのみです。
2011年01月02日
コメント(8)
5月2日の入場者数は22万人だった。今日は40万人を越えたそうで、どんな混雑振りか考えただけでもぞーっとする。とりあえず、画像を中国の人たちが沢山入っている食堂で夕食。メニュウの写真があれば注文できるのに、さて困った・・と2階は日本食のお店だったがいくら何でも上海に来て日本食はと、2階に上がったものの下に降りたのだった。思案していたら、日本語の話せる可愛い子が出て来て説明してくれたので注文ができた。80元也<北朝鮮館>興味がないから入りたくないと言うに、夫が「まあ、話の種に。」と、しぶしぶ付いて入った。北朝鮮館のお粗末な噴水この池に架かる橋が人の重みで壊れたとか、雨漏りがして一日閉館したなどトラブルが続出したそうな。<サスジアラビア館>とても広いパピリオンで砂漠の中のオアシスを、建物には空中に浮かぶ大きい船がイメージされ、底部と甲板にはサウジアラビアの象徴的な植物?ナツメヤシの木が数多く植えられている。<中国館>の真下よりさすがに大きな中国館。夜なら入れるかとぐるぐる回って入口に着いたら、予約券のある人しか入れないと言われて・・あまり人は並んでないのに。中国の人が大声で警備員に抗議していた。中国省共同館「北京館」広い中国のそれぞれの特徴を生かしたパピリオンだった。写真はあの懐かしい天壇公園の祈年殿だ。中国省共同館「陝西館」唐の都長安、現在の西安へいつか尋ねてみたい。<日本館>並びました1時間40分の最終組古きよき時代の日本が紹介され、中国との交流歴史などを観ながら、最後の部屋は、能の舞台をイメージした会場で中国の朱鷺と日本の朱鷺を題材にしたショーが椅子の形をした愛知博のトヨタ館で見た電気自動車に人が乗り、なめらかに動きながら演劇が展開されていたが、疲れで、居眠りが・・・写真撮影禁止と表示されていてもフラッシュがたかれているのは何故?公演中にも写真を撮る人があり、呆れてしまった。私たちは、最後の出口でスタッフさんをパチリ。(これはOK)この方達は日本人かな~と、笑顔のお見送りに親近感を覚えた。しかし、日本館を観る時間があったら、フランス館を観るべきであった。これは唯一心残りであるけれどフランス館は8時過ぎには電気が消えていて入れなかったので日本館に並んだのだった。
2010年06月13日
コメント(8)
ゾーンCの端にあるアフリカ連合館が見えた。外壁は、アフリカの雰囲気あふれ、樹の抽象画は人類の起源を、砂漠、カモメ、動物、建築物などは、アフリカ大陸の自然と多様性を表し、生命力あふれるアフリカ大陸を象徴している。大きなパピリオンだが、中は体育館のような倉庫のような造りだ。アフリカの42カ国と一つの国際機関(アフリカ連合)が、それぞれの特徴的なものを展示していた。ここは待ち時間なしに入れて、暑さからも逃れられた。愛知万博と同じような雰囲気であるが断然広そう。巨大な壁面彫刻にアフリカの人の顔・顔・顔・デザイナーが100枚以上のアフリカ人の顔立ちから総合的に要素を取り出し、最終的に25人の笑顔が私達を迎えてくれた。現在人類最古の祖先であるとされているルーシーの前で記念写真。ここでは、たくさんのスタンプが集まってラッキー。バザールは少ししかなく、用意された台は休憩する場になっていた。アフリカ時間というのか、まだ品物が届いていないとかのんびりしたアフリカ館内を1時間もうろうろしたのだった。
2010年05月29日
コメント(2)
ヨーッロッパの国々のパピリオンは大人気で長い行列を見ると3時間待ちなど、とうてい並ぶ気力もなくゾーンCはとりあえずパピリオンを見るだけだった。「ベルギー館」先着3000名様にチョコレートがいただけるとかで大人気だった。「GODIVA」のチョコだったら、自分で買います。「フランス館」オルセー美術館からセザンヌやミレーやゴッホなどの絵画や彫刻など7点のお宝が出展されていた。見ることができず、今になって心残りである。「イギリス館」針ネズミのように見えるのは、さまざまな方向に伸びていく大量の触角。触覚の先に小さいカラー光源があり、多種の図案と色を合成色を形成している。夜は美しく虹色に輝いていた。「イタリア館」壁は、「透明セメント」から成るコンクリート・ブロックを積み上げて作られており、太陽の光が壁を通過して部屋に届いたり、夜は部屋の明かりが壁を通して外から見える。ルクセンブルク館ルクセンブルクは中国語で「盧森堡」と言われ、その意味は「フォレストとトーチカ」である。緑の木に囲まれた開放的なトーチカのようであるが、形が珍しいのでカメラに収めたら、入り口がたくさんあってラクに入れるのだった。会場に予約端末機があるからそれで予約をすればいくつかは待ち時間も少なく入れると思っていた。しかし、しかし、その端末機は、早々と「ダウン」とか「クロウズ」とかボランティアの説明で、すでにシートが覆われていて役には立たなかった。
2010年05月20日
コメント(2)
