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2026年07月24日
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カテゴリ: 御朱印:神奈川県
ペリー来航で名高い横須賀市浦賀の浜に、2社の叶神社が鎮座しています。入江を挟んで東西の岸辺に境内を広げ、古くから浦賀の鎮守として信仰されてきた神社です。
叶神社とは言いますが、祭神からも分かる通り八幡宮の系統です。八幡宮と言えば源氏の氏神として、源氏一門から篤く信仰されてきました。鎌倉御家人が多く移り住んだ奥州の地にもかなりの数、鎮座しております。心願成就の神徳が有った事から叶神社と称され、今でも参詣者は溢れんばかりでした。

2026.5.3
西叶神社


海岸沿いの細道に面して鳥居が建っています。
白く輝く神明鳥居の先には参道と駐車場。車でも安心。



なんかもう凄いのが見えていますよ!やはり黒地に金の装飾は映えますねぇ



参道の階を上っていくと、南国風の棕櫚?蘇鉄?の木に飾られた社殿がお出迎え。東海地方まで来ると、植生もだいぶ南国風になってきます。青森ではまず見ませんね。
荘厳を極めた外観は、その崇敬の篤さを如実に表しています。これが源氏再興の大願を成就せしめたと噂される八幡宮の今なのです。



ご由緒です。
叶神社(西浦賀)

主祭神:八幡大神(誉田別命(十五代応神天皇)、比売大神、息長帯比売命(十四代神功皇后))
相殿神:天照皇大神、食保神、大国主神、少名彦神、火産霊神、白山比売命

 当社は養和元年(1181年)神護寺 文覚上人が京都、石清水八幡宮より勧請し創建しました。
 その由縁は、文覚上人が源頼朝の為に源氏再興を発願し、治承年間(1177〜1180年)上総国(千葉)鹿野山に参篭しました。源氏氏神と称え奉る石清水八幡の神に祈念をし、源氏再興の本願が叶えられれば勝地を探し求め八幡の一社を建立、末永く祭祀をせんと誓いをたてました。
 養和元年大願成就の前兆を感得し、社殿建立の勝地を求め、各地遍歴の末に鹿野山に相対する浦賀西岸の現在地に石清水八幡宮の神を祭祀する社宇を建立し、文治2年(1186年)神の霊験により源氏再興の大願が叶うたところから、叶大明神と称するようになりました。
・・・。
 源氏再興叶い、石清水八幡宮より勧請創立したのだが、この神社の管理のための別当として、文覚上人のあと、代々真言宗古義派(高野山系)の僧侶が置かれた。
 ・・・。

 元禄5年(1692年)、江戸幕府の行政政策により、浦賀は東西の浦賀村に別けられた。行政区域の分離は、それなりに各々の村意識を生じさせるのであって、総鎮守は西岸に所在していたから、長い間、その氏子として叶神社の御神徳を仰ぎ戴いてきたことにより、東岸にも今まで通り、同じ御神徳をと願う信仰心が分霊祭祀となった。
 叶神社が2社あるのは諸説あり、「三浦郡志」(大正7年)には、「叶神社、当地には叶神社と称する神社2社あり、1つは東岸新井にあり、1つは西岸宮下にあり。共に村社にして応神天皇を祀り、伝えて養和元年僧 文覚の勧請とす。記録によれば、叶神社はもと叶明神と称し、西浦賀に在りて浦賀一村の鎮守なりしが、元禄5年浦賀村分村して、東西に2ヵ村となりしより、東浦賀に叶明神を勧請したりと云ふ。旧幕府時代の地誌は東叶神社を若宮と書せるにても事情察し難からず、西叶神社は歴代の浦賀奉行毎歳春秋二季に幣帛を献ずるを例とせり。」
 「新編 相模風土記」巻123には、「東浦賀 叶明神社 正保元年(1645)9月19日。西浦賀の本社を勧請し牛頭天王、船玉明神を合祀す。」とある。



