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おととい、至極のリラックスと「休め!疲れてる!」という体からの強烈なサインを受け取ってから・・・時折めまいも伴うような疲労感に襲われています。少ない記憶をたぐりながら(寝てましたからね、ヨガクラス)、横になって眼の手当てと瞑想をしてみました。めまいはなくなって肩に感じていたものが軽くなった気がします。(これをいいことにパソコンの前へ・・・だから休めってば。)5分の瞑想で20分の昼寝と同じくらいの休息になるといいます。楽な姿勢で眼を閉じて、腹式呼吸。吸う息よりも吐く息を長くして。これだけだったら仕事の合間にもできますね。でも方法を知ったら今度必要なのは、休もうという勇気のような気がします。私は電車に乗っている間たまにやっています。空いた時間はがつがつ本を読むのが好きなのですが、眼が疲れた時や次に待っている仕事に気持ちを切り替えるため、と思って。ちいさいこどもがいたら、授乳の間なんかにもよさそうです。リラックスした母のおっぱいとその時間は、最高のプレゼントになりますね。
January 31, 2008
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長年の念願だったヨガを体験しました。目からうろこ!というか、目からけむり・・・(!?)が出たような感じ。なんのこっちゃって感じですが、帰ってから丸一日、ものすごい疲労感に襲われて過ごしました。ヨガの流派(?みたいなもの)はいろいろあるそうですが、今回体験したのはシバナンダヨガ。ポーズ重視のハードなものではなく、深い呼吸から得られる瞑想、精神の平安を目的としたもので、ポーズはあくまでそのための手段という感じの、「癒しのヨガ」。前日から頭を使いすぎていたせいもあって、途中(クラスの途中にですよ)睡魔に襲われる私。終りに必ずするという「屍のポーズ」での瞑想(初回なのでそこまでいけませんでしたけど)中には、ほんとうに寝込んでいました。ははは。リラックスしているには違いないんだけど、何なんだこのだるさは~と思っていたら、先生が言ってくださいました。「疲れているということを自覚されたんですよ。」と。・・・目からうろこ!というか煙!しつこいようですが実際には(!?見えないんだけど)目からでた煙に頭全体、体のほうまでもやもやと覆われているような体の重さを感じていたんですよ。・・・私、自分がこんなに疲れてるなんて知らなかった!だからかー。リラックスしていたらすーっと寝入りそうなものなのに、いきなりガクンと意識がとぎれたという感じだったんですね。自分のこころの中にあるものを知りたい、といつも思っていますが、今日あったのは「疲れ」だったようです。自分の疲れさえ、自覚しないでいたとは。知りたい知りたいと思って、体を壊すまで尽くすタイプです、はい。情報過多といわれる時代、業務に追われたりパソコンやテレビなど電子画面を凝視することでさらに、頭でっかちな、休まらない精神状態に陥っていると言われます。もちろん体も緊張しつづけています。やりたいことはたくさんありますが、休みたいというサインも受け取れるようにしておきたいですね。ちゃんと疲れをとって寝る。そういうケアを毎日してあげれば、そんなに大きく疲れがたまるってことはなくなるんじゃないでしょうか。こどもって正直ですね。「疲れたら寝る。」必要なことがちゃんとできている。だからいつも元気。そういう環境を整えてあげている母がいるからですけれどね。だからこそ、こどもに安心な環境を用意してあげられるように、母自身のからだのケアにも目を向けたい。そう思います。今日一日がんばった私のからだに感謝して。
January 29, 2008
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少しずつブログを書いていますが、また急に書きたくなったり書かなくなったりするとおもいます。まだまだこころもからだも不安定です。でもここに思いが溜まってきたら、ニューズレターを再開したいなあと。(去年発行したものをずっと持っていて、それを頼りにKuuを訪れてくださった方がいたそうです。ありがとうございます!)手で書くのが好きなようで(パソコンよりはるかに!)、じ~んとくるニューズレターをみると(完全な身内褒めです、笑)、私もかきたいなぁと思うようになりました。こころが揺れても戻ってこれるように、自分のこころの中にあるものが感じられるように、それをできるだけのからだをつくれるように、やっぱり毎日丁寧に、一生懸命生きることですね。生きていることをあたりまえに感じていると、ついつい忘れてしまいます。私には何より強い意志が必要・・・!母の寺子屋から≪寺子屋TIMES≫発行中です。母になったからこそ知る真実。そこにあっても見ようとしないと見えない現実。こどもとの生活から、「生きる」とは、地球のおかれた環境、ひいては私たちの現状まで考えます。お読みになりたい方は、母の寺子屋開催日にお越しください。2月の予定更新されています。→http://www.kuukuu.org/
