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小5の英語でローマ字のテストをやってみた。テスト自体は何ということはない。五十音表に対応したローマ字を書くだけなのであるが、テスト用紙を配布するのではなく、ノートに表を作らせたのである。
私が白板にこういう風に書くんだよ、と書きながら指示を出したのであるが、5年生はさすがに作業能力が低い。段を間違えたり、分からなくなって固まっていたりする。
「ここ間違えているよ」「分からなかったら聞くんだよ」と言って回る。新しい「単元」を教えるだけではなく、作業能力を高めるためのアプローチがなければ子どもを伸ばすのは難しい。回りくどいようであるが、こういうことをしっかりやっていきたい。
例えば生徒達に「お知らせ」を配る。作業能力の高い子は瞬時に角を揃えて二つに折ることができる。こういうところに無頓着で折り目があっていなくても平気な子は総じて学力も低い場合が多い。(天才肌の子は興味のないことに驚くほど無頓着だったりすることもある。Tシャツを裏返しに着ていて気づかないなんてことがある)
今、「無頓着」と書いたが、勉強ができない子は多くのことに「無頓着」だ。下敷きがなくてもこだわらない。赤ペンがなければ蛍光ペンで書けばいい、定規がなければフリーハンドでOK、曲がっていてもべつに平気。そんな子の学力をつけるのは本当に大変だ。
ではどうすれば、頓着することができる子を育てることができるようになるのか。私は「型」を身につけさせることしかないと思う。だから「型」が身につくまでは口やかましい先生でいなければならない。今進学塾SORAは「型」を身につけさせる「初期設定」の大切な期間なので、「くんずほぐれつ」の指導である。
かつて日本の「習い事」というのは「型」を大切にした。それはときに窮屈で、うっとおしいものであり、団塊の世代以降の人間はこれを疎んじた。「自由」と「解放」を叫んだ思想はこういうところにも及んだのである。そうして「かくあるべき」という基本の「型」が文化の中から消えていった。そしてだらしない人間がうんと増えた。もう日本人の特性を「勤勉さ」と言ってくれる外国人も相当に減っただろう。
ところで、反抗期を迎えた子どものためにも「型」や「ルール」は大切である。小さいころから「型」や「ルール」にうるさかった家庭では子どもは反抗しやすい。「ルール」を守らない姿勢を見せるだけで彼らの「反抗心」は満足する。朝の「おはよう」を言わなかっただけで「反抗」できるのだから。
一方、「何をやっても認められる、子どもの心を大切にした」教育方針の家庭では、子どもは「反抗」するのが難しい。なんといっても何をやってもよいのである。だから、彼らの「反抗心」満たすには、家を破壊するか、親を殴るか、犯罪を犯すしかないだろう。
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