勧請者の文覚上人、かつては平清盛や佐藤義清(西行法師)などと共に北面の武士として白河上皇の身辺警護を担った武人であったようです。同僚の渡辺渡の妻 袈裟御前という美女に恋焦がれるあまり、夜に屋敷に忍び込んで寝ている渡を切り殺してしまいます。しかし切り殺した者の顔をみて絶望、それは袈裟御前その人だったのです、という悲しい話が伝わっています。
その後追手から逃れる様に熊野山地にたどり着き、そこで死に向かわんばかりの修業をしていると、寸でのところで矜羯羅童子・制多迦童子に命を救われるのです。そして真言宗の僧 覚鑁と出会い仏門の道へと進んだ、と言うのが概要でしょうか。なかば伝説的な内容ながらも、落語や小説の絶好の題材として愛されております。私の愛読書 夢枕獏先生の「宿神 第1巻」にも、遠藤盛遠が文覚になるまでの発心譚が書かれており、かなりインパクトの強い内容だったのでかなり印象に残っていますよ。

因みに12世紀と言えば神仏混淆全盛の時代ですが、当然当社にも別当寺院が存在していました。公式サイトに詳しくまとめられていますので、引用してみましょう。
虚空山 感応院 西栄寺(廃寺)


開山・開基:文覚上人
古本尊:虚空蔵菩薩
本尊:不動明王

別当 感応院
 既述した如く、叶神社は文覚上人によって、山城国石清水八幡の神を勧請した当初から、僧侶とのかゝわりが深く、つまりは仏教との因縁を神社創建以来持っていたのであった。
 平安初期以来、仏教面から説かれた本地垂迹(仏を本地とし、日本の神を仏の垂迹の顕れとする)の思想に基く、神仏融合は1,000年近く、日本の宗教界の主流を形成して来た事は、周く知られているが、殊に、平安・鎌倉の世は、これが盛んであったと云えよう。
 叶神社とて例外ではなく、むしろ、文覚上人勧請と云ういきさつからも、養和元年(1181年)創建以来明治元年(1868年)迄、687年間にわたって、叶神社の管理・運営及び祭祀まで、真言宗(古義派)の僧侶によって、司祭・維持がなされてきたのであった。この僧侶・寺院を別当(別当寺)と呼ぶ(但し、鶴岡八幡宮は供僧の上に、別当が存在していた)。
 別当とは、そもそもは大寺院の寺務統轄の僧官の名称で、天平勝宝4年(752年)5月、良弁上人を東大寺別当に補任したのが、初見であるが、ここに述べる別当とは、正しくは、叶神社の別当寺と云う意味である。しかも、この別当寺の僧侶が神官の役割をも果して来たのである。

 叶神社の別当寺は、山号:虚空山、院号:感応院、寺号:西栄寺と号し、古義真言宗で、江戸時代は逗子の延命寺(黄雲山 地蔵院、古義真言宗、高野山金剛峯寺末、行基創建の伝承を持つ)の末寺で、本尊不動明王であったが、古は、文覚上人自刻の虚空蔵菩薩であったと伝えている。
 伝承によれば、文覚上人が房総の地より当地に来航の海上で、虚空に雲霧現れ、それに霊気を覚え、その雲霧の流れ動く相を観じ、浦賀西岸の嵐山(叶神社裏山)こそ、神明のしろしめす聖地と定め、草庵を結び、石清水八幡の神を歓請し、源頼朝の源家再興を祈祷したと云う。霊気を帯びたる雲霧の虚空出現の奇瑞と云い、源家再興祈願の效験と云い、この神の感応著しく、これによって、虚空山 感応院と云う山・院号を名称としたと称す。そして、嵐山の草庵跡を、文覚畑とか虚空蔵屋敷と云う名称で現在に伝えている。
 なお、『三浦古尋録』に「大塚小塚ヱ行道筋二平等寺崎ト云所有、是ハ文覚ノ旧室平等寺ノ跡ナリト云」と云う記事があるが、これについては委細未評である。