気温はどんどん上がって30度くらいありそうな暑さの中を、しかも朝早起きして飛行機に乗って来たのだから、長い時間を並んでまでパピリオンに入る元気なし。緑の服を着た学生のボランティアがオフィシャルマップを配布しているので手を出すと中国語のものを渡してくれた。中国語の漢字は分かるようでわかりませーん。私たちは行く先々ですっかり中国人と思われているようだ。「English Please 」と 英語の地図をいただくと、会場が広くてパピリオンの字が小さく、これまた見つけるのに一苦労だった。一基の白いテントでできた赤十字館へ入ると、中国の赤十字が活躍した写真などが展示してあった。愛知博の時に60分並んで入った赤新月館には感動し涙さえ出たんだけど。次からは中に入らず外から眺めたパピリオン。スペイン館は、外観が藤で編んだかごをイメージしてあるらしくすぐに目に付いた。ちょっと芋虫を想像するのは、私だけかも。驚くほど長い列ができていた。人気2番のスイス館スペイン館よりももっと長蛇の列である。外幕は主に大豆繊維を建築材料とし、発電できるだけでなく、自然分解もできるもの。遠くから観ると白いネットに風船が浮かんでいるようだがハイテク技術が使ってあるそうだ。屋上にリフトが見えて、乗り物に乗ってハイジの花畑が眺められる仕組み。セルビア館ポーランド館大通りを賑やかにパレードがやって来た。ディズニ-のパレードみたい。
2010年05月14日
コメント(6)
待ちに待った上海万博が5月1日より開幕しました。5月2日、自宅を6時に出発して広島空港まで高速道路をノンストップで進み、40分で到着。広島空港を9:20に離陸した中国東方航空機943便は、上海へ現地時間の10時に着いた。(日本との時差は1時間)現地ガイドさんのお出迎えでホテルまで案内されて、荷物を3泊する部屋に置くやいなや、さあ、これからは自由行動だ。予め日本で購入していた万博チケットがあるから、タクシーを呼んでもらって、「To Expo! 」運転手さんは万博会場というのがわかったのかどうか、道中不安だったが40分ほどで無事に会場近くに着いた。ここからは、車は入れないので下車して歩いて、と中国語は分からなくても止まって標識を指さすので「謝謝」「サンキュー」と46元と安い。(1元は約15円)いよいよ万博会場のゲートに向かう。5月1日~3日までは特別指定日でチケットは3400円だった。荷物検査をされ、ボディチェックを受け、午後3時10分、チケットを入れて1号門より会場に入った。万博会場は、上海市都心部、南浦大橋から盧浦大橋までの黄浦江両岸地区で開催されている。まず「世博会博物館」へ入って過去の博覧会の写真や展示品を見た。大阪万博・つくば万博・愛地万博が過去に経験した万博で懐かしい。モリゾーとキッコロの写真に思わずパチリ。ここはDゾーンで企業館が集まっているところだった。D・Eゾーンから黄浦江をはさんでA・B・Cゾーンまで船と川の底をトンネルで結ばれている。とりあえず、船で対岸のメイン会場へ渡った。船もバスも無料で自由に乗り降りできるのが嬉しい。万博大通りは、広くて電気自動車が走っていた。どこを見ても人だかりというか、長蛇の列なので、沢山の人で混雑しているパピリオンはやめて、すぐに入れるパピリオンから観ることにした。だまっていたら中国人と間違われてしまった。緑色の服を着た大学生たちのボランティアは英語が堪能で分かりやすく説明してくれ、たまに、日本語がしゃべれる人がいて、とても親近感が持てた。
2010年05月09日
コメント(8)
昨日開通した高速道路3号の開通記念イベントが1週間前に開催された。地元だし、二度と歩くことのできない高速道路を歩くのなんて興味津々だった。今のところ工事完成はここまでで、右手に入路し橋を歩きます。すでに多くの人たちが歩いていました。橋から眺める景色はいいですね~桜が散り終わった黄金山が右手に見えます。そして今日、夫は初めて車でこの道路を通り、テニスのメンバーのお葬式に出かけました。テニスをこよなく愛した宮地さんのことをこの橋を通る度に想い出し、ずーっと心に残ることでしょう。市街地を外れて黒瀬まで30分で着いたからとっても早くなったけれど料金が高いので急ぐときしか通らないつもり。
2010年04月27日
コメント(4)
牛乳にヨーグルト・蜂蜜・リンゴとバナナ、青汁三昧とコラーゲンを2さじを入れます。約1分ほど簡易ジューサーでガガガーっと回すと出来上がり。薄い緑色のジュースが時間をおくと草色になるので作りたてをいただきます。かれこれ2年ほど前から毎朝作ってパンの日もご飯の日でも愛飲しているのだが、さて効き目はいかに。さっぱり自覚はないけれど、まあ何かに役立っているかな~
2010年04月14日
コメント(4)
