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吉国山 龍華院
曹洞宗 妙亀山廣巌院 末寺
開山:桂節宗昌
開基:曽根祥雲道慶
本尊:釈迦三尊
御坂山地山麓の境川村から、豊富村にかけて、笛吹川の左岸に連なっているのが、曽根丘陵である。この丘陵の上や裾の一帯には、銚子塚古墳(国指定の史跡)・大丸山古墳を中心に、多くの古墳群が分布し、『風土記の丘』の構想が進められている。竜華院は、この曽根丘陵の裾、中道橋から右左口へ抜ける甲府・精進湖線(国道308号線)沿いにある。
昭和54年夏、ここ『風土記の丘』の一角、上の平で、前方後円墳より古い、豪族墓制を示す方形周溝墓50余基が発掘された。これは、わが国で最大の方形周溝墓群として、注目されている。
この寺が開かれたのは、嘉吉元年(1441年)、曽根の豪族 曽根祥雲道慶が、広厳院開山 雲軸宗竜の高弟 桂節宗昌を、開山に請じてからである。桂節はこの寺を拠点に、禅道を広め、竜華院は甲州常法幢七ヵ寺として、末寺180ヵ寺を超える大勢力に発展した。現在は、本堂を残すのみだが、幅広い参道の石段、中門の礎石にも往時をしのぶことができる。
以前は、境川・寺尾にあった前附山 大祥寺と称する真言寺院で、大同元年(806年)の草創と伝えられる。その後、衰微していたところ、威韓和尚が南北朝時代はじめの暦応(1338~1341年)の頃、いまの地に移して再興したが、再び衰えて廃壊していたのを、曽根祥雲が再建したもの。同院五世の角雲玄麟は、甲斐河内領主 穴山信友の弟で、甥の穴山梅雪の外護も受けてきた。
寺宝に大祥寺伝来の伝弘法大師作観音・聖天像、小野道風の真跡と伝えられる般若心経1巻などを所蔵している。また、山続きには、竜華院の守護神であった日枝神社がある。明治以降それぞれ独立したが、日枝神社には天文(1532~1554年)の頃、遠江から移された紙本墨書の大般若経が所蔵されている。
徳川家康が天正10年(1582年)甲斐に入国した時、この竜華院の寺号を聞いて、竜は雲を得て国土をあまねく潤すものなので吉祥であると喜び、寺領33石余を寄せ、のちにさらに加増したという。また、日枝神社の神事である流鏑馬を見て、この祭典を奨励した話などが伝わっている。
火車の伝説
寺の裏手、滝戸山に神通力を持った『火車』という怪物が住んでいた。村の葬式があるたびに黒雲にのってやって来ては、棺桶を奪って死人を食べていた。そこで竜華院の和尚は葬式を2回出し、初めの棺桶には石を入れて火車をだまし、そのすきに仏を無事寺に納めたという。





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