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2025年01月08日
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カテゴリ: 御朱印:東京都
東京の中でも博物館や美術館が林立する上野公園。公園内には様々な神社仏閣も見られますが、これは公園がもともと東叡山 寛永寺の境内であったためです。堂宇の中でも清水寺を模したとされる清水観音堂は江戸三十三観音霊場の札所にもなっています。その正面には不忍池の弁天堂があり、常に観光客であふれています。
不忍池にそって南に進んだところに湯島という町があるんですが、そこに今回紹介する湯島天満宮があります。湯島と言えば天満宮というほど知名度のある神社ですよね

2024.3.27
湯島天満宮


メトロの湯島駅からも至近ですが、どこから行くにせよ上り坂を進まなくてはいけません。こちらは表参道側の大鳥居です。道路を跨ぐようにかかっています。



湯島天満宮には他にも2つの入り口があります。
こちらは神社北側からの入り口で、立派な門がかかっています。



門をくぐると素晴らしい本堂と共に、数え切れないほど大量の絵馬が迎えてくれます。写っているものは境内の絵馬の内、一部でしかありません。受験生からの崇敬が感じられます。



こちらが東側の入り口です。湯島駅からだとここが一番近いと思います。

男坂を登り切った所には、文学と関連する石碑がいくつも建っており天満宮らしい光景でした。

柳井堂 心城院の記事は下のリンクからご覧になれます!
・七番札所:柳井堂 心城院 聖天祀る湯島の寺院



説明書きです。




天神石坂(天神男坂)

 38段の石段坂である。別名は天神男坂。すぐわきにある、ゆるやかな坂・女坂に対して男坂という。
 江戸時代の書物”御府内備考”によると、湯島神社(天神)参拝のための坂であったが、その後、本郷から上野広小路に抜ける通り道になったという。
文京区教育委員会 平成3年3月



男坂から女坂に抜ける道沿いには地蔵尊が置かれていました。幸福地蔵と災害復興地蔵尊と言うようです。説明書きを見てみましょう。



【災害復興地蔵尊由来】(佐久間達夫氏遺稿より)

 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災は、東都に未曽有の惨禍をもたらした。当時の町会長を中心として有志は、罹災者の安寧と早期復興を願い、300年来、火伏寺としての伝統を持つ心城院の協力を得て、災害復興地蔵尊(右)を当地に建立し、震災で亡くなった方々の冥福と地元の平和発展を祈った。
 その後、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲では、隣接町会がほとんど焼土と化した中で、当町会は一軒の損失もなく、その難を免れた。これは「お地蔵さん」の御加護によるものと、往時の人々の心に深く刻まれた。

 左に奉安の尊像は、戦後復興の兆しがみえてきた頃のある朝、突如出現された。由来こそ定かではないが、お心安らかなそのお顔は、いつしか「幸せ」を呼ぶ地蔵尊(幸福地蔵)として親しまれている。この二体の地蔵尊は、地元天二町会をはじめ近隣地域の大切な守護神として、その後の繁栄を見守っている。

 以前の地蔵尊は露座でしたが、平成25年の関東大震災90周年を迎えるにあたり、平成24年9月に天二町会リサイクル推進部様より、地蔵尊覆堂が奉納されました。

この地で長く親しまれた地蔵尊であることが分かります。祭祀は心城院が行っているようです。

女坂です。疲れたくない方はこちらの参道をどうぞ。



再び表参道に戻ります。参道の脇には宝物殿や自販機スポット、手水舎などがあります。



隣には撫で牛がおかれていますよ。



拝殿です。赤地に黒・金の装飾が素晴らしい!本当にきれいな社殿ですよね!私も様々な知識を楽しんで吸収できるようにと願をかけました今年も新しいモノ・コトをいっぱい見て・体験して楽しんでいきたいですねぇ!



ご由緒です。






 社殿は平成7年(1995年)総檜木造りとして造営された。平成5年(1993年)お木曳き(造営の開始)の神事が行われ、遷座祭(完成)まで2年7か月を要した。


・銅製表為居(都指定文化財)寛文7年(1667年)9月建設され、同11年(1671年)修理した銘がある。下脚部に唐獅子頭部の装飾は鳥居としては特異なものである。
・奇緣氷人石(区指定文化財)もとは天保13年(1842年)に建てられたもので、嘉永3年(1850年)に湯島天満宮社殿前に移設された。右側面に「たづめるかた」左側面に「をしふるかた」とある。迷子探しの石で都内でも貴重なものである。
文京区教育委員会 令和2年1月



もう一つ由緒書きがあり、↑よりも古い由緒を綴っていました。




湯島神社由緒


例祭日:5月25日

 湯島神社は”湯島天満宮”、”湯島天神”として全国津々浦々まで知られている。

 雄略天皇の勅命により御宇二年(458年)1月創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平10年(1355年)2月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請した。
 文明10年(1478年)10月に、太田道灌これを再建し、天正18年(1590年)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌19年11月豊島郡湯島郷の内五石の朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。

 その後、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石など、学者・文人の参拝もたえることなく続いた。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。

 明治18年(1885年)に改築された社殿も老朽化が進み、平成7年12月、後世に残る総檜造りで造営された。



尚公式サイトのご由緒には以下の内容も見えます。

  • 元禄16年(1703年)の火災で全焼したので、宝永元年(1704年)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
  • 明治5年(1872年)10月には郷社に列し、ついで同18年(1885年)8月府社に昇格した。
  • 明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。

    斜めから。元は天之手力雄命を祀る古社だったようですが、近年はもう天満宮のイメージが圧倒的に強いですね。この由緒をよんで初めて菅公以外の祭神がいる事を知りました。

    斜めから。
    天之手力雄命は、神話上では天之岩戸をこじ開ける役割を持っています。それこそ道開きの様な力が連想されますよね。学問の神格とともに道開きの神格まで祀られているとすれば、受験生にとってはまさに聖地の様な場所になるかもしれませんね試験はあくまでも実力勝負、神に頼るものではありません。ただ勉強のモチベーション維持や気合を入れるためには、願をかけるという行為は大いに役立つと思います。何にせよ、今回無事に参拝出来て良かったです!



    今回貰った御朱印です。



    以上です。

    ​​





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    最終更新日  2026年03月15日 21時36分22秒
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