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神明宮由緒
当神明宮は、寛文四年(一六六四)伊勢の神宮に鎮まる「天照大神」をおまつりするため、大神の御神徳を国中に広めた伊勢の神主、御師によって旧喰川(現本町)に勧請されたと伝へられてゐます。
安永五年(一七七六)、広田組中(旧五所川原町、栄、中川、三好村ほか)の安全五穀成就祈願所として広田村大日宮(現神明宮)、吹畑村八幡宮とともに三年目毎に組神楽の執行方を仰せつけられました。
明治六年(一八七三)郷社に列格。
昭和十九年(一九四四)の大火で茅葺きの豪壮な社殿が灰燼に帰しました。
昭和四十年、三百年鎮座してゐた本町から字下り枝(現中央一丁目)に移転。境内は七倍、社殿も鉄筋コンクリート神明造の火事にも耐へるものとなりました。
土地区画整理によって現在地に再移転。平成八年に社務所、同九年、拝殿、同十年十月、竣功した清新な本殿に大神を遷し奉りました。
平成二十六年、御創建三百五十年を迎へ、式年祭を宵宮祭の前日に執行。永年途絶えてゐた「津軽神楽(記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財)」の奉納を復活させました。次の年から宵宮祭を二日間として神楽の奉納を続けてゐます。
御祭神
・天照皇大神 あまてらすすめおほみかみ皇室のご祖先の神さまで、日本の国の総氏神さまです。
神代、亡き伊耶那美命を訪ねた伊邪那伎命が、黄泉の国から帰って禊ぎ祓ひをされ、その左の目を洗ったときにお生まれになりました。高天原をお治めになる最も尊い神さまです。
天の石屋戸、稲作の起源などの神話が伝へられてゐます。
その孫の天津日高日子番能邇邇藝命が、天照大神の命を受け高天原から中つ国(日本)を治めるために天降られます。さらにその三世の孫の神武天皇が、初めての天皇として位に就かれ日本の国の歴史が始まります。
三社宮由緒
境内社「三社宮」の創建は不詳です。古来現在のご祭神である保食神とともに大己貴命、菅原道真公をまつる神社でした。
昭和二十五年に菅原道真公を奉遷して永福神社が、昭和三十五年に大己貴命が奉遷されて白衣神社が創建され、ご祭神は一柱になりましたが社名は変はってをりません。
御祭神
・保食神 うけもちのかみ
日本書紀に登場する、食物の守護神です。
天照大神が月夜見尊に葦原中国にゐる保食神をみてくるやう命じます。保食神は陸を向いて口から飯を、海を向いては魚を、山を向いては獣を吐き出し月夜見尊をもてなしますが、月夜見尊は「口から吐き出したものを食べさせようとは穢らはしい。」と保食神を斬り殺してしまひました。月夜見尊からその話を聞いた天照大神は大層怒り、これを以て日と月とは顔を合はせなくなったといひます。
その後、天照大神が保食神の所に天熊人を遣はすと、息絶えた保食神の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれてゐました。これらを受け取った天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとして田畑の種とし、養蚕の道が始まったといふことです。



締詣出。いつも通り氷の彫刻がありました。
今年は鳳と凰です。
異常な降雪のせいで三社宮もこの通り雪まみれ。
本殿は屋根の塗りが治っていました。拝殿の再建完了まではまだまだかかりそうです。
以上です。
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