 さて、この感応院の位置は、社殿と社務所の中間にあって、宮下の道路に面して表門(古くは四脚門であった)があり、客殿は、間口七間(12.62m)、奥行き七間の正方形をなし、玄関を入って正面奥の仏間に本尊不動明王を安置していた。この為、表門から宮下の道路を突きって、海岸に出る小路が、不動横町と俗称されていたと云う。
 別当僧の住宅は、現在の社務所(住僧の住宅を改造して社務所としたもので、関東大震災前迄の建物であった)の位置にあって、間口三間半(6.3m)奥行き八間(14.4m)の長方形の建物であった。
 歴代住職は、初代を開基 文覚上人として、『感応院累代帰天釈明聯記』(後掲)によれば、法印玉応まで、つまり、養和元年(1181年)より明治元年(1868年)の間、687年間、六十九代に及ぶが、二十二代・四十五代・五十五代から六十五代、それに六十七代に住職の名は空白になっている。又、二十四代法印宥快・三十一代法印慶辨・四十四代阿闍梨恵果・五十一代権大僧都義龍・六十六代法印実如の五人の住職の歿年は不明である。
 明治元年8月、第六十九代法印玉応は、別当住職をやめて神官となり、「神明の感応と奇瑞の現象を永く記念せんが為」(『郷社叶神社史』)姓を感見と改め、感見清(信明)と名乗った。この人をもって、西岸の叶神社の初代神官とし、現住の宮司は第七十五代目(神職宮司六代目)になる。

文覚上人を開山に仰ぐ虚空山 感応院 西栄寺が別当を務めていた様ですね。現存こそしませんが、↑の様にかなり詳しい由緒が残っているのは嬉しい所。近代になって神官に転じており、そこから感見という姓を名乗り今日まで血脈が続いています。
かつての本尊は虚空蔵菩薩。特に仏像などが残っているわけではないようです。しかし寺宝に、文覚上人奉納の虚空蔵菩薩が刻まれた神鏡(陰刻の懸仏)が伝わっており、これが御正体として神社に置かれていた可能性はあるのではないでしょうか。

それでは社殿の彫刻を見ていきましょう。
現在の社殿は天保13年に再建されたもので、彫刻は安房国の後藤利兵衛義光の手になる物なんだとか。義光の作品の中でも、当社の物が生涯一の作と称されているようですが、これを見るとそれも当然だと思ってしまいます。なんて美しい彫刻なんでしょう・・・

正面・側面の蟇股には何れも龍。木鼻には獅子と象。懸魚には鳳凰と瑞祥奇瑞の嵐となっております。かなり縁起が良さそうですね!



側面からもどうぞ・・・!



向拝の天井には、何とも見事な陽刻の28匹龍の図!こんなもの見せられた日にゃぁ、興奮で眠れなくなっちゃいますよ



これら以外にも、天井画や幣殿なども物凄い出来です。 公式サイト

ここからは境内社のご紹介。
末社などは社殿右側に固まっています。鳥居付のこちらは福寿弁財天。嘉永3年(1626年)の勧請と伝わります。奥には金幣。御神体でしょうか。



その隣には四社宮。内訳は以下の通りです。
  • 三峯神社:明和7年(1630年)8月勧請。旧西浦賀村 商人諸廻船航海安全の為
  • 船守稲荷神社:元文4年(1739年)2月勧請
  • 大鷲神社:元鎮守と称し、叶神社創立前勧請
  • 淡島神社:享保9年(1724年)5月勧請

斜め向かい、大小の社が見えますね。
大きい方が老山福寿稲荷神社。旧西浦賀村宮下店住民により、享保11年(1726年)2月勧請。




そんでここから登った所に、もう1社鎮座しています。



少し高い所に金比羅神社。
幕府船改番所設置後、享保11年(1726年)諸船舶航海安全の為、旧西浦賀村住民によって勧請されました。高台にある事からも、修験味が感じられる社です。



高台からは東岸が臨めます。
あのこんもりと茂った丘に浦賀城が建っていた様ですね。その麓にはもう1社の叶神社。写真左側に屋根だけ見えています。



斜めから。
入江の東西に同じ名前の神社が有るというのは、なかなか珍しい事ではないでしょうか。以前より気になっていて、三浦三十三観音霊場巡礼に際して参詣が叶いました。東西どちらも素晴らしい社殿で、外観も歴史も両方楽しめる、面白い神社です。



今回貰った御朱印です。



公式サイトへのリンクです。
・相州浦賀宮下鎮座 西岸 叶神社

以上です。






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最終更新日  2026年07月24日 22時36分39秒
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