January 27, 2008
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人の心を癒すものの筆頭といえば「時間」。時がたてば・・・とか悲しみや怒りについてよくいわれます。がこれは「時間の長さ」じゃなく、「来たる時」、つまり時の節目、きっかけじゃないかと思うのです。時の節目というのは、時間はたえず流れているがゆえにやってくるもので、そのなかで人の愛によるきっかけによって、滞らせていたものをゆるめることができるのではないかと思います。去年の夏に息子を看送ってから。母のためのボディケアクラスを立ち上げる目標は大幅な休息をとることにし、ブログの更新もやめていました(そのまえからまちまちでしたけれどね)。おなかがすくからごはんは食べていたし、家事をしたり、仕事復帰はすんなりしていました。夫とは以前にも増して、仲良くなっています。一緒に大きな仕事をやりとげると、絆が強くなるようです。ですが新しいことをする、というのはとても勇気がいります。息子の入院前後(と結末)の経過を知らない人に会うというのも、とても勇気がいります。そして「母」じゃなくなったことが、とても気持ちを小さくしている気がします。私が息子を産んだことも、一緒に暮らしたことも、一生変わらない事実。私が息子のことを想う限り、母親のこころであることは変わらないのだけれど。多くは記憶、であって、昨日も今日もこどもに手を懸ける母の仕事をしていないという現実。人前に出るたびに、「今はこどもいません」と言わなければならない現実。仕事は復帰できたのに、新たに出会う母たちのまえにでることにブレーキをかけているのはこんなことが理由かもしれません。母の寺子屋では、ありがたいことに以前からお越しいただいている方にはご理解いただいています。一方初対面の方には、多くを語らず・・・になってしまいがち。先日質問に答える形で告白したら、やはり相当びっくりされてしまいました。でも居合わせた方の素直な表現と、愛あるフォロー(とわたしの大いなる焦り)で、場の空気をすこししんみりあたたかく、再浮上させられたのです。そういうできごとがきっかけとなり、どうやったら真意が、やわらかく伝わるのか考えられます。それから節目。○か月たったなとか、何かの記念日とか、1年が終わり新しい年になるとか、1日の終わりとか。それまでを振り返るポイントがあるから、これから先にどうしようと考えることができる。これは時間のポイント(節目)がそうさせているのであって、長さではないなと。きっかけはひとの思いや時が運んでくるもののようです。雨が川となって海を作り、また雨になるとめぐるように、時間やひとの思い、命も絶えず流れてめぐっています。明日はむすこの3回目の誕生日。友人家族といっしょにパーティです。また何かのきっかけとなるでしょうか。
January 26, 2008
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きれいな言葉って、なんて人をしあわせにするんだろうと思うことがありました。すこしの間、志をともにして学んだ彼女。このブログが更新されているのをみて、その喜びをメールでくれたのです。飾らないけどとても響く、押し付けがましくなくでも確実に届く、ああうれしい、わたしのことをみてくれてるひとがいる、わたしのすることをよろこんでくれるひとがいる、とほんとうにうれしくてあたたかくなる言葉たち。背中を押してくれる、という感じよりは、胸の中にポッと灯りをともしてくれる感じ、というのが近い。強くなく、弱くなく、力じゃなく、風や光という感じ。そこにあるんだけどないような、相手を決して揺さぶることなく、なでてくれるような。・・・わたしの表現力ではつたなくて歯がゆいです!時にことばは暴力にもなります。横入りして相手の表現や時間を奪ったり、ミサイルのような鋭さで相手の胸をうち砕いたり、場の空気を沈めたり。相手に思いを伝えるには、その人を思う気持ちと、口調と言い回し、そしてタイミングが大事なのでしょうか。言いたいことを言いたいように時分なく放つだけだと、自分の気持ちを突き刺すことになってします。思ったことを口に出すことは必要ですけれどね。わたしは自分が出すことも好きだし、相手にも、何を思っているのか出してもらったほうが好き。押し込めると自分を苦しくさせる毒になってしまうから、私は表現することは健全なことだと思います。それをできれば適度に、適時に、ということ。私は彼女にいくつ、こういう言葉をもらったんだろう。人を害さない表現は大人のマナーとして、人をあたたかくする極上のデザートのような表現ができる、ソウイウヒトニワタシモナリタイ。
