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2024年06月26日
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青森市街から八甲田方面に車を流していると、大きな石鳥居が見えてきます。小さい時から何なのか気になっていましたが、神社や寺に興味を持ってからは大星神社の鳥居だということが分かり、数回お参りしに行っています。
大星神社は青森屈指の古社で、坂上田村麻呂創建の御由緒があります。旧社格は郷社ですが、津軽氏の歴代藩主に寵愛を受けた県内でも存在感のある神社です。
何よりも”津軽大北斗七星”の伝承や、ねぶた起源伝説など複数の伝説の舞台となる景勝地でもあるみたいです。

2024.6.9
大星神社


国道103号から大きな一の鳥居が見えます。結構ヒビが目立ちますが、それだけ歴史があるということでしょう。今回は表参道からお参りしたいと思います。



説明書きです。




青森市指定文化財(有形文化財)
古面9面、額1枚

大星神社は延暦11年(792年)蝦夷鎮護の祈願所として草創され、その後、坂上田村麻呂が本殿を再興したと伝えられている。
江戸時代には妙見堂と呼ばれ、津軽藩の祈願所の一つとして外ヶ浜一帯で崇敬された。



簡単に御由緒を知ったところで、さらに参道を進んでみましょう。

参道脇に鳥居がありました。何やら木の根元に石碑が二つあります。



右は猿田彦大神、左は・・・何だったかな・・・。



一の鳥居から3分くらい歩いて二の鳥居が見えてきました。こちらは朱塗りの鳥居です。



三の鳥居です。津軽らしく稲わら細工で飾られています。注連縄も良いですね



この三の鳥居脇の枝垂れ桜は”妙見の桜”と呼ばれているそうです。花を咲かせる頃にもう一度お参りしたいですね。



説明書きです。




大星神社 枝垂れ桜の由来

江戸時代から桜の名所として人々に親しまれてきたのが、大星神社の「枝垂れ桜」である。
開花時は爛漫と咲き誇り、あたかも白雪のようなその姿は「妙見の桜」と呼ばれている。
樹齢は350年。高さ14m、幹周り4.12mあり、枝垂れ桜としては県内トップクラスであるという。30年ほど前幹に大きな穴が開き、衰え始めたが、治療や土壌改良が施され、近年では樹勢が回復し、古木の風格と貫禄ある姿に戻りました。
津軽家4代藩主信政は、境内の雑木を取り除いて庭園を築き、桜の名所である奈良県の吉野から枝垂れ桜を取り寄せて植えた。
大星神社「社殿」より

平成30年3月 妙見まちづくり協議会



次は裏参道方面を見てみましょう。朱塗りの小鳥居が立っています。



少し行くと、昔は池だったのか橋が架かっている小島があります。水に関する神格が祀られているとは思いますが良く分かりませんでした。



小島の中央には3つの石が。表面に文字が刻んであるわけでも無く、何の神格かは分かりません。



小島から本殿に近付くと、妙見宮という社が見えてきました。




扁額です。これが青森市指定文化財なんでしょうか。



社内はこんな感じ。篆書で書かれた”妙見堂”の扁額があります。どっちが文化財なんでしょうか?



では拝殿の周囲を見ていきましょう。四の鳥居をくぐります。



まずは手を清めましょう。手水です。



拝殿右手には馬頭観音堂があります。鳥居もあり、神仏習合の要素が残っていますね。



御堂内には白馬の御神体がありました。



次に拝殿左側です。石碑群と二つの社があります。
これは石碑群の内、独立しているものです。何の神格を祀っているんでしょうか。



これ以外の石碑群は屋根付きです。鳥居もあります。待遇に差がありますねぇ。



猿田彦大神、山の大神、石神大神、龍神大権現・・・。



庚申、二十三夜大神・・・などなど。



稲荷神社の社。



薬師神社の社。



拝殿です。紅白の美しい社です。
主祭神は天御中主神、次いで祭神は右:磐余彦神(神武天皇)・経津主神・武甕槌神・日本武神、左:磐裂神・根裂神・素戔雄神と錚々たるもの。蝦夷征伐の祈願所だったということから、全体的に武神が多いような気がしますね。勝負がある方は是非お参りください