金柑ジャムにはまっているのは、自家製ヨーグルトを作るようになってからのこと。1月に静岡の友人がEXパックでヨーグルトの種を送ってくれた。彼女はもう5年も続けているそうで、いろいろやってみてとてもいい具合に出来る方法を編み出したのがこれ。プラスチックの容器に牛乳(成分無調整)を少し入れ、ヨーグルトの種を入れかき混ぜる。また牛乳をいっぱい入れてよく撹拌する。これを八方スチロールに入れて、横に65度ぐらいのお湯を入れたペットボトルを置く。ペットボトルとヨーグルトの容器はくっつかない方がよい。ヨーグルトは金属の物は嫌うとか聞き、撹拌するスプーンもプラスチックを使っている。蓋をしてお部屋に置いておく。まあ、20時間くらいすれば、おとうふ状態のヨーグルトが出来上がっている。忘れて24時間置いたこともあるがそこは適当でもOK。出来上がったヨーグルトから、大さじ2杯ほどを次の種にするため一番に別の容器に取っておく。この繰り返し。種は2週間ぐらい冷蔵庫に入れていても死なないそうだ。以前、ヨーグルト茸からヨーグルトを作っていた時、茸を綺麗に洗う手間が面倒で続かなかった。カスピ海ヨーグルトも長くは続かなかった。今回のは、簡単で酸っぱくなくて美味しいヨーグルトが出来るので義母や友人に種をお裾分けして簡単ヨーグルトがどんどん広がっている。今日はテニス仲間たちに持って行き、病弱な奥様に作ってあげてとW氏にも無理矢理差し上げた。殿方だってちゃんと出来ます。ブルガリア地方の人たちが長寿なのは、ヨーグルトがよいとか、絶対体に良いはずと確信して、我が家の朝食にはヨーグルトにいろんなものを混ぜて楽しんでいる。
2010年03月21日
コメント(2)
ここ最近、金柑ジャムにはまっている。先月、友人の畑で採れたという金柑を沢山いただいて、さてどうしましょ?金柑酒などでもと考えていたのが手っ取り早く食べられる金柑ジャムを自己流で作ってみたら、何と何と、フルーティで止められません。スーパーで物色してみると金柑の値段も千差万別。糖度16の甘い熊本産「たまたま」295円に落ち着いてもう、作るのも5回め。金柑を半分に切って、中の種を取り出し、4分の1に切ってからひたひたのお水で煮るとこんな具合。少し煮たところで、少し冷まして、ミキサーでちょっとなめらかに。また火にかけてお砂糖を適当に入れ、レモン汁を少々。金柑ジャムの出来上がり。パンに塗ったりヨーグルトに載せて頂くのが至福の時だ。
2010年03月13日
コメント(4)
テニスの練習中にコラーゲンの話が昂じて、今夜、すっぽん料理を会食しましょうということになって広島ですっぽん料理の有名な老舗「こだに」に出かけた。お客様はほとんど殿方ばかりで、確かにすっぽんと言えば・・精力剤?まずは、すっぽんのお刺身ですショウガを入れたお醤油でいただきます。生臭みもなく、鶏肉みたいな感触です。すっぽんの煮こごりと生血の食前酒は、清酒でブレンドしてあり興味半分でいただきました。ほとんどお酒の匂いです。コラーゲンたっぷりのすっぽんは、5時間以上ことこと煮込んだものがお鍋にたくさん沈んでいました。すっぽんの足や首も入っていました。すっぽんには他の食品では取りにくい血液をサラサラにしたりスタミナを与える栄養素が豊富に含まれたまさに栄養の宝庫ですって。 最後は、すっぽんのエキスがたっぷり入った雑炊がとっても美味しかったです。デザートはなさそうなので、場所を変えて、コーヒーとケーキでとりとめなく話は続き楽しい時間を過ごしました。明日、きっとお肌ぷりぷりなことでしょう。
2010年02月23日
コメント(4)
昨日、遅い新年会に誘われてふぐコースを堪能した。今までは高級料理のイメージもあって敬遠していたのが、西日本の各地でふぐ料理を提供する「ふぐ政」は、とってもお得な価格で新鮮で、美味しく賞味できた。まずは、ふぐ皮の突き出し、ふぐ刺しが運ばれてきてとっても肉厚でにっこり。ふぐ鍋用に盛られたふぐがまだぴくぴく生きて動いているのを動画に撮りたいほどです。締めは、ふぐ雑炊。ひれ酒が出たのをいただいてみたが、みんな美味しそうに飲まれるけれど、これはチョット無理、おいしさが解りません
2010年01月27日
コメント(2)
「あのーぼくの家にワインを送ったとオーストラリアのM君から電話がありましたので、届いたら持って行きます。」と息子の友人からがあり、昨日届けてくれた。まあ!お手数をおかけしてすみません。遅い誕生日プレゼントということね。早速、今夜いただいてみます。今朝、ありがとうメールをしたけれど、ヤツの誕生日が月末にはやってくる
2010年01月14日
コメント(2)
60回目の紅白を一人TVの前に陣取ってじっくりと観ながら2009年が暮れようとしてる。栄ちゃんが白組のサプライズゲストに感激だった。60才の栄ちゃんをやはりNHKは素晴らしい形で登場させてくだったのだ。夫は、下で囲碁対戦をじっくり思う存分ネットでしている。息子は県北のスキー場へカウントダウンに出かけた。いつもなら義母をお呼びしてすき焼きと年越しそばで大晦日を過ごすところが、体調が悪く今回はなしになったため紅白が初めから終わりまで観られる。何十年ぶりだろう。今年の紅白は内容が盛りだくさんで工夫が凝らされているような気がする。マイケルジャクソンの歌をバックにキムタクのダンス、ムーンウオークはよかった。涙したのは、ゆずの「会いたい」。昨年、お父さんを亡くした北川君の歌は心に響いた。今年一年いろんな出会いがあり別れがあった。いろいろお付き合いをいただいた皆様ありがとうございました。2010年は、「上海万博」の年です。海外旅行の嫌いな夫も、上海万博だけは行きたいというので一緒に楽しめそうです。来たる新しい年が佳き年となりますように!