January 25, 2008
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床に手が着きました~!立った姿勢から前屈して、「おぉ~っ!」というおっとの声♪膝は伸びてます、おしりが上を向いてます、首は脱力しています、てのひら全体が床に接しています!夜のストレッチメニューをひととおりやった後、昨日までよりもうんと伸び率がよかったので、効果判定してみました。アスリートの方からみたら何にもすごくないのでしょうが、運動オンチのわたしとしてはとてもうれしい!!わたしもやればできるんだ~とひとりご満悦。大きく自由に動かせるからだ、エネルギーがすみずみまでよどみなくめぐっているからだを作りたいと思い、毎晩ストレッチをしています。毎日本気でやろうと決めて一か月くらいでしょうか。見た目が、「からだ堅いからがんばってストレッチしているひと」じゃなく、「気持ち良さそうにストレッチを続けているひと」に見えてきたとおっとにいってもらえるようになってきました。夜は床の上に座った姿勢メインで、リラックスできるようなメニューを。朝や日中は立った姿勢で人と話しながらでもできてしまう、簡単だけどエネルギッシュメニューを。究極の目標は、「必要なだけ動いても、翌朝ちゃんと早起きできる体」。家族の衣食住を整えること、仕事と、たまに踊りや遊びを加えても、翌朝ちゃんと起きれること。それには基本的な体力が必要です。それを支える筋力や、心肺機能や、その日の疲れを残さないケアなども必要です。そのためにやるべきこと、やれることはたくさんみえていますが、いっぺんにやって丸つぶれ・・・になりやすい質なので、ちょっとづつちょっとづつ。ということで今欠かさずやっているストレッチ。こつこつ続けることって難しいですが、「早く効果を見られるようにする」というのが私にはとっておきのやる気持続法だと発見しました。太陽礼拝のポーズをしたら、床が近いんですよ。あの、天を仰いで、次は大地に手を・・・というときの距離が!床が倍速ズームで迫ってきました。今度はどんな効果をあげましょう。
January 20, 2008
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今日は母の寺子屋の新年会でした。秋保の無農薬農家佐藤さんの手作りお惣菜でランチをいただきました。いつ食べてもおいしいですね~。おいしくてつい、たくさん食べちゃおうっ!なんて一旦頭をよぎるのですが、食べ進めるとおなかいっぱいの手前で自然にはしがとまります。正しいごはんは味だけでなく、食べ方も教えてくれるんですね。今日のバイキング方式で気づきました(いつもはお弁当ですもんね)。そんなごはんでからだもこころも浄化に傾いたのか、みなさんしゃべるしゃべる!女が寄ってだまってるなんてことはないとは思いますが(笑)、保育所の入所準備のことから出産秘話から、母の寺子屋へのリクエストまで・・・ありがとうございます!!おいしかった~楽しかった~また行こう~、という場所ならいくらでもあります。それでもここに集まってくださる方は何かを求めてるはず。「行ってる(とか持ってる)ことに満足」してしまっては、その行動もファッションと埋没してしまいます。わたしたちも求めています。どうすれば生きやすくなるのか、生きやすいとはどういうことか、どうすれば家族を楽しめるか、そのために母は何ができるか、わたしたちが生きている世の中って何が起こっているんだろう、ほんとうはどうやって生きていきたいんだろう・・・・・・考えています。そして考えたことを誰かに話してみると、会いたい人に会えたり、事が動いたりします。今日は終盤とてもみのりのある話し合いがありました。わたしはこころの隅のほうにおいていたものに光を当てる機会をいただきました。いろいろな情報がありますが、間違っているとか正しいとか、という基準はひとそれぞれが持っていていいもの。それをどう感じるのか、という真実をいつも持っていたい。その真実が、ことばになり、行動になり、信念になります。そういう思いの積み重ねこそ、わたしたちの住処を守ることのできるたったひとつのこと。そういう思いを集約できるところをつくりたい、それで母の寺子屋はできました。母の寺子屋は来月一周年を迎えます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
January 10, 2008
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