大星神社の扁額。



拝殿脇に説明書きがありました。ネブタ発祥伝説についてのものです。




郷土に伝わる女酋 阿屋須と鬼面伝説

地方伝説に依ればその昔津軽には岩木山を本拠地とする大丈丸、糠檀の嶽(こうだのだけ)八甲田山を本拠とする女酋 阿屋須が居しが、特に阿屋須はその所不明にて一策を講じ、仲間をとらえ糠檀の山中井戸澤に城郭を造り潜伏し居るを知る。四壁断崖草木うっそうと昼なお暗く容易に行ける場所でなく、ここより一里余の霧隠という大石の上に番兵2名に狗の仮面をかぶらしめ、事ある時は1人は胡沙笛を吹き非常を告げ、もう一人は飛鳥の如く駆け走りその状勢を報告、井戸澤めざして進むと番兵が胡沙をしきりに吹き怪しき濃霧がにわかに覆い霧の中、毒矢を烈しく放ち止むなく山中に露営を張りて滞陣。この時将軍の詠みし歌ならんと「こさふかば くもりもぞするみちのくの 蝦夷にはみせじ 秋の夜の月」。
不思議な事に霧隠石を出れば全く別天地の様に雲もなく月明るく、頭上に銀河現れ七星東北の分野を照らし、将軍悪鬼退散を願い祈りて寝ると、夜中夢に北斗七星降り告げて曰く「此の仮面を被りて兇賊をたおせよと」。目覚めると鬼面7個あり、此神の賜ものと神慮の程を畏み奉りて、夜明けを待って7名にこの鬼面を付けて進撃すると、番兵いかに胡沙を吹けども雲霧更に起こらず、毒矢を放つも又当たらず。此を見て阿屋須の回りの者、巣窟を逃れ出んとする者多く、修羅王のごとく暴れる阿屋須を制し、多くの護衛を附して、本営行岳(なみおか)に送らしむと又、副首領の頓慶なるもの、頓慶山に潜伏し居るを知り攻め入れば、是又胡沙を吹き毒矢を放ちたるも効なき故、散々に逃げ出し討伐されるが、頓慶は佐和山に於いて討たれる。頓慶は茨葎の上を駆ける事あたかも平地を走るが如く足地につかず。毒気のごとき息を吐き、その口中上下とも二重の歯が有り、此のごとき怪物故、悪魔鎮護のため祠を佐和山に建てて祈れりと云う。後年頓慶住みたる谷に人移り住みたれど、常に雲霧ありて雲谷村と称し、山の名頓慶山と号せり。夷賊平定後鬼面7個を納めて妙見社と崇め、北斗寺を建てて之を祀るが、明治3年神仏分離令により大星神社と改称する。
※資料 うとう7号、横内村史


日本最大の悪鬼大嶽丸の伝承の片鱗が、津軽地方にも残っているんですね。
また、パンフレットでは「胡沙」の笛による霧に苦しめられた際に、竹・木・紙で作った人形や囃子で蝦夷をおびき出したことや、勝利した後に人形を引きながら「ねぶた流れろ、まめの葉にとっちぱれ、えいえいやあ」と歌い踊りながら帰ったのがネブタになったと書かれています。
そして頓慶が住んでいた頓慶山に建てられたのが妙見社(現大星神社)みたいです。蝦夷征伐の為に延暦11年(792年)に草創、田村麻呂将軍によって延暦20年(801年)に再興、というのがパンフレットの御由緒です。
蝦夷征伐というのは真実味があります。坂上田村麻呂以外の征夷大将軍が送られた事蹟に、様々な脚色がなされて成立したんじゃないでしょうかねぇ。

本殿です。文化4年(1808年)に津軽9代藩主寧親によって再建されたものです。



斜めから。
津軽地方には坂上田村麻呂創建の由来をもつ神社が多いですが、ここもその一つでした。一時は荒廃しましたが、津軽初代為信によって再建、二代信牧によって社殿修復、四代信政によって社殿再建・庭園整備、九代寧親によって本殿・宝物の寄進、などなど津軽藩の重要な社として大事にされていたことが分かります。
有名な菅江真澄もここを訪れており、妙見の林などと綴っているそうです。まだ一巻しか持っていないので、その表記は探せませんでした。資料代さえあれば・・・。悲しくもこれが明日の仕事のモチベーションとなります。



今回貰った御朱印です。



以上です。


2025.4.26
春詣出


津軽にも春が来た!桜を見に急げ!・・・ということで、かねてより気になっていた大星神社の”妙見の桜”を見に来ました。
目的の桜の他にも、参道から境内まで至る所に花咲き乱れ、何とも幻想的な風景が広がっています。やっと冬が終わったんですねぇ、今年もいろいろなところに行きたいです



この鳥居の脇に生えているのが”妙見の桜”です。



近くで見てみると、枝ぶりも力強く生命力に溢れています。津軽四代信政公によって植えられた吉野産のしだれ桜は、妙見の桜として今でも煌々と輝く花びらを付けています。津軽が誇る枝垂れ桜の古木でした。



桜はきれいだったんですが、社殿の方は痛ましい状態になっていました。恐らく屋根に乗った雪によって、社殿前面が破損。滑り落ちた雪によって手水舎倒壊といった感じでしょうか。
惨状を前に、背後では皮肉にもこれでもかと桜が咲き誇っていました。やっと前任宮司とのゴタゴタが解決間近なので、今年は行事などにも力を入れて頑張ってほしいですが・・・。まずは社殿の修復からでしょうか。今年もけっぱれさ!応援してらよ!



以上です。






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最終更新日  2026年03月13日 19時16分51秒
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