2009年12月31日
コメント(6)
日本画家の平山郁夫氏が2日、脳梗塞で亡くなった。今朝、追悼番組「道標なき旅の彼方に~求道の画家 平山郁夫」を目にし、家事もそこそこに最後まで見てしまった。平山先生の鎌倉にあるアトリエに初めてカメラが入って絵を描かれるお姿や、制作された絵の説明など、すべてが興味深かった。これからは、県立美術館や瀬戸田の平山郁夫美術館で拝見する絵は、見方が深まるように思えて、近いうちに出かけたい思いに駆られている。シルクロードに行かれては、沢山の絵を描かれたあの映像が今も目に浮かぶ。原爆に遭われて、多くの学友を亡くされた中で1人生き残ったという負い目を持たれていたそうだ。お父様の朝晩の読経から仏教への関心をもたれたそうだ。被爆の後遺症に苦しみながら、59年、玄奘三蔵をテーマに「仏教伝来」を制作。玄奘の苦難と自らの人生を重ねるように、仏教の道を取材し続け、連作を発表されたと新聞にも載っていた。被爆時に通われていた中学は、息子の学舎であり、在学中の創立記念の年に平山先生が原爆の絵を寄贈してくださった。生徒達は、記念に絵はがきにして配布してもらった。私は、図々しくも校長室に飾られた絵をカメラに撮らせていただいた。そして修道高の正面玄関には、平山先生が校歌をモチーフに制作された陶版の壁画(縦3メートル、横4・5メートル)が飾られている。2001年に訪ねた薬師寺で、雪をいただいた青空に映える真昼の「須弥山」を見ることができ、それは感動したものだった。先月行った「法隆寺」では、世界遺産と石に彫られた文字は、広島県出身の平山先生が書かれたものと伺った。法隆寺金堂の壁画も、平山先生が模写されていたそうだ。たくさんの素晴らしい作品と思い出を多くの方々に残して逝かれた。40年間に140回もシルクロードの旅を重ねられたという。仏教伝来のシルクロードの道をいつか歩いてみたいと思いながら、平山先生のご冥福をお祈りします。
2009年12月05日
コメント(2)
前日の雨も次第に上がり、雨に洗われた紅葉がいっそう鮮やかな平等院の正門へ朝9:15に着いた。これから平安時代の勉強です。平等院鳳凰堂は、鳳凰が翼を広げた形に見えるところから人知れずいつしか「鳳凰堂」と呼ばれるようになった。2004年には、阿弥陀如来座像が平成の大修理で拝観できずガーンだったが、今では綺麗に金箔が塗られた阿弥陀様を拝観できるようになった。今年、ネットからダウンロードした修学旅行パスポートを持参したところ、拝観料が100円安くなり、引率者は免除されてラッキーだった。阿弥陀堂の説明を聞いて外に出ると雨は上がり、明るくなっていた。これもラッキーだった。
2009年11月26日
コメント(6)
最大の目的であった「アンコール・ワット」は、午後3時~2時間かけてじっくりと観て歩いた。西向きの門が正門になっているため、逆光を避けての午後からの観光となった。カンボジアの代名詞とも言えるこのヒンドゥー教の壮大な寺院遺跡は、12世紀、スルーヤヴァルマン二世によって建造された。 王の死後は、霊廟となり後に仏教寺院と衣替えした。東西に1500メートル、南北に1300メートル。周囲の環濠は、幅190メートル。西塔門から延びる参道は、長さ350メートル。参道を歩いてから内部に入ると回廊が3つもあり中まで歩いて説明を聞いて、はあ、相当疲れましたが見応えがあり、今でもじわじわと思い出してはその感動に浸っている。1113年と言えば、日本では鎌倉時代に当たる頃、深い森の中に40年もかかって建設されたとガイドのパレットさんが上手な日本語で説明をしてくださる。28歳の青年は、将来はカンボジアの国に役立つ仕事をしたいと夢を語りつつ、説明もうまい。アンコール・ワットは徹頭徹尾「王のため」に建てられました。大海を象徴する環濠と山脈を象徴する回廊に囲まれて建つ中央祠堂は宇宙の中心であり、そこに葬られる王はヒンドゥーの主神ヴィシュヌと一体化するのです。アンコール、ワットの写真はこちらです。
2009年10月26日
コメント(4)
アンコールトムの中心寺院を見学した後、木立を抜けて王宮跡へ向かった。物売りの子が、「1ドル・1ドル」と扇子やミサンガなどを持って寄って来る。「いらない。いらない。」と断るのに一苦労だった。見晴らしのよい、広場の遺跡の上に出た。南北300m以上ものレリーフが続く「象のテラス」だった。また、「ライ王のテラス」といわれるライ病で手足の指がくっついたライ王の座体があった。1965年に訪れた三島由紀夫がライ王の伝説に魅かれ、アンコール王朝の滅亡にまつわる戯曲を書いたという。これをカンボジアのガイドのパレットさんから聞くのだから何か妙だ。こんど読んでみたいと思う。次に訪れたプレループ遺跡でも小さな女の子が絵はがきを売っていた。この子たちは学校に行かないのですか?パレットさんに尋ねると、半日だけ行って、半日はこうやって市場で仕入れた物を観光客に売り、家計を助けているそうだ。もっと早く聞いていたら、何か買ってあげたのだが・・アンコールトム周辺の旅の写真はこちらです。
2009年10月18日
コメント(4)
アンコールワットとアンコールトムの違いさえ分かっていないカンボジアの旅は、全てが興味津々です。朝8時に出発してまずはアンコールトムに向かった。アンコールトムとは、都城でアンコールワットよりも広い。12世紀、ジャヤヴァルマン七世により創建された仏教の都で、涸れてしまった堀に囲まれた4km四方のエリアに、さまざまな都市機能が複合しています。多くの建築が東向きなので午前中の方が綺麗に見えます。ということで巨大な岩山のような遺跡は、TDKのアトラクションにも見えそうな(笑)トムの中心寺院「バイヨン」を歩いて登って下って、素晴らしい遺跡を見た。アンコールトムを歩いた午前中の写真はこちらです。
2009年10月10日
コメント(4)
8月28日~4日間、カンボジアのアンコールワットを観光した旅日記が9月中に更新することができず、やっと時間的余裕ができた。覚えているうちにあの素晴らしい感動を書かねばと思いつつじわじわ思い出には浸ってきた9月だった。8月28日、早起きして出発2時間前に広島空港へ集合。10:20発のbangkokairでバンコクへ向けて出発した。5時間15分でバンコクの「スワンナブーム空港」へ現地時間のPM1:32(現地時間)に到着した。バンコクで2時間弱待って、カンボジアのシェムリアップへ向かった。
2009年10月03日
コメント(4)
先日の日曜日に、阿修羅見学のバスツアーを利用して行って来ました、九州国立博物館へ。広島駅を7:30発車したバスは、途中下関の唐戸市場でお昼の休憩をして太宰府天満宮の駐車場へ午後2時に到着です。天満宮の参道は、阿修羅が目的の老若男女たち。天満宮の太鼓橋から右に折れて国立博物館へ向かいます。ここが入り口?いやいや、高くエスカレターを上るようです。ひゃ~ビックリ、沢山の人たちが博物館の前に!ガラス張りのしゃれた博物館は人人・人です。ここより「200分待ち」の立て札が、ああ・・・・でも、ずーっとおしゃべりしながら待つので苦痛を感じない。実物大の阿修羅の写真。ロープで張られた長蛇の列は、折れ曲がって続き、少しずつ少しずつうねりのように進みます。またエスカレターを上がると午後4時、120分待ちでやっとやっと阿修羅に逢える。ここより撮影禁止奈良時代、大仏ができる少し前に、お釈迦様を守るために造られたという八部衆の1人の阿修羅。4体が展示されていたのも、どこか少年のような表情が特徴だとか。天平の美少年は、現代にも通用する出で立ちだった。阿修羅をぐるり360度観ることができるというので、何重にもなっている人垣を少しずつ周りながら、前の人が離れるのを待って、一番前に出ることができた。「1.2.3.4.5.6.7.8」係の人のかけ声に合わせて、時計回りに動きます。「はい、前の方は低くなってください。」「1.2.3.4.5.6.7.8」「はい。」繰り返しながら、1周半動いて阿修羅をじっくり見ましたとも。造られた当時は、肌は真っ赤だったとか。三つの顔に六本の腕、そして正面の眉をひそめた憂いの表情が見る者をひきつける。胸元にはネックレス。巻きスカート着用。素足にサンダル。すべての像には造った人たちの願いがこめられている造られてから今まで その前で手を合わせた人たちの祈りが込められているだから すべての仏像は尊くそして美しい(西山 厚 奈良国立博物館学芸部長 コラムより)
2009年09月16日
コメント(6)
先日ブルーベリーをたくさんいただいたのでジャムを作ってみました。<材料>ブルーベリー500g・グラニュー糖200gレモン汁少々・ブランデイ・少々<作り方>1.ブルーベリーをきれいに水洗いする。2.鍋に水を切らないでそのまま入れて弱火にかける。3.ふつふつと沸騰してきたら、砂糖を何回かに分けて入れ、煮詰める。4.10分くらい煮て、レモン汁とブランヂィを入れる。5.5分ほど煮ると出来上がり!<朝食>ほどよい堅さになり、小さな瓶に詰めました。パンに塗って、バナナとヨーグルトと牛乳と蜂蜜を入れてブルーベリージュースも作ってみました。ヨーグルトにかけても美味しいです。ブルーベリーに含まれるアントシアニンが目に良い効果をもたらすことは広く知られており、ポリフェノールが老化防止にもよいので、市販のブルーベリージャムを好んで食していた。でも、手作りのおいしさは格別だった。ワッキーさん、ありがとうございました。
2009年08月20日
コメント(6)
岡山の弟宅へ泊まった翌朝、義妹はお盆に帰れない長女がいる京都へ出かける予定になっていたので、弟と二人で、姫路城へ行くことにした。いつも新幹線から眺めるだけの姫路城に着くと、そびえ立つ天守閣は高く大きかった。日本に多数あるお城は、ほとんど国宝に指定されているのかと思いきや、国宝は4つのお城だけ。松本城、彦根城、犬山城とこの姫路城。空に向かって建ち並ぶ天守群と白く美しい白壁の広がり、天を舞う白鷺のように見える姫路城は別名白鷺城ともいわれる。美しい姫路城は、実は計算しつくされた造りの要塞だった。大手門から敵が侵入して来ても、本丸までは曲がりくねった通路や石段で複雑で、時間がかかるよう造られていた。弟も姫路城の中に入るのは、初めてというので、姉弟で仲良く天守閣まで上がって、姫路の町並みを眺めてきた。姫路城は、池田輝政が城主の頃に現在の5層7階の天守となった。ここには、千姫の悲しい物語が残っており、以前三浦綾子氏の「千姫物語」を読んで、一度は来てみたいと思っていた。千姫と本多忠刻の歌碑があった。「初秋の風を簾にまきりて軒はにおふ竹の葉の露」千姫は、長男を幼くして亡くし、夫の本多忠刻を亡くし、江戸へ帰り、尼になって70才過ぎまで生きたそうだ。お城の近くに「千姫天満宮」を見つけたが、寄らずに帰ってしまい、天満宮のお札を集め損なったことが悔やまれる。しかし、どうも恋愛成就の神様のようで、学問成就のお札を集めているのだから、まあ、いいか。朝9時半に着いて、お城を出たのが12時過ぎで、1時間半のお城見学は、真夏の暑さもあり少々疲れたが、一つ念願叶い、充実した日であった。
2009年08月15日
コメント(2)
整備された木道を歩いて、樹木林を抜けると目の前が開けてきた。ここからが大変だった。少し歩いては携帯の酸素を吸い、休憩しながらみんなで励ましあったが、3人の方が、ここでとうとう断念された。高山病である。血行が悪くなり、唇まで青い。頭痛もするそうだ。とても「頑張って!」とは言えない。あと一息のところで勾配も急になったため、息苦しさも最高潮である。意外とお年寄りの方が元気だった。山腹に棚田のごとく幾重にも連なる彩池群が、上から眺めると黄色い龍がのたうつ姿に見えるということから「黄龍」の名が由来するそうだ。丁度乾期の時期で水が少なく石灰石の岩肌がむき出しで、所々に残雪がありそれもまた見応えがある。ハアハア、フーフー、ヒーヒー、やっと、やっと着きました黄龍最奥地にある神秘的な彩池群が織りなす造形美が眼前に広がり感嘆した。明るい緑から黒っぽい緑、やや青みがかったミルク色といくつもの彩りから「五彩池」なのだろう。 エメラルド ブルーの池が棚田状に広がる幻想的なパノラマをしばし展望台から眺めた後、池の周りの遊歩道を歩いた。一緒に歩いた人たちと最奥地点から黄龍古寺をバックに、記念撮影。(みんないい笑顔だこと)4時間の登山の後に下山してから昼食という強行スケジュールなので、ゆっくりする暇もなく、下りを急いだ。下りは、ロープウェイを使わずに全部を歩く。木道を下りていたら、麓から重い荷物を持った中国の人とすれ違った。相当重量がありそうな荷物を背負って山道を運ばれる姿に感心するが、日当は気の毒な金額だと聞く。カメラを向けると日に焼けた笑顔がまぶしい。お疲れさまです。今回の旅行では、何と言っても体を使って観光した「黄龍」が一番の思い出になった。
2009年07月05日
コメント(4)
九寨溝から一山越えて、四川省松潘県の東、約35キロの所に位置する黄龍入口に、9:45到着した。ここは、歩いて登る人の登山口。私たちは、ロープウェイに乗るので左側下1キロ先の乗り場に向かった。2006年8月にロープウェイがオープンし、ラクになった。海抜2900mの地点から3400mの山上までたった7分で着くその寸前に車内から下方をパチリ。下を見ると恐いほど急な斜面だ。山道ではなく、調えられた桟道を2キロ程歩くのである。新しい桟道を造るために中国の若者たちが監督らしき人に叱られながら、働いていた。歩きやすくて本当に感謝だ。そんな陰での仕事があって観光客は助かっている。ゴミを拾う仕事の人もいて、山はとてもきれいだし、トイレもそこそこの場所に設置してあり、そこにも係の人がいて、掃除が行き届いていた。確か「富士山」は、ゴミの多い山と酷評されて世界遺産にならなかったような・・富士山にロープウェイがかかるなど、とても考えられないが、世界遺産にしたいのならば、日本の行政は中国を見習うべき点もある。途中、展望台から、あの峠から眺めた雪宝頂が美しく見えた。中国では、天の東西南北には4龍がおり、中央を守っているのが黄龍だ。標高5,588mを誇る岷山山脈の雪宝山の渓谷では、黄金で全身をまとった黄龍が天に昇るという言い伝えがある。その麓にある目的地ビューポイントである黄龍「五彩地」まで歩く。
2009年06月28日
コメント(2)
天珠のお店を8時に出発したバスは、高原地帯をぐんぐんスピードをあげて上っていった。黄龍まであと50キロの道のりは、高い山を上って途中4120メートルの雪山梁の峠を越えるという。段々畑が山の上の方まで続き、急な斜面に道路が造られていた。もしバスが落ちたら一巻の終わりになりそうな、谷底が見えるところをスピードを出して走るのである。うとうとしていると、景色は雪山に変わった。標高5588メートルの雪宝頂とその周りの山々が雪をかぶって美しく現れてきた。8時40分、4120メートル地点でバスが5分だけ止まって、記念撮影をさせてくれた。こんな高いところまで道路を造った中国は何という国でしょう。富士山より高いところだ。空気が薄いのでバスの中で買った酸素ボンベを出して酸素を吸う人もいた。滑らないように雪の上をこわごわ歩いて「はい。チーズ」この高い山の斜面に、枯れ木で低い垣根をした上に草が干してあり、人が立っている。あの人たちは、何をしているの?「冬虫夏草」を採ったものを干しているらしい。不老長寿の薬草材と聞く冬虫夏草がここで採れるのだ。冬虫夏草は寄生による昆虫と菌種の結合体のキノコの総称で、中国の四川省、青海雲地域の3~5千メートルの高原や、チベット高山の一部の地域の土中に生息するコウモリ蛾の幼虫に寄生したものを真正種としている。冬期には寄生した虫の姿で過ごし、暖かくなるとその頭部からキノコの実体が発生し、夏には小さな草木のよう成長することから「冬虫夏草」と呼ばれるようになった。 珍しい光景を見たのに写真を撮ることはすっかり忘れていた。
2009年06月23日
コメント(4)
中国4日目の朝は次の観光地、「黄龍」へ向かうため4時30分にモーニングコール。5:30ホテルを出発。そのため、朝食はバスの中でお弁当をもらった。これがお弁当とあきれるような中味で、丸いパン一つとゆで卵、オレンジ4分の1切れ、ヨーグルト、ミネラルウオーターだった。「先は長いのでバスの中で眠ってください。」とガイドさん。お弁当もそこそこに眠っていたら、トイレ休憩だと7:30に起こされた。「トイレはここしかありません。」案内されたところは、ホテルのロビーとまでは行かないが少し広い玄関の横がトイレになっていた。そして、さーさっ、奥へどうぞ!入ると、宝石がいっぱい陳列された広間に大勢の中国人女性がきちんと黒いスーツを着て待っていた。「チベットの天然石は、猫目石と天珠です。」流ちょうな日本語で石の説明を始めた。「天珠」とは? 初めて見るものだった。数千年前の古代からチベットに伝わる装飾品でありお守りです。この世の石ではなく天から降ってきた生命のある霊虫だという伝説があり、霊力をもって災厄を逃れ生命を守り、富、財、あらゆる幸運を招くと信じられ大切にされています。 数年前の中華航空機の事故で、 「天珠を身に付けていたから助かった。」と言ったことから、天珠が世界的に知られるようになりました。お店の人が横にぴったり付いてあれこれ説明をしてくる。朝の早い時間に沢山の人が繰り出されて、中国人の商魂たくましさに驚くばかりだ。2つ買えば半額にする売り方で、何が本当なのか不信だった。あるご夫婦の方は、高価な天珠をもう一組の方と一緒に買われ、嬉しそうな奥様の様子は微笑ましかった。トイレ休憩と聞いたのでお金も用意していなかったし、朝から頭が働かないため、記念に一つだけネックレスを買った。天珠はパワーストーンの一つで古いものだと磁気が強く肩こりに効くそうだ。色と価格の見合う、ほどほどの新しい天珠にした。帰ってからネットで検索するとピンキリだったが、まずまずお得かな。一人ニンマリしている。家族にもストラップくらいお土産に買えばよかったと今になってしきりに後悔する性格なので、ネットでストラップを2つ購入して、さも中国のお土産とばかり黙って携帯へ付けておいた。
2009年06月19日
コメント(5)
九寨溝を観光した夜は、チベット民族舞踊「蔵謎」がオプションで観られるというので申し込み、ちょっと先の劇場まで出かけた。ツアーの人31人全員が参加だった。土地の人たちが舞う泥臭い民族舞踊かと思いきや意外や意外、本物中の本物で終始魅了された。会場にはチベット仏教のお経が流れ、何やらお香の匂いが漂い、舞台上には、大きなマニ車があり、時々、舞台袖から人が回しに来た。マニ車とは、チベット仏教のお経が書いてある丸い筒状のもので、それを1回廻すとすとお経を全部読んだことになるらしい。九寨溝から、チベットのラサに巡礼の旅に出かけたチベット族の老女と子羊(本物の小羊)の話が4部作で展開された。チベット族の生活習慣・文化をストーリーの中に織り交ぜそれをダンスや雑伎団がやるようなアクロバットで表現し、はらはら手に汗握るシーンもあった。歌詞は舞台の両袖に中国語と英語で表示された。(わかる単語だけを読むが忙しい)田舎で民族舞踊や歌手などをしている人たちを集めてきたそうでどの子も汗だくだくで熱演し、見応えがあった。舞台の照明も凝っていたし、雪はシャボンを降らせて、舞台が真っ白になって、私たちの客席まで舞ってきた。チベット族は、人が亡くなったら鳥葬をするのでお墓がない。上から大きな鳥が下りてきて、亡くなった老女を食べて老女は、天国へ召された。夕食のビールが手伝ってか、ちょこっとだけ居眠りもしたけれど、「よかったね。よかったね」とエンディングでは拍手喝采だった。ガイドさんに何がテーマだったのかと尋ねると、「結局人は死ぬと天国へ行くということです。」だった。監督は、楊麗萍(ヤン・リーピン)さんといい、大型民族舞踊劇を手がける、国家第一級のスター・ダンサーである。そんな素晴らしい方が手がけた民族舞踊を観ることができて大満足だった。2008年3に東京のオーチャードホールにて「シャングリラ」というタイトルで公演があったそうだ。その時のチケット代は、A席で8400円。今回、バスの送迎付きでかぶり席、3500円だった。
2009年06月13日
コメント(4)
九寨溝一帯は貴重な野生動物が棲むことでも知られており、パンダも生息しているという。パンダはよくこの湖近くにやってきたため、その名も【熊猫海】という名称になった。水の色は、五花海よりも深みを帯びていた。チベット族の民族衣装を着て、自分のカメラで記念写真を撮る若い女の子。「15元(約230円)!15元!」チベット族の人たちが、それはうるさく言ってくるが、若い子に似合う衣装で私だとピエロかな。次に「箭竹海」へ。「やちく海」のやちくは、パンダの好きな竹の名前だ。映画「英雄」のロケ地になった湖で、特別に許可がおり、湖面が静かになるまで長時間待っての撮影だったらしい。もう一度DVDを借りて観てみたいと思っている。さて、原始森林を散策して、バスに戻り、中腹にあるレストランで昼食となった。多くの人でごった返しており、仕切りのある学校給食用のようなお皿をもらい、バイキングの食事だった。う~ん。これもあまり口に合う物が少なかった。休憩もそこそこに、午後の観光に出たところ、どうも雲行きが怪しくなってきた。朝はとても良かったのに、山の天気は分からないものだ。岩盤上に渡された木道を歩いて「珍樹灘爆布」では、持って着たカッパを着用して歩いた。と、いうことで雨が降りましたネ(^。^)V賭けに勝ったことを、すっかり忘れていたら、夕食時に誰かが、「さあ、さあ、昨夜と同じテーブルへ座りましょう。」と、覚えていて、例のご主人がビール3本を注文されました。中国ビールは、1本10元でノンアルコールビールみたいでちっとも酔えないけど、20000歩いてくたくただったので乾杯の一口は、それは美味しいビールとなり更に親交を深めた楽しい夕食となりました。
2009年06月10日
コメント(6)
九寨溝の湖沼を撮った写真が、いったいどれがどこなのか・・写真を整理してHPの方へ更新をしていたら、こちらの方が遅れてしまいました。まずは、代表的な美しい湖「五花海」をご覧いただきましょう。ため息が出るほど神秘的な美しい湖を次々と巡った。なぜマリンブルーな水の色に?大量の石灰を含んだ地下水が湧き出し、石灰が堆積物に付着した結果透明の湖底には、樹氷のような「石灰華」が横たわっり、倒木に石灰が付着してできたものです。とりあえず、3つの湖の写真をこちらに更新しました。是非ご覧ください。
2009年06月06日
コメント(6)
1992年に世界自然遺産に登録された九寨溝は、四川省の北部、南坪県の岷山(びんざん)山脈の標高3400メートルから2000メートル付近に位置している。朝8時にホテルを出発したバスは、九寨溝の入り口に着いた。すでに沢山の人たちである。チケットを購入するのに、パスポートを提示して許可証をもらって、いよいよゲートを通過です。九寨溝内では個人客も団体客も専用の天然ガス利用の低公害型バス「九寨溝グリーンバス(九寨溝緑色旅遊観光車)で各景観ポイントを周遊するか、すべて徒歩で巡るかを選択できる。一番奥までは片道30Km以上あるので、私たちは予約された専用バスに乗った。チベット族の可愛い女の子がガイドをしてくれるのかと思ったら、初めから終わりまで一言も喋らなかった。ただ前に乗っているだけ。深緑の森、紺碧の水、エメラルドグリーンに輝く九寨溝に何も言葉はいらなかった。<つづく>
2009年06月02日
コメント(2)
全572件 (572件中 1-50件目)